毛沢東
外文出版社 北京(1977年初版を電子化)
一 本訳書は北京人民出版社一九七七年四月出版の『毛沢東選集』第五巻の完訳である。各論文の解題と注釈もこの版から訳出したものである。一 注釈は底注と訳注にわかれ、原注は漢数字を〔 〕でかこみ(電子版は漢数字ではなく、半角数字を〔 〕で囲んでいる)、各論文の末尾においた。訳注は訳者がくわえたもので、算用数字を○(電子版では機種依存文字である①などで表現)でかこみ、原注のあとにおいた。一 度量衡、通貨、行政区画については、一部をのぞいてすべて原文のままの単位を用い、訳注を付した。一 読み仮名は、《 》で囲まれた範囲で示される。一 第二水準で表現できない漢字は、基本的に[片+旁]で表現した。それ以外の表現も、適宜[ ]内で記した。一 本電子版はMS IMEを用いて作成された。一 傍点のある部分は” #“と”# “で囲み、電子版では太字の部分は” ##“と”## “で囲んだ。一 原文では旧字体などで表現されていても、電子版で表現できないなどの理由により新字体で表現しているところがある。例えば、蒋介石は原文では旧字体だが、電子版では新字体である。
偉大な指導者であり教師である毛沢東主席の著作は、マルクス・レーニン主義の不朽の文献である。中国共産党中央委員会の決定にもとづいて、ここに『毛沢東遷集』第五巻が出版された。後続の各巻もあいついで出版されることになっている。
これまでに出版された『毛沢東選集』第一巻から第四巻までは、新民主主義革命の時期の重要な著作である。第五巻と後続の各巻は「社会主義革命と社会主義建設の時期の重要な著作である。
中華人民共和国成立後の新しい歴史的時期に、毛沢東同志は、マルクス・レーニン主義の普遍的真理と革命の具体的実践とを結びつけるという一貫した原則を堅持し、わが党とわが国人民を指導して、社会主義革命と社会主義建設をおしすすめる闘争、高崗・饒漱石、彭徳懐、劉少奇、林彪、王洪文・張春橋・江青・姚文元の修正主義路線に反対する闘争、帝国主義と各国反動派に反対する闘争、ソ連修正主義裏切り者集団を中心とする現代修正主義に反対する闘争のなかで、マルクス・レーニン主義をうけつぎ、まもり、発展させた。この時期に毛沢東同志が理論面でなしとげたもっとも偉大な貢献は、国内、国際の両面におけるプロレタリア階級独裁の歴史的経験を系統的に総括し、対立面の統一という唯物弁証法の基本的観点を運用して、社会主義社会の矛盾、階級、階級闘争を分析し、そうすることによって社会主義社会の発展法則をあきらかにし、プロレタリア階級独裁のもとにおける継続革命という偉大な理論をつくりあげたことである。プロレタリア革命とプロレタリア階級独裁についての毛沢東同志のこうした新しい思想、新しい結論は、哲学、政治経済学、科学的社会主義の各分野で、マルクス・レーニン主義の理論的宝庫をきわめて豊かなものにした。それはわが国人民にプロレタリア階級独裁の強化、資本主義復活の防止、社会主義の建設についての根本的な道をさししめしたばかりでなく、また、偉大で深遠な世界的意義をもっている。
『毛沢東選集』第五巻は、一九四九年九月から一九五七年までの重要な著作である。生産手段所有制の社会主義的改造が基本的に達成されたのちも、プロレタリア階級とブルジョア階級、社会主義の道と資本主義の道との闘争はなお長期にわたって存在するという科学的論断、社会主義社会における敵味方の矛盾と人民内部の矛盾という性質の異なった二種類の矛盾を正しく区別し、処理することについての学説、プロレタリア階級独裁のもとにおける継続革命についての偉大な理論、社会主義建設の総路線についての基本思想――これらは、毛沢東同志が本巻の著作ではじめて提起したものである。その後、とくにプロレタリア文化大革命の過程で、毛沢東同志は革命的実践の経験にもとづき、これらの輝かしい思想をたえず充実させ、発展させてきた。
毛沢東同志は、現代のもっとも偉大なマルクス・レーニン主義者である。毛沢東思想は、わが党、わが軍、わが国人民が団結してたたかい、ひきつづき革命をおこなううえでの勝利の旗じるしであり、国際プロレタリア階級と各国の革命的人民の共同の財産である。毛沢東同志の思想と学説は永遠に不滅である。
選集に収録された、社会主義革命と社会主義建設の時期における毛沢東同志の著作は、一部は以前に公表されたものだが、一部はまだ公表されたことがなく、これには毛沢東同志が起草した文書、稿本、講話の正式記録がふくまれている。講話の記録については、編集にあたって、技術的に必要な整理をくわえた。
中国共産党中央委員会毛沢東主席著作編集出版委員会
一九七七年三月一日
社会主義革命と社会主義建設の時期(一)
(一九四九年九月二十一日)
これは、毛沢東同志が中国人民政治協商会議第一回全体会議でのべた開会のことばである。
代表のみなさん、全国人民の待ち望んでいた政治協商会議がただいま開かれる。
われわれの会議は、全中国のすべての民主政党、人民団体、人民解放軍、各地区、各民族および海外華僑を代表する六百余名の代表からなっている。このことは、われわれの会議が全国人民の大団結の会議であることをしめしている。
このような全国人民の大団結が実現できたのは、われわれがアメリカ帝国主義のあとおしする国民党反動政府にうち勝ったからである。三年あまりのあいだに、世界でもまれにみる英雄的な中国人民解放軍は、アメリカにあとおしされた国民党反動政府の数百万にのぼる軍隊の進攻をことごとくうち破り、反攻と進攻に転じた。いま、人民解放軍の数百万にのぼる野戦軍はすでに台湾、広東、広西、貴州、四川、新疆に近い地区にまで進撃しており、中国人民の大多数はすでに解放をかちとっている。三年あまりのあいだに、全国人民は団結し、人民解放軍を支援して、自分たちの敵とたたかい、基本的な勝利をおさめた。こんにちの人民政治協商会議は、この土台のうえに開かれたのである。
われわれの会議が政治協商会議とよばれるのは、三年まえ、われわれが蒋介石国民党といっしょに政治協商会議〔1〕を開いたことがあるからである。そのときの会議は、蒋介石国民党とその共犯者どもに成果を破壊されたが、人民のあいだに消しがたい印象をのこした。そのときの会議は、帝国主義の手先蒋介石国民党やその共犯者どもといっしょでは、人民に有利ないかなる任務も達成できないことを立証している。たとえ無理に決議をしてもむだであり、いったん機が熟せば、かれらはあらゆる決議を反古にし、残虐な戦争をおこして人民に立ちむかってくる。そのときの会議の唯一の収穫といえば、人民に深い教訓をあたえたことである。つまり、帝国主義の手先蒋介石国民党やその共犯者どもとのあいだにはまったく妥協の余地がなく、これらの敵をうち倒すか、それともこれらの敵に殺りくされ、抑圧されるか、かならずそのどちらかであって、ほかに道はないということを、人民に理解させたことである。中国人民は中国共産党の指導のもとで、三年あまりのあいだに、すみやかに自覚を高め、みずからを組織し、帝国主義、封建主義、官僚資本主義とその総体的な代表者――国民党反動政府に反対する全国的な統一戦線を形づくり、人民解放戦争を支援して、基本的に国民党反動政府をうち倒し、中国における帝国主義の支配をくつがえし、政治協商会議を復活させた。
いまの中国人民政治協商会議は、まったく新しい土台のうえに開かれたもので、全国人民を代表する性質をもち、全国人民の信頼と支持を得ている。したがって、中国人民政治協商会議は、全国人民代表大会の職権を行使することを宣言する。中国人民政治協商会議はその議事日程にもとづいて、中国人民政治協商会議の組織法、中華人民共和国中央人民政府の組織法および中国人民政治協商会議の共同綱領を制定し、中国人民政治協商会議の全国委員会と中華人民共和国中央人民政府委員会を選出し、中華人民共和国の国旗と国章をさだめ、中華人民共和国の首都の所在地をきめ、世界の大多数の国と同じ年号を採用するであろう。
代表のみなさん、われわれはみなこう信じている――われわれの仕事は人類の歴史に書きこまれ、それは人類総数の四分の一を占める中国人がこのときから立ちあがったことをしめすであろう、と。中国人はもともと偉大な、勇敢な、勤勉な民族であるが、ただ近代になって落後してしまったのだ。こうした落後は、まったく外国の帝国主義と自国の反動政府による抑圧と搾取の結果にほかならない。百余年このかた、われわれの先人は内外の抑圧者にたいして不撓不屈の闘争をつづけ、これまで一度もたたかいをやめたことはなかった。そのなかには、偉大な中国革命の先駆者孫中山先生の指導した辛亥革命も含まれている。われわれの先人は、かれらの遺志をはたすようにと、われわれに指ししめした。いま、われわれはそのようにしたのである。われわれは団結して、人民解放戦争と人民大革命によって内外の抑止者をうち倒し、ここに中華人民共和国の成立を宣言することとなった。われわれの民族は、これ以後、平和と自出を愛する世界諸民族の大家庭の一員となり、勇敢かつ勤勉に仕事にとりくみ、みずからの文明と幸福をつくりだすとともに、また世界の平和と自由をも促進するであろう。われわれの民族は、もはや、人から侮辱されるような民族ではなくなった。われわれはすでに立ちあがったのである。われわれの革命はすでに全世界の広範な人民の共感と歓呼を博しており、われわれの友はあまねく全世界にいる。
われわれの革命事業はまだ終わってはいない。人民解放戦争と人民革命運動はなお発展しており、われわれはひきつづき努力しなければならない。帝国主義者と国内の反動派はけっしてかれらの失敗に甘んずるはずがなく、なお最後のあがきをこころみるであろう。全国の平定後も、かれらはやはりさまざまなやり方で破壊・攪乱活動をおこない、いつ、いかなるときも、中国で復活をたくらむにちがいない。これは避けられぬことであり、疑う余地のないことである。われわれはけっしてみずからの警戒心をゆるめてはならない。
われわれの人民民主主義独裁の国家制度は、人民革命の勝利の成果をまもり、内外の敵の復活の陰謀とたたかう強力な武器であって、われわれはこの武器をしっかりと握らなければならない。国際的には、われわれは平和と自由を愛するすべての国家と人民、なによりもまずソ連および新民主主義諸国とかたく団結して、人民革命の勝利の成果をまもり内外の敵の復活の陰謀とたたかうわれわれの闘争が孤立状態におちいらないようにしなければならない。人民民主主義独裁を堅持し、諸外国の友人と団結するかぎり、われわれは永遠に勝利しつづけるであろう。
人民民主主義独裁および諸外国の友人との団結は、われわれの建設事業をすみやかに成功させるであろう。われわれの前には、すでに全国的な規模の経済建設の仕事が提起されている。われわれが四億七千五百万の人口と九百六十万平方キロの国土をもっていることは、きわめて有利な条件である。われわれの前にはたしかに困難があるし、しかもそれはひじょうに多い。だが、すべての困難は全国人民の英雄的な奮闘によって克服されるものと、われわれは確信している。中国人民はすでに、困難にうち勝つきわめて豊富な経験をもっている。われわれの先人とわれわれ自身が長期にわたる困難きわまりない歳月をのりきり、内外の強大な反動派にうち勝つことができたとすれば、勝利のあと、繁栄した、富みさかえた国家を建設できないなどということがどうしてありえようか。われわれがあいかわらず刻苦奮闘の作風をもちつづけさえすれば、われわれが一致団結しさえすれば、また、われわれが人民民主主義独裁を堅持し、諸外国の友人と団結しさえすれば、われわれは経済戦線でもすみやかに勝利をおさめることができる。
経済建設の高まりがおとずれると、それにつれてかならず文化建設の高まりが現われる。中国人が非文明的だと見られていた時代は、もう過ぎさった。われわれは、高い文化をもつ民族として世界に登場するであろう。
われわれの国防は強化され、いかなる帝国主義者にたいしてもわれわれの国土を二度と侵略することを許さない。試練をへた英雄的な人民解放軍を基礎として、われわれの人民武装力を維持し、発展させなければならない。われわれは強大な陸軍をもつだけではなく、また強大な空軍と強大な海軍をもつようになるであろう。
内外の反動派をわれわれの前でふるえあがらせようではないか。かれらには、われわれのことをあれもだめ、これもだめと言わせておこうではないか。中国人民は不撓不屈の努力によって、かならずや着実に自己の目的をとげるにちがいない。
人民解放戦争と人民革命に命をささげた人民の英雄たちの名は永遠に不滅である!
人民解放戦争と人民革命の勝利を祝おう!
中華人民共和国の成立を祝おう!
中国人民政治協商会議の成功を祝おう!
〔1〕 本選集第四巻の『自衛戦争によって蒋介石の進攻を粉砕せよ』注〔2〕を参照。
(一九四九年九月三十日)
これは、毛沢東同志が中国人民政治協商会議第一回全体会議の委託をうけて起草した同会議の宣言である。「人民の指導者毛沢東主席の指導のもとに」とあるのは、会議で宣言を採択するさい、代表たちの提議で書きくわえられたものである。
全国の同胞のみなさん
中国人民政治協商会議第一回全体会議は、勝利のうちにその任務をなしとげた。
今回の会議は、全中国のすべての民主政党、人民団体、人民解放軍、各地区、各民族、海外華僑、その他の愛国民主人上の代表からなるもので、全国人民の意志をあらわし、全国人民のかつてみない大団結をしめしている。
このような全国人民の大団結は、中国人民と人民解放軍が中国共産党の指導のもとに、長期にわたって勇敢にたたかい、アメリカ帝国主義のあとおしする蒋介石の国民党反動政府にうち勝ったのち、はじめて実現したものである。百余年らい、中国人民の先駆者たち――なかでもぬきんでた人物としては、辛亥革命を指導した偉大な革命家孫中山先生のような人がいる――は、帝国主義と中国反動政府の抑圧をくつがえすために、広範な人民を指導して、たえまなく闘争をすすめ、うまずたゆまず奮闘努力してきた。その結果、こんにち、ついにその目的が達せられたのである。われわれが会議を開いているこのとき、中国人民はすでにその敵にうち勝ち、中国の面目を一新し、中華人民共和国を樹立している。われわれ四億七千五百万の中国人は、いまや立ちあがったのだ。わが民族の前途は、かぎりなく明るい。
人民の指導者毛沢東主席の指導のもとに、われわれの会議は心を一つにして、新民主主義の原則にもとづき、中国人民政治協商会議組織法、中華人民共和国中央人民政府組織法および中国人民政治協商会議共同綱領を制定し、中華人民共和国の首都を北京におくことをきめ、中華人民共和国の国旗を五星紅旗とさだめ、現在の国歌として義勇軍行進曲を採用し、中華人民共和国の年代記載に西暦をもちいることをきめ、中国人民政治協商会議全国委員会と中華人民共和国中央人民政府委員会を選出した。中国の歴史は、ここに新しい時代がひらかれたのである。
全国の同胞のみなさん、中華人民共和国はいま成立を宣言し、中国人民はすでにその中央政府をもつようになった。この政府は、共同綱領にもとづいて、中国の全土で人民民主主義独裁を実施するであろう。この政府は、人民解放軍を指揮して、革命戦争を最後まで遂行し、残余の敵軍を殲滅し、全国の領土を解放し、中国の統一という偉大な事業をなしとげるであろう。この政府は、全国人民を指導して、あらゆる困難をのりこえ、大規模な経済建設と文化建設をおしすすめ、旧中国の残した貧困と無知を一掃し、一歩一歩、人民の物質面の生活を改善し、人民の文化面の生活を向上させていくであろう。この政府は、人民の利益をまもり、あらゆる反革命分子の陰謀活動を鎮圧するであろう。この政府は、人民の陸海空軍を強化し、国防を固め、領土と主権の保全をはかり、いかなる帝国主義国の侵略にも反対するであろう。この政府は、みずからの同盟者として、平和と自由を愛するすべての国家、民族、人民、なによりもまずソ連および新民主主義諸国と連合し、共同で帝国主義者の戦争挑発の陰謀に反対し、世界の持続的な平和をたたかいとるであろう。
全国の同胞のみなさん、われわれはいちだんと組織化していくべきである。われわれは全中国の圧倒的多数の人びとを政治、軍事、経済、文化、その他のさまざまな組織体に組織し、旧中国のばらばらで無組織な状態を克服し、偉大な人民大衆の集団的な力で人民政府と人民解放軍を支持し、独立・民主・平和・統一・富強の新中国を建設すべきである。
人民解放戦争と人民革命に命をささげた人民の英雄たちの名は永遠に不滅である!
中国人民の大団結万歳!
中華人民共和国万歳!
中央人民政府万歳!
(一九四九年九月三十日)
これは、毛沢東同志が起草した人民英雄記念碑の碑文である。
三年らい、人民解放戦争と人民革命に命をささげた人民の英雄たちの名は永遠に不滅である! 三十年らい、人民解放戦争と人民革命に命をささげた人民の英雄たちの名は永遠に不滅である!
さらに一八四〇年までさかのぼって、そのときいらい、内外の敵とたたかい、民族の独立と人民の自由、幸福をかちとるために、いくたの闘争のなかで命をささげた人民の英雄たちの名は永遠に不滅である!
(一九四九年十月二十六日)
延安の同志のみなさん、陝西・甘粛・寧夏辺区の同胞のみなさん
祝賀のメッセージをいただき、喜びと感謝にたえない。延安と陝西・甘粛・寧夏辺区は、一九三六年から一九四八年まで、中国共産党中央の置かれていたところであり、中国人民の解放闘争の総後方であった。延安と陝西・甘粛・寧夏辺区の人民は、全国人民のために偉大な貢献をした。わたしは、延安と陝西・甘粛・寧夏辺区の人民がひきつづき一致団結して、すみやかに戦争のいたでをいやし、経済建設と文化建設をすすめていくよう希望する。わたしはさらに、延安と陝西・甘粛・寧夏辺区の活動家が過去十数年のあいだ持ちつづけてきた刻苦奮闘の作風を、全国のすべての革命活動家がいつまでも保持するよう望むものである。
毛沢東
一九四九年十月二十六日
(一九五〇年三月十二日)
これは、毛沢東同志が中国共産党中央中南局および華東局、華南分局、西南局、西北局にあてた通達である。
目下開催中の各省責任者会議で、富農にたいする戦術の問題について意見をもとめ、返電を打ってもらいたい。つまり、この冬から南部数省と西北一部地区ではじまる土地改革運動では、資本主義的富農に手をつけないばかりでなく、半封建的富農にも手をつけず、数年たってからはじめて半封建的富農の問題を解決する、ということについてである。このほうが有利ではなかろうか、考慮してもらいたい。その理由はつぎのとおりである。第一、土地改革はかつてみぬ大規模なもので、極左の偏向が生じやすい。地主にだけ手をつけて、富農に手をつけないなら、よりよく地主を孤立させ、中農を保護することができ、また、むやみに殴ったり殺したりするのを防ぐことができる。さもなければ、これを防ぐことはひじょうに難しい。第二、これまで北部の土地改革は戦時におこなわれたので、戦争の雰囲気が土地改革の雰囲気を圧倒した。いまでは、基本的には戦争がなくなったので、土地改革がとくに目立ち、社会にあたえる衝撃がとくに大きく、地主のわめき声がとくに鋭くなるであろう。いましばらく半封建的富農に手をつけず、数年たってから手をつけるなら、われわれにはいっそう道理があることになる。つまり、政治的主動権がいっそう大きくなる。第三、われわれと民族ブルジョア階級との統一戦線は、いますでに政治的にも経済的にも組織的にも形成されているが、民族ブルジョア階級は土地問題と密接につながっているので、この階級を安定させるためには、いましばらく半封建的富農に手をつけないほうが妥当と思われる。
いましばらく富農に手をつけないという問題は、昨年十一月の政治局会議でわたしが提起したが、そのときには詳しい分析も決定もおこなわれなかった。いまは決定しなければならぬ時機である。決定後は、土地法その他の土地改革関係文書を改定し、かつ公布して、新解放区各省の土地改革関係幹部の学習に役立てる必要がある。こうしてこそ、秋の取入れ後から土地改革をはじめるのに有利なのである。さもなければ、時機をのがし、受け身の状態におちいるであろう。したがって、政策決定のさいのよりどころとするため、中南局だけでなく、華東局、華南分局、西南局、西北局の同志諸君もこの問題を討議し、また、この電報を所属の各省委員会、各市委員会に転送して討議させ、賛成と反対の意見を集めて、すみやかに中央へ打電してもらいたい。以上の点について重視されたい。
(一九五○年六月六日)
これは、毛沢東同志の中国共産党第七期中央委員会第三回総会における書面報告である。
当面の国際情勢は、われわれにとって有利である。ソ連を先頭とする世界の平和と民主主義の陣営は、昨年よりもいっそう強大になった。平和をめざし、戦争に反対する世界各国人民の運動は、発展している。帝国主義の抑圧からぬけだそうとする民族解放運動は、幅広く発展している。なかでも、とくに注目にあたいするのは、アメリカの占領に反対する日本人民とドイツ人民の大衆運動がもりあがったこと、東方の被抑圧諸民族の人民解放闘争が発展していることである。同時に、帝国主義諸国のあいだの矛盾、主としてアメリカとイギリスのあいだの矛盾も発展した。アメリカのブルジョア階級内部における各派の争いや、イギリスのブルジョア階級内部における各派の争いも、増加している。それとは反対に、ソ連および人民民主主義諸国は相互によく団結した関係にある。偉大な歴史的意義をもつ新しい中ソ条約〔1〕は、両国の友好関係を強固なものにして、一方では、われわれがわりあい速いテンポで、思いきって国内の建設活動をすすめることができるようにし、他方ではまた、全世界人民の、平和と民主主義をかちとり、戦争と抑圧に反対する偉大な闘争をおしすすめている。帝国主義陣営からの戦争の脅威はあいかわらず存在し、第三次世界大戦の可能性はあいかわらず存在する。しかし、戦争の危険をおしとどめ、第三次世界大戦の勃発を防ぐためにたたかっている勢力は急速に発展しており、全世界の大多数の人民の自覚はたかまりつつある。全世界の共産党が、結集できるすべての平和と民主主義の勢力をひきつづき結集し、それをさらに発展させさえすれば、新たな世界戦争はおしとどめることができる。国民党反動派のまきちらす戦争についてのデマは、人民をたぶらかすものであり、根拠のないものである。
いま、わが国の状況はつぎのとおりである。中華人民共和国の中央人民政府と各級の地方人民政府はすでに成立した。ソ連、人民民主主義諸国およびいくつかの資本主義国が、あい前後してわが国と外交関係をむすんだ。戦争は大陸で基本的におわり、台湾と西蔵の解放だけがのこされているが、これはやはり重大な闘争任務である。国民党反動派は、大陸のいくつかの地域で匪賊的なゲリラ戦の方式をとり、一部の濱後分子を扇動して、人民政府とたたかわせている。国民党反動派はまた、数多くの秘密の特務やスパイをつかって人民政府に反対し、人民のあいだにデマをばらまいて、共産党と人民政府の威信を傷つけようとたくらみ、各民族、各民主階級、各民主政党、各人民団体のあいだの団結と協力をうちこわそうとたくらんでいる。特務やスパイどもはまた、人民の経済事業にたいして破壊活動をおこない、共産党と人民政府の要員にたいして暗殺の手段をとり、帝国主義と国民党反動派のために情報をあつめている。これらすべての反革命活動は、いずれも帝国主義、とくにアメリカ帝国主義が背後で糸をひいているのである。これらの匪賊や特務やスパイは、いずれも帝国主義の手先である。人民解放軍は、一九四八年の冬に遼瀋、淮海、平津の三大戦役で決定的な勝利をおさめたのち、一九四九年四月二十一日に長江渡河作戦を開始してから現在にいたるまでの十三ヵ月半のあいだに、西蔵、台湾およびその他の若干の海上の島をのぞくすべての国土を占領し、国民党反動派の軍隊百八十三万と匪賊のゲリラ隊九十八万を殲滅した。また、人民の公安機関は、大量の反動特務組織と特務分子を摘発、逮捕した。いま、人民解放軍は、新解放区ではひきつづき残存匪賊を掃滅する任務をもち、人民の公安機関は、ひきつづき敵の特務組織に打撃をあたえる任務をもっている。全国の大多数の人民は、共産党、人民政府および人民解放軍を熱烈に支持している。人民政府は、ここ数ヵ月のあいだに、全国的な範囲で財政・経済工作の統一的管理と統一的指導を実現し、財政収支の均衡をかちとり、インフレを抑制し、物価を安定させた。全国の人民は、食糧の供出、租税の納付、公債〔2〕の買入れという行動によって人民政府を支持している。昨年、わが国は広大な地域が凶作で、およそ一億二千万畝①の耕地と四千万の人民が大小さまざまな水害や干害に見まわれた。人民政府は、被災者にたいする大規模な救済活動を組織し、多くの地方で大規模な水利建設をおこなった。ことしの作柄は昨年よりもよく、夏の収穫は一般によさそうである。秋の収穫もよければ、来年の状態はことしよりもいくらかよくなるものと思われる。帝国主義と国民党反動派の長期にわたる支配は、社会経済の不正常な状態をつくり出し、膨大な失業者群を生んだ。革命が勝利してのち、ふるい社会経済構造の全般にわたってさまざまな程度の再編成がすすめられているため、失業者がさらにふえている。これは大きな問題であり、人民政府は段どりをおってこの問題を解決するために、失業者の救済と就業のための対策をとりはじめた。人民政府は広範な文化・教育活動をすすめており、すでに広範な知識分子や青年学生が新知識の学習に参加したり、革命活動に参加したりしている。人民政府は、工商業の合理的な調整、公私関係と労資関係の改善についていくらかの仕事をしたが、現在もひきつづきこの仕事に大きな力をいれている。
中国は国が大きく、状況がきわめて複雑で、革命はまず一部の地域で勝利し、そのあとで全国的な勝利をかちとったのである。こうしたところから、総じて旧解放区(人口ほぼ一億六干万)では、土地改革が完了し、社会秩序が安定し、経済建設が軌道にのりはじめ、大多数の勤労人民の生活が改善され、失業労働者と失業知識分子の問題もすでに解決されたか(東北)、あるいは解決に近づいている(華北および山東)。とくに東北地方では、もう計画的な経済建設がはじまっている。新解放区(人口ほぼ三億一千万)では、解放されてからまだ数ヵ月、半年、あるいは一年にしかならないので、まだ辺ぴな地方に散らばっている四十余万の匪賊を掃滅しなければならず、また、土地問題はまだ解決されておらず、工商業はまだ合理的に調整されておらず、失業現象がまだきわめて深刻で、社会の秩序もまだ安定していない。一言でいえば、計画的に経済建設をおこなう条件がまだととのってはいないのである。そこで、わたしは、つぎのように述べておいた。われわれがいま経済戦線でおさめた一連の勝利、たとえば、財政収支が均衡に近づき、通貨の膨脹がやみ、物価が安定にむかっていることなどは、財政・経済状態の好転しはじめたことをしめしているが、それはまだ根本的な好転ではない。財政・経済状態を根本的に好転させるためには、三つの条件が必要である。すなわち、(一)土地改革の完成、(二)既存の工商業の合理的な調整、(三)国家機構が必要とする経費の大幅な節減である。この三つの条件をかちとるのには、かなりの時間が必要であり、およそ三年、あるいはもうすこし多くの時間が必要であろう。全党および全国人民は、この三つの条件をつくり出すために奮闘努力しなければならない。わたしもみなさんも、これらの条件は確実に三年前後のあいだにつくり出せるものと信じている。そのころには、わが国の財政・経済状態全体の根本的な好転を目にすることができよう。
このためには、全党および全国人民は、一致団結して、次の仕事をなしとげなければならない。
(一)土地改革の仕事〔3〕を、段どりをおって、順序よくすすめていく。大陸では戦争が基本的におわり、一九四六年から一九四八年までの状況(人民解放軍が国民党反動派とのあいだに食うか食われるかの闘争をおこない、勝敗がまだきまってはいなかった)とはまったくちがっているので、国家は融資の方法で貧農の困難解決をたすけ、貧農の手にはいる土地がいくぶん少ないという欠陥をおぎなうことができる。そこで、富農にたいするわれわれの政策を改めるべきである。すなわち、農村の生産をすみやかに回復させるのに役立ち、また地主を孤立させ、中農を保護し、零細な土地貸付者を保護するのにも役立つよう、富農の余分の土地や財産を徴収する政策から、富農経済をのこしておく政策に改めるべきである。
(二)財政・経済工作の統一的管理と統一的指導をつよめ、財政収支の均衡と物価の安定を確保していく。この方針のもとで、税制を調整し、人民の負担を適宜に軽減する。統一的計画、全般的配慮の方針のもとで、経済の面における盲目性と無政府状態をしだいになくし、既存の工商業を合理的に調整し、公私関係と労資関係を有効適切に改善し、社会主義の性格をもつ国営経済の指導のもとで各種の社会経済要素に分業と協力をおこなわせ、それぞれにその役割をはたさせ、こうして社会経済全体の回復と発展をうながす。一部には、資本主義を早めに消滅し、社会主義を実行してもよい、と考えているものもいるが、このような考えはまちがっており、わが国の実情にあわない。
(三)台湾と西蔵の解放、国防の強化、反革命の鎮圧などのために十分な力が保障されるという前提のもとで、人民解放軍は、一九五〇年に、その主力を保持しながら、一部を復員させるべきである。この復員の仕事は慎重におこない、復員軍人が帰郷後おちついて生産にたずさわれるようにしなければならない。行政部門の編制がえも必要であるが、やはり編制がえによる剰員が仕事や学習の機会を得られるよう、適切に処理しなければならない。
(四)従来の学校教育事業と従来の社会文化事業にたいする改革の仕事を、段どりをおって、慎重におこない、すべての愛国的知識分子を獲得して人民に奉仕させるようにする。この問題では、ぐずぐずして、改革をしたがらない考え方は正しくないが、あまりにも性急に、乱暴なやり方で改革をしようとする考え方も正しくない。
(五)失業労働者と失業知識分子の救済活動に真剣にとりくみ、失業者が就職できるよう、段どりをおって援助しなければならない。被災者の救済活動にひきつづき真剣にとりくまなければならない。
(六)各界の民主人士と誠実に団結して、その仕事の問題や学習の問題の解決をたすけてやり、統一戦線活動のなかにある閉鎖主義の傾向と妥協主義の傾向を克服しなければならない。各界の人民を結集してともに活動していけるような各界人民代表会議②を成功させるよう、真剣にとりくまなければならない。人民政府のすべての重要な問題は、人民代表会議の討議にかけて決定すべきである。人民代表会議に出席する代表たちには十分な発言権をあたえるべきで、人民代表の発言をおさえつけるような行動はすべて誤りである。
(七)人民に危害をあたえるすべての匪賊、時務、極悪ボスおよびその他の反革命分子は、断固として粛清しなければならない。この問題では、鎮圧と寛大を結びつけた政策、すなわち、首謀者はかならず処罰し、強迫されて従ったものは追及せず、手柄をたてたものには賞をあたえるという政策を実行すべきで、どちらか一方にかたよってはならない。全党および全国人民は、反革命分子の陰謀活動にたいして警戒心をたかめなければならない。
(八)党組織の強化、拡大についての中央の指示、党と人民大衆の結びつきの強化についての中央の指示、批判と自己批判をすすめることについての中央の指示、全党の整風についての中央の指示を、断固として実行する。わが党はすでに四百五十万人にまで拡大しているため、今後、党組織の拡大は慎重におこなう方針をとらなければならず、投機分子が党にはいるのを断固として防ぎ、投機分子を適切な方法で党から一掃しなければならない。自覚した労働者を段どりをおって党に吸収し、党組織における労働者の構成比を拡大するように心がけなければならない。旧解放区では、一般に農村で党員を吸収するのを停止しなければならない。新解放区では、土地改革がおわるまでは、投機分子が機に乗じて党内にもぐりこむのを防ぐため、一般に農村での党組織の拡大をやめるべきである。全党は、一九五〇年の夏、秋、冬の三つの時期に、さまざまな活動任務と切りはなさず、これと密接に結びつけるという条件のもとで、大規模な整風運動をおこなうべきである。われわれは、いくつかの指定文献を読む、活動を総括する、情勢を分析する、批判と自己批判を展開するなどの方法で、幹部および一般党員の思想水準と政治水準をたかめ、活動のなかで犯した誤りを克服し、功労者気どりのおごり高ぶった気持ちを克服し、官僚主義と命令主義を克服し、党と人民との関係を改善しなければならない。
〔1〕 一九五〇年二月十四日に調印された中ソ友好同盟相互援助条約をさす。
〔2〕 中央人民政府が一九五〇年に発行した人民勝利実物換算公債をさす。
〔3〕 全国の新たに解放された地区では、一九五〇年の冬から、つぎつぎに大規模な土地改革運動がくりひろげられ、一九五二年の冬までに、一部の少数民族地域を除いて、ほぼ土地改革が完了した。全国の新、旧解放区には、土地のない農民と、土地を少ししかもっていない農民がおよそ三億いたが、かれらには約七億畝の土地が分配された。
① 一畝は六・六六七アール。
② 一九四九年の『中国人民政治協商会議共同綱領』の規定によると、普通選挙による地方各級人民代表大会が成立するまでは、各界人民代表会議を招集して、それに人民代表大会の権限を逐次代行させることになっていた。
(一九五○年六月六日)
これは、毛沢東同志が中国共産党第七期中央委員会第三回総会でおこなった講話の一部である。講話のこの部分は、『国家の財政・経済状態の基本的好転のためにたたかおう』という書面報告についてのべ、報告の戦略戦術思想を説明したものである。
第七期中央委員会第二回総会いらい、わが党の指導する新民主主義革命は全国的範囲で勝利をおさめ、中華人民共和国が成立した。これは、偉大な勝利であり、中国にとって歴史上未曾有の大勝利であり、十月革命につづく世界的意義をもつ大勝利でもある。スターリン同志と外国の多くの同志は、中国革命の勝利をきわめて偉大なものであると思っている。ところが、われわれの多くの同志は、この闘争のなかでそれに慣れてしまって、かえってそのようには思わなくなっている。中国革命の勝利の偉大な意義について、われわれは、党内と大衆のあいだでなお広く宣伝しなければならない。
偉大な勝利をおさめた情勢のもとで、われわれのまえには、まだひじょうに複雑な闘争があり、まだ多くの困難が横たわっている。
われわれは、北方におけるほぼ一億六千万の人口を擁する地域ですでに土地改革を完了したが、この偉大な成果を確認すべきである。われわれの解放戦争は、おもにこれら一億六千万の人民に依拠して勝利したのである。土地改革という勝利があったからこそ、蒋介石を打倒する勝利がかちとられたのである。ことしの秋、われわれは、ほぼ三億一千万の人口を擁するかくも広大な地域で土地改革に着手し、全地主階級をくつがえすことになっている。土地改革にあたって、われわれの敵はまことに多く、かつ大きい。第一に、帝国主義がわれわれに反対し、第ニに、台湾、西蔵の反動派がわれわれに反対し、第三に、国民党の残党、特務、匪賊がわれわれに反対し、第四に、地主階級がわれわれに反対し、第五に、帝国主義がわが国で設立したミッション・スクールと宗教界のなかの反動勢力、およびわれわれが接収した国民党の文化・教育機構のなかの反動勢力が、われわれに反対する。かれらは、みなわれわれの敵である。われわれは、これらの敵とたたかって、これまでよりもはるかに広大な地域で土地改革を完成しなければならない。この閥鯖はひじょうに激しいものであり、歴史上かつてないものである。
同時に、革命の勝利は、社会経済の再編成をひきおこしている。こうした再編成は必要なものであるが、しかし一時的にはわれわれにかなり重い負担としてのしかかってくる。社会経済の再編成と戦争による工商業のある程度の破壊から、多くの人がわれわれに不満をいだいている。いま、われわれと民族ブルジョア階級との関係はかなり緊張しており、かれらは終日戦々恐々、大いに不満をいだいている。失業している知識分子と労働者が、われわれに不満を感じているし、それにかなりの小手工業者もわれわれに不満を感じている。大部分の農村では、まだ土地改革を実施しておらず、それに現物農業税をとりたてるので、農民からも文句がでている。
われわれの当面の全般的な方針はなにか。それは、国民党の残党、特務、匪賊を一掃し、地主階級をくつがえし、台湾、西蔵を解放し、あくまで帝国主義とたたかいぬくことである。当面の敵を孤立させ、かれらに打撃をあたえるためには、人民のうちのわれわれに不満を感じている人を、われわれを支持するように変えていかなければならない。この問題はいまのところ困難ではあるが、ぜひともいろいろの方法を講じて解決しなければならない。
われわれは、工商業を合理的に調整し、工場の操業を開始させ、失業問題を解決するとともに、食糧二十億斤①を失業労働者の生活問題の解決にふりむけ、失業労働者がわれわれを支持するようにしなければならない。われわれが小作料と利子の引き下げ、匪賊討伐・極悪ボス一掃、土地改革を実施すれば、広範な農民はわれわれを支持するようになるだろう。小手工業者にも、生活を維持していけるよう活路をあたえなければならない。民族ブルジョア階級にたいしては、工商業の合理的な調整、税制の調整によって、関係の改善をはかり、関係をあまり緊張させてはいけない。知識分子にたいしては、各種の訓練班をつくり、軍事政治大学や革命大学を開設し、かれらを使用すると同時に、教育し改造しなければならない。かれらに社会発展史、史的唯物論などいくつかの課目を学ばせなければならない。たとえ観念論者でもわれわれに反対しないようにさせる方法がある。かれらは神が人間を創造したと言うが、われわれは猿から人間になったのだと言う。知識分子のなかで年をとり、七十何歳にもなったような人にたいしては、党と人民政府を支持するかぎり、かれらを養うようにする。
全党は、統一戦線工作にしんけん、かつ慎重にとりくまなければならない。労働者階級の指導のもとに、労農同盟を基礎にして、小ブルジョア階級、民族ブルジョア階級をわれわれの側に結集しなければならない。民族ブルジョア階級は将来消滅されるべきものであるが、現在はわれわれの側に結集すべきであって、突き放してはいけない。われわれは、一方ではかれらと闘争し、他方ではかれらと団結しなければならない。幹部にこの道理をはっきりと説明し、また、民族ブルジョア階級、民主政党、民主人土、知識分子をわれわれの側に結集することが正しく、必要であることを、事実をもって立証すべきである。これらの人たちのなかの多くの者は、かつてはわれわれの敵であったが、いまでは敵側から分化してわれわれの側にきたのである。こういった、多少とも団結の可能性のある人とも、われわれは団結していかなければならない。かれらをわれわれの側に結集することは、勤労人民にとって有利である。われわれは現在この戦術をとる必要がある。
少数民族と団結することは、ひじょうに重要なことである。全国には少数民族が約三千万いる。少数民族地域の社会改革は、きわめて重要な問題であり、慎重に対処しなければならない。どんなことがあってもあせってはならない。あせると問題が生じる。条件が熟すまでは、改革をおこなってはならない。条件の一つが熟しても、その他の条件が熟さなければ、やはり大きな改革をおこなってはならない。これは、改革するなというのではもちろんない。共同綱領の規定によれば、少数民族地域の風俗習慣を改革してもよいことになっている。しかし、こうした改革はかならず少数民族みずからの手でおこなうべきである。大衆的条件がなく、人民の武装力がなく、少数民族自身の幹部がいないばあいは、大衆性をもついかなる改革活動をもおこなうべきではない。かならず、少数民族自身の幹部の養成を援助し、少数民族の広範な大衆と団結しなければならない。
要するに、われわれは四方に出撃してはならない。四方に出撃すれば、全国が緊迫するので、ひじょうによくない。われわれはけっして、敵を多くつくるようなことをしてはならす、一方にたいしてはいくらか譲歩し、関係を緩和させ、もう一方への攻撃に力を集中すべきである。りっぱに活動をすすめて、労働者、農民、小手工業者がこぞってわれわれを支持し、民族ブルジョア階級と知識分子の圧倒的多数がわれわれに反対しないようにしていかなければならない。こうすれば、国民党の残党、特務、匪賊は孤立し、地主階級は孤立し、台湾、西蔵の反動派は孤立し、帝国主義はわが国の人民のあいだで孤立する。われわれの政策とはこのようなものであり、われわれの戦略戦術とはこのようなものであり、三中総の路線とはこのようなものである。
① 一斤は五〇〇グラム。
(一九五○年六月二十三日)
これは、毛沢東同志が中国人民政治協商会議第一期全国委員会第二回会議でのべた閉会のことばである。
今回の会議では、これまでの時期の経験を総括し、諸般の方針を決定した。
この経験の総括と方針の決定という仕事は、われわれがみんなでおこなったのであり、各民族、各民主階級、各民主政党、各人民団体および各界の民主人士の代表者が一堂に集まって、みんなでおこなったのである。この会議には、中国人民政治協商会議全国委員会の委員が出席しているだけでなく、中央人民政府、各大行政区の人民政府(軍政委員会)〔1〕および各省・市の人民政府の数多くの要員、また、各省・市の各界人民代表会議協商委員会①の代表、さらには、特別招請をうけた数多くの愛国人士も列席して、討議に参加している。このため、われわれはひろく意見をあつめて、これまでの仕事を点検し、今後の方針を決定することができた。今後もひきつづきこうした方法がとられるよう希望する。また、各大行政区の人民政府(軍政委員会)や各省・市の人民政府でも、こうした方法がとられるよう希望する。われわれの会議の性格は、いまのところまだ建議をするだけのものである。だが、実際には、われわれがこの会議でおこなった決定は、中央人民政府が当然うけいれて実行するであろうし、また、うけいれて実行すべきである。
われわれは、全国委員会の活動報告と中央人民政府の各分野の活動報告に、一致して賛成した。そのなかには、土地改革、政治、軍事、経済・財政、税務、文化・教育、司法などの活動報告があるが、みなりっぱな報告であった。これらの報告は、これまでの活動の経験を適切に総括し、今後の活動方針を定めている。われわれの今回の会議がこのように議題が多かったのは、われわれの新しい国家が成立してから、各分野の活動が始まり、発展しつつあるからである。全国人民はいま各戦線で真の人民革命の偉大な闘争をすさまじい勢いでくりひろげており、軍事戦線、経済戦線、思想戦線、土地改革戦線のいずれにおいても史上にかつてみない、きわめて偉大な闘争をすすめているが、これらの活動はみな総括しなければならず、方針をうち出さなければならない。だから、今回の会議は、このように議題が多かったのである。法律の規定によると、われわれの会議は年に二度ひらくことになっているが、そのうち一度は議題の多い会議となり、他の一度は議題のわりあい少ない会議となるであろう。中国は大きな国で、実際の人口は四億七千五百万をこえており、そのうえ人民革命の偉大な歴史的時期におかれている。こうした状況がわれわれにそうするよう要求しているのであり、われわれも実際にそうしたのである。われわれのやり方は正しかった、とわたしは思う。
われわれの今回の会議は議題が多かったが、中心の議題は、旧い土地制度を改革する問題であった。みなさんは、中国共産党中央の提出した土地改革法草案〔2〕に賛成し、その草案に若干の有益な修正と補充をおこなった。これはたいへんよいことである。新中国の数億にのぼる農村の人民が解放の機会を獲得し、国家が工業化の基本的条件を獲得したことにたいし、わたしは喜びと祝意を表明する。中国の人口のおもな部分は農民であって、革命は農民の援助に依拠してはじめて勝利をおさめたのであり、国の工業化も農民の援助に依拠してはじめて成功するのである。したがって、労働者階級は農民の土地改革を積極的に助けるべきであり、都市の小ブルジョア階級と民族ブルジョア階級もこの改革を支持すべきであり、各民主政党や各人民団体はなおさらそういう態度をとるべきである。戦争と土地改革は、新民主主義の歴史的時期に全中国のすべての人びと、すべての政党をためす二つの「関所」である。どんな人でも革命的人民の側に立つなら、その人は革命派であり、どんな人でも帝国主義、封建主義、官僚資本主義の側に立つなら、その一人は反革命派である。どんな人でも口先だけ革命的人民の側に立ち、行動のうえではまったくちがっているなら、その人は口先だけの革命派であり、もしも口先ばかりでなど、行動のうえでも革命的人民の側に立つなら、その人は徹底した革命派である。戦争の関所はだいたい越したし、われわれみんながみごとにこの関所を越したので、全国人民は満足に思っている。これからは土地改革の関所を越さなければならないが、戦争のばあいと同様、われわれみんながりっぱに越していけるよう希望する。みんなでよく研究し、よく相談し、納得し、歩調をそろえて、偉大な反封建統一戦線をつくりあげれば、人民を指導し、人民を助けて、首尾よくこの関所を越すことができる。戦争の関所と土地改革の関所さえ越せば、いま一つの関所は容易に越せるであろう。それは社会主義の関所、つまり全国的な範囲で社会主義的改造をおこなうという関所である。革命戦争と革命的な土地制度改革に貢献し、これからの多年にわたる経済建設と文化建設に貢献しさえすれば、将来、私営工業の国有化と農業の社会化がおこなわれるときになっても(それはまだ遠い将来のことである)、人民はその人たちを忘れるようなことはなく、その人たちの前途は明るいであろう。わが国はこのように着実に前進するのである。つまり戦争を経過し、新民主主義の改革を経過して、将来、国家の経済事業と文化事業が大いに繁栄し、さまざまな条件がそなわり、全国の人民が納得し、みんなが賛成したあかつきには、悠々と、適切なやり方で社会主義の新しい時期にはいることができるのである。わたしは、この点をはっきりさせておく必要があると思う。そうすれば、人びとは自信をもつようになり、迷ったり、心配したりしないですむ――自分はいつ見捨てられるのかわからない、そのときには、人民につくしたいと思っても、もはやその機会がないのではないか、と。いや、決してそんなふうにはならない。どんな人でも、人民のためにほんとうに力をつくし、人民がまだ困難なときに確かに手をかし、役に立つ事をし、しかも、中途でやめずに、一貫してやり通すのであれば、人民と人民の政府は、その人を見捨てる道理はないし、その人に暮らしをたてる機会と力をつくす機会をあたえないという道理はない。
この遠大な目標をめざして、われわれは、国外では、ソ連、人民民主主義諸国および全世界のすべての平和・民主勢力としっかり団結しなければならず、この点でいささかのためらいや動揺もあってはならない。国内では、われわれは、各民族、各民主階級、各民主政党、各人民団体およびすべての愛国民主人士と団結しなければならず、われわれのこのすでにうちたてるれた、偉大な、威信のある革命的統一戦線を強固にしていかなければならない。どんな人でも、この革命的統一戦線を強固にする仕事になんらかの貢献をすれば、われわれはその人を歓迎する。その人は正しいのである。どんな人でも、この革命的統一戦線を強固にする仕事になんらかの損害をあたえれば、われわれはその人に反対する。その人は誤っているのである。革命的統一戦線を強固にする目的をとげるためには、批判と自己批判の方法をとらなければならない。この方法を運用するさいの基準は、主として、われわれの現在の根本法、すなわち共同綱領である。われわれは、今回の会議では、共同綱領にもとづいて批判と自己批判の方法をとった。これはたいへんよい方法で、人びとに真理を堅持し、誤りをただすのをうながすたいへんよい方法であり、人民の国ですべての革命的人民が自己教育と自己改造をおこなう唯一の正しい方法である。人民民主主義独裁には二つの方法がある。敵にたいしては独裁の方法をとる。つまり、必要な期間、かれらを政治活動に参加させず、かれらを人民政府の法律にしたがうよう強制し、労働するよう強制するとともに、労働をつうじて新しい人間に改造するのである。人民にたいしては逆で、強制の方法はとらず、民主の方法をとる。つまり、かれらを政治活動に参加させるべきで、ああしろ、こうしろと強制するのではなく、民主の方法によって、かれらにたいし教育と説得をおこなうのである。こうした教育活動は、人民内部の自己教育の活動であり、批判と自己批判の方法こそ自己教育の基本的な方法である。全国の各民族、各民主階級、各民主政党、各人民団体およびすべての愛国民主人士がみなこの方法をとるよう希望する。
〔1〕 当時は、全国を東北、華北、華東、中南、西南、西北の六大行政区にわけていた。各大行政区には、中国共産党中央の代表機関である中央局が設けられた。華北以外の五つの大行政区には、いずれも大行政区の行政機構が設けられ、東北は人民政府と称し、華東、中南、西南、西北は軍政委員会と称した。一九五二年十一月、各大行政区の行政機構は一律に行政委員会と改称し、華北にも行政委員会がつくられた。一九五四年、各大行政区の行政委員会は撤廃された。
〔2〕 一九五〇年六月十四日、中国共産党中央が中国人民政治協商会議第一期全国委員会第二回会議の討議にかけた『中華人民共和国土地改革法草案』をさす。この草案は、この会議で討議され、同意を得たのち「さらに中央人民政府委員会で可決された。『中華人民共和国土地改革法』は、同年六月三十日、中央人民政府の毛沢東主席によって公布され、施行にうつされた。
① 省・市谷界人民代表会議協商委員会は、省・市の各界人民代表会議で選出される。その権限は、各界人民代表会議の休会中、人民政府を助けて各界人民代表会議の決議を実行することにある。
(一九五〇年九月二十五日)
これは、毛沢東同志が中国共産党中央を代表して、全国戦闘英雄代表者会議と全国労農兵労働模範代表者会議でのべたあいさつである。
全国戦闘英雄代表者会議と全国労農兵労働模範代表者会議の代表諸君!
