毛主席語録

毛沢東

1.共産党

われわれの事業を指導する中核的力は中国共産党である。

われわれの思想をみちびく理論的基礎はマルクス・レーニン主義である。

中華人民共和国第1期全国人民代表大会第1回会議の開会の辞(1954年9月15日)

革命をおこなうからには、革命政党が必要である。革命の政党なしには、マルクス・レーニン主義の革命理論と革命的風格にもとづいてうちたてられた革命政党なしには、労働者階級と広範な人民大衆を指導して帝国主義とその手先にうち勝つことはできない。

「全世界の革命勢力は団結して帝国主義の侵略とたたかおう」(1948年11月)、『毛沢東選集』第4巻

中国共産党の努力がなければ、また中国共産党員が中国人民の柱石とならなければ、中国の独立と解放は不可能であり、中国の工業化と農業の近代化も不可能である。

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻

中国共産党は全中国人民の指導的中核である。このような中核がなければ、社会主義の事業は勝利をおさめることができない。

中国新民主主義青年団第3回全国代表大会に出席した代表全員と会見したときの講話(1957年5月25日)

規律があり、マルクス・レーニン主義の理論で武装し、自己批判の方法をとる、人民大衆と結びついた党。このような党に指導される軍隊。このような党に指導される革命的諸階級・革命的諸党派の統一戦線。この3つは、われわれが敵にうち勝つ主要な武器である。

「人民民主主義独裁について」(1949年6月30日)、『毛沢東選集』第4巻

われわれは大衆を信じ、党を信ずるべきであって、これが2つの根本的な原理である。もしもこの2つの原理に疑いをもつなら、なにごともなしとげることはできない。

「農業協同化の問題について」(1955年7月31日)

マルクス・レーニン主義の理論と思想によって武装された中国共産党は、中国人民のあいだに、新しい工作作風をうんだが、それは主として理論と実践を結合する作風、人民大衆と密接に結びつく作風および自己批判の作風である。

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻

偉大な革命運動を指導する政党が、革命の理論もなく、歴史の知識もなく、実際の運動にたいする深い理解もないとすれば、勝利をかちとろうとしてもできるものではない。

「民族戦争における中国共産党の地位」(1938年10月)、『毛沢東選集』第2巻

われわれはかつて、整風運動は「普遍的なマルクス主義の教育運動」である、といったことがある。整風とは、全党が批判と自己批判を通じて、マルクス主義を学ぶことである。整風のなかで、われわれはかならずマルクス主義をいっそう多く学びとることができる。

「中国共産党全国宣伝工作会議における講話」(1957年3月12日)

いく億という中国人にりっぱに生活ができるようにさせ、経済的にも立ちおくれ、文化的にも立ちおくれたわれわれの国を、富裕で、強大な、高い文化をそなえた国に築きあげること、これはなみなみならぬ任務である。われわれが整風をおこなわなければならず、現在も整風をおこない、将来も整風をおこなわなければならず、われわれの身についている誤ったものをたえずはらいおときなければならないのは、われわれがこの任務をよりよく荷ないうるようにするためであり、改革をこころざす党外のすべての人びととよりよく協力して仕事をやりうるようにするためである。

「中国共産党全国宣伝工作会議における講話」(1957年3月12日)

政策は、革命政党のあらゆる実際行動の出発点であるが、同時に、行動の過程および帰結となってあらわれる。革命政党としては、いかなる行動もすべて政策の実行である。正しい政策を実行しているか、誤った政策を実行しているか、そのどちらかであり、ある政策を意識的に実行しているか、盲目的に実行しているか、そのどちらかである。いわゆる経験とは、政策実行の過程であり、帰結である。政策は人民の実践のなかで、つまり経験のなかで、はじめてその正確か否かが証明され、また、その正確さの程度と誤りの程度が確かめられる。しかし、人びとの実践、とりわけ革命政党と革命的大衆の実践は、あれこれの政策とつながっていないものはない。したがって、ある行動をとるには、まえもって、状況にもとづいてきめられたわれわれの政策を党員と大衆にはっきり説明しなければならない。そうでなければ、党員と大衆は、われわれの政策の指導から離れて、盲目的に行動し、誤った政策を実行することになる。

「商工業政策について」(1948年2月27日)、『毛沢東選集』第4巻

わが党は中国革命の総路線と全般的政策をきめ、またそれぞれの具体的な工作路線とそれぞれの具体的な政策をきめている。だが、多くの同志は、しばしばわが党の具体的な個々の工作路線と政策はおぼえていても、わが党の総路線と全般的政策は忘れている。もしほんとうにわが党の総路線と全般的政策を忘れているならば、われわれは盲目的な、不完全な、ぼんやりした革命家となり、具体的な工作路線と具体的な政策を遂行するにあたって、方向がわからなくなり、右に左に動揺し、われわれの工作を誤らせることになるであろう。

「山西・綏遠解放区幹部会議での演説」(1948年4月1日)、『毛沢東選集』第4巻

政策と戦術は党の生命である。各級の指導的な同志は、けっしておろそかにせず、じゅうぶんな注意をはらわなければならない。

「状況についての通報」(1948年3月20日)、『毛沢東選集』第4巻

2.階級と階級闘争

階級闘争、一部の階級が勝利し、一部の階級が消滅する。これが歴史であり、これが数千年にわたる文明史である。この観点によって歴史を解釈することを史的唯物論といい、この観点の反対側にたつのが史的観念論である。

「幻想をすてて、闘争を準備せよ」(1949年8月14日)、『毛沢東選集』第4巻

階級社会では、だれでも一定の階級的地位において生活しており、どんな思想でも階級の烙印のおされていないものはない。

「実践論」(1937年7月)、『毛沢東選集』第1巻

社会の変化は、主として社会の内部矛盾の発展、すなわち、生産力と生産関係との矛盾、諸階級のあいだの矛盾、新しいものとふるいものとのあいだの矛盾によるものであり、これらの矛盾の発展によって、社会の前進がうながされ、新旧社会の交代がうながされる。

「矛盾論」(1937年8月)、『毛沢東選集』第1巻

地主階級の農民にたいする残酷な経済的搾取と政治的抑圧のために、農民は地主階級の支配に反抗して、何度となく蜂起をおこなわざるをえなかった。……中国の封建社会では(このような農民の階級闘争、農民の蜂起、農民戦争だけが、歴史を発展させる真の原動力であった。

「中国革命と中国共産党」(1939年12月)、『毛沢東選集』第二巻

民族闘争は、とどのつまり、階級闘争の問題である。アメリカで黒人を抑圧しているのは、白色人種のなかの反動支配グループだけである。かれらは、白色人種のなかで圧倒的多数を占める労働者、農民、革命的知識人、その他の良識をもった人びとを代表することは絶対にできない。

「アメリカ帝国主義の人種差別に反対するアメリカ黒人の正義の闘争を支持する声明」(1963年8月8日)

人民はわれわれが組織しなければならない。中国の反動分子は、われわれが人民を組織することによってうち倒さなければならない。すべて反動的なものは、倒さないかぎり、倒れはしない。これも掃除とおなじで、ほうきがとどかなければ、ごみはやはりひとりでに逃げはしない。

「抗日戦争勝利後の時局とわれわれの方針」(1945年8月13日)、『毛沢東選集』第4巻

敵が自ら消滅することはありえない。中国の反動派にせよ、中国におけるアメリカ帝国主義の侵略勢力にせよ、自分からすすんで歴史の舞台をひきさがることはありえない。

「革命を最後まで遂行せよ」(1948年12月30日)、『毛沢東選集』第4巻

革命は、客を招いてごちそうすることでもなければ、文章をぬったり、絵をかいたり、刺しゅうをしたりすることでもない。そんなにお上品で、おっとりした、みやびやかな、そんなにおだやかで、おとなしく、うやうやしく、つつましく、ひかえ目のものではない。革命は暴動であり、一つの階級が他の階級をうち倒す激烈な行動である。

「湖南省農民運動の視察報告」(1927年3月)、『毛沢東選集』第1巻

蒋介石は、人民からは、わずかな権利もかならずうばい、わずかな利益もかならずとりあげる。われわれはどうか。われわれの方針は、まっこうから対決し、一寸の土地もかならず争うことである。われわれは蒋介石のやり方にならってやっている。蒋介石はいつも人民に戦争をおしつけ、左手にも刀をもてば、右手にも刀をもっている。だから、われわれもかれのやり方にならって、刀をとる。……現在、蒋介石はもう刀をといでいる。したがって、われわれも刀をとがなければならない。

「抗日戦争勝利後の時局とわれわれの方針」(1945年8月13日)、『毛沢東選集』第4巻

われわれの敵はだれか。われわれの友はだれか。この問題は革命のいちばん重要な問題である。中国のこれまでのすべての革命闘争が成果のはなはだすくなかった根本原因は、ほんとうの敵を攻撃するのに、ほんとうの友と団結することができなかったことにある。革命の党は大衆の道案内人であり、革命の党が革命において案内をあやまったとき革命が失敗しなかったためしはない。われわれの革命がまちがった道にみちびかれず、かならず成功するという確信をもつためには、われわれのほんとうの敵を攻撃するのに、ほんとうの友と団結することに心をつかわなければならない。ほんとうの敵と友とを見わけるためには、われわれは中国社会の各階級の経済的地位と革命にたいするその態度とについて、大すじの分析をおこなわなければならない。

「中国社会各階級の分析」(1926年3月)、『毛沢東選集』第1巻

帝国主義と結託したすべての軍閥、官僚、買弁階級、大地主階級およびかれらに従属する一部の反動的な知識人は、われわれの敵である。工業プロレタリアートはわれわれの革命の指導力である。あらゆる半プロレタリアート、小ブルジョアジーは、われわれにもっとも近い友である。たえず動揺している中産階級は、その右翼がわれわれの敵になりうるであろうし、その左翼はわれわれの友になりうるであろう。しかし、われわれは、かれらにわれわれの陣営をかきみださせないよう、つねに警戒する必要がある。

「中国社会各階級の分析」(1926年3月)、『毛沢東選集』第1巻

どんな人でも革命的人民の側に立つなら、その人は革命派であり、どんな人でも帝国主義、封建主義、官僚資本主義の側に立つなら、その人は反革命派である。どんな人でも口先だけは革命的人民の側に立ち、行動のうえではまったくちがっているなら、その人は口先だけの革命派であり、もしも、口先ばかりでなく、行動のうえでも革命的人民の側に立つなら、その人は徹底した革命派である。

中国人民政治協商会議第1期全国委員会第2回会議における閉会の辞(1950年6月23日)

われわれにとって、ある人、ある党、ある軍隊、ある学校が、もしも敵に反対されないなら、それはよいことではなく、きっと敵と野合しているのである、とわたしは考える。もしも敵に反対されるなら、それはよいことであり、われわれが敵とはっきりと一線を画していることを証明している。もしも敵がやっきになってわれわれに反対し、われわれのことをまったくでたらめであるとか、なにもかもまちがっているというなら、それはいっそうよいことであり、われわれが敵とはっきりと一線を画していることを証明しているばかりでなく、われわれの仕事がひじょうに成績をあげていることを証明している。

「敵に反対されるのは悪いことではなく、よいことである」(1939年5月26日)

およそ敵が反対するものは、われわれの支持すべきものであり、およそ敵が支持するものは、われわれの反対すべきものである。

「中央通信社、掃蕩報、新民報の3記者との談話」(1939年9月16日)、『毛沢東選集』第2巻

われわれはプロレタリアートと人民大衆の立場に立っている。共産党員についていえば、とりもなおさず、党の立場に立つことであり、党性および党の政策の立場に立つことである。

「延安の文学・芸術座談会における講話」(1942年5月)、『毛沢東選集』第3巻

銃をもった敵が滅ぼされてからも、銃をもたない敵は依然として存在するのであって、かれらはかならずわれわれと死に物狂いのたたかいをするであろう。われわれはけっしてこれらの敵を軽んじてはならない。もし、われわれが現在このように問題を提起し、問題を認識しないならば、われわれはきわめて大きな誤りをおかすことになる。

「中国共産党第7期中央委員会第2回総会での報告」(1949年3月5日)、『毛沢東選集』第4巻

帝国主義者と国内の反動派はけっしてかれらの失敗に甘んぜず、なお最後のあがきをするであろう。全国平定後も、かれらはやはりさまざまな方法で破壊と攪乱かくらんに従事し、時々刻々、中国でその復活をたくらむであろう。これは必然的なことであり、少しも疑う余地のないことであって、われわれは絶対に自己の警戒心をゆるめてはならない。

中国人民政治協商会議第1回全体会議における開会の辞(1949年9月21日)

わが国では、社会主義的改造は、所有制の面においてすでに基本的に完成しており、革命の時期における大規模な、あらしのような、大衆的階級闘争はすでに基本的におわっているが、しかし、くつがえされた地主・買弁階級の残余はなお存在しており、ブルジョアジーもなお存在しており、小ブルジョアジーはやっと改造されはじめたばかりである。階級闘争はまだおわってはいない。プロレタリアートとブルジョアジーとのあいだの階級闘争、各政治勢力のあいだの階級闘争、プロレタリアートとブルジョアジーとのあいだのイデオロギー面での階級闘争は、なお長期にわたる、曲がりくねったたたかいであり、ときにはひじょうに激しいものでさえある。プロレタリアートは自己の世界観にもとづいて世界を改造しようとし、ブルジョアジーも自己の世界観にもとづいて世界を改造しようとする。この面では、社会主義と資本主義とのあいだの、どちらが勝ち、どちらが負けるかの問題は、まだほんとうには解決されていない。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

わが国ではイデオロギーの面で社会主義と資本主義とのあいだの、どちらが勝ち、どちらが負けるかの闘争は、なおかなり長い期間を経なければ解決されない。これは、ブルジョアジーや旧社会からきた知識人の影響が、わが国ではなお長期にわたって存在し、それが階級的イデオロギーとして、わが国になお長期にわたって存在するからである。こうした情勢について認識がたりなかったり、ぜんぜん認識していなかったりするなる、ひじょうに大きな誤りを犯すことになり、必要な思想闘争を無視することになるであろう。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

わが国では、ブルジョアジーと小ブルジョアジーの思想、反マルクス主義的な思想は、なお長期にわたって存在するであろう。社会主義制度はわが国にすでに基本的にうちたてるれている。われわれは生産手段の所有制の改造の面で、すでに基本的な勝利をおさめているが、しかし、政治戦線と思想戦線の面では、われわれはまだ完全には勝利をおさめていない。イデオロギーの面でプロレタリアートとブルジョアジーとのあいだの、どちらが勝ち、どちらが負けるかの問題は、まだほんとうには解決されていない。われわれは、ブルジョアジー、小ブルジョアジーの思想にたいして、なお長期にわたる闘争をすすめなければならない。このような状況を理解せず、思想闘争を放棄するなら、それは誤りである。誤った思想、毒草、妖怪変化へんげはすべて批判すべきであり、絶対にそれらを自由にはん濫させてはならない。しかし、こうした批判は、道理をつくし、分析をくわえ、説得力をもったものでなければなちず、粗暴な、官僚主義的なもの、あるいは形而上学的な、教条主義的なものであってはならない。

「中国共産党全国宣伝工作会議における講話」(1957年3月12日)

教条主義と修正主義はいずれもマルクス主義にそむくものである。マルクス主義は、かならず発展し、実践の発展にともなって発展しなければならず、とどまっていることはできない。とどまっていて、いつまでももとのままでいるなら、それは生命を失うことになる。しかし、マルクス主義の基本原則はまたそむくことのできないものであり、それにそむくなら、誤りを犯すことになる。形而上学的な観点でマルクス主義をあつかい、それを死んだものとみるなら、それは教条主義である。マルクス主義の基本原則を否定し、マルクス主義の普遍的真理を否定するなら、それは修正主義である。修正主義はブルジョア思想である。修正主義者は社会主義と資本主義との区別をまっ殺し、プロレタリアートの独裁とブルジョアジーの独裁との区別をまっ殺している。かれらが主張しているのは、実際には、社会主義路線ではなくて、資本主義路線である。現在の状況のもとでは、修正主義は教条主義よりいっそう有害なものである。思想戦線におけるわれわれの現在の重要な任務の1つは、修正主義にたいする批判をくりひろげることである。

「中国共産党全国宣伝工作会議における講話」(1957年3月12日)

修正主義あるいは右翼日和見主義はブルジョア思潮であって、それは教条主義よりもさらに大きな危険性をもっている。修正主義者、右翼日和見主義者もまた、口先ではマルクス主義をとなえ、「教条主義」を攻撃する。だが、かれらが攻撃するのは、まさにマルクス主義のもっとも根本的なものである。かれらは、唯物論と弁証法に反対したり、それをゆがめたりし、人民民主主義独裁と共産党の指導に反対したり、それを弱めようとしたりし、社会主義的改造と社会主義建設に反対したり、それを弱めようとしたりする。わが国の社会主義革命が基本的に勝利をおさめたのちにも、社会のいちぶには、まだ資本主義制度を復活させようと夢みるものがおり、かれらは思想面での闘争をふくめて、あらゆる面から労働者階級に闘争をしかけてくる。そして、この闘争では、修正主義者がかれらの最良の助手である。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

3.社会主義と共産主義

共産主義はプロレタリアートの全思想体系であると同時に、また新しい社会制度でもある。このような思想体系と社会制度は、他のいかなる思想体系とも、他のいかなる社会制度とも区別されるものであって、それは人類の歴史はじまっていらいの、もっとも完全な、もっとも進歩した、もっとも革命的な、もっとも合理的なものである。封建主義の思想体系と社会制度は、すでに歴史博物館入りしたしろものである。資本主義の思想体系と社会制度も、その一部はすでに博物館(ソ連では)にはいっているが、他の部分も、すでに「日は西山にせまり、気息奄々、生命も危く、朝あしたに夕ゆうべをはかりがたし」であって、まもなく博物館入りになるであろう。ただ、共産主義の思想体系と社会制度だけがいままさに天地をくつがえす勢い、万雷のとどろく力で、全世界にひろがりあふれ、そのうるわしい青春をたもっている。

「新民主主義論」(1940年1月)、『毛沢東選集』第2巻

社会主義制度は、とどのつまり、資本主義制度にとってかわるであろう。これは人びとの意志によっては左右できない客観法則である。反動派がどのように歴史の車輪の前進をはばもうとしても、革命は、おそかれ早かれ起こるし、また、かならず勝利をおさめるであろう。

「ソ連最高会議の偉大な10月社会主義革命40周年祝賀会における講話」(1957年11月6日)

われわれ共産党員は、一貫して自己の政治的主張をかくさない。われわれの未来綱領もしくは最高綱領は、中国を社会主義社会と共産主義社会に前進させるものであり、これは確定的でいささかの疑問の余地もないことである。わが党の名称とわれわれのマルクス主義の世界観が、この将来のかぎりなく輝かしい、かぎりなく美しい、最高の理想を明確にさししめしている。

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻

中国共産党の指導する中国の革命運動全体は、民主主義革命と社会主義革命という2つの段階をふくむ全革命運動である。これは性質の異なる2つの革命の過程であり、まえの革命の過程を完結しなければ、あとの革命の過程は完結できない。民主主義革命は社会主義革命の必要な準備であり、社会主義革命は民主主義革命の必然の趨勢である。そして、すべての共産主義者の最終目的は、社会主義社会と共産主義社会の最終的な達成を、全力をあげてたたかいとることである。

「中国革命と中国共産党」(1939年12月)、『毛沢東選集』第2巻

社会主義革命の目的は、生産力を解放することにある。農業と手工業が小私有制から社会主義的集団所有制にかわり、私営工商業が資本主義的所有制から社会主義的所有制にかわることによって、必然的に、生産力は大々的に解放される。こうして、工業と農業の生産を大きく発展させるための社会的条件がっくり出されるのである。

最高国務会議における講話(1956年1月25日)

われわれはいま、社会制度の面で私有制から共有制への革命をおこなっているばかりでなく、技術の面で手工業生産から大規模な現代的機械生産への革命をおこなっており、この2つの革命は1つにむすびついている。農業の面では、わが国の条件からみて(資本主義国では農業を資本主義化させるが)、まず協同化してからでなければ、大型機械をつかうことはできない。このことからもわかるように、われわれは、工業と農業、社会主義的工業化と農業の社会主義的改造というこの2つの事がらをけっしてきりはなしたり、たがいに孤立させたりしてはならないし、けっして一方だけを強調して、他方を弱めたりしてはならない。

「農業協同化の問題について」(1955年7月31日)

新しい社会制度はうち立てられたばかりで、まだそれを強化する時間が必要である。新しい制度がひとたびうち立てるれると、それでもう完全に強固なものとなったなどと考えてはならないし、そんなことはありえないことである。それは一歩一歩強化していかなければならない。それを最後的に強化するには、国の社会主義的工業化を実現し、経済戦線での社会主義革命を堅持しなければならず、また、政治戦線、思想戦線で、不断の、なみなみならぬ社会主義革命の闘争と社会主義教育をおこなわなければならない。 このほか、いろいろな国際的条件が呼応することも必要である。

「中国共産党全国宣伝工作会議における講話」(1957年3月12日)

わが国では、社会主義制度を強化するたたかい、社会主義と資本主義のどちらがどちらに勝つかのたたかいは、まだひじょうに長い歴史的時期を経なければならない。しかし、われわれは、この社会主義の新しい制度がかならず強化されるということを見てとらなければならない。われわれはかならず現代工業、現代農業、現代科学・文化をそなえた社会主義国を建設することができるであろう。

「中国共産党全国宣伝工作会議における講話」(1957年3月12日)

われわれの国家にたいして敵対的な感情をいだいている知識人はごく少数である。このような人びとはわれわれのこのプロレタリアート独裁の国家をこのまず、旧社会に未練をもっている。かれらは、機会さえあれば、波らんをまきおこして、共産党をくつがえし、旧中国を復活させようと考えている。これは、プロレタリアートとブルジョアジーの2つの路線、社会主義と資本主義の2つの路線のうち、かたくなにあとの路線をあゆもうとしている人びとである。このあとの路線は実際には実現不可能なので、かれらは実際には帝国主義、封建主義、官僚資本主義に投降しようとしている人びとである。政界、工商業界、文化・教育界、科学・技術界、宗教界のいずれにもこのような人びとはいるのであり、それはきわめて反動的な人びとである。

「中国共産党全国宣伝工作会議における講話」(1957年3月12日)

重大な問題は農民の教育である。農民の経済は分散しており、ソ連の経験によっても、農業の社会化にはひじょうに長い時間と細心の工作が必要である。農業の社会化なしには、全面的な、強固な社会主義はありえない。

「人民民主主義独裁について」(1949年6月30日)、『毛沢東選集』第4巻

われわれはつぎの点に確信をもたなければならない。(1)広範な農民が、党の指導のもとで一歩一歩社会主義への道をすすんでゆきたいとのぞんでいること。(2)党が農民を指導して社会主義への道をすすませることができること。この2つの点が事物の本質であり、主流である。

「農業協同化の問題について」(1955年7月31日)

協同組合の指導機関は、かならず指導機関における現在の貧農と新しい下層中農の優勢をうちたて、以前の下層中農と新・旧上層中農を補助的な力としなければならない。こうしてはじめて、党の政策にもとづいて、貧農と中農との団結を実現し、協同組合を強化し、生産を発展させ、全農村の社会主義的改造を正しくなしとげることができるのである。この条件がなければ、中農と貧農とは団結することができず、協同組合は強化することができず、生産は発展することができず、全農村の社会主義的改造は実現することができない。

「長沙県高山郷武塘農業生産協同組合は、中農が優位を占めていたのを、どのようにして貧農が優位を占めるようにしたか」という文章にたいする評語(1955年)、「中国農村における社会主義の高まり」中巻

中農とはかならず団結しなければならず、中農と団結しないのは誤りである。ところで、労働者階級と共産党は農村でだれに依拠して中農と団結し、全農村の社会主義的改造を実現するのか。もちろん、貧農しかない。以前、地主と闘争し「土地改革をおこなったときもそうであったし、いま、富農やその他の資本主義的要素と闘争し、農業の社会主義的改造をおこなうときもやはりそうである。2つの革命の時期において、中農は、最初の段階ではいずれも動揺している。大勢を見きわめ、革命がまさに勝利しようというときになって、はじめて中農は革命の側に参加してくるのである。貧農はかならず中農にはたらきかけ、中農を自分たちの側に団結させ、最後の勝利をかちとるまで、革命を日1日と広げていかなければならない。

「福安県で『中農協同組合』と『貧農協同組合』が生まれたことについての教訓」という文章にたいする評語(1955年)、『中国農村における社会主義の高まり』中巻

ゆたかな農民のあいだにある資本主義的傾向はゆゆしいものである。協同化運動において、また、その後のかなり長い期間において、われわれが少しでも農民にたいする政治工作をゆるめるなら、資本主義的傾向はたちまちはん濫するようになるであろう。

「資本主義的傾向にたいして断固とした闘争をおこなわなければならない」という文章にたいする評語(1955年)、『中国農村における社会主義の高まり』上巻

農業協同化運動は、そのはじめからきびしい思想的、政治的闘争である。どの協同組合も、このような闘争を経なければ、つくられない。まったく新しい社会制度をふるい制度の土台のうえにうちたてようとすれば、かならずこの土台をとりのぞかなければならない。ふるい制度を反映するふるい思想の残りかすは、なんといって長期にわたって人びとの頭にとどまり、そうやすやすと出ていくのではない。協同組合は、できてからもなお多くの闘争を経なければ、自己を強化することはできない。強化されたあとでも、ちょっと手をゆるめるなら、またつぶれてしまう可能性がある。

「重大な教訓」という文章にたいする評語(1955年)、『中国農村における社会主義の高まり』上巻

さいきん数年のあいだに、農村における資本主義の自然発生的な力が日1日と発展してきており、あたらしい富農がすでにいたるところにあらわれ、多くの富裕中農が富農になろうと懸命になっている。多くの貧農は、生産手段が不足しているため、依然として貧困な地位におかれており、あるものは借金を背負い、あるものは土地を売るか、貸すかしている。こうした事態が発展していくのをそのままゆるすなら、農村における両極分化の現象は必然的に日1日と重大なものとなるであろう。土地を失った農民や、あいかわらず貧困な地位におかれている農民は、われわれがかれらを見殺しにしており、その困難を解決するのを援助していない、といって不平をこぼすにちがいない。資本主義の方向へ発展しようとする富裕中農もまた、われわれに不満をいだくであろう。なぜなら、われわれがもし資本主義の道をあゆもうとしなければ、これらの農民の要求を永遠にみたすことができないからである。こうした状況のもとで、労働者と農民の同盟がひきつづき強固なものとなっていくことができるであろうか。明らかにできない。この問題は、あたらしい基礎のうえにたってはじめて解決できるのである。 つまり、社会主義的工業化を1歩1歩実現し、手工業と資本主義的工商業にたいする社会主義的改造を1歩1歩実現していくと同時に、農業ぜんたいにたいする社会主義的改造を1歩1歩実現していくこと、すなわち、協同化をおこない、農村で富農経済の制度と小私有経済の制度を一掃して、全農村の人民をともにゆたかにすることである。われわれは、こうしなければ労働者と農民の同盟が強固なものとなることはできない、と考える。

「農業協同化の問題について」(1955年7月31日)

……全般的な配慮をはらうというのは、6億の人口にたいして全般的な配慮をはらうということである。われわれは計画をたて、事をおこない、問題を考えるばあい、わが国に6億の人口があるという点から出発すべきであって、けっしてこの点を忘れてはならない。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

党の指導をのぞけば、6億の人口が決定的な要因である。人が多ければ、議論も多く、熱意も高まり、意気込みも強まる。いまだかつて、現在のように人民大衆の精神がふるいたち、闘志が高まり、意気があがったのを見たことがない。

「ある協同組合を紹介する」(1958年4月15日)

他の特徴をのぞけば、中国の6億の人口がもついちじるしい特徴は、1つには経済的に貧しく、2つには文化的に立ちおくれているということである。これらは、見たところよくないようだが、実際にはよいことである。貧しければ変えようと考え、頑張ろうと考え、革命をやろうと考える。1枚の白紙はなにも背負っているものがなく、もっとも新しく、もっとも美しい文字を書くのに都合がよいし、もっとも新しく、もっとも美しい絵を書くのに都合がよい。

「ある協同組合を紹介する」(1958年4月15日)

中国革命が全国で勝利をおさめ、土地問題が解決されたのちも、中国にはまだ二種類の基本的な矛盾が存在する。ひとつは国内的な矛盾、すなわち労働者階級とブルジョアジーとの矛盾である。もうひとつは対外的な矛盾、すなわち中国と帝国主義国との矛盾である。したがって、労働者階級の指導する人民共和国の国家権力は、人民民主主義革命の勝利ののちにおいても、これを弱めるのではなくて、強めなければならない。

「中国共産党第7期中央委員会第2回総会での報告」(1949年3月5日)、『毛沢東選集』第4巻

「きみたちは国家権力を消滅させるのではないのか」。われわれはそうする。しかし、いまはまだそうしないし」またそうするわけにはいかない。なぜか。帝国主義がまだ存在し、国内の反動派がまだ存在し、国内の階級がまだ存在しているからである。われわれの現在の任務は、人民の国家機構、それは主として人民の軍隊、人民の警察、人民の法廷のことであるが、これを強めることによって、国防をかため、人民の利益をまもることである。

「人民民主主義独裁について」(1949年6月30日)、『毛沢東選集』第4巻

われわれの国家は労働者階級が指導し、労働者と農民の同盟を基礎とする人民民主主義独裁の国家である。この独裁はなにをするものなのか。独裁の第1の機能は、国内の反動階級、反動派および社会主義革命に反抗する搾取者を抑圧し、社会主義建設の破壊者を抑圧することであり、それは、国内の敵味方のあいだの矛盾を解決するためである。たとえば、一部の反革命分子を逮捕するとともに、かれらに刑罰をくわえること、地主階級分子や官僚ブルジョア分子にたいして、ある期間、選挙権をあたえず、かれらに言論発表の自由の権利をあたえないことなどはみな、独裁の範囲に属する。社会の秩序を維持し、広範な人民の利益をまもるために、窃盗犯、詐欺犯、殺人、放火犯、ならずものの集団、社会の秩序をひどくみだすさまざまな悪質分子にたいしても、独裁をおこなわなければならない。独裁には、さらに第2の機能がある。それは国の外からの敵の転覆活動や、しかけてくる可能性のある侵略を防ぐことである。このような状況があらわれたばあいには、独裁は、対外的に敵と味方のあいだの矛盾を解決する任務を負う。独裁の目的は全人民の平和的な労働をまもり、.わが国を現代工業、現 代農業、現代科学・文化をそなえた社会主義国にきずきあげることにある。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

人民民主主義独裁には、労働者階級の指導が必要である。というのは、労働者階級だけが、もっとも遠くを見通すことができ、公正無私であり、もっとも徹底した革命的性格に富んでいるからである。労働者階級の指導がなければ革命は失敗し、労働者階級の指導があれば革命は勝利する。このことは、革命の全歴史が証明している。

「人民民主主義独裁について」(1949年6月30日)、『毛沢東選集』第4巻

人民民主主義独裁の基礎は労働者階級、農民階級および都市小ブルジョアジーの同盟であり、主として、労働者と農民の同盟である。なぜなち、この2つの階級は、中国の人口の80パーセントから90パーセントをしめているからである。帝国主義と国民党反動派をくつがえすのは、主としてこの2つの階級の力である。新民主主義から社会主義にたっするには、主として、この2つの階級の同盟に依存しなければならない。

「人民民主主義独裁について」(1949年6月30日)、『毛沢東選集』第4巻

階級闘争、生産闘争、科学実験は、強大な社会主義国を建設するための3つの偉大な革命運動であり、それは共産主義者に官僚主義をとりのぞかせ、修正主義と教条主義をまぬかれさせ、永遠に不敗の地に立たせる確固とした保証であり、また、プロレタリアートに広範な勤労大衆と結びつかせ、民主主義独裁を実行させることのできるたしかな保証である。さもなければ、地主分子、富農分子、反革命分子、悪質分子、妖怪変化のたぐいをいっせいにとびださせてしまうし、しかも、われわれの幹部がそれにかまわず、ひどいばあいには多くのものが敵味方の区別がつかず、たがいに結託し、敵によってむしばまれ、分化、瓦解させられ、ひきずり出され、もぐりこまれ、さらに、多くの労働者、農民、知識人もまた敵の硬軟両様の手口にのせられてしまい、この調子でゆくなら、それほど長い期間がたたなくても、つまり、短くて数年、10数年、長くて数10年もたてば、不可避的に全国的規模の反革命の復活があらわれ、マルクス・レーニン主義の党は修正主義の党にかわり、ファシストの党にかわり、中国全体が変色してしまうであろう。

「幹部が労働に参加することについての淅江省の7つのすぐれた資料」にたいする評語(1963年5月9日)、「フルシチョフのエセ共産主義とその世界史的教訓」で引用されたことば。1964年7月14日づけ『人民日報』

人民民主主義独裁には2つの方法がある。敵にたいしては、独裁の方法をとる。すなわち、必要な期間、かれらを政治活動に参加させず、人民政府の法律にしたがうよう強制し、労働に従事するよう強制するとともに、労働のなかで新しい人間になるようかれらを改造するのである。人民にたいしては、これとは逆に、強制的な方法をとるのではなく、民主的な方法をとる。すなわち、かれらを政治活動に参加させなければならす、ああしろ、こうしろとかれらに強制するのではなくて、民主的な方法で、かれらに教育と説得をおこなうのである。

中国人民政治協商会議第1期全国委員会第2回会議における閉会の辞(1950年6月30日)

さらに強固な基礎のうえに中国の社会主義事業を急速に発展させるため、中国人民は、いま共産党の指導のもとで、生気はつらつとした整風運動をおこなっている。これは、都市と農村において、社会主義と資本主義の2つの道、国家の根本制度と重大政策、党および政府の要員の工作作風、人民の生活と福祉などの諸問題について、事実をあげて道理を説く方法で、指導をうけながら、自由に全人民的な大討論をくりひろげ、それによって、人民の内部に実際に存在し、しかも現在解決を必要としているさまざまな矛盾の問題を正しく解決することである。これは社会主義的な、人民の自己教育、自己改造の運動である。

「ソ連最高会議の偉大な10月社会主義革命40周年祝賀会における講話」(1957年11月6日)

偉大な建設の仕事をおこなうために、われわれの前には、きわめて複雑で重大な任務がよこたわっている。われわれには1千万をこえる党員がいるが、しかし、全国の人口のなかでは、やはりごく少数をしめているにすぎない。われわれの各国家機関と各種の社会事業において、多くの仕事は、党外の人びとにたよってやらなければならない。もし、われわれが人民大衆にたよることが不得手であり、党外の人びとと協力することが不得手であるなら、仕事をうまくやることはできない。われわれは、ひきつづき全党の団結をつよめてゆくとともに、また、ひきつづき各民族、民主的諸階級、民主的諸党派、人民諸団体の団結をつよめ、ひきつづきわれわれの人民民主統一戦線を強化、拡大しなければならず、党と人民との団結をさまたげるよくない現象は、どのような仕事の一環の、どのような種類のものであっても、すべて真剣にあらためるようにしなければならない。

「中国共産党第8回全国代表大会の開会の辞」(1956年9月15日)

4.人民内部の矛盾を正しく処理する

われわれの前には2種類の社会的矛盾がある。すなわち、敵味方のあいだの矛盾と人民内部の矛盾である。これは性質のまったく異なった2種類の矛盾である。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

敵味方のあいだの矛盾と人民内部の矛盾という2種類の異なった矛盾を正しく認識するためには、まず、人民とは何であり、敵とは何であるかをはっきりさせなければならない。……現段階、すなわち社会主義建設の時期においては、社会主義建設の事業に賛成し、これを擁護し、これに参加するすべての階級、階層、社会集団は、みな人民の範囲にはいり、社会主義革命に反抗し、社会主義建設を敵視し、破壊するすべての社会勢力と社会集団はみな人民の敵である。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

わが国の現在の条件のもとでは、いわゆる人民内部の矛盾には、労働者階級内部の矛盾、農民階級内部の矛盾、知識人内部の矛盾、労農両階級のあいだの矛盾、労働者・農民と知識人とのあいだの矛盾、労働者階級およびその他の勤労人民と民族ブルジョアジーとのあいだの矛盾、民族ブルジョアジー内部の矛盾その他がふくまれる。われわれの人民政府は、人民の利益を真に代表する政府であり、人民に奉仕する政府であるが、この政府と人民大衆とのあいだにも一定の矛盾がある。この矛盾には、国家の利益、集団の利益、個人の利益のあいだの矛盾、民主と集中との矛盾、指導するものと指導されるものとのあいだの矛盾、国家機関の一部の要員の官僚主義的な作風と大衆とのあいだの矛盾がふくまれる。この種の矛盾も、人民内部の矛盾の1つである。一般的にいえば、人民内部の矛盾は、人民の利益の根本的一致を土台とする矛盾である。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

敵味方のあいだの矛盾は敵対的な矛盾である。人民内部の矛盾は、勤労人民のあいだでは、非敵対的なものであるが、被搾取階級と搾取階級とのあいだでは、敵対的な1面のほかに、非敵対的な1面もある。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

わが国人民の政治生活において、われわれの言論や行動の是非をどのようにして判断すべきであろうか。わが国憲法の諸原則にもとづき、わが国の最大多数の人民の意志とわが国の各政党がたびたび公表してきた共通の政治的主張にもとづいて、その基準を大体つぎのように規定することができる、とわれわれは考える。(1)人民を分裂させるのではなくて、全国各民族人民の団結に有利であること。(2)社会主義的改造と社会主義建設に不利ではなくて、社会主義的改造と社会主義建設に有利であること。(3)人民民主主義独裁を破壊したり、弱めたりするのではなくて、この独裁を固めるのに有利であること。(4)民主集中制を破壊したり、弱めたりするのではなくて、この制度を固めるのに有利であること。(5)共産党の指導からはなれたり、これを弱めたりするのではなくて、この指導を固めるのに有利であること。(6)社会主義の国際的団結と全世界の平和を愛する人民の国際的団結をそこなうのではなくて、これらの団結に有利であること。この6項目の基準のうち、もっとも重要なのは、社会主義の道と党の指導という2項目である。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

反革命分子を粛清する問題は、敵味方の矛盾の闘争の問題である。人民の内部にも、反革命分子を粛清する問題について、いくぶん異なった見方をしている人びとがいくらかいる。2種類の人びとの見解がわれわれの見解と異なっている。右翼的な思想の持ち主たちは、敵味方を区別せず、敵を味方だと考えている。広範な大衆が敵だと考えている人びとを、かれらはかえって友人だと考えている。極左的な思想の持ち主たちは、敵味方の矛盾を拡大し、はては人民内部のいちぶの矛盾をも敵味方の矛盾とみなし、もともと反革命でないいちぶの人びとをも反革命とみなしている。この2つの見方はともに間違っており、どちらも反革命分子を粛清する問題を正しく処理することができず、また、反革命分子を粛清するわれわれの仕事を正しく評価することができない。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

質の異なる矛盾は、質の異なる方法でしか解決できない。たとえば、プロレタリアートとブルジョアジーとの矛盾は、社会主義革命の方法によって解決され、人民大衆と封建制度との矛盾は、民主主義革命の方法によって解決され、植民地と帝国主義との矛盾は、民族革命戦争の方法によって解決され、社会主義社会における労働者階級と農民階級との矛盾は、農業の集団化と農業の機械化の方法によって解決され、共産党内の矛盾は、批判と自己批判の方法によって解決され、社会と自然との矛盾は、生産力を発展させる方法によって解決される。……異なる方法によって異なる矛盾を解決すること、これはマルクス・レーニン主義者の厳格にまもらなければならない原則である。

「矛盾論」(1937年8月)、『毛沢東選集』第1巻

敵味方のあいだの矛盾と人民内部の矛盾というこの2種類の矛盾は、性質が異なっており、解決の方法も異なっている。簡単にいえば、前者は敵味方をはっきり区別する問題であり、後者は是非をはっきり区別する問題である。もちろん、敵味方の問題も一種の是非の問題である。たとえば、われわれと、帝国主義、封建主義、官僚資本主義などの内外の反動派とは、いったいどちらが正しく、どちらが正しくないのかということも、やはり是非の問題である。しかし、これは人民内部の問題とは性質の異なった別の種類の是非の問題である。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

思想的性質に属する問題や人民内部に属する論争の問題は、すべて、民主的な方法によってのみ解決することができ、討論の方法、批判の方法、説得と教育の方法によってのみ解決することができるのであって、強制的、強圧的な方法によって解決してはならない。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

人民は、効果的に生産をおこない、学習をおこない、秩序だった生活をおくるために、自分の政府や生産面の指導者、文化・教育機関の指導者たちにたいして、強制をともなういろいろ適切な行政命令をだすことを要求する。このような行政命令がなければ、社会秩序は保たれようがない。これは人びとが常識として理解しているところである。これと、説得と教育の方法によって人民内部の矛盾を解決することとは、たがいにおぎない、たすけあう2つの側面である。社会秩序を維持するという目的のために出された行政命令もまた、説得と教育をともなわなければならす、ただ行政命令だけにたよっていては、多くのばあいうまくいかないのである。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

ブルジョアジー、小ブルジョアジーの思想意識はかならず反映してくるものである。かならず政治問題や思想問題で、いろいろな方法をもちいてかたくなにかれら自身を表現しようとする。かれらに反映させまい、表現させまいとしても、不可能である。われわれは、かれらが表現するのを強圧的な方法でおさえつけてはならず、かれらに表現させるべきであり、同時に、かれらが表現したばあいに、かれらと討論し、適切な批判をくわえるべきである。疑いもなく、われわれは種々さまざまな誤った思想を批判しなければならない。批判をくわえず、誤った思想がいたるところにはん濫するのを見すごし、それらが市場を占領するままにまかせておくのは、もちろんいけない。誤りがあればこれを批判し、毒草があればこれと闘争しなければならない。だが、この批判は教条主義的であってはならす、形而上学的な方法をもちいてはならず、できるかぎり弁証法的な方法をもちいるようにつとめるべきである。科学的な分析が必要であり、十分な説得力が必要である。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

人民の欠点にたいして批判が必要であるが、……しかし、真に人民の立場に立ち、人民を保護し、人民を教育するあふれるばかりの熱情をもって語らなければならない。同志を敵としてとりあつかうなら、自分を敵の立場に立たせることになる。

「延安の文学・芸術座談会における講話」(1942年5月)、『毛沢東選集』第3巻

矛盾と闘争とは普遍的であり、絶対的であるが、矛盾を解決する方法、すなわち、闘争の形態は矛盾の性質のちがいによって異なる。一部の矛盾は公然たる敵対性をもつが、一部の矛盾はそうではない。事物の具体的発展にもとづいて、一部の矛盾は、もともと非敵対性であったものから敵対性のものに発展し、また、一部の矛盾は、もともと敵対性であったものから非敵対性のものに発展する。

「矛盾論」(1937年8月)、『毛沢東選集』第1巻

一般的な状況のもとでは、人民内部の矛盾は敵対的なものではない。しかし、その処理が不適当であったり、あるいは警戒心をうしなったり、気をゆるめたりすると、敵対関係が生ずることもありうる。こうした状況は、社会主義国では、ふつう、局部的、一時的な現象にすぎない。それは、社会主義国では人が人を搾取する制度が消滅され、人民の利益が根本的に一致しているからである。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」 (1957年2月27日)

わが国では、労働者階級と民族ブルジョアジーとの矛盾は人民内部の矛盾に属する。労働者階級と民族ブルジョアジーとの階級闘争は、一般的には、人民内部の階級闘争に属する。これは、わが国の民族ブルジョアジーが2面性をもっているからである。ブルジョア民主主義革命の時期には、かれらは革命的な1面をもつとともに、妥協的な1面ももっていた。社会主義革命の時期には、かれらは労働者階級を搾取して利潤を手に入れるという一面をもつとともに、憲法を守り、社会主義的改造をうけいれようとする一面ももっている。民族ブルジョアジーは、帝国主義、地主階級、官僚ブルジョアジーとは異なっている。労働者階級と民族ブルジョアジーとのあいだには搾取と被搾取の矛盾が存在しており、これはもともと敵対的な矛盾である。しかし、わが国の具体的な条件のもとでは、この2つの階級の敵対的な矛盾は、処理が適切であれば、非敵対的な矛盾に転化させることができるし、平和的な方法によってこの矛盾を解決することができる。もしも、われわれの処理が適切でなく、民族ブルジョアジーにたいして団結、批判、教育の政策をとらなかったり、あるいは民族ブルジョアジーがわれわれ のこの政策をうけいれなかったりすれば、労働者階級と民族ブルジョアジーとのあいだの矛盾は敵味方のあいだの矛盾に変わることになる。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

社会主義国内部の反動派と帝国主義者はたがいに結託して、人民内部の矛盾を利用し、離間挑発をはかり、波らんをまきおこして、かれらの陰謀を実現しようとした。ハンガリー事件のこうした教訓にたいしては、みんなが注意をはらうべきである。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

5.戦争と平和

戦争――それは私有財産と階級が発生してからはじまった階級と階級、民族と民族、国家と国家、政治集団と政治集団とのあいだの、一定の発展段階での矛盾を解決するためにとられる最高の闘争形態である。

「中国革命戦争の戦略問題」(1936年12月)、『毛沢東選集』第1巻

「戦争は政治の継続である」、この点からいえば、戦争とは政治であり、戦争そのものが政治的性質をもった行動であって、昔から政治性をおびない戦争はなかった……

だが、戦争にはその特殊性があり、この点からいえば、戦争がそのまま政治一般ではない。「戦争は別の手段による政治の継続である」。政治が一定の段階にまで発展して、もうそれ以上従来どおりには前進できなくなると、政治の途上によこたわる障害を一掃するために戦争が勃発する。……障害が一掃され、政治目的が達成されれば、戦争は終わる。障害がすっかり一掃されないうちは、目的をつらぬくために、戦争は依然として継続されるべきである。……したがって、政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治であるといえる。

「持久戦について」(1938年5月)、『毛沢東選集』第2巻

歴史上の戦争は2つの種類にわけられる。1つは正義の戦争であり、もう1つは不正義の戦争である。すべて、進歩的な戦争は正義のものであり、進歩をはばむ戦争は不正義のものである。われわれ共産党員は、進歩をはばむすべての不正義の戦争に反対するが、進歩的な正義の戦争には反対しない。後者にたいしては、われわれ共産党員は反対しないばかりか、積極的に参加する。前者、たとえば第1次世界大戦では、双方とも帝国主義の利益のために戦ったので、全世界の共産党員はその戦争には断固として反対した。反対する方法は、戦争が勃ぼっ発するまでは、極力その勃発を阻止することであるが、すでに勃発したのちには、その可能性さえあれば、戦争によって戦争に反対し、正義の戦争によって不正義の戦争に反対することである。

「持久戦について」(1938年5月)、『毛沢東選集』第2巻

階級社会では、革命と革命戦争が不可避であり、それなしには、社会発展の飛躍を達成することもできなければ、反動的支配階級をうちたおして人民に権力をにぎらせることもできない。

「矛盾論」(1937年8月)、『毛沢東選集』第1巻

革命戦争は抗毒素であって、それはたんに敵の毒素を排除するばかりでなく、自己の汚れをも洗いきよめるであろう。正義の、革命的な戦争というものは、その力がきわめて大きく、多くの事物を改造することができ、または事物を改造する道をきりひらく。中日戦争は中日両国を改造するであろう。中国が抗戦を堅持し、統一戦線を堅持しきえすれば、かならず、ふるい日本を新しい日本にかえ、ふるい中国を新しい中国にかえ、中日両国の人も物も、ことごとく今度の戦争のなかで、また戦争のあとで改造されるであろう。

「持久戦について」(1938年5月)、『毛沢東選集』第2巻

共産党員の1人ひとりが、「鉄砲から政権がうまれる」という真理を理解すべきである。

「戦争と戦略の問題」(1938年11月6日)、『毛沢東選集』第2巻

革命の中心任務と最高の形態は、武力による政治権力の奪取であり、戦争による問題の解決である。このマルクス・レーニン主義の革命原則は普遍的に正しく、中国においても外国においても一様に正しい。

「戦争と戦略の問題」(1938年11月6日)、『毛沢東選集』第2巻

中国では、武装闘争を離れては、プロレタリアートの地位はなく、人民の地位はなく、共産党の地位はなく、革命の勝利はない。18年らい、わが党の発展、強化およびボリシェビキ化は、革命戦争のなかですすめられており、武装闘争なしには、こんにちの共産党もありえない。血をもってあがなわれたこの経験を、全党の同志はわすれてはならない。

「『共産党人』発刊のことば」(1939年10月4日)、『毛沢東選集』第2巻

マルクス主義の国家学説にかんする観点からみれば、軍隊は国家権力の主要な構成要素である。国家権力を奪取し、しかもそれを保持しようとするものは、強大な軍隊をもつべきである。われわれを「戦争万能論」だと笑うものがあるが、そのとおり、われわれは革命戦争万能論者である。それはわるいことではなく、よいことであって、マルクス主義なのである。ロシア共産党の鉄砲は社会主義をつくりだした。われわれは民主共和国をつくろうとしている。帝国主義時代の階級闘争の経験は、労働者階級と勤労大衆が武装したブルジョアジーと地主にうち勝つには、鉄砲の力によるほかはないことをわれわれに教えている。この意味から、世界全体を改造するには鉄砲によるほかはない、ということができる。

「戦争と戦略の問題」(1938年11月6日)、『毛沢東選集』第2巻

われわれは戦争消滅論者であり、戦争を必要としない。だが、戦争を消滅するには、戦争をつうじるほかはないのであり、鉄砲を不要にするには、鉄砲を手にしなければならない。

「戦争と戦略の問題」(1938年11月6日)、『毛沢東選集』第2巻

戦争――人類がたがいに殺しあうこの怪物は、人類社会の発展が、終局的には、これを消滅させるし、しかも、遠くない将来に消滅させることになる。だが、それを消滅させる方法はただ1つしかないのであって、それは戦争をもって戦争に反対し、革命戦争をもって反革命戦争に反対し、民族革命戦争をもって民族反革命戦争に反対し、階級的革命戦争をもって階級的反革命戦争に反対することである。……人類の社会が、階級を消滅し、国家を消滅するところまで進歩したとき、そのときにはどんな戦争もなくなる。反革命戦争もなければ、革命戦争もなく、不正義の戦争もなければ、正義の戦争もなくなる、これが人類の永遠の平和の時代である。われわれが革命戦争の法則を研究するのは、すべての戦争を消滅させようとするわれわれの願望からでており、これがわれわれ共産党員とすべての搾取階級とを区別する境界線である。

「中国革命戦争の戦略問題」(1936年12月)、『毛沢東選集』第1巻

わが国と社会主義諸国は平和を必要としており、世界各国の人民も平和を必要としている。戦争を熱望し、平和を欲しないのは、少数の帝国主義国のなかの、侵略によってぼろもうけをするいちぶの独占資本集団だけである。

「中国共産党第8回全国代表大会の開会の辞」(1956年9月15日)

世界の恒久平和をたたかいとるためには、われわれは、社会主義陣営の兄弟諸国との友好と協力をいっそう発展させるとともに、平和を愛するすべての国ぐにとの団結をつよめなければならない。われわれは、われわれと平和につきあうことを望んでいるすべての国ぐにとのあいだに、領土・主権の相互尊重と平等・互恵の基礎のうえにたって、正常な外交関係をうちたてるようにつとめなければならない。アジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国の民族独立解放運動および世界のあらゆる国ぐにの平和運動と正義の闘争にたいして、われわれは積極的な支持をあたえなければならない。

「中国共産党第8回全国代表大会の開会の辞」(1956年9月15日)

帝国主義国についていえば、われわれは、やはり、そこの人民と団結するとともに、それらの国ぐにとの平和的共存につとめ、商売をやり、起こるかもしれない戦争を制止するようにしなければならない。しかし、われわれは、けっして、かれらについて実際にそぐわない考えをもつべきではない。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

われわれは平和をのぞんでいる。しかし、もしも帝国主義があくまでも戦争をしようとするなら、われわれも腹をきめてかかり、戦争をしてから建設するほかはない。まいにち戦争をこわがっていても、戦争がやってきたらどうしようもないではないか。さきに、わたしは東風が西風を圧倒しており、戦争はおこりえないといったが、いま、戦争が勃発したときの状況について、さらにこれらの補足的な説明をつけくわえたので、これで2つの可能性とも予想しつくしたことになる。

各国共産党・労働者党のモスクワ会議における講話(1957年11月18日)、1963年9月1日づけ『人民日報』の「中国政府スポークスマンの声明」のなかで引用されたことば

いま、世界各国の人びとは、第3次世界大戦がおこるかどうかを話しあっている。この問題について、われわれは精神的な準備もしなければならないし、分析もしなければならない。われわれは平和を堅持し、戦争に反対するものである。だが、もしも帝国主義がどうしても戦争をおこすなら、われわれはそれをおそれる必要もない。この問題にたいするわれわれの態度は、すべての「騒乱」にたいする態度と同じで、第1には反対し、第2には恐れない、ということである。第1次世界大戦後、2億の人口をもつソ連があらわれた。第2次世界大戦後には、あわせて9億の人口をもつ社会主義陣営があらわれた。もし、帝国主義者がどうしても第3次世界大戦をおこすなら、その結果は、かならずさらに幾億かの人口が社会主義の側に移り、帝国主義に残される地盤が少なくなり、帝国主義制度全体が完全に崩壊することもありうる、と断定できる。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

攪乱、失敗、ふたたび攪乱、ふたたび失敗、さいごに滅亡――これが人民の事業に対処する、帝国主義と世界のいっさいの反動派の論理で、かれらはけっしてこの論理に反することはない。これはマルクス主義の法則である。われわれが「帝国主義はきわめて凶悪だ」というのは、その本性はあらためることのできないものだということをいっているのである。帝国主義者は、その滅亡の日まで、けっして屠刀を捨てようとするものではなく、また、けっして善人になれるものでもない。

闘争、失敗、ふたたび闘争、ふたたび失敗、ふたたび闘争、さいごに勝利――これが人民の論理で、人民もまたけっしてこの論理に反することはない。これはマルクス主義のもう一つの法則である。ロシア人民の革命はこの法則にしたがったし、中国人民の革命もまたこの法則にしたがっている。

「幻想をすてて、闘争を準備せよ」 (1949年8月14日)、『毛沢東選集』第4巻

われわれは、勝利したからといって、けっして帝国主義者とその手先どもの狂気じみた報復の陰謀に警戒をゆるめてはならない。警戒をゆるめるものは、政治的に武装を解いて受身の立場にたつことになる。

「新政治協商会議準備会での演説」 (1949年6月15日)、『毛沢東選集』第4巻

帝国主義者とその手先中国反動派は、中国というこの土地での失敗にあまんじるものではない。かれらは今後ともたがいに結託し、いろいろと可能な手段をこうじても中国人民に立ちむかってくるにちがいない。たとえば、かれらの手先を送って中国の内部にもぐりこませ、分裂工作や攪乱工作をおこなうことである。これはかならずおこることで、かれらはこの工作をぜったいに忘れはしない。また、たとえば、中国の反動派をそそのかし、さらに、かれら自身の力までくわえて、中国の海港を封鎖することである。可能性さえあれば、かれらはそうするであろう。さらに、かれらが冒険をやろうとすれば、一部の兵力を派遣して中国の辺境に侵入し、攪乱することもありえないことではない。これらのすべてを、われわれはじゅうぶんに計算にいれておかなければならない。

「新政治協商会議準備会での演説」 (1949年6月15日)、『毛沢東選集』第4巻

世界は進歩しつつあり、前途は明るい。この歴史の全般的な趨勢は、なにびとといえども変えることはできない。われわれは世界の進歩の状況と明るい前途をつねに人民に宣伝し、人民に勝利の確信をもたせなければならない。

「重慶交渉について」(1945年10月17日)、『毛沢東選集』第4巻

人民解放軍の全指揮員、戦闘員は、自己の戦闘意欲をぜったいに、いささかもゆるめてはならない。戦闘意欲をゆるめたり敵を軽んじたりする考えは、どのようなものもすべて誤りである。

「中国共産党第7期中央委員会第2回総会での報告」(1949年3月5日)、『毛沢東選集』第4巻

6.帝国主義とすべての反動派はハリコの虎である

すべての反動派はハリコの虎である。反動派は、見たところ、おそろしそうでも、実際には、なにもたいした力はもっていない。ながい目で見れば、ほんとうに強大な力をもっているのは、反動派ではなくて、人民である。

「アメリカの記者アンナ・ルイズ・ストロングとの談話」(1946年8月)、『毛沢東選集』第4巻

世のなかのあらゆる事物で、2重性をそなえていないものがない(すなわち対立面の統一の法則)のと同様に、帝国主義といっさいの反動派も2重性をそなえており、かれらは本物の虎でもあれば、またハリコの虎でもある。歴史的にみて、奴隷主階級、封建的地主階級およびブルジョアジーは、かれらが支配権力をかちとる前と支配権力をかちとった後のある時期には、生気にあふれており、革命家であり、すすんだ人間であり、本物の虎であった。だが、その後のある時期には、かれらの対立面である奴隷階級、農民階級およびプロレタリアートがしだいに強大になって、かれらと闘争し、しかもその闘争がますます激しくなったので、かれらはしだいに反対の側に転化して、反動派になり、立ちおくれた人間になり、ハリコの虎になり、ついには人民によってくつがえされたか、あるいは、くつがえされようとしている。反動的な、立ちおくれた、老い朽ちた階級は、人民の決死の闘争に直面したときも、やはりこうした2重性をあらわす。一方では、かれらは本物の虎であって、人を食う。何百万人、何千万人の人を食う。人民のたたかいの事業が苦難の時代におかれ、多くのまがりくねった道があらわ れた。中国人民は、帝国主義、封建主義、官僚資本主義の中国における支配をくつがえすために、百余年の時日をついやし、何千万人もの人命をうしなって、やっと1949年の勝利をかちとった。見たまえ、これは生きた虎、鉄の虎、本物の虎ではないか。だが、かれらはついに、ハリコの虎、死んだ虎、豆腐の虎に転化してしまった。これは歴史の事実である。まさか、こうしたものを見たり聞いたりしたことがないとはいえまい。ほんとうに、何千何万、何千何万という事実があるのである。だから、本質的に物を見、ながい目で物を見、戦略的に物を見るときには、ありのままに、帝国主義といっさいの反動派を、ハリコの虎と見なければならない。われわれの戦略思想は、この観点の上にうちたてられる。他方では、かれらはまた、生きた、鉄の、本物の虎で、人を食う。われわれの戦術思想は、この観点の上にうちたてられる。

中国共産党中央政治局の武昌会議における講話(1958年12月1日)、『毛沢東選集』第4巻の「アメリカの記者アンナ・ルイズ・ストロングとの談話」という文章についての解題

わたしはかって、強大だといわれるすべての反動派は、どれもこれもハリコの虎にすぎないといった。その理由は、かれらが人民から遊離していることにある。見たまえ、ヒトラーはハリコの虎ではなかったか。ヒトラーはうちたおされたではないか。わたしはまた、ツァーはハリコの虎であり、中国の皇帝はハリコの虎であり、日本帝国主義はハリコの虎であるといったが、見たまえ、みなたおれてしまった。アメリカ帝国主義はたおれておらず、まだ原子爆弾をもっているが、わたしのみるところでは、これもたおれるし、やはりハリコの虎である。

各国共産党・労働者党のモスクワ会議における講話(1957年11月18日)

「石をもちあげて、自分自身の足を打つ」。これは、中国人が一部の愚か者の行為をたとえていった諺である。各国の反動派も、こうした愚か者にほかならない。かれらが革命的人民にくわえているさまざまな迫害は、とどのつまり、人民のいっそう広範な、いっそうはげしい革命をうながすだけである。ツァーと蒋介石が革命的な人民にくわえたさまざまな迫害が、偉大なロシア革命と偉大な中国革命にたいして、そうした促進作用をはたしたのではなかったであろうか。

「ソ連最高会議の偉大な10月社会主義革命40周年祝賀会における講話」(1957年11月6日)