中国共産党中央は、諸君の会議に心からの祝意をのべるとともに、諸君の活動にたいして感謝と敬意を表する。
諸君は、敵を殲滅するたたかいにおいても、工農業生産を回復し発展させるたたかいにおいても、数かずのきびしい困難にうち勝ち、まれにみる勇気と知恵と積極性をしめした。諸君は、全中華民族の模範であり、各分野の人民の事業を勝利のうちに推進する中堅であり、人民政府の頼りになる支柱であり、人民政府が広範な大衆と結びつくかけ橋である。
中国共産党中央委員会は、諸君に学ぶことを全党員と全国人民によびかける。同時にまた、諸君――親愛な全代表諸君と全国のすべての戦闘英雄、労働模範の同志諸君にも、ひきつづき戦闘のなかで学び、広範な人民大衆に学ぶことをよびかける。けっしておごり高ぶったり、うぬぼれたりせず、たゆみない学習をつづけてこそ、偉大な中華人民共和国のためにひきつづきすぐれた貢献をすることができ、またこうしてこそ、諸君の栄えある称号をひきつづき保持していくことができるのである。
中国は強大な国防軍をうちたてなければならず、強大な経済力をきずきあげなければならない。これは、二つの大事業である。この二つの事業は、いずれも、同志諸君が人民解放軍の全指揮員・戦闘員、全国の労働者、農民およびその他の人民とともに、一致団結、協同努力してはじめて、その目的を達することができる。中華人民共和国の建国後はじめての国慶記念日をまぢかにひかえて、諸君がここで会議をひらいたのは、きわめて意義ぶかいことである。われわれは、諸君の会議が成功をおさめるよう期待し、諸君が今後の活動のなかで偉大な勝利をかちとるよう希望する。
(一九五〇年十月八日)
これは、毛沢東同志が中国人民志願軍にあたえた命令の抄録である。
中国人民志願軍各級指導者の同志諸君
(一)朝鮮人民の解放戦争を援助し、アメリカ帝国主義とその手先どもの進攻に反撃し、それによって朝鮮人民、中国人民および東方諸国人民の利益をまもるため、ここに中国人民志願軍にたいし、すみやかに朝鮮領内に出動し、朝鮮の同志と協力して侵略者と戦い、栄えある勝利をかちとるよう命令する。
(二)わが中国人民志願軍は朝鮮領内にはいったのち、朝鮮人民、朝鮮人民軍、朝鮮民主政府、朝鮮労働党、その他の民主政党および朝鮮人民の指導者金日成同志にたいして、友情をよせ、敬意をはらい、軍事規律と政治規律を厳守しなければならない。これは、軍事的任務の完遂を保証するきわめて重要な政治的基礎である。
(三)さまざまな困難にぶつかるであろうし、またぶつかるにちがいないということを十分に予想し、あふれるばかりの熱情と勇気、細心の注意と堅忍不抜の精神をもってこれらの困難を克服する用意がなければならない。当面の国際情勢と国内情勢全般は、われわれに有利で、侵略者に不利である。同志諸君が断固とした勇敢な態度で、現地の人民とよく団結し、侵略者とよく戦うかぎり、最後の勝利はわれわれのものである。
中国人民革命軍事委員会主席 毛沢東
一九五〇年十月八日 北京にて
(一九五一年一月十九日)
これは、毛沢東同志が中国人民志願軍にあたえた指示である。
中朝両国の同志は、兄弟のようにかたく団結して、苦楽をわかちあい、生死をともにし、共通の敵にうち勝つために最後まで奮闘すべきである。中国の同志は朝鮮の事をわが事のように見なすべきで、国内で物を見、事をはこぶのと同様、朝鮮の一山一水一草一木を愛護し、朝鮮人民のものは針一本、糸一すじも取らないよう、指揮員と戦闘員を教育しなければならない。これが、勝利をかちとる政治的基礎である。われわれがこのようにやりさえすれば、最後の勝利はかならずかちとれるであろう。
(一九五一年二月十八日)
これは、毛沢東同志が中国共産党中央のために起草した党内通達である。
二月中旬、党中央は、各中央局員任者の参加する政治局会議をひらき、諸般の重要問題について討議した。ここに、決議の要点を次のとおり通達する。
「準備三年、計画的な経済建設十年」という考え方を、省・市クラス以上の幹部に徹底させるべきである。いまのところ、準備期間はまだ二十ニヵ月あるが、各方面でその仕事に力をいれなくてはならない。
全国的な範囲でひきつづきこの運動をすすめなくてはならない。すでに推進中のところではその強化につとめ、まだ推進していないところではその普及をはかり、全国各地で一人のこらずこの教育をうけるようにしなくてはならない。
1、農繁期には、一律に停止して、経験を総括する。
2、今年度の豊作をかちとる。
3、県の農民代表者会議と講習会に依拠する。
4、積極的に条件をつくりだす。条件がまだそなわっていないばあいには、いついかなるところでも無理押ししてはならない。
5、土地改革をやり終えたら、ただちに生産と教育の二大活動に移る。
6、敷金①を分割返済させるという華東地方のやり方に同意する。
7、不法な拷問はやらないほうが有利である、と農民に勧告する。
8、土地改革後は、区と郷の数をふやし、その行政範囲を縮小する。
1、死刑に処するばあいは、一般に、大衆の同意を得なくてはならす、民主人士にも関与させなくてはならない。
2、厳格に規制し、むちゃなやり方、まちがったやり方をしてはいけない。
3、「中層」〔1〕に注意をはらい、留用人員と新採用の知識分子のなかにひそむ反革命分子を慎重に粛清する。
4、「内層」に注意をはらい、党内にもぐりこんでいる反革命分子を慎重に粛清し、機密保持に万全を期する。
5、なお、幹部に教育をほどこすとともに、幹部を支持しなくてはならない。
1、中央局、分局、省・市・区党委員会は、それぞれ、ことしじゅうに都市工作会議を二回ひらかなくてはならない。議題は党中央の通達したとおりとし、これをテーマとする報告を、二回、中央に提出する。
2、都市工作にたいする党委員会の指導をつよめ、七期二中総の決議を実行する。
3、幹部に教育をほどこして、労働者階級に依拠する考え方をはっきりさせる。
4、工場では、生産計画の達成を中心に据えて、党組織、管理部門、労働組合、青年団の工作にたいする党の統一指導を実行する。
5、増産をふまえて、労働者の生活を逐次改善するよう努力する。
6、都市建設の計画では、生産のため、労働者のため、という観点をつらぬくべきである。
7、全国総工会と上級の各労働組合は、下部組織の具体的問題の解決に重点をおくべきである。
8、党委員会と労働組合は、典型例の創造に力をいれ、これをすみやかに各地へ普及させるべきである。
1、わが党は偉大な、光栄ある、正しい党である――これが主要な面である。このことを確認するとともに、各クラスの幹部にはっきり説明しておかなくてはならない。しかし、問題は存在するので、整頓しなくてはならず、新解放区の党建設には慎重な態度でのぞまなくてはならない。この面についても、はっきり説明しておく必要がある。
2、整党と党建設は、ともに党中央と各中央局のきびしい統制のもとにおこなうべきで、下部組織が勝手な行動をとってはならない。
3、離党は三年間でやり終えるべきである。その段どりはつぎのとおり――すなわち、一年の時間(一九五一年)をかけて、共産党員たるものはどうあるべきかについての教育を普遍的におこない、それによってすべての党員に共産党員としての基準をはっきりわきまえさせるとともに、また、組織担当の活動家を養成する。同時に、典型づくりをすすめる。そのあと、この経験にもとづいて整党をおこなうのであるが、都市では一九五一年にはじめてもよい。整党にあたっては、まず「第四部類の人」〔2〕を除名する。そのあと「第二部類の人」と「第三部類の人」とを区別し、そのうち教育したあとも確かに党員としての条件にあわない者には、離党を勧告する。ただし、これらの者もかならず自由意思で離党するようにさせ、その感情を害してはならず、一九四八年のような「重石を取りのぞく」〔3〕やり方をくりかえしてはならない。
4、都市と新解放区での党建設は、慎重にすすめる方針をとるべきである。都市では、産業労働者のなかで党組織をつくることに重点をおく。農村では、土地改革を終えてから、教育の結果、党員の条件をそなえるようになった者を入党させ、党の支部をつくらせるべきである。最初の二年間、農村党支部の人数は一般に十人をこえてはならない。都市、農村をとわず、党の教育をうけいれる意思のある積極分子にたいしては、共産党員たる者はどうあるべきかについての教育をおこない、この教育のあと、確かに党員としての条件にあう者を入党させるべきである。
1、中央局、分局、省・中・区党委員会は、それぞれ一九五一年に二回、会議を開いて、統一戦線工作を討議し、これをテーマとする報告を、二回、党中央に提出してもらいたい。
2、統一戦線工作をなぜ強化しなくてはならないのか、その理由を幹部にはっきり説明すべきである。
3、知識分子、工商業者、宗教家、民主政党、民主人士については、反帝・反封建を基礎としてかれらを結集し、かれらに教育をほどこさなくてはならない。
4、各少数民族のなかでしんけんに仕事をする。区域自治を実行することと、少数民族自身の幹部を養成することは、二つの中心任務である。
年に一度、冬季に整風をおこなう。期間は短くすべきである。その任務は仕事を点検し、仕事の経験を総括して、成績をのはし、欠点や誤りをただし、それによって幹部を教育することである。
〔1〕 反革命鎮圧の仕事は、外層、中層、内層の三つにわけられる。「外層」の粛清とは社会のなかにひそみかくれている反革命分子の粛清、「中層」の粛清とはわが軍事機関や政府機関内部にもぐりこんでいる反革命分子の粛清、「内層」の粛清とはわが党内にもぐりこんでいる反革命分子の粛清をそれぞれさす。
〔2〕 一九五一年の整党のときは、党員を四つの部類にわけた。つまり、一、党員としての条件がそなわっている者、二、党員としての条件が完全にはそなわっていないか、またはかなりひどい欠点をもっていて、思想を改造し、自覚を高める必要のある者、三、党員としての条件がそなわっていない消極的な渚後分子、四、党内にもぐりこんだ階級的異分子、裏切り者、投機分子、堕落変質分子など。
〔3〕 「重石を取りのぞく」というのは、一九四八年、解放区の土地改革と整党のさいに、劉少奇が提起したものである。広範な農村幹部は農民をおさえつける「重石」であると中傷して、これらの幹部を解任、除名しようとした。
① 解放前、農民が地主から土地を借りるばあい、かなりの額の敷金を前払いして借地権をえた。そこで、土地改革のとき、農民は地主に敷金を返すよう要求した。これを敷金の返済という。そのさい、工商業を兼営している地主や、敷金を一度に返済する力のないその他の地主には、敷金を分割して返すのを認めた。
(一九五一年五月)
これは、毛沢東同志が第三回全国公安会議の決議案を修正したさいに書きくわえた数項目の指示である。
(一)現在、全国ですすめるれている反革命鎮圧運動は、偉大な、激烈な、複雑な闘争である。全国各地ですでに実施して効果をあげている活動の路線は、党の大衆路線である。つまり、党委員会が指導すること、全党を動員し、大衆を動員すること、各民主政党と各界の人士を参加させること、統一的な計画をたて、統一的な行動をとること、逮捕者と処刑者のりストを厳密に審査すること、それぞれの時期の闘争の戦術に注意をはらうこと、宣伝教育活動を広範におこなうこと(各種の代表者会議、幹部会議、座談会、大衆集会をひらいて、その場で被害者の訴えを聞き、証拠物件を展示し、映画、スライド、出し物、新聞、パンフレット、ビラなどをつかって、各人、各家庭がみなわかるように宣伝する)、閉鎖主義や神秘主義をうち破ること、軽率に事をはこぶ傾向に断固として反対することなどである。およそ、完全にこの路線にしたがえば、それは完全に正しい。およそ、この路線にしたがわなければ、それはまちがっている。およそ、この路線に大体のところしたがうが、完全にはしたがわないとすれば、それは大体のところ正しいが、完全には正しいといえない。われわれの見るところ、この活動の路線は、反革命鎮圧活動をひきつづきふかめていき、その完全な勝利をかちとるうえでの保証である。これからの反革命鎮圧活動では、この路線を完全に遵守しなければならない。そのうちで、もっとも重要なのは、逮捕者と処刑者のリストを厳密に審査すること、宣伝教育を広範にすすめることである。この二つの点をやりとげれは、誤りを犯さないですむ。
(二)反革命分子の処刑数は、一定の比率のわく内におさえなければならない。その原則はつぎのとおりである。つまり、殺人またはその他のもっとも重大な罪があり、処刑しなければ人民の憤りをしずめることのできない者、および国家の利益にもっとも重大な損害をあたえた者にたいしては、断固として死刑の判決をくだし、ただちに執行しなければならない。しかし、その罪が死刑に該当する者のうち、人を殺害したことがなく、人民の憤りもはげしくなく、また、国家の利益に重大な損害をあたえはしたが、もっとも重大な程度には達していない者にたいしては、死刑、ただし執行延期二年という判決をくだし、延期期間に労働を科して、その態度をみるという政策をとるべきである。このほか、なお、はっきりと次のように規定すべきである。およそ逮捕してもしなくてもよいその中間にある者は、けっして逮捕してはならず、もしも逮捕すれば誤りである。およそ処刑してもしなくてもよいその中間にある者は、けっして処刑してはならず、もしも処刑すれば誤りである。
(三)反革命鎮圧運動の高まりのなかで「左」の偏向がおこるのを防ぐため、これまで処刑者のひじょうに少なかったところもふくめ、全国のあらゆる地方において、六月一日以降、逮捕の承認権を一律に地区委員会、専署段階に回収し、処刑の承認権を一律に省段階に回収する。また、省都から遠いところでは、省段階の機関が代表を派遣して処理する。いかなる地方も、この決定の変更を要求してはならない。
(四)「中層」と「内層」の反革命分子については、いまから計画的に審査・粛清をはじめなければならない。中央の指示にしたがって、ことしの夏と秋の両季に整風の方法をとり、留用人員と新採用の知識分子にたいして初歩的な審査をまんべんなくおこなうよう、決定する。その目的は、状況をはっきりさせることと、若干のもっともきわだった問題を処理することである。その方法は、反革命鎮圧にかんする文書を学習し、留用人員と新採用の知識分子のうち、問題のある者(すべてではない)によびかけて、誠実な態度で個人の経歴をはっきりのべさせ、隠している問題を告白させることである。この告白運動は、指導的幹部が責任をもって主宰し、自由意思の原則によるべきで、強制的な方法をとってはならない。どの部門でも所要時間を短くすべきで、ひきのばしてはならない。その戦術は、多数を獲得し、少数を孤立させて、冬季のいっそう徹底した審査にそなえることである。中枢機関、公安機関その他の肝要な部門では、真っ先に審査をおこなわなければならず、そのなかで、運動の推進に役立つ経験を積むようにする。政府諸部門や学校、工場でこのような審査をすすめるときは、この審査にあたる委員会にかならず党外の人士を参加させ、共産党員が単独でおこなうのを避けるべきである。
(五)今回の反革命鎮圧の偉大な闘争では、大衆性のある治安防衛委員会を全国各地のいたるところに組織すべきである。この委員会は、農村では郷、都市では機関、学校、工場、居住区を単位として、人民がこれを選出する。委員の数は、少なくて三人、多くて十一人とし、信頼しうる党外の愛国者をかならず参加させて、統一戦線の治安防衛組織とすべきである。この委員会は、基層の政府と公安機関の指導のもとに、人民政府に協力して反革命の粛清、防奸と防諜、国家の防衛、公共の治安についての責任を負う。悪人がすきに乗じてもぐりこむのを防ぐため、この委員会は、農村では土地改革の完了後、都市では反革命鎮圧活動の展開されたあと、上からの指導のもとで組織されるべきである。
(一九五○年十二月~一九五一年九月)
これは、毛沢東同志が中国共産党中央のために起草した反革命鎮圧運動についての重要指示の一部である。
反革命分子の鎮圧にあたっては、着実に、的確に、容赦なくたたくよう、心がけてほしい。
(一九五○年十二月十九日)
湖南省西部の二十一県では、すでに匪賊の頭目、極悪ボス、特務分子などの一部を死刑に処したが、ことしも地方当局がさらに一部の者を処刑することになっている。この処置はきわめて必要だと思う。こうしてこそ、敵の気勢をくじき、人民の士気を大いに高めることができる。もしもわれわれが優柔不断で、悪人をのさばらせておくなら、人民に災いをのこし、大衆から浮きあがってしまう。
着実にたたくとは、戦術に注意することである。的確にたたくとは、まちがって処刑しないことである。容赦なくたたくとは、処刑すべきすべての反動分子を断固として処刑することである(殺すべきでない者は、もちろん殺さない)。われわれがまちがって処刑するようなことをしないかぎり、ブルジョア階級がさわぎたてても、それを恐れることはない。
(一九五一年一月十七日)
山東省の一部の地方には意気ごみの足りない傾向があり、一部の地方には軽率に事をはこぶ傾向がある。これは全国のどの省や市にも総じてみられる二つの傾向で、いずれも是正するよう心がけるべきである。とりわけ、軽率に事をはこぶ傾向は、もっとも危険である。なぜならば、意気ごみが足りなくても、教育と説得をおこなえば、意気ごみは高まるものであって、反革命分子を殺すのが数日はやかろうと、数日おそかろうと、大した違いはない。だが、軽率に事をはこび、まちがって逮捕したり、まちがって処刑したりすると、その影響はひじょうに悪い。諸君は、反革命鎮圧の活動をきびしい統制のもとですすめ、ぜひとも、慎重に事をはこぶようにし、軽率に事をはこぶすべての傾向を是正してもらいたい。われわれはかならずすべての反革命分子を鎮圧しなければならないが、決してまちがって逮捕したり、まちがって処刑したりしてはならない。(一九五一年三月二十日)
中央はつぎのように決定した――共産党の内部、人民解放軍の内部、人民政府諸部門の内部、教育界、工商業界、宗教界、各民主政党と各人民団体の内部で摘発された反革命分子については、その罪が死刑に処するほど重くない者は、有期または無期の懲役、あるいは管制・監視の処分に付するが、およそ死刑に処すべき者は、人を殺害した者、大衆のうらみを買うその他の重大な罪、たとえば多くの婦人を強姦した者、あるいは多くの財産を略奪した者、および国家の利益にもっとも重大な損害をあたえた者にたいしてのみ刑を執行することとし、そのほかはすべて死刑、ただし執行延期二年という判決をくだし、延期期間に労働を科して、その態度をみるという政策をとる。こうした政策は慎重な政策で、誤りを犯すのを避けることができる。こうした政策は、社会の広範な人びとの共鳴をよぶことができる。こうした政策は、反革命勢力を分化させ、反革命分子を絶滅するのに有利である。こうした政策は、また、多くの労働力をのこしておくことができ、国家の建設事業にとっても有利である。したがって、これは正しい政策である。共産党、政府、軍隊、教育界、工商業界、人民団体などで摘発された、もともと死刑に処すべき上記の反革命分子のうち、人を殺害した者、または大衆のうらみを買うその他の罪を犯した者、あるいは国家の利益にもっとも重大な損害をあたえた者は、ごく少数であって、ほぼ一、二割にすぎず、死刑、ただし執行延期という判決をうける者は八、九割を占めるであろう。つまり、死罪を犯した者の八、九割は殺さずにすむ。これらの者は、農村における匪賊の頭目、常習匪賊、極悪ボスともちがうし、都市の極悪ボス、匪賊の頭目、常習匪賊、ゴロツキの頭目および反動的な結社・教団の大頭目ともちがい、また、国家の利益にもっとも重大な損害をあたえた一部の特務分子ともちがう。つまり、大衆の深いうらみを買う殺人またはその他の重大な罪かないのである。かれらが国家の利益に損害をあたえた度合いは重大ではあるが、しかし、もっとも重大というわけではない。かれらは死罪を犯しはしたが、しかし、大衆は直接その害をうけていない。もしもわれわれがこれらの者を殺してしまえば、大衆は容易に理解できず、各界の人びとの十分な共鳴も得られず、また多くの労働力をうしない、敵を分化させる役割もはたすことができず、しかもわれわれがこの問題で誤りを犯すおそれもある。このため、中央はこれらの者にたいしては、死刑、ただし執行延期という判決をくだしたあと、労働を科して、その態度をみるという政策をとることにきめた。もしもこれらの者の一部が改造をうけいれず、ひきつづき悪事をはたらくならば、将来なお死刑に処することができ、その主動権はわれわれの手に握られている。各地の共産党、政府、軍隊、教育界、工商業界、人民団体などで摘発された反革命分子にたいしては、各地で上述の原則にもとづいて処理してもらいたい。死刑を執行すべきごく少数の者(死罪を犯している者のほぼ一、二割を占める)については、慎重を期して、すべて、大行政区または大軍区に上申し、その承認を得る必要がある。統一戦線に関連のある重要人物については、中央に上申し、その承認を得なければならない。このほか、農村における反革命分子についても、処刑しなければ人民の承知しない者だけを処刑し、人民が殺さなくてもよいという者はすべて処刑してはならない。そのうちの一部の者にたいしても、死刑、ただし執行延期の判決をくだすという政策をとるべきである。人民が処刑を要求する者は、かならず処刑し、人民の憤りをしずめて、生産に役立てるべきである。
(一九五一年五月八日)
「執行延期二年」という政策は、殺人またはその他の重大な罪があるために人民が処刑を要求しているような犯罪者をも処刑しない、と解釈すべきではない。もしそうすれば、誤りである。われわれは、区や村の幹部および人民大衆に次のことをはっきり説明しておかなければならない――極悪の罪を犯して、人民の怒りがひじょうにはげしく、処刑しなければ人民の承知しないような者にたいしては、かならずこれを処刑して、人民の憤りをしずめなければならない。死刑、ただし執行延期二年という判決をくだしたあと、労働を科して、その態度をみるというのは、ただ、死罪を犯してはいるが、人民の怒りがはげしくなく、人民も殺すことを要求していない者にかぎる。
反革命鎮圧の全活動は、各級党委員会の統一的指導のもとでおこなわなければならない。すべての公安機関と反革命鎮圧に関係ある機関の責任者は、これまでと同様、あくまでも党委員会の指導をうけなければならない。
(一九五一年五月二十日)
これは、毛沢東同志が『人民日報』にかわって書いた社説の抜粋である。
『武訓伝』の提起している問題は、根本的な性質をおびている。武訓①のような人物は、清朝の末期、中国人民が外国の侵略者や国内の反動的な封建支配者とたたかったその偉大な闘争の時代に生きながら、封建的な経済的土台とその上部構造には指一本ふれなかったばかりか、逆に封建的文化を熱狂的に宣伝し、しかも自分のもっていなかった、封建的文化の宣伝者としての地位を手にいれようとして、反動的な封建支配者のまえにはいつくばうという卑屈のかぎりをつくしたのである。このような醜悪な行為は、われわれの賛美すべきものであろうか。このような醜悪な行為を人民大衆のまえで賛美し、さらには「人民に奉仕する」という革命の旗じるしをもちだして賛美し、ついには革命的な農民闘争の失敗まで引きあいにだして賛美するということは、果たしてわれわれの許せることであろうか。このような賛美を認め、あるいは許すということは、とりもなおさず農民の革命闘争を誹謗し、中国の歴史を誹謗し、中国民族を誹謗する反動的宣伝を、正当な宣伝として認め、あるいは許すことである。
映画『武訓伝』があらわれたこと、とくに武訓と映画『武訓伝』にたいする賛美がこんなにも多いことは、わが国文化界の思想的混乱がどんなにひどいものであるかを物語っている。
多くの論者の目からみると、歴史の発展とは、新しい事物を旧い事物にとって代わらせることではなく、旧い事物を死滅させぬよう、さまざまな努力をはらって守っていくことであるらしい。それはまた、当然くつがえすべき反動的な封建支配者を階級闘争によってくつがえすことではなく、武訓のように被抑圧人民の階級闘争を否定し、反動的な封建支配者に投降することであるらしい。われわれの論者たちは、これまでの歴史において、中国人民を抑圧した敵はどういう人間であったのか、これらの敵に投降し、奉仕した人間には果たして称賛すべき点があったのかどうかを検討しようとしない。われわれの論者たちはまた、一八四〇年のアヘン戦争いらい百年あまりのあいだに、中国では旧い社会経済構造およびその上部構造(政治、文化など)とたたかうどのような新しい社会経済構造、新しい階級勢力、新しい人物、新しい思想がうまれたのか、これを検討したうえでなにを称賛あるいは賛美すべきであるか、なにを称賛あるいは賛美すべきでないか、なにに反対すべきであるかを決めようとはしないのである。
とくに注意を要するのは、マルクス主義を身につけたと称する一部の共産党員である。かれらは社会発展史――史的唯物論を学びはしたが、いったん具体的な歴史上の事件、具体的な歴史上の人物(たとえば武訓)、具体的な反歴史的思想(たとえば映画『武訓伝』、その他の武訓にかんする著作)にぶつかると、それを批判する能力をうしない、なかにはこうした反動思想に投降するものさえ出てくる。ブルジョア階級の反動思想が戦闘的な共産党にはいりこんでいること、これは事実でないとでもいうのだろうか。一部の共産党員が身につけたと称するそのマルクス主義は、いったいどこへ消しとんでしまったのであろう。
以上にのべたいろいろな理由から、この問題での混乱した思想を徹底的にただすため、映画『武訓伝』、その他の武訓にかんする著作と論文について討論をくりひろげるべきである。
① 武訓(一八三八~一八九六年)は山東省堂邑の人で、もとは無職の遊民であった。「乞食興学」(こじきをして私塾をつくる)の看板をかかげて、金銭をだまし取り、土地を買ったり金を貸したりして、ついに大地主、大金貸しになった。かれは、悪徳地主と結託して「義学」なるものをつくり、封建的文化をさかんに宣伝して、搾取階級の奴僕を養成し、歴代の反動的支配者から大いに称揚された。
(一九五一年十月二十三日)
これは、毛沢東同志が中国人民政治協商会議第一期全国委員会第三回会議でのべた開会のことばである。
委員のみなさん、同志のみなさん
われわれの人民政治協商会議第一期全国委員会第三回会議がただいまから開かれる。今回の会議には、全国委員会の委員が出席しているほか、中国人民志願軍、人民解放軍、工業労働模範、農業労働模範、旧根拠地代表、教育活動家、文学・芸術活動家、工商業者、各分野の専門家、宗教界、少数民族、華僑、婦人、青年、省・市人民政治協商会議委員会やその他の方面の代表的な人びと、ならびに政府機関の多数の要員も招きをうけて列席している。出席ならびに列席した人びとのなかには、人民によく知られている戦闘英雄、労働模範、模範的活動家が数多くふくまれている。われわれの今回の会議のこのような規模は、中華人民共和国の各戦線で大きな成果と前進がみられたことをあますところなく物語っている。
ここ一年、われわれは国内で抗米援朝、土地改革、反革命鎮圧という三つの大規模な運動をくりひろげ、偉大な勝利をおさめた。大陸における反革命の残党は、ほぼ一掃されようとしている。土地改革は、少数民族の住む一部の地域をのぞいて、一九五二年にぜんぶ完了するであろう。全中国の人民は、抗米援朝運動のなかで、かつてみない広範な団結をしめし、アメリカ帝国主義の侵略勢力にたいして断固とした闘争をおこなっている。中国人民志願軍は、中国人民の偉大な意志を体して、朝鮮人民軍とともに、アメリカ帝国主義の、朝鮮民主主義人民共和国を侵略し、さらには中国大陸に侵入しようとする気違いじみた計画をうち被り、朝鮮、中国、アジアおよび全世界の平和を愛する人民を勇気づけ、これら諸勢力の平和擁護、侵略反対への確信をつよめさせた。われわれは、勇敢な中国人民志願軍と朝鮮人民軍に祝意と敬意を表すべきである。
以上にのべた三大運動で勝利をおさめたことによって、また各級の人民政府と各界の人民がともに努力したことによって、わが国はすでにかつてみない統一を実現した。西蔵問題は平和的な方法で解決された。国防力は増強された。人民民主主義独裁は強固なものになった。そして、わが国の金融と物価はひきつづき安定をたもち、経済建設事業と文化・教育事業の回復と発展をはかる仕事も大きく前進した。
工業戦線と農業戦線でいま発展している愛国増産運動は、わが国のよろこぶべき新しい気運である。農村における土地改革の実現、工場・企業における民主的改革の実現によって、労働者と農民は愛国増産への意欲を大いにたかめ、その物質両、文化面の生活を改善することができるようになった。われわれが労働者、農民と団結し、かれらを教育し、かれらに依拠することに長じてさえいれば、わが国にはかならずいたるところに愛国増産運動の高まりがみられるようになるであろう。
わが国の文化・教育戦線と各分野の知識分子のあいだでは、中央人民政府の方針にもとづいて、自己教育と自己改造の運動が広範にくりひろげられている。これまた、わが国のよろこぶべき新しい気運である。全国委員会第二回会議の閉会にさいし、わたしは、批判と自己批判の方法で自己教育と自己改造をおこなうことを提案した。いま、その提案がしだいに現実となりつつある。思想改造、なによりもまず各分野の知識分子の思想改造は、わが国が各方面で徹底的に民主的改革を実現し、しだいに工業化を実行するうえでの重要な条件の一つである。したがって、われわれは、この自己教育と自己改造の運動が着実に前進する過程で、いっそう大きな成果がおさめられるよう希望する。
すべての事実が立証しているように、われわれの人民民主主義独裁の制度は、資本主義国の政治制度にくらべて、きわめて大きな優越性をそなえている。この制度を基礎としているので、わが国人民ははかり知れない力を発揮することができる。この力は、いかなる敵にもうち破られることはない。
抗米援朝の偉大な闘争は、いまなおつづけられており、アメリカ政府が平和的解決をのぞむようになるまでつづけられなければならない。われわれはいかなる国をも侵略しようとは思わない。ただ、わが国にたいする帝国主義者の侵略に反対するだけである。だれもが知っているように、もしもアメリカの軍隊がわが国の台湾を占領せず、朝鮮民主主義人民共和国を侵略せず、わが国の東北国境地帯にまで攻めよせてこなければ、中国人民はアメリカの軍隊と戦うことはなかったであろう。だが、アメリカ侵略者がわれわれに攻撃をかけてきた以上、われわれとしては反侵略の旗をあげないわけにはいかない。それは、まったく必要なことであり、まったく正義にかなったことである。全国の人民は、すでにその必要性と正義性をよく理解している。この必要で、正義にかなった闘争をひきつづき堅持するためには、われわれは抗米援朝の活動をひきつづき強化しなければならず、増産と節約につとめて、中国人民志願軍を支援しなければならない。これが中国人民のこんにちの中心任務であり、したがってまた、われわれの今回の会議の中心任務でもある。
われわれは早くから、朝鮮問題は平和的な方法で解決すべきだと表明してきたが、いまもおなじである。アメリカ政府がこれまでのようにさまざまな恥すべき方法で交渉をぶちこわしたり、さまたげたりせず、公正かつ合理的な基礎に立って問題を解決する用意さえあれば、朝鮮休戦交渉は成功するであろう。さもなければ、成功はありえない。
中華人民共和国の成立後二年間、われわれの各分野の活動はいずれも偉大な勝利をおさめた。これらの勝利は、われわれが結集できるすべての力に依拠してはじめてかちとることができたのである。国内では、われわれは、労働者階級と共産党の指導する、各民族、各民主階級、各民主政党、各人民団体およびすべての愛国民主人士のかたい団結に依拠してきた。国際的には、われわれは、ソ連をはじめとする平和・民主陣営のかたい団結と、世界各国の平和を愛する人民の大きな支持に依拠してきた。だからこそ、われわれは各分野の活動において偉大な勝利をおさめたのである。これはわれわれの敵の予想もしなかったことである。われわれの敵はつぎのように考えていた。新生の中華人民共和国のまえには数かずの困難がよこたわっており、そのうえかれら自身がわれわれにたいする侵略戦争をおこしているから、われわれは自分の困難を克服することができず、侵略者に反撃することもできないであろう、と。ところが、敵の予想に反して、われわれは自分の困難を克服することができ、侵略者に反撃して、しかも、偉大な勝利をおさめることができた。われわれの敵は目先がきかない。かれらは、われわれのこのような国内、国際の偉大な団結の力を見てとることができず、外国の帝国主義が中国人民を侮った時代は、中華人民共和国の成立によって永遠に終わりをつげたということを見てとることができない。かれらはまた、社会主義ソ連の成立、中華人民共和国の成立、人民民主主義諸国の成立によって、また、友好同盟相互援助条約を基礎とする偉大な中ソ両国のかたい団結によって、さらにまた平和・民主陣営全体のかたい団結と、この偉大な陣営にたいする世界各国の広範な平和を愛する人民の大きな支持によって、帝国主義が世界に覇をとなえた時代はもはや永遠に終わりをつげたということを見てとることができない。われわれの敵はこれらのことを見てとることができず、なおも中華人民共和国を侮ろうとし、世界に覇をとなえようとしている。だが、同志のみなさん、わたしは断言することができる――かれらのもくろみは気違いじみており、むだであり、決してその目的をとげることはできない、と。そのもくろみとは反対に、中華人民共和国は侮ることができず、ソ連をはじめとする偉大な平和陣営は侵すことができず、全世界の平和を愛する人民は欺くことができないものである。同志のみなさん、ソ連の偉大な十月社会主義革命が勝利したときから、世界における人民の勝利という局面が決定的になった。現在では中華人民共和国の成立と人民民主主義諸国の成立によって、この局面がいっそう発展し、強まっている。第一次世界大戦とロシア十月革命ののちの歴史的時期にも、たしかにドイツ、イタリア、日本という三つの帝国主義国が世界に覇をとなえようとしたことはあったが、それは中華人民共和国と多くの人民民主主義国が成立するまえのことであった。だが、その結果はどうであったろう。この三つの帝国主義国のたくらみは気違いじみたものであり、むだなものであることが立証されたのではなかったか。そのたくらみとは正反対に、覇をとなえようとした帝国主義が逆に打倒されるという結果になったのではなかったか。こんにちの局面はまったくちがっている。偉大な中華人民共和国が成立した。多くの人民民主主義国が成立した。世界人民の自覚がたかまった。アジア全体およびアフリカ北部の民族解放闘争がいきおいよく燃えあがった。帝国主義体制全体の力が大いに弱まった。さらにもう一つ、きわめて重要な事実は、われわれのもっとも親密な同盟国ソ連の力が大いに強まったことである。このようなときに、帝国主義国がふたたびドイツ、イタリア、日本三国の侵略者がたどったふるい道をあゆもうとするなら、その結果は火を見るよりも明らかではあるまいか。これを一言でいえば、今後の世界は人民の世界であるべきで、世界のどの国でも人民が自分で自分を管理しなければならず、もはや二度と帝国主義とその手先がのさばりかえるような世界であってはならない、ということである。わたしは、わが国の人民自身がしっかり団結するとともに、われわれの盟友ソ連としっかり団結し、すべての人民民主主義国としっかり団結し、われわれを支持する世界のすべての民族および人民ともしっかり団結して、反侵略闘争の勝利をめざし、われわれの偉大な国家建設の勝利をめざし、世界の持続的な平和を守るたたかいの勝利をめざして、ひきつづき前進するよう希望する。同志のみなさん、われわれがそのようにやりさえすれば、勝利は確実にわれわれのものである、とわたしは信じている。
(一九五一年十一月~一九五二年三月)
これは、毛沢東同志が中国共産党中央のために起草した重要指示の一部である。
汚職に反対し、浪費に反対すること、これは全党の重要な仕事である。このことに大きな注意をはらうよう、われわれはすでに諸君に話しておいた。われわれは、全党の大整理をおこない、大・中・小の汚職事件をすべて徹底的に摘発する必要がある。そして、おもに大汚職犯に打撃をあたえ、中・小の汚職犯にたいしては、ふたたび罪を犯さないよう教育と改造をほどこす方針をとるべきである。こうしてはじめて、多くの党員がブルジョア階級にむしばまれるというきわめて危険な現象を阻止することができ、第七期中央委員会第二回総会ですでに予測していたこうした状況を克服し、またブルジョア階級にむしばまれるのを防ぐことについての同総会の方針を実現することができるのである。ぜひとも諸君にこれらの事を注意してもらいたい。
(一九五一年十一月三十日)
幹部がブルジョア階級にむしばまれて重大な汚職行為が発生しているというこの事実に、大きな注意をはらわなければならず、その発見、摘発、処罰に意をそそぎ、一つの大きな闘争としてこれに取りくまなければならない。
(一九五一年十一月三十日)
汚職反対、浪費反対、官僚主義反対の闘争を、反革命鎮圧の闘争と同じように重要な闘争と見なし、同じように民主政党および社会各界の人士をふくむ広範な大衆を動員しておこない、同じように旗鼓堂々とおしすすめ、同じように指導的幹部が責任をもち、みずから事にあたらなければならない。そして、自供と摘発をよびかけ、罪の軽い者には批判・教育をおこない、重い者は罷免、処罰し、懲役(労働改造)に処し、さらに一部のもっとも重い汚職犯は銃殺しなければならない。こうしてはじめて、問題を解決することができる。
(一九五一年十二月八日)
全国のすべての都市、まず大都市と中都市で、労働者階級に依拠し、法を守るブルジョア階級およびその他の市民と団結し、法にそむくブルジョア階級にたいして贈賄反対、脱税反対、国家資材の横領反対、手ぬきと材料のごまかし反対、経済情報の窃取反対の大規模な、断固とした、徹底した闘争をくりひろげ、これを見、政府、軍隊、大衆団体内部ですすめている汚職反対、浪費反対、官僚主義反対の闘争に呼応させる――これはいまきわめて必要かつ時宜にかなったことである。この闘争で、各都市の党組織は階級と大衆の諸勢力について綿密な部署配置をおこなわなければならず、矛盾を利用し、分化をはかり、多数と団結し、少数を孤立させる戦術に注意をはらわなければならず、闘争のなかですみやかに「五反」の統一戦線をうちたてなければならない。この統一戦線は、大都市のばあい、「五反」運動をはげしくくりひろげてから、およそ三週間もあればうちたてることができよう。この統一戦線ができさえすれば、重大な罪を犯した極悪の反動的資本家は孤立し、国家はかれらにたいし、十分な根拠をもって、支障なく逮捕、懲役、銃殺、没収、罰金など、さまざまの必要な刑罰を科することができる。全国の各大都市(各省部をふくむ)では、みな二月上旬に「五反」の闘いにはいるべきである。すみやかに部署をととのえてもらいたい。
(一九五二年一月二十六日)
(一)「五反」運動のなかで、工商業者にたいする処理の基本原則はつぎのとおりである。つまり、過去には寛大、以後には厳重(たとえば税の追徴は、一般には一九五一年のものだけとする)、多数には寛大、少数には厳重、白供した者には寛大、自供を拒む者には厳重、工業には寛大、商業には厳重、一般的な商行為には寛大、投機的な商行為には厳重、というのがそれである。各級の党委員会が「五反」運動のなかでこのいくつかの原則を堅持していくよう、希望する。
(二)「五反」運動のためには、私営工商業者を遵法者、準遵法者、半遵法・半違法者、重違法者、完全違法者の五種類に区分すべきである。大都市のばあい、まえの三種類はほぼ九五パーセント、あとの二種類はほぼ五パーセントである。各大都市によって、いくらかの違いはあるが、大差はない。中都市では、この数字とはかなり違ってくる。
(三)この五種類には、ブルジョア階級と非ブルジョア階級の自営手工業者、零細自営商とがふくまれるが、露天商人はふくまれない。各大都市では、暫時、露天商人にたいする処理はすすめなくてよいが、自営手工業者と零細自営商にたいする処理をおこなうことかのぞましい。各中都市では「五反」運動のなかで、自営工商業者と露天商人にたいする処理をともにおこなうことがのぞましい。わが国の大・中都市には、労働者や店員をやとっていない(だが一部は徒弟をつかっている)自営工商業者がひじょうに多い。そのうちには遵法者がたくさんいるし、基本的には遵法だが部分的には違法な者(小額の脱税行為がある者、小さな問題があるとされている者)もたくさんいるが、半遵法・半違法者、つまりかなり脱税をしている者もすこしはいる。われわれは、今回の「五反」運動のなかで、多くの小資本家にたいして処理をおこない、判定をくだすとともに、小資本家とほぼ同数の自営工商業者にたいしても処理をおこない、判定をくだすよう、できるかぎり努力すべきである。こうすることは、半面の「五反」運動にも今後の経済建設にも有利である。この二種類の工商業者は、一般にたいした問題はなく、判定をくだすのはむずかしいことではない。判定をくだしたあと、われわれは広範な大衆の支持をうることができる。しかし、一部の都市で、さきにその他の工商業者に判定をくだし、自営工商業者の判定はあとにまわしたほうが好都合だと考えるなら、そうしてもよい。
(四)都市の実際状況にもとづいて、われわれは、以前にさだめた工商業者についての四種類の分類を、五種類に改めることとした。つまり、遵法の工商業者を遵法者と準遵法者の二種類にわけ、その他の三種類は以前のとおりとしたのである。北京の工商業者五万戸(自営工商業者をふくむが、露天商人はふくまない)のうち、遵法著はほぼ一〇パーセント、準遵法者はほぼ六〇パーセント、半遵法・半違法者はほぼ二五パーセント、重違法者はほぼ四パーセント、完全違法者はほぼ一パーセントである。完全な遵法者と、小さな問題のある準遵法者とをわけ、準遵法者のうちで脱税額のわりあい少ない者とやや多い者とを区別して取り扱う――こうすれば、大きな教育的効果があるだろう。
(五)各大・中部市のなかで、一部の市委員会は、各種類の工商業者の状況をまったくつかんでおらず、これらの工商業者にそれぞれどう対処するかという戦術的観点もはっきりしておらず、労働組合と政府の工作隊(あるいは点検班)の組織・訓練もひじょうに粗雑であるのに、あわただしく「五反」運動をはじめて、いくらかの混乱をまねいている。これらの市委員会が、これに注意をはらい、すみやかに克服するよう希望する。このほか、違法工商業者の取り調べは、かならず市委員会、市政府のきびしい統制のもとでおこなうべきで、各機関が勝手に人を送って取り調べてはならず、ましてや勝手に資本家を機関に連行して尋問するようなことがあってはならない。また、「三反」であろうと「五反」であろうと、体刑で自供をせまる方法をとってはならず、自殺者が出るのをきびしく防がなければならない。すでにこうした事態が発生しているところでは、ただちにその防止策を講じ、「三反」「五反」を正しい軌道にそって健全に発展させ、完全な勝利をおさめるようにしなければならない。
(六)県、区、郷では、当面、いずれも「三反」運動と「五反」運動をおこなわない。今後、いつ、どのようにおこなうかは、中央が追って通知する。「五反」運動を試験的におこなっている一部の県都、「三反」運動を試験的におこなっている一部の区では、これをきびしく統制し、春の農作業や経済面の仕事をさまたげるようなことがあってはならない。中都市でも、「五反」運動をいちどきにおこなってはならず、時期をわけ、しかもきびしい統制のもとでおこなわなければならない。
(一九五二年三月五日)
今回の「五反」闘争の期間とこの闘争のあと、われわれはつぎのような目的を達成しなければならない。
(一)私営工商業の状況を徹底的に調査して、ブルジョア階級の結集と掌握、国の計画経済の実行に役立てる。状況がはっきりしなければ、計画経済はすすめようがない。
(二)労働者階級とブルジョア階級とをはっきり区別し、労働組合内の汚職と大衆から浮きあがった官僚主義の現象を根絶し、労働組合の内部にいるブルジョア階級の手先を一掃する。各地の労働組合には、みなこうした手先や労資のあいだでぐらつく中間分子があらわれている。われわれは、闘争のなかで中間分子を教育し、獲得しなければならず、重大な罪を犯した資本家の手先を追放しなければならない。
(三)同業組合と工商業連合会を改組して、「五毒」〔1〕のすべてをもっている者と、その他のまったく威信をうしなった者をこれらの団体の指導機構から追放し、「五反」のなかで態度の比較的よかった者をこれらの指導機構にむかえいれる。完全違法者をのぞいて、各種類の工商業者はいずれもその代表をもつべきである。
(四)民主建国会の責任者をたすけて民主建国会の整頓をすすめ、「五毒」のすべてをもっている者や人望をまったくうしなった者を除名し、一部の比較的よい人を入会させる。こうして民主建国会を、ブルジョア階級、おもに工業ブルジョア階級の合法的利益を代表することができ、共同綱領と「五反」の原則でブルジョア階級を教育することもできる政治団体にしていく。資本家各グループの秘密結社、たとえば「木曜会食会」〔2〕などについては、解散の措置をとるべきである。
(五)「五毒」を一掃し、投機的な商行為を根絶して、ブルジョア階級全体を国家の法令にしたがわせ、国の経済と人民の生活に役立つ工商業を経営させる。国のざだめた範囲内で私け工業を発展させ(資本家が希望し、共同綱領に合致するかぎりにおいて)、私営商業をしだいに縮小する。国家は、私営企業の製品にたいする一手販売・発注計画を年ごとにふやし、私営工商業にたいする計画性を年ごとにつよめる。私的資本の利潤額の再確定をおこない、私的資本に儲けがあるとわからせる一方、かれらに暴利をむさぼらせないようにする。
(六)裏帳簿をなくし、経理を公開し、労働者、店員が生産と経常を監督する制度を漸次うちたてていく。
(七)追徴金、弁償、罰金、没収によって、国家と人民のうけた経済的損失の大部分をとりもどす。
(八)大・中の私営企業にはすべて、労働者、店員のあいだに党の支部をつくり、党の活動を強化する。
(一九五二年三月二十三日)
〔1〕 「五毒」とは、贈賄、脱税、国家資材の横領、手ぬきと材料のごまかし、経済情報の窃取という、資本家の五種類の違法行為をさす。
〔2〕 「木曜会食会」とは、重慶の一部資本家の秘密結社。一連の重大な違法秘密活動をおこない、「五反」運動で摘発され、取り締まりをうけた。
① 「三反」とは、一九五一年の未から、国家機関と国営企業の職員のあいたですすめられた汚職反対、浪費反対、官僚主義反対の闘争をさす。「五反」とは、一九五二年の始めから私営工商業者のあいだですすめられた贈賄反対、脱税反対、国家資材の横領反対、手ぬきと材料のごまかし反対、経済情報の窃取反対の闘争をさす。
(一九五一年十二月十五日)
これは、毛沢東同志が、農業協同化に反対した劉少奇に{反駁|はんばく}をくわえるために起草した、重要な歴史的意義をもつ党内通達である。一九五一年七月、劉少奇は、毛沢東同志と党中央に無断で、農業生産の互助・協同化の発展にかんする山西省委員会の報告に、個人の名義でほしいままに非難をくわえた評語を書き、それを各地に配布した。劉少奇は、この評語のなかで、農業の社会主義的改造についての毛沢東同志の路線に反対し、これを「誤った、危険な、空想的な農業社会主義思想」だと中傷した。同年九月、毛沢東同志はみずから主宰して『農業生産の互助・協同化にかんする中国共産党中央の決議(草案)』を作成するとともに、十二月十五日、決議草案の印刷・配布にあたって、この通達を書き、重大な事業として農業の互助・協同化にとりくむよう全党に指示した。
ここに農業生産互助・協同化にかんする決議草案を送るから、印刷のうえ党の県委員会と区委員会に配布してもらいたい。ただちにこの草案どおり党内外で説明し、実行するよう組織してもらいたい。これは、すでに土地改革を完了したすべての地域で説明し、実行しなければならないものであり、重大な事業としてとりくむよう希望する。この決議草案は、党内の刊行物に発表してもよいが、まだ草案であるから、新聞・雑誌で党外に発表してはならない。
(一九五二年一月一日)
人民政府の職員、人民志願軍と人民解放軍の指揮員・戦闘員、各民主政党、各人民団体、各少数民族および全国人民――われわれ全体の、各戦線における勝利を祝おう!
抗米援朝の戦線におけるわれわれの勝利を祝おう!
国防戦線におけるわれわれの勝利を祝おう!
土地改革の戦線におけるわれわれの勝利を祝おう!
反革命鎮圧の戦線におけるわれわれの勝利を祝おう!
経済・財政戦線におけるわれわれの勝利を祝おう!
文化・教育戦線におけるわれわれの勝利を祝おう!
社会各界の、なによりもまず知識分子の思想改造の戦線におけるわれわれの勝利を祝おう!
わが国の全人民と全職員は、いま一体となって、汚職反対、浪費反対、官僚主義反対の大規模な闘争を、旗鼓堂々と疾風迅雷の勢いでくりひろげ、旧社会が残したこれらの汚濁を洗いきよめるよう、呼びかけられている。わたしはまた、この新しくひらかれた戦線におけるわれわれの勝利を祝いたい。
同志諸君、一九五一年には、上にのべたすべての戦線でわれわれは勝利をおさめた。その多くはきわめて偉大な勝利である。一九五二年には、われわれの共同の努力によって、これらすべての仕事でさらに大きな勝利がおさめられるよう希望する。
中華人民共和国万歳!