アメリカ帝国主義は、9年らい、わが国の領土台湾を侵略・占領してきたし、さきごろはまた、武装部隊を派遣してレバノンを侵略・占領した。アメリカは全世界の多くの国ぐにに数百にのぼる軍事基地を設けている。中国の領土台湾、レバノンおよび外国にあるアメリカのすべての軍事基地は、いずれもアメリカ帝国主義の首にまきつけられたナワである。ほかでもなく、アメリカ人自身がこうしたナワをつくり、それを自分の首にまきつけ、そしてナワのもういっほうの端を中国人民、アラブ諸国人民および全世界の平和を愛し侵略に反対するすべての人民に渡しているのである。アメリカ侵略者がこれらの地域に踏みとどまるのが長ければ長いだけ、その首にまきつけられたナワはいよいよひきしめられてゆくであろう。

最高国務会議における講話(1958年9月8日)

帝国主義者の寿命はそう長くはない。なぜなら、かれらは悪のかぎりをつくしており、ひたすら各国の反人民的な反動派を助け、多くの植民地、半値民地、軍事基地を不法占領し、原子戦争で平和をおびやがしているからである。こうしてかれらは、全世界の90パーセント以上の人びとが、現在または将来、いっせいにたちあがってかれらに攻撃をくわえることを余儀なくさせているのである。だが、帝国主義者はいまのところまだ生きているし、あいかわらずアジア、アフリカ、ラテンアメリカにたいして横暴のかぎりをつくしている。かれらは西側の世界でも、あいかわらずかれらの国の人民大衆を抑圧している。こうした局面は、是非とも改めなければならない。帝国主義、主としてアメリカ帝国主義の侵略と抑圧を終わらせることは、全世界人民の任務である。

新華社記者にたいする談話(1958年9月29日)

アメリカ帝国主義はいたるところで横暴のかぎりをつくしており、自分自身を、全世界人民を敵とする地位におき、自分自身をますます孤立させている。アメリカ帝国主義の手中にある原子爆弾、水素爆弾は、奴隷になることを欲しないすべての人をおどしあげることはできない。アメリカ侵略者に反対する全世界人民の怒りの波はくいとめることができない。アメリカ帝国主義とその手先に反対する全世界人民のたたかいは、かならずいっそう偉大な勝利をおさめるであろう。

「パナマ人民の反米愛国正義の闘争を支持する談話」(1964年1月12日)

アメリカの独占資本集団は、もしもその侵略政策と戦争政策をあくまでおしすすめるなら、いつかはかならず全世界の人民から絞首刑に処せられるであろう。その他のアメリカの共犯者もおなじである。

最高国務会議における講話(1958年9月8日)

敵と闘争するため、われわれは長いあいだに、1つの概念をつくりあげてきた。それはつまり、われわれは戦略上ではいっさいの敵を蔑視しなければならず、戦術上ではいっさいの敵を重視しなければならない、ということである。いいかえれば、われわれは全体のうえではかならずそれを蔑視しなければならず、個々の具体的な問題ではかならずそれを重視しなければならない、ということである。もしも、全体のうえで敵を蔑視するのでなければ、われわれは日和見主義の誤りを犯すことになる。マルクスとエンゲルスはただ2人だけだったが、当時、かれらは全世界の資本主義はうちたおされるであろうといった。しかし、具体的な問題、個々の敵の問題で、もしもわれわれがそれを重視しないなら、われわれは冒険主義の誤りを犯すことになる。戦いはひといくさひといくさ戦うほかはなく、敵は1部分1部分消滅していくほかはない。工場はひとつひとつ建てていくほかはなく、農民が田をたがやすときは、1枚1枚たがやすほかはない。めしを食うにしても、そのとおりである。われわれは、このめしをたいらげることができる、と戦略のうえでは、めしを食うことを蔑視する。だが、具体的に食うとなると、やはりひと口ひと口食うのであって、だれも宴会の料理をひと口に呑みくだすことはできない。これを名づけて個々に解決するといい、軍事書籍では各個撃破というのである。

各国共産党・労働者党のモスクワ会議における講話(1957年11月18日)

わたしは、現在の国際情勢は、1つの新しい転換点にきていると考える。世界には、現在2つの風、すなわち東風と西風がある。中国には「東風が西風を圧倒するか、西風が東風を圧倒するかである」という成語がある。わたしは、当面の情勢の特徴は、東風が西風を圧倒していること、つまり、社会主義の力が帝国主義の力にたいして圧倒的な穣勢をしめていることである、と考える。

各国共産党・労働者党のモスクワ会議における講話(1957年11月18日)

7.敢然とたたかい、敢然と勝利する

全世界人民は団結して、アメリカ侵略者とそのすべての手先をうちやぶろう。全世界人民は勇気をもち、敢然とたたかい、困難をおそれず、あとからあとへと身を挺してつき進んでゆくべきであり、そうすれば、全世界はかならず人民のものである。すべての悪魔はのこらず一掃されるであろう。

「アメリカの侵略に反対するコンゴ(レ)人民を支持する声明」(1964年11月28日)

中国共産党は、マルクス・レーニン主義の科学をよりどころとして、冷静に国際・国内情勢を評価しており、内外反動派のあらゆる攻撃は、打ち破らなければならないし、また打ち破りうることを知っている。空に暗雲があらわれたとき、われわれはすぐこう指摘した。これは一時の現象にすぎない、暗雲はまもなくすぎさるだろう、暁の光はすぐ目の前にきている、と。

「当面の情勢とわれわれの任務」(1947年12月25日)、『毛沢東選集』第4巻

人類の歴史では、滅亡しようとする反動勢力は、つねに革命勢力にたいして最後のあがきをするものであるが、一部の革命的な人びとも、ある時期には、とかくこうした見かけだおしの現象に惑わされ、敵がまもなく消滅され、自分がまもなく勝利するという実質が見ぬけないことがある。

「第2次世界大戦の転換点」(1942年10月12日)、『毛沢東遷集』第3巻

もしかれらが戦いたいというなら、かれらを徹底的に殲滅するまでである。ものごとはこうしたもので、相手が攻めてくれば、われわれはそれを殲滅する、そうすれば、相手はさっぱりする。すこし殲滅してやれば、すこしさっぱりし、たくさん殲滅してやれば、たくさんさっぱりし、徹底的に殲滅してやれば、徹底的にさっぱりする。中国の問題は複雑だから、われわれの頭もすこし複雑にならなければならない。むこうが攻めてくれば、われわれは戦うが、戦うのは平和をかちとるためである。

「重慶交渉について」(1945年10月17日)、『毛沢東選集』第4巻

攻撃してくるものがあっても、条件が戦闘に有利なかぎり、わが党はかならず自衛の立場にたって、だんことして、徹底的に、きれいに、全部これを消滅するであろう(軽率に戦ってはならない。戦うからには、かならず勝たなければならない)。絶対に反動派のいたけだかな勢いにのまれてはならない。

「国民党と和平交渉をすすめることについての中国共産党中央の通達」 (1945年8月26日)、『毛沢東選集』第4巻

われわれ自身の願望についていえば、われわれは、ただの1日も戦いたくはない。だが、情勢にせまられて、どうしても戦わないわけにいかないとすれば、われわれは最後まで戦うことができる。

「アメリカの記者アンナ・ルイズ・ストロングとの談話」(一九四六年八月)、『毛沢東選集』第四巻

われわれは平和をのぞんでいる。だが、アメリカ帝国主義がその横暴で、理不尽な要求と侵略拡大の陰謀を放棄しないかぎり、中国人民の決意は、朝鮮人民とともにたたかいぬくのみである。これはわれわれが好戦的であるからではないのであって、われわれは、即時停戦し、残された問題を将来解決するようのぞんでいる。だが、アメリカ帝国主義はそうしたがらない。それならそれで結構である。たたかいつづけよう。アメリカ帝国主義がなん年たたかいつづけようと、われわれも、アメリカ帝国主義が手をひきたくなるときまで、中朝人民が完全に勝利するときまで、なん年もたたかいつづける用意がある。

中国人民政治協商会議第1期全国委員会第四回会議における講話(1953年2月7日)

われわれは、自己の内部にあるあらゆる軟弱無能な思想を一掃すべきである。敵の力を過大に評価し、人民の力を過小に評価するあらゆる見方は誤りである。

「当面の情勢とわれわれの任務」(1947年12月25日)、『毛沢東選集』第4巻

被抑圧人民と被抑圧民族は、けっしてみずからの解放を帝国主義とその手先の「賢明さ」に託してはならず、ただ団結をつよめ、闘争を堅持することによってのみ、勝利をかちとることができるのである。

「ベトナム南部の人民にたいするアメリカ――ゴ・ジンジェム一味の侵略と虐殺に反対する声明」(1963年8月29日)

全国的な内戦がいつ勃発しようとも、われわれにはじゅうぶんそなえができていなければならない。すこしはやく、あすの朝、戦争になったとしても、われわれにはそなえがある。これが第1の点である。現在の国際情勢と国内情勢からみて、内戦をしばらくのあいだ局部的な範囲にとどめることは可能であり、内戦はしばらくのあいだいくつかの地方的な戦争になる可能性がある。これが第2の点である。第1の点では、われわれにはそなえがあるし、第2の点では、まえからそうなっている。要するに、われわれにはそなえがなければならない。そなえがあれば、いろいろな複雑な局面にも適切に対処することができるのである。

抗日戦争勝利後の時局とわれわれの方針」(1945年8月13日)、『毛沢東選集』第4巻

8.人民戦争

革命戦争は大衆の戦争であり、戦争をするには大衆を動員する以外になく、戦争をするには大衆に依拠する以外にない。

「大衆の生活に関心をよせ、活動方法に注意せよ」(1934年1月27日)、『毛沢東選集』第1巻

ほんとうの金城鉄壁とはなにか。それは大衆である。まごころから革命を支持する何百何千万の大衆である。これが、どのような力にもうちやぶられない、まったくうちやぶられることのない、ほんとうの金城鉄壁である。反革命はわれわれをうちやぶることはできないが、われわれは反革命をうちやぶらなければならない。革命政府のまわりに何百何干万の大衆を結集して、われわれの革命戦争を発展させたなら、われわれはすべての反革命を消滅することができ、全中国を奪取することができる。

「大衆の生活に関心をよせ、活動方法に注意せよ」(1934年1月27日)、『毛沢東選集』第1巻

戦争の偉力のもっとも深い根源は民衆のなかにある。日本があえてわれわれをあなどるのは、主として中国の民衆が無組織の状態にあるからである。この欠点が克服されれば、日本侵略者は立ちあがったわれわれ数億の人民の面前にひきすえられ、火の海にとびこんできた野牛のようになって、われわれが1声叫んだだけでびっくりし、かならず焼け死んでしまう。

「持久戦について」(1938年5月)、『毛沢東選集』第2巻

帝国主義者はこのようにわれわれをあなどっているが、これには真剣に対処する必要がある。われわれは強大な正規軍をもたなければならないだけでなく、大々的に民兵師団をつくらなければならない。そうすれば、帝国主義がわが国を侵略したとき、かれらを身動きできないようにすることができる。

新華社記者にたいする談話(1958年9月29日)

革命戦争全体の観点からすると、人民の遊撃戦争は、主力の赤軍とはおたがいに両腕の関係をなしており、人民の遊撃戦争がなくて、ただ主力の赤軍だけならば、あたかも片腕将軍のようなものである。根拠地の人民の条件とは、具体的にいうと、とくに作戦についていうと、武装した人民がいることである。敵がおそろしいところとしているのも、主としてこの点にある。

「中国革命戦争の戦略問題」(1936年12月)、『毛沢東選集』第1巻

戦争の勝敗は、主として戦う双方の軍事、政治、経済、自然などの諸条件によって決定されることはいうまでもない。だがそれだけではなく、戦う双方の主体的指導の能力によっても決定される。軍事家には物質的条件のゆるす範囲をこえて戦争の勝利をはかることはできないが、物質的条件のゆるす範囲内で、戦争の勝利をたたかいとることができるし、また、たたかいとらなければならない。軍事家の活躍する舞台は、客観的物質的条件のうえにきずかれるが、しかし軍事家は、その舞台1つで、精彩にとんだ、勇壮な多くの劇を演出できるのである。

「中国革命戦争の戦略問題」(1936年12月)、『毛沢東選集』第1巻

戦争の目的はほかでもなく、「自己を保存し、敵を消滅する」(敵を消滅するとは、敵のすべてを肉体的に消滅することではなくて、敵の武装を解除すること、つまり「敵の抵抗力をうばう」ことをいう)ことである。古代の戦争では矛と盾がつかわれた。矛は攻撃するものであり、敵を消滅するためのものであった。盾は防御するものであり、自己を保存するためのものであった。今日の兵器も、やはりこの両者の延長である。爆撃機、機関銃、長距離砲、毒ガスは矛の発展であり、防空設備、鉄かぶと、コンクリート構築陣地、防毒マスクは盾の発展である。戦車は矛と盾とを1つに結合した新しい兵器である。攻撃は敵を消滅するための主要な手段であるが、防御もなくてはならない。攻撃は直接には敵を消滅するためのものであるが、敵を消滅しないと、自己が消滅されてしまうから、同時に自己を保存するためのものでもある。防御は直接には自己を保存するためのものであるが、同時にまた攻撃を補助するか、もしくは攻撃に転ずるのを用意するための手段でもある。退却は防御の1種であり、防御の継続である。そして、追撃は攻撃の継続である。効果的に自己を保存するには、敵を大量に消滅 する以外にはないので、戦争目的のうちでは、敵を消滅することが主要なもので、自己を保存することは第2義的なものだということをここで指摘しなければならない。したがって、敵を消滅する主要な手段としての攻撃が主要なものであり、そして敵を消滅する補助的手段としての、自己を保存する1手段としての防御は第2義的なものである。戦争の実際においては、多くのばあいは防御が主となり、その他のばあいは攻撃が主となるが、しかし、戦争全体を通じてみれば、攻撃がやはり主要なものである。

「持久戦について」(1938年5月)、『毛沢東選集』第2巻

あらゆる軍事行動の指導原則は、できるかぎり自己の力を保存し、敵の力を消滅するという基本原則にもとづいている。……戦争のなかで、勇敢な犠牲をよびかけるのはどう解釈したらよいか。どの戦争でも代価を、ときには非常に大きな代価を支払わなければならないが、これは「自己保存」と矛盾しないだろうか。じつは少しも矛盾するものではなく、もう少し正確にいうならば、それはたがいに反しながら、たがいに成りたたせあっているのである。なぜなら、このような犠牲は、敵の消滅に必要であるばかりでなく、自己の保存にも必要である――部分的に一時的に「保存しない」 (犠牲あるいは支払い)ことは、全体的に永久的に保存するために必要だからである。この基本的な原則から、軍事行動全体を指導する一連のいわゆる原則がうまれてくる。射撃の原則(身体を隠蔽すること、火力を発揮すること、前者は自己を保存するためのもの、後者は敵を消滅するためのもの)から、戦略原則にいたるまでのすべてが(この基本原則の精神につらぬかれている。すべての技術的、戦術的、戦役的、戦略的な原則は、この基本原則を実行するときの条件である。自己を保存し、敵を消滅する原則が、あらゆる軍事原則の根拠である。

「抗日遊撃戦争の戦略問題」(1938年5月)、『毛沢東選集』第2巻

われわれの軍事原則はつぎのとおりである。(1)さきに、分散し孤立した敵を攻撃し、あとで、集中した強大な敵を攻撃する。(2)さきに、小郡市、中都市および広大な農村を手にいれ、あとで、大都市を手にいれる。(3)敵の兵員の殲滅を主要目標とし、都市や地域の保持または奪取を主要目標とはしない。都市や地域の保持または奪取は、敵の兵員を殲滅することによって得られる結果で、これを何回もくりかえさなければ、最後的に保持または奪取できないばあいが多い。(4)どの戦闘でも、圧倒的に優勢な兵力(敵の兵力の2倍、3倍、4倍の、ときには5倍または6倍もの兵力)を集中して、四方から敵を包囲し、一兵も逃がさないよう、極力完全殲滅をはかる。特殊な状況のもとでは、敵に殲滅的な打撃をあたえる方法をとる。すなわち、全力を集中し、敵の正面とその一翼あるいは両翼を攻撃して、その一部を殲滅し、他の一部を撃破する目的をとげ、それによって、わが軍が急速に兵力を移動させて、他の敵軍部隊を粉砕できるようにする。損得のつぐなわない、あるいは損得の相半ばするような消耗戦は極力さける。そうすれば、われわれは、全体的には、劣勢(数のうえからいって)であっても、ひとつひとつの局部においては、またひとつひとつの具体的な戦役においては、絶対優勢となるので、戦役の勝利が保証されることになる。時がたつにつれて、われわれは、全体的にも優勢に転じ、ついには、いっさいの敵を殲滅するにいたるであろう。(5)準備のない戦いはせず、自信のない戦いはしない。いずれの戦いにも、あくまでじゅうぶんな準備をし、敵味方の条件を比較したうえで、あくまで勝利の確信をもつようにしなければならない。(6)勇敢に戦い、犠牲をおそれず、疲労をおそれず、連続的に戦う(すなわち、短期間内に、休まず、たてつづけにいくつもの戦闘をする)という作風を発揮する。(7)できるかぎり、運動戦のなかで、敵を殲滅するようにする。同時に、陣地攻撃の戦術を重視し、敵の拠点や都市を奪取する。(8)都市の攻略の問題では、敵の守備の手薄な拠点や都市は、すべて断固としてこれを奪取する。敵の守備の程度が中くらいで、まわりの条件からいっても、奪取してよい拠点や都市は、すべて、機をみてこれを奪取する。敵の守備の強固な拠点や都市は、すべて、条件の熟するのをまってこれを奪取する。(9)敵から鹵獲したすべての兵器と、捕虜にした大部分の兵員で自己を補充する。わが軍の人力・物力の供給源は主として前線にある。(10)2つの戦役のあいまをたくみに利用して、部隊の休息と整備・訓練をおこなう。休息と整備・訓練の時間は、できるだけ敵に息ぬきの時間をあたえないために、一般に長すぎてはならない。以上の諸点は、人民解放軍が蒋介石を打ち破る主要な方法である。これらの方法は、人民解放軍が内外の敵との長期の戦いによる鍛練のなかであみだしたものであって、完全にわれわれの現在の状況にかなった方法である。……われわれの戦略戦術は人民戦争という土台のうえにうちたてられたものであって、いかなる反人民的軍隊も、われわれの戦略戦術を応用できない。

「当面の情勢とわれわれの任務」(1947年12月25日)、『毛沢東選集』第4巻

優勢であるが準備がないならぱ、真の優勢ではなく、また主動性もない。劣勢ではあるが準備のある軍隊は、この点がわかっていれば、つねに、敵にたいし不意に攻勢にでて、優勢な敵をうちやぶることができる。

「持久戦について」(1938年5月)、『毛沢東選集』第2巻

9.人民の軍隊戦争

人民の軍隊がなければ、人民のすべてはない。

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻

この軍隊が強力なのは、この軍隊に参加しているすべての人がみな自覚的な規律をそなえており、かれらは少数の人びとの、または狭隘な集団の私的利益のためにではなくて、広範な人民大衆の利益のために、全民族の利益のために、結合し、戦っているからである。しっかりと中国人民の側にたって、誠心誠意、中国人民に奉仕することこそ、この軍隊の唯一の目的である。

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻

中国の赤軍は革命の政治的任務を遂行する武装集団である。とくに現在では、赤軍は、けっしてたんに戦争だけをするものではなく、戦争で敵の軍事力を消滅させるほかに、なお大衆に宣伝し、大衆を組織し、大衆を武装し、大衆をたすけて革命政権を樹立することから、共産党の組織をうちたてるまでのさまざまの重大な任務をになっている。赤軍が戦争するのは、たんに戦争のために戦争するのではなくて、大衆に宣伝し、大衆を組織し、大衆を武装し、また大衆をたすけて革命政権を樹立するために戦争をするのである。大衆にたいする宣伝、組織、武装および革命政権樹立などの目標をはなれては、戦争することの意義がうしなわれ、赤軍が存在することの意義もうしなわれる。

「党内のあやまった思想の是正について」 (1929年12月)、『毛沢東選集』第1巻

人民解放軍は、永遠に戦闘隊である。全国的に勝利してからでも、国内でまだ階級が消滅されず、世界に帝国主義制度が存在する歴史的時期には、われわれの軍隊はやはり戦闘隊である。この点については、どのような誤解も動揺もあってはならない。

「中国共産党第7期中央委員会第2回総会での報告」(1949年3月5日)、『毛沢東選集』第4巻

われわれには戦争する軍隊もあるし、労働する軍隊もある。戦争する軍隊として、われわれには八路軍、新四軍があり、この軍隊もまた、一方では戦争し、他方では生産するという2役を演じなければならない。われわれにはこの2つの軍隊があり、われわれの軍隊にはこのようなふたとおりの能力があり、これに大衆工作をおこなう能力をくわえれば、われわれは困難にうちかち、日本帝国主義をうちたおすことができる。

「組織せよ」(1943年11月29日)、『毛沢東選集』第3巻

われわれの国防は強化され、いかなる帝国主義者にもわが国土を2度と侵略することをゆるさないであろう。英雄的な、試練ずみの人民解放軍を基礎に、わが人民武装力を保存し、発展させなければならない。われわれは、強大な陸軍をもつばかりでなく、強大な空軍と強大な海軍をももつようになるであろう。

中国人民政治協商会議第1期全体会議における開会の辞(1949年9月21日)

われわれの原則は、党が鉄砲を指揮するのであって、鉄砲が党を指揮するのをけっしてゆるすのではない。

「戦争と戦略の問題」(1938年11月6日)、『毛沢東選集』第2巻

われわれが偉大な人民解放軍であり、偉大な中国共産党の指導する軍隊であることを、わが全軍の将兵はつねに銘記しなければならない。たえず党の指示をまもっていくかぎり、われわれはかならず勝利する。

「中国人民解放軍宣言」(1947年10月)、『毛沢東選集』第4巻

10.党委員会の指導

党委員会制度は、集団指導を保証し、個人の一手うけおいをふせぐ、党の重要な制度である。さいきん、一部の(もちろん全部ではない)指導機関では、個人が一手にうけおい、個人で重要問題を解決する気風がはなはだ濃厚である。重要問題の解決が、党委員会の会議で決定されるのではなくて、個人によって決定され、党委員会の委員は、あってもないのとおなじである。委員間の意見の相違も解決しようがなく、また、これらの相違は解決されないまま長いあいだ放置されている。党委員会の委員のあいだにたもたれているのは形式上の一致にすぎず、実質上の一致ではない。こうした状態はぜひあらためなければならない。今後は、中央局から地方委員会にいたるまで、前線委員会から旅団委員会および軍区(軍事委員会分会または指導班)、政府内の党グループ、民衆団体内の党グループ、通信社および新聞社内の党グループにいたるまで、すべて健全な党委員会の会議制度をうちたて、いっさいの重要問題(もちろん、重要でない小さな問題、またはすでに会議で討議され、解決されて実施を待つばかりになっている問題のことではない)はすべて委員会の討議にかけ、会議に出席した委員がじゅ うぶんに意見をのべ、明確な決定をおこなってのち、みんなで手分けして実行に移さなければならない。……委員会はまた常任委員会と総会の2つに分けるべきで、いっしょにしてはならない。このほか、さらに、集団指導と個人責任制に注意すべきで、この2つはどちらにかたよってもいけない。軍隊では、作戦のさい、または状況が必要とするさいは、その首長が臨機応変の処置をとる権限をもつ。

「党委員会制度の健全化について」(1948年9月20日)、『毛沢東選集』第4巻

党委員会の書記は、「班長」の役がつとまらなければならない。党の委員会は10名ないし20名いて、軍隊の1つの班に似ており、書記は「班長」のようなものである。この班をうまくみちびいていくのは、たしかに容易なことではない。いま各中央局、分局はすべて大きな地域を指導し、重い任務をになっている。工作を指導するには、方針、政策をきめなければならないばかりでなく、さらに正しい工作方法もきめなければならない。正しい方針、政策があっても、工作方法をおろそかにすれば、やはり問題がおこる。党委員会がその指導の任務を全うするには、党委員会という「全班員」にたより、かれらの役割をじゅうぶんに発揮させなければならない。書記が「班長」をりっぱにつとめるには、よく学び、よく研究しなければならない。書記、副書記が、自分の「全班員」にたいして宣伝工作と組織工作をやることに注意せず、自分と委員との関係をうまく処理することができず、会議をどのようにして成果のあるものにするかを研究しないならば、この「全班員」をうまく指揮することひじょうに困難となる。この「全班員」の足並みがそろわないようでは、いく百万いく千万の人びとをひきいて 戦争したり、建設したりすることなどできるものではない。もちろん、書記と委員とのあいだは、少数が多数に服従するという関係であって、班長と兵士の関係とはちがう。これは、1つのたとえにすぎない。

「党委員会の活動方法」(1949年3月13日)、『毛沢東選集』第4巻

問題を会議の席に持ちださなければならない。「班長」がそうしなければならないばかりでなく、委員もそうしなければならない。陰でとやかくいってはならない。問題があれば会議をひらき、その席に持ちだして討議し、いくつかのことをきめれば、それで問題は解決する。問題があっても会議に持ちださなければ、長いあいだ解決されず、なかには何年間ももちこされるものさえある。「班長」と委員はまた了解しあわなければならない。書記と委員、中央と各中央局、各中央局と区党委員会のあいだの了解、援助、友情はなによりも大切である。

「党委員会の活動方法」(1949年3月13日)、『毛沢東選集』第4巻

「情報を知らせ合うこと」。つまり、党委員会の各委員はそれぞれの知りえたことがらをたがいに知らせ合い、交流し合わなければならない。これは、共通の言葉をもつうえでひじょうに大切なことである。一部の人びとはそうしないで、老子のいう「鶏大の声あい聞こゆれども、老いて死にいたるまであい往来せず」を地でいき、その結果、おたがいのあいだに共通の言葉が欠けている。

「党委員会の活動方法」(1949年3月13日)、『毛沢東選集』第4巻

わからないことや知らないことは、下級のものに聞くようにし、かるがるしく賛成または反対の意をしめしてはならない。……われわれはけっして知らないのに知ったようなふりをしてはならないし、「下問を恥じない」ようにし、下級幹部の意見によく耳をかたむけるようにしなければならない。まず生徒になってから先生になり、まず下級の幹部に教えを乞うてから指令を出すようにする。……下級幹部の言葉には正しいものもあれば、正しくないものもあるから、聞いたうえで分析をくわえなければならない。正しい意見には、かならず耳をかたむけ、そのとおりに事をはこばなければならない。……下からくるまちがった意見にも耳をかたむけなければならない。頭から聞こうとしないのはまちがっている。ただ、聞いても、そのとおりにするのではなく、そのうえ、これに批判をくわえるようにする。

「党委員会の活動方法」(1949年3月13日)、『毛沢東選集』第4巻

「ピアノを弾く」ことを学ぶこと。ピアノを弾くには、10本の指をみな動かさなければならない。あるものは動かすが、あるものは動かさないというわけにはいかない。だが、10本の指でいちどにたたいても、旋律にはならない。よい音楽を奏するには、10本の指が律動的に動き、たがいに調和をたもつようにしなければならない。党委員会は中心工作をしっかりとつかまなければならないが、さらに、中心工作をめぐって、同時に、他の方面の工作をもくりひろげなければならない。いま、われわれの管轄している方面はひじょうに多く、各地、各軍、各部門の工作にすべて心をくばらなければならない。一部の問題だけに注意をむけて他をほったらかしにしてはならない。問題のある点はすべて指摘すべきであって、こういう工作方法を、われわれは習得しなければならない。ピアノを弾くのにも上手な人と下手な人とがいて、両者の奏でる旋律には格段の差がある。党委員会の同志は、「ピアノを弾く」ことをよく学ばなければならない。

「党委員会の活動方法」(1949年3月13日)、『毛沢東選集』第4巻

「しっかりとつかむ」必要がある。つまり、党委員会はおもな工作をかならず「つかむ」必要があるばかりでなく、かならず「しっかりとつかむ」必要がある。なにごとによらず、しっかりとつかんで、すこしも緩めないようにしなければ、つかんではいられない。つかんでも、しっかりつかまなければ、つかまないにひとしい。手のひらをひろげていたのでは、もちろんなにもつかんではいられない。たとえ手を握っても、しっかりと握りしめなければ、つかんだようには見えでも、やはり物をつかんではいられない。われわれの一部の同志は、主要な工作をつかむにはつかむが、しっかりとつかまないために、やはり工作がうまくやれないでいる。つかまなければだめだが、つかんでも、しっかりつかまなければ、やはりだめである。

「党委員会の活動方法」(1949年3月13日)、『毛沢東選集』第4巻

胸に「数字」をいれておくこと。つまり、状況または問題について、かならずその量の面に注意し、基本的な量の分析をおこなっていなければならない。どのような質もすべて一定の量としてあらわれるもので、量がなければ質もない。われわれの多くの同志たちは、いまだに事物の量の面に注意することを知らす、基本的な統計、おもな百分率に注意することを知らす、事物の質を決定する量的限界に注意することを知らず、なにごとについても胸のなかに「数字」がはいっていないために、どうしても誤りをおかすことになる。

「党委員会の活動方法」(1949年3月13日)、『毛沢東選集』第4巻

「安民告示」。会議をひらくには、ちょうど民心安定の告示をだすのとおなじように、あらかじめ通知して、どんな問題を討議するのか、どんな問題を解決するのかをみんなに知らせ、まえもって準備をさせなければならない。あるところでは、幹部の会議をひらくのに、あらかじめ報告や決議案をよく準備しておかないで、参会者がやってきてからその場で間に合わせをやっているが、これでは「兵馬すでにいたるも、糧秣いまだととのわず」というようなもので、よくない。もし準備ができていなければ、会議をひらくのをいそいではならない。

「党委員会の活動方法」(1949年3月13日)『毛沢東選集』第4巻

「精兵簡政」。談話や演説をするにも、文章や決議文を書くにも、すべて簡単明瞭で要を得るようにすべきである。会議もあまりながい時間をついやしてはならない。

「党委員会の活動方法」(1949年3月13日)、『毛沢東選集』第4巻

自分と意見のちがう同志たちと団結し、いっしょに仕事をしていくよう注意すること。地方でも、部隊でも、すべてこの点に注意すべきである。党外の人びとにたいしても同様である。われわれはみな全国の津々浦々からより集まったものであるから、自分とおなじ意見の同志とよく団結するばかりでなく、自分と意見のちがう同志ともよく団結して、いっしょに仕事がやれるようでなければならない。

「党委員会の活動方法」 (1949年3月13日)、『毛沢東選集』第4巻

極力傲慢をいましめること。これは指導者にとって1つの原則的な問題であり、また団結を保持する1つの重要な条件でもある。大きな誤りをおかしたことがなく、そのうえ、仕事の面でひじょうに大きな成果をあげた人でも、おごりたかぶってはならない。

「党委員会の活動方法」(1949年3月13日)、『毛沢東選集』第4巻

2つの境界線をはっきりひくこと。まず第1には、革命か反革命か、延安か西安か〔*〕である。一部の人びとには、この境界線をはっきりひかなければならないことがわからない。たとえば、官僚主義に反対するとなると、かれらは延安をまるで「よいところはなにひとつない」かのようにいいたて、延安の官僚主義と西安の官僚主義とを比較し、区別することをしない。これは根本的にまちがっている。第2に、革命の隊伍のなかでは、正しさと誤り、成果と欠点の境界線をはっきりひかなければならないし、さらに、そのなかで、なにが主要なもので、なにが第2義的なものであるかをはっきりさせなければならない。たとえば、成果は、結局、3分なのか、それとも7分なのか。少な目にいってもいけないし、多い目にいってもいけない。1人の人の仕事でも、結局成果が3分で誤りが7分なのか、それとも成果が7分で誤りが3分なのか、根本的な評価がなければならない。もしも成果が7分なら、その人の仕事は基本的に是認されるべきである。成果が主であるのを誤りが主だというのは、完全なまちがいである。われわれは、問題をみるばあいに、2つの境界線、すなわち、革命と反革命の境界線、成果と欠点の境界線をはっきりひくことを忘れてはならない。この2つの境界線を頭に入れておけば、物事はうまくいくし、そうでなければ、問題の性質を混同することになる。もちろん、的確に境界線をひくには、綿密な研究と分析をおこなわなければならない。われわれはそれぞれの人についても、それぞれのことがらについても、分析し、研究する態度をとらなければならない。

「党委員会の活動方法」(1949年3月13日)、『毛沢東選集』第4巻

〔\*〕 延安は、1937年1月から1947年3月まで、中国共産党中央の所在地であった。西安は、国民党反動派の西北における支配の中心地であった。毛沢東同志はこれを革命と反革命にたとえたのである。

組織のうえでは、集中的指導のもとでの民主的生活を厳格におこなわせる。その路線はつぎのとおりである。 指導の中核を確立するために、党の指導機関は正しい指導路線をもち、問題があれば解決策をだすようにしなければならない。

上級機関は下級機関の状況や大衆生活の状況をはっきりつかんで、正しい指導の客観的基礎とする。

党の各級機関は、問題を解決するにあたって、軽はずみにやってはならない。いったん決議となった以上は、断固として実行する。

上級機関の決議のうち、少しでも重要なものは、すみやかに下級機関と党員大衆につたえなければならない……

党の下級機関や党員大衆は、上級機関の指示の意義を徹底的に理解し、その実行方法を決定するために、指示をくわしく討議しなければならない。

「党内のあやまった思想の是正について」(1929年12月)、『毛沢東選集』第1巻

11.大衆路線

人民、ただ人民のみが世界の歴史を創造する原動力である。

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻

大衆こそ真の英雄であり、われわれ自身のほうが、とかくこっけいなほど幼稚である。この点を理解しなければ、最低の知識もえられない。

「『農村調査』のはしがきとあとがき」(1941年3月、4月)、『毛沢東選集』第3巻

人民大衆は限りない創造力をもっている。かれらはみずからを組織して、自分の力を発揮できるすべての場所と部門に向かって進軍し、生産の向上と拡大に向かって進軍し、自分のために日1日と多くの福祉事業をおこしてゆくことができる。

「余剰労働力のはけ口がみつかった」という文章にたいする評語(1955年)、『中国農村における社会主義の高まり』中巻

当面、農民運動のもりあがりは、きわめて大きな問題である。ごく短期間に、何億という農民が中国の中部、南部および北部の各省から立ちあがろうとしており、その勢いはあらしのようにはやくて、猛烈で、どんな大きな力も、それをおさえつけることはできないであろう。かれらは、自分たちをがんじがらめにしているすべての網をつきやぶり、解放への道をまっしぐらにつきすすむであろう。すべての帝国主義、軍閥、汚職官吏、土豪劣紳どもは、みなかれらによって、墓場にほうむりさられるであろう。すべての革命的な政党、革命的な同志は、みなかれらの前で、その審査をうけ、取捨がきめられるであろう。かれらの先頭に立ってかれらを指導するか。それとも、かれらのうしろに立ってがれらをあれこれと批判するか。それとも、かれらの向かい側に立ってかれらに反対するか。すべての中国人には、この3つの点について選択の自由はあるが、ただ情勢はみなにすみやかな選択をせまるであろう。

「湖南省農民運動の視察報告」(1927年3月)、『毛沢東選集』第1巻

いま農村には、協同化という社会改革の高まりが、ある地方ではすでにおとずれているし、全国にもまさにおとずれようとしている。これは、五億をこえる農村人口の大規模な社会主義的革命運動であり、きわめて偉大な世界的意義をもつものである。われわれは、積極的に、熱情をこめて、計画的にこの運動を指導すべきであって、さまざまな方法をつかってこれを後ずさりさせるようなことをしてはならない。運動のなかでは、少しくるいの偏向は免れがたいことで、それはうなずけることであるし、また、ただすのもさしてむずかしいことではない。幹部や農民のあいだにある欠点とか誤りは、われわれが積極的にかれらを援助しさえすれば、克服され、ただされるものである。

「農業協同化の問題について」(1955年7月31日)

大衆のなかには、きわめて大きな社会主義的積極性がひそんでいる。革命の時期にもきまり通りにしか動けない人間は、こうした積極性がまったく目に見えない。かれらはめくらであって、その目の前にあらわれているのは1面の暗黒だけである。かれらは、時にはまったく是非を転倒させ、白黒を混同するほどである。われわれが出あったこうした人間はまだ少ないとでもいうのだろうか。きまり通りにしか動けないこうした人間は、いつも人民の積極性を過小評価する。なにか新しい事物があらわれると、かれらはいつも賛成せず、まずわっと反対する。そして、あとになってから頭をさげ、すこしばかり自己批判をする。つぎの新しい事物があらわれると、かれらはまたもやこの2つの態度をひと通りくりかえす。以後、さまざまな新しい事物があらわれるたびに、すべてこの方式で処理する。こういう人間はいつも受身であり、重大な時点にさしかかると、いつも足踏みばかりしていて、他人に背中をどやしつけられてから、やっと1歩を踏みだすのである。

「この郷は2年間で協同化された」という文章にたいする評語(1955年)、『中国農村における社会主義の高まり』中巻

わが党は、20数年このかた毎日大衆工作をおこない、10数年このかた毎日大衆路線を口にしてきた。われわれはこれまでずっと、革命は人民大衆にたより、みんなでやることを主張し、少数のものの命令や掛け声ひとつでうごくやり方に反対してきた。だが、一部の同志は工作のなかで、やはり大衆路線をつらぬくことができず、あいかわらず、少数のものだけにたよってひっそりと工作している。その原因の1つは、かれらが、なにか1つのことをやるばあいに、とかく、指導される人たちにはっきり説明しようとしたがらず、指導されるものの積極性と創造力を発揮させることを知らないことにある。かれらも、主観的には、みんなに手足を動かしてやってもらおうとはするのだが、一体どんなことをやるのか、どんなふうにやるのかということについては、なにも知らせない。これでは、どうしてみんなが動きだせるだろうか。どうして事がうまくはこべるだろうか。この問題を解決するには、根本的にはもちろん思想の面から大衆路線の教育をすすめなければならないが、同時にまた、同志たちにいろいろな具体的な方法を教えなければならない。

「晋綏日報の編集部の人たちにたいする談話」(1948年4月2日)、『毛沢東選集』第4巻

およそ正しい任務、政策、および工作作風は、すべてその時その所の大衆の要求に合致し、大衆と結びついたものであること、およそあやまった任務、政策、工作作風は、すべてその時その場所の大衆の要求に合致せず、大衆から遊離しているものであることを、34年の経験がわれわれに教えている。教条主義、経験主義、命令主義、追随主義、セクト主義、官僚主義、傲慢尊大な工作態度などの悪弊は、大衆から遊離するものだからこそ、どうしても好ましくなく、あってはならず、このような悪弊をもっているものは、どうしても改めなければならないのである。

「連合政府について」(1945年4月14日)、『毛沢東選集』第3巻

大衆に結びつくためには、大衆の必要と自発的意志にしたがう必要がある。大衆のためのすべての工作は、たとえ善意であっても、いかなる個人的願望からも出発すべきではなくて、大衆の必要から出発すべきである。多くのばあい、大衆は、客観的にはある種の改革を必要としていても、主観的にはまだそのような自覚をもたず、決意がつかず、まだ改革の実行をのぞまないので、われわれは辛抱づよく待たなければならない。われわれの工作を通じて、大衆の多数が自覚をもち、決意がつき、みずから改革の実行をのぞむようになってからこのような改革を実行すべきであって、さもなければ、大衆から離れてしまうであろう。大衆の参加を必要とするすべての工作は、もし大衆の自覚と自発的意志がなければ、いたずらに形式に流れて失敗するであろう。……これには2つの原則がある。1つはわれわれの頭のなかの幻想からうまれた必要ではなく、大衆の実際の必要ということである。もう1つは、われわれが大衆にかわって決意することではなく、大衆の自発的意志にたより、大衆自身が決意することである。

「文化活動における統一戦線」(1944年10月30日)、『毛沢東選集』第3巻

われわれの大会は、それぞれの部署で活動している一人ひとりの同志が、大衆から遊離しないように注意を喚起することを全党によびかけるべきである。人民大衆を熱愛し、注意ぶかくその声に耳を傾けること、どこにいってもその土地の大衆ととけあい、大衆の上にあぐらをかくのではなく、大衆のなかにふかくはいること、大衆の自覚の度合いに応じてその自覚を啓発、向上させ、大衆の心からの自発的意志の原則にしたがって大衆がしだいに組織化され、その時その場所の内外環境のゆるすすべての必要な闘争をしだいに展開するのを援助することについて、1人ひとりの同志を教育することである。

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻

大衆がまだ自覚していない時に、われわれが進撃にでるなら、それは冒険主義である。大衆がやりたがらないことをわれわれが無理に指導してやらせようとすれば、その結果はかならず失敗する。大衆が前進をもとめている時に、われわれが前進しないなち、それは右翼日和見主義である。

「晋綏日報の編集部の人たちにたいする談話」(1948年4月2日)、『毛沢東選集』第4巻

あらゆる工作において、命令主義は誤りである。なぜなら、それは大衆の自覚の度合いをとび越え、大衆の自発的意志の原則にそむき、せっかち病にかかっているからである。わが同志たちは、自分の理解したことは広範な大衆もおなじようにすべて理解したとひとりがてんをしてはならない。大衆がすでに理解したかどうか、また行動することを望んでいるかどうかは、大衆のなかにはいってしらべてみてはじめてわかるのである。そのようにすれば、われわれは命令主義をさけることができる。あらゆる工作において、追随主義もまた誤りである。なぜなら、それは大衆の自覚の度合いからたちおくれ、大衆を1歩前進させるよう指導する原則にそむき、のろま病にかかっているからである。わが同志たちは、自分がまだ理解していないことは大衆も一様に理解していないとひとりがてんをしてはならない。多くのばあい、広範な大衆がわれわれを追いこし、1歩前進をさしせまって求めているのに、わが同志たちは、広範な大衆の指導者となることができずに、むしろ一部のおくれた人びとの意見を反映し、しかもこのおくれた人びとの意見を広範な大衆の意見と誤認して、おくれた人びとに追随してし まう。

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻

大衆のなかから集中し、ふたたび大衆のなかへもちこんで堅持させることによって、正しい指導の意見を形成すること、これは基本的な指導方法である。

「指導方法のいくつかの問題について」(1943年6月1日)、『毛沢東選集』第3巻

わが党のすべての実際工作において,およそ正しい指導は、大衆のなかから大衆のなかへ、でなければならない。それは、つまり大衆の意見(分散的な、系統だっていない意見)を集中し(研究をつうじて、集中した、系統だった意見にかえる)、これをふたたび大衆のなかへもちこんで宣伝、説明し、これを大衆の意見にし、これを大衆に堅持させて、行動にうつさせ、また大衆の行動のなかで、それらの意見が正しいかどうかを検証する。そして、その後、ふたたび大衆のなかから意見を集中し、ふたたび大衆のなかへもちこんで堅持させる。このように無限にくりかえして、1回ごとに、より正しい、よりいきいきとした、より豊かなものにしていくのである。これがマルクス主義の認識論である。

「指導方法のいくつかの問題について」(1943年6月1日)、『毛沢東選集』第3巻

われわれは大衆のなかにはいり、大衆から学び、かれらの経験を総合し、いっそうりっぱな系統だった道理と方策にして、ふたたびこれを大衆に教える(宣伝する)とともに、大衆にその実行をよびかけ、大衆の問題を解決して、大衆に解放と幸福をもたらすべきである。

「組織せよ」(1943年11月29日)、『毛沢東選集』第3巻

われわれの一部の地方の指導機関のなかには、党の政策は指導者だけが知っていればよい、大衆に知らせる必要はないと考えているものがいる。これは、われわれの一部の工作がうまくいかない根本原因の1つである。

「晋綏日報の編集部の人たちにたいする談話」(1948年4月2日)、『毛沢東選集』第4巻

どんな大衆運動のなかでも、大衆のうちで積極的に支持するものはどれくらいか、反対するものはどれくらいか、中間状態にあるものはどれくらいかというととについて、基本的な調査と基本的な分析をしておかなければならない。根拠もなく、主観的に問題をきめてはならない。

「党委員会の活動方法」(1949年3月13日)、『毛沢東選集』第4巻

大衆のいるところでは、どこでも、だいたいにおいて、比較的積極的なものと中間状態にあるものと比較的おくれたものとの3種類の人びとがいる。したがって、指導者は、少数の活動家を結集して指導の骨幹とし、この骨幹に依拠して中間的な人びとをひきあげ、おくれた人びとをかちとることに長じていなければならない。

「指導方法のいくつかの問題について」(1943年6月1日)、『毛沢東選集』第3巻

党の政策を大衆の行動に変えることができるようになり、われわれのひとつひとつの運動、ひとつひとつの闘争を、指導的幹部に理解させるだけでなく、広範な大衆にも理解させ、把握させることができるようになること、これがマルクス・レーニン主義の指導の芸術である。われわれの工作が誤りをおかすかおかきないかの境目もここにある。

「晋綏日報の編集部の人たちにたいする談話」(1948年4月2日)、『毛沢東選集』第4巻

指導的骨幹の積極性があるだけで、広範な大衆の積極性との結合がなければ、少数のもののから回りになってしまう。だが、広範な大衆の積極性があるだけで、大衆の積極性を適切に組織する有力な指導的骨幹がなければ、大衆の積極性はながつづきもしなければ、正しい方向にすすむことも、高度のものにたかまることもできない。

「指導方法のいくつかの問題について」(1943年6月1日)、『毛沢東選集』第3巻

大衆の生産、大衆の利益、大衆の経験、大衆の気分、これらすべては、指導的幹部がいつも注意をはらわなければならないことである。

中央直属機関と軍事委員会直属機関の生産展覧会のための題辞、1943年11月24日づけ延安『解放日報』

われわれは、土地、労働の問題からたきぎや米や油や塩の問題にいたるまでの大衆の生活問題に、ふかく心をそそがなければならない。……こうした大衆の生活上のすべての問題を自分の議事日程にのぼせなければならない。そして討議し、決定し、実行し、点検しなければならない。われわれは広範な大衆の利益を代表するものであり、かれらと息がかよいあっているものだということを、かれらに理解させなければならない。われわれは、かれらに、こうした事がらから出発して、われわれの提起したより高い任務、すなわち革命戦争の任務を理解し、革命を支持し、革命を全国におしひろめ、われわれの政治的なよびかけをうけいれて、革命の勝利のために最後までたたかうようにさせなければならない。

「大衆の生活に関心をよせ、活動方法に注意せよ」(1934年1月27日)、『毛沢東選集』第1巻

12.政治工作

当時(1924~1927年の第1次国内革命戦争の時期をさす=編集者)の軍隊には党代表と政治部がもうけられた。このような制度は中国の歴史上にはなかったもので、軍隊の様相はこれによって一新された。1927年以後の赤軍、さらにこんにちの八路軍は、このような制度をうけつぎ、発展させたものである。

「イギリスの記者パートラムとの談話」(1937年10月25日)、『毛沢東選集』第2巻

人民戦争を土台とし、軍隊と人民の一致団結、指揮員と戦闘員の一致団結、敵軍を瓦解させることなどの原則を土台として、人民解放軍は自己の強力な革命的政治工作をうちたてたが、これはわれわれが敵に勝利する重要な要因である。

「当面の情勢とわれわれの任務」(1947年12月25日)、『毛沢東選集』第4巻

この軍隊は人民戦争の必要とする一連の政治工作の制度をつくりあげている。その任務は、わが軍を団結させ、友軍と団結し、人民と団結し、敵軍を瓦解させ、また、戦闘の勝利を保証するためにたたかうことである。

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻

政治工作はすべての経済工作の生命線である。社会経済制度に根本的な変革が生じた時期には、とりわけそうである。

「重大な教訓」という文章にたいする評語(1955年)、『中国農村における社会主義の高まり』上巻

赤軍が苦難のなかでたたかいながらもくずれない重要な原因の1つは、「中隊に細胞が組織されている」ことにある。

「井岡山の闘争」(1928年11月25日)、『毛沢東選集』第1巻

八路軍の政治工作の基本原則は3つある。すなわち第1は将兵一致の原則であり、これは軍隊のなかで、封建主義を一掃し、なぐったりどなりつけたりする制度を廃止し、自覚的な規律をうちたて、苦楽をともにする生活をしていることで、全軍はこのため、一致団結している。第2は軍民一致の原則であり、これは民衆の利益を少しもそこなわない規律、民衆への宣伝、民衆の組織、武装化、民衆の経済的負担の軽減、軍隊と人民に危害をくわえる民族裏切り者、売国奴への打撃で、このため軍隊が人民と一致団結しており、いたるところで人民の歓迎をうけている。第3は敵軍を瓦解させ、捕虜を寛大にとりあつかう原則である。われわれの勝利は、たんにわが軍の作戦によるばかりでなく、敵軍の瓦解にもよるのである。

「イギリスの記者パートラムとの談話」(1937年10月25日)、『毛沢東選集』第2巻

われわれの軍隊は、軍隊と人民の関係でも、軍隊と政府の関係でも、軍隊と党の関係でも、将校と兵士の関係でも、軍事工作と政治工作との関係でも、幹部相互の関係でも、正しい原則をまもらなければならず、けっして軍閥主義の悪へいを身につけてはならない。上官は兵士を愛護しなければならず、かれらに無関心であってはならないし、体刑をくわえてはならない。軍隊は人民を愛護しなければならず、人民の利益をそこなってはならない。軍隊は政府を尊重し党を尊重しなければならず、独自性の横車を押してはならない。

「組織せよ」(1943年11月29日)、『毛沢東選集』第3巻

敵軍、かいらい軍、反共軍の捕虜にたいしては、大衆がひどく憎悪していて、殺す必要があり、しかも上級の許可をえているもの以外は、一律に釈放する政策をとるべきである。そのうち、強制されて参加し、多少革命性をもっているものは、大量に獲得してわが軍に勤務させ、その他は一律に釈放すべきである。もし、ふたたびくれば、ふたたび捕え、ふたたび釈放する。侮辱をくわえたり、物をとりあげたり、転向を強要したりせず、一律に、心のこもったおだやかな態度でとりあつかう。かれらがどのように反動的であってもこうした政策をとる。これは、反動陣営を孤立させるうえで非常に効果的である。

「政策について」(1940年12月25日)、『毛沢東選集』第2巻

武器は戦争の重要な要素ではあるが、決定的な要素ではなく、決定的な要素は物でなくて人間である。力の対比は軍事力および経済力の対比であるばかりでなく、人力および人心の対比でもある。軍事力と経済力は人間によってにぎられるものである。

「持久戦について」(1938年5月)、『毛沢東選集』第2巻

原子爆弾は、アメリカの反動派が人をおどかすために使っているハリコの虎で、見かけはおそろしそうでも、実際には、なにもおそろしいものではない。もちろん、原子爆弾は一種の大量殺人兵器であるが、しかし、戦争の勝敗を決定するのは人民であって、1つや2つの新兵器ではない。

「アメリカの記者アンナ・ルイズ・ストロングとの談話」(1946年8月)、『毛沢東選集』第4巻

軍隊の基礎は兵士である。進歩的な政治精神を軍隊にそそぎこまなければ、それをそそぎこむ進歩的な政治工作がなければ、上官と兵士とのあいだの真の一致は達成できないし、将兵の最大限の抗戦の熱情を燃えたたせることはできないし、すべての技術や戦術もそれにふさわしい効力を発揮する最良の基礎はえられなくなる。

「持久戦について」(1938年5月)、『毛沢東選集』第2巻

軍事1点ばりの観点が赤軍の一部の同志のあいだに、非常にはびこっている。それはつぎのような点にあらわれている。

(1)軍事と政治は対立するものと考え、軍事は政治的任務を完遂する道具の1つにすぎないことを認めない。それどころか、「軍事がよければ、政治もおのずからよくなり、軍事がわるければ、政治もわるくなるはずだ」というものさえいるが、これはさらに1歩すすんで、軍事が政治を指導すると考えるものである。

…………

「党内のあやまった思想の是正について」(1929年12月)、『毛沢東選集』第1巻

思想教育をつかむことは、全党を団結させて偉大な政治闘争をおこなわせる中心的な環である。この任務を解決しなければ、党のすべての政治的任務は達成できない。

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻

最近、知識人や青年学生のあいだで、思想・政治工作が弱まり、若干の偏向が生まれている。一部の人びとからみれば、まるで、政治とか、祖国の前途とか、人類の理想とかに関心をよせる必要がないかのようである。マルクス主義は一時もてはやされたが、いまではそれほどもてはやされないかのようである。こうした状況にたいして、いまこそ思想・政治工作を強める必要がある。知識人といわず、青年学生といわず、みな学習につとめなければならない。専門のことを学習するほか、思想的にも、政治的にも進歩しなければならず、それには、マルクス主義を学習し、時事や政治を学習する必要がある。正しい政治的観点がなければ、魂がないのと同じである。……思想・政治工作には、それぞれの部門がみな責任を負わなければならない。共産党、青年団、政府の主管部門がこれにとりくまなければならないし、学校の校長、教師はなおさらこれにとりくまなければならない。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

政治教育をつうじて、赤軍兵士はみな階級的自覚をもち、みな土地の分配、政権の樹立、および労働者・農民の武装化などの常識を身につけ、自分のため、また労農階級のために戦うのだということを知っている。だから、かれらは苦しい闘争のなかでも不平をいわない。中隊、大隊、連隊には兵士委員会ができて、兵士の利益を代表し、また政治工作や大衆工作をやっている。

「井岡山の闘争」(1928年11月25日)、『毛沢東遷集』第1巻

訴苦(旧社会と反動派が勤労人民にあたえた苦しみを訴えること)と三査(出身階級を点検し、工作を点検し、闘志を点検すること)の運動を正しくすすめたことによって、全軍の指揮員、戦闘員の、搾取されている勤労大衆の解放のため、全国の土地改革のため、人民の公敵蒋介石匪賊一味の消滅のために戦うという自覚が大いに高まるとともに、全指揮員、戦闘員の、共産党の指導の下におけるかたい団結が大いにつよまった。これを基礎として、部隊の純潔性が高まり、規律がととのえられ、大衆的な軍隊訓練運動が展開された。また、完全に指導と秩序をもって実行される、部隊内の、政治、経済、軍事の3方面における民主主義が発揚された。こうして、部隊は、全員の心が1つになり、みんなで方法を考え、みんなで力を出し、犠牲をおそれず、困難な物質的条件を克服し、集団の威力と気迫で勇敢に敵と戦うことができるようになった。このような軍隊は天下無敵となるであろう。

「西北地方の大勝利を評し、あわせて解放軍の新しい型の整軍運動を諭す」(1948年3月7日)、『毛沢東選集』第4巻

ほとんどすべての人民解放軍の部隊が、この数ヵ月間に、戦争のあいまを利用して、大規模な整備・訓練をおこなっている。この整備・訓練は完全に指導のある、秩序ただしい、民主的な方法ですすめられた。これによって広範な指揮員、戦闘員大衆の革命的情熱がかきたてられ、戦争の目的がはっきりと認識され、軍隊内にみられる若干の正しくない思想的傾向やよくない現象がとりのぞかれ、幹部と兵士が教育され、戦闘力がいちじるしく高められた。こうした民主的、大衆的な新しい型の整軍運動は、今後もひきつづきおこなわなければならない。

「山西・綏遠解放区幹部会議での演説」(1948年4月1日)、『毛沢東選集』第4巻

抗日軍政大学の教育方針は、確固とした正しい政治方向、刻苦質朴の工作作風、弾力性をもち機動性にとむ戦略戦術である。この3者は、抗日の革命的軍人を養成するうえで欠くことのできないものである。抗日軍政大学の職員、教員、学生はみな、この3者にもとづいて教育をおこない、学習にとりくんでいる。

「敵に反対されるのは悪いことではなく、よいことである」(1939年5月26日)

わが民族は一貫して刻苦奮闘の作風をそなえており、われわれはそれを発揚しなければならない。……共産党はなおさら一貫して確固とした正しい政治方向を提唱している。……こうした確固とした正しい政治方向は、刻苦奮闘の工作作風と切り離せないものであって、確固とした正しい政治方向がなければ、刻苦奮闘の工作作風を大いに発揚することはできず、また、刻苦奮闘の工作作風がなければ、確固とした正しい政治方向を実行することもできない。

「延安のメーデー祝賀大会における講話」(1939年5月1日)

団結、緊張、厳粛、活発。

「抗日軍政大学」のために制定した校訓

世の中に「真剣」という2字ほどおそろしいものはなく、共産党こそもっとも「真剣」ということを重んずるのである。

モスクワでわが国の留学生、実習生と会見したときの談話(1957年11月17日)

13.将兵関係

われわれの軍隊は一貫して2つの方針をもっている。それは、第1に、敵にたいしては手きびしくなければならず、それを圧倒しなければならず、それを消滅しなければならないということ。第2に、味方にたいし、人民にたいし、同志にたいし、上官にたいし、部下にたいしては、おだやかでなければならず、団結しなければならないということである。

中央が留守兵団の学習代表を招待したときの演説(1944年9月18日)

われわれは、共通の革命の目標をめざして、全国の津々浦々から集まってきたのである。……われわれの幹部は、1人ひとりの戦士に心をくばり、革命の部隊のすべての人は、たがいに心をくばりあい、いたわりあい、助けあわなければならない。

「人民に奉仕する」(1944年9月8日)、『毛沢東選集』第3巻

どの部隊でも、幹部を守り兵士を愛する運動をおこして、幹部が兵士を愛するよう呼びかけるとともに、兵士も幹部を守るよう呼びかけ、おたがいの欠点や誤りをみんなの前で述べあい、すみやかにただすべきである。このようにすれば、内部を団結させるという目的を立派にはたすことができる。

「1945年の任務」(1944年12月15日)

将兵関係、軍民関係がうまくいかないのは、方法が間違っているからだとおもっている人がたくさんいるが、わたしは、つねにかれらに、それは兵士を尊重し人民を尊重するという根本的態度(あるいは根本主旨)の問題であるといってきた。この態度が出発点となって、いろいろの政策、方法、方式がうまれるのである。この態度をはなれれば、政策、方法、方式もかならず誤ってくるし、将兵のあいだ、軍民のあいだの関係もけっしてうまくいかない。軍隊の政治工作の3大原則は、第1が将兵一致であり、第2が軍民一致であり、第3が敵軍瓦解である。これらの原則が効果的に実行されるには、兵士の尊重、人民の尊重、すでに武器を放棄した敵軍の捕虜の人格の尊重という根本的態度から出発しなければならない。これらのことを根本的態度の問題ではなくて、技術的な問題だと考える人びとは、ほんとうに考えちがいをしているのであって、ぜひあらためなければならない。

「持久戦について」(1938年5月)、『毛沢東選集』第2巻

共産党員は、勤労人民のあいだで工作するばあい、かならず民主的な説得と教育の方法をとらなければならず、命令主義的な態度や強制的な手段をとることはけっしてゆるされない。中国共産党は、マルクス・レーニン主義のこの原則を忠実にまもっている。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

思想改造の仕事は、長期にわたる、辛抱づよい、きめのこまかな仕事であって、人びとが数十年にわたる生活のなかで形成してきた思想意識を何回かの授業や何回かの会議であらためようとしても、それはできるものではないということを、われわれの同志はかならず知っていなければならない。人を心服させるには、説得するより以外になく、強制的に服従させてはならない。強制的に服従させようとすれば、その結果、どう圧力をかけても服従させられないのがつねである。力ずくで人を服従させるのはいけない。敵にたいしてはそうしてもよいが、同志にたいし、友人にたいしては、絶対にこの方法をもちいてはならない。

「中国共産党全国宣伝工作会議における講話」(1957年3月12日)

敵味方をはっきり区別すべきであって、敵対的な立場に立ち、敵にたいする態度で同志にたいしてはならない。あふれるような熱情をもって、人民の事業をまもり人民の自覚を高めるという態度で話をすべきであり、嘲笑的、攻撃的な態度で話をしてはならない。

「中国共産党全国宣伝工作会議における講話」(1957年3月12日)

14.軍民関係

民衆が軍隊を自分の軍隊とみなせるように、軍隊は民衆と一体になるべきで、そうなれば、この軍隊は天下無敵となる……

「持久戦について」(1938年5月)、『毛沢東選集』第2巻

われわれが人民に依拠し、人民大衆の創造力が無限であることをかたく信じて、人民を信頼し、人民ととけあいさえすれば、いかなる困難も克服できるし、いかなる敵もわれわれを圧倒することができず、われわれに圧倒されるだけだということを、1人ひとりの同志に理解させるべきである。