(一九五二年四月六日)
これは、毛沢東同志が中国共産党中央のために起草して、西南局、西蔵工作委員会にあて、かつ西北局、新種分局にも通告した党内指示である。
中央は、西南局、西南軍区が四月二日西蔵工作委員会と西蔵軍区にあてた指示の電報に、基本的に同意し、この電報のとっている基本方針(西蔵軍の改編という点は除く)と多くの具体的な措置を正しいものと認める。このとおりに実行してこそ、わが軍を西蔵で不敗の地に立たせることができる。
西蔵の状況は新疆と異なり、政治面でも経済面でも新疆にくらべて相当劣っている。わが王震部隊が、新疆にはいったときでさえ、まず、経費の節約、自力更生、生産自給に最大の注意をはらった。いまでは、かれらはすでに足場をかため、少数民族の心からの支持をかちとっている。現在、小作料と利子の引き下げがすすめられており、ことしの冬には土地改革をおこなわれるが、大衆はいっそうわれわれを支持するだろう。新疆は嘉峪関以東の地と自動車が通じて、物質、福祉の面で少数民族に大きな利点がもたらされている。西蔵では、すくなくともここ二、三年は、小作料の引き下げも土地改革も、実施はむりである。新疆には数十万の漢族がいるのにたいし、西蔵にはほとんど漢族がおらず、わが軍は、まったく異なった民族区域に身をおいている。われわれが大衆をかちとり、自分を不敗の地に立たせるには、二つの基本政策に依拠するほかはない。第一は、経費を節約し、生産自給をはかり、これによって大衆に影響をあたえていくこと、これがもっとも基本的な環である。自動車道路が開通したとしても、これに食糧の大量輸送をたよることはできない。インドは、交換による西蔵への食糧および他の物資の輸出におうじるだろうが、将来、インドが万一食糧および他の物資をよこさなくなってもわが軍が生きていけるという点に、われわれの立脚点をおくべきである。われわれは、あらゆる努力をはらい、適切な方法によって、ダライおよびその上層集団の大多数をかちとり、少数の悪質分子を孤立させ、血を流すことなく、相当の年月をかけて西蔵の経済、政治を一歩一歩改革するという目的をとげなければならない。だが同時に、悪質分子が西蔵軍をひきいて反乱をおこし、わが方に襲撃をかけてくるような事態に対処する用意もなくてはならず、このような時にもわが軍は依然として西蔵で生きつづけ、もちこたえていけるようにしなければならない。これらすべては、経費の節約と生産自給に依拠しなければならない。このもっとも基本的な政策を基礎にしてこそ、目的を達することができる。第二に、実行でき、また実行しなければならないことは、インドとの貿易関係、および国内のその他の地方との交易関係をひらき、西蔵の輸出入および移出入の均衡をはかり、わが軍の西蔵入りによって西蔵族人民の生活水準が少しでも下がるようなことがないようにし、しかも、かれらの生活がいくらかでも改善されるよう努力することである。生産と貿易・交易という二つの問題を解決しないかぎり、われわれは、存在の物的基礎をうしない、悪質分子は、立ちおくれた大衆と西蔵軍を扇動してわれわれに反対させる資本をいつでも手中に握ることになる。そして、多数を結集し少数を孤立させるというわれわれの政策は、軟弱無力のものとなり、実現のすべがなくなってしまうであろう。
西南局の四月二日の電報のすべての意見のうち、ただ一つ検討を要する点は、短期間のうちに西蔵軍を改編することと、軍政委員会を設立することが、はたして可能かどうか、得策かどうかという問題である。われわれの意見では、当面、西蔵軍の改編はおこなうべきでなく、形式のうえで軍分区を設けることも、また軍政委員会を設立することもすべきではない。しばらくは、すべてこれまでどおりとし、ひきのばしていく。そして一年あるいは二年後にわが軍がたしかに生産自給でき、また大衆の支持をかちとったときに、これらの問題を日程にのぼせればよい。この一年ないし二年内に、次の二つの状況が予想される。一つは、多数を結集し、少数を孤立させるという上層部にたいするわれわれの統一戦線政策が効果をあげ、また、西蔵の大衆もわれわれの側にだんだん接近してきて、悪質分子と西蔵軍があえて反乱をおこすことができなくなるという状況である。もう一つは、悪質分子がわれわれを軟弱であなどれるとみて、西蔵軍をひきいて反乱をおこし、わが軍が自衛の戦闘で反撃に出て、打撃をあたえるという状況である。以上二つの状況は、どちらもわれわれに有利である。西蔵の上層集団からみれば、いまのところ、協定①の全面的実施と西蔵軍の改編の根拠は、まだ不十分なのである。あと何年かたてばいまとは違ってきて、かれらも協定の全面的実施と西蔵軍の改編をやるほかはないと考えるようになるだろう。もし西蔵軍が反乱を、それも一回ならず何回もおこして、みなわが軍の反撃によっておさえられた場合、われわれが西蔵軍の改編をおこなう根拠は、いよいよもって多くなる。どうやら、ふたりの司倫〔1〕だけでなく、ダライとその集団の多数も、協定は不承不承受けいれたものと考えており、実施するつもりはないようである。われわれにはいま、協定の全面的実施の物的基礎がないばかりか、協定の全面的実施の大衆基礎もなく、また協定の全面的実施の上層基礎もない。むりに実施しても、害多くして利少なしである。かれらが実施したがらないなら、それでもよかろう。当面は実施せず、もう少しひきのばしてからにしよう。時間がのびればのびるほど、われわれのほうの根拠は多くなり、かれらのほうの根拠は少なくなる。ひきのばすことは、われわれにとってそんなに不利ではなく、かえって有利かもしれない。かれらには、民をそこない理にもとるさまざまの悪事をはたらかせておき、われわれはもっぱら、生産、貿易・交易、道路建設、医療、統一戦線(多数を結集し、根気よく教育する)などのよいことをおこなって、大衆をかちとり、時機が熟すのをまって協定の全面的実施の問題を考えればよい。かれらが小学校を開くべきでないと考えるならば、これもとりやめにしたらよい。
最近、拉薩でおこったデモは、単にふたりの司倫などの悪人のやったことと見なすべきではなく、われわれにたいするダライ集団の大多数の意思表示と見なすべきである。その請願書の内容はすこぶる戦術的であり、決裂を表明してはおらず、われわれに譲歩を要求しているだけである。そのなかに、かつての清朝のやり方を復活させ、解放軍を駐屯させないことを暗示した一ヵ条があるが、これはかれらの真意ではない。かれらは、それが不可能なことを百も承知であり、この一ヵ条をその他の箇条との交換条件にしようとたくらんでいるのである。請願書では第十四代ダライを批判しており、これによってダライがこんどのデモの政治責任を負わなくてもすむようにしている。かれらは、西蔵の民族的利益の保護を看板としてかかげており、軍事力の面ではわれわれに劣るが、社会的勢力の面ではわれわれに勝っていることを知っている。われわれは事実上(形式上ではなく)こんどの請願を受けいれ、協定の全面的実施をおくらせるべきである。かれらが、パンチェンのまだ到着していないときにデモをおこなったのは、考えがあってのことである。パンチェンが拉薩に着いてから、かれらは、パンチェンがその集団にはいるよう大いに抱きこみをはかるであろう。もし、われわれの工作がよくおこなわれ、パンチェンがかれらの手に乗らず、かつ無事日喀則に着けば、情勢はわれわれに比較的有利に変わるだろう。しかし、物的基礎の欠乏という点では、まだすぐには変化はありえず、社会的勢力の面でかれらがわれわれに勝るという点でも、すぐには変化はありえない。したがって、ダライ集団が協定を全面的に実施する考えがないという点も、すぐには変わらない。われわれは、さしあたり、形式的には攻勢に出て、こんどのデモと請願の不当(協定の破壊)を責め、しかし実際には譲歩するつもりであたり、条件が熟すのをまって、将来、攻撃(つまり、協定の実施)に出るようにしなければならない。
これについて意見はどうか、検討のうえ電報で知らせてもらいたい。
〔1〕 「司倫」とは、ダライの下にいる最高の行政官のことである。当時のふたりの司倫は、反動農奴主のルカンワとロサン・タシであった。
① ここにいう協定とは、一九五一年五月二十三日の『西蔵の平和的解放の方法についての中央人民政府と西蔵地方政府の協定』をさす。
(一九五二年六月六日)
これは、毛沢東同志が中国共産党中央統一戦線工作部の起草した文書に書いた意見である。毛沢東同志は、民族ブルジョア階級を中間階級とみなす同部責任者の誤った観点を批判している。
地主階級と官僚ブルジョア階級をうち倒したのち、中国国内の主要な矛盾は、労働者階級と民族ブルジョア階級との矛盾である。したがって、今後は民族ブルジョア階級を中間階級といってはならない。
(一九五二年八月四日)
これは、毛沢東同志が中国人民政治協商会議第一期全国委員会常務委員会第三十八回会議でおこなった講話の要点である。
ここ一年、われわれは戦争もし、交渉もすすめ、安定もはかってきた。
朝鮮戦争の局面は、昨年七月いらい定着するようになったが、国内の財政・経済状態が安定するかどうかについては、そのときまだ自信がなかった。これまでは、ただ、「物価はほぼ安定し、収支は均衡に近づいている」とだけ言ってきた。それはつまり、物価はまだ安定しておらず、収支はまだ均衡していない、という意味である。収入が少なく、支出が多い、これが問題であった。そこで、昨年の九月、中国共産党中央は会議をひらいて、生産増加と節約励行をうちだした。十月にも、わたしは中国人民政治協商会議第一期全国委員会第三回会議で、ふたたび増産節約を提起した。増産節約運動のなかでは、かなり重大な汚職、浪費、官僚主義の問題が摘発されたが、十二月にはいると「三反」運動が展開され、つづいてまた「五反」運動が展開された。「三反」「五反」連動が勝利のうちに終わった現在、問題は完全にはっきりして、天下は大いに安定している。
昨任、抗米援朝戦争の経費は国内建設の経費とほぼ同額であった。ことしは昨年とちがって、戦費は昨年の半額ですむものと思われる。いま、われわれの部隊は減少したが、装備は強化されている。これまで、われわれは二十数年も戦争してきたが、空軍をもったことは一度もなく、ただ相手に爆撃されるだけであった。いまは空軍があり、高射砲や大砲や戦車ももっている。抗米援朝戦争は大きな学校で、われわれはそこで大演習をしているのである。この演習は、軍事学校をつくるよりもずっとよい。もしも来年もう一年戦うなら、全陸軍が順番に一回ずつ訓練をうけに行くことができる。
こんどの戦争については、われわれはもともと三つの問題をかかえていた――一、戦えるかどうか、二、守れるかどうか、三、食い物があるかどうか。
戦えるかどうか、この問題は二、三ヵ月で解決された。敵はわれわれにくるべて、大砲は多いが、士気が低い。つまり、鉄が多くて、気力が足りないのだ。
守れるかどうか、この問題も昨年すでに解決された。方法はほら穴にもぐりこむことである。われわれは二重の壕を掘り、敵が攻めてくれば、われわれは地下壕にはいる。ときには敵が上の方を占領しても、下の方は依然としてわれわれの手にある。敵が陣地にはいってくるのを待って、われわれは反撃に出、敵に多大の損害をあたえる。われわれはこのような旧式のやり方で近代的な大砲を手にいれているのだ。敵はわれわれをもてあましている。
食の問題、つまり給養を保証する問題は、長いあいだ解決できないでいた。当時は、穴を掘って、そこに食糧を貯蔵することを知らなかった。いまでは、もう知っている。どの師団も三ヵ月分の食糧をもち、倉庫があり、講堂もあって、生活はなかなかよい。
いまでは、方針が明確で、陣地が堅固、補給も保証されており、どの戦士もあくまで頑張り通さなければならないことをよく知っている。
いったい、いつまで戦争をつづけ、いつまで交渉をつづけるのか。わたしに言わせれば、交渉もするし、戦争もする、また、講和もやはり結ばれる。
なぜ、講和はやはり結ばれるのか。長期にわたって戦いつづけるのは、アメリカにとってひじょらに不利だから、三十年戦争、百年戦争などはありえないのである。
一、人間が死ぬ。かれらは一万あまりの捕虜をあくまで抑留しようとして、三万あまりの戦死者を出してしまった。かれらの人口は、なんといっても、われわれよりずっと少ない。
二、金がかかる。かれらは一年に百余億ドルも注ぎこまなければならない。われわれの使う金はかれらよりもずっと少なく、ことしはまた昨年にくらべて半減する。「三反」「五反」運動で取りもどした金で、一年半は戦える。増産、節約してできた金は、ぜんぶ国内建設にふりむけることができる。
三、かれらには、国際面でも国内面でも、克服しがたい矛盾がある。
四、それから、戦略という問題もある。アメリカの戦略的重点はヨーロッパである。かれらは朝鮮侵略のために出兵したとき、われわれが朝鮮支援のために出兵するとは予想もしていなかった。
われわれのほうは、物事がやりやすい。国内のことは、われわれの考え叫つで決定できる。しかし、われわれはアメリカの参謀長ではなく、この参謀長はかれらの側の人間である。だから、朝鮮戦争をつづけるかどうか、われわれと朝鮮の側は半分しか決定権をもっていない。
要するに、アメリカにとっては、大勢のおもむくところ、講和を結ばなければ不利である。
第三次世界大戦がすぐ勃発するなどというのは、おどかしである。われわれは十生の時間をかちとって、工業を建設し、強固な基礎をきずかなければならない。
みんながよく団結し、敵と味方をはっきり区別しなければならない。こんにち、われわれが力をもっているのは、全国人民の団結があり、ここにいるみなさんの協力があり、各民主政党、各人民団体の協力があるからである。団結することと、敵と味方をはっきり区別することは、ひじょうに大切である。孫中山先生はりっぱな人であったが、先生の指導した辛亥革命はなぜ失敗したのだろうか。その原因は、一、土地を分けなかったこと、二、反革命鎮圧を知らなかったこと、三、反帝が先鋭でなかったことにある。敵と味方をはっきり区別するほか、内部にはまた是非を区別するという問題がある。両者をくらべてみると、是非の区別は第二義的なものである。たとえば、汚職分子の大多数は反革命分子とは違って、やはり是非の問題であり、改造することができる。
各民主政党と宗教界では、帝国主義にだまされず、敵の側に立たないよう、教育しなければならない。仏教についていえば、帝国主義とのつながりが比較的少なく、基本的には封建主義とつながりをもっている。土地問題があるため、封建主義に反対すれば、僧侶にも反対することになり、打撃をうけるのは住職、長老のたぐいである。これら少数のものが打倒されれば、「魯智深」①は解放される。わたしは仏教を信じないが、仏教連合会を組織し、連合して敵と味方をはっきり区別することには反対しない。統一戦線はいつかは解消することになるのだろうか。わたしは解消を主張しない。どんな人でも、ほんとうに敵と味方をはっきり区別し、人民に奉仕する人でさえあれば、われわれはその人と団結するものである。
われわれの国家には、前途があり、希望がある。われわれは以前、国民経済は三年で回復できるのではなかろうかと考えていた。ところが、二年半にわたって奮闘した結果、いま国民経済はすでに回復したばかりでなく、計画的な建設もはじまっている。みんなが団結し、敵と味方をはっきり区別して、われわれの国家を着実に前進させようではないか。
① 中国の古典小説『水滸伝』に出てくる英雄のひとり。梁山の農民蜂起軍に身を投ずる前は、普通の僧侶であった。
(一九五二年十月二十四日)
これは、毛沢東同志が中国比へ産党中央と中央中空委員会のために起草した、中国人民志願軍責任者への指示である。
わが志願軍は朝鮮人民軍と協力して、さる九月十八日から全戦線の敵軍にたいする戦術的な反撃作戦を開始し、一ヵ月で敵軍二万以上を殲滅、殺傷するという大勝利をおさめた。党中央と軍事委員会は、諸君と指揮員・戦闘員の全同志に熱烈な祝意をおくる。この作戦は、次のようなものであった。いくつか選んでおいた戦術的重要拠点にむけて、わが軍の優勢な兵力と火力を集中し、奇襲作戦をおこなって、小隊ごと、小隊ごと、火隊ごとに敵軍を殲滅するか、あるいは壊滅的な打撃をあたえる。そのあと、敵がわが軍に反撃をくわえてきたとき、戦闘をくりかえすなかで、さらに敵を大量に殺傷する。それから、状況におうじて、われわれの攻略した拠点のうち、守れるところは固守し、守れないところは放棄して、わが軍の主動権をたもち、以後の反撃を準備する、こういうものであった。この作戦方法をひきつづき実行すれば、かならず敵の死命を制することができ、敵に妥協的な方法をとらせて朝鮮戦争を終わらせるよう、かれらを追いこむことができる。昨年七月、わが軍がねばり強い陣地戦をとっていらい敵軍にあたえた損害は、昨年七月以前の各運動戦で敵軍にあたえた損害をはるかに上回っている。一方、わが軍の損害は大幅に減少した。そのうち兵員の損失は、志願軍だけについていえば、昨年七月いらいの十五ヵ月では、それ以前のハヵ月とくらべて月平均三分の二以上も減っている。こうした状況は、ほかでもなく陣地に依拠して、前述の作戦方法を実行した結果である。そして、九月十八日以降の期間には、この作戦方法はいっそう組織的となり、いっそう全戦線にわたるものとなったので、とりわけ重視すべきである。
志願軍の出国作戦二周年にあたり、諸君が経験を総括して、いっそう組織件の強化、戦術の向上、弾薬の節約をはかり、朝鮮の同志や朝鮮人民といっそう緊密に団結し、今後の作戦できるに大きな勝利をかちとるよう希望する。
(一九五三年一月五日)
これは、毛沢東同志が中国共産党中央のために起草した党内指示である。
官僚主義、命令主義、法規・規律違反に反対することについて、われわれ各級指導機関の注意を喚起すべきである。
わが党は「三反」運動のなかで、中央、大行政区、省・市、軍区の四段階にわたる多くの工作要員のなかに存在する汚職、浪費という二つの問題をほぼ解決し、多くの指導者がその指導下にある一般要員から浮きあがっているという一部の官僚主義の問題をもほぼ解決した。しかし、人民大衆の苦しみを知らず、自分の職場からやや離れた下部の状況を知らず、県、区、郷の三段階の幹部のなかに、命令主義を犯したり法規・規律に違反したりする悪人や悪事がたくさん存在していることを知らないか、またはこれらの悪人や悪事についてすこしは知っているが、見ても気にとめず、憤りをおぼえず、問題の重大さに感づかず、したがって、積極的な方法をとって、よい人を支持し、悪人を懲罰し、よい事を奨励し、悪事を一掃しようとはしない――こういった面での官僚主義は、多くの地区、多くの分野、多くの部門で、基本的にはまだ解決されていない。たとえば、人民からの投書の処理についても、ある省の人民政府では七万余通も処理されずにたまっているという。省以下の各段階の党組織と政府には人民の投書がどのくらいたまっているのか、われわれはまだ知らないが、少なからずあるものと想像される。これら人民の投書の大部分は、われわれに問題の解決を要求しているが、その多くは無法のかぎりをつくす幹部の犯罪行為を訴えており、すみやかに処理すべきものである。
官僚主義と命令主義は、わが党とわが政府にとって、目下の大きな問題であるばかりでなく、これからの長い期間にわたっても大きな問題となるであろう。その社会的根源についていえば、それは人民にたいする反動支配階級の反動的作風(反人民的作風、国民党の作風)の残りかすのわが党とわが政府内におけるあらわれである。われわれの党組織と政府部門の指導任務と指導方法についていえば、それは工作任務を、政策限界や工作作風と結びつけてあたえなかった問題、つまり工作任務といっしょに政策限界と工作作風をくりかえし中級、下級幹部に指示しなかった問題である。それは各段階の幹部、とくに県、区、郷の三段階の幹部を審査しなかったか、または審査をよくやらなかった問題である。それは県、区、郷の三段階でまだ整党を展開しておらず、整党のなかで、命令主義に反対し、法規・規律違反分子を粛清するという闘争をまだ展開していない問題である。それはまたわれわれ専区以上の上級機関の工作要員のなかに、いまなお人民大衆の苦しみと末端組織の状況を知らず、それに関心をよせないという官僚主義が存在しており、これにたいしてまだ闘争を展開しておらず、一掃していない問題でもある。もしわれわれの指導任務が強化され、われわれの指導方法が改善されるならば、大衆に危害をあたえる官僚主義と命令主義はしだいに少なくなり、われわれの多くの党組織と政府部門は比較的早く国民党の作風から遠ざかることができる。そして、われわれの党組織と政府部門にもぐりこんだ多くの悪人を早く粛清し、目下存在している多くの悪事を早く一掃することができる。
したがって、諸君は一九五三年に、型党、党建設およびその他の工作と結びつけ、人民の投書を処理することから着手して、官僚主義、命令主義、法規・規律違反分子の状況を点検し、かれらとの断固たる闘争を展開してもらいたい。官僚主義、命令主義、法規・規律違反の典型的な例は、みな新聞紙上で幅広く摘発すべきである。法規違反のゆゆしい者には法律の制裁をくわえなければならず、党員であれば党規処分に付さなければならない。各級党委員会は、大衆からひどく憎まれている法規・規律違反分子を懲罰し、党組織と政府部門から追放し、もっとも悪質な者は極刑に処して、人民の憤りをしずめ、またそれによって幹部と人民大衆を教育するという決意を固めるべきである。しかし、悪人や悪事に反対する幅広い闘争が一定の段階に達したときは、各地の典型的なよい人物やよい事例を調査、分析して、それを表彰し、全党にこれらのよい典型を見ならわせ、正気を発揚し、邪気を圧倒するようにすべきである。各地にはこうした典型的なよい人物やよい事例が少なからずあるにちがいない、とわれわれは信じている。
(一九五三年三月十六日)
これは、毛沢東同志が中国共産党中央のために起草した党内指示である。
一部の地方では、民族関係がきわめて不正常である。このような状況は、共産党員にとって容認できないものである。わが党内の多くの党員と幹部のなかに存在する、ゆゆしい大漢民族主義の思想、すなわち、民族関係にあらわれている地士階級とブルジョア階級の反動思想、つまり国民党の思想を、深くほりさげて批判しなければならず、この面の誤りを改めることにすぐ取りかからなければならない。およそ少数民族のいる地方にはいずれも、民族政策がよくわかっていて、いまなお差別され苦しんでいる少数民族の同胞に心から同情をよせている同志に命じ、訪問団をひきいて訪問におもむかせるべきである。そのさい、馬に乗って花を見るような訪問ではなく、しんけんに調査研究をすすめ、地もとの党と政府をたすけて問題を見いだし、問題を解決するようにしなければならない。
すくなからぬ資料からみて、少数民族のいるところにはほとんど未解決の問題があり、なかにはきわめて重大な問題もあると、中央は考える。表面は平穏で、何事もないようだが、実際には、問題はきわめて重大である。この二、三年、各地で見いだされた問題は、いずれも、大漢民族主義がほとんどいたるところに存在することを立証している。いまのうちに、はやく教育し、党内と人民のなかにある大漢民族主義をだんこ克服しないなら、きわめて危険である。民族関係の面で、多くの地方の党内と人民のなかにある問題は、大漢民族主義の残りかすなどという問題ではなく、ゆゆしい大漢民族主義の問題なのである。つまり、これらの同志と人民はブルジョア思想に支配されていて、まだマルクス主義の教育をうけておらず、まだ中央の民族政策をよく理解していない、という問題である。したがって、しんけんに教育して、この問題を逐次解決するようにしなければならない。なお、事実にもとづいて、新聞にできるだけ文章を書き、公然と批判し、党員と人民を教育すべきである。
(一九五三年三月十九日)
これは、毛沢東同志が中国共産党中央のために起草した党内指示である。
(一)われわれの党組織と政府部門の農村工作には、農民大衆からひどく浮きあがって、農民とその積極分子の利益をそこなっているところがいくらかある。「五多」問題というのがそれである。「五多」とは、任務が多い、会議や講習会が多い、公文書・報告書・集計表が多い、組織が多い、積極分子の兼職が多い、などである。これらの問題はかなり以前から存在するもので、かつて党中央はそのうちのいくつかについて指示をあたえ、各級党委員会にこれを重視し、解決するよう要求したことがある。ところが、問題は解決されないばかりか、ますますひどくなっている。その原因は、問題全般を系統だてて提起しなかったことにある。とりわけ重要なのは、中央、大行政区、省(市)、車区、県など五段階の党と政府の指導機関で分散主義と官僚主義に反対する闘争をくりひろげなかったことである。総じて、区と郷の「五多」は、区と郷で生じたものではなく、上級機関からきたものである。それは、県以上の党と政府の各級指導機関にひどい分散主義と官僚主義が存在しているためにもたらされたものである。そのうちの一部は過去の革命戦争と土地改革の時期の産物であり、それが改められることなく、こんにちまで残されてきたものである。したがって、一九五三年には、官僚主義反対、命令主義反対、法規・規律違反反対についての党中央の指示を実行するなかで、指導機関に存在する官僚主義と分散主義を克服することに力をいれ、以前は必要であったが、いまはもう必要でない制度ややり方を改めなくてはならない。こうしてこそはじめて、この問題は解決できるのである。今後、各級の指導機関で任務をあたえる問題、会議を招集し、講習会をひらく問題、公文書や集計表を配布し、下級機関に報告書の提出を求める問題、区と郷の組織形態を定める問題、農村の積極分子を使用する問題については、いずれも、県以上の党委員会と政府の主な責任者が実行可能な範囲で、適当に定めることとし、問題によっては、中央が統一的に定めることとする。以前、各級の党、政府、大衆団体の多くの工作部門は、それぞれ独自に下級組織に任務をあたえ、勝手に下級組織の要員や農村の積極分子を招集して会議や講習会をひらき、むやみに公文書や集計表を配付し、勝手に下級組織または農村に報告書の提出を求めた。こうしたよくない制度ややり方は断固廃止し、そのかわりに指導のある、統一的な、実情に即した制度とやり方を採用しなくてはならない。農村の各郷にさまざまな委員会があること、積極分子の兼職が多すぎることについては、いずれも生産をさまたげ、われわれを大衆から浮きあがらせるものなので、これも断固として、だが段どりをおって改めていくべきである。
(二)党、政府、大衆団体の中央機構の関係語部門については、党中央がそれぞれ中央組織部、中央人民政府政務院およびその所属下の財政・経済、文化・教育、政治・法律など三委員会を主管する同志に責任をもたせて、以前「五多」問題をもたらした諸事項をすみやかに整理するとともに、適当な制度ややり方を定め、それを党中央へ報告するようにさせる。
(三)各大行政区と各省・市については、各中央局、分局、省・市委員会およびそれぞれの段階の行政機関を主管する同志が責任をもって、「五多」問題を整理し、それぞれの解決策を定め、これを党中央に報告する。このために、各中央局、分局、省・市委員会は、もっぱら「五多」問題の調査にあたる点検班を派遣し、それぞれの管轄下にある一、二の区と郷(都市では一、二の区、街)の状況を点検して、それを問題解決の参考資料にしてもらいたい。
(四)専区段階と県段階の「五多」問題については、省委員会が責任をもってその解決の指導にあたる。
(五)農業生産は農村の何よりも重要な仕事であり、その他の仕事はみな農業生産をめぐって、これに奉仕するためにおこなわれる。およそ農民の生産をさまたげるような任務や工作方法は、すべて避けるべきである。いまのところ、わが国の農業は基本的にはまだ旧式の道具をつかう分散した小農経済であり、機械をっかう集団化したソ連の農業とは大いに異なる。したがって、わが国では、いまの過渡期に農業面で統一的、計画的な生産をすすめることは、国営農場をのぞいてまだ不可能であり、農民に過度の干渉をするわけにはいかない。いまは、価格政策をはじめ、必要で実行可能な経済工作と政治工作によって農業生産を指導し、それを工業とのつりあいを保たせながら国の経済計画に組みいれていくよりほかはない。この限度をこえるような農業「計画」とか、農村での「任務」とかは、当然実行できず、またかならず農民の反対をまねくもので、全人口の八〇パーセント以上を占める農民大衆からわが党を浮きあがらせることになる。これはひじょうに危険なことである。区や郷の仕事のなかでの「五多」問題というのは、大部分がこのような農民にたいする過度の干渉の現われである(残りの部分は、革命戦争と土地改革の必要から生じたもので、それがずっと残されてきたのである)。それはすでに農民の不満を買っており、ぜひとも改めなければならない。
(一九五三年五月十九日)
これは、毛沢東同志が劉少奇、楊尚昆にたいし、二回にわたっておこなった書面の批判である。
今後、党中央の名義で文書、電報を出すばあいは、すべて、わたしが目を通してからでなくてはならない。さもなければ無効である。注意してもらいたい。
(一)昨年の八月一日(八月一日以前のものは点検した)からことしの五月五日までに、党中央または軍事委員会の名義で出した電報と文書のうち、わたしの目を通していないものがあるかどうか、またどれだけあるかについて(わたしが視察に出ていた期間と病気で休暇をとっていた期間のものは含まない)、責任をもって点検し、その結果を知らせてもらいたい。
(二)これまでに数回、党中央の会議の決議を、わたしの目を通さずに独断で出している。これは誤りであり、規律違反である。
(一九五三年六月十五日)
これは、毛沢東同志が中国共産党中央政治局会議でおこなった講話の一部分である。毛沢東同志は、この講話のなかで、劉少奇らの提起した「新民主主義の社会秩序を確立する」などの右翼日和見主義的観点に批判をくわえた。
過渡期〔1〕における党の総路線と総任務は、十年から十五年またはもうすこし長い期間内に、国の工業化と、農業、手工業、資本主義工商業にたいする社会主義的改造を基本的になしとげることである。この総路線はわれわれの諸活動を照らす燈台である。この総路線を離れてはならず、これを離れると「左」よりの、または右よりの誤りがおこることになる。
一部の人は、過渡期があまりにも長すぎると考えて、あせりが出てきている。これでは「左」よりの誤りを犯すことになる。一部の人は、民主主義革命が成功したのちも、相変わらずもとのところにとどまっている。かれらは革命の性質が転化したことがわからず、なおも、かれらの「新民主主義」をやりつづけており、社会主義的改造をやろうとはしない。これでは右よりの誤りを犯すことになる。農業についていえば、社会主義の道はわが国の農業のあゆむべき唯一の道である。互助・協同化運動を発展させ、農業の生産力をたえず向上させること、これは党の農村における活動の中心である。
右よりの現われとして、次の三つのことばがあげられる。
「新民主主義の社会秩序を確立する」。このような提起のしかたは有害である。過渡期には、毎日のように変動がみられ、毎日のように社会主義的要素がうまれている。「新民主主義の社会秩序」とやらを、どのように「確立」するというのか。「確立する」のはたいへんむずかしいことだ。たとえば私営工商業は、いま改造されつつあり、ことしの後半に、ある種の秩序が「立て」られるとしても、来年にはこれも「確か」ではなくなる。農業の互助・協同化も年ごとに変わっている。過渡期には矛盾と闘争がみちみちている。われわれの現在の革命闘争は、過去の武装革命闘争にくらべてさえも、なおきびしいものがある。これは資本主義制度とすべての搾取制度を徹底的に葬りさる革命である。「新民主主義の社会秩序を確立する」という考え方は、闘争の実情にそぐわないものであり、社会主義事業の発展を妨げるものである。
「新民主主義から社会主義に向かってすすむ」。このような提起のしかたは明確ではない。それに向かってすすむだけで、毎年それに向かってすすみ、十五年たってもやはりそれに向かってすすむというのか。それに向かってすすむということは、つまり到達していないことである。このような提起のしかたは、見たところよさそうだが、こまかく分析してみると妥当ではない。
「私有財産を確実に保護する」。中農は「出る杭」となるのをおそれ、「共産」されるのをおそれているので、一部の人はこのようなスローガンをうち出して、かれらを安心させようとしている。だが、それはまちがっている。
われわれは、一歩一歩と社会主義に移行する、と提起している。これだと比較的よい。一歩一歩というのは、全部で十五年にわけられ、その一年がまた十二ヵ月ある。あまりはやくすすめば「左」よりであり、すすまなければまったくの右よりである。「左」よりにも右よりにも反対し、一歩一歩と移行して、最後には全部移行しおえるのである。
〔1〕 ここでいう「過渡期」とは、中華人民共和国が成立してから社会主義的改造が基本的になしとげられるまでの期間をさす。この過渡期における党の総路線と総任務は、かなり長い期間内に、国の工業化と、農業、手工業、資本主義工商業にたいする社会主義的改造を基本的になしとげることである。この過渡期と、毛沢東同志が一九六二年九月に党の第八期中央委員会第十回総会でのべ、またそれ以後にのべた過渡期とは内容が異なっている。後者は資本主義から共産主義へ移行するまでの全歴史的段階をさす。
(一九五三年六月三十日)
これは、毛沢東同志が中国新民主主義青年団第二回全国代表大会の主席団を接見したときの談話である。
青年団が党にたいして独自性をふりまわす問題は、すでに過去のものとなった。いまの問題は、独自性をふりまわすことではなく、青年団の独自の活動が足りないことである。
青年団は、党の中心任務に呼応しなければならない。だが、それに呼応するなかで、独自の活動をしなければならず、青年の特徴を配慮しなければならない。一九五二年、わたしは団中央の同志と話をしたとき、団中央に検討してもらうため二つのテーマを出した。一つは党がどのように団の活動を指導したらよいかということ、もう一つは青年団がどのように活動をすすめたらよいかということである。この二つのテーマには、どちらも、青年の特徴をどのように配慮するかという問題がふくまれている。各地の党委員会は、青年団の活動に満足していると言っている。それも、党の中心任務に呼応しているからである。こんどは不満の点を出してみよう。それは、青年団がまだ青年の特徴に通した独自の活動をやっていないことである。党と団の指導機関は、どちちも団を指導する仕事を学びとり、党の中心任務をめぐって、青年の特徴を配慮し、広範な青年大衆を組織、教育することに習熟しなければならない。
青年団は党の指導のもとで、各分野の革命活動に積極的に参加し、大きな成果をあげている。工場、農村、軍隊、学校をとわず、どの革命事業も、青年がいなければ、勝利することはできない。中国の青年は、よく規律を守り、党からあたえられた辞任務をなしとげている。いま、朝鮮の休戦が実現し、土地改革も終わったので、国内における活動の重点は、社会主義的改造と社会主義建設にうつりつつある。したがって、学習をしなければならない。青年団は、青年にたいする指導のしかたをよく学びとり、かれらが大人といっしょになって、農村では農業を、都市では工業を、学校では学業を、機関では業務をそれぞれりっぱにやり、軍隊では国防軍の訓練をりっぱにやって現代的な軍隊をつくりあげるよう、みちびいていかなければならない。
十四歳から二十五歳までの青年は、学習もし、仕事もしなければならない。だが、青年期は体の発育する時期なので、もしも体の発育を重視しなければ、それはひじょうに危険である。青年は、大人がすでに身につけた多くのものを学びとらなければならないので、大人よりもっと学習をする必要がある。しかし、学習も仕事も負担が重すぎてはならない。とくに十四歳から十八歳までの青年には、大人とおなじ強度の労働をさせてはならない。青年は余分にあそんだり、娯楽をたのしんだり、飛んだり跳ねたりしたがるものだ。そうしなければ、機嫌がよくない。やがて恋愛もし、結婚もする。これらの点はみな、大人とちがっている。
わたしは、青年たちに次のことばをおくる。一、よく体をきたえてほしい。二、よく学習をしてほしい。三、よく仕事をしてほしい。
わたしは、学生の睡眠時間をもう一時間ふやすよう提案する。いまは八時間となっているが、実際には六、七時間しか眠っていないので、一般に寝不足を感じている。勉学中の青年は神経衰弱になりやすいから、とかく寝つきがわるく、寝おきもよくない。どうしても睡眠時間を九時間と決めなければならない。命令を出して、有無をいわさず、実行させるべきである。青年はよく眠らなければならないが、教師も十分に睡眠をとる必要がある。
革命によって、いろいろとよいところがうまれたが、一つ、よくないところも出てきた。みんながあまりにも積極的で、あまりにも熱心なため、過労をまねいたというのがそれである。いまはみんなの体――労働者、農民、兵士、学生、幹部などの体がみな健康であるように保証しなければならない。もちろん、体がよいからといって、学科がりっぱだとはかぎらない。学習にはそれなりの工夫が必要である。
いまは、初級中学の授業時間もすこし多すぎるから、適当に減らすことを考えてよい。積極分子は会議が多すぎるので、それも減らすべきである。一方では学習、もう一方では娯楽、休息、睡眠――この双方を十分に配慮しなければならない。労働者、農民、兵士の青年は仕事のなかで学習するのだから、やはり仕事や学習と娯楽、休息、睡眠との双方に十分な配慮をくわえなければならない。
双方とも、しっかりつかまなければならない。つまり、学習や仕事をしっかりつかまなければならないが、睡眠、休息、娯楽もしっかりつかまなければならない。これまでは、一方だけをしっかりつかんだが、もう一方をしっかりつかまなかったか、あるいはなおざりにしていた。いまは娯楽活動をやる必要があり、それには時間と設備がなくてはならず、こちらのほうもしっかりつかまなければならない。党中央はすでに会議の回数と学習時間を減らす決定をおこなったが、諸君はその実行を監督しなければならない。もしも実行しない人がいれば、その人に詰問すべきである。
要するに、青年がよく体をきたえ、よく学習をし、よく仕事をするようにみちびいていくべきである。指導者のなかには、青年に仕事ばかりやらせて、その体に注意しない者が一部いるが、諸君はいまのことばでやりかえせはよい。理由は十二分にある。若い世代を、いっそう健やかに成長できるよう守っていくためである。わたしたちの世代は、大人が子供をかまってくれなかったために損をした。食事のとき、大人には食卓があるが、子供にはなかった。家のなかで、子供には発言権がなく、泣けば平手打ちをくらわされた。いま、新中国では方針をあらため、青少年のために考えなければならない。
団の中央委員には、若い幹部を選出すべきである。三国時代に、曹操が大軍をひきいて、長江以南をめざし、呉の国を攻めた。そのとき、「青年団員」の周瑜が呉の総帥になったので、程普らの老将は不服であった。その後、老将たちを説得して、やはり周瑜にやらせたところ、けっきょく、いくさに勝った。いま、周瑜に団の中央委員になってもらおうとすると、みんなが賛成しない。団の中央委員には年をとっている人ばかり選ばれて、若い人があまりにも少ない。これでよいだろうか。もちろん、すべて年齢によるというのではなく、能力にもよらなければならない。団の中央委員の候補者名簿には、三十歳以下の者がもとは九名しかいなかったが、党中央の討議をへて、いまは六十数名にまでふえた。それでも、四分の一強を占めているにすぎない。三十歳以上の者がなお四分の三弱を占めているのに、一部の同志はまだ少ないと言っている。わたしに言わせると、少なくはない。六十数名の若い人がみな適任であるかどうかについては、自信がないと言う同志もいる。だが、若い人を十万に信用すべきだ。その圧倒的多数は任にたえるとおもう。ごく少数の者は不適任かもしれないが、それも心配することはなく、あとで改選すればよい。このようにすれば、基本的方向はまちがうことがない。若い人がわれわれよりも劣っているとはかぎらない。年寄りは経験があるから、もちろんまさってはいるが、その生理的機能がしだいに衰えており、目や耳があまり利かず、手足も若い人ほど敏捷ではない。これは自然の法則である。したがって、賛成しない同志たちを説得しなければならない。
青年団は、青年の特徴を配慮し、独自の分野の活動をしなければならないが、同時にまた各級党委員会の指導を受けなければならない。これはなにも新しい発明ではなく、ずっとまえからあったもので、マルクス主義は一貫してこう言っている。これは、実際から出発しているのである。青年は、とどのつまり青年である。そうでなければ、どうして青年団をつくる必要があるだろうか。若い人は大人とちがうし、若い女性は若い男性ともちがう。これらの特徴を配慮しないと、大衆から浮きあがってしまう。いま、諸君の団員は九百万人いるが、もしも青年の特徴に注意をはらわなければ、諸君を擁護する人は百万人だけで、八百万人は擁護しなくなるかもしれない。
青年団の活動は、多数の人について配慮し、同時に先進的な青年にも気をくばるようにすることである。こうすると、一部の先進分子は物足りなく思い、全団員をきびしく律するよう要求するかもしれない。それはあまり妥当ではないので、かれらを説得すべきである。団の規約草案の規定では、義務が多く、権利が少ない。もう少しゆるめて、多数の人がついていけるようにしなければならない。重点は多数のほうにおくべきで、少数にだけ気をとられてはならない。
諸君の団規約草案の規定によると、四ヵ月間、団生活に参加しなければ、自動的に離団したものと見なされるが、これではあまりにもきびしすぎる。党規約でさえ六ヵ月と規定しているのだから、諸君も六ヵ月にしたらどうだろう。できもしないこと、あるいは百万人だけができて、八百万人ができないようなこと、こうしたことは団規約のなかに書きいれないほうがよい。原則性をつらぬくには、融通性がなくてはならない。道理からいえばそうあるべきだが、実際にはこうであるというように、そのあいだには開きがある。法律の条文でも、ほんとうに実行するまでには数年かかるものがある。たとえば、婚姻法の多くの条文は綱領的なものだが、それを完全に実行するには、少なくとも三つの五ヵ年計画の期間が必要である。「かげであれこれ言ってはならない」という箇条は、原則的には正しいが、団規約に書きいれる必要はない。自由主義反対は長期的な課題で、党内にも自由主義がまだ少なからず残っているのだ。かげぐちを一言もたたかせないというのは、実際にはできない相談である。ワクをあまり小さくしてはならず、主として敵と味方をはっきり区別すればよい。
威信は、しだいにうち立てるれるものである。以前、軍隊のなかに、歌をつくって悪口をいう者がいたが、われわれは禁止もしなければ、追及もしなかった。それでも、軍隊はつぶれなかった。われわれがただ三大規律・八項注意のような主要なものに力をいれただけで、部隊はだんだん軌道に乗るようになったのだ。指導者にたいする大衆のほんとうの敬服の気持ちは、革命の実践のなかでの理解からうまれてくる。ほんとうに理解してこそ、はじめて信頼することができるのだ。いま、団中央の威信は、もうかなり高い。一部の人はまだ敬服していないが、だんだん敬服するようになるだろう。若者は登場したばかりで、威信が高くないが、あせることはない。少しも批判されず、悪口をいわれないなどというのは、ありえないことである。「かげぐち」がひろまるのは、「面とむかっての批判」が足りないからである。民主が徹底し、面とむかって痛いところをつくことができれば、「かげぐち」をたたかせようとしても、そんなひまがない、もう休ませてくれ、と言うだろう。しかし、問題はつねに存在するものだ。いっぺんに解決できると考えてはならない。いまも存在するし、将来も存在するだろう。
過渡期における党の総任務とは、三つの五ヵ年計画を経て、社会主義的工業化と農業、手工業、資本主義工商業の社会主義的改造を基本的になしとげることである。三つの五ヵ年計画といえば、十五年である。一年で小さく一歩前進し、五年で大きく一歩前進する。三歩大きく前進すれば、まずまずである。基本的になしとげるとは、完全になしとげるということではない。基本的になしとげるというのは、ひかえ目な言い方だ。世の中の事がらは、やはり、ややひかえ目のほうがよいのである。
いま、中国の農業の大部分は個人経済で、段どりをおって社会主義的改造をなしとげなければならない。農業の互助・協同化運動を展開するには、自由意思の原則を堅持しなければならない。この運動を展開しないと、資本主義の道をあゆむくとになろう。それは右の偏向である。しかし、行きすぎてもいけない、それは「左」の偏向である。要するに、準備をととのえ、段どりを追っておこなわなければならない。われわれは、由来、準備もなく勝算もない戦いをしないし、準備はあるが勝算のない戦いもしないのである。以前、蒋介石と戦ったとき、はじめは主観主義の誤りを犯す人がいたが、あとでは整風を経て主観主義を克服したため、戦いに勝つようになった。いまは社会主義の戦いをしているのであり、社会主義的工業化と農業、手工業、資本主義工商業の社会主義的改造をなしとげなければならない。これは全国人民の総任務である。青年団がどのようにこの総任務を遂行するかについては、諸君が青年の特徴にもとづいて、適当に決めるべきである。
(一九五三年七月九日)
これは、毛沢東同志が一九五三年夏にひらかれた全国財政・経済活動会議の、ある文書に書きいれた意見である。
中国のいまの資本主義経済は、そのほとんどが人民政府の管理のもとにおかれ、各種の形式をつうじて国営の社会主義経済とつながりをもち、また労働者の監督をうけている資本主義経済である。こうした資本主義経済は、もはや一般の資本主義経済ではなく、特殊な資本主義経済、つまり新しい型の国家資本主義経済である。それは、主として資本家の利潤のために存在しているのではなく、人民と国家の需要を満たすために存在しているのである。たしかに、労働者はまだ資本家のために一部の利潤をうみだしているが、しかしこれも利潤ぜんたいのうちの小部分、およそ四分の一前後にすぎず、あとの四分の三は、労働者のため(福祉費)、国家のため(所得税)、および生産設備の拡大のため(このなかには資本家のために利潤をうむものが、小部分ふくまれる)のものである。したがって、こうした新しい型の国家資本主義経済は、社会主義的性質を大きく帯びており、労働者と国家にとって有利なものである。
(一九五三年八月)
これは、毛沢東同志が一九五三年夏の全国財政・経済活動会議における周恩来同志の総括を審査したさいに書いた重要指示である。
中華人民共和国が成立してから社会主義的改造が基本的になしとげられるまで、これはひとつの過渡期である。この過渡期における党の総路線と総任務は、かなり長い期間内に、国の工業化と、農業、手工業、資本主義工商業にたいする社会主義的改造を基本的に実現することである。この総路線はわれわれの諸活動を照らす燈台であるべきで、どの活動もそれから離れると、右よりのまたは「左」よりの誤りを犯すことになる。
この総路線の幾多の方針、政策は、一九四九年三月にひらかれた党の二中総の決議ですでに提起されており、しかも原則的な解決をみている。ところが、多くの同志は、二中総の規定にもとづいた活動をしたがらないばかりか、一部の問題では二中総の規定にそぐわない別のやり方を勝手にもちだすことをよしとし、はては公然と二中総の原則にそむいている。
(一九五三年八月十二日)
これは、毛沢東同志が一九五三年夏の全国財政・経済活動会議でおこなった演説である。
今回の会議はひじょうによかったし、周総理の結論もよかった。
いま、われわれは「三反」「五反」運動のあと、党内に性質の異なった二つの誤りがあるのを見いだすことができる。一つは一般的な誤り、たとえば「五多」で、これはだれでも犯すだろうし、いつでも犯す可能性がある。「五多」の誤りはまた「五少」の誤りに変わることもある。もう一つは原則的な誤りで、たとえば資本主義的偏向である。これは党内におけるブルジョア思想の反映であり、マルクス・レーニン主義にそむく立場の問題である。