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻

われわれの同志は、どこへいこうと、大衆との関係をよくし、大衆に心をよせ、かれらをたすけて困難を解決しなければならない。広範な人民と団結し、団結は広範であればあるほどよい。

「重慶交渉について」(1945年10月17日)、『毛沢東選集』第4巻

解放区では、一方において、軍隊が政府擁護・人民愛護の活動をおこない、他方において「民主政府が軍隊擁護・抗日軍人家族優遇の人民の活動を指導して、軍民関係をいっそう大きく改善すべきである。

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻

軍隊内では、擁政愛民の重要性を徹底的に認識させるために、1人ひとりの指揮員、戦闘員に思想の面から問題を解決させなければならない。軍隊の方でりっぱにやっていけば、それにつれて、軍隊にたいする地方の関係もかならず改善されるであろう。

「1946年の解放区活動の方針」(1945年12月15日)、『毛沢東選集』第4巻

擁政愛民・擁軍優抗の運動のなかで、1943年にあらわれた軍隊側と党・政府側のそれぞれの欠陥と誤りを徹底的に点検し、1944年には断固としてそれをあらためる。今後は、毎年正月に1回ずつ、これをあまねくおこない、擁政愛民の申し合わせと擁軍優抗の申し合わせを、くりかえし読みあげ、各根拠地で発生した党、政府、人民にたいする軍隊の横暴なふるまいや軍隊にたいする党、政府、人民の関心の欠如などの欠陥と誤りについて、くりかえし、公開的、大衆的な自己批判(各方面ともただ自分を批判するだけで、相手側を批判しない)をおこない、徹底的にそれをあらためなければならない。

「根拠地での小作料引き下げ運動、生産運動および擁政愛民運動をくりひろげよう」(1943年10月1日)、『毛沢東選集』第3巻

15.三大民主

軍隊では、一定限度の民主化を実行すべきであり、主として、なぐったりどなったりする封建主義的な制度を廃止し、将兵が苦楽をともにするようにすべきである。こうすれば、将兵の一致という目的が達せられ、軍隊は絶大な戦闘力をまし、長期の残酷な戦争がささえられない心配はなくなる。

「持久戦について」(1938年5月)、『毛沢東選集』第2巻

赤軍の物質生活がこのように粗末であり、戦闘がこのようにひんぱんにやられているにもかかわらず、依然としてそれがくずれず維持できるのは、党のはたしている役割のほかに、軍隊内で民主主義が実行されているからである。上官は兵士をなぐらず、将兵は平等に待遇されており、兵士には会議をひらき意見をのべる自由があり、わずらわしい儀礼は廃止され、会計は公開されている。……中国では人民が民主主義を必要としているばかりでなく、軍隊もまた民主主義を必要としている。軍隊内の民主主義制度は、封建的な傭兵部隊をうちこわす重要な武器となるであろう。

「井岡山の闘争」(1928年11月25日)、『毛沢東選集』第1巻

部隊内における政治工作の方針は、兵士大衆、指揮員およびすべての要員をおもいきり立ちあがらせ、集中的指導のもとでの民主運動をつうじて、政治の面での高度の団結、生活の面での改善の実現、軍事の面での技術と戦術の向上という3大目的を達成することである。いま、わが軍の部隊で熱烈におこなわれている三査、三整〔*〕は、政治面の民主、経済面の民主という方法によって、はじめの2つの目的を達成するものである。

経済面の民主では兵士の選んだ代表に、中隊の首長に協力して(のりこえるのではなく)、中隊の給養と炊事を管理する権限をあたえなければならない。

軍事面の民主では、訓練のさいには、将校と兵士のあいだの相互教育、兵士と兵士のあいだの相互教育を実行し、戦闘のさいには、中隊が火線で大小各種の会合をもたなければならない。中隊の首長の指導のもとで、兵士大衆によびかけて、いかに敵陣を攻略するか、どのように戦闘任務を完遂するかを討論させる。戦闘が何日間も連続するときには、このような会合を何回かひらくべきである。この軍事面の民主は、陝西省北部の蟠竜戦役や山西・察蛤爾・河北辺区の石家荘戦役で実行され、きわめて大きな効果をあげた。これは、益にこそなれ、すこしも害にならないということを証明している。

「軍隊内の民主運動」(1948年1月30日)、『毛沢東選集』第4巻

〔 \*〕 「三査」「三整」は、わが党が人民解放戦争の時期に、土地改革とむすびつけておこなった、整党・整軍の重要な運動である。「三査」とは、地方では、出身階級を点検し、思想を点検し、作風を点検すること、軍隊では、出身階級を点検し、工作を点検し、闘志を点検することである。「三整」とは、組織を整頓し、思想を整頓し、作風を整頓することである。

偉大な闘争に直面している中国共産党は、勝利がかちとれるように、党の全指導機関、全党の党員および幹部にその積極性を高度に発揮することを要求する。積極性の発揮というものは、指導機関、幹部および党員の創造力、責任感、仕事の活発さに、問題の提起、意見の発表、欠点にたいする批判の大胆なことと上手なことに、そして指導機関と指導的幹部を愛護する観点からでた監督の役割の上に、具体的にあらわれなければならない。これらがなければ、積極性というものは無意味なものである。これらの積極性の発揮は党内生活の民主化にかかっている。党内に民主生活が欠けていれば、積極性の発揮という目的は達せられない。大量の有能な人材をつくりだすこともまた民主生活のなかでしか可能でない。

「民族戦争における中国共産党の地位」(1938年10月)『毛沢東選集』第2巻

敵対分子でなく、悪意ある攻鑿でないかぎり、どんな人でも、話してよく、話したことが間違っていてもかまわない。各級の指導者は人の話を聞く責任がある。つぎの2つの原則を実行する。(1)知っていることは何でもいい、いいたいことはのこさずにいうこと。(2)いうものはとがめられず、聞くものはそれをいましめにすること。もし「いうものはとがめられず」という1ヵ条がなければ、しかも、それがいつわりのものではなくて、ほんとうのものでなければ、「知っていることは何でもいい、いいたいことはのこさずにいう」ということの効果をおさめることはできない。

「1945年の任務」(1945年12月15日)

党員に、民主生活とはどんなものか、民主制と集中制の関係とはどんなものか、また民主集中制をどのように実行するかを理解させるために、党内で民主生活についての教育をほどこさなければならない。こうすれば、党内の民主生活を確実にひろげることができる一方、極端な民主化にはしらず、規律を破壊する自由放任主義にはしらないですむ。

「民族戦争における中国共産党の地位」(1938年10月)、『毛沢東選集』第2巻

軍隊でも、地方でも、党内民主主義は、規律と戦闘力をよわめるためのものではなくて、規律をつよめ戦闘力をたかめるためのものでなくてはならない。

「民族戦争における中国共産党の地位」(1938年10月)、『毛沢東選集』第2巻

理論のうえで極端な民主化の根をとりのぞく。まず第1に、極端な民主化の危険は、党の組織を傷つけ、さらにはそれを完全に破壊し、党の戦闘力を弱め、さらにはそれを完全に壊滅させて、党に闘争の責任をおいきれなくさせ、それによって革命の失敗をまねく点にあることを指摘しなければならない。そのつぎには、極端な民主化の根源が小ブルジョアジーの自由放漫性にある点を指摘しなければならない。このような自由放漫性が党内にもちこまれると、政治上、組織上での極端な民主化の思想になる。このような思想はプロレタリアートの闘争任務と根本的に相いれないものである。

「党内のあやまった思想の是正について」(1929年12月)、『毛沢東選集』第1巻

16.教育と訓練

われわれの教育方針は、教育をうけるものを、徳育、知育、体育のいずれの面でも成長させ、社会主義的自覚をもつ、教養をそなえた勤労者にそだてあげることである。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

現職幹部の教育と幹部学校での教育については、マルクス・レーニン主義を静止的、孤立的に研究するやり方をやめて、中国革命の実際問題の研究を中心とし、マルクス・レーニン主義の基本原則を指針とする方針を確立すべきである。

「われわれの学習を改革しよう」(1941年5月)、『毛沢東選集』第3巻

軍事学校でもっとも重要な問題は、校長および教官をえらぶこと、教育の方針をきめることである。

「中国革命戦争の戦略問題」(1936年12月)、『毛沢東選集』第1巻

100人ぐらいの人数の学校だと、教員、職員、学生のなかから実際の状況にもとづいて形成された(むりによせあつめたのではない)数人ないし10数人のもっとも積極的な、もっともまじめな、もっとも機敏な指導的骨幹がなければ、その学校は、きっとうまくやっていけないだろう。

「指導方法のいくつかの問題について」 (1943年6月1日)、『毛沢東選集』第3巻

わが全軍の将兵は軍事芸術をたかめ、必勝の戦争のなかで勇猛果敢に前進し、すべての敵を、断固として、徹底的に、きれいに、1人のこらず殲滅しなければならない。

「中国人民解放軍宣言」(1947年10月)、『毛沢東選集』第4巻

いま着手している1ヵ年の整備・訓練計画は、軍事の整備・訓練と政治の整備・訓練をともに重視するとともに、両者をたがいに結びつけるようにしなければならない。整備・訓練が始まった当初は、やはり政治の面に重点をおくべきであり、将兵関係を改善し、内部の団結をつよめ、幹部と兵士大衆の高度の積極性をひきだすことに重点をおくべきであって、そうしてこそはじめて、軍事の整備・訓練が実施しやすくなり、いっそう効果をあげることができるのである。

「1945年の任務」(1944年12月15日)

訓練の方法としては、将校が兵士に教え、兵士が将校に教え、兵土同士で教えあうといった大衆的な訓練運動を展開すべきである。

「1946年の解放区活動の方針」(1945年12月15日)、『毛沢東選集』第4巻

われわれの軍事訓練のスローガンは、「将校が兵士に教え、兵士が将校に教え、兵士同士で教えあう」というものである。兵士たちは戦争の実際経験がひじょうに豊富である。将校は兵士に学ぶべきで、ほかの人のもっている経験を自分のものにすれば、その能力はたかまる。

「晋綏日報の編集部の人たちにたいする談話」(1948年4月2日)、『毛沢東選集』第4巻

訓練課目は、やはり射撃、銃剣術、擲弾などの技術の向上を主とし、戦術水準の向上を補助とし、とくに夜戦の訓練に重点をおく。

「1946年の解放区活動の方針」(1945年12月15日)、『毛沢東選集』第4巻

17.人民に奉仕する

われわれは、謙虚で、慎重で、おごりをいましめ、あせりをいましめ、誠心誠意、中国人民に奉仕すべきである……

「中国の2つの運命」 (1945年4月23日)、『毛沢東選集』第3巻

片時も大衆から遊離しないで、人民のために誠心誠意奉仕すること、個人の利益や小集団の利益から出発しないで、すべて人民の利益から出発すること、人民にたいして果たすべき責任と党の指導機関にたいして果たすべき責任とが一致していること、これらがわれわれの出発点である。

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻

国家機関は民主集中制を実行し、国家機関は人民大衆に依拠しなければならず、国家機関の要員は人民に奉仕しなければならない。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

べチューン同志の少しも利己的でなく、もっぱら他人につくす精神は、かれの仕事にたいする極度の責任感と、同志にたいする、また人民にたいする極度の熱誠とにあらわれている。共産党員の1人ひとりはかれに学ばなくてはならない。

…………

われわれは、みな、かれの少しも私利私欲のない精神を学ばなくてはならない。これを出発点とすれば、大いに人民に役だつ人となることができる。人の能力には大小のちがいがあるが、この精神さえ持っておれば、それは高尚な人であり、純粋な人であり、道徳的な人であり、低級な趣味から脱した人であり、人民にとって有益な人である。

「ベチューンを記念する」(1939年12月21日)、『毛沢東選集』第2巻

われわれの共産党および共産党の指導する八路軍、新四軍は革命の部隊である。われわれのこの部隊は、完全に人民を解放するための部隊であり、徹底的に人民の利益のために働く部隊である。

「人民に奉仕する」(1944年9月8日)、『毛沢東選集』第3巻

われわれのすべての幹部は、職務上の地位の高低をとわず、すべて人民の勤務員であり、われわれのやることは、すべて人民に奉仕することである。そうである以上、われわれに捨てきれないようなよくないものなどがあるであろうか。

「1945年の任務」(1944年12月15日)

われわれの責務は、人民にたいして責任をおうことである。1言1句、1つ1つの行動、1つ1つの政策がすべて人民の利益にかなっていなければならないし、もし誤りがあれば、かならずあらためなければならない。これが人民にたいして責任をおうということである。

「抗日戦争勝利後の時局とわれわれの方針」(1945年8月13日)、『毛沢東選集』第4巻

奮闘すれば犠牲が出るし、人が死ぬこともつねにおこる。だが、人民の利益、大多数の人民の苦しみに思いをいたすならば、人民のために死ぬことは死に場所をえたということができる。ただ、われわれは不必要な犠牲をできるだけすくなくすべきである。

「人民に奉仕する」(1944年9月8日)、『毛沢東選集』第3巻

人はいずれ死ぬものだが、死の意義にはちがいがある。中国に、むかし、司馬遷という文学者がいて、「人はもとより一死あれども、あるいは泰山より重く、あるいは鴻毛より軽し」といった。人民の利益のために死ぬのは、泰山より重い。ファシストのために力をつくし、人民を搾取し人民を抑圧するもののために死ぬのは、鴻毛よりも軽い。

「人民に奉仕する」(1944年9月8日)、『毛沢東選集』第3巻

18.愛国主義と国際主義

国際主義者である共産党員が、同時にまた愛国主義者でもありうるか。われわれは、ありうるばかりでなく、またそうであるべきだとおもう。愛国主義の具体的内容は、それがどのような歴史的条件のもとにあるかによってきまる。日本侵略者やヒトラーの「愛国主義」もあれば、われわれの愛国主義もある。日本侵略者やヒトラーのいわゆる「愛国主義」にたいして、共産党員は断固として反対しなければならない。日本の共産党員やドイツの共産党員は、自国の戦争にたいする敗北主義者である。あらゆる方法で日本侵略者やヒトラーの戦争を敗北に終わらせることが、日本人民やドイツ人民の利益であるし、敗北は徹底的であればあるほどよい。……これは日本侵略者やヒトラーの戦争が、世界の人民に損害をあたえているばかりでなく、自国の人民にも損害をあたえているからである。中国は侵略されている国であって、中国の状況はこれとはちがっている。したがって、中国共産党員は愛国主義と国際主義とを結びつけなければならない。われわれは国際主義者であるが、また愛国主義者でもあり、われわれのスローガンは、祖国をまもり、侵略者に反対するために戦うというのである。われわれに とって、敗北主義は罪悪であり、抗日の勝利をたたかいとることは他に転嫁することのできない責務である。なぜなら、プロレタリアートおよび勤労人民の解放を可能にするものは、民族解放をおいてなく、侵略者をうちやぶり、民族を解放するには、祖国防衛のために戦う以外にはないからである。中国が勝利し、中国を侵略する帝国主義者がうちたおされることは、同時に外国の人民をたすけることでもある。したがって、愛国主義とは、民族解放戦争における国際主義の実行である。

「民族戦争における中国共産党の地位」 (1938年10月)、『毛沢東選集』第3巻

ひとりの外国人が、少しの利己的な動機もなく、中国人民の解放事業を自分自身の事業としたのは、いかなる精神からであろうか。これは国際主義の精神であり、共産主義の精神であって、中国共産党員の1人ひとりは、このような精神を学ばなければならない。……帝国主義を打倒し、わが民族と人民を解放し、世界の民族と人民を解放するには、われわれは、すべての資本主義国のプロレタリアートと連合し、日本、イギリス、アメリカ、ドイツ、イタリアおよびあらゆる資本主義国のプロレタリアートと連合しなければならない。これが、われわれの国際主義であり、われわれが、せまい民族主義やせまい愛国主義に反対するための国際主義である。

「ベチューンを記念する」(1939年12月21日)、『毛沢東選集』第2巻

被抑圧人民が徹底的な解放をかちとるには、なによりもまず自己の闘争にたよることであり、そのつぎが国際的な援助である。すでに革命の勝利をかちとった人民は、いま解放をめざしている人民の闘争を援助すべきであり、これはわれわれの国際主義的義務である。

アフリカの友人たちを接見したときの談話(1963年8月8日)

社会主義国はまったく新しい型の国家であり、搾取階級をうち倒して、勤労人民が権力をにぎっている国家である。これらの国家間の相互関係のうちには、国際主義と愛国主義の統一の原則が実現されている。共通の利益と共通の理想が、われわれをしっかりと1つに結びつけている。

「ソ連最高会議の偉大な10月社会主義革命40周年祝賀会における講話」(1957年11月6日)

社会主義陣営諸国人民は団結し、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国人民は団結し、全世界各大陸の人民は団結し、平和を愛するすべての国ぐには団結し、アメリカの侵略、支配、干渉、侮辱をうけているすべての国ぐには団結して、もっとも広範な統一戦線を結成し、アメリカ帝国主義の侵略政策と戦争政策に反対し、世界平和をまもらなければならない。

「パナマ人民の反米愛国正義の闘争を支持する談話」(1964年1月12日)

事物はつねに発展するものである。1911年の革命、すなわち辛亥革命は、今年までに45年しかたっていないが、中国の姿はすっかり変わった。さらに45年たてば、2001年になる、つまり21世紀にはいるが、そのころには、中国の姿はさらに大きく変わっているであろう。中国は強大な社会主義工業国に変わっているであろう。中国はそうあるべきである。なぜなら、中国は960万平方キロメートルの土地と6億の人口を擁している国であるから、当然、人類にかなり大きな貢献をしなければならない。だが、こうした貢献は、これまで長期にわたってあまりにも少なかった。われわれはこのことを恥ずかしく思う。

しかし、謙虚でなければならない。いまそうでなければならないだけでなく、45年ののちも、そうでなければならないし、永遠にそうでなければならない。中国人は国際的なつきあいの面で、大国主義を断固として、徹底的に、きれいさっぱりと、ぜんぶ一掃しなければならない。

「孫中山先生を記念する」(1956年11月)

われわれは、けっして傲慢な大国主義的な態度をとってはならず、革命が勝利し、建設の面でいくらかの成績をあげたからといって、思いあがってはならない。大きな国にしろ、小さな国にしろ、それぞれ長所と短所をもっているのである。

「中国共産党第8回全国代表大会の開会の辞」(1956年9月15日)

19.革命的英雄主義

この軍隊は勇往邁進の精神をそなえており、けっして敵に屈服することなく、あらゆる敵を圧倒する。いかなる艱難辛苦の状態にあっても、一人でも生き残っているかぎり、その人は戦いつづける。

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻

勇敢に戦い、犠牲をおそれず、疲労をおそれず、連続的に戦う(すなわち、短期間内に、休まず、たてつづけにいくつもの戦闘をする)という作風を発揮する。

「当面の情勢とわれわれの任務」(1947年12月25日)、『毛沢東選集』第4巻

革命に殉じた何千何万の戦士たちは、人民の利益のために、われわれに先だって英雄的に身を犠牲にしたのである。われわれは高だかとかれらの旗をかかげ、かれらの血の跡をふんで前進しよう!

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻

決意をかため、犠牲をおそれず、万難を排して、勝利をたたかいとろう。

「愚公、山を移す」(1945年6月11日)、『毛沢東選集』第3巻

……北伐戦争がまさに発展しつつあった重大な時機に、中国人民の解放事業を代表するこの国共両党と各界人民の民族統一戦線およびそのすべての革命政策は、国民党当局の裏切り的、反人民的な「党内粛清」政策と虐殺政策によって、破壊されてしまった。……それ以後、内戦が団結にとってかわり、専制が民主にとってかわり、暗黒の中国が光明の中国にとってかわった。だが、中国共産党と中国人民は威圧も、征服も、根絶もされなかった。かれらは地面からはいあがり、からだの血痕をぬぐいさり、仲間のしかばねを葬ると、ふたたび戦闘をつづけた。かれらは革命の大旗を高くかかげて、武装抵抗をおこない、中国の広大な地域で、人民の政府を組織し、土地制度の改革を実行し、人民の軍隊――中国赤軍を創設し、中国人民の革命勢力を保持し、発展させた。

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻

みなさんには多くの長所があり、大きな功労があるが、だからといって高慢にならないようふかく注意すべきである。みなさんが人びとから尊敬されるのは当然ではあるが、また、このために高慢になりやすい。もしみなさんが高慢になって、謙虚でなくなり、これからは努力せず、他人を尊重せず、幹部を尊重せず、大衆を尊重しないようになれば、みなさんは英雄にも、模範にもなれなくなるだろう。過去においてこういう人がでたが、それをまねることのないよう希望する。

「経済活動に習熟しなければならない」(1945年1月10日)、『毛沢東選集』第3巻

あなたがたは敵を消滅する闘争において、また、工業生産、農業生産を回復し、発展させる闘争において、ひじょうに多くの苦難をのりこえ、きわめて大きな勇気、知恵、積極性を示した。あなたがたは全中華民族の模範的な人びとであり、各分野の人民の事業が勝利のうちに前進するのをおしすすめる骨幹であり、人民政府のたよりになる支柱であり、人民政府が広範な大衆とむすびつくかけ橋である。

中国共産党中央を代表して、全国戦闘英雄・労働模範代表会議でおこなった祝いのことば(1950年9月25日)

われわれ中華民族は、自分たちの敵と最後まで血戦をする気迫をもち、自力更生を基礎として失われたものを回復する決意をもち、世界の諸民族のあいだに自立する能力をもっている。

「日本帝国主義に反対する戦術について」 (1935年12月27日)、『毛沢東選集』第1巻

20.勤倹建国

すべての幹部と人民に、わが国は社会主義の大国ではあるが、また経済的にたちおくれた貧乏国であるということ、そして、それがひじょうに大きな矛盾であるということを、たえず思いおこさせなければならない。わが国をゆたかにし、強くするには、数十年という刻苦奮闘の時間が必要であり、そのなかには、節約を励行し、浪費に反対するという勤倹建国の方針を実行することもふくまれている。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

勤勉・節約につとめて工場を経営し、勤勉・節約につとめて商店を経営し、勤勉・節約につとめてすべての国営事業と協同組合事業を経営し、勤勉・節約につとめてその他のすべての事業を経営し、どんなことにもすべて勤勉・節約の原則をつらぬかなければならない。これが節約の原則であり、節約は社会主義経済の基本原則の一つである。中国は大国ではあるが、いまのところまだひじょうに貧しく、中国をゆたかにするには、数十年の時間が必要である。数十年のちも勤勉・節約の原則をつらぬく必要があるが、とくに勤勉・節約を提唱し、とくに節約に注意をはらわなければならないのは、ここ数十年内のことであり、当面の何回かの5ヵ年計画の期間内のことである。

「勤勉・節約につとめて協同組合を経営しよう」という文章にたいする評語(1955年)、「中国農村における社会主義の高まり」上巻

どこでも、十分に人力、物力を大切にすべきであり、けっして目先のことだけを考えて乱用、浪費してはならない。どこでも、仕事をはじめたその年から、将来の長い年月のことを計算にいれ、長期にわたって戦争をつづけることを計算にいれ、反攻のことを計算にいれ、敵を追いだしてからの建設のことを計算にいれるべきである。一方では、けっして乱用、浪費せず、他方では、生産の発展につとめることである。これまで一部のところでは、長期的な考慮を欠き、人力、物力の節約にも注意せず、生産の発展にも注意しなかったため、大損をした。この教訓をえたので、いま注意を喚起しなければならないのである。

「経済活動に習熟しなければならない」(1945年1月10日)、『毛沢東選集』第3巻

農業生産と町の工業生産を急速に回復し発展させるためには、封建制度を消滅する闘争にあたって、使用できる生産手段、生活資料をすべて最大限に保存するようあらゆる努力をはらうことに注意しなければならす、生産手段や生活資料を破壊したり浪費したりするものにはすべて断固反対し、度をこえた飲み食いに反対し、節約に注意するよう措置をこうじなければならない。

「山西・綏遠解放区幹部会議での演説」(1948年4月1日)、『毛沢東選集』第4巻

財政支出は、節約の方針にもとづかなければならない。汚職と浪費はきわめて重大な犯罪であることを、すべての政府職員に、はっきり理解させなければならない。汚職と浪費に反対する闘争は、いままでにいくらかの成果をあげたが、今後も力をいれなければならない。戦争と革命事業のために、われわれの経済建設のために、銅貨1枚でも節約すること、これがわれわれの会計制度の原則である。

「われわれの経済政策」(1934年1月23日)、『毛沢東選集』第1巻

現在、われわれの多くの勤務員のあいだに、大衆と苦楽をともにすることを望まず、個人的な名誉や利益をとやかくいいたがる危険な傾向がひろがっているが、これは非常によくないことである。われわれは、増産節約運動のなかで、機関を簡素化し、幹部を下部におろし、かなり多くの幹部を生産面にもどすことを要求しているが、これは、こうした危険な傾向を克服する方法の1つである。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

軍隊の生産自給は、生活を改善し、人民の負担を軽減し、しかもそれによって、軍隊を拡大することができたばかりでなく、たちまち、たくさんの副産物をもたらした。それらの副産物とはつぎのようなものである。(1)将兵関係が改善されたこと。将兵がいっしょに生産労働に従事して、兄弟のように親しくなった。(2)労働観念が強化されたこと。……生産自給をはじめてから、労働観念が強まり、のらくらものの気風が改造された。(3)規律が強化されたこと。生産のなかで労働規律を執行することは、戦争規律や軍人生活の規律を弱めないばかりでなく、かえってそれらを強化することになる。(4)軍民関係が改善されたこと。軍隊が家計をたてるようになってからは、民衆の財物を侵害することが少なくなったか、あるいはまったくなくなった。生産において、軍民間の労働力の交換によってたがいに助けあうので、かれらのあいだの友愛関係がいっそう強まった。(5)軍隊が政府に不平をいうことが少なくなり、軍隊と政府との関係もよくなったこと。(6)人民の大生産運動が促進されたこと。軍隊が生産をしたので、機関の生産の必要性がいっそうはっきりし、いっそう熱がはいっ てきた。全人民の普遍的な増産運動も、当然その必要性がいっそうはっきりし、いっそう熱がはいってきた。

「軍隊の生産自給、あわせて整風、生産の2大運動の重要性について」(1945年4月27日)、『毛沢東選集』第3巻

部隊が生産をやれば、作戦や訓練ができないし、機関が生産をやれば、仕事ができない、というものがいる。このようないい方は正しくない。ここ数年来、わが辺区の部隊は、大量の生産に従事して、衣食をゆたかにするとともに、練兵もおこない、政治や文化の学習もおこなってきたが、それらはみな以前よりいっそう大きな成績をあげ、軍隊内部の団結や軍隊と人民との団結も、以前よりいっそうよくなっている。前線では昨年1年間に、大規模な生産運動をおこなったが、作戦の面でも昨年1年間に大きな成績をあげ、また、いたるところで練兵の運動をはじめた。機関が生産をおこなったため、辺区でも前線でもそうだが「勤務員の生活は改善され、仕事にもいっそう腰をすえるようになり、能率もいっそうあがるようになった。

「経済活動に習熟しなければならない」(1945年1月10日)、『毛沢東選集』第3巻

21.自力更生、刻苦奮闘

われわれの方針は、なにを根底とすべきか。自分の力を根底とすべきで、これが自力更生である。われわれはけっして孤立してはいない。帝国主義に反対する全世界のすべての国ぐにと人民はみなわれわれの友である。しかし、われわれは自力更生を強調する。われわれはわれわれ自身の組織する力によって、内外のすべての反動派を打ち破ることができる。

「抗日戦争勝利後の時局とわれわれの方針」(1945年8月13日)、『毛沢東選集』第4巻

われわれは自力更生を主張する。われわれは、外からの援助をのぞむが、それに依存してはならず、自分の努力に依拠し、軍民全体の創造力に依拠する。

「経済活動に習熟しなければならない」(1945年1月10日)、『毛沢東選集』第3巻

全国的な勝利をかちとること、これは万里の長征の第1歩をふみだしたことにすぎない。……中国の革命は偉大であるが、革命後の行程はもっとながく、その仕事はもっと偉大であり、もっと苦労のいるものである。この点は、いま、党内にはっきりといっておかなければならない。そして、同志たちに、ひきつづき、謙虚で、慎しみぶかく、おごり高ぶらず、あせらない作風を保持させなければならないし、同志たちに、ひきつづき、刻苦奮闘の作風を保持させなければならない。

「中国共産党第7期中央委員会第2回総会での報告」(1949年3月5日)、『毛沢東選集』第4巻

幹部のあいだにみられる、みずから血と汗をながして刻苦奮闘するかわりに、思いがけない便宜や僥倖でよって勝利をおさめようといった気持ちは、すべて一掃しなければならない。

「強固な東北根拠地をきずこう」(1945年12月28日)、『毛沢東選集』第4巻

われわれは世界の進歩の状態と明るい前途をつねに人民に宣伝し、人民に勝利の確信をもたせなければならない。同時にまた、われわれは、道がまがりくねったものであること、革命の道にはまだ多くの障害物があるし、多くの困難があることを人民におしえ、同志たちにおしえなければならない。困難はむしろ多い目に予想しておく方がよい。わが党の第7回代表大会ではいろいろな困難を予想した。一部の同志は、困難についてあまり考えたがらない。しかし、困難は事実であり、ありのままにみとめるべきで、「不承認主義」をとってはならない。われわれは困難をみとめ、困難を分析し、困難とたたかわなければならない。世の中にはまっすぐな道はない。安易なことばかり考えないで、まがりくねった道をあゆむ覚悟をきめなければならない。ある日突然、すべての反動派が1人のこらずみずから地べたにひざまずくなどということは、とうてい考えられないことである。要するに、前途は明るいが、道はまがりくねっている。われわれの前にはまだ多くの困難があり、これを見のがしてはならない。全人民と団結し、ともに努力すれば、われわれはかならずや万難を排して勝利の目的をとげること ができるのである。