「三反」「五反」運動は、党内のブルジョア思想にたいへん大きな打撃をあたえた。しかし、当時はただ汚職、浪費の面でのブルジョア思想に基本的な打撃をあたえたにすぎず、路線問題に反映されたブルジョア思想を解決するまでにはいたらなかった。このようなブルジョア思想は、財政・経済活動のなかに存在するばかりでなく、政治・法律、文化・教育およびその他の活動分野のなかにも存在し、中央の同志のなかにも、地方の同志のなかにも存在している。
財政・経済活動のなかでの誤りにたいしては、去年の十二月に薄一波同志が「公私の一律平等」の新税制①をもちだしてから今回の会議にいたるまで、きびしく批判してきた。この新税制をおし進めていけば、必然的に、マルクス・レーニン主義から遊離し、過渡期における党の総路線から遊離して、資本主義にむかって発展していくであろう。
過渡期は、社会主義にむかって発展するのか、それとも資本主義にむかって発展するのか。党の総路線からいえば、社会主義へ移行していくのである。それには相当長い期間の闘争を経なければならない。新税制の誤りは、張子善〔1〕の問題とはちがって思想上の問題であり、党の総路線から遊離しているという問題である。党内においてブルジョア思想に反対する闘争をくりひろげなければならない。思想状況についていえば、党内には三種類の人がいる。ある同志たちは確固としており、動揺しておらず、マルクス・レーニン主義の思想をもっている。一部の同志は、基本的にはマルクス・レーニン主義であるが、非マルクス・レーニン主義の思想もいくぶんかまざっている。少数の人はよくない。かれらの思想は非マルクス・レーニン主義である。薄一波の誤った思想にたいする批判のなかで、薄一波の誤りは小ブルジョア階級の個人主義だという人がいるが、これは妥当ではない。おもにはかれの、資本主義に有利で社会主義に不利なブルジョア思想を批判すべきである。このような批判こそが正しい。「左」翼日和見主義の誤りは、小ブルジョア階級の熱狂性の党内への反映である、とかつてわれわれは言ったが、これはブルジョア階級との決裂の時期に発生したものである。ブルジョア階級と合作をした三つの時期、つまり第一次国共合作の時期、抗日戦争の時期と現在のこの時期には、いずれもブルジョア思想が党内の一部の人に影響をおよぼし、かれらを動揺させた。薄一波は、このような状況のもとで誤りを犯したのである。
薄一波の誤りは孤立したものではなく、中央にあるばかりか、大行政区や省・市の両段階にもある。各大行政区と省・市は、会議をひらいて、中国共産党第七期中央委員会第二回総会の決議と今回の会議の総括をもとに、自己の活動を点検し、これによって幹部を教育する必要がある。
最近、わたしは武漢、南京をひとまわりし、多くの状況を知って大いに得るところがあった。北京ではわたしは、ほとんど何も耳にすることができない。今後も各地をまわってみたいとおもう。中央の指導機関は思想製品をつくる工場である。もし地方の状況を知らず、原料もなく半製品もないとすれば、どうやって製品をつくりだせるのか。あるものは地方ですでに製品になっている。中央の指導機関はこれを全国におしひろめればよいのである。たとえば、旧「三反」と新「三反」〔2〕はともに地方で先にはじめられたのである。中央の各部門は指示を乱発している。もともと中央の各部門が出すものは一級品でなければならない。だが、現在は二級品であるばかりか、大量の製品はまったく使用価値がなく、廃品となっている。大行政区と省・市の指導機関は、思想製品をつくる地方工場であり、ここでも一級品を出さなければいけない。
薄一波の誤りはブルジョア思想を反映したものである。これは資本主義に有利で、社会主義と半社会主義に不利であり、七期二中総の決議に違反している。
われわれはだれに依拠するのか。労働者階級に依拠するのか、それともブルジョア階級に依拠するのか。「ひたすら労働者階級に依拠しなければならない」と、七期二中総の決議にはすでにはっきりのべられている。また、決議は、生産を回復し発展させる問題については、第一が国営工業の生産であり、第二が私営工業の生産であり、第三が手工業の生産であると確定すべきだ、といっている。重点は工業であり、工業の重点は重工業であって、これは国営である。わが国における現在の五種類の経済要素のなかで、国営経済は指導的要素である。資本主義工商業は逐次、国家資本主義へみちびくべきである。
二中総の決議では、生産を発展させる基礎のうえで労働者と勤労人民の生活を改善する、とのべている。ブルジョア思想をもつ人は, この点に留意しない。薄一波はその代表である。われわれの重点は、かならず生産の発展におかれなければならない。しかし、生産の発展と人民の生活改善の両方をともに配慮すべきである。福祉は、はからねばならず、はかりすぎてもいけないが、はからないのはよくない。いま、人民の生活をかえりみず、人民の死活をかえりみない幹部がまだ少なからずいる。貴州省のある連隊は、かつて農民の田畑を大量に占拠したことがあるが、これは人民の利益にたいするゆゆしい侵害行為である。人民の生活をかえりみないのは誤りである。だが重点はやはり生産建設におくべきである。
資本主義経済を利用し、制限し、改造する問題については、二中総でもはっきり言っている。私的資本主義経済にたいしては、その活動範囲、徴税政策、市場価格、労働条件など各方面から制限をくわえ、はびこるにまかせてはならない、と決議にのべている。社会主義経済と資本主義経済は指導と被指導の関係である。制限と反制限は、新民主主義国家における階級闘争の主要な形態である。いま新税制で「公私の一律平等」をとなえているが、これは国営経済が指導的要素であるという路線に違反するものである。
個人経営の農業経済および手工業経済の協同化の問題について、二中総の決議は明確に次のようにのべている。「この種の協同糾合は私有制を基礎とした、プロレタリア階級の指導する国家権力の管理のもとにおかれた、勤労人民大衆の集団経済組織である。中国人民は文化的におくれており、協同組合の伝統がないので、われわれの協同組合運動は、これを普及させ発展させるうえでたいへん困難を感じている。しかし、協同組合はつくることができるし、また、つくらなければならず、普及させ発展させなければならない。国営経済があるだけで、協同組合経済がなければ、われわれは勤労人民の個人経営経済を一歩一歩集団化の方向にむかうよう指導することはできず、新民主主義国家を将来の社会主義国家に発展させることはできず、国家権力におけるプロレタリア階級の指導権をうち固めることはできない。」これは一九四九年三月の決議であるのに、かなり多くの同志は心にとめていないし、これを初耳だとおもっているが、じつは旧聞なのである。薄一波は『農村における党の政治活動を強化せよ』という論文を書いた。そのなかでかれは、個人経営の農民が互助・協同化を経て集団化の道をあゆむのは、「まったくの空想である。なぜなら現在の互助組は、個人経営経済を基礎としており、このような基礎から漸次集団農場に発展することはできず、このような道を経て全体的な規模で農業を集団化させることはなおさらできない」とのべている。これは党の決議に違反している。
いま、二種類の統一戦線、二種類の同盟がある。一つは労働者階級と農民との同盟で、これが基礎である。一つは労働者階級と民族ブルジョア階級との同盟である。農民は勤労者であり、搾取者ではない。労働者階級と農民との同盟は長期的なものである。しかし、労働者階級と農民のあいだには矛盾がある。われわれは自由意思の原則にもとづいて、農民を個人所有制から集団所有制に一歩一歩みちびくべきである。将来、国家所有制と集団所有制のあいだにも矛盾が出てくる。これらは非敵対性の矛盾である。労働者階級とブルジョア階級との矛盾は敵対性の矛盾である。
ブルジョア階級はかならず人をむしばみ、糖衣弾を打ちこんでくる。ブルジョア階級の糖衣弾には物質的なものもあれば精神的なものもある。その精神的な糖衣弾が一つの標的に命中した。それが薄一波である。かれの誤りはブルジョア思想の影響をうけたことにある。新税制を宣伝した社説に、ブルジョア階級は拍手をおくり、薄一波は喜んだ。新税制についてかれは、事前にブルジョア階級の意見を求め、ブルジョア階級と紳士協定を結んだが、中央には報告していないのである。当時、商業部、購買販売合作総社はこれに賛成していなかったし、軽工業部も不満であった。財政・経済、商業関係の百十万の幹部と職員・労働者の絶対多数はよいが、少数のよくない者がいる。これらのよくない者はまた二つにわけることができる。一部分は反革命分子で、これは一掃すべきである。もう一部分は党員と非党員をふくむ、誤りを犯した革命者であり、批判、教育の方法でかれらを改造すべきである。
社会主義事業の成功を保証するためには、全党で、まず中央、大行政区、省・中という三段階の共産党、政府、軍隊、人民団体の各指導機関で、右翼日和見主義の偏向、すなわち党内のブルジョア思想に反対しなければならない。各大行政区と省・市は、適当な時期に地区委員会書記、地区専員②の参加する会議を招集して、批判と討論をくりひろげ、社会主義の道と資本主義の道の問題についてはっきり説明すべきである。
社会主義事業の成功を保証するためには、かならず集団指導を実施し、分散主義に反対し、主観主義に反対すべきである。
われわれは、いま、主観主義に反対するにあたり、盲目的に暴走する主観主義に反対するとともに、保守的な主観主義にも反対しなければならない。かつて、新民主主義革命の時期に、主観主義の誤りを犯したことがあるが、それには右よりのものもあれば「左」よりのものもあった。陳独秀、張国燾は右より、王明は、はじめは「左」より、のちには右よりであった。延安での整風運動のときは、集中的に教条主義に反対し、付帯的に経験主義に反対した。両者とも主観主義であった。理論と実際が結びつかなければ、革命は勝利することができない。整風はこの問題を解決した。われわれは、前の誤りを後のいましめとし、病をなおして人を救うという方針をとったが、それは正しかった。今回、薄一波にたいして断固とした徹底的な批判をおこなったのは、誤りを犯した人に、誤りを改めさせるためであり、社会主義が勝利のうちに前進するのを保証するためである。いまは社会主義革命の時期であるが、この時期にも主観主義はある。あせって暴走するとか保守的であるとかいうのは、実際の状況に即して仕事をしていないことであって、ともに主観主義である。主観主義を一掃しないかぎり、革命と建設は成功しない。民主主義革命の時期には、主観主義の誤りにたいして整風の方法でこれを解決し、全党の正しい路線を実行した同志と誤りを犯した同志とを団結させた。こうして、みんな延安から出発してそれぞれの戦場におもむき、全党が一丸となって全国の勝利をかちとったのである。いま、幹部はわりあいに成熟しており、レベルも高まっている。あまり多くの時間をかけすに、指導活動のなかでの主観主義を基本的に一掃し、主観と客観を合致させるよう努力することを希望する。
これらのすべての問題を解決する鍵は、集団指導を強面にし、分散主義に反対することである。われわれは一貫して分散主義に反対してきた。一九四一年二月二日、中央は各中央局および各将領に指示を出し、およそ、全国的な意義のある通電や宣言、対内指示は、かならず事前に中央の指示を仰ぐよう規定した。五月に、中央は各根拠地における対外宣伝の統一についての指示を発した。同年七月一 日、党の成立二十周年を記念したさい、中央は、党性を強化することについての決定を発し、重点的に分散主義に反対した。一九四八年に中央が出した分散主義に反対する指示はもっと多い。一月七日、中央は、報告制度確立についての指示を発し、三月にまたその補充指示を出した。同年九月には、政治局会議で、中央にたいする指示要請と報告の制度にかんする決議をおこなった。九月ニ十日、中央は、党委員会制度の健全化をはかる決定をおこなった。一九五三年三月十日、政府の各部門が党中央の指導から離脱する危険をさけるため、中央は、政府活動への指導を強化する決定をおこなった。
集中と分散はつねに矛盾している。都市にはいってから、分散主義はひどくなっている。この矛盾を解決するためには、すべての主要な、また南要な問題は、まず党委員会が討議、決定してから政府によって執行されるべきである。たとえば、天安門に人民英雄記念碑を建てることや、北京の城壁をとりはらうことなどの大きな問題は、中央の決定を経て政府によって執行されている。副次的な問題は、政府部門の党グループによって処理されるべきで、あらゆる問題をみな中央が背負うわけにはいかない。分散主義に反対することは、たいへん人びとによろこばれる。なぜなら、党内の大多数の同志は、集団指導に心をくばっているからである。集団指導にたいする態度では、党内に三種類の人がいる。第一種の人は、集団指導に心をくばっている。第二種の人は、それほど心をくばらず、党委員会が自分を監督しないのがいちばんのぞましいが、監督してもよいと考えている。「監督しないのがいちばんのぞましい」、これは党性が欠如しており、「監督してもよい」にはまだ党性がある。われわれは、その「監督してもよい」という一面をとらえ、その党性の欠如している面について説得、教育すべきである。さもなければ、それぞれの部は自分勝手に事をはこび、中央はそれぞれの部を監督できず、部長は司・局長を監督できず、処長は科長を監督できず、だれかだれをも監督できなくなる。こうなれば王国がふえ、八百諸侯がのさばることになる。第三種の人はごく少数である。かれらはかたくなに集団指導に反対し、党が自分を永遠に監督しないのがいちばんよいと考えている。党性を強化することについての決定のなかで、民主集中制の規律を厳格に実施するよう強調し、少数は多数に服従し、個人は組織に服従し、下級は上級に服従し、全党は中央に服従する(これは多数が少数に服従するのであるが、この少数は多数を代表している)とのべている。意見があるなら出せばよく、党の団結を破壊するのはもっとも恥ずべきことである。集団の政治経験と集団の知恵に依拠してこそ、党と国家の正しい指導が保証され、党の隊列のゆるぎない一致団結が保証されるのである。
今回の会議で、劉少奇は自分にいくらかは誤りがあると言った。鄧小平同志も自分にいくらかは誤りがあると言った。だれであろうと誤りを犯したら自己批判すべきであり、党の監督をうけ、各段階の党委員会の指導をうけるべきである。これは党の任務をやりとげるための主要な条件である。全国には、無政府状態につけこんで飯を食っている人がたくさんいる。薄一波はこのような人物だ。かれは、政治上、思想上いくらか腐敗している。かれを批判するのはまったく必要なことである。
最後に話したいのは、謙虚と学習、それに堅忍不抜の精神を提唱すべきだということである。
堅忍不抜でなければならない。たとえば、抗米援朝の戦年で、われわれはアメリカ帝国主義をこっぴどくたたき、かれらは相当におそれをなしている。これは、われわれの建設に有利であり、われわれが建設をすすめる重要な条件である。とりわけ重要なのは、われわれの軍隊が鍛錬され、兵士は勇敢になり、幹部も知謀に富んできたことである。もちろん、われわれも犠牲者を出し、金をつかい、代償をはらった。しかし、われわれは犠牲をおそれない。やらないときはそれまでだが、やりだしたらとことんまでやるのである。胡宗南が陝西・甘粛・寧夏辺区に進攻してきたとき、われわれは県都を一つ残すのみであったが、辺区からは撤退しなかった。必要とあらば木の葉をも食べる。このような根性がなければならない。
学習しなければならない。おごり高ぶったり、他人を見下げたりしてはならない。鵝鳥のタマゴが鶏のタマゴを見下げたり、鉄金属が希有金属を見下げたりするような、他人を見下げる態度は非科学的である。中国は大きな国であり、わが党は大きな党ではあるが、小さな国や小さな党を見下げる理由はない。兄弟諸国の人民にたいしては、永遠に学ぶ態度をもつべきであり、真の国際主義精神をもつべきである。対外貿易の面で一部の人は、おごり高ぶり尊大にふるまっているが、これはまちがいである。全党で、とくに国外で仕事をする人たちのあいだで、この点について教育すべきである。一心に学び、懸命に仕事をして、十五年あるいはもうすこし長い期間に、社会主義的工業化と社会主義的改造を基本的に完成しなければならない。そのとき、わが国が強火になっても、やはり謙虚でなければならず、永遠に学ぶ態度をもつべきである。
七期二中総には、決議のなかに書きいれない幾つかの規定があった。その一に曰く、誕生祝いをしない。誕生祝いをしても長生きするわけではない。なによりも仕事をりっぱにやることである。その二に曰く、贈り物をしない。すくなくとも党内ではしてはならない。その三に曰く、あまり献杯してはいけない。特定の場合はかまわない。その四に曰く、拍手を少なくする。ただ、禁止する必要はなく、大衆の熱意から出たものには水をさすべきでない。その五に曰く、人の名前を地名につけない。その六に曰く、中国の同志をマルクス、エンゲルス、レーニン・スターリンと対等にならべてはいけない。これは学生と先生の関係であって、当然のことである。これらの規定を遵守することこそ謙虚な態度である。
要するに、謙虚と学習、それに堅忍不抜の精神を堅持し、集団指導の体制を壁侍して、社会主義的改造をなしとげ、社会主義の勝利をかちとらなければならない。
〔1〕 張子善は、かつて中国共産党天津地区委員会書記の任にあったが、ブルジョア階級にむしばまれて大汚職犯に堕落し、「三反」運動のなかで死刑に処せられた。
〔2〕 旧「三反」とは、一九五一年にくりひろげられた汚職反対、浪費反対、官僚主義反対の闘争をさす。新「三反」とは、一九五三年にくりひろげられた官僚主義反対、命令主義反対、法規・規律違反反対の闘争をさす。
① この新税制は、一九五二年十二月に提出され、一九五三年一月から実施された。こうした税制は、「公私の一律平等」とうたっているが、実際には納税の面で私営工商業の負担を軽くし、国営と協同組合経営の工商業の負担を重くするもので、国営と協同組合経営の工商業には不利であり、資本家に有利であった。毛沢東同志が批判したあと、この誤りはすみやかに是正された。
② 若干の県を管轄する地区段階の専員公署の行政面の責任者をいう。専員公署とは、省・自治区人民委員会の出先機関である。
(一九五三年九月七日)
毛沢東同志は、一九五三年九月七日、民主政党および工商業界の一部の代表と談話をおこなった。これは毛沢東同志が書いた談話の要点である。
国家資本主義をつうじて、資本主義から社会主義への改造をなしとげる。
(一)これまで三年あまり、いくらか仕事をしたが、ほかのことで忙しく、あまり力をいれなかった。これからは、もっと仕事をしなければならない。
(二)三年あまりの経験があるので、次の点はすでに確認することができる――国家資本主義をつうじて私営工商業の社会主義的改造をなしとげることは、比較的健全な方針、方法である。
(三)共同綱領第三十一条〔1〕の方針については、現在、これを明確にし、しだいに具体化していかなければならない。「明確にする」とは、中央と地方の指導的人物がその考え方のうえで、同家資本主義は資本主義工商業の改造と社会主義への逐次的移行にあたってかならず経なければならない道だという点を、まず確認することである。この点は、共産党の側でも、民主人士の側でも、まだなされてはいない。こんどの会議①の目的は、これをなしとげることにある。
(四)着実に前進し、あまり急いではならない。全国の私営工商業を基本的に国家資本主義の軌道にのせるには、少なくとも三年かち五年はかかる。したがって、衝撃や不安があってはならない。
(五)公私合営をおこなう、全原料を供給し全製品を買い付ける加工・発注をおこなう、大部分の製品の買い付けだけをおこなう――これが私営工業における国家資本主義の三つの形態である。
(六)私営商業でも国家資本主義を実施してよく、「除外」という二子でかたづけてしまってはならない。この面での経験はあまり多くはなく、なお検討を要する。
(七)労働者、店員ほぼ三百八十万をもつ私営工商業は、国の大きな財産であり、国の経済と人民の生活のなかで大きな役割をはたしている。私営工商業は、国家に製品を供給するだけでなく、国家のために資金を蓄積し、幹部を訓練することもできる。
(八)一部の資本家は、国家とのあいだに大きな距離があり、いまだに営利一点ばりの考え方を変えていない。一部の労働者は、歩調がはやすぎ、資本家が利益をあげるのを許さない。われわれは、この双方の人たちを、逐次(だが、なるべくはやく)、国家の方針・政策に適応できるように教育していかなければならない。つまり、中国の私営工商業を、基本的には国の経済と人民の生活に奉仕し、部分的に資本家の利益をはかるものにする――こうすれば、国家資本主義の軌道にのせることができるのである。
国家資本主義企業の利潤の配分については、次表のとおり――
(九)資本家のあいだで、ひきつづき愛国主義の教育をすすめる必要がある。このためには、共産党と人民政府に近づくことを願う、見識の高い、若干の資本家を計画的に育成し、かれらをつうじて大部分の資本家を説得していくようにする。
(十)国家資本主義を実施するには、その必要性と可能性(共同綱領)にもとづくだけでなく、資本家の自由意思によらなければならない。なぜなら、これは協力してすすめる事業であり、協力である以上、強制してはならないからである。この点は、地主にたいするやり方とちがう。
(十一)全国の各民族、各民主階級、各民主政党、各人民団体は、これまで数年のあいだに、大きな進歩をとげた。今後三年から五年のあいだに、こうした進歩はいっそう大きなものになるとおもう。したがって、私営工商業を国家資本主義の軌道にのせるという任務を三年ないし五年で基本的になしとげることは可能である。国営企業の優位は、この任務を達成するための物質的な保証である。
(十二)過渡期ぜんたいの完結、つまり、国の工業化を基本的になしとげ、農業、手工業、資本主義工商業の社会主義的改造を基本的になしとげるとなると、三年や五年でやれるものではなく、いくつかの五ヵ年計画が必要である。この問題では、これをはるか先のことだとみる考え方に反対するとともに、あせって暴走する考え方にも反対しなければならない。
(十三)一方は指導する者であり、他方は指導される者である、一方は私利をはからない者であり、他方はまだいくらか私利をはかる者である、などなど――こうした点では異なっている。しかし、われわれの現在の条件のもとでは、私営工商業は、基本的に国の経済と人民の生活に奉仕するものである(利潤の分配では、ほぼ四分の三を占める)。したがって、国営企業とおなじく、増産節約をすすめ、労働競争をおこない、労働生産性をたかめ、コストを引き下げ、製品の量をふやし質をたかめるよう、労働者を説得できるし、また説得すべきである。こうすれば、国家と私企業、労働者と資本家の双方にとって有利である。
〔1〕 共同綱領第三十一条は、次のように規定している。「国家資本と私的資本との協力による経済は、国家資本主義の性格をもつ経済である。必要かつ可能な条件のもとで、私的資本が国家資本主義の方向に発展するよう、奨励すべきである。たとえば、国営企業のための加工「国家との共同経営、月倍の形態による国家企業の経営と国の資源の開発など。」
① 一九五二年九月八日から十一日までひらかれた中国人民政治協商会議全国委員会常務委員会の第四十九回(拡大)会議をさす。
(一九五三年九月十二日)
これは、毛沢東同志が中央人民政府委員会第二十四回会議でおこなった演説である。
三年にわたってすすめられてきた抗米援朝戦争は、偉人な勝利をおさめ、いますでに一段落をつげた。
抗米援朝の勝利は、なにに依拠してかちとられたのだろうか。さきほど、みなさんは、指導が正しかったからだと言った。指導は一つの要因であり、正しい指導がなければ、事をりっぱにはこぶことはできない。しかし、おもな原因は、われわれの戦争が人民戦争で、全国人民が支援し、中朝両国人民が腕をくんで戦ったことにある。
アメリカ帝国主義の兵器は、われわれのより何倍もすぐれているが、われわれはこのような敵と戦って勝利をおさめ、講和を結ばざるをえないところまで敵を追いつめることができた。なぜ講和が可能となったのだろうか。
第一、軍事の面では、アメリカ侵略者が不利な、たたきのめされる状態におかれていた。もしも講和を結ばなければ、全戦線がうち破られ、ソウルが朝鮮人民の手に落ちるだろう。このような情勢は、昨年の夏からすでに現われはじめていた。
戦う双方はともに、自分の戦線を金城鉄壁といっている。わが方は、たしかに金城鉄壁である。われわれの兵士と幹部は機知にとみ、勇敢で、死をおそれない。ところが、アメリカ侵略軍は死をおそれるうえに、将校が比較的融通がきかず、あまり機敏でない。かれらの戦線は堅固ではなく、金城鉄壁とはいえない。
わが方の問題といえば、最初は戦えるかどうか、つぎは守れるかどうか、そのつぎは給養を確保できるかどうか、そして最後は細菌戦をうち破れるかどうかであった。この四つの問題は、つぎつぎと解決された。われわれの軍隊は、戦えば戦うほど強くなってきた。ことしの夏には、われわれはすでに、二十一キロにわたる敵の正面の陣地を一時間でうち破ることができ、数十万発の砲弾を集中的に発射することができ、十八キロも攻めこむことができるようになった。もしもこの調子で戦いつづければ、あと二回、三回、あるいは四回の戦いで敵の全戦線はうち破られたであろう。
第二、政治の面では、敵の内部に解決できない矛盾がたくさんあり、全世界の人民が講和を要求している。
第三、経済の面では、敵は朝鮮侵略戦争に巨額の金をつぎこみ、財政収支の均衡がたもてない。 このいくつかの原因が重なって、敵は講和を結ばざるをえなくなった。そのうち、第一の原因はおもなもので、これがなければ、かれらと講和を結ぶのは容易ではない。アメリカ帝国主義者はたいへん傲慢で、およそ無理を通せるところでは、かならず無理を通す。すこしでも無理押しをしなくなったとしたら、それは追いつめられて、やむなくそうするのである。
朝鮮戦争で、敵は百九万の死傷者を出した。もちろん、わが方も代価をはらっている。しかし、わが方の死傷者数は、当初の予想よりもはるかに少なく、地下壕を掘ってからはさらに少なくなった。われわれは戦えば戦うほど強くなった。アメリカ人は、われわれの陣地を攻めようとしても歯が立たず、逆にいつもわれわれにやられてしまった。
さきほど、みなさんは指導という要因をあげた。わたしに言わせると、指導は一つの要因ではあるが、もっともおもな要因は、大衆が知恵をはたらかすことである。われわれの幹部と兵士は、いろいろと戦う方法を考え出した。例を一つあげてみよう。戦争がはじまった最初の一ヵ月、わが方のトラックはひじょうに大きな損害を受けた。どうしたらよいだろうか。指導部が知恵をしぼるほか、主として大衆の知恵にたよった。自動車道路の両側に一万余人の歩哨が立ち、敵機が飛んでくれば合図の銃を撃つ。運転手はそれを聞くと、敵機を避けながら車を走らせるか、どこか適当なところにトラックを隠してしまう。同時に、自動車道路の幅をひろげ、また新しい自動車道路もたくさんつくったので、トラックは滞りなく往来できるようになった。こうして、トラックの受ける損害は、当初の四〇パーセントから零点数パーセントにまで減少した。その後、地下倉庫もつくり、地下講堂もつくったので、敵が頭上で爆弾を落としても、われわれは地下で大会をひらける、という具合になった。北京に住むわれわれ一部の者は、朝鮮の戦場というと、すぐずいぶん危険だと考える。もちろん、危険はあるが、みんなが知恵をはたらかせさえすれば、それほどでもないのである。
人民に依拠するなら、そのうえ、わりあい正しい指導があるなら、われわれの劣った装備で、すぐれた装備をもつ敵にうち勝つことができる。これがわれわれの経験である。
抗米援朝戦争の勝利は偉大な勝利で、ひじょうに重要な意義をもっている。
第一、朝鮮人民といっしょに三十八度線までおしかえし、三十八度線を守りぬいた。これはたいへん重要なことである。もしも三十八度線におしかえさず、前線があいかわらず鴨緑江と図們江にあるなら、瀋陽、鞍山、撫順などの人民は安心して生産にたずさわることができない。
第二、軍事面の経験をつんだ。わが中国人民志願軍の陸、空、海の三軍、歩兵、砲兵、工兵、戦車兵、鉄道兵、防空兵、通信兵、それから衛生部隊、兵砧部隊などが、アメリカ侵略軍との実戦の経験をつんだ。こんど、われわれはアメリカ軍の実態をさぐることができた。もしもアメリカ軍と接触しなければ、かれらを恐れもするだろう。しかし、かれらと三十三ヵ月も戦ったので、かれらの実態がすっかりわかった。アメリカ帝国主義は恐ろしいものではない、せいぜいそんなところである。われわれはこの経験をつんだ。これは大した経験である。
第三、全国人民の政治的自覚をたかめた。
以上の三ヵ条があればこそ、第四条がうまれる。それはつまり、帝国主義の新たな中国侵略戦争の勃発をおくらせ、第三次世界大戦の勃発をおくらせた、ということである。
いま、中国人民はすでに組織されており、だれにも手出しをするのを許さない。もしも手出しをして怒らせたら、手がつけられなくなる。帝国主義の侵略者は、よくこのことをわきまえておくべきである。
今後、敵はまた戦うかもしれない。たとえ戦わなくても、かならず、特務を送りこんで破壊活動をやらせるなど、いろいろな方法で攪乱するにちがいない。かれらは台湾、香港、日本などに大がかりな特務機関を設けている。しかし、われわれは抗米援朝運動のなかですでに経験をつんだ。大衆を立ちあがらせ、人民に依拠するかぎり、われわれにはかれるに対処する方法がある。
いまのわれわれの状況は、一九五〇年冬季の状況とはちがっている。あのころ、アメリカ侵略者は三十八度線の向こう側にいただろうか。いや、かれらは鴨緑江、図們江の向こう側にいた。われわれはアメリカ侵略者と戦う経験があっただろうか。それはなかった。アメリカ軍の実態をよく知っていただろうか。よくは知っていなかった。いまや、これらの状況はすべて変わっている。もしもアメリカ帝国主義が新たな侵略戦争をおこすのをおくらせず、どうしても戦うというのなら、われわれは前の三ヵ条でもってかれらに対処する。もしも戦わないというのなら、われわれは第四条をもつことになる。これも、われわれの人民民主主義独裁の優位を立証しているのである。
われわれは、よその国を侵略するだろうか。いかなるところをも侵略しない。しかし、相手が侵略してくるなら、われわれはかならず戦う、しかも、最後まで戦いぬくであろう。
中国人民は、平和には賛成であるが、戦争も恐れない、どちらでも結構、という態度をとっている。われわれには人民の支持がある。抗米援朝戦争では、人民が勇んで入隊を申し込んだ。八隊希望者にたいしては、百人から一人という厳選をしたので、婿を選ぶよりもきびしいといわれたものだ。もしもアメリカ帝国主義がもう一度戦争をしかけてくるなら、われわれはもう一度お相手する。
戦争には金がかかる。しかし、抗米援朝戦争でつかった金は、そんなに多くはない。この数年間の戦争につかった金は、一年分の工商業税にも満たない。もちろん、戦争をせず、この金をつかわないですむなら、それに越したことはない。いまは建設面で金がいるし、農民の暮らしもまだ楽ではないからである。昨年と一昨年の農業税はすこし重かった、そこで、一部の友人が文句を言いはじめている。かれらはまるで農民の利益を代表するかのように、「仁政を施す」ことを要求している。われわれはこうした意見に賛成するだろうか。賛成はしない。当時は、抗米援朝の勝利をかちとるためにあらゆる努力をはらわねばならなかった。農民にとって、また全国人民にとって、暮らしがしばらくのあいだすこしは苦しくても、勝利をかちとったほうが有利なのか、それとも抗米援朝をせず、この金をつかわないほうが有利なのか。もちろん、抗米援朝の勝利をかちとるほうが有利なのである。昨年と一昨年、われわれが農業税をすこし多く収ったのは、ほかでもなく、抗米援朝で金を必要としたからである。ことしは事情がちがって、農業税をふやさず、その税額を固定させている。
「仁政を施す」ことについていうなる、われわれは仁政を施すつもりである。しかし、最大の仁政とはなにか。それは抗米援朝である。この最大の仁政を施すには、犠牲をはらわなければならず、金をつかわなければならず、農業税もすこし多く取らなければならない。農業税をすこし多く取ると、一部の者がさわぎ出し、自分たちは農民の利益を代表しているなどと言う。わたしは、このような意見には賛成しない。
抗米援朝は仁政を施すことだが、いま工業建設をすすめるのも仁政を施すことである。
仁政というものには二種類ある。一つは人民の当面の利益のためのものであり、もう一つは人民の長期の利益のためのもの、たとえば抗米援朝、重工業の建設などである。前者は小さい仁政であり、後者は大きい仁政である。この双方に配慮をくわえなければならず、双方に配慮をくわえないのは誤りである。それでは、どちらに重点をおいたらよいだろうか。重点は大きい仁政におくべきである。いま、われわれは仁政を施す重点を重工業の建設におくべきである。建設をするには、資金がいる。したがって、人民の生活は改善しなければならないとはいえ、いまのところ大幅に改善することはできない。つまり、人民の生活は改善しないわけにはいかないが、大幅に改善するわけにはいかず、配慮しないわけにはいかないが、十分に配慮するわけにはいかない、ということである。小さい仁政を配慮して、大きい仁政を妨害するようなことがあれば、これは仁政を施す面での偏向である。
いま、ある友人は一方的に小さい仁政を強調しているが、その実、それは抗米援朝戦争をやるな、重工業の建設をやるな、ということである。われわれは、このような誤った考えを批判しなければならない。このような考えは、共産党の内部にもあり、延安時代に現われたことがある。一九四一年、陝西・甘粛・寧夏辺区で食糧二十万石①の農業税を取ったが、一部の者が、共産党は農民への思いやりがないとさわぎ出した。共産党のごく少数の指導的幹部も仁政を施すという問題をもちだした。そのとき、わたしはすでにこうした考えを批判した。当時、最大の仁政であったのはなにか。日本帝国主義を打倒することである。もしも農業税の徴収を減らせば、八路軍、新四軍を縮小しなければならない。そうなれば、日本帝国主義に有利である。したがって、こうした意見は、実際には日本帝国主義を代表し、それに手をかすものであった。
いま、抗米機朝はすでに一段落をつげたが、もしもアメリカがなお戦うなら、われわれも戦う。戦うからには、農業税を取らなければならず、農民に働きかけて、応分のものを出させるように説得しなければならない。これこそ、ほんとうに農民の利益を代表することである。さわぎたてるのは、実際にはアメリカ帝国主義を代表するのとおなじである。
道理には、大きい道理があり、小さい道理がある。全国人民の生活水準は、毎年、一歩ずつ高めていくべきであるが、あまり大幅に高めてはならない。高めすぎると、抗米援朝戦争をすすめることができなくなるか、あるいはそれほど真剣にすすめることができなくなる。われわれは、徹底的に、真剣に、全力をあげて戦うのだ。われわれにあるものなら、朝鮮の前線が必要とするものはなんでも送る。ここ数年、われわれはほかでもなく、このようにしてきたのである。
① 石は、穀物の重量の計算単位で、地方によって量がちがっていた。陝西・甘粛・寧夏辺区では百五十キログラムであった。
(一九五三年九月十六日~十八日)
これは、毛沢東同志が中央人民政府委員会第二十七回会議の期間に、梁漱溟にたいしておこなった批判のおもな部分である。この会議は一九五三年九月十六日から十八日にかけて北京でひらかれ、中国人民政治協商会議全国委員会の在京の委員がこれに列席した。
(一)梁漱溟先生は「気骨のある人物」なのか。かれは和平交渉のなかでどのような役割を演じたのか。
梁先生は、「気骨のある人物」だと自称している。香港の反動新聞も、梁先生は大陸で「もっとも気骨のある人物」だと書きたて、台湾の放送もさかんにきみを持ちあげている。いったい、きみは「気骨」があるのかどうか。もしも「気骨」のある人物なら、以前、どのように共産党と人民に反対したのか、どのように筆で人を殺したのか、また韓復[”矩”の下に”木”]、張東[”くさかんむり”に”孫”]、陳立夫、張群とはいったいどのような関係にあったのか、ひとつ、きみの経歴をみんなに打ちあげたらどうだろう。連中はみなきみの親友だが、わたしなどはそんなに多くの友人をもっていない。かれらはそんなにもきみが気にいり、きみを先生と呼び、わたしのことを「匪賊」だとののしっている。きみという人間はどの党、どの派に属しているのか、わたしは疑いをもっている。わたしばかりではなく、多くの人も疑いをもっている。
さきほどの周総理の発言からもわかるように、われわれと国民党との二回にわたる和平交渉の決定的な時機に、梁先生はまったく蒋介石を助ける立場に立っていた。蒋介石が和平交渉に同意したのは、いつわりである。きょう在席している人たちのなかには、和平交渉のため北京にきた代表もいるが、この人たちはみな、蒋介石の「和平」が果たしてほんものだったのか、にせものだったのかを知っている。
正直にいって、蒋介石は鉄砲で人を殺したが、梁漱溟は筆で人を殺している。殺人には二種類あり、一つは鉄砲で人を殺すが、もう一つは筆で人を殺す。もっとも巧妙に偽装し、人を殺しても血を流さないのは、筆で人を殺すほうである。きみはこのような殺人犯にほかならない。
梁漱溟は徹底した反動だが、かれはこれを認めようとせず、自分の姿はとても美しいと言っている。かれは傳作義先生とはちがう。傳先生は自分が徹底した反動であることを公然と認めているが、北京の平和的解放のさい、人民のために功績を立てた。梁漱溟の功績はなにか。きみは生涯を通じて、人民のためにどんな功績を立てたのか。一分一厘も立ててはいない。だが、きみは自分を西施や王昭君よりも美しく、楊貴妃にも比肩しうる、天下第一のすごい美人に描きあげている。
(二)梁漱溟は「九天九地」ということを言い、「労働者は九天の上にいるが、農民は九地の下にいる」、「労働者には頼りになる労働組合があるが、農会は頻りにならず、共産党、青年団、婦人連合会なども頼りにならず、質、量ともにだめで、工商業連合会よりも落ちる。だから、自信がもてない」などと言っている。これは、「総路線に賛成している」のであろうか。ちがう。完全な、徹底した反動思想である。これは合理化の提案ではなくて、反動化の提案である。人民政府は、このような提案をとりあげることができるだろうか。わたしは、できないとおもう。(三)梁先生は、「計画の内容をもっと知ることを要求」している。わたしは、これにも賛成しない。反対に梁先生のような人間にたいしては、機密をなるべく少なく知らせるべきであり、少なければ少ないほどよい。
梁漱溟という人物は、信用がおけない。ほかの人にはもっと機密を知らせてもよいが、きみにはそうするわけにはいかない。民主政党の比較的小型の会議を招集するばあいにも、梁漱溟に参加してもらう必要はない。
(四)梁先生はまた、自分を非進歩の部類にいれないよう要求している。それどころか、かれは進歩の部類に属する人間なのだそうである。この点についてはどうしたらよいか。慎重な態度をとるべきで、軽がるしく承諾してはならないとおもう。さもなければ、ワナにかかってしまう。
(五)梁先生は自分の像をとても美しく描いている。かれは、数十年前、すでに建国の計画について偉大な夢をいだいていた。かれ自身のことばによると、それは新民主主義、あるいは社会主義にひじょうに近いものだそうである。
果たしてそれほど美しいものだろうか。そうとは限らない。わたしはかれをかなりよく知っているが、かれと顔をあわせて、その誤った思想を批判しなかったことは一度もない。わたしは面と向かって、きみのそんな言い草を信じたことがない、と言ったことがある。たとえば「中国には階級がない」とか、「中国の問題は文化的不調和の問題である」とか、「無色透明な政府」〔1〕とか、「中国の革命には外部からの原因があるのみで、内在的な原因がない」といったたぐいであるが、こんどはまた「九天九地」とか、「共産党は農民を捨てた」とか、「共産党は工商業連合会ほど頼りにはならない」といったご高説を耳にしている。これらすべてが信じられるだろうか。信じられはしない。わたしはかれにこう言ったことがある――中国の特徴は半植民地、半封建であることだ。この点を認めないと、帝国主義と封建主義を助けることになる。だから、だれもきみのその言い草を信じない。人民はみな共産党を信じている。反動分子か、まぬけでもなければ、きみの著作を読むような人はいないし、きみの話を聞くような人もいない、と。かれは蒋介石にも反対しないようだ。いったい、梁先生は蒋介石およびその反動的な国民党に反対すると明言したことがあるのかどうか。わたしはかれの文章と談話をのこらず読んだり聞いたりしたわけではないから、みなさんに検討していただきたい。
このような人物には、人民の国家にたいしてより多くの計画と機密をあずかり知らせよと要求する資格があるだろうか。そんな資格はないとおもう。われわれはかれのこうした要求を認めるべきだろうか。認めるべきではないとおもう。
(六)梁先生はまた、かれを非進歩派あるいは反動派の部類にいれるのではなく、進歩派あるいは革命派の部類にいれるよう要求している。これは「階級所属をきめる」問題だが、どう処理したらよいだろうか。上にのべたような状況のもとでは、かれを進歩とか革命の部類にいれることができるだろうか。かれのどこが進歩しているのか。かれはいつ革命に参加したことがあるのか。したがって、この要求にも軽がるしく応ずるわけにはいかない。しばらく様子を見てからにしよう。
(七)数年らい、わたしは一部の人民の投書を受けとり、一部の議論も耳にしてきたが、共産党はなぜ反動分子と合作するのかという問題が提起されている。かれらのいう反動分子とは、これまで新聞紙上や公開の場で帝国主義への反対、封建主義への反対、蒋介石とその反動的な国民党への反対を表明したがらず、国家の公職要員としての最低限の立場も持ちあわせていない連中のことである。こうした連中は、とりわけ蒋介石に反対したがらない。だから、台湾の放送と香港の新聞はかれらにたいしてとくに好意をよせ、一度もののしったことがないばかりか、大隊で「もっとも気骨のある人物」だと言っている。そのなかには、梁漱溟がふくまれているのだ。こうした新聞や放送は、他方、一部の友人にたいしては、ほしいままに中傷と悪罵を浴びせている。台湾にののしられないか、あるいは持ちあげられるような人間は、もちろん少数である。だが、これには大いに注意をはらわなくてはならない。
一部の人はいまになっても、帝国主義に反対する言論はいちおう口にするが、蒋介石に反対する言論はどうしても口にしようとしない。新聞紙上や公開の談話では、過去にふれる勇気がなく、過去にたいしていささか未練をのこしている。こうした人は優にいく人かはいるとおもう。
愛国主義には三種類ある。一つはほんものの愛国主義、もう一つはにせものの愛国主義、さらにもう一つは半ばほんもの半ばにせものの、動揺する愛国主義である。自分がどうであるかは、めいめい見当がついており、梁漱溟自身も見当がついている。帝国主義や台湾の側とほんとうに関係を断つ人は、どんなに立ちおくれていても、われわれは歓迎する。この部類の人は、ほんものの愛国主義者である。にせものの愛国主義者はうわべでは、実にうまく装っているが、心のなかではべつのことを考えている。もう一種は半ばはんもの半ばにせものの動揺分子で、情勢をみて事をはこぶ。もしも第三次世界大戦がおこらず、蒋介石がやってこないなら、共産党についていくが、もしも第三次世界大戦がおこるなら、べつの道を考える。多数の人はどの部類に属するのだろうか。ほんものの愛国主義である。ここ数年らい、ほんものの愛国主義者がふえており、半ばはんもの半ばにせものの愛国主義者は小人数である。にせものの愛国主義者はごく僅かだが、やはりいる。この分析は果たして適切かどうか、みんなで検討すればよい。
(八)梁漱溟は、ひとつの仕事をすべきであるとおもう。それは、「農民を代表して」人民政府に「解放を訴える」ことではなく、自分の反人民的な反動思想の歴史的発展過程をはっきり白状することである。以前、かれはどのように地主を代表して共産党と人民に反対したのか、いままた、どのように地主を代表する立場から「農民を代表する」立場に転換したのか、この変化の過程を説明し、人びとを納得させることができたら、そのときはじめて、いったいかれをどの部類にいれるべきかを確定することができるのである。わたしのうけた印象では、かれはこれまでその反動的な立場を変えようと考えたことがなかった。だが、病をなおして人を救うため、かれに反省の時間をあたえるべきであり、この件を政治協商会議にまわし、今回は結論を出さないでおくよう、わたしは提案する。
(九)「羞悪の心は、人皆これ有り」〔2〕というが、恥知らずは、始末にこまるものである。梁先生の農民問題にたいする見解が共産党よりもすぐれているなどとは、だれが信じるだろうか。まったく身のほど知らずというほかはない。たとえて言えば、「毛沢東は梅蘭芳先生よりも芝居をやるのがうまく、志願軍よりも地下壕を掘るのがうまく、空軍英雄の趙宝桐よりも飛行機を操縦するのがうまい」といったたぐいだ、これは恥知らずもはなはだしいではないか。したがって、梁先生の提起した問題は、まともな問題でもあれば、まともでない問題でもあり、すこぶるこっけいである。かれは共産党よりも自分のほうが農民を代表できると言っているが、まことにこっけい至極ではないか。
こんなにも多くの「農民代表」が現われて、いったい、だれを代表しているのか。農民を代表しているのだろうか。わたしの目にも農民の目にも、そのようには映らない。かれらは地主階級を代表し、地主階級に肩をいれているのだ。なかでも、ずばぬけていて、口先がうまく、実際に敵を助けているのが、梁漱溟である。このほかに一部、考え方があいまいで、わけのわからないことを口にしている人もいるが、これはやはり愛国主義者で、心のなかではやはり中国のことを考えている。これが一つの部類である。梁漱溟はもう一つの部類に属する。それから、梁漱溟と似たりよったりで、「農民代表」になりすましている者もいる。なりすますということは実際にあるのであって、現にそれにぶつかっている。その人たちにはタヌキのしっぽがあり、やがてみんなに見破られるだろう。孫悟空は七十二相に変身できるが、できないことが一つある。しっぽだけはなかなかほかのものに変えられないということだ。かれはお寺に化け、しっぽを旗ざおに変えたが、楊二郎に見破られてしまった。どこから見破られたのか。ほかでもなく、例のしっぽからである。どのように偽装しても、しっぽだけはかくせないというような人が、実際にはいるのである。
梁漱溟は野心家であり、えせ君子である。かれが政治に無関心であると言うのはうそであり、役人になりたくないと言うのもうそである。かれは「郷村建設」とやらをやったが、どういう「郷村建設」なのか。それは地主の建設であり、郷村の破壊であり、国家の滅亡である。
(十)かれのような人間とつきあうには、本気になってはいけない。かれと話したのでは、どんな問題についても、永遠にはっきりさせることはできない。かれは論理性がなく、でたらめしか言えないのである。したがって、わたしはこの問題を政治協商会議の隔週座談会にうつして討議するよう提案するが、同時に、問題がほんとうに解決される望みがあるなどとはぜったいに考えてはならない、とみなさんに警告しておく。それは断じて不可能である。けっきょく、「討議しても決定できず、決定しても実行できず、結果が出ないままに散会する」ということになるだろう。それにもかかわらず、やはり隔週座談会をひらいて試してみるようみなさんにおすすめする。このほうが、「ふたりの人を送って」かれの説教を聞かせるよりはましである。
(十一)われわれはこの機会にかれと絶交し、今後、かれとつきあわないことにするのかどうか。そうする必要もない。かれ自身がわれわれとのつきあいを望むかぎり、われわれはやはりかれとつきあう用意がある。わたしはまた、第二期政治協商会議でかれが委員に当選するよう望んでいる。なぜかというと、いまなお一部の人がかれのことを知らす、喜んでかれにだまされており、かれはまだ生きた教材としての役割をはたしている、だから、かれ自身が政治協商会議の演壇を借りてその反動思想をまきちらすことを望むかぎり、かれは依然として委員に当選する資格がある、これがその理由である。