「重慶交渉について」(1945年10月17日)、『毛沢東選集』第4巻

光明の面だけをみて、困難の面をみない人は、党の任務の実現のためにりっぱにたたかうことができなくなる。

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻

社会の富は、労働者、農民、勤労知識人がみずから創造したものである。これらの人びとが自分の運命をにぎり、しかも、マルクス・レーニン主義の路線をもち、問題を回避するのではなくて積極的な態度で問題の解決にとりくみさえすれば、世の中のいかなる困難もかならず解決される。

「書記が手を動かし、全党をあげて協同組合を経営しよう」という文章にたいする評語(1955年)、『中国農村における社会主義の高まり』上巻

全党の同志はこうした数々のことをじゅうぶんに見通し、百折不撓の気力をもって、あらゆる困難を計画的に克服する用意がなければならない。困難は反動勢力のまえにも、われわれのまえにもある。しかし、反動勢力の困難は、かれらが滅亡にちかづいた、前途のない勢力であるために、克服できないものである。われわれの困難は、われわれが新興の、光明にみちた前途をもつ勢力であるために、克服できるものである。

「中国革命の新しい高まりを迎えよう」(1947年2月1日)、『毛沢東選集』第4巻

われわれの同志は、困難なときには成果に目をむけ、光明に目をむけて、われわれの勇気をふるいおこさなければならない。

「人民に奉仕する」(1944年9月8日)、『毛沢東選集』第3巻

新たに生まれたどのような事物の成長も、すべて困難や曲折を経なければならない。社会主義事業のなかで、困難や曲折を経ず、大きな努力を払わず、いつも順風に乗って、たやすく成功をおさめられると思うなら、そうした考え方は幻想にすぎない。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

革命闘争においては、困難な条件の方が順調な条件より大きいときがあり、そのようなときには、困難が矛盾の主要な側面で、順調が副次的な側面である。ところが、革命党員は、その努力によって、困難を1歩1歩克服し、順調な新しい局面をきりひらくことができ、困難な局面を順調な局面におきかえることができる。

「矛盾論」(1937年8月)、『毛沢東選集』第1巻

仕事とは向か。仕事とは闘争することである。そうしたところには困難があり問題があるので、われわれがいって解決する必要があるのである。われわれは困難を解決するために仕事をしにいくのであり、闘争をしにいくのである。困難なところへほどすすんでいく。それでこそ立派な同志である。

「重慶交渉について」(1945年10月17日)、『毛沢東選集』第4巻

中国には、むかし、「愚公、山を移す」という寓話があった。その話というのは、むかし、華北に住んでいた北山の愚公という老人の物語である。かれの家の南側には、その家に出入りする道をふさぐ大行山と王屋山という2つの大きな山があった。愚公は、息子たちをひきつれ、くわでこの2つの大きな山をほりくずそうと決心した。智叟という老人がこれをみて笑いだし、こういった。お前さんたち、そんなことをするなんて、あまりにもばかげているじゃないか、お前さんたち親子数人で、こんな大きな山を2つもほってしまうことはとてもできゃあしないよ、と。愚公はこう答えた。わたしが死んでも息子がいるし、息子が死んでも孫がいる、このように子々孫々つきはてることがない。この2つの山は高いとはいえ「これ以上高くなりはしない。ほればほっただけ小さくなるのだから、どうしてほりくずせないととがあろうか、と。愚公は智叟のあやまった考えを反駁し、少しも動揺しないで、毎日、山をほりつづけた。これに感動した上帝は、ふたりの神を下界におくって、2つの山を背負いきらせたというのである。いま、中国人民の頭上には、やはり帝国主義と封建主義という2つの大きな山がのしかかっている。中国共産党は、はやくからこの2つの山をほってしまおうと決意している。われわれは、かならずやりとおし、たえまなく働くものであって、われわれも上帝を感動させるはずである。この上帝とはほかならぬ全中国の人民大衆である。全国の人民大衆が、いっせいに立ちあがって、われわれといっしょにこの2つの山をほるなら、どうしてほりくずせないことがあろうか。

「愚公、山を移す」(1945年6月11日)、『毛沢東選集』第3巻

22.思想方法と工作方法

人類の歴史は、必然の王国から自由の王国へとたえまなく発展してゆく歴史である。この歴史は永遠に終わりをつげることがない。階級の存在する社会では、階級闘争は終わりをつげることがない。階級の存在しない社会でも、新しいものとふるいもの、正しいものと誤ったものとの闘争は永遠に終わりをつげることがない。生産闘争と科学実験の分野でも、人類はたえず発展するものであるし、自然界もたえず発展するものであって、おなじ水準にとどまっているようなことは永遠にありえない。だから、人類はたえず経験を総括して、なにかを発見し、発明し、創造し、前進してゆかなければならない。停止の論点、悲観の論点、無為徒食と傲慢不遜の論点は、みなまちがっている。なぜまちがっているのかというと、これらの論点は、およそ百万年らいの人類社会の発展の歴史的事実に合致していないし、これまでにわれわれの知っている自然界(たとえば、天体史、地球史、生物史、その他いろいろな自然科学史の反映する自然界)の歴史的事実にも合致していないからである。

「第3期全国人民代表大会第1回会議における周恩来総理の政府活動報告」のなかに引用されていることば、1964年12月31日づけ『人民日報』

自然科学は、人びとが自由をかちとるための武装力である。人びとは、社会で自由を得ようとすれば、社会科学をもちいて社会を理解し、社会を改造し、社会革命をおこなわなければならない。人びとは、自然界で自由を得ようとすれば、自然科学をもちいて自然を理解し、自然を克服し、自然を改造して、自然のなかから自由を得なければならない。

辺区自然科学研究会創立大会における講話(1940年2月5日)

マルクス主義の哲学、つまり弁証法的唯物論にはもっとも顕著な特徴が2つある。1つはその階級性で、弁証法的唯物論はプロレタリアートに奉仕するものであることを公然と言明していること、もう1つはその実践性で、実践にたいする理論の依存関係、すなわち理論の基礎は実践であり、理論はまた転じて実践に奉仕するものであることを強調していることである。

「実践論」(1937年7月)、『毛沢東選集』第1巻

マルクス主義の哲学が非常に重要だと考えている問題は、客観世界の法則性がわかることによって、世界を説明できるという点にあるのではなく、この客観的法則性にたいする認識をつかって、能動的に世界を改造する点にある。

「実践論」(1937年7月)、『毛沢東選集』第1巻

人間の正しい思想はどこからくるのか。天からふってくるのか。そうではない。もともと自分の頭のなかにあるのか。そうではない。人間の正しい思想は、社会的実践のなかからのみくるのであり、社会の生産闘争、階級闘争、科学実験というこの3つの実践のなかからのみくるのである。

「人間の正しい思想はどこからくるのか」(1963年5月)

人間の社会的存在は、人間の思想を決定する。そして先進的な階級を代表する正しい思想は、ひとたび大衆ににぎられると、社会を改造し、世界を改造する物質的な力となる。

「人間の正しい思想はどこからくるのか」(1963年5月)

人間は社会的実践のなかでさまざまな闘争にたずさわり、豊富な経験をもつようになるが、それには成功したものもあれば、失敗したものもある。客観的外界の無数の現象は、人間の目、耳、鼻、舌、身体などの5官をつうじて、自分の頭脳に反映してくるのであって、はじめは感性的認識である。このような感性的認識の材料が多くたくわえられると、飛躍がうまれ、理性的認識に変わるのであって、これが思想である。これはひとつの認識過程である。これは全認識過程の第1の段階、すなわち客観的物質から主観的精神への段階であり、存在から思想への段階である。このときの精神、思想(理論、政策、計画、方法をふくむ)が客観的外界の法則を正しく反映しているかどうかは、まだ証明されておらず、正しいかどうかはまだ確定することができない。そのあと、さらに認識過程の第2の段階、すなわち精神から物質への段階、思想から存在への段階があるのであって、これは、第1段階で得た認識を社会的実践のなかにもちこみ、それらの理論、政策、計画、方法などが予期した成功をおさめることができるかどうかを見るのである。一般的にいって、成功したものは正しく、失敗したものは間違 っており、とくに自然界にたいする人類の闘争がそうである。社会の闘争において、先進的な階級を代表する勢力が、ときには多少失敗することもあるが、これは思想が正しくないからではなく、闘争における力関係の面で、先進的な勢力の方が一時まだ反動勢力の方におよばないから、そのために一時失敗するのである。しかし、そのうちいつかはかならず成功するものである。人間の認識は実践の試練を経てふたたび飛躍をとげる。こんどの飛躍は前の飛躍に比べてその意義がいっそう大きい。なぜなら、こんどの飛躍だけが、認識の最初の飛躍、すなわち、客観的外界の反映の過程で得た思想、理論、政策、計画、方法などがいったい正しかったのか間違っていたのかを証明することができるからであって、これ以外に真理を検証する方法はないのである。

「人間の正しい思想はどこからくるのか」(1963年5月)

正しい認識は、しばしば物質から精神へ、精神から物質へ、すなわち、実践から認識へ、認識から実践へというこの多くの反復を経て、はじめて完成されるのでみる。これがマルクス主義の認識論であり、弁証法的唯物論の認識論である。

「人間の正しい思想はどこからくるのか」(1963年5月)

だれでも、事物を認識しようとすれば、その事物と接触すること、つまりその事物の環境のなかで生活すること(実践すること)よりほかには、解決の方法がない。……知識をえたいならば、現実を変革する実践に参加しなければならない。梨の味を知りたければ、自分でそれを食べてみること、すなわち梨を変革しなければならない。……革命の理論と方法を知りたければ、革命に参加しなければならない。すべての真の知識は直接的経験をその源としている。

「実践論」(1937年7月)、『毛沢東選集』第1巻

認識は実践にはじまり、実践をつうじて理論的認識に達すると、ふたたび実践にもどらなければならない。認識の能動的作用は、たんに感性的認識から理性的認識への能動的飛躍にあらわれるだけではなく、もっと重要なことは、理性的認識から革命の実践へという飛躍にもあらわれなければならないことである。

「実践論」(1937年7月)、『毛沢東選集』第1巻

周知のように、どんなことをするにも、そのことの状況、その性質、それとそれ以外のこととのつながりがわからないならば、そのことの法則もわからず、それをどういうふうにやればよいかもわからず、また、それをりっぱになしとげることもできない。

「中国革命戦争の戦略問題」(1936年12月)、『毛沢東選集』第1巻

人びとが仕事に成功しようとおもうなら、つまり予想した結果をえようとするなら、自分の思想を客観的外界の法則性に合致させなければならない。合致させなければ、実践において失敗するにちがいない。失敗したあとで、失敗から教訓をくみとり、自分の思想を外界の法則性に合致するようにあらためると、失敗を成功に変えることができる。「失敗は成功のもと」とか、「いちどつまずけば、それだけ利口になる」とかいわれるのは、この道理をいっているのである。

「実践論」 (1937年7月)、『毛沢東選集』第1巻

われわれはマルクス主義者であって、われわれが問題をみるには、抽象的な定義から出発してはならず、客観的に存在する事実から出発し、これらの事実の分析のなかから方針、政策、方法をさがしださなければならないことを、マルクス主義は教えている。

「延安の文学・芸術座談会における講話」(1942年5月)、『毛沢東選集』第3巻

実際の状況にもとづいて工作方針をきめること、これはすべての共産党員がしっかりと心にきざみつけておかなければならないもっとも基本的な工作方法である。われわれのおかした誤りは、その発生の原因をしらべてみると、すべて、われわれがその時、その土地の実際の状況からはなれ、主観的に自分の工作方針をきめたことからきている。

「山西・綏遠解放区幹部会議での演説」(1948年4月1日)、『毛沢東選集』第4巻

世のなかで、いちばん手間がかからないのは観念論と形而上学である。なぜなら、それらは客観的実際を根拠にする必要がなく、また客観的実際の点検をうけることもなく、でたらめをいってもかまわないからである。唯物論と弁証法のばあいは、客観的実際を根拠にし、客観的実際の点検をうけなければならないから、骨を折らなければならない。もしも骨を折らなければ、観念論や形而上学の側に転落してしまうであろう。

「胡風反革命一味に関する資料」の評語(1955年5月)

われわれが事物を見るばあいには、その実質を見るべきであり、その現象はただ入門のための手引きとみなし、ひとたび門内にはいったならば、その実質をつかまなければならない。これがたしかな科学的な分析方法である。

「小さな火花も広野を焼きつくす」(1930年1月5日)、『毛沢東選集』第1巻

事物の発展の根本原因は、事物の外部にあるのではなくて、事物の内部にあり、事物の内部の矛盾性にある。どのような事物の内部にもこうした矛盾性があり、それによって事物の運動と発展がひきおこされる。事物の内部のこの矛盾性は、事物の発展の根本原因であり、ある事物と他の事物が相互に連係し、影響しあうことは、事物の発展の第2義的な原因である。

「矛盾論」(1937年8月)、『毛沢東選集』第1巻

唯物弁証法は、外因を変化の条件、内因を変化の根拠とし、外因は内因をつうじて作用するものと考える。鶏の卵は、適当な温度をあたえられると、ひよこに変化するが、石ころに温度をくわえてもひよこにならないのは、両者の根拠がちがうからである。

「矛盾論」(1937年8月)、『毛沢東選集』第1巻

マルクス主義の哲学は、対立面の統一の法則を宇宙の根本法則と見る。この法則は、自然界であろうと、人類社会であろうと、また人びとの思想であろうと、いずれにも普遍的に存在するものである。矛盾する対立面は、統一もしておれば闘争もしており、それによって事物の運動と変化がうながされるのである。矛盾は普遍的に存在するが、事物の性質の相違によって、矛盾の性質が異なるにすぎない。いかなる具体的事物についても、対立面の統一は条件的、一時的、過渡的であり、したがって相対的であるが、対立面の闘争は絶対的である。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

分析という方法は、弁証法的な方法である。分析とは、事物の矛盾を分析することである。生活をよく知らす、論じている矛盾をほんとうに理解していなければ、当をえた分析をすることはできない。

「中国共産党全国宣伝工作会議における講話」(1957年3月12日)

レーニンは、具体的な状況を具体的に分析することが、「マルクス主義の真髄とマルクス主義の生きた魂である」といっている。われわれの同志のあいだには、分析する頭脳に欠け、複雑な事物にたいして、反復した掘りさげた分析と研究をおこなおうとしないで、絶対的肯定あるいは絶対的否定の簡単な結論をくだしたがるものが多い。 ……今後は、こうした状態を改善しなければならない。

「学習と時局」(1944年4月12日)、『毛沢東選集』第3巻

これらの同志は、問題の見方が間違っている。かれらは問題の本質的な面、主流の面をみないで、本質的でない面、主流でない面のものを強調している。本質的でない面や主流でない面の問題をゆるがせにしてはならず、それらをひとつひとつ解決してゆかなければならないことを指摘すべきである。しかし、それらを本質や主流とみなして、自分の方向について迷ってはならない。

「農業協同化の問題について」(1955年7月31日)

世の中のことは複雑で、いろいろな要因によってきまる。問題は、一面的からだけ見るのでなく、いろいろな面から見なければならない。

「重慶交渉について」(1945年10月17日)、『毛沢東選集』第4巻

問題を主観的、一面的、表面的に見る人にかぎって、どこへいっても周囲の状況をかえりみず、事がらの全体(事がらの歴史と現状の全体)を見ようとせず、事がらの本質(事がらの性質およびこの事がらとその他の事がらとの内部的なつながり)にはふれようともしないで、ひとりよがりに命令をくだすのであって、こういう人間がつまずかないはずはない。

「実践論」(1937年7月)、『毛沢東選集』第1巻

問題を研究するには、主観性、一面性および表面性をおびることは、禁物である。主観性とは、問題を客観的に見ることを知らないこと、つまり、唯物論的観点から問題を見ることを知らないことをいうのである。この点については、わたしはすでに「実践論」のなかでのべた。一面性とは、問題を全面的に見ることを知らないことをいう。……あるいは、局部だけを見て全体を見ない、木だけを見て、森を見ないともいえる。これでは、矛盾を解決する方法をみいだすことはできず、革命の任務を達成することはできず、うけもった活動をりっぱにやりとげることはできず、党内の思想闘争を正しく発展させることはできない。孫子は軍事を論じて、「かれを知り、おのれを知れば、百戦するもあやうからず」といっている。かれがいっているのは、戦争する双方のことである。唐代の人、魏徴はは「兼せ聴けば明るく、偏り信ずれば暗い」といっているが、やはり一面性のあやまりであることがわかっていたのである。ところが、わが同志のなかには、問題をみるばあい、とかく一面性をおびるものがあるが、こういう人はしばしば痛い目にあう。……レーニンはいっている。「対象を ほんとうに知るためには、そのすべての側面、すべての連関と『媒介』を把握し、研究しなければならない。われわれは、けっして完全にはそこまで達することがないであろう。だが、全面性を要求することは、われわれをあやまりや硬直に陥らないよう用心させてくれる。」われわれは、このことばを銘記しなければならない。表面性とは、矛盾の全体も、矛盾のそれぞれの側面の特徴もみず、事物に深くはいって矛盾の特徴をこまかく研究することの必要を否定し、ただ遠くからながめて、矛盾のちょっとした姿を大ざっぱにみただけで、すぐ矛盾の解決(問題にこたえ、紛争を解決し、仕事を処理し、戦争を指揮する)にとりかかろうとすることである。こんなやり方では、間違いをしでかさないはずがない。……一面性、表面性も主観性である。なぜなら、すべての客観的事物は、もともと相互に連係した、内部法則をもったものであるのに、この状況をありのままに反映せず、ただ一面的に、あるいは表面的にそれらを見るだけ、つまり事物が相互に連係していることを認識せず、事物の内部法則を認識しないからであって、このような方法は主観主義的である。

「矛盾論」、(1937年8月)、『毛沢東選集』第1巻

一面性とは思想上の絶対化であり、形而上学的に問題をみることである。われわれの活動にたいする見方で、すべてを肯定したり、すべてを否定したりするのは、いずれも一面性である。……すべてを肯定するということは、つまり、いい面は見えるが、わるい面は見えず、賞賛はできるが、批判はできないということである。まるでわれわれの活動がなにもかもいいかのようにいうのは、事実に合わない。なにもかもいいのではなくて、まだ欠点や誤りがあるのである。しかし、なにもかもわるいのでもなく、そういうのも事実に合わない。分析しなければならない。すべてを否定することは、分析ぬきで、物事がすべてうまくやられていないと考えることであり、社会主義建設というこの偉大な事業、いく億の人口がすすめているこの偉大な闘争が、まるでなんのとりえもなく、すべてめちゃくちゃであると考えることである。このような見方をしている多くの人びとは、社会主義制度に敵意をもっている人びととはやはり違うが、しかし、このような見方はひじょうに間違っており、ひじょうに有害であり、それは人びとに自信をうしなわせるだけである。われわれの活動を、すべてを肯定する観点、あ るいはすべてを否定する観点で見るのは、いずれも誤りである。

「中国共産党全国宣伝工作会議における講話」(1957年3月12日)

マルクス主義者は、問題を見るのに、部分を見るだけでなく、全体をも見なければならない。井戸のなかのカエルが「空の大きさは井戸口ほどである」というなら、それは正しくない。空はけっして井戸口の大きさぐらいのものではないからである。だが、もし「空のある部分の大きさは井戸口ほどである」というなら、これは正しい。それは事実に合致しているからである。

「日本帝国主義に反対する戦術について」(1935年12月27日)、『毛沢東選集』第1巻

われわれは、問題を全面的にみることを習得しなければならず、事物の正面をみるだけでなく、その反面をもみなければならない。一定の条件のもとでは、悪いものでも良い結果をうみだすし、良いものでも悪い結果をうみだす。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

われわれは、全体的な歴史の発展のなかでは、物質的なものが精神的なものを決定し、社会的存在が社会的意識を決定することをみとめるが、同時にまた、精神的なものの反作用、社会的意識の社会的存在にたいする反作用、上部構造の経済的土台にたいする反作用をみとめるし、またみとめなければならない。このことは唯物論にそむくことではなく、これこそ機械的唯物論におちいらずに、弁証法的唯物論を堅持するものである。

「矛盾論」(1937年8月)、『毛沢東選集』第1巻

戦争を指導する人びとは、客観的条件のゆるす限度をこえて戦争の勝利を求めることはできないが、しかし、客観的条件の限度内で、戦争の勝利を能動的にたたかいとることはできるし、またそうしなければならない。戦争の指揮員の活躍する舞台は、客観的条件のゆるす範囲内に築かれなければならないが、しかし、かれらはその舞台1つで精彩にとんだ、勇壮な多くの劇を演出できるのである。

「持久戦について」(1938年5月)、『毛沢東選集』第3巻

人びとの思想は、すでに変化した状況に適応しなければならない。もちろん、だれでも、根拠なしに妄想をたくましくしてはならず、客観的状況のゆるす条件を飛びこえて、自分の行動を計画してはならず、実際にできもしないことを無理にやるようなことをしてはならない。だが、現在の問題は、やはり、右翼保守思想が多くの面で災いしており、これが多くの面での活動を客観的状況の発展に適応できないようにしていることである。現在の問題は、もともと努力すればやれることを、多くの人びとがやれないと考えていることである。

『中国農村における社会主義の高まり』の序文(1955年12月27日)、『中国農村における社会主義の高まり』上巻

なにごとも、頭をつかってよく考えるべきである。俗に「ちょっとまゆ根をよせれば、名案がうかぶ」というが、それは、じっくりと考えれば知恵が出るという意味である。わが党内にある濃厚な肓目性をとりのぞくためには、思考すること、事物を分析する方法を身につけること、分析の習慣をやしなうことを提唱しなければならない。

「学習と時局」(1944年4月12日)、『毛沢東選集』第3巻

どのような過程にも、もし多くの矛盾が存在しているとすれば、そのなかの1つはかならず主要なものであって、指導的な、決定的な作用をおこし、その他は、副次的、従属的地位におかれる。したがって、どのような過程を研究するにも、それが2つ以上の矛盾の存在する複雑な過程であるならば、全力をあげてその主要な矛盾をみいださなければならない。その主要な矛盾をつかめば、すべての問題はたやすく解決できる。

「矛盾論」(1937年8月)、『毛沢東選集』第1巻

矛盾する2つの側面のうち、かならずその一方が主要な側面で、他方が副次的な側面である。主要な側面とは、矛盾のなかで主導的な作用をおこす側面のことである。事物の性質は、主として支配的地位をしめる矛盾の主要な側面によって規定される。

しかし、このような状況は固定したものではなく、矛盾の主要な側面と主要でない側面とは、たがいに転化しあうし、事物の性質もそれにつれて変化する。

「矛盾論」(1937年8月)、『毛沢東選集』第1巻

われわれは、任務を提起するばかりでなく、任務を達成する方法の問題をも解決しなければならない。われわれの任務が川をわたることであれば、橋か船がないとわたることはできない。橋か船の問題を解決しないかぎり、川をわたるということは空念仏にすぎない。方法の問題を解決しないかぎり、任務もまたでまかせのおしゃべりにすぎない。

「大衆の生活に関心をよせ、活動方法に注意せよ」(1934年1月27日)、『毛沢東選集』第1巻

いかなる活動任務でも、一般的、普遍的なよびかけがなければ、広範な大衆を行動に立ちあがらせることはできない。だが、もし一般的なよびかけにとどまるだけで、指導要員が、自分のよびかけた活動を、具体的、直接的に、いくつかの組織から深くつっこんで実行し、1点を突破し、経験をつかみ、そのうえで、その経験をいかして、他の組織を指導するのでなければ、自分の提起した一般的なよびかけが正しいかどうかを検証するすべがなく、また一般的なよびかけの内容を充実させるすべもなくて、その一般的なよびかけは無に帰するおそれがある。

「指導方法のいくつかの問題について」(1943年6月1日)、『毛沢東選集』第3巻

いかなる指導要員も、もし下部の個別の組織の個別の人や、個別のできごとから具体的な経験をくみとらなければ、すべての組織にたいして普遍的な指導をおこなうことはどうしてもできない。各級の指導的幹部がみなこの方法を身につけるように、この方法をひろく提唱しなければならない。

「指導方法のいくつかの問題について」(1943年6月1日)、『毛沢東選集』第3巻

いかなる地区でも、一定の時期には、中心工作は1つしかありえず、他の工作は第2位、第3位としてこれをおぎなうもので、同時に多くの中心工作をもつことはできない。したがって、地区の総責任者は、その地区の闘争の歴史や闘争の環境を考慮にいれ、それぞれの工作を適切に位置づけるべきであって、自分ではまったく計画をもたずに、ただ上部からの指示をうけとりしだい手をつけ、「中心工作」が多くなったり、混乱した無秩序な状態をつくりだすようであってはならない。上級機関もまた、ことの緩急、軽重を区別せず、中心もきめずに、同時に多くの工作を下級機関に指示し、これによって、下部のものの工作の段どりに混乱をもたらし、確定的な結果をえられないようにしてはならない。指導要員がそれぞれの具体的地区の歴史的条件や環境にもとづいて、全局面にたいする統一的な計画をたて、それぞれの時期の工作の重点や工作の順序を正しく決定し、この決定をあくまでも貫徹して、かならず一定の成果をあげるようにすること、これは指導の芸術である。

「指導方法のいくつかの問題について」 (1943年6月1日)、『毛沢東選集』第3巻

随時、工作の進行状態をつかみ、経験を交流し、誤りをなおすべきで、数ヵ月、半年ないし1年たってからやっと締めくくりの会をひらいて総決算をし、いっぺんになおすというようなことをしてはならない。それでは損失があまりにも大きくなり、その都度なおせば損失は比較的に少なくてすむ。

「商工業政策について」(1948年3月27日)、『毛沢東選集』第4巻

問題が山積みになり、かずかずの混乱をひきおこしてから、その解決にあたるのであってはならない。指導は運動にたちおくれてはならず、かならずその先頭をいかなければならない。

「季節的なうけおい農民」という文章にたいする評語(1955年)、『中国農村における社会主義の高まり』下巻

われわれの必要とするものは、熱烈であるが沈着な態度と、緊張しているが秩序のある活動である。

「中国革命戦争の戦略問題」(1936年12月)、『毛沢東選集』第1巻

23.調査研究

すべての実際活動家は、下の方をむいて調査しなければならない。理論だけで、実際の状況を知らないものにとっては、こうした調査活動はとりわけ必要であり、さもなければ理論を実際と結びつけることはできない。「調査なくして、発言権なし」というこのことばは、かつては「せまい経験論」だとそしられたが、わたしはいまでもそれを後悔していない。後悔していないどころか、わたしは依然として、調査がなければ発言権はありえないということを堅持するものである。多くの人は、「お着きになるやさっそく」、なんだかんだと論議をして、意見をだし、これも批判しあれも非難するが、こういう人は実は10人が10人までみな失敗する。なぜなら、こうした論議や批判は綿密な調査をへておらず、無知なでまかせをいっているにすぎないからである。わが党がいわゆるこの「勅使」のためにどれほど損をしたか、かぞえきれない。ところが、このような「勅使」は、いたるところとびまわり、ほとんどどこにでもいるといってよい。スターリンが「理論は、革命の実践と結びつかなければ、対象のない理論となる」といっているのは正しい。もちろん、かれが「実践は、革命の理論を指針としなけ れば、盲目的な実践となる」といっているのも正しい。盲目的な、前途にくらい、見通しをもたない事務屋をのぞいては、「せまい経験論」などとはいえないのである。

「『農村調査』のはしがきとあとがき」(1941年3月、4月)、『毛沢東選集』第3巻

このような態度が実事求是の態度である。「実事」とは客観的に存在しているすべての事物のことであり、「是」とは客観的な事物の内部的なつながり、すなわち法則性のことであり、「求」とはわれわれが研究することである。われわれは、国の内外、省の内外、県の内外、区の内外の実際の状況から出発し、そのなかから、われわれの行動の導きとして、憶測でない固有の法則性をひきだし、すなわち、周囲のでき事の内部的なつながりをさがしださなければならない。そして、このようにするためには、主観的な想像、一時的な熱情、死んだ書物にたよってはならず、客観的に存在する事実にたよって、詳細な資料をわがものとし、マルクス・レーニン主義の一般的な原理の導きのもとに、これらの資料のなかから、正しい結論をひきださなければならない。

「われわれの学習を改革しよう」(1941年5月)、『毛沢東選集』第3巻

「目をつぶってすずめをつかまえ」、「めくらが魚を手さぐり」するような、おおざっぱで、長広舌を振るい、なまはんかな知識に満足するこうした非常に悪い作風、マルクス・レーニン主義の基本精神にまったくそむいたこうした作風は、わが党の多くの同志たちのあいだに、なおひきつづき存在している。マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンは、主観的な願望から出発するのではなく、客観的な真実の状況から出発して、状況をまじめに研究せよと、われわれに教えているが、われわれの多くの同志たちは、直接、この真理にそむいている。

「われわれの学習を改革しよう」(1941年5月)、『毛沢東選集』第3巻

きみはその問題を解決することができないのか。それなら、その問題の現状と歴史を調査することである。十分に調査してはっきりさせれば、その問題にたいする解決策が出てくる。すべての結論は、状況を調査するまえにあるのではなくて、その終わりに生まれるのである。自分ひとりで、あるいはひとかたまりのものをあつめて、調査もせずに、ただ頭をひねりまわして「方法を考えだし」、「構想をねろう」とするのは、おろかものだけである。これでは、かならずどんなよい方法も考えだすことはできないし、どんなよい構想もうみだすことはできない、ということを知っておかなければならない。

「書物主義に反対する」(1930年5月)

調査とは「10ヵ月の妊娠」のようなものであり、問題の解決とは「ある朝の分娩」のようなものである。調査とはつまり問題解決のことである。

「書物主義に反対する」(1930年5月)

マルクス・レーニン主義の理論と方法を応用して、周囲の環境を系統的に綿密に調査、研究する。ただ熱情だけで活動するのではなく、スターリンものべているように、革命的な気概を実際的な精神に結合する。

「われわれの学習を改革しよう」(1941年5月)、『毛沢東選集』第3巻

状況を理解するには、社会にたいして調査をおこない、社会の各階級のいきいきした状況を調査するのが唯一の方法である。指導にあたっている人にとっては、計画的にいくつかの都市、いくつかの農村を目標にして、マルクス主義の基本的観点、すなわち階級分析の方法をもちい、何回か綿密な調査をおこなうことが、状況を理解するもっとも基本的な方法である。

「『農村調査』のはしがきとあとがき」(1941年3月、4月)、『毛沢東選集』第3巻

調査会をひらくには、人数は毎回多くなくてもよく、3、4人、あるいは7、8人で十分である。十分な時間をあたえ、調査項目を用意し、さらに自分が直接質問し記録をとるとともに、参会者と議論を展開しなければならない。したがって、あふれるばかりの熱意がなく、目を下にむける決意がなく、知識をえようとする意欲がなく、鼻もちならない気どりをすてて、よろこんで小学生になるという心がけがなければ、その調査会はけっしてひらけるものではないし、ひらいてもうまくやれはしない。

「『農村調査』のはしがきとあとがき」(1941年3月、4月)、『毛沢東選集』第3巻

指揮員がおこなう正しい部署配置は、正しい決心からうまれ、正しい決心は、正しい判断からうまれ、正しい判断は、周到な、また必要な偵察と、さまざまな偵察材料をむすびあわせた思索からうまれる。指揮員は、あらゆる可能な、また必要な偵察手段をつかい、偵察でえた敵の状況にかんするさまざまな材料のなかから、滓をすてて粋をとり、偽をすてて真をのこし、このことからあのことへ、表面から内面へと進んでゆく思索をおこない、そのうえに、味方の状況をくわえて、双方の対比や相互の関係を研究し、それによって、判断をつくりあげ、決心をし、計画をたてる――これが軍事家の毎回の戦略、戦役、あるいは戦闘の計画をたてるにさきだっておこなう全般的な状況認識の1つの過程である。

「中国革命戦争の戦略問題」(1936年12月)、『毛沢東選集』第1巻

24.誤った思想をただす

たとえわれわれの仕事がひじょうに大きな成績をあげたとしても、うぬぼれたり、思いあがったりしてよい理由はどこにもない。謙虚は人を進歩させ、うぬぼれは人を落後させる。われわれはいつまでもこの真理を、心にきざみこんでおかなければならない。

「中国共産党第8回全国代表大会の開会の辞」(1956年9月15日)

勝利をおさめると、おごり高ぶった気持ち、功労者をもって自任する気持ち、立ちどまって進歩をもとめようとしない気持ち、享楽をむさぼり2度と苦しい生活をしたがらない気持ちが党内に成長してくる可能性がある。勝利をおさめると、人民はわれわれに感謝し、ブルジョアジーもわれわれにへつらうようになるであろう。敵の武力がわれわれを征服できないこと、この点はすでに証明されている。だが、ブルジョアジーのへつらいは、われわれの隊伍のなかの意志の弱いものを征服するかもしれない。銃をもった敵には征服されたことがなく、こうした敵のまえでは英雄とよばれるに恥じなかったが、糖衣でくるんだ砲弾の攻撃にはたえきれず、糖衣砲弾のまえには敗北を喫する、というような共産党員がいるかも知れない。われわれはこうした事態を未然にふせがなければならない。

「中国共産党第7期中央委員会第2回総会での報告」(1949年3月5日)、『毛沢東選集』第4巻

多くの物事は、われわれが、それに盲目的になり、自覚性を欠くと、われわれのふろしき包みになり、われわれの重荷になりうる。たとえば、あやまりをおかせば、自分はどうせあやまりをおかしたのだと考えて、それからのちはしおれてしまうかもしれないし、あやまりをおかさなければ、自分はあやまりをおかしたことがないのだと考えて、おごり高ぶるかもしれない。仕事の成績があがらないと、しょげかえってしまうかもしれないし、仕事の成績があがると、鼻息があらくなるかもしれない。闘争経歴の短いものは、それが短いということから、無責任になるかもしれないし、闘争経歴の長いものは、それが長いということから、ひとりよがりになるかもしれない。労働者、農民出身のものは、自分の光栄ある出身を鼻にかけて、知識人を見さげるかもしれないし、知識人はまた自分のなんらかの知識を鼻にかけて、労働者、農民出身のものを見さげるかもしれない。さまざまな特殊技能は、みな傲慢不遜、傍若無人の元手となりうる。それどころか、年齢でさえも、傲慢の道具となりうる。若いものは、自分が聡明有能だということから、年をとったものをばかにするかもしれな いし、年をとったものは、また、自分の経験が豊富だということから、若いものをばかにするかもしれない。こうしたさまざまなことにたいして、もし自覚性を欠くと、それは重荷あるいはふろしき包みになるものである。

「学習と時局」(1944年4月12日)、『毛沢東選集』第3巻

軍隊工作をしている一部の同志には傲慢さが身につきはじめ、兵士にたいし、人民にたいし、政府にたいし、党にたいして、横柄で、身勝手で、地方工作にあたっている同志をせめるだけで、自分をせめようとせず、成果をみるだけで、欠点をみようとせず、お世辞をききたがるだけで、批判はききたがらない。……軍隊は、こうした欠陥を克服するよう注意しなければならない。

「組織せよ」(1943年11月29日)、『毛沢東選集』第3巻

苦労のいる仕事は、われわれの目の前におかれている荷物のようなもので、それをかつぐだけの勇気がわれわれにあるかどうかが問題である。荷物には軽いのもあれば、重いのもある。なかには軽いのをとって、重いのをいやがり、重い荷物は人におしつけ、自分は軽いのをえらんでかつぐものもいる。これでは、立派な態度といえない。ある同志たちはそうではない。楽しみは人にゆずり、荷物は重いのをえらんでかつぎ、人に先んじて苦しみ、人におくれて楽しむ。こうした同志こそ立派な同志である。こうした共産主義者の精神を、われわれは見習わなければならない。

「重慶交渉について」(1945年10月17日)、『毛沢東選集』第4巻

仕事に責任感がなく、苦しい仕事はさけて、楽な仕事をえらび、重い荷物は他人におしつけ、軽い荷物をかつごうとするものがすくなくない。なにか事があると、まず自分のためを考えてから他人のことを考える。少しばかり仕事をすると、すっかり思いあがって、人が知らないのではないかと気にして、よく吹きまわる。同志にたいし、また人民にたいしては、熱誠にあふれるのではなく、冷淡そのもので、なんの関心ももたず、まったく無感覚である。このような人は、じつは共産党員ではなく、すくなくとも、純粋の共産党員とはいえない。

「ベチューンを記念する」(1939年12月21日)、『毛沢東選集』第2巻

こうした独自性の横車をおすものは、いつもその個人第1主義とは切りはなせず、個人と党の関係の問題では、つねに正しくない。かれらも、口先では党を尊重するというが、実際には、個人を第1位におき、党を第二位におく。こういった人びとはなんの横車をおそうとしているのか。おしていって名誉をつかみ、地位をつかみ、顔を売ろうというのである。かれらがある部分の仕事を管掌するようになると、すぐ独自性の横車をおす。そのために一部の人を籠絡し、一部の人を排斥し、同志のあいだでほらをふいたり、おだてたり、ひっぱったり、だきこんだりして、ブルジョア政党の俗悪な作風をも共産党のなかにもちこんでくるのである。こうした人びとが損をするのは誠実でないからである。われわれは誠実に仕事をすべきであり、世界で、いくつかの仕事をやりとげようとするには、誠実な態度がなければ、とうていだめである、とわたしは思う。

「党の作風を整えよう」(1942年2月1日)、『毛沢東選集』第3巻

共産党員は、局部の必要を全局の必要にしたがわせるという道理をわきまえていなければならない。もしある意見が、局部的な状況からみて実行すべきものであっても、全局の状況からみて実行すべきでないものであれば、局部を全局にしたがわせなければならない。その反対のばあいもおなじであり、局部の状況からみて実行すべきでないものであっても、全局の状況からみて実行すべきものであれば、やはり、局部を全局にしたがわせなければならない。これが全局に気をくばるという観点である。

「民族戦争における中国共産党の地位」(1938年10月)、『毛沢東選集』第2巻

享楽主義。個人主義を享楽の面であらわしている人びとが赤軍内でもすくなくない。かれらはつねに部隊が大きい都市に移動することを望んでいる。かれらが大きい都市へいきたがるのは享楽のためであって、活動のためではない。かれらがもっとも好まないのは生活の苦しい赤色地域内で活動することである。

「党内のあやまった思想の是正について」(1929年12月)、『毛沢東選集』第1巻

自分のほうのことばかり考えていて、他のもののことを考えない本位主義の傾向に反対しなければならない。他のものの困難には目もくれず、よそから自分のところの幹部の転任をもとめられても、それを手ばなそうとしなかったり、わるい幹部をわたしたりして、「隣をもって壑となし」、他の部門、他の地方、他人のために少しも考えない、こういう人びとを本位主義者とよぶのであり、これは、まったく共産主義の精神をうしなったものである。大局をかえりみず、他の部門、他の地方、他人については、なんら関心をよせない、これが本位主義者の特徴である。こうした人にたいしては、それがセクト主義の傾向であって、それが発展してゆくと非常に危険だということを、かれらにわからせるよう教育を強めなければならない。

「党の作風を整えよう」(1942年2月1日)、『毛沢東選集』第3巻

自由主義はいろいろな形であらわれる。

知人、同郷人、同窓、親友、親近者、旧来の同僚、旧来の部下であることから、たがいにおだやかさとむつまじさを保とうとして、まちがっていることがはっきりわかっていても、かれらと原則上の論争をおこなわず、なすがままにまかせる。あるいは、なごやかな空気を保とうとして、うわべのことだけをいって、徹底的な解決をはからない。その結果は、団体に害をあたえるし、個人にも害をあたえることになる。これが第1の型である。

組織に積極的に提案するのでなくて、かげで無責任な批判をする。面とむかってはいわずに、かげではあれこれといい、会議の席上ではいわずに、会議がすんだあとであれこれいう。集団生活の原則など眼中になく、あるのは自由放任だけである。これが第2の型である。

自分にかかわりのないことは、まったくすてておき、まちがっていることがはっきりわかっていても、あまり口にださない方が得だとし、りこうに保身をはかり、あやまちのないことだけをねがう。これが第3の型である。

命令には服従せず、個人の意見を第一とする。組織からの世話を要求するだけで、組織の規律はごめんだとする。これが第4の型である。

団結のため、進歩のため、仕事をよくはこぶために、正しくない意見と闘争し、論争するのではなくて、個人攻撃をし、意地をはり、私憤をはらし、報復をはかる。これが第5の型である。

正しくない議論をきいてもこれを論ばくせず、反革命分子の話をきいてさえ報告しないで、なにごともなかったかのように平然としている。これが第6の型である。

大衆に接して宣伝もせず、扇動もせず、演説もせず、調査もせず、質問もせず、大衆の苦楽にも関心をよせず、知らぬ顔をして、自分が共産党員であることをわすれ、共産党員を普通の大衆と混同する。これが第7の型である。

大衆の利益をそこなう行為を見て憤慨もせず、忠告もせず、制止もせず、説得もせず、なるがままにしておく。これが第8の型である。

仕事にふまじめで、一定の計画をもたず、一定の方向をもたず、いいかげんにすませ、その日暮らしで、坊主になれば、なっているあいだだけ鐘をつく。これが第9の型である。

自分では革命にたいして功労があると思いこみ、古顔かぜをふかせ、大きな事はやれないのに小さな事はやらず、仕事はだらしがなく、学習はずぼらである。これが第10の型である。

自分がまちがっており、しかもそれを知っていながら、あらためようとは考えず、自分にたいして自由主義である。これが第11の型である。

「自由主義に反対する」(1937年9月7日)、『毛沢東選集』第2巻

革命的な集団組織のなかでの自由主義は、きわめて有害なものである。それは団結をゆるめ、結びつきをよわめ、活動を消極的にし、意見の不一致をもたらす1種の腐食剤である。それは革命の隊列に厳密な組織と規律をうしなわせ、政策の徹底的遂行を不可能にし、党の組織と党の指導する大衆とのあいだにかべをつくらせる。これはひじょうに悪質な偏向である。

「自由主義に反対する」(1937年9月7日)、『毛沢東選集』第2巻

自由主義者は、マルクス主義の原則を抽象的な教条としてみている。かれらは、マルクス主義には賛成するが、それを実行する用意がないか、あるいは完全に実行、する用意がなく、マルクス主義でもって自己の自由主義ととりかえる用意もない。これらの人びとには、マルクス主義もあるが、自由主義もある。言うことはマルクス主義だが、行なうことは自由主義であり、人にたいしてはマルクス主義で、自分にたいしては自由主義である。2種類の品物をとりそろえており、それぞれつかいわけをする。これが一部の人びとの思想方法である。

「自由主義に反対する」(1937年9月7日)、『毛沢東選集』第2巻

人民の国家は、人民を保護するものである。人民の国家があってこそ、人民は、全国的な範囲で、また全体的な規模で、民主的な方法によって、自己を教育し自己を改造することができる。それによって、内外反動派の影響(この影響は現在まだひじょうに大きいし、また、これからも長期間にわたって存在し、急速にとりのぞくことはできない)から抜け出し、旧社会で身につけた自己のわるい習慣やわるい思想を改造して、反動派のさししめす誤った道にふみこまず、ひきつづき前進し、社会主義社会と共産主義社会にむかって前進するのである。

「人民民主主義独裁について」(1949年6月30日)、『毛沢東選集』第4巻

すこしばかりよい事をするのはさして難しいことではない。難しいのは一生涯悪い事をせず、よい事をし、一貫して広範な大衆の役に立ち、一貫して青年の役に立ち、一貫して革命の役に立ち、数十年1日のように刻苦奮闘することである。これこそ、なによりもいちばん難しいことである!

「呉玉章同志の還暦にたいする祝いのことば」(1940年1月15日)

25.団結

国家の統一、人民の団結、国内諸民族の団結、これは、われわれの事業がかならず勝利するための基本的な保証である。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

敵にうち勝ち、民族・民主革命の任務を達成するには、全階級と全民族の団結を通ずるよりほかなく、全階級および全民族の団結を達成するには、共産党の団結を通ずるよりほかない。

「何百何干万の大衆を抗日民族統一戦線へ参加させるためにたたかおう」(1937年5月7日)、『毛沢東選集』第1巻

われわれは民主集中制の組織原則と規律原則にもとづいて、わが党のあらゆる力をかたく団結させなければならない。どの同志も、党の綱領、規約、決議にしたがう意志さえあれば、われわれはその同志と団結しなければならない。

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻

1942年に、われわれは人民内部の矛盾を解決するこうした民主的な方法を、「団結――批判――団結」という公式に具体化した。すこしくわしくいうと、団結の願いから出発し、批判あるいは闘争をつうじて矛盾を解決し、これによって、新しい基礎のうえで新しい団結に達するということである。われわれの経験によれば、これは人民内部の矛盾を解決する正しい方法である。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

この軍隊は内部的にも外部的にも立派な団結を有している。内部――将兵のあいだ、上級と下級のあいだ、軍事工作、政治工作、後方勤務工作のあいだにおいても、外部――軍隊と人民のあいだ、軍隊と政府のあいだ、わが軍と友軍のあいだにおいても、ともに一致団結している。団結をさまたげるすべての現象は、かならず克服しなければならないものとされている。

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻

26.規律

人民の内部では、民主とは集中にたいしていうのであり、自由とは規律にたいしていうのである。これらはいずれも1つの統一体の矛盾しあう2つの側面であって、矛盾もしていれば、統一もしているのである。われわれは、ある1つの側面だけを一面的に強調して、他の側面を否定してはならない。人民の内部には自由がなければならないし、規律もなければならない。また、民主がなければならないし、集中もなければならない。こうした民主と集中の統一、自由と規律の統一こそ、われわれの民主集中制なのである。この制度のもとでは、人民は広範な民主と自由を享受するが、同時にまた社会主義的規律によって自分自身を拘束しなければならない。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

党の規律をもう1度言明しておかなければならない。すなわち、(1)個人は組織にしたがい、(2)少数は多数にしたがい、(3)下級は上級にしたがい、(4)全党は中央にしたがうという規律である。これらの規律をやぶるものは党の統一を破壊するものである。

「民族戦争における中国共産党の地位」(1938年10月)、『毛沢東選集』第2巻

党の規律の1つは少数が多数にしたがうことである。少数者は自分たちの意見が否定されたばあいには、かならず多数で採択した決議をまもらなければならない。必要があれば、つぎの会議にもういちどだして討議することもできるが、それ以外に、行動のうえでは、どのような反対の態度をもしめしてはならない。

「党内のあやまった思想の是正について」 (1929年12月)、『毛沢東選集』第1巻

3大規律はつぎのとおりである。

(1)いっさいの行動は指揮にしたがう。(2)大衆のものは針1本、糸1すじもとらない。(3)いっさいの鹵獲品は公のものとする。

8項注意はつぎのとおりである。

(1)言葉づかいはおだやかに。(2)売り買いは公正に。(3)借りたものは返す。(4)こわしたものは弁償する。(5)人をなぐったり、ののしったりしない。(6)農作物をあらさない。(7)婦人をからかわない。(8)捕虜をいじめない。

「3大規律・8項注意をあらためて公布することについての中国人民解放軍総司令部の訓令」(1947年10月10日)、『毛沢東選集』第4巻

規律をつよめ、断固として命令を遂行し、政策を遂行し、3大規律・8項注意をまもり、軍民の一致、軍政の一致、将兵の一致、全軍の一致を実現しなければならず、規律違反のいかなる現象もあってはならない。

「中国人民解放軍宣言」(1947年10月)、『毛沢東選集』第4巻

27.批判と自己批判

共産党は批判をおそれない。なぜなら、われわれはマルクス主義者であり、真理はわれわれの側にあり、労働者、農民の基本的大衆はわれわれの側にいるからである。

「中国共産党全国宣伝工作会議における講話」(1957年3月12日)

徹底した唯物論者はなにものをもおそれないものである。われわれは、われわれとともに奮闘するすべての人びとが、勇敢に責任を負い、困難を克服することができ、挫折をおそれず、他人の議論や嘲笑をおそれず、また、われわれ共産党員に批判や意見をだすのもおそれないよう希望する。「八つざきにきれようとも、あえて皇帝を馬からひきずりおろす」、われわれは、社会主義、共産主義のためにたたかうさい、こうしたなにものをもおそれない精神をもたなければならない。

「中国共産党全国宣伝工作会議における講話」(1957年3月12日)

われわれには、批判と自己批判というマルクス・レーニン主義の武器がある。われわれは良くない作風をすてさり、すぐれた作風を保持することができる。

「中国共産党第七期中央委員会第三回総会での報告」(1949年3月5日)、『毛沢東選集』第4巻

まじめな自己批判の有無も、またわれわれが他の政党と区別される顕著な指標の1つである。かつてわれわれは、部屋はつねに掃除すべきで、掃除しなければほこりがいっぱいたまってしまうし、顔はつねに洗うべきで、洗わなければ顔がほこりだらけになってしまう、といったことがある。わが同志の思想、わが党の活動にもほこりがかかるので、やはり掃除をし、洗いおとすべきである。「流れる水は腐らす、扉の心棒は虫がくわない」のは、それらがたえず運動していて、微生物やその他の生物の侵食に抵抗しているからである。われわれとしては、つねに活動を点検し、点検のなかで民主的作風をおしひるめ、批判と自己批判をおそれず、「知っていることは何でもいい、いいたいことはのこさずにいう」、「いうものはとがめられず、聞くものはそれをいましめにする」、「あやまりがあればこれを改め、なければいっそう気をつける」という中国人民の有益な格言を実行することこそ、わが同志の思想やわが党の体にたいする各種の政治のほこりや政治の微生物の侵食に抵抗する唯一の効果的な方法である。

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻

党内における異なった思想の対立と闘争は、つねに発生するものである。それは社会の階級的矛盾および新しい事物とふるい事物との矛盾が、党内に反映したものである。もし、党内に矛盾と、矛盾を解決するための思想闘争がなくなれば、党の生命もとまってしまう。

「矛盾論」(1937年8月)、『毛沢東選集』第1巻

われわれは積極的な思想闘争を主張する。なぜなら、それは、党内および革命団体内の団結を実現させてそれを戦闘に役だたせる武器だからである。共産党員と革命家の1人ひとりは、この武器を手にしなければならない。

ところが、自由主義は、思想闘争を解消して、無原則的な平和を主張し、その結果、腐敗した卑俗な作風がうまれ、党と革命団体内の一部の組織や一部のものを政治的に堕落させる。

「自由主義に反対する」(1937年9月7日)、『毛沢東選集』第2巻

われわれが主観主義、セクト主義、党八股に反対するにあたって、注意すべき2つのたてまえは、第1に、「前のあやまりを後のいましめとする」こと、第2に、「病をなおして人を救う」ことである。後の活動をもっと慎重に、もっとりっぱなものにするため、前のあやまりにたいしては、情実にとらわれず、かならずこれを指摘し、科学的な態度で、過去のわるいものを分析し批判しなければならない。これが、「前のあやまりを後のいましめとする」という意味である。しかし、われわれが、あやまりを指摘し、欠点を批判する目的は、医者が病気をなおすのと同様、まったく、人を救うためであって、死においこむためではない。だれかが盲腸炎をわずらったとしても、医者が盲腸を切りとれば、その人はたすかるのである。あやまりをおかしたどんな人でも、病気をかくし、医者をきらい、あやまりを固執してどうにも救えない状態にまでたちいたるのではなく、すなおに、ほんとうになおそうとし、改めようとするのでありさえすれば、われわれは、その人を歓迎し、よい同志になれるように、その病をなおすものである。この仕事は、けっして、一時の腹いせから、むちゃくちゃにやっつけるこ とで効果のあがるものではない。思想上の病や政治上の病にたいしては、けっして、向こうみずな態度をとってはならず、「病をなおして人を救う」態度をとるべきであり、これこそが正しい効果的な方法である。

「党の作風を整えよう」(1942年2月1日)、『毛沢東選集』第3巻

党内批判の問題についてもう1つふれなければならない点は、一部の同志の批判が小さいところにだけ心をそそぎ、大きなところには心をそそがないことである。批判の主要な任務が政治上のあやまりと組織上のあやまりの指摘にあることが、かれらにはわからない。個人的な欠点についていえば、それが政治的なあやまりや組織的なあやまりとかかわりがないかぎり、あまり多く指摘して同志たちにどうしてよいかわからないようにさせてはならない。そのうえ、このような批判が高じてくると、党内の注意力は完全に小さな欠点に集中され、人びとは小心翼々とした君子に変わってしまい、党の政治的任務を忘れることになる。これは大きな危険である。

「党内のあやまった思想の是正について」(1929年12月)、『毛沢東選集』第1巻

党内批判にあたっては、主観的な独断や批判の卑俗化を防ぐようにし、発言はよりどころを重んじ、批判は政治的な面に心をそそがなければならない。

「党内のあやまった思想の是正について」(1929年12月)『毛沢東選集』第1巻

党内批判は党の組織を強化し、党の戦闘力をつよめる武器である。だが、赤軍の党内での批判は一部がそうなっていず、個人攻撃になっている。その結果は、個人をいためているだけでなく、党の組織をもこわしている。これは小ブルジョア個人主義のあらわれである。これをただす方法は、党員に、批判の目的は階級闘争の勝利を達成するために党の戦闘力をつよめることにあり、個人攻撃の道具として批判を利用してはならないことを、はっきり理解させることである。

「党内のあやまった思想の是正について」(1929年12月)、『毛沢東選集』第1巻

われわれは人民に奉仕するものであり、したがって、もし自分に欠点があれば、人からの批判と指摘をおそれない。どんな人でも、われわれにそれを指摘してよい。それが正しくさえあれば、われわれはあらためる。そのだされた方法が人民のためになるなら、われわれはそのとおりにする。

「人民に奉仕する」(1944年9月8日)、『毛沢東選集』第3巻

中国のもっとも広範な人民のもっとも大きな利益を出発点とする中国共産党員は、自分たちの事業が完全に正義にかなっていることを信じ、自分個人のすべてを犠牲にすることを惜しまず、いつでも自分の命をわれわれの事業にささげる心がまえがあるのに、まだ捨てきれないような、人民の要求に合致しない思想、観点、意見、方法があるのだろうか。われわれの清潔な顔をよごし、健全なからだを侵食する政治のほこりや政治の微生物のなにをわれわれはまだ歓迎するというのか。革命に殉じた無数の戦士たちが人民の利益のために命を犠牲にしたことをおもえば、生き残っているわれわれ一人ひとりは胸がいっぱいになるのに、まだ犠牲にしきれない個人の利益、放棄しきれないあやまりがあるというのか。

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻

われわれは、成果があがると、すぐ自己満足するようなことがけっしてあってはならない。ちょうど、清潔をたもつために、ほこりを落とすために、毎日顔を洗い、毎日掃除しなければならないのとおなじように、自己満足をおきえ、つねに自分の欠点を批判すべきである。

「組織せよ」(1943年11月29日)、『毛沢東選集』第3巻

批判は、時をうつさずに批判するのでなければならす、いつも事がすんでから批判をしたがるのであってはならない。

「農業協同化の問題について」(1955年7月31日)

誤りや挫折によって教訓をあたえられて、われわれはより賢くなり、仕事もすこしはうまくやれるようになった。どんな政党にとっても、どんな個人にとっても、誤りは避けがたいもので、われわれに必要なことは、誤りを少なくすることである。誤りをおかしたならば、あらためることが必要で、あらためるのは、はやければはやいほどよく、徹底的であればあるほどよい。

「人民民主主義独裁について」(1949年6月30日)、『毛沢東選集』第4巻

28.共産党員

共産党員は、気持ちが淡白で、忠実で、積極的で、革命の利益を第1の生命とし、個人の利益を革命の利益にしたがわせなければならず、党の集団生活をつよめ、党と大衆との結びつきをつよめるよう、いつでも、どこででも、正しい原則を堅持し、すべての正しくない思想や行動と、うむことなく闘争しなければならず、個人よりも党と大衆に、自分よりも他人に、いっそう関心をよせなければならない。それでこそ共産党員といえるのである。

「自由主義に反対する」(1937年9月7日)、『毛沢東選集』第2巻

共産党員のあらゆる言論、行動の最高基準は、もっとも広範な人民大衆のもっとも大きな利益に合致し、もっとも広範な人民大衆から支持されることでなければならない点を、1人ひとりの同志にはっきりさせるべきである。

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻

共産党員は、いつでも、どこででも、個人の利益を第1位においてはならず、個人の利益を民族と人民大衆の利益にしたがわせるべきである。したがって、私利私欲、消極性と怠惰、汚職腐敗、売名主義などは、もっともいやしむべきことである。公正無私、積極的努力、滅私奉公、じみちに仕事にうちこむ精神こそ、尊敬すべきものである。

「民族戦争における中国共産党の地位」(1938年10月)、『毛沢東選集』第2巻

いかなる真理もすべて人民の利益に合致するものであるから、共産党員はつねに真理を堅持する心がまえがなければならない。また、いかなるあやまりもすべて人民の利益に合致しないものであるから、共産党員はつねにあやまりを改める心がまえがなければならない。

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻

共産党員は、どんな事がらについても、なぜかという問いを発してみる必要があり、なんでも、自分のあたまで綿密に考え、それが実際と合致するかどうか、ほんとうに道理があるかどうかを考える必要があり、絶対に盲従すべきではなく、絶対に奴隷主義をとなえるべきではない。

「党の作風を整えよう」(1942年2月1日)、『毛沢東選集』第3巻

大局に心をくばるよう提唱しなくてはならない。1人ひとりの党員、それぞれの局部の仕事、1つ1つの言論または行動は、いずれも全党の利益を出発点とすべきであり、この原則にそむくことは絶対にゆるされない。

「党の作風を整えよう」(1942年2月1日)、『毛沢東選集』第3巻

共産党員は、事実にもとづいて真理を求める模範でなければならず、また遠い見通しと、高い識見をもつことでも模範でなければならない。なぜなら、きだめられた任務を完成するには、事実にもとづいて真理を求める以外になく、前進方向をみうしなわないためには、遠い見通しと、高い識見をもつより以外にはないからである。

「民族戦争における中国共産党の地位」(1938年10月)、『毛沢東選集』第2巻

共産党員は、もっとも遠くまで見通し、もっとも犠牲的な精神に富み、もっとも堅実であり、またもっとも虚心に状況を洞察することができ、大衆の多数に依拠して、大衆の支持をかちとらなければならない。

「抗日の時期における中国共産党の任務」(1937年5月3日)、『毛沢東選集』第1巻

また共産党員は学習の模範となるべきであり、かれらにとっては、毎日が民衆の教師であるが、またその毎日が民衆の生徒でもある。

「民族戦争における中国共産党の地位」(1938年10月)、『毛沢東選集』第2巻

共産党員は、民衆運動では、民衆の上役ではなくて、民衆の友となるべきであり、官僚主義的な政客ではなくて、うむことなくおしえる教師となるべきである。

「民族戦争における中国共産党の地位」(1938年10月)、『毛沢東選集』第2巻

共産党員は、けっして、大衆の多数から浮きあがり、多数の人びとの状況をかえりみずに、少数の先進部隊をひきいて、単身暴進すべきではなく、先進者と広範な大衆とのあいだの緊密な結びつきを組織するよう心をそそがなければならない。これが、多数に気をくばるという観点である。

「民族戦争における中国共産党の地位」(1938年10月)、『毛沢東選集』第2巻

われわれ共産党員はいわば種子であり、人民はいわば土地である。どこへいっても、われわれはそこの人民と結びつき、人民のあいだに根をおろし、花を咲かせなければならない。

「重慶交渉について」(1945年10月17日)、『毛沢東選集』第4巻

われわれ共産党員は、どんな問題においても、かならず大衆との結合ができなければならない。もし、わが党員が、一生涯、家のなかにとじこもって外に出す、風雨にもさらされず、世間を知らないとしたら、そうした党員は中国人民にとっていったいなんの役に立つだろうか。なんの役にも立たないし、われわれはそのような人間に党員になってもらう必要はない。われわれ共産党員は風雨にさらされ、世間を知るべきであって、この風雨とは、大衆闘争という大風雨、この世間とは、大衆闘争の大世間である。

「組織せよ」(1943年11月29日)、『毛沢東選集』第3巻

共産党員の前衛的役割と模範的役割が非常に重要である。共産党員は、八路軍と新四軍のなかでは、英雄的に戦う模範、命令執行の模範、規律遵守の模範、政治工作の模範、内部の団結と統一の模範となるべきである。