前にものべたが、梁漱溟にはいささかの功績もなければ、いささかの取りえもない。工商業界のように製品を提供し、所得税を納めるという取りえがあるだろうか。それはない。生産を発展させ、経済を繁栄させるという取りえがあるだろうか。それはない。蜂起したことがあるだろうか。それはない。いつか蒋介石に反対し、帝国主義に反対したことがあるだろうか。それはない。帝国主義と封建主義を打倒する過程で、いつか中国共産党に呼応したことがあるだろうか。それはない。だから、かれには功績がないのである。かれは、抗米援朝のような偉大な闘争にたいしてさえ、頭を縦に振るのではなく、横に振ったのである。では、なぜ政治協商会議全国委員会の委員になれたのだろうか。中国共産党はなぜかれをこの委員に推薦したのだろうか。ほかでもなく、かれはまだ一部の人をだますことができ、まだいくらか人をペテンにかける役割をはたせるからである。かれはとりもなおさず、人をだますという資格をよりどころにしているのであり、人をだますという資格をもっているのである。
梁漱溟の目からみれば、頭を縦に振って、かれを正しいと認めるなら、それは「雅量」があるということであり、かれを正しいと認めないなら、それは「雅量」がないということであるらしい。そんな「雅量」を、われわれはおそらく持ちあわせないだろう。しかし、梁漱溟にひきつづき政治協商会議の委員をやらせるというほどの「雅量」なら、やはり持ちあわせている。
(十二)孔子の欠点についていえば、いささか梁先生に似ていて、民主的でなく、自己批判の精神に欠けていることだとおもう。「吾、子路を得てより、悪声耳に入らず」〔3〕①、「三盈三虚」〔4〕②、「三ヵ月にして少正卯を試す」〔5〕③というように、極悪ボスの作風とファッショ臭いところが大いにある。友人の諸君、とりわけ梁先生には、孔子のこうしたしろものを学ばないよう望みたい。そうしてくれるなら、幸甚の至りである。
(十三)梁先生の高次元の綱領にしたがえば、中国は社会主義をきずきあげるどころか、党(共産党とその他の政党)も滅び、国も滅びる。かれの路線はブルジョア路線である。薄一波の誤りは、ブルジョア思想の党内における反映である。しかし、薄一波は梁漱溟よりましである。
梁漱溟は、労働者は「九天の上」におり、農民は「九地の下」にいる、と言う。事実はどうなのだろうか。差別はあり、労働者の所得は農民よりもいくらか多い。だが、土地改革のあと、農民は土地もあれば、家屋もあり、日に日に暮らしがよくなっている。一部の農民は、労働者よりもいい暮らしをしている。労働者のなかにも、まだ暮らしの苦しい者がいる。いったい、どういう方法で農民により多くの所得を得させるのか。梁漱溟にはその方法があるのだろうか。「寡なきを患えずして均しからざるを患う」〔6〕というのが、きみの考えである。もしもきみの方法をとり、農民自身の生産労働によってその所得をふやすのではなく、労働者の賃金を農民の所得に均し、賃金の一部を農民にあたえるようなことをすれば、中国の工業を壊滅させることになるではないか。そんなことをすれば、国も滅び、党も滅びる。この党が滅びるということを、諸君は共産党が滅びるだけだと思いこんではいけない。民主政党もそれをまぬがれないのである。
きみは、労働者が「九天の上」にいると言うが、それなら、きみ梁漱溟はどの天の上にいるのか。きみは十天の上、十一天の上、十二天、十三天の上にいるのだ。きみの給料は労働者の賃金よりもはるかに多いからである。きみは、まっさきに自分の給料を減らそうと提案するのではなく、まっさきに労働者の賃金を減らすよう提案しているが、これでは不公平だとおもう。公平をとなえるのなら、まっさきにきみの給料を減らすべきだ。それというのも、きみのいるところは、「九天の上」にとどまらないからである。
わが党は三十数年も労農同盟をとなえてきた。マルクス・レーニン主義は、とりもなおざず、労農同盟、労農合作をとなえている。いま、中国には二種類の同盟がある。一つは労働者階級と農民階級との同盟であり、もう一つは労働者階級と資本家、大学教授、高級技術者、蜂起した将軍、宗教界の指導者、民主政党、無党派民主人士との同盟である。この二種類の同盟はどちらも必要であり、ひきつづき存続させていかなければならない。だが、どちらの同盟が基礎であり、もっとも重要なのだろうか。労働者階級と農民階級の同盟が基礎であり、もっとも重要なのである。梁漱溟は、労農同盟は破壊され、国家建設には希望がなくなった、と言う。つまり、梁漱溟の意見を取りあげなければ、労農同盟をうまくやっていける望みがなく、国家建設をりっぱにすすめることができず、社会主義にも望みがない、と言うのである。梁漱溟のいうあの「労農同盟」には、たしかに望みがない。きみの路線はブルジョア路線なのだ。きみの路線を実行するなら、けっきょく、国が滅びることになり、中国は半植民地、半封建のふるい道へもどることになり、北京では蒋介石やアイゼンハワーを歓迎する集会が開かれることになるだろう。もう一度言っておくが、われわれはぜったいにきみの路線を採らない。
梁漱溟は、われわれが都市にはいってから、農村のことを「忘れて」しまい、農村は「空虚」になった、と言う。それは挑発だ。過去三年、われわれはおもな力を農村工作の面にそそいできた。多数のおもな幹部が都市工作の面にうつりはじめたのは、ことしになってからだ。しかし、大多数の幹部はいまなお県、区、郷で活動している。どうしてわれわれが農村を忘れてしまったといえるだろうか。
梁漱溟はまた、われわれの農村工作が「立ちおくれており」、下級幹部が「法規・規律に違反している」と攻撃する。いま農村には、立ちおくれた郷というものがたしかにある。どのくらいあるのか。わずか一〇パーセントである。なぜ立ちおくれているのか。主としては、反動分子、憲兵や特務、反動的教団の頭目、ならず者や地元のごろつき、地主や富農がまぎれこんで幹部となり、農村の権力をにぎっており、一部の者はさらに共産党にまでもぐりこんできているからである。法規・規律にゆゆしく違反している幹部のなかでは. これらの者が八〇ないし九〇パーセントを占めており、このほか、堕落、変質した幹部がすこしいる。したがって、立ちおくれた郷におけるおもな問題は、反革命分子に打撃をくわえることであるが、堕落、変質した幹部も粛清しなければならない。全国では、よい郷と比較的よい郷はどのくらいあるのか。九〇パーセントである。われわれはこうした状況を心得ておくべきで、梁漱溟にだまされてはならない。
(十四)これは忠告を拒み、誤りをおおいかくすということではないだろうか。梁先生のこうした意見をしも「忠告」といえるのなら、たしかに「忠告を拒む」ものだと、わたしは言明する。だが、誤りをおおいかくすのかというと、そうではない。われわれはあらゆる問題(労働者、農民、工商業者、各民族、各民主政党、各大衆団体、工業、農業、政治、軍事、要するにあらゆる分野)にたいするプロレタリア階級の指導権を堅持し、団結もすれば、闘争もする。もしも手の内を知りたいというのなら、これも一つの手の内であり、しかも根本的性質をおびた手の内である。これが小さな事がらであろうか。
(十五)かれの問題は全国的性質をおびており、薄一波の問題のように、全党と全国で討議すべきである。典型をさがし、批判と自己批判をおこなう。全国で総路線を討議するのである。
批判には二通りある。一つは自己批判であり、もう一つは批判である。梁漱溟にたいしては、われわれはどちらを実行するのか。自己批判をやるのか。ちがう、批判をするのである。
梁漱溟を批判するのは、かれ一人の問題ではなく、かれという人間を借りて、かれに代表されるこうした反動思想をあばくのである。梁漱溟は反動的であるが、それでもわれわれはかれの問題を思想改造の範疇にいれている。かれが改造できるかどうかは別問題である。かれが改造できない可能性は大いにある。改造できなくても大したことはない。たかがかれ一人のことではないか。しかし、かれと弁論するのは有益であり、それは大げさなやり方だ、弁論する価値がない、などと考えてはならない。かれと弁論すれば、問題をはっきりさせることができる。かれになにか取りえがあるというなら、これがその取りえなのである。いま弁論しているのはどういう問題なのか。総路線の問題ではないのだろうか。この問題をはっきりさせれば、われわれみんなにとって有益なのである。
〔1〕 梁漱溟のいう「無色透明な政府」とは、政府が党派色をおびてはならず、超階級の「無色透明体」になるべきだということである。
〔2〕 『孟子』―「告予章句上」にみられる。
〔3〕 『史記』―「仲尼弟子列伝」を参照。
〔4〕 王充の『論衡』―「講瑞」にみられる。
〔5〕 『史記』―「孔子世家」を参照。
〔6〕 『論語』―「季氏第十六」にみられる。
① 『史記』に出てくることば。子路は孔子の門弟で、また侍衛でもあった。子路が侍衛になってから、孔子は異なった意見を耳にすることがなくなった。
② 「孔子の門は、三たび盈ち三たび虚しくなる」は、漢代のひと王充の著作『論衡』―「講瑞」にみえる。孔子は魯の国で、反動的奴隷制の護持を鼓吹する講義をし、門弟が堂に「盈ち」ていたが、ちょうどその頃、少正卯も門弟を集めて講義していた。少正卯が講義するたびに、孔子の門弟も聴講におもむいたので、少正卯のところは押すな押すなの盛況を呈し、孔子のところは閑古鳥が鳴くように「虚しく」なったという。
③ 『史記』にみえる。孔子は魯の国で大司寇(司法大臣)になったことがあり、また宰相の職を三ヵ月代行したが、この期間に、自分と対立して講義していた少正卯を殺した。
(一九五三年十月、十一月)
一九五三年十月二十六日から十一月五日まで、中国共産党中央は第三回農業互助・協同化会議を開催した。これは、毛沢東同志が会議のまえと会期中に、中国比庫党中央農村工作部の責任者とおこなった二回の談話である。
農業生産協同組合をりっぱにつくれば、互助組の大きな発展をうながすことになる。
新解放区では、県の大中小を問わず、今冬から明春にかけて、十分な準備をしたうえで、協同組合を一つないし二つ、それも活動のよしあしにもとづくが、少なくとも一つ、一般には一つから二つ、多くとも三つ、りっぱにつくる必要がある。数をきめて、割り当てること。これが多ければ暴走となり、少なければ右よりとなる。あってもなくてもよい、というのでは、成りゆき次第におちいる。三つを越えてもよいかどうか。それは、条件にかない、規約や決議にかない、自由意思によるものであり、しっかりした指導的骨幹(たいせつなのは二点、公正であること、有能であること)があり、りっぱにつくれるかぎり、韓信が兵をひきいるのと同じく、多々ますます善し①、である。
党の地区委員会と県委員会に責任をもたせて、全力であたらせ、かならずりっぱにやるせなければならない。党の中央局、省・市委員会の農村工作部は、これにしっかりと取りくみ、活動の重点をこの問題におかなければならない。
統制数字をきめて、割り当てるべきである。割り当てはするが強制はしない、これは命令主義ではない。十月に会議をひらいたあと、十一月、十二月、来年の一月、二月とあり、北方ではさらに三月があるから、時間的には四、五ヵ月もある。来年のはじめに会議をひらいて点検する。このことをいまからはっきり言っておく。遂行の状況がどうなっているのか、来年のはじめには点検をおこなう。
ごく少数の地方は、少数民族の地区でもあり、土地改革も完了していないので、実施しなくてもよい。仕事の状況がひじょうによくないごく一部の県、たとえば、おくれた郷が三〇パーセントから四〇パーセントも占め、県委員会書記が無力で、実施すると問題がおきるようなところは、数を割り当てずに、しばらく残しておいてもよいが、党の省委員会や地区委員会は、責任をもってそこの整頓活動を援助し、条件をととのえて、来年の秋の取入れかすんでから、冬には実行にうつさなければならない。
一般の法則では、互助組を経て協同組合にすすむのであるが、協同組合を直接つくることも、ためしにやらせてみてもよい。直線コースでもうまくいき、わりあい早くできるのなら、どうしてそれがいけないのか。いいではないか。
各級の農村工作部は、互助・協同化をきわめて重要な事業とみなすべきである。個人経営の農民では、増産にも限度があるので、ぜひとも互助・協同化を発展させなければならない。農村の陣地は、社会主義が占領しなければ、資本主義がかならず占領する。資本主義の道も歩まなければ、社会主義の道も歩まないなどといったことがありうるだろうか。資本主義の道でも、増産はできるが、時間が長くかかり、しかもそれは苦しみにみちた道である。われわれは資本主義をやらない、これはすでに決まったことである。もし社会主義をやらなければ、資本主義がかならず氾濫することになる。
総路線、総綱領、工業化、社会主義的改造については、十月の会議で話そうとおもう。
「私有財産を確実に保護する」とか、「四大目由」②とかは、いずれも富農と富裕中農を利するものである。ではなぜ法律に書きこむのか。法律には私有財産を保護するとあるが、「確実に保護する」とは書いていない。いま、農民が土地を売っているが、これはよくない。法律では禁止していないが、われわれの活動によって、農民の土地売却をくいとめなければならない。その方法は協同組合をつくることである。互助組ではまだ農民の土地売却をくいとめることができず、協同組合、そして大協同組合ではじめてできることである。大脇同組合ならば、農民が土地の貸し出しをしなくてもすむようになる。一、二百世帯の大協同組合が寄る辺のない孤独者の家庭を数戸いれて、その面倒を見てやれば、問題は解決されるのである。小協同組合でも、そのような家庭をいくらかいれることができるのではないか、検討してみる必要がある。互助組も寄る辺のない孤独者を援助すべきである。協同組合は、大規模なものをつくれなければ、中規模のをつくればよい。中規模のをつくれなければ、小規模のをつくればよい。しかし、中規模のをつくれるなら、中規模のをつくるべきであり、大規模のをつくれるなら、大規模のをつくるべきであって、大規模のをみると不愉快におもうようではいけない。一、二百世帯ともなれば大きいほうだが、三、四百世帯のものであってもかまわない。大協同組合の下に、小組合をいくつか設けるのら、一つの創造であり、かならずしも大協同組合を解散させなくてもよい。りっぱにつくるといっても、すべてがりっぱだということではない。いろいろな経験を汲みとらなければならず、どこもかしこも一つの規格で律してはならない。
旧解放区ではいくらか多く発展させるべきである。一部の新解放区では、旧解放区の一部の地区よりもはやく発展する可能性がある。たとえば、陝西省中部平原は陝西省北部よりもはやく発展するだろうし、成都盆地は阜平などのような地方よりもはやく発展するだろう。新解放区はおそいにきまっているという考え方をうち破らなければならない。東北地方は実際には旧解放区ではなく、東北地方の南部は山海関以南のおくれて解放された地方とは大差がない。江蘇、杭州・嘉興・湖州一帯は、山東、華北の山地のような旧解放区を追いこせるかもしれないし、また、追いこすのが当然である。新解放区はゆっくりでよいと、一般的にはこういってもよいが、しかし幹部がしっかりしていて、人口が稠密で、地勢も平坦な一部の地方では、典型をいくつかつくりあげれば、わりあい速い速度でいちどに発展させることも可能である。
現在、華北には協同組合が六干あるが、これを二倍にするなら、割り当てる方法をとり、三倍にするなら、相談してきめていく。合理的に割り当て、統制数字をきめるべきであり、さもなければ、仕事にあたって見当がつかなくなる。東北では二倍か、二倍半か、あるいは三倍とし、華北でも同じようにすべきである。統制数字は、地方が超過達成できるように、あまり大きくする必要はない。超過達成すれば意欲が高まる。
協同組合を発展させるのにも、数が多く、質が高く、コストが低いというようにしなければならない。コストが低いというのは、不合格品を出さないことである。不合格品を出せば、農民の精力が浪費されて、たいへんわるい影響をあたえ、政治的に損失をこうむり、食糧の収量が減ることになる。終局的には食糧、綿花、甘蔗、野菜などの収量をふやさなければならない。食糧を多く生産できなければゆきづまり、国にとっても人民にとっても不利である。
都市の郊外では、野菜を多く生産しなければならない。野菜を多く生産できなければ、やはりゆきづまり、国にとっても人民にとっても不利である。都市の郊外では土地が肥えており、地勢も平坦で、そのうえ公有制になっているから、他にさきがけて大規模な協同組合をつくってもよい。もちろん、きめ細かにすすめなければならず、野菜は食糧とちがうので、なおさら粗雑な進め方ではいけない。典型をつくって試験をおこない、暴走してはならない。
都市への野菜の供給を、個人経営の農民が売りに出てくるのにたよっているようではだめである。生産の面で方法を考えるだけでなく、購買・販売協同組合も方法を考えなければならない。大都市の野菜の需要と供給にはいまきわめて大きな矛盾が存在している。
食糧、綿花の需要と供給にもきわめて大きな矛盾が存在しており、肉類、食用油の面でもやがてきわめて大きな矛盾があらわれるだろう。需要が大いにふえて、供給が追いつかなくなるだろう。
こうした需要と供給との矛盾を解決するという点から考えれば、所有制と生産力との矛盾の問題を解決しなければならない。個人所有制か、それとも集団所有制か。資本主義的所有制か、それとも社会主義的所有制か。個人所有制の生産関係は、大量の供給とは完全に衝突するものである。個人所有制は、集団所有制に移行し、社会主義に移行しなければならない。協同組合には土地を出資する形の低い段階のものもあり、土地を共有に、つまり協同組合の共有にする高い段階のものもある。
総路線は所有制の問題を解決することであるともいえる。国家所有制の拡大 国営企業の新設、改造、拡張をはかること。私的所有制には勤労人民のものとブルジョア階級のものと二種類あるが、それを集団所有制と国営(公私合営を経て社会主義に統一されていく)に改造すること。こうしてこそ、生産力が高められ、国の工業化がなしとげられるのである。生産力が発展してこそ、需要と供給との矛盾が解決されるのである。
どういう仕事をするにも、かならず実際に即していなければならず、実際に即さないのは誤りである。実際に即するというのは、必要と可能に応ずることであり、可能とは、政治条件、経済条件、幹部の条件を含めていうのである。農業生産協同組合を発展させることは、現在、必要かつ可能なことであり、潜在力はきわめて大きい。それを掘りおこそうとしなければ、着実にして前進せずである。足はもともと歩くためのるので、立ったままいつまでも動こうとしないのは誤りである。条件がそろって設立された協同組合を、むりやり解散させるのは間違っており、どの年であろうと誤りである。「性急と暴走を是正せよ」というのは、なんといっても一陣の風であった。それが吹きおろすと、一部の吹き倒すべきでない農業生産協同組合まで吹き倒してしまった。誤って吹き倒したものは、見つけだしてはっきり説明をくわえ、誤りであったと認めるべきである。そうしなければ、その郷の幹部、積極分子は腹の虫がおさまらないだろう。
社会主義をやらなければならない。「私有を確実に保護する」というのはブルジョア階級の考え方である。「群居して終日、言義に及ばず、好んで小恵を行なう。難いかな」。「言義に及ばす」とは、話が社会主義のことには及ばず、社会主義をやらない、ということである。農業融資をやり、救済食糧を出し、比率におうじて徴税し、法によって減免し、小型水利施設を建設し、井戸や用水路をつくり、深耕・密植をおこない、合理的な施肥をおこない、畜力牽引の新式プラウ、水車、噴霧器、農薬をおしひろめることなど、これらはいずれもよいことである。だが、社会主義に依拠せず、たんに小農経済の基礎のうえにこういったことをやるのは、農民に小恵を行なうことである。これらのよいことを、総路線、社会主義と結びつけるならば、事の次第はちがって、小恵ではなくなる。かならず社会主義をやり、これらのよいことを社会主義に結びつけなければならない。「私有を確実に保護する」、「四大目由」にいたっては、なおさらのこと小恵であり、しかも、富農と富裕中農を恵むことになる。社会主義に依拠せず、小農経済からなにかひねり出そうと考え、個人経営経済という土台のうえに小恵を行ない、これによって、食糧を大幅に増産して、食糧問題の解決、 国の経済と人民の生活という大間題の解決を期待するのは、これこそ「難いかな」である。
昔のことばに、「大綱をつかめば、網の目はひらく」というのがある。大綱をつかんで、はじめて網の目はひらくのであり、大綱は主題である。社会主義と資本主義との矛盾、そしてこの矛盾を逐次解決していくこと、これが主題であり、大綱である。この大綱をつかめば、農民を援助する各種の政治工作、経済工作は、すべてその統帥のもとにおかれるわけである。
農業生産協同組合には、組合内、組合外ともに矛盾がある。現在の農業生産協同組合はまだ半社会主義のものであるが、組合外の個人経営の農民は完全に私有制であって、この両者のあいだには矛盾がある。互助組は農業生産協同組合と異なり、集団労働をおこなっているだけで、所有制には触れていない。現在の農業生産協同組合は、やはり私有制の基礎のうえにつくられたものであって、個人所有の土地、役畜、大型農具が組合に出資されているので、組合内にも社会主義的要素と私有制との矛盾があり、この矛盾を逐次解決していかなければならない。将来、いまのこうした半ば共有、半ば私有から集団所有制にすすめば、この矛盾は解決される。われわれがとっている段どりは着実で、社会主義の芽ほえである互助組から、半ば社会主義的な協同組合にすすみ、さらに完全に社会主義的な協同組合(やはり農業生産協同組合とよび、集団農場とはよばない)にすすむ。一般に、互助組は農業生産協同組合の基礎である。
一時期、互助・協同化にふれていない文書をいくつか見かけたので、わたしはどれにも、互助・協同化を発展させるとか、必要かつ実行可能な政治工作、経済工作をすすめるといったようなことばを書きくわえた。一部の人は、小農経済からなにかひねり出そうと考えているので、農民に干渉しすぎることにとくに反対する。当時、たしかに干渉をしすぎて、上級が「五多」をやり、それぞれの系統をつうじておろし、下部を混乱させるといった状況もあった。「五多」のよくないのは、どの年度でも同じである。たんに農村でよくないだけでなく、工場でも、軍隊でもよくない。中央はいくつか文書を出して、干渉しすぎることに反対したが、これは有益である。干渉しすぎるとは、どういうことなのか。必要と可能をかえりみず、実際に即さない、主観主義的な計画をたてたり、また計画は実際に即してはいるが、命令主義的なやり方をとったりすること、これが干渉のしすぎである。主観主義、命令主義は一万年後にもとるべきではない。それは、分散した小農経済にたいしてとるべきでないばかりか、協同組合にたいしてもとるべきではない。しかし、必要かつ可能なことであり、やり方も命令主義的でないものまで、干渉のしすぎとよぶわけにはいかない。仕事を点検する場合、これを基準とすべきである。主観主義的な、実際に即さないものは、すべて誤りである。命令主義で事をはこぶのは、すべて誤りである。着実にして前進せずであれば、右よりとなり、実際の可能性をこえて無理におこなえば、「左」よりとなる。これはいずれも主観主義である。暴走は誤りであるが、できることをやらないのも誤りであって、解散を強制するのはなおさら誤りである。
「農村は苦しく、あまり芳しくない。小農経済に即した措置がとられていない」。党内でも、党外でも、このような議論がきかれる。農村はいくらか苦しいが、これには当を得た分析が必要である。実際には、農村はそれほど苦しいわけではなく、食糧不足農家は一〇パーセント前後にすぎず、寄る辺のない孤独者で、労働力がなく、ひじょうに困っているのは、さらにその半数である。かれらには、互助組、協同組合が援助してやればよい。かれらの生活は国民党時代に比べれば、なんといってもはるかによくなっており、田畑を分配されているのだ。罹災者は苦しいが、これにも救済食糧を出している。一般の農民の生活はよく、向上しており、したがって八〇パーセントから九〇パーセントの農民が喜びにあふれ、政府を支持している。農村人口のうち、七パーセント前後の地主、富農が政府に不満である。「農村は苦しく、とてもたいへんだ」というが、わたしはこれまでこのような見方をしたことはない。一部の人は、農村が苦しいことにふれ、また農村がまとまりのないこと、つまり小農経済の分散性にもふれている。だが、分散性を語るばあい、それと同時に協同組合をつくることについて語ろうとはしない。個人経営経済にたいし社会主義的改造をくわえ、互助・協同化をすすめ、協同組合をつくることは、たんに方向であるばかりでなく、当面の任務でもある。
総路線の問題は、七月、八月にひらかれた財政・経済会議がなければ、多くの同志にとっては解決されなかった問題である。七月、八月の財政・経済会議は、おもにこの問題を解決することにあった。薄一波批判は、総路線からはずれたかれの誤りへの批判であった。総路線を一言に概括すれば、国の社会主義的工業化と農業、手工業、資本主義工商業にたいする社会主義的改造を逐次実現するということである。こんどの食糧の計画買付と計画供給の実施も、社会主義を大きく促進するものである。つづいて今回の互助・協同化会議がひらかれたが、これもまた大きな促進作用をはたすだろう。ことしは半年以上も互助・協同化運動を後退させてきたことを考えれば、今回の会議は積極的に出なければならない。しかし、政策ははっきり説明しなければならない。政策を説明することはひじょうに大切なことである。
「積極的に指導し、着実に発展させる」、このことばはたいへんよい。この半年あまりは、後退させてきたため、着実にして前進せずであったが、これではいささかまずい。しかし、よい面もある。戦争にたとえれば、ひといくさすんで、休養と整頓をしたうえ、第二の戦役をくりひろげるようなものである。問題は、一部の陣地ではやや後退しすぎ、あるところでは後退のしすぎということではなくて、もともと発展できたのに発展せず、発展を許されず、認可を得られず、非合法なものになってしまったという点にある。新しくうまれた、正しい事物が非合法であることは、この世界にしばしばあることである。われわれもかつては「非合法」であり、国民党が「合法」であったではないか。だが、これら非合法な協同組合が、がんばりとおして、りっぱに運営されているのに、それでも承認しないでいいものだろうか。やはり、それを合法的であると認めざるをえまい。それは勝利したのである。
会議では、積極的に指導し、着実に発展させることが語られたが、それでもまだ問題がいくらか出てくることを見とおしておかなければならない。口では積極的に、着実にと言っても、いざ実行するとなると指導が積極的でなかったり、発展が着実でなかったりすることはありうる。積極的に、着実にとは、統制数字をきめ、任務を割り当て、さらに完遂したかどうかを点検することである。完遂できるのに完遂しようとしないのはだめで、それは社会主義に不熱心なのである。調査したところ、いま減産し、あまりうまくいっていない協同組合が、五パーセントから一〇パーセントあり、これは積極的に指導しなかったことによるものである。もちろん、少数の協同組合がうまくいかず、減産するのは、避けられないことでもある。だが、二〇パーセント、はてはそれ以上の協同組合が減産だとすれば、これは問題である。
総路線とは、一歩一歩生産関係を改めていくことである。スターリンは、所有制こそ生産関係の基礎である〔1〕と言った。この点を同志たちははっきりさせておかなければならない。いまのところ、私有制も社会主義的共有制も、ともに合法的であるが、私有制は逐次合法的でないものに変わっていくのである。三畝の土地で「私有を確実に保護し」、「四大自由」をおこなえば、その結果は少数の富農を発展させ、資本主義の道を歩むことになる。
県の幹部、区の幹部の仕事は、逐次、農業生産の互助・協同化という面にむけられ、社会主義という面にむけられなければならない。社会主義の仕事をしないで、なにをするのか、個人経営経済のために仕事をするとでもいうのか。県委員会書記と区委員会書記は、社会主義の仕事を重大な事業と見なさなければならない。かならず書記が責任を負わなければならず、中央の書記はわたしである。中央局書記、一省委員会書記、地区委員会書記、県委員会書記、区委員会書記、各級の書記がそれぞれ責任をもち、みずから取りくまなければならない。中央はいま、精力の七、八〇パーセントを農業の社会主義的改造の仕事にそそいでいる。資本主義工商業の改造も、社会主義をおこなうことである。各級の農村工作部の同志、会議に出席した人びとは、農業の社会主義的改造の専門家になり、理論がわかり、路線がわかり、政策がわかり、方法のわかった専門家にならなければならない。
都市の野菜の供給は、主として計画供給をおこなうべきである。大都市と新興都市は、人口が稠密である。野菜がなかったら困るではないか。この問題を解決しなければならない。都市の郊外に互助組をつくっても野菜の生産と供給の問題は解決しにくいので、互助組を経ずに、直接半ば社会主義的な協同組合、場合によっては完全に社会主義的な協同組合をつくってもよい。この問題を検討したらよいとおもう。
生産協同組合の発展計画がうちだされた。今冬と明春から来年秋の収穫期までに、三万二千あまりをふやし、一九五七年には七十万に達することになる。だが場合によっては一挙にふえて百万になり、あるいは百万にとどまらないかもしれない、ということを見とおしておくべきである。いずれにせよ、多くつくり、しかもりっぱなものにしなければならず、積極的に指導し、着実に発展させなければならない。
こんどの会議は成果があった。いまひらかずに来年の一月にひらくとしたら、もうおそすぎて、ことしの冬は無為にすごしてしまうところであった。来年三月二十六日にふたたび会議をひらいて、この計画の実施状況を点検する。こんどの会議では、つぎの会議の日取りをきめ、そのときに今回の会議の決議の実施状況を点検することをきめたが、このやり方はたいへんよい。来年の秋さらに会議をひらいて、来年の冬の任務を討議、決定する。
〔1〕 スターリンの『弁証法的唯物論と史的唯物論』を参照。
① 韓信は漢の高祖劉邦の武将である。『史記』の記載によれば、ある日劉邦から、あなたは兵をどのくらいひきいられるのかと問われた韓信は、多々ますます善しと答えた。
② 本書三二一ページを参照。
(一九五四年六月十四日)
これは、毛沢東同志が中央人民政府委員会第三十回会議でおこなった演説である。
この憲法草案は、どうやら人心を得ているようである。北京の五百余人の討議でも、各省・市の各分野の積極分子の討議でも、言いかえれば全国の代表的な八千余の人びとの幅広い討議をつうじて、この憲法草案の初稿は比較的よいこと、みなの賛同と支持を得ていることが、あきらかとなった。きょうも多くの人が発言したが、やはりみなそのように言っている。
なぜ、これほど幅広い討議を組織する必要があったのか。それにはいくつかの利点があるからである。まず、少数の人の討議でつくられたものが、はたして広範な人びとの賛成を得られるかどうかということである。討議の結果、憲法草案の初稿の基本条文、基本原則にはみなが賛成していることが立証された。草案の初稿のうち、正しいものは全部のこされた。少数の指導者の意見が数千人の賛成を得たこと、これからみても、それは理にかなった、実際に役立つ、実施可能なものであることがわかる。こうして、われわれは確信を得た。つぎには、討議をつうじて五千九百ヵ条あまりの意見(質疑は含まない)をあつめることができた。これらの意見は三つの部分にわけるれる。そのうち、一部は正しくないものである。もう一部はひじょうに正しくないというわけではないが、不適当であり、採用しないほうがよいものである。採用もしないのに、なぜあつめたのか。こうした意見をあつめて、なにか利点があるのか。利点はある。八千余人の頭のなかには、憲法についてこうした考え方のあることがわかり、比較することができるのである。第三の部分は採用した意見である。これは言うまでもなく、ひじょうによい意見、ひじょうに必要な意見である。憲法草案の初稿は基本的に正しいとはいえ、もしもこれらの意見がなければ、やはり不完全な、欠点のある、周到さを欠くものであった。現在の草案もまだ欠点があろうし、まだ不完全であるかもしれないが、これについては全国人民から意見を求めることにする。だが、いまの時点からみれば、この草案は比較的完全なものだ。それは合理的な意見を探りいれたからである。
この憲法草案が人心を得ているのは、どういうわけだろうか。わたしの見るところ、その理由の一つは、憲法の起草にあたって指導機関の意見と広範な大衆の意見とを結びつける方法をとったことである。この憲法草案は、少数の指導者の意見と八千余人の意見とを結びつけたものだが、公布後はさらに全国人民の討議にかけて、中央の意見と全国人民の意見とを結びつけることにする。これが、指導部と大衆とを結びつけ、指導部と広範な積極分子とを結びつける方法である。これまで、われわれはこの方法をとってきたが、これからもそうしなければならない。重要な立法には、すべて、この方法を採用すべきである。こんど、われわれはこの方法をとったので、比較的よい、比較的完全な憲法草案をつくることができた。
在席のみなさんと広範な積極分子がこの憲法草案を支持するのはなぜだろうか。これをよいものだと考えるのはなぜだろうか。それは主として、一つは経験を総括していること、もう一つは原則性と弾力性とを結びつけていること、というこの二点にある。
第一に、この憲法草案は、歴史的経験、とくにここ五年らいの革命と建設の経験を総括している。それは、プロレタリア階級の指導する、帝国主義反対、封建主義反対、官僚資本主義反対の人民革命の経験を総括し、ここ数年らいの社会改革、経済建設、文化建設、政府活動の経験を総括している。この憲法草案はまた、清朝末期いらいの憲法問題についての経験、つまり清朝末期の『十九ヵ条の信条』〔1〕から、民国元年の『中華民国臨時約法』〔2〕、北洋軍閥政府のいくつかの憲法と憲法草案〔3〕、蒋介石反動政府の『中華民国訓政時期約法』、さらに蒋介石のニセ憲法にいたるまでの経験をも総括している。このなかには、積極的なものもあれば、消極的なものもある。たとえば、民国元年の『中華民国臨時約法』は、当時としては比較的よいものであった。もちろん、不完全な、欠点のある、ブルジョア的なものではあったが、革命的、民主的な性格ももっていた。この約法はきわめて簡単であって、起草のさいも非常にあわただしく、起草から採択までわずか一ヵ月であったとったえられる。そのほかのいくつかの憲法と憲法草案は、総じて反動的なものである。われわれのこの憲法草案は、主としてわが国の革命と建設の経験を総括したものであるが、同時に自国の経験と国際的な経験とを結びつけたものでもある。われわれの憲法は、社会主義の憲法の型にはいるものである。われわれは、自分の経験を主体とし、またソ連と人民民主主義諸国の憲法のよい点をも参考にした。憲法といえば、ブルジョア階級が先につくったものである。イギリスにせよ、フランスにせよ、アメリカにせよ、ブルジョア階級にはみな革命の時期があり、憲法はかれるがその当時につくりはじめたものである。かれらの憲法には史上に占める位置がないなどと言って、ブルジョア民主主義をあたまから否定するわけにはいかない。しかし、現在のブルジョア階級の憲法はまったくいいところがなく、悪いものであって、わけても帝国主義諸国の憲法は多数の人をあざむき、抑圧するためのものである。われわれの憲法は、ブルジョア型のものとは異なり、新しい社会主義の型のものである。われわれの憲法は、かれらの革命期の憲法にくらべてもはるかに進歩的である。われわれは、かれらにまさっている。
第二に、われわれの憲法草案は、原則性と弾力性とを結びつけている。原則というのは基本的には二つで、民主主義の原則と社会主義の原則である。われわれの民主主義は、ブルジョア民主主義ではなく、人民民主主義である。つまり、プロレタリア階級の指導する、労農同盟を基礎とした人民民主主義独裁である。人民民主主義の原則はわれわれの憲法ぜんたいをつらぬいている。もう一つは社会主義の原則である。現在、わが国にはすでに社会主義が生まれている。憲法には、かならず社会主義的改造をなしとげ、国の社会主義的工業化を実現しなければならない、と規定されている。これは原則性である。だが、社会主義の原則を実行するとは、全国的な範囲で、ある朝なにもかも一挙に社会主義を実行することなのだろうか。これは、形式的にはたいへん革命的だが、弾力性に欠けているので、うまくいくものではなく、反対にあい、失敗する。だから、いますぐにやれないことは、逐次実行していくのを許すべきである。たとえば国家資本主義だが、これは逐次実行していくものである。国家資本主義には、公私合営という一つの形態しかないのではなくて、各種の形態がある。一つは「逐次」であり、一つは「各種」である。これが、各種の形態の国家資本主義を逐次実行して、社会主義的全人民所有制に到達するということである。社会主義的全人民所有制は原則である。この原則に到達するには、弾力性との結びつきがなくてはならない。弾力性は国家資本主義である。しかも、その形態は一つではなくて「各種」なのであり、その実現も一日ではなくて「逐次」なされるのである。これで、弾力性をもつことになる。いま実行可能なものは書きいれ、実行不可能なものは書きいれない。たとえば、公民の権利の物的裏付けは、いずれ生産の発展にともなって、いまより拡大されることはまちがいない。だが、いまのところはやはり、「逐次拡大する」と書いておく。これも弾力性である。また、統一戦線であるが、これは共同綱領に書いてあるし、こんどの憲法草案の前文にも書いてある。「各民主階級、各民主政党、各人民団体の広範な人民民主統一戦線」というものが必要である。それによって、各階層を安定させ、民族ブルジョア階級と各民主政党を安定させ、農民と都市の小ブルジョア階級を安定させることができる。このほかに少数民族の問題もあるが、それには共通性もあれば、特殊性もある。共通のものには共通の条文を適用し、特殊のものには特殊の条文を適用する。少数民族はみな政治、経済、文化の面でそれぞれの特徴をもっている。少数民族の経済的特徴はなにか。たとえば第五条で、中華人民共和国の生産手段所有制には現在四種類のものがあるとのべているが、実のところ、われわれの少数民族地区では、いままだ別の所有制がおこなわれている。いま、原始共産制はまだあるだろうか。一部の少数民族のあいだには、おそらくあるだろう。わが国にはまだ奴隷主の所有制もあれば、封建領主の所有制もある。いまからみれば、奴隷制度、封建制度、資本主義制度はどれもよくないが、その実、これらの制度はみな歴史のうえでは原始共産制よりも進歩的であった。これらの制度は、はじめ進歩的であったが、のちにだめになり、このため、他の制度にとって代わられたのである。憲法草案第七十条には、少数民族地区は、「その地方の民族の政治、経済および文化の特徴にしたがって、自治条例と単行条例を制定することができる」と規定されている。これらはすべて、原則性と弾力性とを結びつけたものである。
この憲法草案がみなから支持され、よいものだと言われるのには、二つ理由がある。一つは経験を正しく適切に総括していること、もう一つは原則性と弾力性とを正しく適切に結びつけていることである。そうでなければ、みなが賛成するはずはないし、よいと言うはずもないと思う。
この憲法草案は、完全に施行できるものであり、施行しなければならないものである。もちろん、いまはまだ草案にすぎないが、数ヵ月後、全国人民代表大会で採択されれば、正式な憲法となる。われわれはいまから施行の準備にとりかからなくてはならない。採択後は、全国人民の一人びとりが遵守しなければならないが、とくに国家機関の公職要員が率先して遵守しなければならず、まず第一に在席のみなさんが遵守しなければならない。遵守しなければ憲法違反である。
われわれの憲法草案が公布されたあかつきには、全国人民の一致した支持をうけ、全国人民の積極性を高めることになろう。団体には規約がなければならず、国家にも規約がなければならない。憲法とは全般的な規約であり、根本法である。憲法というこうした根本法の形で、人民民主主義と社会主義の原則を条文化し、これによって、全国人民にはっきりした軌道をもたせ、全国人民にはっきりした、明確な、正しい道があると惑じさせるなら、全国人民の積極性を高めることができる。
この憲法草案が公布されたあと、国際的な反響をよぶだろうか。民主陣営でも、資本主義諸国でも、反響をよぶだろう。民主陣営では、われわれにはっきりした、明確な、正しい道があるのをみて、喜ぶだろう。中国人が喜べば、かれらも喜ぶのである。資本主義諸国では、抑圧と搾取をうけている人民がこれをみれば、やはり喜ぶだろう。もちろん喜ばない者もおり、帝国主義や蒋介石が喜ぶはずはない。蒋介石が喜ぶだろうか。かれが喜ばないであろうことは、かれの意見を求めるまでもないと思う。蒋介石については、われわれがよく知っている。かれは断じて賛成するはずがない。アイゼンハワー大統領も喜ばず、やはり、この憲法はよくないと言うにちがいない。かれらはわれわれのこの憲法のことを、はっきりした、明確なものではあるが、きわめて悪い道であり、誤った道であると言い、なにが社会主義、人民民主主義だ、誤りを犯したのだと言うだろう。かれらは弾力性にも賛成しない。かれらがもっとも望んでいるのは、われわれがある朝とつぜん社会主義に切りかえることだ。それで天下が大いに乱れれば、かれらは喜ぶだろう。中国が統一戦線をつくることにもかれらは賛成せず、われわれが「なにもかも一色に塗りつぶす」のを望んでいる。われわれの憲法は民族的特色をもっているが、国際性をもおびており、民族的現象であるとともに、国際的現象の一種でもある。われわれと同じように帝国主義、封建主義の抑圧をうけている国はひじょうに多く、その人口は世界で多数を占めている。われわれが革命的な憲法、人民民主主義の憲法をもち、はっきりした、明確な、正しい道をもつことは、これら諸国の人民にとっても助けとなるであろう。
われわれの奮闘の総目標は、偉大な社会主義国を建設することである。われわれは六億の人口をもつ大国であるが、社会主義的工業化を実現し、農業の社会主義化、機械化を実現し、偉大な社会主義国を建設するには、いったい、どのくらいの年月を要するだろうか。いま断定的な言い方はしないが、およそ三回にわたる五ヵ年計画、つまり十五年前後で、一応の土台をつくることができるだろう。そのときになれば、ひじょうに偉大だと言えるだろうか。そうとは限らない。わたしの見るところ、偉大な社会主義国をきずきあげるには、およそ五十年、つまり十回にわたる五ヵ年計画があればまずまずで、なんとか格好がつくようになり、いまとは大いにちがってくるだろう。いま、われわれになにがつくれるのか。机や椅子がつくれるし、茶碗や土瓶がつくれる、米や麦もつくれる、それに粉をひき、紙をつくることもできる、だが、自動車、航空機、戦車、トラクターは一台もつくることができない。あまりホラを吹いてはいけないし、鼻を高くしてもいけない。もちろん、一台つくれたらちょっと鼻を高くし、十台つくれたらもっと鼻を高くし、台数の増加につれてますます鼻を高くしてもよい、などと言っているのではない。それではいけない。たとえ五十年後になんとか格好がつくようになっても、いまと同じように謙虚でなければならない。そのときになって、おごり高ぶり、他人を見くだすようなことがあるなら、それはよくない。百年たっても、やはりおごり高ぶってはならない。永遠に、鼻を高くするようなことがあってはならない。
われわれのこの憲法は、社会主義の型の憲法であるが、まだ完全な社会主義の憲法ではなく、過渡期の憲法である。われわれは、現在、全国人民と団結しなければならず、団結できるし、団結すべきでもあるすべての勢力と団結して、偉大な社会主義国を建設するために奮闘しなければならない。この憲法は、こうした目的のために書かれたものである。
おしまいに、一つ説明しておきたい問題がある。憲法草案からごく少数の条文が削られたのは一部の人がひじょうに謙虚なためである、と言う人がいる。このように解釈すべきではない。これは、謙虚だからではなくて、あのように書くのが適当でなく、合理的でなく、科学的でないからである。わが国のような人民民主主義国では、あのような不適当な条文を設けるべきではない。もともと、書きいれるべきなのに、謙虚だから書きいれなかった、というものではない。科学には、謙虚であるかどうかというような問題は存在しない。憲法をつくるのは、科学をすることである。われわれは、科学以外のなにものをも信じてはいけない。つまり、迷信を信じてはいけない。中国人でも外国人でも、また死んだ人でも生きている人でも、正しいものは正しく、正しくないものは正しくないのであって、そうでなければ迷信である。迷信はうち破られなければならない。古代であると現代であるとをとわず、正しいものはこれを信じ、正しくないものはこれを信ぜず、信じないだけでなく、これを批判しなければならない。それでこそ科学的な態度である。
〔1〕 清朝政府が一九一一年十一月に発布した『十九ヵ条の重要信条』をさす。
〔2〕 『中華民国臨時約法』は、辛亥革命のあと、孫中山が中華民国臨時大統領の職にあったときに公布したものである。
〔3〕 袁世凱政府のつくった一九一二年の天壇憲法草案と一九一四年の約法、曹[金+昆]政府のつくった一九二三年の憲法、段祺瑞執政府のつくった一九二五年の憲法草案をさす。
(一九五四年九月十五日)
これは、毛沢東同志が中華人民共和国第一期全国人民代表大会第一回会議でのべた開会のことばである。
代表のみなさん
中華人民共和国第一期全国人民代表大会第一回会議が、本日、わが国の首都北京で開かれる。
代表の総数は千二百二十六名で、出席を届け出た代表は千二百十一名、病気、その他の事情で欠席を届け出た代表は十五名、出席を届け出はしたが、病気その他の事情で本日欠席している代表は七十名である。本日の会議に出席した代表の実数は千百四十一名で、定数に達している。
中華人民共和国第一期全国人民代表大会第一回会議は、重要な任務をになっている。
今回の会議の任務は、次のとおりである――
憲法を制定すること、
いくつかの重要な法律を制定すること、
政府の活動報告を採択すること、
国家の新しい指導要員を選出すること。
われわれの今回の会議は、偉大な歴史的意義をもっている。今回の会議は、一九四九年の建国いらい、わが国人民のかちとった新たな勝利と新たな発展をしめす里程標である。今回の会議で制定される憲法は、わが国の社会主義事業を大いに促進するであろう。
われわれの全般的任務は、全国の人民を結集し、諸外国のすべての友人の支援をかちとって、偉大な社会主義国の建設のために奮闘し、世界平和の擁護と人類進歩の事業の発展のために奮闘することである。
わが国の人民は、仕事にはげみ、ソ連や兄弟諸国のすすんだ経験を学ぶことにつとめ、あくまで誠実、勤勉で、たがいに励まし助けあい、すこしでもホラを吹いたり、うぬぼれたりしないよういましめ、いくつかの五ヵ年計画のあいだに、現在のような経済的、文化的に立ちおくれたわが国を、工業化した、高度の現代的文化をもつ、偉大な国にきずきあげていく用意がなければならない。
われわれの事業は、正義の事業である。正義の事業は、いかなる敵にもうち破られることはない。
われわれの事業を指導する中核的な力は、中国共産党である。
われわれの思想をみちびく理論的基礎は、マルクス・レーニン主義である。
われわれは、あらゆる難難困苦にうち勝ち、わが国を偉大な社会主義共和国にきすきあげる十分な確信をもっている。
われわれは、いま前進しつつある。
われわれは、いま、われわれの先人がこれまでに手がけたことのない、きわめて光栄ある偉大な事業をすすめている。
われわれの目的は、かならず達成しなければならない。
われわれの目的は、かならず達成することができる。
全中国の六億の人びとは団結して、われわれの共同の事業のために奮闘努力しよう!
われわれの偉大な祖国万歳!