「民族戦争における中国共産党の地位」(1938年10月)、『毛沢東選集』第2巻

共産党員は、けっして、なにごとにつけても自分は申し分なく、人はよくないと考えて、ひとりよがりであったり、居たけだかであってはならない。また、けっして、自分を小さなからにとじこめて、自画自賛をし、暴君ぶりを発揮してはならない。

「陝西・甘粛・寧夏辺区参議会における演説」(1941年11月21日)、『毛沢東選集』第3巻

共産党員は、党外の人びとの意見に耳をかたむけ、ものをいう機会を人にあたえなければならない。人のいうことが正しければ、われわれはそれを歓迎すべきであり、また、人の長所を学ばなければならない。人のいうことがまちがっていても、終わりまで話させてかち、ゆっくりと説明すべきである。

「陝西・甘粛・率夏辺区参議会における演説」(1941年11月21日)、『毛沢東選集』第3巻

共産党員は、仕事のなかであやまりをおかした人びとにたいしては、救いようのないもののほかは、排斥する態度をとるのではなくて、かれらが翻然とあやまりをあらため、ふるいものをすてて新しくでなおすように忠告する態度をとるものである。

「民族戦争における中国共産党の地位」(1938年10月)、『毛沢東選集』第2巻

共産党員は、おくれた人びとにたいして、かれらを軽くみたり、みくだしたりするのではなくて、かれらに接近し、かれらと団結し、かれらを説得し、かれらの前進を鼓舞する態度をとるものである。

「民族戦争における中国共産党の地位」(1938年10月)、『毛沢東選集』第2巻

29.幹部

われわれの党と国家が変色しないよう保証するためには、われわれは正しい路線と政策をもつ必要があるだけでなく、なん百万なん千万というプロレタリア革命事業の継承者を育成し、養成する必要がある。

プロレタリア革命事業の継承者を育成する問題は、根本的にいえば、古い世代のプロレタリア革命家がはじめたマルクス・レーニン主義の革命事業をうけつぐ人がいるかどうかの問題であり、将来われわれの党と国家の指導部がひきつづきプロレタリア革命家の手中ににぎられうるかどうかの問題であり、われわれの子々孫々がマルクス・レーニン主義の正しい道にそって前進しつづけることができるかどうかの問題であり、すなわち、われわれがフルシチョフ修正主義の中国での再演をみごとに防げるかどうかの問題である。要するに、これはわれわれの党と国家の運命にかかわる、生きるか死ぬかのきわめて重大な問題である。これはプロレタリア革命事業の百年の大計であり、千年の大計であり、万年の大計である。帝国主義の予言者たちは、また、ソ連でおこった変化をよりどころにして、「平和的転化」の望みを中国の党の第3代目あるいは第4代目の人びとにかけている。われわれはかならず帝国主義のこうした予言を徹底的に破産させなければならない。われわれはかならず、上から下まで、普遍的、恒常的に、革命事業の継承者を育成し、養成することに心をくばらなければならない。

どんな条件をそなえれば、プロレタリア革命事業の継承者となることができるか。

かれらは、真のマルクス・レーニン主義者でなければならず、フルシチョフのようにマルクス・レーニン主義の看板をかかげた修正主義者であってはならない。

かれらは、中国と世界の圧倒的多数の人びとに誠心誠意奉仕する革命家でなければならず、フルシチョフのように、国内ではひとにぎりのブルジョア特権階層の利益に奉仕し、国際的には帝国主義と反動派の利益に奉仕するのであってはならない。

かれらは、圧倒的多数の人びとと団結して、いっしょに仕事のできるプロレタリアートの政治家でなければならない。自分と意見の同じ人びとと団結しなければならないだけでなく、自分と意見のちがう人びとともりっぱに団結しなければならず、また、自分に反対したことがあり、しかもすでにあやまちであったことが実践によって明らかになった人びとともりっぱに団結しなければならない。しかし、フルシチョフのような個人的野心家や陰謀家にはとくに警戒し、このような悪人が党と国家の各級指導部をのっとるのを防がなければならない。

かれらは、党の民主集中制を模範的に実行するものでなければならず、「大衆のなかから、大衆のなかへ」という指導方法を習得しなければならす、よく大衆の意見に耳を傾ける民主的な作風を身につけなければならない。フルシチョフのように、党の民主集中制をふみにじって、横暴にふるまい、同志にたいして突然の攻撃をくわえ、道理を無視して、個人独裁を実行してはならない。

かれらは、謙虚でつつしみぶかく、おごりやあせりをいましめ、自己批判の精神にとみ、自分の仕事のなかの欠点やあやまりを勇敢にあらためるのでなければならない。フルシチョフのように、自分のあやまちをひたかくしにし、あらゆる功績を自分のものにし、いっさいのあやまちを他人におしつけるようなことは絶対にしてはならない。

プロレタリア革命事業の継承者は、大衆闘争のなかから生まれるのであり、革命のはげしい風波のなかで鍛えられて成長するのである。長期にわたる大衆闘争のなかで、幹部を観察し、識別し、継承者をえらびだし、養成しなければならない。

「フルシチョフのエセ共産主義とその世界史的教訓」のなかのことば、1964年7月14日づけ『人民日報』

わが党の組織は全国に発展しなければならず、何万という幹部を意識的に養成していかなければならず、何百人ものもっとも優秀な大衆の指導者がいなければならない。これらの幹部と指導者は、マルクス・レーニン主義を身につけ、政治的に遠い見通しをもち、活動能力をもち、献身的精神に富み「独自で問題を解決することができ、困難のなかにあっても動揺せず、民族のため、階級のため、党のために誠心誠意活動するものでなければならない。党は、これらの人びとに依拠して、党員や大衆とむすびつき、これらの人びとの大衆にたいするしっかりした指導に依拠して、敵を打倒する目的を達成するのである。これらの人びとは、私利私欲のない、個人英雄主義や売名主義のない、怠惰や消極性のない、尊大なセクト主義のない、公正無私の民族の英雄、階級の英雄である。これこそ、共産党員、党の幹部、党の指導者のもつべき性格であり、作風である。

「何百何千万の大衆を抗日民族統一戦線へ参加させるためにたたかおう」 (1937年5月7日)、『毛沢東選集』第1巻

政治路線が確定されたのちには、幹部が決定的な要因になる。したがって大量の新しい幹部を計画的に養成することがわれわれの闘争任務である。

「民族戦争における中国共産党の地位」(1938年10月)、『毛沢東選集』第2巻

共産党の幹部政策は、党の路線を断固として遂行し、党の規律にしたがい、大衆と緊密なつながりをもち、ひとりだちで活動できる能力をもち、積極的に仕事をし、私利私欲をはからないことを基準とすべきである。これは「任用は賢のみによる」路線である。

「民族戦争における中国共産党の地位」(1938年10月)、『毛沢東選集』第2巻

幹部の集団的な生産労働への参加の制度を堅持しなければならない。わが党と国家の幹部は普通の勤労者であって、人民の頭の上にあぐらをかく旦那ではない。幹部は集団的な生産労働への参加を通じて、勤労人民ともっとも広範で、恒常的な、密接な関係を保持する。これは、社会主義制度のもとでの根本的意義をもつ大きな問題であり、官僚主義を克服し、修正主義と教条主義を防止するのに役立つものである。

「フルシチョフのエセ共産主義とその世界史的教訓」のなかのことば、1964年7月14日づけ『人民日報』

幹部を識別することに習熟しなければならない。幹部のある1時期、ある1事項についてみるだけでなく、幹部の全経歴と全活動をみなければならないのであって、これが幹部を識別する主要な方法である。

「民族戦争における中国共産党の地位」(1938年10月)、『毛沢東選集』第2巻

幹部を使用することに習熟しなければならない。指導者の責務は、結局のところ、主として構想をしめすこと、幹部をつかうことの二つである。すべての計画、決議、命令、指示などはみな「構想をしめす」ことのうちにはいる。すべての構想が実行されるためには、幹部を団結させ、かれらにその実行をうながさなければならす、これは「幹部をつかう」ことのうちにはいる。

「民族戦争における中国共産党の地位」(1938年10月)、『毛沢東選集』第2巻

幹部を愛護することに習熟しなければならない。愛護する方法は、第1に、かれらを指導することである。それは、かれらに大胆に責任を負わせておもいきって活動させることであり、同時にまた、かれらが党の政治路線のもとで創意性を発揮できるように、適時に指示をあたえることである。第2に、かれらをたかめることである。それは、かれらが理論のうえで、活動能力のうえで、いっそうたかまるようにかれらに学習の機会をあたえ、かれらを教育することである。第3に、かれらの活動を点検し、かれらが経験をしめくくり、成果をのばし、あやまりをただすよう援助することである。仕事をまかせておいて点検せず、重大なあやまりをおかしたときになってからはじめてそれに目をむけることは、幹部を愛護するやり方ではない。第4に、あやまりをおかした幹部にたいしては、一般的には説得の方法をとって、かれらがあやまりをただすのをたすけることである。重大なあやまりをおかしながら、なお指導をうけいれない人びとにたいしてだけ、闘争という方法をとるべきである。ここでは、しんぼうづよいことが必要であり、軽がるしく、「日和見主義」という大きなレッテルをはり、「闘争 を展開する」という方法をとることはまちがいである。第5に、かれらの困難に心をくばってやることである。病気、生活、家庭などの面で困難な問題をかかえている幹部については、可能な範囲内で気をつけて世話をしてやらなければならない。これらの点が幹部を愛護する方法である。

「民族戦争における中国共産党の地位」(1938年10月)、『毛沢東選集』第2巻

ほんとうに一致団結した、大衆とのつながりをもつ指導的骨幹は、すべて、大衆闘争のなかでしだいに形成されなければならず、大衆闘争からはなれて形成されうるものではない。多くのばあい、ある偉大な闘争の過程では、最初の段階と中間の段階と最後の段階で、指導的骨幹がまったくおなじであってはならず、また、まったくおなじではありえない。闘争のなかからうまれる活動家をたえず抜擢して、いままでの骨幹のうち見おとりのしてきたものや腐敗したものととりかえなければならない。

「指導方法のいくつかの問題について」(1943年6月1日)、『毛沢東選集』第3巻

わが党に、もし広範なあたらしい幹部とふるい幹部の一致協力がなければ、われわれの事業は中断してしまう。したがって、すべてのふるい幹部は、絶大の熱情をもってあたらしい幹部を歓迎し、あたらしい幹部に関心をよせるべきである。なるほど、あたらしい幹部には欠点があり、かれらは、革命に参加してからまだ間がなく、経験にとぼしく、かれらのうちのあるものが、まだ旧社会のよくない思想のしっぽ、すなわち小ブルジョア個人主義の思想の残りかすを身につけてくることはさけがたい。しかし、これらの欠点は、教育をつうじ、革命できたえられるなかで、しだいにとりさることができる。かれらの長所は、かつてスターリンがのべたように、新鮮な事物にたいして鋭敏な感覚をもっていることであり、したがって、高度の熱情と積極性をもっていることであり、しかもこの点こそ、一部のふるい幹部に欠けているものである。新旧幹部は一致団結して、共同の事業をおしすすめるため、たがいに尊重し、たがいに学びあい、長所をとりいれ短所をおぎなってセクト主義の傾向をふせぐべきである。

「党の作風を整えよう」(1942年2月1日)、『毛沢東選集』第3巻

党員幹部に関心をよせるとともに、非党員幹部にも関心をよせなければならない。党外には多くの人材がおり、共産党はかれらを度外視してはならない。孤高をたもつ悪習をすてきり、党外の幹部といっしょに仕事をすることに習熟し、かれらをこころから援助し、あたたかい同志的な態度でかれらに接し、かれらの積極性を抗日と建国の偉大な事業のなかに組みいれるととが、共産党員1人ひとりの責務である。

「民族戦争における中国共産党の地位」(1938年10月)、『毛沢東選集』第2巻

30.青年

世界はきみたちのものであり、また、われわれのものでもある。しかし、結局はきみたちのものである。きみたち青年は、午前8時、9時の太陽のように、生気はつらつとしており、まさに、旺盛な時期にある。希望はきみたちにかけらわている。

…………

世界はきみたちのものである。中国の前途はきみたちのものである。

モスクワでわが国の留学生、実習生と会見したときの談話(1957年11月17日)

わが国はいまなおひじょうに貧しい国であり、しかも、短期間ではこの状態を根本的に改めることができないこと、もっぱら青年と全人民が数十年にわたって団結して奮闘し、自分たちの両手で富みさかえた、強大な国をつくりあげるのにたよるほかはないこと、このことをすべての青年たちに理解させなければならない。社会主義制度がうちたてられたことは、われわれに、理想境への道をきり開いてくれたが、理想境を実現するには、やはりわれわれの勤勉な労働にたよらなければならない。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

すくなからぬ青年は、政治的経験と社会生活の経験が不足しているため、ふるい中国と新しい中国をよく比較することができず、わが国の人民が帝国主義と国民党反動派の抑圧からぬけだすために、いかにかずかずの苦しいたたかいを経てきたか、また、すばらしい社会主義社会をつくりあげるために、いかに長期の苦しい労働を経なければならないかを深く理解することがなかなかできない。したがって、大衆のあいだで、いきいきとした、実際に即した政治教育を恒常的におこなうとともに、発生する困難をたえずかれらにありのまま説明し、どのようにして困難を解決するかの方法をかれらといっしょに研究するようにしなければならない。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

青年は社会のすべての力のなかで、もっとも積極的で、もっともいきいきとした力である。かれらは学習にいちばん積極的で、保守的な思想がいちばんすくなく、社会主義の時代にはとくにそうである。各地の党紀織が青年団の組織と協力して、とくに若ものの力をどのように発揮させるかを研究し、かれらを一般並みにあつかって、かれらの特徴をまっ殺しないように注意するよう希望する。もちろん、若ものは、かならず年寄りや大人に学び、できるだけかれらの賛同を得て、いろいろの有益な活動をやるようにしなければならない。

「中山県新平郷第9農業生産協同組合の青年突撃隊」という文章にたいする評語(1955年)、『中国農村における社会主義の高まり』下巻

青年が革命的かどうかをみるには、なにを基準にするか。なにによってその人をみわけるか。それは、その人が広範な労農大衆と結びつくことをのぞみ、しかも、それを実行するかどうかをみるというたった1つの基準しかない。労農大衆と結びつくことをのぞみ、しかもそれを実行する人は革命的であり、そうでないものは非革命的か、あるいは反革命的である。きょう、労農大衆と結びつけば、きょうは革命的であるが、もし翌日結びつかなくなるか、あるいは逆に民衆を圧迫するなら、非革命的か、もしくは反革命的となる。

「青年運動の方向」(1939年5月4日)、『毛沢東選集』第2巻

知識人が、まだ大衆の革命闘争と一体にならず、まだ大衆の利益に奉仕し大衆と結合する決意をかためないうちは、とかく主観主義と個人主義の傾向をおび、かれらの思想はとかく空虚で、行動もとかく動揺的である。したがって、中国の広範な革命的知識人は、前衛的な、かけ橋的な役割をはたしてはいるが、これら知識人のすべてが最後まで革命をやりぬけるわけではない。そのうち一部のものは、革命の重大な瀬戸ぎわになると、革命の隊列から離れて消極的な態度をとるようになり、そのうち少数のものは、革命の敵になってしまう。知識人のこのような欠点は、長期の大衆闘争のなかでしか克服できない。

「中国革命と中国共産党」(1939年12月)、『毛沢東選集』第2巻

青年団は、ひきつづき党の中心工作と呼応していくほか、青年の特徴にあった独自の工作もしなければならない。新中国は青年たちのことを考え、若い世代の成長に関心をはらわなければならない。青年たちは学習をし、仕事をしなければならないが、青年期は、身体が発育する時期である。したがって、青年たちの仕事、学習と娯楽、スポーツ、休息との両方にじゅうぶん配慮をはらわなければならない。

青年団第2回全国代表大会議長団と会見したときの指示(1953年6月30日)

31.婦人

中国の男子は、ふつう3つの体系的な権力(政権、族権、神権をさす=編集者)の支配をうけている。……婦人となると、以上のべた3つの権力の支配のほかに、なお男子からの支配(夫権)をうけている。この四つの種類の権力――政権、族権、神権、夫権は、封建的同族支配体系の思想と制度のすべてを代表しており、中国人民、とくに農民をしばりつけているふとい四本の綱である。農民が農村でどのように地主の政権をくつがえしたかについては、まえにのべたとおりである。地主の政権はすべての権力の根幹である。地主の政権がうちたおされたので、族権、神権、夫権もみなそれにつれてぐらつきだした。……夫権というものは、もともと貧農のあいだでは、わりあい弱かった。貧農の婦人は、経済的な必要から裕福な階級の婦人よりもよけいに労働に参加しなければならないので、家事にたいする発言権ないし決定権をもつものがわりに多かった。近年になって、農村経済がますます破産するにつれて、男子が女子を支配する基本的な条件はくずれた。最近では、農民運動がおこると、それにともなって多くのところで、婦人たちが農村婦人連合会を組織し、婦人たちが頭をもたげる機会がやっ てきたので、夫権は日1日とぐらつきだした。要するに、ありとあらゆる封建的同族支配体系の思想と制度は、農民の権力がつよまるにつれてぐらついている。

「湖南省農民運動の視察報告」(1927年3月)、『毛沢東選集』第1巻

団結して、生産と政治活動に参加し、婦人の経済的地位と政治的・地位を改善しよう。

雑誌『新中国婦人』のために書いた題辞、1949年7月20日づけ『新中国婦人』創刊号

青年、婦人、児童の利益を保護し、勉学の道を失った青年を救済するとともに、青年、婦人を組織して、抗日戦争と社会の進歩に有益な諸活動に平等な立場で参加させ、婚姻の自由と男女平等を実現し、青年と児童に有益な教育をうけさせることを要求する……

「連合政府について」(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻

労働力を組織的に調整することと、婦人にはたらきかけて生産に参加させることが、農業生産の面でのわれわれのもっとも基本的な任務である。

「われわれの経済政策」(1934年1月23日)、『毛沢東選集』第1巻

偉大な社会主義社会を建設するために、広範な婦人大衆を動員して生産に参加させることは、きわめて大きな意義をもっている。生産をするなかで、男性と女性の同一労働・同一報酬を実現しなければならない。真の男女平等は、社会全体の社会主義的改造の過程ではじめて実現できるのである。

「婦人が労働戦線におもむいた」という文章にたいする評語(1955年)、『中国農村における社会主義の高まり』上巻

協同化ののち、多くの協同組合は労働力の不足を感じており、これまで畑仕事に参加したことがなかった広範な婦人大衆を労働戦線に参加するよう動員する必要がある。……中国の婦人は偉大な人的資源である。この資源をほりおこして、偉大な社会主義国を建設するために奮闘しなければならない。

「婦人を動員して生産に参加させ、労働力不足の困難を解決した」という文章にたいする評語(1955年)、『中国農村における社会主義の高まり』中巻

すべての婦人労働力を同一労働・同一報酬の原則のもとで一律に労働戦線に参加させるという要求は、できるだけ短い期間に実現しなければならない。

「ィキ\[xing2\]台県民主婦人連合会の農業協同化運動を発展させるなかでの婦人活動についての計画」という文章にたいする評語(1955年)、『中国農村における社会主義の高まり』上巻

32.文化・芸術

現在の世界では、文化あるいは文学・芸術はすべて、一定の階級、一定の政治路線にぞくしている。芸術のための芸術、超階級的な芸術、政治と並行するか相互に独立した芸術というものは、実際には存在しない。プロレタリアートの文学・芸術は「プロレタリアートの革命事業全体の一部であり、レーニンがのべているように、革命という機械全体のなかの「歯車とねじくぎ」である。

「延安の文学・芸術座談会における講話」(1942年5月)、『毛沢東選集』第3巻

革命文化は、人民大衆にとっては革命の有力な武器である。革命文化は、革命のまえにあっては革命の思想的準備であり、革命のさなかにあっては革命の全戦線での必要なまた重要な戦線である。

「新民主主義論」(1940年1月)、『毛沢東選集』第2巻

われわれの文学・芸術は、いずれも人民大衆のためのもの、なによりもまず、労働者、農民、兵士のためのものであり、労働者、農民、兵士のために創作され、労働者、農民、兵士によって利用されるものである。

「延安の文学・芸術座談会における講話」(1942年5月)、『毛沢東選集』第3巻

わが文学・芸術活動家は、かならずこの任務をなしとげ、立脚点をうつしかえねばならず、また、労働者、農民、兵士大衆のなかに深くはいり、実際闘争に深くはいる過程で、マルクス主義を学習し、社会を学習する過程で、この立脚点を労働者、農民、兵士の側、プロレタリアートの側にしだいにうつしかえなければならない。このようにしてこそ、われわれは真の労働者、農民、兵士のための文学・芸術、真のプロレタリアートの文学・芸術をもつことができるのである。

「延安の文学・芸術座談会における講話」(1942年5月)、『毛沢東選集』第3巻

人民が一心同体となって敵とたたかうのをたすけるため、人民を結集し、人民を教育し、敵に打撃をあたえ、敵を消滅する有力な武器として、文学・芸術を適切に革命という機械全体の中の一構成部分たらしめるのである。

「延安の文学・芸術座談会における講話」(一九四二年五月)、『毛沢東選集』第三巻

文芸批評には、政治的基準と芸術的基準の2つの基準がある……

政治的基準といい、芸術的基準というが、この両者の関係はどのようなものか。政治は芸術そのものではなく、一般的な世界観も、芸術創作や芸術批評の方法そのものではない。われわれは、抽象的な絶対不変の政治的基準を否定するばかりでなく、抽象的な絶対不変の芸術的基準をも否定するのであって、それぞれの階級社会のそれぞれの階級には、すべて異なった政治的基準と芸術的基準がある。だが、いかなる階級社会のいかなる階級も、つねに、政治的基準を第1の地位におき、芸術的基準を第2の地位におく。……われわれが要求するのは、政治と芸術の統一、内容と形式の統一、革命的な政治的内容と可能なかぎり完全な芸術的な形式との統一である。芸術性のとぼしい芸術作品は、政治的にいかに進歩したものでも、無力である。したがって、われわれは、政治的観点があやまっている芸術作品にも反対するし、また、正しい政治的観点をもつだけで芸術的な力をもたないいわゆる「スローガン式」の傾向にも反対する。われわれは文学・芸術問題における二つの戦線の闘争をおこなうべきである。

「延安の文学・芸術座談会における講話」(1942年5月)、『毛沢東選集』第3巻

百花斉放・百家争鳴の方針は、芸術の発展と科学の進歩をうながす方針であり、わが国の社会主義文化の繁栄をうながす方針である。芸術上の異なった形式や風格は自由に発展させてよいし、科学上の異なった学派は自由に論争させてよい。行政的な力を利用して、強制的に一種類の風格や一種類の学派をおしひろめ、他の種類の風格や他の種類の学派を禁止することは、芸術と科学の発展にとって有害である、とわれわれは考える。芸術と科学における是非の問題は、芸術界と科学界の自由な討論によって解決し、芸術と科学の実践をつうじて解決すべきであって、単純な方法によって解決すべきでない。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

文化をもたない軍隊はおろかな軍隊であり、おろかな軍隊では敵にうち勝つことはできない。

「文化活動における統一戦線」(1944年10月30日)、『毛沢東選集』第3巻

33.学習

おくれた農業国である中国を先進的な工業化された中国にかえるには、われわれの前におかれた仕事はなみなみならぬものであり、われわれの経験はひじょうに不足している。だから、よく学ばなければならない。

「中国共産党第8回全国代表大会の開会の辞」(1956年9月15日)

状況はたえず変化しており、自分の思想を新しい状況に適応させるには、学習をしなくてはならない。マルクス主義を比較的多く知っている人でも、プロレタリアートの立場が比較的しっかりしている人でも、やはりさらに学習をし、新しい事物をうけいれ、新しい問題を研究しなければならない。

「中国共産党全国宣伝工作会議における講話」(1957年3月12日)

われわれは、以前知らなかったものを身につけることができる。われわれはふるい世界を破壊することができるだけでなく、さらに、新しい世界を建設することもできる。

「中国共産党第7期中央委員会第2回総会での報告」(1949年3月5日)、『毛沢東選集』第4巻

学習には2つの態度がある。1つは教条主義的な態度であり、わが国の事情にはおかまいなしに、適用できるものも適用できないものも、いっしょくたにもちこんでくる。こうした態度はよくない。もう1つの態度は、学ぶときに頭をつかって考え、わが国の事情に適したものを学ぶ、すなわら、われわれにとって有益な経験をくみとるのである。われわれに必要なのはこうした態度である。

「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(1957年2月27日)

マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンの理論は「世界のどこにも適用できる」理論である。その理論を教条としてあつかうべきではなく、行動の指針とすべきである。マルクス・レーニン主義の語句だけを学ぶのではなくて、それを革命の科学として学ぶべきである。マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンが広範な現実の生活と革命の経験の研究によってえた一般法則についての結論を理解するだけでなく、さらに、かれらが問題を観察し、問題を解決した立場と方法を学ぶべきである。

「民族戦争における中国共産党の地位」(1938年10月)、『毛沢東選集』第2巻

たとえ、正しい理論があっても、ただそれについておしゃべりするだけで、たな上げしてしまって実行しないならば、その理論がどんなによくてもなんら意義はない。

「実践論」(1937年7月)、『毛沢東選集』第1巻

マルクス主義の理論については、それに精通し、これを応用できなければならないのであって、精通の目的はまったく応用にある。もしマルクス・レーニン主義の観点を応用して、実際の問題を1つでも2つでも説明できたなら、それは称賛されるべきであり、いくらかの成果をえたことになる。説明できたものが多ければ多いほど、広ければ広いほど、深ければ深いほど、その成果はますます大きいことになる。

「党の作風を整えよう」(1942年2月1日)、『毛沢東選集』第3巻

マルクス・レーニン主義の理論と中国革命の実際は、どのようにして結びつけるのか。わかりやすいことばでいえば、それは、「的があって矢をはなつ」ことである。「矢」とは弓矢の矢であり、「的」とは標的であって、矢をはなつには的をねらわなければならない。マルクス・レーニン主義と中国革命との関係は矢と的との関係である。ところが、一部の同志は、「的がなくて矢をはなち」、乱射するので、このような人は革命をぶちこわしやすい。

「党の作風を整えよう」(1942年2月1日)、『毛沢東選集』第3巻

活動の経験をもっている人は、理論の面へ学習をすすめ、まじめに本を読むことによって、経験に系統性、総合性をもたせ、これを理論にまでひきあげることができ、こうして局部的な経験を普遍的な真理だと誤認せずにすみ、経験主義のあやまりをおかさずにすむのである。

「党の作風を整えよう」(1942年2月1日)、『毛沢東選集』第3巻

書物をよむことは学習であるが、使うことも学習であり、しかも、それはいっそう重要な学習である。戦争によって戦争を学ぶ――これがわれわれの主要な方法である。学校にゆく機会のなかった人でも、やはり戦争を学ぶことができる、つまり戦争のなかで学ぶのである。革命戦争は民衆のやることであって、先に学んでからやるのではなく、やり始めてから学ぶのが常であり、やることが学ぶことなのである。

「中国革命戦争の戦略問題」(1936年12月)、『毛沢東選集』第1巻

「民間人」から軍人までのあいだには1つのへだたりがあるが、それは急速になくせるものであって、万里の長城ではない。革命をやり、戦争をやることが、そのへだたりをなくす方法である。学ぶことと使うことが容易でないというのは、徹底的に学び、それを使いこなすことが容易でないということである。民間人がすぐに軍人になれるというのは、入門がむずかしくないということである。この2つのことを総合するならば、中国の昔からのことわざにあるように「世の中にむずかしいことはない、ただ心がけ次第だ」ということになる。入門がむずかしくないならば、深くきわめることもできるわけで、ただ心がけ次第であり、よく学びさえすればよいのである。

「中国革命戦争の戦略問題」(1936年12月)、『毛沢東選集』第1巻

われわれは、すべてのその道の人(どんな人であろうと)から経済工作を学ばなければならない。かれらを先生として、敬虔な気持ちで、まじめに学ばなければならない。わからないことはわからないのであって、わかったふりをしてはならない。

「人民民主主義独裁について」(1949年6月30日)、『毛沢東選集』第4巻

知識の問題は科学の問題で、いささかの虚偽も傲慢さもあってはならない。決定的に必要なのは、まさにその反対のこと――誠実さと謙虚な態度である。

「実践論」(1937年7月)、『毛沢東選集』第1巻

学習の敵は自己満足である。なにかを真剣に学習しようとするには、自己満足しないことからはじめなければならない。自分にたいしては「学びて厭わず」、他人にたいしては「人を誨えて倦まず」、これが、われわれのとるべき態度である。

「民族戦争における中国共産党の地位」(1938年10月)、『毛沢東選集』第2巻

一部の人はマルクス主義の書物をいくらか読むと、もう自分には学問があると考えるが、けっして深くつっこんで読んではおらず、頭のなかに根をおろしてはおろす、それを応用することができず、階級的感情があいかわらずふるくさいのである。また、一部の人はひじょうにうぬぼれが強く、少しばかりの書物を読むと、もう自分は大したものだと鼻を高くする。だが、ひとたびあらしに出あうと、かれらの立場は労働者や大多数の勤労農民とくらべて、大いに違いのあることがめだってくる。前者は動揺するが、後者は確固としており、前者はあいまいだが、後者ははっきりしている。

「中国共産党全国宣伝工作会議における講話」(1957年3月12日)

マルクス主義を学習するばあい、たんに書物から学習するだけでなく、主として階級闘争、活動の実践、労農大衆への接近を通じるのでなければ、ほんとうに身につけることはできない。もしもわれわれの知識人がマルクス主義の書物をいくらか読み、また、労農大衆との接近や自分の活動の実践のなかでなにかを理解するなら、われわれのあいだには共通の言葉が生まれ、愛国主義の面での共通の言葉や社会主義制度の面での共通の言葉が生まれるだけでなく、さらに共産主義的世界観の面での共通の言葉も生まれることになる。このようになれば、みんなの活動はずっとすばらしくなるにちがいない。

「中国共産党全国宣伝工作会議における講話」(1957年3月12日)