(一九五四年十月十六日)
これは、毛沢東同志が中国共産党中央政治局の同志およびその他の関係ある同志にあてた書簡である。
兪平伯に論駁をくわえた同封の二論文を一読してもらいたい。これは、紅楼夢研究の権威者なるものの誤った観点にたいし、ここ三十余年らい、はじめて真剣に攻撃の火ぶたをきったものである。筆者は二人の青年団員である。かれらは、最初、『文芸報』に手紙を書き、兪平伯を批判してもよいかどうかとたずねたが、相手にされなかった。やむをえず母校――山東大学の旧師に手紙をよせたところ、支持をうることができ、同大学の機関誌『文史哲』に、『紅楼夢略論』を論駁したかれらの論文が掲載された。問題はふたたび北京にもどってきた。ある人は、論争をひきおこして批判をくりひろげるため、この論文を『人民日報』に転載するよう要求したが、またしても、さまざまな理田(主として「小物の論文」だとか、「党の機関紙は自由討論の場ではない」とかの理由)で一部の人びとに反対され、実現をみなかった。結局、妥協が成立し、この論文を『文芸報』に転載することが許された。その後、『光明日報』の「文学遺産」欄もまた、前平肘の著書『紅楼夢研究』を論駁したこの二青年の論文を発表した。見うけるところ、古典文学の分野で三十余年間も青年を毒してきた胡適派のブルジョア観念論にたいする闘争は、どうやら展開されそうである。事は二人の「小物」によっておこされたのだ。ところが、「大物」はとかくそれに注意をはらわず、しかも、しばしばそれを阻止している。かれらは観念論の面でブルジョア著述家と統一戦線をくみ、甘んじてブルジョア階級のとりことなっている。これは、映画『清宮秘史』〔1〕や『武訓伝』が上映されたときの様子とほとんど同じである。誰かが愛国主義の映画だといっているが、実際には売国主義の映画である『清宮秘史』は、全国で上映された後も、いまだに批判されていない。『武訓伝』は批判されたとはいえ、いまだに教訓が引きだされていない。そこへまた、兪平伯の観念論を容認し、「小物」の生気あふれる批判論文をおさえるという奇怪な事態があらわれた。これはわれわれの注意すべきことである。
兪平伯のようなブルジョア知識分子にたいしては、もちろん団結する態度でのぞまなければならないが、青年を毒するかれらの誤った思想は批判すべきであり、かれらに投降すべきではない。
〔1〕 『清宮秘史』とは、義和団の愛国運動を誹謗し、帝国主義への投降を鼓吹した反動的な映画である。劉少奇はこの売国主義の映画をもちあげて、「愛国主義」の映画だといった。
(一九五五年一月二十八日)
これは、毛沢東同志が初代のフィンランド中国駐在大使スンストロムから信任状を受理したさいの談話の要点である。
中国とフィンランドは友好国です。われわれの関係は、平和共存の五原則の基礎のうえにうちたてられています。
中国とフィンランドのあいだには、いまだかつて衝突がおきたことはありません。歴史上、ヨーロッパ諸国のうちで中国と戦争をしたことがあるのは、イギリス、フランス、ドイツ、ツァー・ロシア、イタリア、オーストリア・ハンガリー二重帝国、オランダなどの国だけであり、いずれも、これらの国が遠路はるばるやってきて中国を侵略したのです。たとえば、英仏連合軍やアメリカ、日本をふくむ八ヵ国連合軍の中国侵攻がそれです。朝鮮侵略戦争に参加したのは十六ヵ国で、そのなかにはトルコ、ルクセンブルグなどがふくまれています。これらの侵略国はみな、自国のことを平和愛好国と言う一方、逆に朝鮮、中国両国を侵略国よばわりしています。
こんにち、世界戦争の危険と中国にたいする脅威は、おもにアメリカの好戦分子によってもたらされています。かれらは、中国の台湾と台湾海峡を侵略・占領しており、また核戦争をおこそうとしています。われわれには、第一、戦争をのぞまない、第二、もしも侵略をしてくるものがあれば断固それに反撃をくわえる、というニヵ条があります。われわれは、共産党員と全国人民にたいし、このような教育をしているのです。アメリカの核恐喝は、中国人民をおどしつけることはできません。わが国は六億の人口をもち、九百六十万平方キロにおよぶ国土をもっています。アメリカのあれだけの原子爆弾では、中国人を消滅できるわけがありません。アメリカの原子爆弾がどれほど威力の大きなもので、それが中国に投下され、地球をつらぬき、地球をぶちこわしてしまったとしても、太陽系にとって一大事とはいえるでしょうが、宇宙ぜんたいにとってみれば物の数ではないのです。
われわれには、粟と小銃というよく使われることばがあります。アメリカのほうは飛行機と原子爆弾です。だが、もしも飛行機と原子爆弾のアメリカが中国に侵略戦争をしかけてくるなら、粟と小銃の中国がきっと勝利するでしょう。全世界の人民は、われわれを支持することでしょう。第一次世界大戦の結果、ロシアでツァー、地主、資本家が一掃されました。第二次世界大戦の結果、中国で蒋介石と地主がくつがえされ、東ヨーロッパ諸国とアジアの一部の国も解放されました。もしもアメリカが第三次世界大戦をおこすなら、まあ八年、十年たたかうとしても、その結果はアメリカとイギリスおよびその共犯国の支配階級が一掃され、世界の大部分のところが共産党の指導する国となるでしょう。世界大戦の結果は、好戦分子にとって有利ではなく、共産党と世界の革命的人民にとって有利です。かれらは戦争をおこすくらいだから、なにもわれわれが革命をやるのをとがめることはありません。つまり、かれらが口をひらけば言っているところの、われわれのやる「転覆活動」をとがめることはないのです。かれらは戦争をやらなければ、もうすこし長く地球上に生きのこれるでしょう。戦争をおこすのが早ければ早いほど、かれらが地球上から消滅されるのも早くなるのです。そのときになれば、人民の国連をつくることになるでしょう。上海に設けるかもしれないし、ヨーロッパのどこかに設けるかもしれない。もしもアメリカの好戦分子が一掃されていたなら、やはりニューヨークに設けるということもあるでしょう。
(一九五五年三月)
中国共産党全国代表者会議代表の同志諸君
われわれの今回の全国代表者会議には、次の三つの議題がある。第一・国民経済発展のための第一次五ヵ年計画とこの計画についての報告。第二、高崗・饒漱石反党同盟についての報告。第三、中央監察委員会の設置について。
中央委員会は、レーニンの過渡期についての学説にもとづいて、中華人民共和国成立いらいの経験を総括し、わが国の国民経済回復期が終わろうとしていたとき、つまり一九五二年に、過渡期における党の総路線を提起した。この総路線とは、およそ三つの五ヵ年計画の期間内に、国の社会主義的工業化を一歩一歩なしとげ、同時に農業、手工業、資本主義工商業にたいする社会主義的改造を一歩一歩なしとげて、わが国に社会主義社会を建設するという目的を達成することである。党の総路線およびこの総路線を実現するために党がとった一連の重要な政策と措置は、すでに事実によって、その正しさが立証されている。全党の同志と全国の人民の努力に依拠して、われわれの活動は大きな成果をおさめた。しかし、われわれの活動には、欠点もあり誤りもある。われわれの多くの措置が、あらゆる面ですべて適切に規定されているということはありえず、実施していくなかで、新しい経験にもとづいて補充し、修正していかなければならない。
国民経済発展のための第一次五ヵ年計画は、党の総路線を実現するうえでの、一つの重要な段どりである。党の今回の全国代表者会議は、実際の経験にもとづき、この計画草案をしんけんに討議して、その内容を比較的妥当なものにし、実行可能な計画にすべきである。
われわれのこのような大きな国では、状況は複雑で、そのうえ国民経済がもともと非常に立ちおくれており、社会主義社会を建設するのは、けっして容易なことではない。われわれは、三つの五ヵ年計画を経て社会主義社会を建設することはできるであろうが、強大な、高度に社会主義的工業化された国を建設するには、数十年にわたるきびしい努力が必要である。たとえば五十年、つまり今世紀後半の全半世紀という時間が必要である。われわれの任務は、つぎのことをわれわれに要求している。すなわち、わが国人民内部の関係――とりわけ労働者階級と農民とのあいだの関係をりっぱに処理し、わが国各民族のあいだの関係をりっぱに処理しなければならないということ、そして同時に、偉大な社会主義先進国ソ連および人民民主主義諸国との緊密な協力関係をひきつづきりっぱに発展させ、また資本主義世界における平和を愛するすべての国家および人民との協力関係をも発展させなければならない、ということである。
われわれは、いつも、つぎのように言っている。われわれの仕事に成果があったからといって、おごり高ぶったり、うぬぼれたりしてはならない、謙虚な態度をもちつづけ、先進諸国に学び、大衆に学び、同志間でも互いに学びあって、誤りを少なくすべきである、と。わたしは、この点を今回の代表者会議でやはりもう一度のべる必要があると思う。高崗、饒漱石の反党事件からみて、わが党内には、たしかにおごり高ぶったり、うぬぼれたりする気分が存在しており、一部の同志のあいだでは、こうした気分がかなり強く、これを克服しなければ、社会主義社会の建設という偉大な任務を完遂するうえでのさまたげとなるo
同志諸君も知っているように、高崗・饒漱石反党同盟の出現は、偶然のできごとではなく、わが国の現段階における激しい階級闘争の鋭いあらわれの一つである。この反党同盟の犯罪的なねらいは、わが党を分裂させ、陰謀的な手段で党と国家の最高権力をうばい、反革命復活に道をひらくことにあった。全党は、中央委員会の一致団結した指導のもとで、すでにこの反党同盟を徹底的に粉砕した。こうして、われわれの党は、いっそう団結し、強固になった。これは、われわれが社会主義事業をめざしてたたかうなかでおさめた大きな勝利である。
われわれの党にとっていうならば、高崗・饒漱石事件は、一つの大きな教訓であり、全党は、これを戒めとすべきであって、ふたたび党内で、こうした事件がおこらないようにしなければならない。高崗、饒漱石は、党内で陰謀をもてあそび、秘密活動をすすめ、同志たちの背後で挑発・離間をおこなったが、公開の場ではその活動を偽装していた。かれらのこうした活動は、まったく地主階級とブルジョア階級が、歴史上よくつかった例の醜悪なやり口なのである。マルクス、エンゲルスは『共産党宣言』のなかで、「共産主義者は、自分の見解や意図をかくすことを恥とする」と書いている。われわれは共産主義者として、ましてや党の高級幹部として政治面では公明正大でなければならず、いつでも公然と自分の政治的見解をのべ、すべての重大な政治問題については、賛成なのか、反対なのか、その態度をあきらかにしなければならず、けっして高崗、饒漱石にならって陰謀の手管をもてあそんではならない。
社会主義社会の建設というこの目的のため、中央委員会は、このさい、党規約にもとづき、中央監察委員会を設けて、以前の規律検査委員会にとって代わらせる必要があると考える。こうして、新たな、激しい階級闘争の時期に、党の規律をつよめ、さまざまな法規・規律違反にたいする闘争をつよめ、とりわけ、高・饒反党同盟のような党の利益をひどくそこなう事件が、ふたたびおきないようにしなければならない。
さまざまな歴史的教訓にかんがみ、また個人の知恵は集団の知恵と結びあってはじめて、比較的よい役割をはたすことができ、活動のなかでわれわれの誤りを少なくすることができるということにかんがみ、中央と各段階の党委員会は集団指導の原則を堅持しなければならず、個人独裁と分散主義という、二つの誤った傾向にひきつづき反対しなければならない。集団指導を実行することと個人が責任をもつこととは、たがいに対立するものではなく、たがいに結びあっているものだということを知るべきである。個人が責任をもっということは、集団指導の原則にそむく個人独裁とは、まったく別個のことである。
当面の国際的条件は、われわれの社会主義建設事業にとって有利である。ソ連をはじめとする社会主義陣営は強大であり、内部は団結している。一方、帝国主義陣営は弱体であり、克服しようのない数かずの矛盾と危機に直面している。こういう状況ではあるが、帝国主義勢力は、やはりわれわれを包囲しており、われわれは、おこりうる突発的な事態に対処する備えがなければならない、ということを知るべきである。今後、帝国主義が戦争をおこすならば、おそらく第二次世界大戦のときのように奇襲攻撃に出るだろう。したがって、われわれは、精神面でも、また物質面でも、備えがなければならず、こうしてはじめて突発的な事態がおきたとき、手のほどこしようもないような状態をまねかないですむ。これが、一つの面である。もう一つの面についていうと、国内の反革命残存勢力の活動がまだひじょうに激しく、われわれは、計画的に、分析をくわえながら、実際状況にもとづき、かれらにさらに何回かの打撃をあたえ、潜伏している反革命勢力をいっそう弱めて、わが国の社会主義建設事業の安全を保障すべきである。これら二つの面で、われわれが適切な措置をとるならば、敵のもたらす大きな危害を避けることができるが、さもないと、われわれは誤りを犯すことになろう。
同志諸君! われわれはいま、新しい歴史的時期に生きている。六億の人口をもつ東方の国で社会主義革命をすすめ、この国で歴史の方向と国の姿を変え、およそ三つの五ヵ年計画の期間内に、国を基本的に工業化し、また農業、手工業、資本主義工商業の社会主義的改造を完成し、数十年内に、世界でもっとも強大な資本主義国に追いつき、これを追いこす――これらをなしとげるには、ちょうどわれわれが民主主義革命の時期に多くの困難に直面したように、けっして困難は避けることができないし、これまでよりいっそう大きな困難に直面するかもしれない。だが同志諸君、われわれ共産主義者は、困難をおそれないことで世に知られている。われわれは、戦術上では、いっさいの困難を重視しなければならない。具体的な困難の一つひとつにたいして、われわれは、しんけんに対処する態度でのぞまなければならず、必要な条件をつくりだし、対処する方法をよく考え、一つずつ、ひとまとまりずつ、それを克服していかなければならない。われわれの数十年の経験によれば、われわれが直面したどの困難も、たしかにみな克服されてきた。さまざまな困難も、共産主義者に出あうと退かざるをえない。まったく「高い山も頭をさげ、川の流れも道をゆずる」というものだ。ここから、一つの経験が得られる。それは、われわれは困難を蔑視してもよいということである。これは、戦略面について、また全体についていうのである。どのように大きな困難であろうと、われわれは、ひと目でその底まで見ぬくことができる。いわゆる困難とは、社会上の敵と自然界とがわれわれにもたらしたものにほかならない。帝国主義、国内の反革命分子およびわが党内におけるその代理人などなどは、みな滅亡に瀕した勢力であり、一方われわれは、新生の勢力であり、真理はわれわれの側にある、ということをわれわれは知っている。かれらにとっては、われわれは由来うち破ることのできないものなのである。われわれ自身の歴史をふりかえって見さえすれば、この道理がわかるはずである。われわれは、一九二一年、党をつくったばかりのころ、わずか数十人で、微々たるものだったのが、その後発展して、国内の強大な敵をついにうち倒してしまったのだ。自然界という敵も、これを征服する方法がある。自然界であろうと社会上であろうと、新生の勢力は、すべてその本質からいうならば、由来うち破ることのできないものなのである。すべての旧勢力は、それが数のうえで、どんなに膨大なものであろうと、かならず消滅されるものだ。したがって、われわれは、この世でぶつかるどのような大きな困難であろうと、これを蔑視することができるし、蔑視すべきであって、これを「眼中になし」という位置におくのである。これがつまり、われわれの楽観主義である。こうした楽観主義には科学的根拠がある。われわれが、マルクス・レーニン主義をよりよく身につけ、自然科学をよりよく身につけさえすれば、つまり、客観世界の法則をよりよく身につけ、主観主義の誤りをあまり犯さないようにしさえすれば、われわれの革命と建設の仕事は、かならずその目的を達成することができるのである。
同志諸君
みんなの発言はもう終わったので、わたしは次のいくつかの問題――今回の会議にたいする評価、五ヵ年計画、高・睫の問題、当面の情勢、党の第八回全国代表大会について、すこし話してみたいと思う。
一 今回の代表者会議にたいする評価について
圧倒的多数の同志は次のようにみている。今回の会議はたいへんよかった、これは延安での整風運動いらい、ふたたび開かれた整風の会議であり、民主を発揚し、批判と自己批判をくりひろげることによって、われわれの相互理解がいっそう深められ、思想がいっそう統一されて、共通の認識を得ることができた、と。われわれにはもともと共通の認識があったが、しかし、若干の問題について異なった意見も存在していた。それが今回の会議を通して認識が統一されたのである。この基礎のうえにたてば、この思想面、政治面、そしてまた畿多の政策面の共通の認識の基礎のうえにたてば、われわれの党をよりよく団結させることができるのである。周恩来同志が言ったように、党の第七回全国代表大会とその大会前の一時期におこなわれた全党の思想面、政治面での整風運動によって、わが党の思想的統一の基礎がかためられ、この基礎のうえで帝国主義、封建主義、官僚資本主義に反対する民主主義革命の勝利がかちとられた、というならば、今回の会議によってわれわれは社会主義の勝利をかちとることができるであろう。
今回の会議で立証されているように、わが党のレベルは大きく高められた。十年まえの第七回全国代表大会の時期にくらべで大きく進歩しているばかりでなく、一九四九年の二中総、一九五〇年の三中総の時期にくらべても大きく進歩した。これはよいことであり、今回の会議はわれわれが進歩したことをはっきりしめしている。
われわれは歴史的な新しい時期に足を踏みいれている。それは、われわれがいま従事し、思考し、研究しているのは社会主義的工業化、祉会主義的改造、国防の現代化にうちこみ、さらにこれからは原子力の開発にもうちこむことだ、という時期なのである。全党の同志は、そのうちこみ方に深いものも浅いものもあるが、在席の同志も同じであろう。ちょうど医者でいえば、ある人は手術ができるが、ある人はできない、ある人は静脈に注射をうてるが、ある人はそれができず皮下にしかうてない、一部分の医者は皮下にさえ手をつける勇気がなく、皮層の表面にとどまっている、といったようなものである。一部分の同志は仕事にうちこんでいないが、大部分の同志はうちこんでいる。みたところ多くの人はうちこんでおり、いささか玄人の感がある。今回の会議でもこのような状況をみることができた。これはたいへん喜ばしいことだ。なぜなら、いまわれわれが直面しているのは、社会主義的工業化、社会主義的改造、新しい国防、その他各分野の新しい仕事であるからだ。このような新しい状況に適応して仕事にうちこみ、玄人になるのはわれわれの任務である。したがって、仕事にうちこんでいかない人、皮膚の表面だけにとどまっている人を教育して、かれらが玄人になるようにしなければならないのである。
高崗、饒漱石の反党同盟にたいする闘争は、わが党の大きな前進をうながすであろう。
われわれは、党内、党外の五百万の知識分子と各クラスの幹部のなかで、唯物弁証法を宣伝し、かれらがそれをしっかり身につけて観念論に反対するようにしなければならない。われわれはまもなく強大な理論隊列を紬織できるであろう。これはひじょうに必要なことであり、これまたたいへん喜ばしいことである。
われわれは、数百万の人がマルクス主義理論の基礎、すなわち弁証法的唯物論と史的唯物論を学び、さまざまな観念論と機械的唯物論に反対する、というこのような強大な理論隊列を組織する計画をたてなければならない。いまわれわれには理論活動に従事している幹部がたくさんいるが、まだ理論隊列に組織されておらず、まして強大な理論隊列はできていない。このような隊列がなければ、全党の事業も、わが国の社会主義的工業化、社会主義的改造、国防の現代化、原子力の研究もうまくいかず、問題は解決されないのである。したがって、わたしは同志たちが哲学を学ぶようすすめたい。哲学にたいして興味がなく、哲学を学ぶ習慣を身につけていない人が相当多い。その人たちは、まずパンフレットや短い文章を読み、そこから興味をひきだしていって、それから七、八万字の本を読み、そのあとで一冊数十万字の本を読むようにすればよいと思う。マルクス主義には、マルクス主義の哲学、マルクス主義の経済学、マルクス主義の社会主義――階級闘争の学説などいくつかの学問的分野があるが、その基礎になるのはマルクス主義の哲学である。これに通じないと、われわれのあいだには共通のことばも、共通の方法論もなくなり、むだ□をたたくだけで、はっきりとした結論が出ないのである。唯物弁証法の思想があれば、多くの手間がはぶけるだけでなく、あまり誤りを犯さないですむ。
二 第一次五ヵ年計画について
五ヵ年計画を討議したさい、大多数の発言はたいへんよかったと同志たちは考え、みんな満足している。そのなかで一部分の発言はとくによかった。かれらは問題を説きあかし、ちょっとその道の専門家の感があった。しかし、中央各部門の発言のなかには一部分その内容に見劣りがし、分析と批判の足りないものがあり、地方の同志の発言のなかにも一部分その内容に見劣りがし、分析と批判の足りないものがあった。もう一つの状況は、一部分の同志はその発言のなかで、ゆゆしい浪費およびその他の誤りについての現状を指摘しただけで、いかに対処すべきかを説明していなかった。これらの発言について一部分の同志は不満を感じている。わたしはこの不満には根拠があると思う。
わたしは、すべての省委員会書記、市委員会書記、地区委員会書記および中央各部門の責任者の同志が、みんな発奮努力し、マルクス・レーニン主義のレベルを高め、その基礎のうえにたって、政治工作、経済工作に精通したその道の専門家になるように願っている。一万では政治思想工作をりっぱにやり、一方では経済建設をりっぱにやらなければならない。われわれは経済建設についてほんとうによく学びとらなければならないのである。
今回の会議で、地方が中央に解決を要請している多くの問題があるが、およそ、中央ですでに規定されているものについては積極的に解決すべきである。その他の問題については、事務局が、提議した同志とともにその解決策について研究し、中央に報告してこれを処理する。
中央の各部門が地方の協力をもとめる事項も少なくない。中央の部門が各地方で運営している事業は、地方の党委員会にその監督と援助をもとめる必要があり、とくに政治思想工作の面ではその必要がある。地方の党委員会は、中央が地方で運営している事業の任務完遂をたすける責任がある。このように、地方から中央に要望があるだけでなく、中央から地方にも要望があるのだ。中央の各部門と地方の党委員会が心をあわせて協力し、分業、合作することによってはじめて、第一次五ヵ年計画が円満に実現されるのである。
三 高崗、饒漱石の反党同盟について
第一点、ほんとうにこの同盟があるのだろうか、もしかしたら同盟ではなく、二つの独立国か二つの単独経営世帯ではないか、と質問する人がいる。また、文書を見たことかない、かれらが同盟だとしたら、協定があり、協定には文書があるはずだ、と言う同志もいる。たしかに文書による協定はないし、さがしても見つからない。それなのに、われわれは高崗と饒漱石には同盟があると言う。ではどういう点からそれを見いだしたのか。その一は、財政・経済会議の期間に高崗と饒漱石がすすめた共同の活動から見いだしたのである。その二は、組織会議の期間に饒漱石と張秀山が呼応してすすめた反党活動から見いだしたのである。その三は、饒漱石の話のなかから見いだしたのである。かれは「今後、中央組織部は郭峰を中核にすべきだ」と言った。組織部は饒漱石が部長であり、そこで高岡の腹心郭峰が中核になると言うのだ。これは結構至極ではないか! なかなか緊密に団結しているではないか! その四は、高岡と饒漱石が、安子文のひそかに作成した政治局員のリストをあちこちでながしていたことから見いだしたのである。このことで安子文は警告処分をうけた。高崗や饒漱石らはこのリストを組織会議の参加者全部にながしたばかりでなく、南部の各省にまでながした。このようにいたるところにながしたその魂胆はなんであろうか。その五は、高崗が二度もわたしにたいして饒漱石を保護すべきであるという意思表示をしたし、また饒漱石も最後まで高崗を保護しようとしたことから見いだしたのである。饒漱石がいまたいへんなことになっていると言って、高崗はわたしに救援を求めてきた。そこでわたしはこう言った。きみはなぜ饒漱石の代理になって話しにくるのか。わたしは北京にいるし饒漱石も北京にいる。かれはなぜ自分で来ないできみを代理にたてたのか。西蔵にいたとしても電報がうてるではないか、北京にいるではないか、足があるではないか、と。二回目は高崗の問題が摘発される前日で、高崗はなおも饒漱石を保護すべきだという意思表示をしていた。饒漱石は最後まで高崗を保護しようとし、高崗のためにその無実を申したてるといっていた。高崗の問題を摘発した中央の会議の席でわたしはこう言った。北京には二つの司令部がある。一つはわたしをはじめとする司令部で、まともな風を吹かせ、まともな火をもやしている。もう一つはほかの人を司令官とする司令部で、よこしまな風を吹かせ、よこしまな火をもやしている地下の流れである、と。政令一途に出づか、それとも多途に出づか。以上述べたさまざまなことからみて、かれらには一つの反党同盟があったのであり、二つのたがいに関係のない独立国でもなければ単独経営世帯でもないのである。
また、一部分の同志は、協定の文書がないのでこれは同盟ではないのではないか、という疑問をもっている。これらの同志は、陰謀分子のつくっている反党同盟と、一般に公開されている公式の政治同盟や経済同盟とを同叫視し、同じようなものだと考えているのである。かれらは陰謀をたくらんでいるのだ! 陰謀をたくらむのに協定文書をかわすだろうか。もしも協定文書がなければ同盟でないとすれば、高崗と饒漱石の二つの反党集団の内部はどういうことになるか。高崗と張秀山、張明遠、趙徳尊、馬洪、郭峰のあいだにも条約は結ばれていない。われわれもかれらの協定文書を見ていないではないか。そうだとすると、かれらのこの反党集団をさえ否定してしまうことになる。それに、われわれは饒漱石と向明、揚帆とのあいだの条約も見ていないではないか。だから、協定文書がなければ同盟というわけにいかないという意見はまちがっている。
第二点、高崗、饒漱石の影響をうけた同志とその影響をうけなかった同志は、それぞれどのような態度をとらなければならないか。影響をうけた者にもその影響の浅い深いがある。一部分の同志は一般的なもので、かれらにひと撫でされた程度である。少数の幾人かの同志は比較的に深く、かれらといろいろな問題について話し、また、かれらにかわって宣伝するなど下部で活動をした。この両者にはちがいがある。だがその影響の浅い深いにかかわらず、これらの同志の大多数はこの会議の席ですでに態度を表明した。ある人は発言がたいへんよかったので満場の歓迎をうけた。ある人は発言がわりあいよかったので大部分の同志に歓迎されたが、まだ欠点はあった。ある人は発言が十分でなかったので、きょうその補足をした。ある人の発言の全文はわりあいよかったが、部分的には適切でないところもあった。いずれにしても、この人たちはすでにその態度を表明したのであるから、われわれは一律にこれを歓迎すべきである。とにかく態度を表明したのだ! まだ発言をもとめている同志も個別的にはいるが、間に合わないので書面にして中央に報告を出せばよい。まだ発言していない人は、問題が深刻ではない。ただかれらにひと撫でされ、すこしは事情を知っているが、まだそれを話していないのである。また、すでに発言した人でも、まだ尻尾をのこしている人がいるのではないだろうか。それならば、いま、われわれはこう決定しよう。五ヵ年計画についても、高・饒反党同盟の問題についても、すべての発言、報告は持ち帰り、手をくわえてもよい。一字一句よく検討して、五日間以内に、不完全な発言、あるいは不適当な発言の部分について手をくわえてもよいことにする。今回の会議の席上での発言が適当でなかったからといって、われわれは相手のことばじりをつかまえて、将来困らせるようなことをしてはならない。いまから手をくわえてもよく、最後に修正した原稿を基準にしよう。
これらの同志にたいして、われわれは次のような態度をとるべきである。かれらが誤りを改めるのをねがい、かれらをただ観察するだけでなく援助しなければならない。つまり、かれらが改めるかどうかを観察するだけでなく、かれらが改めるのを援助しなければならない、ということである。人には援助が必要である。緑の葉があってこそ蓮の花は美しい。また、垣根一つに杭三本、男一匹に加勢三人、という。単独でやるのはよくない。いずれにしても他人の援助は必要である。とくにこのような間地では他人の援助が必要である。かれちが誤りを改めるかどうかを観察すること、これは必要であるが、それだけでは消極的で、一歩進んでかれらを援助すべきである。影響をうけた人にたいしては、その影響の深い浅いを問わず、われわれはかれらがその誤りを改めることを一律に歓迎し、また観察するだけでなく援助しなければならない。これが誤りを犯した同志にたいする積極的な態度である。
影響をうけなかった同志はおごり高ぶってはならず、病にとりつかれぬよう注意すべきで、これはひじょうに重要なことである。さきにのべたそれらの同志のうち、一部はだまされたのであろうし、一部はわりあい深くはまりこんでしまったのだろうが、誤りを犯したためにかれらは警戒心をそなえ、今後このような誤りを犯すことはないだろう。一度病気にかかって免疫ができたのである。一度種痘をすれば予防の作用がある。しかし、それでも天然痘にかからないという保証はないので、いちばんよいのは三年あるいは五年おいてもう一度種痘をすること、つまりこのような会議をひらくことである。ほかの同志はおごり高ぶってはならず、誤りを犯さないよう注意すべきである。高崗、饒漱石はなぜこの人たちに手を出さなかったのだろうか。それには幾種類かの状況がある。第一は、かれらが敵だと思っている人で、当然この人たちには病菌をばらまこうとしない。第二は、かれらが軽蔑している人で、これはとるにたらず、当面病菌をばらまく必要はないし、将来「天下平定」のあかつきには自然についてくるだろうと考えている。第三は、かれらが手出しできない人で、この人たちは免疫性が比較的に強く、かれらは一目でお門違いと見てとったのだろう。これらの同志はかれらの敵とは見なされなかったし、とるに足らない人でもないのだが、かれらは手出しができなかった。第四は、時間が間に合わなかったのである。この伝染病が広まるのにも時間がかかる。あと一年間この問題が摘発されなければ、一部の人はあぶなかっただろう。であるから英雄気取りで、見ろ、おまえたちはちょっと臭がついてしまったではないか、おれはきれいさっぱりしているんだ、などと威張るものではない。あと一年この問題が摘発されなければ、少なからぬ人がかれらの影響をうけるのは請け合いである。
以上は、高、饒の影響をうけた同志も、うけなかった同志も注意すべきところだとわたしは考える。
第三点、原則的な問題について、同志のあいだでは、党の原則に違反している言論、行動にたいしては、つねに一定の距離をおくよう注意すべきである。かれらのことばや行動が党の原則に合致せず、またわれわれもおかしいと思うばあい、そうした問題については、またそうした状況のもとでは、かれらといっしょになってはならない。党の原則に合致したその他の問題では、たとえば五ヵ年計両、高・饒反党問題にかんする決議・報告、およびいろいろの正しい政策、正しい党内規定などについての言論、行動にたいしては、当然積極的に支持し、いっしょになるべきである。党の原則に合致しないものにたいしては中定の距離をおくべきである。すなわち一線を画して即座につきかえすのである。旧来の友人、旧来の上司、旧来の部下、旧来の同僚、同窓、同郷だからといってこの距離をおかないのはよくない。こんどの高・饒反党事件でも、過去の党内の路線闘争でも、つぎのような経験が数多くある。相互の関係がひじょうに長く深いからと言って、口に出さず、一定の距離をおかず、つきかえきず、一線を画さないなら、ますます深くはまりこみ、かれらの「亡霊」にまつわりつかれる。だから態度をはっきりしめすべきであり、原則を堅持すべきなのである。
第四点、一部の同志は「高、饒の悪事は少しばかり知っていたが、かれらの陰謀は見ぬけなかった」と言っている。わたしに言わせれば二種類の状況がある。一つは、高崗、饒漱石が党の原則に合致しないことをたくさん話したのを聞き、はては高岡、饒漱石から一部分の反党活動について相談をうけたような場合で、これは、見ぬくことはできたはずである。もう一つは、一般的にかれらの悪事を知っていたが陰謀を見ぬけなかった場合で、これはむりもない。そんなに簡単には見ぬけないものである。中央も一九五三年になってはじめてかれらの反党陰謀を発見したのである。財政・経済会議、組織会議および財政・経済会議以前のさまざまな問題をとおして、かれらが尋常でないのに気がついたのである。財政・経済会議の期間にかれらの尋常でない活動を発見し、そのつどかれらをはねつけた。それ以後、かれらは完全に秘密活動にはいったのである。われわれは一九五三年の秋冬のころにはじめて、この陰謀、陰謀家、陰謀集団を発見した。高崗、饒漱石については長い期間かれらが悪人であるのを見ぬけなかった。このようなことは以前にもあったのである。井岡山の時期に、幾人かの裏切り者が出たが、われわれはそれまでかれらが裏切るなどとは考えたこともなかった。おそらくみんなにもこのような経験があるであろう。
われわれはここから、仮象にだまされてはいけない、という一つの経験を得なければならない。われわれの一部の同志は、仮象にだまされやすい。いっさいの事物にはその現象と本質とのあいだに矛盾がある。人びとはその現象にたいする分析、研究をとおしてはじめて事物の本質を知ることができるのであり、そのために科学が必要なのである。もし、直観によってすぐにその本質を見いだすことができるならば、科学は何のためにあるのか。研究は何のためにするのか。研究が必要なのは、現象と本質とのあいだに矛盾があるためである。しかし、仮象は仮象であって一般の現象とは違う。そこで、仮象にはできるだけだまされないようにする、という経験を得るのである。
第五点、おごり高ぶった気持ちの危険性について。英雄気取りをしてはならない。事業は多数の人によってなされるものであり、少数の人の役割には限度がある。もちろん少数の人の役割、すなわち指導者、幹部の役割は認めなければならないが、そんなに大した役割ではなく、すばらしい役割をはたすのはやはり大衆である。幹部と大衆との正しい関係についていえば、幹部はいなければならないが、物事は広範な大衆がやるのであり、幹部は一種の指導的役割をはたすのであって、幹部のこの役割を誇大視してはならない。きみがいなければ大変なことになるのか。歴史や多くの事実が証明しているように、きみがいなくてもさしつかえないのである。たとえば、高崗、饒漱石がいないと大変なことになるのか。いなくてもさしつかえないではないか! トロツキーがいなくても、張国燾がいなくても、陳独秀がいなくてもさしつかえなかったではないか! もっともこれらはみんな悪人である。孔子は遠い背にいなくなった。われわれの中国には共産党があらわれた。それは、どうみても孔子より少しはすぐれているだろう。ご覧のように孔子のいないほうが物事はうまくいっているのだ! それなら善人はどうか。きみがいなくてもかまわない。きみがいないと、地球は回転しなくなるのか。そうではなく、やはり回転しており、事業は同じように進んでいるか、あるいはもっとうまく進むかもしれない。
二種類の人がいる。一つは古株、この席上にも少なくない。この人たちはたいへん年功を積んでいる。もう一つは新生の力、これは若い者である。この二種類の人のなかで、どちらのほうがより希望があるだろうか。周恩来同志もきょうこのことについて話した。もちろん新生の力のほうがより希望がある。一部の同志は、自分が革命の年功を積んでいるからといっておごり高ぶりだしたが、これはあるまじきことである。双方のうち、もし、おごり高ぶるのが許されるならば、それは若い者のほうであろう。四、五十歳以上の人は、年が大きければ経験も多くなるので、より謙虚であるべきだ。若い者がわれわれを見て「この先輩たちはたしかに経験がある。軽く見てはいけない。あんなに謙虚ではないか」といわれるように、たしかに経験があるところをわれわれは示さなければならない。四、五十歳になって多くの経験があるのに、おごり高ぶるようでは、見苦しくはないだろうか。もしこうだと、若い者は、「あなたがたの経験はないにひとしく、子供と同じだ」と取沙汰するだろう。子供に少しばかりおごり高ぶった気持ちがあるのは、まだ当然といえるが、年をとった人は、こんなに多くの経験を積んでいるのだから、おごり高ぶって、尻尾を高く立てるまでもあるまい。ことわざに「尻尾を巻いて人となる」とある。本来人間には尻尾がないのになぜ尻尾を巻けというのだろうか。犬にたとえていえば、尻尾を立てているときもあれば、尻尾を巻いているときもある。きっと、棒などでたたかれたときには尻尾を巻き、手柄でも立てたときには尻尾を立てるのであろう。わたしは、すべての同志が、わけてもふるい同志が尻尾を立てたりせずに、その尻尾を巻いて、おごり高ぶることを戒め、永遠に謙虚と進取の精神を保持するようねがっている。
第六点、「左」よりを戒め、右よりを戒める。「『左』よりは右よりよりもよい」と言う人がいるし、多くの同志もそう言っている。その実、心の中では「右よりは『左』よりよりもよい」と思っている人も多い。だが、このほうは口には出さず、誠実な人だけが口に出す。以上のような二つの意見がある。「左」よりとは向か。時代を超越し、当面の状況を超越すること、政策・方針や行動のうえでは暴走すること、闘争や論争の生じた場合、むやみやたらに闘うこと、これが「左」よりであり、よくないことである。時代から立ちおくれ、当面の状況から立ちおくれ、闘争性の欠如しているのは右よりであり、これもよくないことである。わが党のなかには「左」よりをよしとするものもあり、右よりあるいは中間のうちの右よりをよしとするものも少なくないが、どちらもよくない。われわれは、「左」よりに反対するとともに右よりにも反対するという二つの戦線で闘争をすすめなければならない。
高崗、饒漱石の反党同盟の問題について、わたしは以上のいくつかの意見をのべておくことにする。
四 当面の情勢について
国際情勢、国内情勢、党内情勢、この三つの情勢はどうだろうか。光明の面が優位を占めているのか、それとも暗黒の面が優位を占めているのか。国際、国内、党内のいずれの情勢を問わず、光明の面が優位を占め、暗黒の面が劣位を占めている、ということを確認すべきである。われわれのこの会場においても、同じことがいえる。多くの人が自己批判をしたからといって、暗黒だと思いこんではならない。これらの同志は、おもに自分の欠点や誤りを語ったのであって、自分の長所にはふれておらず、いつ革命に参加したとか、どこで勝ちいくさをやったとか、どこで仕事の成果をあげたとかいったことについては、なにも語っていない。かれらの自己点検だけをみれば、暗黒だということになる。実は、これは一面で、多くの同志にとってみれば、副次的な一面にすぎない。この点は、高崗、饒漱石や張、張、趙、馬、郭の五勇将と異なっている。この連中には、光明の面が優位を占めているという評価は当てはまらない。高崗には光明の面が優位を占めることなどありえようか。かれはすべてが暗黒であり、天地暗くして、日月に光なしである。われわれの同志の場合はそれと異なって、暗黒の面もすこしはあるが、それは石鹸で何回も洗えばきれいに洗い落とせる、というものだ。
突発的な事態にそなえ、反革命の復活にそなえ、高崗・饒漱石事件の再発にそなえなければならない、という問題をなぜ提起するのだろうか。それは、最悪の可能性から出発して考えれば、めったにしてやられることはないからである。どんな仕事であろうと、われわれは最悪の可能性から出発して考え、手筈をととのえなければならない。最悪の事態といっても、どのみち、次のようなことである。帝国主義者が新たな世界大戦をひきおこすこと、蒋介石がまたもや北京でふんぞりかえること、高崗・饒漱石反党同盟のような事件が再発することであり、また一件だけでなく、十件も百件もやってくることである。たとえそんなに多くても、われわれが事前に用意していれば恐ろしくないのである。十件あるとしても、わずか五対にすぎず、われわれはすべてを勘定にいれているので、なにもたいしたことはない。帝国主義がわれわれをおどかすのに使う原爆や水爆も、恐ろしくはない。世の中の事がらは、つねに或る物が他の物を降すのであって、攻める物があれば、それを降す物もあるのである。『封神榜』①を読めばわかるように、「魔法の宝」のうちどれ一つとしてうち破れないものがあろうか。あれほど多くの「魔法の宝」がみなうち破られたのだ。人民に依拠しさえすれば、世界にはうち破れない「魔法の宝」などありはしない、とわれわれは信じている。
五 党の第八回全国代表大会開催の成功をめざしてたたかおう
中央は、一九五六年の後半に党の第八回全国代表大会をひらくことを決定した。大会には次の三つの議題がある。(一)中央委員会の活動報告、(二)党規約の改正、(三)新しい中央委員会の選出。来年七月までに代表選山と文書作成を終えなければならない。これからの一年あまりの期間に、経済、文化・教育、軍事、党務、政治思想、大衆団体、統一戦線、少数民族工作など各分野での活動が大きな前進をとげるよう要望する。
ついでに少数民族工作の問題にふれておこう。大漢民族主義に反対しなければならない。漢族が少数民族を援助しているだけだと思ってはならない。少数民族も漢族を大いに援助している。一部の同志は、いつもわれわれがきみたちを援助してやったのだと吹聴したがり、少数民族がいなくてはだめだということをみていない。わが国の五〇パーセントから六〇パーセントの地域には、どんな人が住んでいるのか。漢族なのか、それともほかのだれなのか。五〇パーセントから六〇パーセントの地域には少数民族が住んでいるのである。そこは物産がゆたかで、あまたの宝物がある。いま、少数民族にたいするわれわれの援助はひじょうに少なく、一部の地域ではまだ援助してはおらず、逆に少数民族が漢族を援助している。一部の少数民族についていえば、われわれがさきにかれらを援助する必要があるのであって、そののちにかれらもわれわれを援助できるようになるのだ。少数民族は政治面で漢族を大きく援助している。かれらが中華民族という大家庭にくわわっていることが、漢族にたいする政治面での援助なのである。少数民族と漢族とが一つに団結していることを、全国人民はこぞって喜んでいる。したがって、少数民族は政治、経済、国防の面で、国家ぜんたい、中華民族ぜんたいに大きな援助をしている。漢族が少数民族を援助しているだけで、少数民族は操族を援助していないという考え方や、少数民族をすこしばかり援助しただけで、もう自分はたいしたものだと思いこむような観点は、まちがっている。
われわれが、この一年間に各分野の活動で大きな前進をとげねばならない、というのは、つまり、すでに暴露された欠点や誤りを是正する必要があるということである。この大会で誓っておきながら、来年、第八回党大会開催の時期になっても、旧態依然として多くの欠点や誤りが存在するようであってはならない。第八回党大会開催のためにたたかうということは、欠点や誤り、たとえば派手ごのみや浪費、大屋根建築様式といったものを、しんけんに、責任をもって是正することなのである。ここで誓っておきながら、各地に帰ると、みんな大の字になって眠ってしまうようなことがあってはならない。
一部の人は、一年か二年に一回このような会議をひらいて、同志間の相互監督をおこなうよう提案しているが、この提案は考慮してもよいと思う。だれがわれわれを監督するのか。互いに監督しあうのはよい方法であり、党と国家の事業を急速に前進させることができる。ゆっくりではなくて、急速に前進させるのだ。党の代表大会は十年間ひらかれなかった。もちろん、はじめの五年間は、兵馬いり乱れた時期であり、また第七回党大会が終わったばかりだったので、ひらくべきではなかった。あとの五年間はひらいてもよかったが、ひらかなかった。ひらかなかったことにもよい点がある。高・饒問題をはっきりさせてからひらくのでなかったら、かれらは第八回党大会に乗じて、さかんにかきまわしたことであろう。いまは、われわれの五ヵ年計画も軌道にのり、過渡期の総路線も提起され、また今回の代表者会議をつうじ、みんなが思想面でいっそう統一するようになって、党の第八回代表大会をひらくための条件がととのえられた。党の第八回代表大会では、一人びとりが自己点検をする必要はないが、われわれの活動のなかの欠点や誤りにたいしては、やはり公然と批判と自己批判をおこなわなければならない。マルクス主義のこの一ヵ条を実行しないのは許されない。
批判は鋭いものでなければならない。今回、一部の批判はあまり鋭くなかったし、つねに人の恨みを買いはしないかと気がねするところがあったと思う。きみがあまり鋭く批判せず、手厳しく突かなければ、相手は痛くないので、その注意を呼びおこせない。名ざしでやり、どこそこの部門ということを指摘すべきである。きみが仕事をりっぱにやらないから、わたしは不満なのだ。きみの恨みを買ったら、買ったまでのことである。人の恨みを買いはしないかと気がねするのは、とりもなおざず選挙の票をうしなうのを気にし、また仕事の面でうまくいっしょにやっていけなくなるのを気にすることにほかならない。きみが投票してくれなければ、わたしは飯の食いあげになるとでもいうのか。そんなことはない。その実、口に出して言い、問題を鋭くテーブルのうえにならべると、かえってうまく付き合えるようになるものだ。角の先を鈍らせてはならない。牛にはなぜ二本の角があるのか。牛に二本の角があるのは、闘争するためであり、一に防御し、二に攻撃するためである。わたしは日頃から同志たちにきみの頭には「角」があるか、とたずねている。同志諸君も自分でさわってみたまえ。どうやら一部の同志には、「角」があり、一部の同志には「角」があるものの、それほど鋭くはなく、また一部の同志にはぜんぜん「角」が生えていない。やはり二本の「角」があるほうがよい、とわたしは思う。なぜなら、それはマルクス主義に合致しているからだ。マルクス主義には批判と自己批判という一ヵ条がある。
したがって、定期的に会議をひらいて、批判と自己批判をおこなうことは、同志間で相互監督をすすめ、党と国家の事業を急速に前進させるよい方法である。各省、各市の党委員会の同志たちに提案するが、諸君もそのようにしてはどうか。諸君は中央に学ぶというではないか。この点は学んでもよいと思う。
最後に、わたしは同志諸君に、また全党の同志諸君に次のことをよびかけたい――
一九五六年の見の第八回全国代表大会開催の成功をめざしてたたかおう!
第一次五ヵ年計画を成功裏に達成するためにたたかおう!
① 『封神榜』、つまり『封神演義』は、殷(商)と周とのたたかいの歴史を背景にした神話小説である。双方が、ともに「魔法の宝」を武器としてたたかい、一方がある種の「魔法の宝」でうち勝つと、つぎには、敗者にたのまれた新しい相手の、もっと威力のある「魔法の宝」にうち破られてしまう。
(一九五五年五月二十四日)
これは、毛沢東同志が胡風反革命集団を批判するために書いた文章である。
胡風のいう「世論の一律」とは、反革命分子に反革命的意見の発表を許さないということである。確かにそのとおり、われわれの制度はすべての反革命分子に言論の自由をあたえず、ただ人民の内部でだけこの種の自由をあたえる。われわれは、人民の内部では、世論が一律でないことを許している。つまり、批判をする自由、さまざまな異なった意見を発表する自由、有神論を宣伝する自由と無神論(すなわち唯物論)を宣伝する自由である。およそ社会というものは、どんなときでも、進んだものと遅れたものとの二種類の人間、二種類の意見が矛盾しながら存在し、闘争するものであって、進んだ意見が遅れた意見を克服していくのがつぬである。「世論の一律」をはかろうとしても、それは不可能であり、またそうすべきでもない。進んだものを十分にのばして、遅れたものにうち勝ってこそ、社会を前進させることができるのである。しかし、国際的にも国内的にも、階級と階級闘争がなお存在している時代には、国家権力を奪いとった労働者階級と人民大衆は、革命にたいする反革命のすべての階級、集団、個人の反抗を鎮圧し、かれらの復活活動をおさえつけ、すべての反革命分子が言論の自由を反革命の目的に利用するのを禁止しなければならない。そのため、胡風のたぐいの反革命分子は、「世論の一律」をかれらにとって都合が悪いと感じている。かれらが都合が悪いと感じていることこそ、われわれの目ざすところであり、われわれに都合のいいことである。われわれの世論は、一律でもあれば、一律でもない。人民の内部では、進んだ人たちと遅れた人たちがわれわれの新聞、雑誌、講壇などを自由に利用して競争することが許され、進んだ人たちが民主と説得の方法で遅れた人たちを教育して、遅れた思想と制度を克服していけるようになっている。ある種の矛盾が克服されると、また新しい矛盾がうまれてくる、そこで、またおなじように競争がおこなわれる。このようにして、社会はたえまなく前進する。矛盾が存在することは、一律ではないということである。矛盾が克服されると、一時的には一律になるが、まもなくまた新しい矛盾がうまれて、また一律ではなくなり、またそれを克服しなければなるなくなる。人民と反革命分子とのあいだの矛盾についていえば、それは、労働者階級と共産党の指導のもとで、人民が反革命分子にたいし独裁をおこなうということである。ここでは、民主の方法をもちいるのではなく、独裁すなわち専制の方法をもちいる。つまり、かれらには神妙にすることだけを許し、勝手な言動に出ることを許さないのである。ここでは、世論が一律であるだけでなく、法律も一律である。この問題について、胡風のたぐいの反革命分子はもっともらしくまくし立てているようだ。一部のうかつ者も、こうした反革命的論調を耳にして、自分たちにもちょっと道理にあわないところがあると感じているようである。どうだろう、「世論の一律」とか、「世論がない」とか、「自由をおさえつける」とか、いかにも人聞きが悪いではないか。かれらは、人民の内部と外部という二つの異なった範疇をはっきり区別することができないのである。内部においては、自由をおさえること、党と政府の誤りや欠点にたいする人民の批判をおさえること、学術界の自由な討論をおさえることは、犯罪的な行為である。これがわれわれの制度である。ところが、資本主義国では、これらは合法的な行為である。外部においては、反革命分子の勝手な言動をほうっておくのは犯罪的な行為であって、独裁をおこなうのが合法的な行為である。これがわれわれの制度である。資本主義国は正反対で、そこではブルジョア階級の独裁がおこなわれ、革命的人民は勝手な言動に出ることを許されず、ただ神妙にさせられるだけである。搾取者と反革命者は、いつ、どこでも、つねに少数であって、被搾取者と革命者はつねに多数である。したがって、後者による独裁には十分な道理があり、前者はつねに道理にあわない。胡風はまた、「圧倒的多数の読者はなんらかの組織のなかで生活しており、そこの空気には強制的なものがある」といっている。われわれは、人民の内部では、強制と命令の方法に反対し、民主と説得の方法を堅持している。そこの空気は自由なものでなければならず、「強制的」なのは誤りである。「圧倒的多数の読者はなんらかの組織のなかで生活している」――これはきわめてすばらしいことである。このようなすばらしいことは、数千年らいなかったもので、ただ共産党が人民を指導して長期にわたる困難な闘争をおこなったのちにはじめて、人民は自分自身を反動派の搾取と抑圧に都合のよいばらばらの砂のような状態から団結の状態に変える可能性をかちえたのであり、しかも革命が勝利したあとの数年間でこのような人民の大団結を実現したのである。胡風のいう「強制的」とは、反革命の側の人にたいする強制である。かれらは確かに恐れおののいており、「年端もゆかぬ嫁のように、しょっちゅう、ぶたれはしないかとびくびくし」、「しわぶき一つしても録音される」ように感じている。われわれは、これもまたきわめてすばらしいことだと考える。このようなすばらしいことも、数千年らいなかったもので、ただ共産党が人民を指導して長期にわたる困難な闘争をおこなったのちにはじめて、これらの悪党にこれほどのつらい思いをさせるようになったのである。一言でいえば、人民大衆の心の晴れる日こそ、反革命分子のつらいときである。われわれの毎年の国慶節は、なによりもまずこの事を祝うのである。胡風はまた、「文学と芸術の問題でも、確かに機械論がいちばん手間がかからない」といっている。ここでいう「機械論」とは弁証法的唯物論の反意語であり、「いちばん手間がかからない」とはかれの出まかせである。世の中でいちばん手間がかからないのは、ほかでもなく観念論と形而上学である。それは、客観的実際をよりどころにせず、客観的実際の点検も受けずに、出まかせをいってもかまわないからである。唯物論と弁証法のばあいは、客観的実際をよりどころにし、客観的実際の点検を受けなければならないから、骨を折らないわけにはいかない。もしも骨を折らなければ、観念論や形而上学の側に転落してしまう。胡風はこの書簡①のなかで原則的な問題を三つ提起しているが、われわれは詳しく反駁する必要があると考える。胡風はまた、この書簡のなかで、「いま、いたるところに反抗の空気がみられ、いたるところで一歩すすんだ要求が出されている」ともいっている。これは、かれが一九五〇年にいったことである。当時、大陸では蒋介石の主要な軍事力を殲滅したばかりで、匪賊と化した多くの反革命武装力はまだ一掃されておらず、大規模な土地改革と反革命鎮圧の運動はまだ始まっておらず、文化・教育界でも整頓の仕事はまだすすめられていなかった。胡風のことばは、確かに当時の状況を反映している。だが、かれのことばは完全ではない。完全なことばにするなら、こうなるはずである――いま、いたるところに革命に反抗する反革命の空気がみられ、いたるところで革命を攪乱する反革術のさまざまな一歩すすんだ要求が出されている、と。
① この書簡とは、一九五〇年八月十三日、胡風が一味の張中暁にあてた反革命の秘密書簡をさす。
(一九五五年五月、六月)
広範な読者のもとめにこたえて、われわれは、一九五五年五月十三日から六月十日のあいだに『人民日報』の発表した胡風反革命集団についての資料三部と、一九五五年六月十日の『人民日報』社説とを一本にまとめ、『胡風反革命集団にかんする資料』と名づけて、人民出版社から刊行することにした。本書でも、読者がこの反革命的二面派を研究するための一資料として、『わたしの自己批判』と題する胡風の一文を収録したが、ただこれは付録として、舒蕪のあの「資料」①のあとにおいた。この「資料」三部の評語と注記は、宇句のうえですこし手をくわえてある。「資料」第二部では、いくらか注記を改めたり、書きくわえたりしたほか、評語も二つくわえた。第一、第二部の表題にあった「反党集団」という文字は、第三部のそれに統一して、「反革命集団」と改めた。その他はすべて、もとのままである。
本書が出版されると、『人民日報』でこれらの資料を発表したときと同様、二方面の人びとから注目されるものと思われる。一方では反革命分子がそれに注目するし、もう一方では広範な人民がなおさらそれに注目するであろう。
反革命分子や、ある種の反革命的感情をいだく連中は、胡風分子のああした往復書簡に共鳴することであろう。胡風と胡風分子は、たしかに反革命のすべての階級、集団、個人の代弁者である。この本を手にしうるすべての反革命分子は、革命にたいするかれらの悪罵や、かれらの策動の戦術をいたく珍重し、ここからなにがしかの反革命的階級闘争の教育をうけることであろう。だが、しょせん、かれらを滅亡から救う手だてにはならないのである。胡風分子のこれらの文書は、かれらのうしろだてである帝国主義や蒋介石国民党の、中国人民に反対するすべての反革命的文書と同じく、けっして成功の記録ではなく、失敗の記録にすぎない。かれらは、自分たちの集団を滅亡から救いだすことはできなかった。
広範な人民大衆は、こうした資料をひじょうに必要としている。反革命分子はどのように二面派の手口をもてあそんでいるのであろうか。かれらはどのようにいつわりの姿でわれわれをだまし、陰でわれわれの思いもよらないことをしているのであろうか。これらすべてを、いく千いく万の善良な人は知らない。だからこそ、多くの反革命分子がわれわれの隊列にもぐりこんできたのである。われわれの側の人は目がきかず、善人と悪人とを見わけるのがうまくない。われわれは、正常な状況のもとで活動している善人と悪人とを見わけるのはうまいが、特殊な状況のもとで活動している一部の人間を見わけるのはうまくない。胡風分子は偽装をして現われる反革命分子で、いつわりの姿を人に見せ、ほんとうの姿はおおいかくしている。だが、反革命をやる以上、かれらはそのほんとうの姿をすっかりおおいかくすことはできない。一つの集団の代表的人物として、かれらは、解放前も解放後も、われわれといくども論争をくりかえしてきた。かれらの言論、行動は、共産党員のそれとは違っているばかりでなく、広範な党外の革命者や民主人士のそれとも違っている。最近の大暴露はたんに、かれらの確証が大量におさえられたということにすぎない。胡風分子の個々の者についていえば、われわれがその多くの者にだまされたのは、われわれの党組織、国家機関、人民団体、文化・教育機関または企業部門がかれらを受けいれるさい、厳密に審査しなかったからである。それはまた、われわれがこれまで革命のあらしの時期におかれていたし、勝利者でもあったため、さまざまな人物がわれわれの側に身をよせて、とかく玉石混交とならざるをえなかったのに、まだそれを徹底的に整理する余裕がなかったからである。それはまた、悪質分子を識別、処理するには、指導機関の正しい指導と広範な大衆の高い自覚との結合に依拠しなければならないのに、これまでこの面におけるわれわれの活動には欠点があったからでもある。こうしたもろもろのことは、みな教訓としなければならない。
われわれが胡風事件を重視するのは、この事件をつうじて広範な人民大衆、まずもって、ものを読む力のある工作幹部や知識分子を教育するためであり、この「資料」をかれらに推せんしてその自覚の度合いを高めるためである。この「資料」は極度の鋭さと鮮明さをそなえており、人の目をひじょうに引きつける。反革命分子はもちろんそれに注目するが、革命的人民はなおさらそれに注目するであろう。広範な革命的人民がこの事件と資料からなにがしかのものを学びとり、革命的な情熱を燃えあがらせ、識別の能力を高めさえすれば、さまざまの潜伏した反革命分子は、われわれの手でつぎつぎと摘発されるであろう。
セクト――われわれの祖先はこれを「朋党」といい、いまの人は「徒党」とも「一味」ともいうが、いずれもよく耳にすることばである。セクトに走る連中は、自分たちの政治上の目的から、とかく他人をセクトよばわりし、セクト的な人間はまともでない、自分たちこそまともな人間で、まともな人間にはセクトがない、などという。聞くところによると、胡風のひきいる連中は、みな「青年作家」や「革命的作家」であり、あの「ブルジョア理論」を身につけ、「独立王国を形づくっている」共産党セクトのために「敵視」「迫害」されている、したがって、かれらはその恨みを晴らさねばならない、とのことである。『文芸報』の問題は、「とりついた一つの突破口にすぎない」②、この「問題は孤立したものではなく」、ここから「全面に拡大」して、「これはセクト主義による支配の問題であること」、しかも「セクトと軍閥による支配」であることを「明らかにする」必要が大いにある こういうことなのである。問題はこんなにも深刻なので、かれらは掃討するために、少なからぬしろものを「打ち出した」。こうして、胡風の一味は人びとの注意を引くようになったのである。多くの人をよくよく調査してみたところ、かれらは、かなりの人数の集団であることがわかった。以前は「小人数のグループ」といわれていたが、そうではない。この連中はけっして小人数ではない。以前はたんなる一群の文化人だといわれていたが、そうではない。この連中は政治、軍事、経済、文化、教育の各部門にもぐりこんでいる。以前は白昼のもと、公然と活動する革命党の一群のようにいわれていたが、そうではない。この連中はほとんどがただならぬ経歴の持ち主である。かれらの基本的な隊伍をなしているのは、帝国主義や国民党の特務か、トロツキストか、反動将校か、共産党の裏切り者かであり、これらの者が骨幹となって、革命陣営にひそむ反革命の派閥、地下の独立王国をつくっているのである。この反革命的派閥と地下の王国は、中華人民共和国をくつがえし、帝国主義と国民党の支配を復活させることをその任務としている。かれらは、いつ、いかなるところでもわれわれの欠点をさがしだし、破壊活動の口実にしようとしている。かれらのいるところでは、どこでも奇怪な問題が発生する。解放後、この反革命集団は大きくなっており、もしもそれを阻止しなければ、まだ大きくなっていくであろう。いま、胡風らの正体が割れたので、さまざまな現象についても納得のいく説明がつき、かれらの策動を阻止できるようになった。
攻撃によって防御をはかるという、蘆甸のこうした戦術は、はたせるかな、そのご胡風によって実行にうつされた。つまり、胡風は北京へやってきて、仕事につかせてほしい、自分の問題を討議してほしいと求め、三十万字にのぼる意見書を出し、最後には『文芸報』の問題にからめて大砲をぶっぱなしたのである。搾取階級のさまざまな代表的人物は、不利な状況におかれると、現在の生存を保って将来の発展を有利にみちびくため、とかく攻撃によって防御をはかるという戦術をとる。根も葉もないことをでっちあげて、臆面もなくデマをとばしたり、いくつかの表面的な現象をとらえて、事の本質を攻撃したり、一部の人をもちあげて、もう一部の人をたたいたり、なにかと言いがかりをつけて、「いくつかの突破口を切りひらき」、われわれを困難な立場に立たせたりするのである。要するに、かれらはいつも、われわれに対処する戦術を研究し、「ひそかに方向をさぐって」、野望をとげようとする。ときには、「たおれて死んだふり」をし、時機をまって、「反撃に出る」こともある。かれらは長期にわたる階級闘争の経験をもっており、さまざまな形態の闘争――合法闘争と非合法闘争をこころえている。われわれ革命党のものは、かれらにうち勝つために、どうしてもかれらのこうした手口を知っておき、かれらの戦術を研究しなければならない。けっして書生気質まる出しで、複雑な階級闘争をあまりにも単純にみてはならない。
われわれ革命党のものが、おごり高ぶったり、気をゆるしたり、あるいは業務にかまけて政治を忘れたりしたため、多くの反革命分子がわれわれの「肝臓部」にまで「はいりこんで」しまった。それは、けっして胡風分子だけとはかぎらない。そのほかにも、もっと多くの持孫分子や悪質分子がもぐりこんでいる。
共産党員の自由主義的傾向が批判されると、胡風分子は、「打撃をうけた」という。もしもその人の「闘志かわりあい薄弱」なら、つまり自由主義的立場を固持せず、党の批判をうけいれて正しい立場に転じようとするなら、胡風集団にとってはもう望みがなくなり、その人をかれらの側に引きずりこめなくなる。もしもその人の、自由主義的立場を固持する「闘志」が「わりあい薄弱」でなく、「わりあい強固」なばあいには、その人は引きずりこまれるおそれがある。胡風分子はかならず「ためし」にやってくるもので、このときにはもうその人を「同志」と呼んでいる。これは教訓とすべきことではないだろうか。すべて思想上、政治上の誤りを犯した共産党員は、批判されたとき、どのような態度をとるべきか。ここには選択できる道が二つある。一つは、誤りをただして、りっぱな党員になる道であり、もう一つは、堕落してゆき、はては反革命の泥沼にのめりこんでしまう道である。あとのほうの道はたしかに存在しており、反革命分子がいまそこで手招きしているかもしれない。
われわれがつねに国際国内の階級闘争の力関係の情勢を判断しているように、敵もつねにこのような情勢を判断している。だが、われわれの敵は立ちおくれた、腐れはてた反動派で、滅亡を運命づけられている。かれらは客観的世界の法則がわからず、ものの考え方が主観主義的、形而上学的である。したがって、かれらの判断はつねに誤っている。かれらはその階級的本能から、いつも自分たちがなかなかたいしたもので、革命勢力はつねにだめだと考えている。かれらはつねに自分たちの力を買いかぶり、われわれの力を見くびってしまう。われわれは、多くの反革命勢力、たとえば清朝政府、北洋軍閥、日本軍国主義、ムッソリーニ、ヒトラー、蒋介石がつぎつぎと倒れていくのをこの目で見てきた。かれらは思想面と行動面で誤りを犯したし、また犯さないではいられなかった。現在のすべての帝国主義も、きっと、このような誤りを犯すであろう。なんともお笑い草ではないか。胡風分子に言わせると、共産党の指導する中国人民の革命勢力は、いずれ「くたばってしまう」もので、「しなびた枯葉」、「くちた屍」にすぎない。では、胡風分子の代表する反革命勢力はどうかというと、「一部のかよわい芽はおしつぶされるかもしれぬ」が、大量の芽はいましもなにものかを「つき破って」「すくすくと伸びつつある」とのことである。もしもフランスのブルジョア国民議会にいまなお王党派の代表者がいるとすれば、地球上のすべての搾取階級がすっかり滅びたあとも、なお多年にわたって蒋介石王朝の代表者が各地でうごめく可能性は大いにある。これらの人物のなかのもっとも頑迷な分子は、永遠にその敗北をみとめることはないであろう。それというのも、かれらにとっては、他人をあざむく必要があるだけでなく、自分をもあざむく必要があり、さもなければ、やっていけないからである。
この手紙のなかには「あの潜在的な封建勢力が狂気のように人殺しをしている」と書いてあるが、これは、わが国人民の革命勢力がおこなった反革命勢力鎮圧という偉大な闘争にたいする、胡風反革命集団の恐怖感をしめすもので、この恐怖感は反革命のすべての階級、集団、個人を代表している。かれらが恐怖を感じている事がらこそ、革命的人民大衆が喜びを感じている事がらにほかならない。「史上に前例がない」というのも、そのとおりである。これまでの革命は、奴隷制が原始共同体の制度にとって代わったときに搾取制度が非搾取制度にとって代わった以外は、いずれも、ある搾取制度が他の搾取制度にとって代わるという結果におわっている。かれらには、反革命の徹底的鎮圧ということをする必要がなかったし、またそうする可能性もなかった。ただ、われわれ、プロレタリア階級と共産党の指導する人民大衆の革命だけが、すべての搾取制度とすべての階級の最終的消滅をめざす革命である。消滅される搾取階級はどうしてもその反革命の政党、集団、あるいはある種の個人をつうじて反抗に出ようとするから、人民大衆としてはかならず団結して、これらの反抗勢力を断固として、徹底的に、きれいさっぱり、のこらず鎮圧してしまわなければならない。ただ、この時にはじめて、反革命の徹底的鎮圧の必要性がうまれ、その可能性もうまれるのである。「闘争は不可避的に深まった」――これもまったくそのとおりである。ただ、「潜在的な封建勢力」という数文宇だけはまちかっている。これは、「プロレタリア階級と共産党の指導する、労農同盟を基礎とした人民民主主義独裁」の反意語で、かれらのいう「機械論」が「弁証法的唯物論」の反意語であるのと同様である。
やはりこの張中暁のことだが、この男の反革命的感覚はじつに鋭いもので、その階級的自覚の高さ、政治的嗅覚の鋭さは、一部の共産党貝をふくむわれわれ革命隊列のなかの多くの人びとにくらべてはるかにまざっている。この点、われわれの多くの同志は、胡風集団の連中にくらべてはるかに及ばない。われわれの側の人はぜひとも学習しなければならず、ぜひとも階級的警戒心をたかめ、政治的嗅覚を鋭くしなければならない。胡風集団がわれわれになにか積極的なものをもたらしうるとすれば「それは、こんどの驚くべきはげしい闘争をっうじて、われわれが政治的自覚と政治的敏感さを大いにっよめ、あらゆる反革命分子を断固として鎮圧し、われわれの革命的独裁を大いにうちかためて、革命を最後までやりぬき、偉大な社会主義国をきずきあげる目的を達成できるようになる、という点である。
〔訳注〕
① 胡風反革命集団のひとり舒蕪の自供書「胡風反革命集団にかんする若干の資料」をさす。内容は解放の前後に胡風が舒蕪におくった反革命秘密書簡の抜き書きである。
② 中国文学芸術界連合会主席団と中国作家協会主席団は、一九五四年十月末から十二月初めにかけて合同拡大会議をひらき、『紅楼夢』研究にあらわれたブルジョア思想にたいする青年の批判をおさえつけた『文芸報』の誤りについて自己批判をした。好機到来とみた胡風は、その一味に秘密書簡をおくり、「これはとりついた一つの突破口にすぎない、問題を全面にわたって拡大しなければならない」と合って、共産党にたいする攻撃を明始した。
(一九五五年七月三十一月)
これは、毛沢東同志が中国共産党中央の招集した省委員会・市委員会・自治区委員会書記会議でおこなった報告である。
全国の農村には、新しい社会主義的大衆運動の高まりがおとずれようとしている。ところが、われわれの一部の同志ときたち、まるで纏足をした女のようによろよろと歩きながら、はやすぎる、はやすぎる、と愚痴ばかりこぼしている。よけいな品さだめ、的はずれの怨み言、とめどもない取越し苦労、かぞえきれないほどのご法度や戒律など、こうしたものを、農村の社会主義的大衆運動を指導する正しい方針だとおもっている。
とんでもない、これは正しい方針ではなく、誤った方針である。
いま農村での協同化という社会改革の高まりが、一部の地方にすでにおとずれているし、全国にもまさにおとずれようとしている。これは、五億をこえる農村人口の大規模な社会主義的革命運動であり、きわめて偉大な世界的意義をもっている。われわれは、この運動を積極的に、熱情をこめて、計画的に指導すべきであり、さまざまなやり方で後退させるようなことをしてはならない。運動のなかではすこしくらいのまちがいは避けられないもので、それは理解できるし、是正するのもむずかしくはない。幹部や農民のあいだにある欠点や誤りは、われわれが積極的にかれらを援助しさえすれば、克服され、是正されるものである。幹部や農民は、党の指導のもとに前進しており、運動は基本的に健全である。一部の地方では、かれらは仕事のなかで多少の誤りを犯している。たとえば、一方では貧農の組合加入を拒否して、その困難に気をくばらず、他方ではまた富裕中農に組合加入を無理じいして、その利益を犯している。こうした点については、これを是正していくよう幹部や農民を教育すべきであり、むぞうさに責めてはならない。むぞうさに責めるのでは、問題は解決できない。あとさきのことをあれこれとおそれてはならず、大胆に運動を指導していくべきである。幹部も農民も、自分自身の闘争経験をつうじて自己を改造していくだろう。かれらに実際にやらせて、やっていく過程で教訓をくみとり、その能力を高めていくようにさせなければならない。こうすれば、すぐれた人物がたくさんうまれてくる。あとさきのことをあれこれとおそれるようでは、幹部をそだてあげることはできない。上のほうからは、協同化運動の指導と援助のため、短期の講習をうけた幹部をおおぜい農村におくらなければならない。しかし、上のほうからおくられた幹部も、運動をつうじてはじめて、仕事のやり方を学びとることができるのである。講習会に出て講師から何十ヵ条かを聞いただけでは、仕事ができるとはかぎらない。
要するに、指導が大衆運動に立ちおくれてはならない。ところが、いまはまさしく大衆運動が指導より先にすすんでいて、指導が運動に追いつかない状態である。こうした状態はどうしても改めなければならない。
いま、全国の協同化運動がすでに大きな規模で展開されているのに、われわれはまだ、協同組合は発展しうるかどうか、強固なものになりうるかどうかというような問題について議論しなければならないでいる。一部の同志についていえば、問題の中心は、いまの数十万の半社会主義的な、一般に規模の小さい(各組合平均二十数世帯しかない)協同組合が固められるかどうか、と心配している点にあるようにおもわれる。もしも固められないなら、もちろん発展などは話にならない。一部の同志は、ここ数年らい協同化が発展してきた歴史を見てもまだ信じられず、さらに、一九五五年のこの一年間の発展状況がどんなぐあいかを見てみようとしている。ことによると、かれらは一九五六年に、もう一年様子を見ようとしているのかもしれない。もしもっと多くの協同組合が強固になったなら、そのときはじめて農業の協同化が可能であることをほんとうに信じ、また、わが党中央の方針が正しいことを信ずるようになるだろう。したがって、この二年間の仕事はひじょうに大切である。
農業協同化の可能性と農業協同化についてのわが党中央の方針の正しさを証明するためには、ここで、わが国の農業協同化運動の歴史についてのべるのも、あながち無益ではあるまい。
中華人民共和国の成立するまえ、二十二年にわたる革命戦争のあいだに、わが党はすでに、土地改革のあと、農民を指導して社会主義の芽ばえをもつ農業生産互助団体を組織した経験をもっている。当時、江西省には労働互助社と耕田隊、陝西省北部には変工隊、華北、華東、東北などの各地には互助組があった。そのころ、半社会主義的あるいは社会主義的な農業生産協同組合の組織も、ごくわずかではあるがすでにうまれていた。たとえば、抗日戦争の時期に、陝西省北部の安塞県には、社会主義的性質の農業生産協同組合が一つあらわれていた。ただ、こうした協同組合は、その当時まだおしひろめられてはいなかった。
わが党が農民を指導して農業生産互助組をいっそう広範に組織し、また、互助組の基礎のうえに農業生産協同組合を大量に組織しはじめたのは、中華人民共和国が成立してからのことである。それからこんにちまで、さらに六年近い年月がたった。
一九五一年十二月十五日、わが党中央が、まず地方の党組織に配布して、各地で試験的に実施した、農業年産の互助・協同化にかんする決議の最初の草案をつくったときには(この文書は一九五三年三月にはじめて正式の決議として新聞紙上に発表された)、すでに三百あまりの農業生産協同組合ができていた。それから二年たって、一九五三年十二月十六日にわが党中央が農業生産協同組合についての決議を公布したときには、農業生産協同組合はすでに一万四千あまりに発展し、二年間に四十七倍にふえていた。
この決議には、一九五三年の冬から一九五四年の秋の取入れの時期までに、農業生産協同組合を一万四千あまりから三万五千八百あまりに発展させる、と書いてあった。つまり、ただ二倍半にふやす予定にすぎなかった。だが、実際には、この一年間に協同組合は十万に発展し、一万四千余の七倍以上になった。
一九五四年十月、わが党中央は、協同組合を十万からその六倍にふやして、六十万に発展させることをきめた。だが、実際には、六十七万もの協同組合がつくられた。一九五五年六月までに、いちおうの整理をおこなって、二万の組合をへらし、六十五万の組合をのこしたが、これは計画の数字を五万うわまわっている。組合に加入している農家は、合計千六百九十万世帯で、一組合あたり二十六世帯となっている。
これらの協同組合は、大部分が、わりあい早く解放された北部のいくつかの省にある。わりあいおそく解放された全国の大多数の省でも、それぞれ農業生産協同組合がつくられている。そのうち安徽、浙江の向省ではわりあい多くつくられているが、他の各省ではその数はまだあまり多くない。
これらの協同組合は、一般に規模が小さいが、なかには一つの組合で七、八十世帯、ところによっては百世帯以上、または数百世帯をもつ大規模なものもすこしはある。
これらの協同組合は、一般に半社会主義的なものである。しかし、なかには、社会主義的な高級協同組合に発展しているものもすこしはある。
農民の農業生産協同化通勤の発展とならんで、わが国にはすでに、少数ではあるが、社会主義的な国営農場ができている。一九五七年には、この国営農場は三千三十八、その耕地面積は千六百八十七万畝に達する見込みである。そのうち、機械化された農場は百四十一(一九五二年にすでにできていたものと第一次五ヵ年計画の期間にふえるものとをふくむ)、その耕地面積は七百五十八万畝に達し、機械化されていない地方国営農場は二千八百九十七、その耕地面積は九百二十九万畝に達する見込みである。国営農業は、第二次、第三次の二つの五ヵ年計画の期間に、大いに発展するだろう。
一九五五年の春、わが党中央は、農業生産協同組合を百万に発展させることをきめた。この数学は、既存の六十五万にくらべてわずか三十五万の増加、つまり五割あまりふえるにすぎない。これではやや少ないようで、既存の六十五万の組合をほぼ二倍、つまり百三十万前後にふやす必要があるのではないかとおもう。そうすれば、全国二十数万の郷のうち、一部の辺境地区をのぞいて、どの郷にも、手本として、小規模な半社会主義的性質の農業生産協同組合が一つ、またはいくつかつくられることになる。これらの協同組合は、一年か「年たつと、経験をつみ、古株の組合になり、ほかのものがこれに見習うようになる。いまから一九五六年十月の秋の取入れまでにはまだ十四ヵ月あるので、こうした組合設立の計画は達成できるはずである。各省、各自治区の責任者は、帰って研究したうえ、実際の状況にもとづいて適切な計画をつくり、二ヵ月以内に中央に報告してもらいたい。そのとき、もういちど討議して、最終的にきめることにする。
問題は、組合を固めることができるかどうかである。ある人は、協同組合を五十万つくるという昨年の計画は過大だ、暴定だといい、また協同組合を三十五万つくるということしの計面も過大だ、暴走だといっている。かれらは、こんなにたくさん協同組合をつくっては固めることができないのではないか、と疑っている。
はたして固めることができないのだろうか。
もちろん、社会主義的工業化と社会主義的改造は、どちらもなまやさしいことではない。ほぼ一億一千万もの農家を個人経営から集団経営にあらため、さらにすすんで農業の技術的改革をなしとげるには、たしかに多くの困難がある。しかし、われわれは、わが党が大衆を指導してこれらの困難を克服することができるという確信をもたなければならない。
農業協同化の問題についていえば、われわれはつぎのことを信ずるべきだとおもう――(1)貧農、新中農のうちの下層中農、旧中農①のうちの下層中農は、その経済状態が困難であるか(貧農)、あるいはその経済状態が解放まえよりよくなっていても、やはりゆたかではない(下層中農)ため、社会主義の道をあゆもうとする積極性をもっており、協同化についての党のよびかけに積極的にこたえる、ということである。とりわけ、かれらのうちのわりに自覚の高い者は、そうした積極性がいっそうつよい。
われわれはつぎのことを信ずるべきだとおもう――(2)党は全国人民を社会主義社会へみちびいていく力をもっている、ということである。わが党は、すでに、偉大な人民民主主義革命を成功裏に指導し、労働者階級を先頭とする人民民主主義独裁をうちたてた以上、全国人民を指導して、ほぼ三つの五ヵ年計画の期間に、社会主義的工業化と農業、手工業、資本主義工商業の社会主義的改造を基本的になしとげることもきっとできるはずである。農業の面でも、その他の面とおなじように、われわれはすでに人びとを納得させるだけの有力な証拠をもっている。第一次の三百の協同組合、第二次の二万三千七百の協同組合、第三次の八万六千の協同組合を見てもらいたい。この三回分、計十万の協同組合は、みな一九五四年の秋までにつくられたもので、すべて固まっているのに、どうして一九五四年から心九五五年にかけての第四次の協同組合(五十五万)、一九五五年から一九五六年にかけての第五次の協同組合(さしあたり統制数宇を三十五万としておいて、いずれ最終的にきめる)が固められないのだろうか。
われわれは大衆を信ずるべきであり、党を信ずるべきであって、これは二つの根本的な原理である。もしもこの二つの原理に疑いをもつなら、なにごともなしとげることはできない。
三
全国農村の協同化を一歩一歩なしとげていくためには、すでにできている協同組合の整頓をしんけんにおこなわなければならない。
協同組合の質を重んずることを強調しなければならず、質をかえりみないで、ひたすら協同組合と加入農家の数を追いもとめるような傾向には反対しなければならない。したがって、組合整頓の仕事を重視しなければならない。
組合の整頓は、一年に一回ではなく、一年に二回か三回おこなうことである。一部の組合は、ことしの前半にすでに整頓を一回おこなったが(一部の地方では、やり方がひじょうに大ざっぱなようで、一まだあまり力をいれていない)、わたしは、ことしの秋から冬にかけて二回目の整頓をおこない、来年の春から夏にかけてさらに三回目の整頓をおこなうよう提案する。いまの六十五万の協同組合のうち五十五万は、昨年の冬からことしの春にかけてつくられた新しい組合で、そのうちの一部はわりあい強固になった、いわゆる「一級組合」〔1〕である。これに、すでに固められた、もとからある十万の古株の組合をあわせると、すでに強固になった組合は少なくはない。すでに固められたこれらの組合が、まだ固められていないその他の組合を、しだいに強固になるようにみちびいていくことはできないものだろうか。それはできる、と断言すべきである。
われわれは、農民と幹部の社会主義的積極性にたいしては、それがどのようにささやかなものでも大切にすべきであって、それをくじくようなことをしてはならない。われわれは、協同組合の組合員や協同組合の幹部、県、区、郷の幹部と運命を共にし、苦楽を分かちあうべきであって、その積極性をくじくようなことをしてはならない。
思いきって解散させなければならない協同組合は、その組合員のすべて、またはほとんどすべてが、どうしてもやっていきたがらない組合にかぎる。もしもある協同組合のなかで、一部の者だけがどうしてもやっていきたがらないなら、そうした一部の者を脱退させ、大部分の者をのこして引き続きやっていかせる。もしも大部分の者がどうしてもやっていきたがらず、ごく一部の者だけがやっていこうとするのなら、その大部分の者を脱退させ、ごく一部の者をのこして引き続きやっていかせる。たとえそうなっても、それで結構である。河北省に、わずか六世帯のひじょうに小さい協同組合があったが、旧中農三世帯はどうしても引き続きやっていく気がなかったので、脱退させた。だが、三世帯の貧農〔2〕はどんなことがあっても引き続きやっていくというので、かれらをとどまらせ、組合の組織もたもたれた。じつは、この三世帯の貧農がしめした方向こそ、全国五億の農民の方向である。すべての個人経営の農民は、結局、この三世帯の貧農が断固えらんだ道をあゆむことになるのである。
浙江省では、「断固として縮減する」という方針(これは浙江省党委員会の決定ではない)をとって、五万三千の協同組合のうちから、四十万の農家の加人する一万五千もの協同組合をいちどに解散させ、大衆と幹部の大きな不満を買ったが、これはひじょうによくない。この「断固として縮減する」方針は、あわてふためいた気分に支配されてきめられたものである。こうした大きな事がらを、党中央の同意を得ないでやったことも、また妥当ではない。のみならず、一九五五年四月、党中央は、すでに「一九五三年に協同組合を大量に解散させたような誤りを二度とくりかえしてはならない、そうでないと、また自己批判をしなければならなくなる」という警告を出しておいた。ところが一部の同志はこれを聞きいれようとしなかった。
勝利のもとでは、二とおりのよくない傾向があらわれる、とわたしは考える――(1)勝利にのぼせあがって、有頂天になり、「左」の誤りを犯すこと、これはもちろんよくない。(2)勝利に肝をつぶして、「断固たる縮減」をやりだし、右の誤りを犯すこと、これもよくない。いまの状況はあとのほうであって、一部の同志は数十万の小規模な協同組合に肝をつぶしてしまったのである。
協同組合をつくるまえの準備活動をしんけんにやっておかなければならない。
最初から協同組合の質を重視すべきであり、ただ数だけを追いもとめるという傾向には反対しなければならない。
準備のない戦いはせず、勝算のない戦いはしない。これは、かつての革命戦争の時期におけるわが党の有名なスローガンである。このスローガンは、社会主義建設の仕事にも適用できる。勝算を得るためには、どうしても準備がいるし、それも十分な準備が必要である。一つの省、一つの専区、一つの県に、かなりの数の新しい農業生産協同組合をつくるには、まえもって多くの準備活動をしておかなければならない。それらの活動は、だいたいつぎのとおりである。(1)誤った考えを批判し、活動の経験をしめくくること。(2)農民大衆のなかで、農業協同化についてのわが党の方針、政策、方法を系統的にくりかえし宣伝すること。農民に宣伝するばあいには、協同化の利点を説明するばかりでなく、協同化の過程でぶつかるであろう困難も指摘して、十分な心構えをもたせるようにしなければならない。(3)実際の状況におうじて、省ぜんたい、専区ぜんたい、県ぜんたい、区ぜんたい、郷ぜんたいの、農業協同化発展の全面的な企画をたて、またそれをもとにして年間の計画をたてること。(4)短期講習の方式で、組合づくりの幹部を養成すること。(5)普遍的かつ大量に農業生産互助組をつくる、そして、可能でさえあれば、多くの互助組をたがいに連合させて互助組の連合組をつくり、それをさらに連合させて協同組合をつくるための基礎をきすきあげること。
こうした条件がそなわれば、協同組合を発展させるうえでの、量と質の統一の問題を基本的に解決することが可能になる。しかし、一定数の協同組合ができたのちには、つづいて整頓の仕事にとりかからなければならない。
一定数の協同組合ができたのち、それが固められるかどうかは、第一に組合をつくるまえの準備活動がよくやられているかどうか、第二に組合ができたのちの整頓の仕事がよくやられているかどうかにかかっている。
組合設立の仕事も整頓の仕事も、すべて郷の党と青年団の支部に依拠しなければならない。したがって、組合設立の仕事もその整頓の仕事も、すべて農村における党と青年団の建設、党と青年団の整頓の仕事と緊密にむすびつけなければならない。
組合設立の仕事であろうと、その整頓の仕事であろうと、すべて農村の地元の幹部を主力とすべきであり、かれらをはげまして仕事をさせ、かれらに責任をもたせるべきである。上から派遣された幹部は補助的な力として、そこで指導と援助の役割をはたすべきであり、なにもかも一手に代行してはならない。
農業生産協同組合は、生産の面で、単独経営の農家や互助組よりも、農作物の収量をふやさなければならない。けっして、いつまでも単独経営の農家や互助組の収量とおなじであってはならない。もしそうであれば失敗であって、なにも協同組合などいらないではないか。まして、収量が減るようなことがあってはならない。すでにできている六十五万の農業生産協同組合のうち、八〇パーセント以上の組合では農作物の収量がふえている。これはまことにすばらしいことで、農業生産協同組合の組合月の生産意欲が高いこと、協同組合が互助組よりすぐれており、まして単独経営の農家よりすぐれていることを立証するものである。
農作物の収量をふやすには、(1)自由意思と相互利益の原則を堅持し、(2)経営管理(生産計画、生産管理、労働の組織など)を改善し、(3)耕作技術を高め(深くたがやし、たんねんに手入れをすること、小株密値をおこなうこと、多毛作の面積をふやすこと、優良品種をとりいれること、新式農具をひろめること、病虫害とたたかうことなど)、(4)生産手段(土地、肥料、水利施設、役畜、農具など)をふやさなければならない。これは協同組合を固め、増産を保証するうえで欠くことのできないいくつかの条件である。
自由意思と相互利益の原則を堅持するには、いまのところ、つぎの諸問題の解決に注意をはらわなければならない。(1)役畜と大型農具は、組合にいれるのを一、二年のばしたほうが適当ではないか、組合にいれるばあいの値ぶみが公正かどうか、また償還の期間が長すぎはしないか、(2)土地にたいする報酬と労働にたいする報酬の割合が適当かどうか、(3)組合の必要とする資金はどのようにしてあつめるか、(4)一部の組合員が自分の労働力の一部をつかってなにか副業生産をおこなってもよいかどうか(なぜなら、われわれがいまつくっている農業生産協同組合は、一般にはまだ半社会主義的性質のものであるから、以上にのべた四つの問題を適切に解決するように注意してはじめて、貧農と中農とのあいだの相互利益の原則にそむかずにすむし、また、相互利益をもとにしてはじめて、自由意思による加入を実現できるのである)、(5)組合員の自留地はどれだけにすべきか、(6)組合員の階級構成の問題、など。
ここで、組合員の階級構成の問題についてのべよう。わたしの考えでは、ここ一、二年のあいだは、協同組合をやっとおしひろめはじめたか、あるいはおしひろめてまもないすべての地域、つまりいまの大多数の地域では、(1)貧農、(2)新中農のうちの下層中農、(3)旧中農のうちの下層中農――以上の諸部分のなかの積極的な人たちがまず最初に組合を組織するようにすべきである。これらの部分のなかで、いまのところまだ積極的でないものは、むりに引きいれてはならない。かれらの自覚が高まり、協同組合に心をひかれるようになってから、何回かにわけて協同組合に吸収する。これらの部分の人たちの経済状態は、わりあい似かよっている。かれらの生活は、まだ困難であるか(貧農――かれらは土地の分配をうけて、解放まえよりずっと楽になってはいるが、まだ人力や畜力や農具がたりないため、やはり生活に困難を感じている)、あるいはまだゆたかでない(下層中農)。したがって、かれらは協同組合をつくろうという積極性をもっている。そうはいうものの、かれらの積極性の度合いは、いろいろな原因から、やはり一様ではなくて、ある者はひじょうに積極的であり、ある者はいまのところまだそれほど積極的でなく、ある者はもっと様子を見てからにしようとおもっている。このため、われわれは、当分協同組合に加入するつもりのないすべての者にたいしては、たとえそれが貧農や下層中農であっても、かれらを教育するための期間を設け、その自覚をしんほうづよく待つべきであって、自由意思の原則にそむいて、むりに引きいれるようなことをしてはならない。
新中農のうちの上層中農と、旧中農のうちの上層中農、つまり、経済状態のわりにゆたかなすべての中農については、すでに社会主義の道をあゆむという自覚をもった、ほんとうに組合加入をみずから望んでいる一部の者は組合に吸収してよいが、その他の者は当分吸収してはならず、まして、かれらをむりに引きいれるようなことをしてはならない。なぜなら、かれらはいままだ社会主義の道をあゆむ自覚をもっていないからである。農村の大多数の人が協同組合に加入したばあい、あるいは、協同組合の単位面積あたりの収量がこれらの富裕中農の単位面積あたりの収量とおなじになるか、さらにはそれよりもふえたばあい、かれらは、これ以上単独経営をつづければ自分たちにとっているいるな面で不利であり、協同組合に加入したほうが有利であると感じるようになる。そのときになってはじめて、協同組合に加入する決心をするのである。
このように、まず、経済状態の苦しい人びと、あるいはまだゆたかでない人びと(農村人口のほぼ六〇パーセントから七〇パーセントを占めている)を、その自覚の程度におうじ、何回かにわけて、ここ数年のうちに協同組合に組織し、そのあとで富裕中農を吸収していく。このようにすれば、命令主義にならずにすむ。
まだ基本的には協同化されていないすべての地域では、ここ数年間は、地主と富農をけっして協同組合に加入させてはならない。すでに基本的に協同化されている地域では、強固になっている組合は、早くから搾取をやめ、労働に従事し、しかも政府の法令をまもっているもとの地主と富農を何回かにわけて、条件つきで組合に加入させ、集団的な労働にくわわらせてよい。そして、労働のなかで引き続きかれらを改造する。
協同組合の発展についていえば、いまの問題は、暴走を批判することではない。いまの協同組合の発展が「実際の可能性をこえている」とか、「大衆の自覚の程度をこえている」とかいうのは、まちがっている。中国の状況はつぎのとおりである。中国は人口が多く、既耕地がたりず(全国平均では一人あたり三畝の田畑しかもっていないし、南方各省の多くの地方では一人あたり一畝あるいは数分②の水田しかもっていない)、よく災害に見舞われ(毎年多くの農地が、程度の差こそあれ、水害、干害、風害、霜害、雹害、虫害などをうけている)、経営方法が立ちおくれている、そのため、広範な農民の生活は、土地改革のあと、以前よりもいくらかよくなったか、あるいはだいぶよくなったとはいえ、かれらのうちの多くの者はやはり困難があり、やはりゆたかではなく、ゆたかな農民はわりあい少数を占めているにすぎない。したがって、大多数の農民は社会主義の道をあゆむ積極性をもっているのである。わが国の社会主義的工業化とその成果は、かれらのそうした積極性を日ましにうながしている。かれらにとっては、社会主義以外に生きる道はない。こうした状態にある農民が、全国の農村人口の六〇パーセントから七〇パーセントを占めている。つまり、全国の大多数の農民が貧困からぬけだし、生活をよくし、また災害とたたかうためには、連合して、社会主義の大道をすすむ以外に、その目的は達せられない。こういった気持ちは、広範な貧農や、ゆたかでない農民のあいだに、急速にひろまってきている。ゆたかな農民やわりにゆたかな農民は、全国の農村人口の二〇パーセントから三〇パーセントを占めているだけであって、かれらは動揺しており、一部の者は資本主義の道をあゆもうと懸命になっている。まえにものべたように、貧農やゆたかでない農民のなかにも、自覚が高くないため、当分まだ様子を見ようとしている者がかなりいて、かれらもまたぐらつくことはある。しかし、ゆたかな農民にくらべると、かれらは社会主義をうけいれやすい。これが実際の状況である。ところが、われわれの一部の同志は、こうした状況を見落として、いま新設されたばかりの数十万の小規模な、半社会主義的な農業生産協同組合のことを、すでに「実際の可能性をこえている」とか、「大衆の自覚の程度をこえている」とかと考えている。これは、わりあい少数のゆたかな農民にだけ目をむけて、もっとも数の多い貧農や、ゆたかでない農民のことを忘れているのである。これが第一の誤った考えである。
これらの同志はまた、農村における共産党の指導力について、広範な農民が心から共産党を支持しているという状況について、評価がたりないのである。かれらは、わが党が数十万の小規模な協同組合を固めることさえなかなかできないのに、大々的な発展などなおさら思いもよらない、と考えている。かれらは、農業協同化を指導する党の活動の現状を悲観的にえがきだし、それは「幹部の経験の水準をこえている」と考えている。たしかに、社会主義革命は新しい革命である。これまで、われわれは、ブルジョア民主主義革命の経験をもっているだけで、社会主義革命の経験はもっていなかった。しかし、その経験をどのようにして身につけるのか。すわったままなにもしないという方法で身につけるのか、それとも社会主義革命の闘争に身を投じて、闘争のなかで学ぶという方法で身につけるのか。五ヵ年計画を実行せず、社会主義的工業化をすすめる仕事に手をつけないで、われわれはどうして工業化の経験を身につけることができるだろうか。げんに五ヵ年計画には農業協同化という部分があるが、もしもわれわれが農民を指導して各郷、各村に一つまたはいくつかの農業生産協同組合をつくるようにしなかったら、「幹部の経験の水準」はどこから得られ、どこから高めていくというのだろうか。いまの農業生産協同組合の発展状況が、「幹部の経験の水準をこえている」などという考えは、あきらかに誤っている。これが第二の誤った考えである。
これらの同志は、ものの見方がまちがっている。かれらは問題の本質の面、主流の面を見ないで、本質でない面、主流でない面のものを強調している。指摘しなければならないのは、本質でない面や主流でない面の問題もゆるがせにしてはならず、それらを一つ一つ解決していかなければならないが、しかし、それらを本質や主流と見なして、自分の方向を見失うようなことがあってはならない、ということである。
われわれは、(1)広範な農民は党の指導のもとで一歩一歩社会主義への道をすすんでいきたいとのぞんでいる、(2)党は農民を指導して社会主義への道をすすませることができる、ということを信じなければならない。この二つの点が物事の本質であり、主流である。もしもこうした信念がなかったなら、われわれは、ほぼ三つの五ヵ年計画の期間に、社会主義を基本的にきずきあげることはできない。
社会主義をきずきあげたソ連の偉大な歴史的経験は、わが国の人民を勇気づけており、わが国で社会主義をきずきあげることについて、わが国の人民にあふれるばかりの確信をもたせている。ところが、この国際的な経験の問題についても、やはり異なった見方がある。一部の同志は、わが国の農業協同化の段どりはわが国の社会主義的工業化の段どりに歩調をあわせるべきである、というわが党中央の方針に賛成しない。しかし、この方針はかってソ連でその正しさが証明されているのである。かれらは、工業化の問題ではいまきめられている速度でよいが、農業協同化の問題では工業化の段どりに歩調をあわせる必要はなく、とくにゆるやかな速度でいくべきである、と考えている。これではソ連の経験を無視することになる。これらの同志たちは、社会主義的工業化が農業の協同化をはなれて、孤立してすすめられるものではないことを知らないのである。第一に、だれでも知っているように、わが国の商品化食糧と工業用原料の生産水準はいまのところきわめて低いのに、これらの物資にたいする国家の需要は年々ふえる一方で、これがするどい矛盾となっている。もしも、ほぼ三つの五ヵ年計画の期間に農業協同化の問題を基本的に解決できなければ、すなわち、農業を畜力牽引農具をつかう小規模経営から機械をつかう大規模経営――国家が組織した、機械をつかう、大がかりな、移住者による開こん(三つの五ヵ年計画の期間に四億畝から五億畝の開こんが予定されている)をもふくむ――へ躍進させなければ、われわれは、商品化食糧や工業相原料にたいする需要が年々ふえることと、いま主要農作物の収穫高が一般に低いこととのあいだの矛盾を解決することができず、われわれの社会主義的工業化の事業はきわめて大きな困難にぶつかり、われわれは社会主義的工業化をなしとげることができなくなる。これは、かつてソ連が社会主義を建設する途上でぶつかった問題である。ソ連は農業協同化を計画的に指導し発展させるという方法によってこれを解決したのであり、われわれもまたこの方法によってはじめてこの問題を解決することができるのである。第二に、われわれの一部の同志はまた、つぎのような二つの事がらをむすびつけて考えていない。それはつまり、社会主義的工業化のもっとも重要な部門である重工業、そこではトラクターの生産、その他の農業機械の生産、化学肥料の生産、農業につかわれる近代的輸送用具の生産、農業につかわれる石油や電力の生産等々がおこなわれるが、これらのものはすべて、農業が協同化されて、大規模な経営になったという基礎があってはじめて、使用できるか、あるいは大量に使用できる、ということである。われわれはいま、私有制から共有制へという社会制度の面での革命をおこなっているばかりでなく、手工業生産から大規模な近代的機械生産へという技術の面での革命をもおこなっているが、この二つの革命はむすびついている。農業の面において、わが国の条件のもとでは(資本主義国では農業を資本主義化させる)、まず協同化してからでなければ大型機械をつかうことはできない。このことからもわかるように、われわれは、工業と農業、社会主義的工業化と農業の社会主義的改造という二つの事がらを見るばあい、けっしてこれをきりはなしたり、たがいに孤立させたりしてはならず、けっして一方だけに力をいれて他方で力をぬくようなことがあってはならない。ソ連の経験は、この問題についてもわれわれに方向をさししめしているのに、われわれの一部の同志はそれに注意をはらわず、いつもこれらの問題を孤立した、たがいに関連のないものと見なしているのである。第三に、われわれの一部の同志はまた、以下の二つの事がらをむすびつけて考えていない。つまり、国の工業化と農業の技術的改造をなしとげるために必要な巨額の資金のうち、かなりの部分は農業の面で蓄積しなければならない。このためには、直接的な農業税によるほか、農民に必要な大量の生活資料をつくる軽工業生産を発展させ、これらの品物を農民の商品化食糧や軽工業用原料と交換し、これによって農民と国家の双方の物資の需要をみたすとともに、国家のために資金の蓄積もするということである。ところが、軽工業の大規模な発展のためには、重工業の発展が必要であるばかりでなく、農業の発展も必要である。なぜなら、軽工業の大規模な発展は、小農経済を土台としては実現できず、大規模な農業にまたなければならない。わが国ではほかでもなく、社会主義的な協同化した農業にまたなければならないのである。というのは、こうした農業こそが、いまの何倍か知れないほど大きな購買力を農民にもたせることができるからである。こうした経験も、ソ連がすでにわれわれに提供してくれているのに、われわれの叫部の同志はこれに注意をはらっていない。かれらはいつもブルジョア階級、富農、あるいは資本主義の自然発生的傾向をもつ富裕中農の立場に立って、少数の人のために考えているのであり、労働者階級の立場から、国家ぜんたいと全人民のために考えてはいないのである。
一部の同志はまた、ソ連共産党の歴史に根拠を見つけだし、それをよりどころにして、わが国のいまの農業協同化の仕事における性急と暴走なるものを批判している。『ソ連共産党(ボリシェビキ)歴史小数程』は、ソ連の多くの地方党組織がかつて協同化の速度の問題で、ある時期に性急と暴走の誤りを犯したことをわれわれに教えているではないか、われわれはこの国際的経験に注意をはらうべきではないとでもいうのか、というわけである。
わたしはこう考える。われわれはソ連のこの経験に注意をはらうべきであり、準備のない、農民大衆の自覚の程度を無視した、どのような性急と暴走の考えにも反対しなければならないが、しかし、われわれの一部の同志がソ連のこの経験を利用して、自分たちの牛歩思想をおおいかくすのを、ゆるしてはならない。
わが党中央は、中国で農業協同化をすすめることについてどのような決定をしているのか。
第一に、われわれは、十八年の年月をかけてこの計画を基本的に達成する予定である。一九四九年十月に中華人民共和国が成立したときから一九五二年まで、この三年とすこしばかりの年月は、わが国の経済回復の任務を遂行するためにつかわれた。この期間にわれわれは、農業の面では土地改革と農業生産回復の任務を遂行したほか、すべての旧解放区において、農業生産互助組の組織を大々的におしひろめ、さらに半社会主義的な農業生産協同組合を組織することにとりかかって、いくらかの経験をつんだ。つづいてはじまったのが一九五三年からの第一次五ヵ年計画で、現在まですでに三年ちかく実施されてきたが、われわれの農業協同化運動はすでに全国的な範囲でおしひろめられ、われわれの経験もふえてきている。中華人民共和国の成立から第三次五ヵ年計画の達成までには、あわせて十八年の年月がある。われわれはこの期間に、社会主義的工業化を基本的になしとげ、手工業と資本主義工商業の社会主義的改造を基本的になしとげると同時に、農業の面での社会主義的改造を基本的になしとげる予定である。それは可能だろうか。ソ連の経験がわれわれにしめしているように、それは完全に可能である。ソ連では、一九二〇年に国内戦争が終わって、一九二一年から一九三七年まで十七年の期間に農業の協同化がなしとげられた、しかも、その協同化のおもな仕事は一九二九年から一九三四年までの六年間になしとげられたのである。この期間に、ソ連の一部の地方党組織は、『ソ連共産党(ボリシェビキ)歴史小教程』にのべられているように、「勝利にのぼせあがる」という誤りをいちど犯したことがあったが、それはまもなく是正された。ソ連は、大きな努力をはらってついに農業ぜんたいの社会主義的改造を成功裏になしとげるとともに、農業の面で強大な技術的改造をもなしとげたのである。ソ連があゆんだこの道こそ、われわれの手本である。
第二に、われわれは、農業の社会主義的改造の面で、一歩一歩前進していく方法をとっている。第一歩としては、農村で、自由意思と相互利益の原則にもとづいて、いくらかの社会主義的芽ばえをもつにすぎない、数世帯または十数世帯からなる農業生産互助組をつくるよう、農民に呼びかけるのである。そのあと、第二歩として、これらの互助組を基礎に、やはり自由意思と相互利益の原則にもとづいて、土地の出資と統一的経営を特徴とする小規模な、半社会主義的性質の農業生産協同組合をつくるよう、農民に呼びかけるのである。そのあと、第三歩としてはじめて、これらの小規模な、半社会主義的な協同組合を基礎に、おなじ自由意思と相互利益の原則にもとづき、さらに連合して大規模な、完全に社会主義的性質の農業生産協同組合をつくるよう、農民に呼びかけるのである。こうした段どりをとれば、農民は、自分自身の経験をつうじて社会主義的自覚をしだいに高め、生活様式をしだいに変えることができるので、その生活様式の変化がいかにも突然やってきたような感じをあまりもたないですむ。こうした段どりをとれば、農作物がある期間(たとえば一年から二年のあいだ)減産になるのを基本的に避けることができる。それどころか、こうした段どりは年々増産を保証しなければならないが、それは実現できることである。現在すでにできている六十五万の農業生産協同組合のうち、八〇パーセント以上の組合は増産になっており、十数パーセントの組合は増減がなく、数パーセントの組合は減産になっている。あとの二種類の状況はよくない。とりわけ減産になっているほうはもっともよくないので、大いに力をいれて整頓しなければならない。このように、八〇パーセント以上の協同組合は増産になっているし(増産幅は一〇ないし三〇パーセント)、十数パーセントの協同組合は一年目は増減なしでも、整頓の結果、二年目には増産になるだろうし、最後の、減産になっている数パーセントの組合も、整頓の結果、二年目には増産になるか、あるいは増減のないところまでいくだろうから、全般的にいうと、われわれの協同化の発展は健全であり、減産をまぬがれ、基本的に増産を保証することができるのである。こうした段どりはまた、幹部を養成するよい学校でもある。こうした段どりを経て、大量の協同組合の管理要員と技術要員がしだいにそだてあげられる。
第三に、毎年一回、実際状況にてらして農業協同化発展の統制数字をきめ、そのうえ、協同化の仕事も何回か点検をおこなう。こうすれば、状況の変化や成績のよしあしにもとづいて、各省、各県、各郷での毎年の具体的な発展の段どりをきめることができる。一部の地方では発展を一時停止して整頓をしてもよいし、一部の地方では発展させながら整頓をしてもよい。一部の協同組合の少数の組合員には脱退をゆるしてもよいし、ごく少数の協同組合には一時解散をゆるしてもよい。一部の地方では新しい組合を大量につくるべきであり、一部の地方では古株の組合にかぎって加入農家数をふやしてもよい。各省、各県では、一定数の協同組合をつくったのち、発展をやめて整頓をする期間を設け、そのあとでふたたび一定数の協同組合をつくるようにしなければならない。立ちどまることをゆるさず、合い間をおくことをゆるさないといった考えはまちがいである。協同化運動の点検の仕事については、党中央と党の各省委員会、自治区委員会、市委員会、地区委員会は十分力をいれなければならず、毎年一同ではなく、何回かこれをおこなうべきである。問題があればただちに解決し、問題が山積みになってからひとまとめにして解決するようなことをしてはならない。批判は適時におこなわなければならず、いつもあとになってから批判するようなことをしてはならない。たとえば、ことしにはいぞ七ヵ月のあいだに、党中央が招集した、農村協同化問題を討議する地方責任者の会議だけでも、こんどの会議をふくめて三回になる。このように地方の実情にあった措置をとり適時に指導するという方法をとるなら、仕事のうえで誤りを少なくするよう保証することができ、たとえ誤りを犯してもすぐに是正することができるのである。
以上にのべたいろいろな状況からみて、農業協同化の問題についてのわが党中央の指導方針は正しいものであり、したがって、運動の健全な発展を十分保証するものである、といえないだろうか。そういえるし、またそういうのが当然であって、この方針を「暴走」などと評価するのはまったく誤った言い草である、とわたしはおもう。
一部の同志は、ブルジョア階級、富農、あるいは資本主義の自然発生的傾向をもつ富裕中農の立場から出発して、労農同盟というこのきわめて重要な問題について誤った見方をしている。かれらは、協同化運動の現状をひじょうに危険であると考え、いまの協同化の途上で「いそいで馬から降りる」ようにわれわれにすすめている。かれらはわれわれに、「もしもいそいで馬から降りないと、労農同盟が破壊されるおそれがある」と警告している。われわれは、それとはまったく逆で、もしもいそいで馬に乗らないなら、労農同盟が破壊されるおそれがあると考える。これは、見たところ一方は馬から降りる、一方は馬に乗るという一語のちがいにすぎないが、じつは二つの路線の相違をしめすものである。だれでも知っているように、われわれにはすでに労農同盟があるが、これは、帝国主義と封建主義に反対し、地主の手から土地をとりあげてこれを農民にわけあたえ、農民を封建的所有制から解放するというブルジョア民主主義革命の基礎のうえにうちたてるれたものである。しかし、この革命はすでにすぎさり、封建的所有制はすでに一掃されてしまった。いま農村にあるのは、富農の資本主義的所有制と、はてしない大海原のような小農の所有制である。すでに見られるとおり、最近数年のあいだに、農村における資本主義の自然発生的勢力は日一日と発展して、新しい富農がいたるところにあらわれ、多くの富裕中農が富農になろうと懸命になっている。多くの貧農は、生産手段がたりないため、依然として貧しい状態にあり、ある者は借金を背負い、ある者は土地を売るか貸すかしている。こうした事態を発展するままにまかせるなら、農村における両極分解の現象が日一日とひどくなることは必至である。土地をうしなった農民やあいかわらず貧しい状態にある農民は、われわれがかれらの困難解決を援助しようとせず、かれらを見殺しにしているといって、われわれをうらむだろう。資本主義の方向に発展する富裕中農もまた、われわれに不満をいだくだろう。なぜなら、われわれがもし資本主義の道をあゆもうとしなければ、永遠にこれらの農民の要求をみたすことはできないからである。こうした状態のもとで、労働者と農民の同盟をひきつづき固めていくことができるだろうか。あきらかに、できはしない。この問題は、新しい基礎のうえに立ってはじめて解決できるのである。つまり、社会主義的工業化を一歩一歩実現し、手工業と資本主義工商業にたいする社会主義的改造を十歩一歩実現していくと同時に、農業ぜんたいにたいする社会主義的改造を一歩一歩実現していく、すなわち協同化をおこない、農村で富農経済の制度と小農経済の制度を一掃して、全農村の人民をともにゆたかにしていくのである。われわれは、こうしてはじめて労働者と農民の同盟が固められると考える。もしもわれわれがそうしないなら、この同盟は破壊されるおそれがある。われわれに「馬から降りる」ようにとすすめる同志たちは、この問題についての考え方がまったくまちがっている。
いまここで見ておかなければなるないのは、農村にはまもなく、全国的な社会主義的改造の高まりがあらわれようとしており、これは避けられないということである。第一次五ヵ年計画の最後の年の終わりと第二次五ヵ年計画の最初の年のはじめ、つまり一九五八年の春には、全国で二億五千万前後の人口――五千五百万前後の農家(一世帯あたり四人半として計算)が、半社会主義的性質の協同組合に加入することになるが、これは全農村人口の半分にあたる。そのときには、多くの県といくつかの省で農業経済の半社会主義的改造が基本的になしとげられるとともに、全国各地で、少数の協同組合が半社会主義的なものから完全に社会主義的なものに変わっているだろう。われわれは、第二次五ヵ年計画の前半期、つまり一九六〇年までには、のこりの半分の農村人口をふくむ農業経済の半社会主義的改造を基本的になしとげているだろう。そのときには、半社会主義的な協同組合から完全に社会主義的な協同組合に変わった数はふえているだろう。第一次、第二次の二つの五ヵ年計画の期間には、農村での改革はやはり社会改革が主であって、技術改革は従であり、大型農業機械はかならずふえるが、まだそんなに多くはならない。第三次五ヵ年計画の期間には、農村での改革は、社会改革と技術改革が並行してすすめられ、大型農業機械の使用は年々ふえるようになり、社会改革のほうも、一九六〇年以後、半社会主義的なものが何回かにわかれて完全に社会主義的なものへと、一歩一歩発展していくようになる。中国は、社会経済制度の面で社会主義的改造を徹底的になしとげ、また、技術の面で機械をつかって作業できるすべての部門と場所がみな機械をつかうようになってはじめて、社会経済の面目が一新されるのである。わが国の経済的条件からして、技術改革の期間は、社会改革の期間よりいくらか長くなるだろう。全国的な範囲で、農業面の技術改革を基本的になしとげるには、だいたい四つか五つの五ヵ年計画、つまり二十年ないし二十五年の年月を要する見込みである。全党は、この偉大な任務を実現するために奮闘しなければならない。
全面的な計画が必要であり、また指導もつよめなければならない。
時期をわけて協同化をすすめることについて、全国、全省、全專区、全県、全区、全郷の計画が必要である。さらにまた、実際の仕事の発展状況にもとづいて、自分たちの計画をたえず修正していかなければならない。省、専区、県、区、郷など各級の党と青年団の組織はすべて、農村問題にしんけんに注意をはらい、農村工作にたいする自分たちの指導を着実に改善していかなければならない。各級の地方の党委員会と青年団委員会のおもな責任者はすべて、農業協同化の仕事の研究に力をいれ、自分をその道の専門家にしていかなければならない。要するに、受動的ではなく、主動的でなければならないし、指導を放棄するのではなく、指導をつよめなければならないのである。
一九五四年八月(これはもはやニュースではない)、中国共産党黒竜江省委員会の報告は、つぎのようにのべている。「農村協同化の高まりがあらわれ、発展するにつれて、農村の各種の互助・協同組織と各階層の大衆は、程度の差こそあれ、すでに普遍的に動きだしている。いまある農業生産協同組合では、組合員をふやすことについて計画をたて下相談をしているし、組合設立の対象となっている農業生産互助組では、自分たちの世帯数をふやすことについて計画をたて下相談をしており、条件のととのっていない農業生産互助組でも、自分自身をいっそう発展させ、向上させることをつよくのぞんでいる。大衆のなかには新しい組合に加入しようといろいろ準備している者もあれば、古株の組合に加入しようといろいろ準備している者もある。ことしはまだ組合に加入するつもりのない者も、互助組に仲間入りする下相談を積極的にすすめている。こうした動きはひじょうに広い面にわたっており、すでに大衆的な運動となっている。これは、農業協同化の大発展における新しい、きわだった特徴である。しかし、一部の県や区の指導者のある者は、この新しい特徴に対応して、適時に指導をつよめることができず、そのために、一部の村や屯(黒竜江省の村は行政上の区画で、長城以南の各省の郷にあたる。黒竜江省の屯は行政上の区画ではなくて、長城以南の各省の村にあたる)では、大衆が自分で相手をえらぶばあい、『強いものは強いものをもとめて、貧しい農民をのけものにする』、『骨幹分子をうばいあい、組合員をうばいあって、たがいに団結をみだす』、『骨幹分子がむやみに集中する』、『富農や資本主義思想のかなりひどい、ゆたかな農民がこの機会に低級互助組または富農組合をつくる』などといった不健全な現象があらわれはじめている。ここからもよくわかるように、農業協同化が大きく発展している状況のもとでは、党の政策の貫徹やこの運動の指導を考えるばあい、たんに新しい組合をつくるという範囲や角度から出発するのではもはや不十分であって、ぜひとも全村の範囲(つまり全郷の範囲)から出発し、農業協同化運動を全面的におしすすめるという角度から出発しなければならない。つまり、古株の組合の拡大も考えれば、新しい組合の設立も考える、協同組合の発展も考えれば、互助組の向上も考える、ことしのことも考えれば、来年のこと、さらには再来年のことも考える、というようにしなければならない。こうしてこそ、党の政策を全面的に実現して、農業協同化運動を健全に発展させていくことができるのである。」
「一部の県や区の指導者のある者は、この新しい特徴に対応して、適時に指導をつよめることができずにいる」というこの状態は、黒竜江省一省だけがそうなのだろうか。一部の県や区だけのことだろうか。わたしの見るところ、指導が運動に立ちおくれているといった重大な状態については、おそらく全国の多くの指導機関のなかにも、その代表的な人物を見つけだすことができるにちがいない。
黒竜江省委員会の報告はまた、つぎのようにのべている。「双城県の希勤村では、村を単位として、指導と大衆の自由意思とをむすびつける方法をとり、全面的な企画をおこなった。これは、協同化の大発展を指導するうえでの創意である。それが果たした重要な役割は、なによりもまず、企画をつうじて、党の農村における階級路線を全面的につらぬき、貧農と中農の団結をつよめ、富農的傾向との闘争を強力にくりひろげたことにある。この村では、農業の全面的協同化の利益を考えて、骨幹分子を適当に配置した。また、組合と組合、組合と互助組との関係を調整し緊密にし、これによって農業協同化運動を計画的、全面的におしすすめた。つぎに、こうした企画をつうじて、農業協同化を大いに発展させる仕事が基層の指導部と広範な大衆に具体的に割り当てられ、村の党支部はどのようにして指導するか、古株の組合はどのようにして発展していくか、新しい組合はどのようにして組合を建設していくかがわかり、互助組は向上の具体的な方向がわかるようになり、村の党支部と広範な大衆の主動性と積極性がいちだんと発揮され、党支部にたより大衆の経験と知恵にたよるという正しい原則が十分に具体化された。最後に、まさしくこうした企画をつうじて、農村の実情をさらに深くつかみ、党の政策を具体的、全面的につらぬきとおすことができた。したがって、性急と暴走をふせぐこともできたし、また、保守と放任をふせぐこともでき、こうして党中央の『積極的な指導、着実な前進』という方針を正しく実現することができたのである。」
黒竜江省委員会の報告にのべられているある種の「不健全な現象」は、結局どのように解決されただろうか。省委員会の報告は、直接この問題にこたえてはいない。しかし、省委員会の報告のうしろのほうに双城県委員会の報告がそえてあり、それがこの問題にこたえている。そこにはつぎのようにのべられている。「党支部の指導と大衆の自由意思とをむすびつけて、全面的な企画をすすめた結果、貧しい農家を組合に加入させないという偏向は是正され、骨幹分子が集中しすぎるという問題は解決され、たがいに骨幹分子をうばいあい、組合員をうばいあうという現象はなくなり、組合と互助組との関係はいっそう緊密になり、富農と富裕中農が富農組合や低級互助組をつくろくわだては失敗に終わり、党支部の計画が基本的に実現した。二つの古株の組合は、組合員を四〇パーセントふやし、六つの新しい組合の骨組みがつくりあげられ、二つの互助組が組織された。うまくやれば、来年(つまり一九五五年)には村ぜんたいが協同化できる見込みである。いま、全村の大衆は、ことしの農業協同化の発展計画を積極的に実現しつつあり、増産と収穫確保の仕事をりっぱにすすめている。村の幹部はみな、『こうやってよかった。そうしなかったら、大変だった。ことしうまくいかないだけでなく、来年にもひびいただろう』とみている。」
では、こういうふうにやっていくことにしよう。
全面的に企画し、指導を強化すること、これがわれわれの方針である。
〔1〕 当時、農業生産協同組合のうち、経営状態のよいもの、中クラスのもの、よくないものを、一般に、一級組合、二級組合、三級組合とよんでいた。
〔2〕 ここにいう三世帯の貧農とは、河北省安平県南王荘の王玉坤、王小其、王小[”广”の中に”龍”]のこと。かれらのつくった農業生産協同組合は、いまの南王荘人民公社南主荘大隊の前身である。
① 農業協同化のときに、もとの貧農で、土地改革後に中農になったものを、新中農と称した。もとの中農で、経済条件に変化のないものを、旧中農と称した。
② 十分が一畝、十五畝が一ヘクタールにあたる。
(一九五五年九月七日)
これは、毛沢東同志が中国共産党中央のために起草した党内指示である。
「貧農(もと貧農であったすべての新中農をふくむ)に依拠し、中農とかたく団結する」というスローガンは、いまなお基本的には正しい。しかし、(一)新中農のなかから、富裕中農(つまり上層中農)があらわれている。このうち、政治的自覚のわりあい高い若干の人を除くと、他の人びとは、ここしばらくはまだ協同組合に加入することをのぞんでいない。(二)旧中農のうちの下層中農は、もともと、経済的にゆたかでなく、なかには土地改革のとき、いくらか不当な侵害をうけた人もおり、その経済的地位は新中農のうちの下層中農とほぼ同じである。このため、協同組合への加入には一般に興味をもっている。以上の二つの原因から、およそ協同化がまだ高まりをみせておらず、富裕中農がまだ自覚に欠けるところでは、まず、次の三部分の人を協同組合に加入させるのが妥当である(なお、自覚の程度により、何回にもわけて吸収することとし、まず、自覚のわりあい高い人を吸収すべきである)。(一)貧農、(二)新中農のうちの下層中農(毛沢東同志の報告の改訂版では、中農について、もしも分け方が細かすぎると区別しにくいので、ただ上層中農と下層中農との二部分にわけており、中層中農にはふれていない。ここに言う下層中農とは、実際には、かつて新中農のうちの下層中農および中層中農とよばれていた二つの部分がふくまれる)、(三)旧中農のうちの下層中農。いまのところ組合に加入したがらないすべての富裕中農、つまり新・旧の中農のうちの上層中農を、むりに組合へ引きいれてはならない。いま、多くの地方で富裕中農をむりやりに協同組合へ引きいれるようなことがおこっているが、それは、かれらのもっている役畜や農具に目をつけているのであり(値ぶみが低く、償還の期間が長い)、実際には、かれらの利益を侵害し、「中農とかたく団結する」という原則に違反しているのである。だが、このマルクス主義の原則は、いかなるばあいにもけっして違反してはならないものである。富裕中農のなかの資本主義的思想の濃厚な人たちについてはどうかというと、およそ組合づくりをはじめたばかりのところや、組合がまだ優位に立っていないところでは、かれらを組合に引きいれるばあいであろうと、かれらが指導的地位を手にいれようとして、みずから組合にもぐりこんでくるばあいであろうと(ほんとうの政治的自覚から入ってくるのではない)、また、かれらが黒竜江省双城県にみられるような低級組合の設立をたくらんでいるばあいであろうと、これらはすべて、貧農・下層中農の指導的地位をうちたてるのにたいへん不利である(公正かつ有能で、政治的自覚の高いごく少数の富裕中農は、もちろん例外である)。ところが、すべての協同組合では、貧農・下層中農の指導的地位をうちたてることがぜひとも必要なのである。いまのような提起のしかたでは、どうも「貧農に依拠し、小農とかたく団結する」というスローガンを放棄したようにみえる、と言う人がいるが、それは正しくない。われわれは、このスローガンを放棄したのではなく、これを新しい状況に即して具体化したのである。つまり、新中農のうち、富裕中農になった人たちは、依拠する対象の一部とみなさず、旧中農のうちの下層中農を依拠する対象の一部とみなすのである。これは、かれらの経済的地位と、協同化運動にたいする態度が積極的かどうかをみて区分したのである。つまり、貧農と二つの部分の下層中農は旧い貧農に相当するので、依拠の対象とするが、二つの部分の上層中農は旧い中農に相当するので、かたく団結する対象とするのである。いま、かれらと団結する方法の一つは、かれらをむりやり組合に加入させて、その利益を侵害するようなことをしないことである。
農村でだれに依拠するかという問題については、なお、いくつかの点をはっきりさせておく必要がある。われわれは、まず、共産党員と青年団員に依拠すべきである。われわれの区委員会から上の指導機関、あるいは農村へ派遣されて指導にあたる幹部が、まず第一に農村の党員と団員に依拠することをせず、党員と団員を党員や団員でない大衆と混同してしまうとしたら、それは正しくない。第二に、党員でない大衆のなかのわりあい積極的な人に依拠すべきである。この人たちは、農村人口の約五パーセントを占めるはずである(たとえば、人口二千五百人程度の郷では、こういう積極分子が百二十五人ぐらいはいるはずである)。われわれは、このような人たちの育成につとめるべきで、これまた一般の大衆と混同すべきではない。このあと、第三にはじめて、一般の貧農および二つの部分の下層中農という広範な大衆に依拠するのである。だれに依拠するか、いかに依拠するかという問題をはっきりさせなければ、協同化運動で誤りを犯すこととなろう。
(一九五五年十月十一日)
これは、毛沢東同志が中国共産党第七期中央委員会第六回拡大総会でのべた結論である。
こんどの会議ではさかんに弁論がおこなわれた。それは、資本主義から社会主義への過渡期において、わが党の総路線が完全に正しいのかどうかという問題をめぐる大弁論であった。この全党的な大弁論は、農業協同化の方針の問題からひきおこされたもので、同志諸君の討議もこの問題に集中した。だが、この弁論で論及された面はひじょうに広く、農業、工業、交通、運輸、財政、金融、貿易、文化、教育、科学、医療・衛生など諸部門の仕事におよび、手工業と資本主義工商業の改造におよび、反革命鎮圧におよび、さらに軍隊におよび、外交におよんでいる。要するに、党、政府、軍隊、人民団体の各方面の仕事におよんでいるのである。このような大弁論は、当然おこなうべきものであった。なぜなら、総路線が公表されていらい、わが党では、このような弁論がおこなわれたことはなかったからである。農村でも都市でも、この弁論を展開して、各方面の仕事が、つまりその速度と質がすべて総路線のさだめた任務に適応でき、全面的な計画をもつようにしなければならない。
ここで、次のいくつかの問題について意見をのべてみよう。
農業の協同化と資本主義工商業の改造との関係、つまり、およそ三つの五ヵ年計画の期間内に農業の社会主義的改造を基本的になしとげることと、おなじ期間内に資本主義工商業の社会主義的改造を基本的になしとげることとの関係の問題は、農業協同化とブルジョア階級との関係の問題でもある。
われわれの見るところ、農業の社会主義的改造を徹底的におこなう過程で、労働者階級と農民との同盟が社会主義という新しい基礎のうえに逐次強固になってこそ、都市のブルジョア階級と農民とのつながりを完全に断ち切ることができ、ブルジョア階級を完全に孤立させることができ、資本主義工商業の徹底的な改造をやれるようになるのである。われわれが農業の社会主義的改造をおこなう目的は、農村というもっとも広びろとした大地で資本主義の根を断ち切ることにある。
いま、われわれはまだ農業の協同化をなしとげておらず、労働者階級はまだ新しい基礎のうえで農民と強固な同盟を結んでおらず、労働者階級と農民との同盟はまだ不安定である。以前、われわれと農民との同盟は土地革命の基礎のうえにうちたてられていたが、いまでは、農民はそれに満足しなくなっている。かれらは、あのとき手にいれた利益を忘れかけているのだ。いまは、かれらに新しい利益をあたえなければならない、それが社会主義である。いま、農民はまだみんなが一緒にゆたかになっているわけではなく、食糧と工業原料もまだひじょうに不足している。こうした状況のもとでは、ブルジョア階級がこの問題でわれわれのあらをさがし、われわれに攻撃をかけてくるおそれがある。だが、数年たてば、労働者階級と農民が新しい基礎のうえで、これまでよりもいっそう強固な同盟をむすぶというまったく新しい情勢が見られるであろう。
地主とたたかい、土豪をたたき、田畑をわけるという以前の同盟は、一時的な同盟である。この同盟は、しばらく強固だと思っているうちに、また強固でなくなった。土地改革のあと、農民には分化が生じている。もしもわれわれが農民にあたえる新しいものをもたず、農民が生産力をたかめ、収入をふやし、みんな一緒にゆたかになるよう援助することができなければ、貧しい農民はわれわれを信じなくなり、共産党についていくのはつまらないと思うだろう。土地をわけてもらってもやはり貧しいとなれば、どうしてついてくるだろうか。ゆたかな農民、つまり富農になった農民やひじょうにゆたかになった農民はどうかというと、これまたわれわれを信じなくなり、共産党の政策はどうしても自分の好みにあわないと思うだろう。けっきょく、両方とも信じなくなり、貧しい農民も信ぜず、ゆたかな農民も信じないとなれば、労農同盟はタガがひどくゆるんでしまう。労農同盟を強固にするには、農民を指導して社会主義の道をあゆませ、農民大衆がみんな一緒にゆたかになって、貧しい農民がゆたかになり、すべての農民がゆたかになるとともに、そのゆたかさの程度がいまのゆたかな農民を大きく上回るようにしなければならない。協同化しさえすれば、農村の全住民が年ごとにゆたかになり、商品化食糧と工業原料も多くなるであろう。そうなれば、ブルジョア階級は口をふさがれ、自分が完全に孤立してしまったことに気づくであろう。
いま、われわれには二つの同盟がある。一つは農民との同盟であり、もう一つは民族ブルジョア階級との同盟である。この二つの同盟はどちらもわれわれにとってたいへん必要であり、周恩来同志もこの問題についてのべている。ブルジョア階級との同盟には、どんな利点があるのだろうか。われわれはより多くの工業製品を手にいれて、農産物と交換することができる。十月革命後のある時期に、レーニンはそのように考えたことがある。国が交換する工業製品をもっていなければ、農民は食糧を出そうとせず、紙幣だけでは売ってくれない。だから、レーニンがプロレタリア階級の国家権力に国家資本主義との同盟を結ばせようと考えたのは、工業製品をふやして農村の自然発生的な勢力に対処するためであった〔1〕。いま、われわれがブルジョア階級との同盟をつくり、ここしばらくは資本主義企業を没収せず、利用、制限、改造の方針でのぞんでいるのも、より多くの工業製品を手にいれて農民の必要をみたし、そうすることによって、食糧、さらには一部の工業原料を売り惜しむ農民の行為を変えるためにほかならない。これはブルジョア階級との同盟を利用して、農民の売り惜しみを克服することである。同時に、われわれは農民との同盟に依拠して、食糧と工業原料を獲得し、ブルジョア階級をおさえている。資本家は原料をもっていないが、国にはそれがある。かれらは原料がほしければ、工業製品を国に売りわたさなければならず、国家資本主義を実行しなければならない。かれらがそうしなければ、われわれは原料をあたえず、とにかく身動きできないようにしてしまう。こうすれば、ブルジョア階級が自由市場をつくり、自由に原料を入手し、自由に工業製品を販売しようとするこの資本主義の道をふさぎ、また政治の面でもブルジョア階級を孤立させることになる。ここで話しているのは、この二つの同盟の相互作用のことである。この二つの同盟のうち、農民との同盟は主要な、基本的な、第一義的なもので、ブルジョア階級との同盟は一時的な、第二義的なものである。わが国のような経済的に立ちおくれている国では、いま、この二つの同盟はどちらも必要である。
土地改革によって、われわれは民主主義の基礎のうえに農民との同盟を結び、農民は土地を獲得した。農民が土地を獲得するということは、ブルジョア民主主義革命の性質をもつものである。それはただ封建的所有制を破壊するだけで、資本主義的所有制と個人的所有制を破壊することはない。この同盟は、ブルジョア階級にはじめて孤立を感じさせた。一九五〇年、わたしは三中総で、四方に出撃してはならない、とのべたことがある。当時は、全国の広大な地方でまだ土地改革がおこなわれておらず、農民がまだ完全にはわれわれの側に立っていなかったから、ブルジョア階級にたいして火ぶたを切るわけにはいかなかった。土地改革がおこなわれたのち、農民が完全にわれわれの側に立つようになってから、「三反」「五反」運動を展開することが可能となり、またその必要性がうまれてきたのである。農業の協同化によって、われわれはブルジョア民主主義の基礎のうえではなく、プロレタリア社会主義の基礎のうえで、農民との同盟を強固にした。このため、ブルジョア階級を最終的に孤立させて、資本主義を最終的に消滅することができるようになったのである。このことについては、われわれはまったく良心がないのだ。いかにも、マルクス主義は凶暴で、良心に欠けており、是が非でも帝国主義、封建主義、資本主義を根絶やしにし、また小生産も根絶やしにしようとする。この面では、良心が少ないほうがよいのだ。われわれの一部の同志はあまりにも慈悲ぶかくて、手きびしさがない。つまり、それほどマルクス主義的ではないのである。六億の人口をもつ中国でブルジョア階級と資本主義を根絶やしにするのは、すばらしいことであり、たいへん意義のあるすばらしいことである。われわれの目的は、ほかでもなく、資本主義を根絶やしにし、地球上から根絶やしにして、これを歴史上の遺物にすることである。およそ歴史の過程でうまれたものは、かならず消滅する。世の中の事物は例外なく歴史の過程でうまれたもので、生があれば死がある。資本主義というものは歴史の過程でうまれたもので、やはり死滅する。それにはすばらしい行き先があり、土のなかで「眠る」というのがそれである。
いまの国際環境は、われわれが過渡期の総任務をなしとげるのに有利である。 われわれは三つの五ヵ年計画の時間をかけて、社会主義的工業化と社会主義的改造を基本的になしとげなければならない。われわれはかならずこの平和建設の時間をかちとらなければならない。十五年のうち、すでに三年はすぎたが、あと十ニ年あればやれる。見うけるところ、それをかちとるのは可能であり、またかちとるように努めなければならない。われわれは対外活動や国防建設の面でよりいっそう努力すべきである。
この十五年の期間内に、国際、国内の階級闘争はひじょうに緊迫するであろう。その緊迫ぶりはもう目に見えている。階級闘争のなかで、われわれはすでに多くの勝利をおさめており、またひきつづき勝利をおさめるであろう。過ぎさった一年の国内の階級闘争についていえば、われわれは主としてつぎの四つのことを手がけた。一つは観念論反対の闘争をすすめたこと、一つは反革命を鎮圧したこと、一つは食糧問題を解決したこと、一つは農業協同化の問題を解決したことである。この四つの問題をめぐる闘争は、いずれもブルジョア階級にたいする闘争の性質をおびるもので、すでにブルジョア階級に重大な打撃をあたえたし、またひきつづき壊滅的な打撃をあたえている。
観念論反対の闘争は、例の『紅楼夢』の問題からはじまって、さらに『文芸報』を批判し、その後また胡通の批判や梁漱溟の批判にすすみ、すでに一年間つづいている。われわれは手がたく観念論に反対しなければならず、三つの五ヵ年計画の時間をかけるつもりである。観念論反対の闘争のなかで、マルクス主義の弁証法的唯物論を身につけた幹部の隊列をつくり、われわれの広範な幹部と人民がマルクス主義の基本理論で武装できるようにしなければならない。反革命鎮圧については、今年と来年一年のうちに、国営工場、国営商業、協同組合、県・区・郷のさまざまな組織をふくめ、さらに軍隊の幹部、工場の労働者をふくめて、およそ千二百万人の範囲内で、反革命の粛清をおこなう予定である。反革命分子といえば、多くはいないようだし、目にも見えないが、調べてみると、たしかにいるのであり、現に一群の反革命分子がすでに見つけだされている。食糧問題についても大いにたたかった。ブルジョア階級は食糧問題にかこつけてわれわれを攻撃したし、わが党内でもデマがさかんにみだれ飛んだ。そこで、われわれは批判をくりひろげたのである。農業協同化の問題については、われわれは多くの闘争をすすめたが、こんどの会議でもこの問題を集中的に討議した。われわれはこの四つの問題で大規模な闘争をくりひろげ、ブルジョア階級の反抗と攻撃に打撃をくわえ、主動権を握ったのである。
ブルジョア階級は、われわれがこのいくつかの問題でかれらと闘争するのを恐れており、とりわけ反革命鎮圧を恐れている。われわれの反革命鎮圧の仕事はうまくいっている。この仕事は規格を重視しなければならず、規格がなければ、はなはだ危険である。基準にあったものでなければ、反革命と呼んではならない。つまり、ほんものの反革命分子をやっつけるのであって、まがいものの反革命分子をつくりだしてはいけないのである。ただし、まがいものの反革命分子が出ることも予想しておくべきで、出ないとは言いがたい。だが、われわれは、まがいものの反革命分子が出るのを少なくし、できるだけ出ないよう要求している。つまり、完全に規格にあった、正真正銘の、まぎれもなくほんものの反革命分子でなくてはならず、よい人にぬれ衣を着せてはならない。同時に、ほんものの反革命分子の一部を見落とすこともありえよう。では、こんどできれいさっぱり片づけられるかといえば、そうともかぎらない。見落とすのは避けがたいことだ。だが、それをできるだけ少なくするようにしなければならない。
農業協同化の問題では、大衆の多くの創意によって、多くの迷信が打破され、多くの誤った観点が打破された。こんどの討議では、数ヵ月まえまで多くの人のまだはっきりしていなかった多くの問題が解決された。
まず、大発展かいいか、それとも小発展かいいか、という問題である。これは主要な問題で、論争も激しかったが、いまではもう解決した。大衆は大発展を要求し、過渡期の総任務も農業が工業に適応することを要求している。だから、例の小発展を主張する観点は誤っている。
つぎは、おくれて解放された地区では発展できるかどうかという問題、山間部や立ちおくれた郷や被災地区では発展できるかどうかという問題である。これも、いまではもう解決し、いずれも発展できるということになった。
第三は、少数民族地区では組合をつくれるかどうかという問題である。いまでは、条件のととのった地方ならどこでも組合をつくれることが立証されている。一部の地方、たとえば西蔵、大涼山・小涼山などの地方では、まだ条件がととのっていないので、組合をつくってはならない。
第四は、資金も荷馬車も牛もなく、富裕中農の参加もなしに、組合をつくれるかどうかという問題である。いまでは、それもつくれることが立証されている。
第五に、「組合をつくるのはやさしいが、固めるのはむずかしい」という迷信も打破された。組合をつくるのもそうやさしくはないが、それを固めるのもそうむずかしいとはかぎらない。組合をつくるのはやさしいが固めるのはむずかしいと、是が非でも言おうとするのは、実際には、組合をつくるな、あるいは、あまりつくらないほうがよい、と主張するのと同じである。
第六は、農業機械がなくても組合をつくれるかどうかという問題である。機械がなければどうしても組合をつくれないという空気は、いまではつよくはないが、この観点はまだのこっている。この迷信も完全に打破することができる。
第七は、運営状態のよくない組合をのこらす解散すべきかどうかという問題である。運営の続行がたしかに不可能となった少数の組合は、もちろん、互助組にまで後退してもかまわない。だが、一般のいわゆる不良組合は解散すべきではない。そうしたものは、整頓すれば建てなおせるのである。
第八、「いそいで馬から降りないと、労農同盟が破壊される」という言い方は、おそらく中央農村工作部あたりから流された「理屈」であろう。中央農村工作部はデマを飛ばすだけでなく、多くの「理屈」をこねまわしているのだ。わたしから見れば、この一句はおおむね「正しい」。ただ一語だけ改めて、「降りる」というのを「乗る」になおせばよいのである。農村工作部の諸君は悲観するにも及ばない。諸君のことばをほとんど採用し、その一語を改めただけである。一語の差、われわれの論争はこの一語につきる。諸君は馬から降りようとしているが、わたしは馬に乗ろうとしている。「いそいで馬に乗らないと、労農同盟が破壊される」。そのとおり、たしかに破壊されるのである。
第九、「役牛が死んだのは協同組合のせいである」という言い草は、完全には実情にあっていない。役牛が死ぬおもな原因は、協同組合にあるのではなく、水害や牛皮の法外な高値や飼料の不足にある。なお、一部は老牛で、殺すべきものであった。
第十、「農村の状態が緊迫した根本原因は、協同組合をつくりすぎたことにある」という言い方は、誤りである。ことしの春の農村の緊迫した状態は、主として食糧問題によってもたらされたものだ。食糧の不足というのは、その大部分がつくりごとで、地主、富農および富裕中農がわめきたてたのである。この問題については、われわれはまだ広範な農民を十分に教育するひまがなかったし、同時にわれわれの食糧工作にも欠点があった。昨年はいったいどのくらい買い付ければ妥当であったのか、当時、われわれはまだ実情をつかんでおろす、七十億斤もよけいに買い付けてしまった。いまはそれを調整して、七十億斤減らすつもりであり、そのうえことしは豊作であるから、農村の状況も緩和するであろう。
第十一、「協同組合の優越性は三年しかもたない」という言い草もあるが、これは悲観主義である。わたしの見るところ、協同組合の優越性はけっして三年にとどまらない。社会主義はひじょうに長い期間つづくであろう。将来、社会主義の優越性がしめされなくなれば、こんどは共産主義の優越性がそれにとって代わるであろう。
第十二、近い将来に高級組合を一部つくるべきかどうか。この問題は以前はっきりしなかったが、こんどはみんなが提起した。高級組合を一部つくるべきである。どれだけつくるかは「諸君が検討したらよい。
第十三、「帆船、畜力車では協同組合をつくれない」という言い方も、まちがっている。こんにちでは、帆船、畜力車などの運輸業にたずさわる数百万の勤労者も、協同組合を組織すべきであると思われる。
みんなの討議にもとづいて、われわれはこうした多くの問題を解決した。これはこんどの中央委員会総会の大きな成果である。
全面的な計画には、第一に協同組合の計画、第二に農業生産の計画、第三に全般の経済計画がふくまれるべきである。農村における全般の経済計画には、副業、手工業、多角経営、総合経営、近辺の開墾と移住、購買販売協同組合、信用協同組合、銀行、技術普及ステーションなどがふくまれ、さらに、はげ山と村落の緑化がふくまれる。とくに北部のはげ山は緑化すべきであり、また緑化は完全に可能であると思う。北部の同志にこの勇気があるかどうか。南部の多くの地方もさらに緑化しなければならない。南北各地は何年かの年月をかけて緑化できればよい。このことは農業、工業、その他の各方面にも有利である。
このほか、どういう計画があるだろうか。まだ文化・教育計画があり、それには文肓の一掃、小学校の開設、農村の必要に即した中学校の開設、中学校での一部農業課目の新設、農民むきの通俗読物と書籍の発行、農村の有線放送網と移動映写班の拡大、文化・娯楽活動の展開などがふくまれる。さらに共産党の整頓と建設、青年団の整頓と建設、婦人工作があり、なお反革命鎮圧もある。全般的な計画のなかにはこれらの部分がふくまれていなければならない。
計画には、つぎの数種類のものがあるべきである。(一)農村協同組合の計画。どの協同組合にも計画があるべきである。協同組合は小さいものではあるが、やはり計画をたてるべきで、そのやり方を学びとらせる。(二)全郷の計画。全国には二十二万あまりの郷があり、二十二万あまりの郷の計画をたてる。(三)全県の計画。われわれは、どの県でもそれぞれ計画をたてるよう希望する。いま、一部の県はすでにりっぱな計画をたてており、見てみるとなかなか味がある。かれらは思想が解放されており、なにものをも恐れず、手かせ足かせなどの束縛がないので、計画がとても生きいきしている。(四)全省(あるいは自治区、直轄市郊外区)の計画。このなかでは、全郷の計画と全県の計画に重点をおく。この二つの環をつかんで、すみやかにいくつかの計画をつくり――たとえば、一つの省で三、四の県の計画をつくる――それらを発表して、各地に見ならわせるようにする。
協同化の計画は、それぞれ異なった地区におうじて発展速度をきめなければならない。それは三種類の地区にわけるれる。第一種は多数の地区、第二種は一部の少数の地区、第三種はもう一部の少数の地区である。多数の地区では三つの高まり、三つの冬と春がなければならない。三つの高まりとは、ことしの冬から来年の春まで、来年の冬から再来年の春まで、それにもう一つの冬から春までの期間をさす。三つの冬と春というのは三つの高まりのことで、一つの波がまだ去らないうちにもう一つの波がやってくるというが、そのあいだには間欠がなければならない。二つの山のあいだには一つの谷があり、二つの波がしらのあいだには一つの波ぞこがある。この種の地区では、一九五八年の春までに半社会主義の協同化が基本的になしとげられる。第二種の地区では、二つの冬と春、二つの高まりがあれば十分である。たとえば華北地方、東北地方、それに一部の郊外区がそうである。この部分の地区のうち、ごく少数の地区では来年の春までに協同化が基本的になしとげられるから、一つの高まりがあれば実現する。第三種の地区、つまりもう一部の比較的少数の地区では、四つ、五つ、さらには六つの冬と春を必要とする。この種の地区では、なお一部の少数民族地区、つまり大凉山・小涼山、西蔵および条件のととのっていない他の一部の少数民族地区を除外しなければならず、条件のととのっていないところで協同化をおしすすめてはならない。半社会主義の協同化を基本的になしとげるとは、どういうことであろうか。それはつまり、農村人口の七〇ないし八〇パーセントが半社会主義の協同組合に加入することである。これにはかなりの幅がもたせてあって、七〇パーセントでもよければ、七五パーセントでもよく、八〇パーセントまたはそれをすこし上回ってもよい。これで、半社会主義の協同化を基本的になしとげたというのである。あと少数のものがとり残されるが、それは将来のことである。遅すぎてはよくないが、急ぎすぎてもよくない。遅すぎるのも急ぎすぎるのも、日和見主義である。日和見主義には二種類あり、一つは遅すぎる日和見主義、もう一つは急ぎすぎる日和見主義である。このように話せば、農民はわりあい呑みこみやすい。
省(市、自治区)段階、地区段階、県段階というこの三段階では、たえず運動の発展状況をつかみ、問題が出たらすぐ解決しなければならない。問題が山づみになってから総括にとりかかるようではあとの祭りなので、そうならないよう、くれぐれも注意すべきである。これまで、われわれは多くの仕事をそのようにやってきた。途中で問題が出ても解決しようとせず、それを山づみにしておいて、やり終えてから総括し、批判をしたのだ。「三反」「五反」運動のとき、一部の同志はこの誤りを犯したことがある。もっぱら事後の批判だけを好むようではいけない。事後にも批判しなければならないが、きざしが見えたときに批判するのがいちばんよい。事後の批判だけを好み、臨機応変の指導を欠くのは、よくないことである。異常事態にぶつかったばあい、どうしたらよいだろうか。異常であれば、ただちにブレーキをかける、つまり停車することである。われわれが車に乗るのと同じように、急な坂をくだるとき危険にぶつかったら、すぐブレーキをかける。省、地区、県のいずれにも、ブレーキをかける権限がある。「左」よりを防ぐよう注意しなければならない。「左」よりを防ぐことは日和見主義ではなくて、マルクス主義である。マルクス主義は「左」よりに走れなどとは言っていない。「左」翼日和見主義はマルクス主義ではない。
今後、協同組合を発展させる仕事では、なにを比べたらよいだろうか。質を比べ、規格を比べるべきである。量、あるいは速度については、前にのべたあの規定があればよい。重点は質を比べることである。質の基準はなにか。それは生産をふやし、家畜を死なせないことである。生産をふやし、家畜を死なせないためには、どのようにしたらよいだろうか。それには自由意思と相互利益の原則をまもり、全面的な計画をたて、弾力性のある指導をしなければならない。この数ヵ条があれば、協同組合の質はわりあいよくなり、生産がふえ、家畜が死ななくなると思う。われわれはぜひとも、ソ連がかつて犯した家畜の大量屠殺という誤りを避けなければならない。カギは今後二年、主としてこれからの五ヵ月、つまりことしの冬から来年の春までの期間にある。ことしの十一月から来年の三月まで、諸君はぜったいに大きな問題をおこさず、牛の大量死亡という事態をまねかぬよう、注意してもらいたい。いま、トラクターはまだひじょうに少ないから、牛は宝であり、農業生産のおもな道具なのである。
今後五ヵ月のうちに、省段階、地区段階、県段階、区段階、郷段階というこの五段階のおもな幹部、なによりもまず書記と副書記は、ぜひとも協同組合の問題に取りくみ、協同組合のさまざまな問題に精通しなければならない。時間が短すぎるだろうか。五ヵ月間、手がたく取りくめば、やれると思う。省段階の同志がしんけんに取りくむのはもちろんであるが、とりわけ大切なのは県、区、郷の同志である。もしもこれらの同志が取りくまず、組合をたくさんつくっても自分がそれに通じていないとしたら、それはたいへん危険である。いつまでたっても打ちこめなかったら、どうすればよいだろうか。仕事を取りかえるべきである。五ヵ月後、つまり来年の三月以後、党中央はこんどのような会議をもういちど招集するかもしれない。そのときは質を比べる。みんなの発言の重点としては、こんどの発言をくりかえすのではなく、新しいものがなければならない、つまり全面的な計画の問題、経営管理の問題、指導方法の問題について話さなければならない。協同組合をはやく、多く、りっぱにつくるには、どういうよい方法があるかについて話さなければならない。つまり、質の問題について話すのである。
指導方法はひじょうに重要である。誤りを犯さないためには、指導方法に注意をはらい、指導をつよめなければならない。指導方法についていくつかの提案があるのだが、実行できるだろうか。それはつまり、みんながやっていることで、一年に数回、大きな会議あるいは小さな会議をひらき、当面の問題を解決することである。もしも問題があれば、個別のなかから普遍性を見いださなければならない。すべてのスズメをつかまえてきて解剖し、そのあとで「スズメは小さいが、五臓六腑がそろっている」と証明するようではいけない。ゆらい、科学者はそんなことをしないものだ。いくつかの協同組合の問題をはっきりさせさえすれば、適切な結論を下すことができる。会議をひらくほか、電報を打ったり、電話をかけたり、視察に出かけたりするのも、ひじょうに大切な指導方法である。このほか、各省は適当な人を選んで、いい刊行物を出し、それを改善して、すみやかに経験を交流するようにしなければならない。もう一つ提案があるが、ひとつ、ためしてもらえまいか。わたしは十一日を費やして、百二十数編の報告に目を通し、文章に筆をいれたり、評語を書いたりもした。こうして「わたしは「列国を巡遊し」、孔子よりも広いところをまわり、雲南、新疆にまでも「足をのばし」たわけである〔2〕。各省、各自治区の諸君は各県に一編ずつ文章を書かせて、一年か半年で一冊の書物を編集し、各県の経験を交流できるようにしたらどうか。こうすれば、協同化運動をすみやかにおし広めるのに役立つだろう。もう一つの方法は、簡約報告を出すことである。県委員会は地区委員会にたいし、地区委員会は省委員会、自治区委員会にたいし、省委員会、自治区委員会は中央にたいし、それぞれ、組合づくりの進度はどうか、どういう問題がおきているかについて、簡約報告を出すようにしなければならない。各級の指導部はこうした簡約報告を受けとり、状況をつかんでいれば、問題がおきたとき、すぐに手をうつことができる。以上はいくつかの指導方法についての提案であるが、同志諸君に考えてもらいたい。
これまでの経験が物語るところによれば、思想闘争は的を射たものでなければならない。思想的に矛をまじえるべきだ、ということばがある。ちょうど果たし合いのように、向こうが一太刀あびせてくれば、こちらも一太刀かえし、この二本の刀が火花をちらす、これが矛をまじえるということである。思想的に矛をまじえなければ、明確性と徹底性を欠き、これではよくない。こんどの会議では、われわれは思想の面で矛をまじえ、明確性も徹底性ももつようになった。この方法の第一の利点は、大多数の同志を助けて問題をはっきりさせることであり、もう一つの利点は、誤りを犯した同志を助けてその誤りを改めさせることである。
誤りを犯した同志については、二ヵ条しかないと思う。一つは、本人が革命をやる意志をもつことであり、もう一つは、他の人も本人がつづけて革命をやるのを許すべきだということである。本人がつづけて革命をやる意志のないばあいもある。たとえば、陳独秀がそうであり、張国燾がそうであり、高崗、饒漱石がそうであったが、それはごく少数である。大多数の者はつづけて革命をやる意志をもっている。だが、もう一ヵ条ある、それは他の人に革命をやるのを許すことである。われわれは、『阿Q正伝』に出てくるニセ毛唐になってはならない。かれは、阿Qが革命をやるのを許さなかった。われわれはまた、『水滸伝』に出てくる白衣秀士の王倫①になってはならない。かれも他の人が革命をやるのを許さなかった。およそ他の人に革命をやるのを許さないことは、ひじょうに危険である。白衣秀土の王倫は、他の人が革命をやるのを許さなかったため、自分の命を落としてしまった。高崗も、他の人が革命をやるのを許さなかったため、自分の命を落としてしまったではないか。
歴史上の経験が立証しているように、教条主義の誤りと経験主義の誤りを犯した人のうち、大多数は誤りをただすことができる。それには二ヵ条が必要である。つまり、一方では厳粛な批判がなくてはならず、他方では寛容の態度がなくてはならない。後者がなければ、よくない。それがないとお互いの関係が正常でなくなる。誤りをすこしも犯さない人がいるだろうか。どんな人でも大なれ小なれ、いくらかは誤りを犯すものだ。どうにも救いようのない人はひじょうに少ないもので、たとえば陳独秀、張国燾、高崗、饒漱石、それから陳光、戴季英がそれである。このようなごく少数の者をのぞいて、その他の人はみな救えるのであり、同志たちの援助で誤りをただすことができる。われわれはこのようにすべきであり、このような自信をもつべきである。誤りを犯した本人も、このような自信をもつべきである。
中央農村工作部の一部の同志、だれよりもまず鄧子恢同志が誤りを犯した。こんどかれの犯した誤りは、その性質からみて右よりの誤りに属し、経験主義の誤りに属する。鄧子恢同志は自己批判をおこなった。各組の会議で一部の同志はかれの自己批判をまだ不徹底だと言っているが、われわれ政治局の同志、それにいく人かの同志たちは、意見を交換してみて、これを基本的にはよいものだと考えている。いまの時点でかれがこうした認識をもつようになったのは、すでに上出来といえよう。鄧子恢同志は、これまでの長期にわたる革命闘争のなかで多くの仕事をやり、成果をあげてきた、この点は認めるべきである。しかし、成果を荷物にしてはならない。かれ自身もこの点にふれ、すこし先輩風をふかしたと言っている。人はなるべく謙虚でなければならない。謙虚で、同志たちの援助を受けいれる意志さえあれば、かれは誤りをただせるものと、われわれは信じている。
以前、鄧子恢同志は、商人に依拠する(つまりブルジョア階級に依拠する)とか「四大自由」とかの綱領的な提起をしたことがあるが、それは誤ったもので、たしかにブルジョア的な綱領、資本主義的な綱領であり、プロレタリア的な綱領ではない。それはブルジョア階級を制限するという七期二中総の決定にそむいている。われわれはいま、都市のブルジョア階級、農村のブルジョア階級(富農)にたいしては制限の政策をとっている。したがって、雇用、商取引、貸借、借地に制限をくわえないという例の「四大目由」は、問題である。わたしに言わせると、「四小自由」である。ここには大と小のちがいがあるのだ。制限のもとでは、ブルジョア階級のこうした自由は少しはあるが、ひじょうに小さい。われわれは条件をととのえて、ブルジョア階級のこの小さな自由をなくさなければならない。都市のブルジョア階級にたいしては、われわれは利用、制限、改造といっている。利用はするが、国の経済と人民の生活に不利な部分は制限する。このような政策は「左」よりでもなく、右よりでもない。まったく制限しないとなれば、それはあまりにも右よりである。がんじがらめに制限し、かれらになにもやらせないとなれば、それはあまりにも「左」よりである。レーニンは、もしも何千何百万という小生産者が存在する条件のもとで、ある政党が資本主義をいちどきになくしてしまおうとするなら、それは愚かであるばかりでなく、自殺にひとしい、とのべたことがある〔3〕。しかし、鄧子恢同志の提起のしかたはまちがっている。かれは、中央や二中総の提起のしかたとちがって、制限を提起していないからである。
どういうわけか知らないが、一部の同志は、党の決議と党が長期にわたって提唱してきた政策にはほとんど目もくれず、まるで見たことも聞いたこともないかのようである。たとえば、互助・協同化運動というのは、長年らい、中央革命根拠地でも、延安でも、どの根拠地でも手がけたことがあるのに、かれらは見たことも聞いたこともないのにひとしい。一九五一年の冬、党中央は農業生産の互助・協同化にかんする決議を出しているが、それも見たことがないようである。そのご一九五三年になっても、まだまともなことを言わず、小さな施しをしたがる。まともなことを言わないとは、社会主義について語らないことであり、小さな施しをしたがるとは、「四大自由」という小さな施しをしたがることである。つまり、一部の同志は党の決議や党が長期にわたって提唱してきた一部の政策、一部の綱領にはまったく目もくれず、別に自分勝手なことをやっている。かれらは、おなじ性質の問題について、いったいこれまでにだれかが話したことがあるのか、どのように話したのかを調べようともしない。一部の歴史学者は亀の甲羅や金石文、その他の出土した古文物をさえ考証しようとしているのに、これらの同志はわれわれのあまり時間の隔たっていないものにもまったく目もくれず、調べようともしない。要するに、二つの耳があっても窓外のことを聞こうとせず、勝手気ままに書き、勝手気ままにしゃべっている。たとえば、「四大自由」とかといったものをしゃべりまくっているが、その結果ときたら、壁につきあたるのがおちである。
そのほか、一部の同志はいつも分散主義を好み、独自性をふりまわし、はては独立王国をつくり、独裁にはとても味があると思っている。はじめは気楽に暮らそうとして、王国をつくり、王様になりすます。ところが、結果はどうだろう。結果はまことに気楽でなく、批判を受ける羽目になる。『大登殿』という芝居があったではないか。あの薛平貴は国王になって、とても気楽であった。当時は自己批判がなかったのである。この点はよくない。多くの人はどうしても人と相談したがらない。多くの同志は、口先では集団指導に賛成しているが、実際には個人の独裁をたいへん好んでおり、独裁をしなければ指導者らしくないかのように思っている。指導者になるにはなにも独裁が必要だとはかぎらない、そういうことを知っているだろうか。ブルジョア階級にはブルジョア民主主義があり、それは階級の独裁を重視している。プロレタリア階級、共産党も階級の独裁をやらなければならない。もしも個人の独裁をやるなら、それはよくない。問題があれば、とにかくほかの人と相談し、多数の人の知恵をあつめて、集団できめるべきである。このようにするのが比較的よい。
もう一つの状況についても、話しておく必要がある。多くの同志はいつも実務に没頭して、問題を研究しない。実務は、やる必要があるだろうか。それは、やらなければならない。実務をやらないわけにはいかないが、それをやるだけで、問題を研究しないのは危険である。幹部にも大衆にも接触せず、あるいはかれらに接触したとしても、つねに説教をするだけで、かれらと相談せず、「いったい、わたしの考えていることが正しいのかどうか、ひとつきみの意見を聞かせてほしい」と意見を交換することもしない。これでは、政治的な風邪をひき、鼻がにぶくなって、政治的な空気を嗅げなくなる。鼻がつまると、いつ、どんな空気があるのか、それを嗅げなくなるのである。きょう、陳毅同志が言ったように、事物のきざしが現われると、すぐそれをつかめるようにならなければならない。事物がすでにどこにでも大量に存在しているのに、まだ見てとれないとすれば、それはあまりにも鈍感すぎる。こうした状況には注意をはらわなければならない。実務一点ばりで、問題の研究に意をそそがず、大衆や幹部との接触にも気をくばらす、かれらと相談する態度をとらないのはたいへんよくないことである。
これから話すいくつかの問題は、ほとんどが同志諸君の提起したものである。
第一、協同組合における富裕中農の指導的地位を変える問題については、その段どりや方法に注意しなければならず、一陣の風を吹かせて、かれらをいちどきに引きおろしてしまうようなことをしてはいけない。富裕中農が指導者になるのは妥当ではないが、かれらは勤労者である。それぞれの状況を区別し、かれらが仕事のなかでどんな態度をとっているかを見るべきである。一部の者は、どうしても更迭しなければならない。こうした人がこれ以上やっていくことは、まったく不適当だからである。だが、そのばあいにも、大衆(たとえば協同組合の組合員)と富裕中農本人にたいし、かれがひきつづき指導者になることはたしかに妥当ではないことをわからせる必要がある。それからもう一つの条件がいる。それは、かれにとって代わる比較的りっぱな人を養成し、比較的りっぱな後継者を用意してから、はじめて更迭するということである。ある者は自己批判をおこない、誤りをただしてから、現職にとどまってもよく、人によっては補佐職か委員に格下げしてもよい。もともと仕事をりっぱにやっている者であれば、富裕中農でも更迭の限りでないこと、いうまでもない。富裕中農は富農ではなく、富農としてあつかってはならない。いちどきに全部を更迭してはならない。この問題には慎重でなければならず、手ぎわよく解決すべきである。上にのべたいくつかの方法が実行可能であるかどうか、各省各地で検討してほしい。
第二、今回、われわれが下層中農と上層中農は二つの異なった階層であると言ったのは、階級を再区分するというのではなく、事実上、協同化にたいする各階層の態度に積極と消極とのちがいがあり、おなじ階層の内部でも人によってこのようなちがいがあるからである――このことを、党支部と大衆のあいだで説明しておかなければならない。たとえば、貧農のなかにも、一時、組合に加入しない者がいる。この例をあげれば、富裕中農を説得することができる――ごらんのように、貧農、下層中農にもわりあい消極的な者がおり、加入したくなければ加入させるには及ばない、だから、富裕中農がいま参加したくなければ参加しなくてもよいのだ、と。われわれはまず熱心な人を引きいれる。それから第二部分の人に宣伝し、かれらが熱心になったら加入させる。そして、そのあとで第三部分の人に宣伝するのである。何回かにわけてやらなければならない。いずれ、すべての人が組合に加入するのだ。だから、階級の再区分などというものではない。
第三、地主、富農の組合加入問題について。県と郷を単位として(県を単位とするだけでは不十分だ。県が基本的に協同化しても、一部の郷にはまだ協同組合がないこともあるからである)、一つの県、一つの郷が基本的に協同化したなら、つまり七〇ないし八〇パーセントの農家が協同組合に加入したなら、そこのすでに強固になった協同組合は、地主、富農の態度におうじ、何回かにわけて問題の処理に取りかかってもよい――このようにしたらどうだろう。一部の者は、一貫して態度がよく、まじめで、法律をまもっており、組合員の資格をあたえてもよい。一部の者は、組合でいっしょに労働し、報酬も受けるが、組合員とはよばず、実際には組合員候補である。もしもかれらがしっかりやっていくなら、はりあいをもたせるため、組合員にきりかえてもよい。もう一部の者は、一時、組合への加入を許さず、いずれあらためて考慮することとし、個別的に解決する。これらすべての地主、富農は、組合に加入したあと、協同組合の役職につけてはならない。地主、富農の家庭でそだった青年知識分子については、よく観察したうえ、その一部の者に農村で読み書きの教員のような仕事をやらせてみたらどうだろう。一部の地方ではそれ以外の知識分子がとても少ないので、党支部や協同組合管理委員会の指導と監督のもとで、かれらに読み書きの教員の仕事をやらせる必要がうまれてくる。いま、小学校の教員のなかには、このような者が少なくない。地主、富農の家庭でそだった青年で、年の頃せいぜい十七、八歳、高等小学校か初級中学卒業というような者にも、頑として読み書きの教員さえやらせない――わたしの見るところ、それには及ばないと思う。これらの者には、農民に字を教え、文盲を一掃する仕事をやらせてもよい。とにかく、そうしてもよいかどうか、諸君に検討してもらいたい。会計係などをやらせるとなると、これはかなり危険である。
第四、高級組合の条件と、それをどのくらいつくるべきかについては、きょう、わたしは触れないでおく。条件の問題はやはり諸君に検討してもらい、来年になってから討議しよう。各地は状況におうじて、実際につくってもよい。要するに、条件のととのったところではつくってもよいが、そうでないところではつくってはならない。はじめはすこしつくり、そのあと逐次ふやしていくのである。
第五、協同組合をつくる時期は、かならずしも毎年の冬と春に集中しなくてもよく、夏と秋に一部つくってもよいのではないだろうか。現に一部の地方では、実際にそのようにやっている。しかし、次の点を指摘しておかなければならない。つまり、二つの高まりのあいだには、休養と整頓の時間が必要である。一部の組合をつくったあと、かならず整頓しなければならず、そのあとでまたつくる。戦争をするのと同じで、二回の戦闘のあいだには休養と整頓が必要である。休養と整頓を必要とせず、間欠を必要とせず、息ぬきを必要としないというのは、まったく誤っている。軍隊では、かつて、休養と整頓を必要とせず、息ぬきを必要としないという意見があった。つまり、勇往邁進し、ひたすら戦闘をするというのだが、実際にはやれるものではない。人間は眠らなければならない。きょうのこの会議にしても、もし散会しないで、このままつづけていくとしたら、わたしもふくめてすべての人が反対するだろう。人間はまいにち一回大きな休息をとらなければならず、中間の小さな休息をのぞいて、まず七、八時間、少なくても五、六時間は眠らなければならない。組合づくりのような大きな仕事に休養と整頓を必要としないというような論法は、ひじょうに幼稚である。
第六、「勤倹の精神で組合を経営する」というスローガンはすばらしい。これは、下部から提起されたものである。厳格に節約を励行し、浪費に反対しなければならない。いま、都市ではさかんに浪費に反対しており、農村でも浪費に反対している。勤倹の精神で家計を切りもりすること、勤倹の精神で組合を経営すること、勤倹の精神で国家を建設すること、これを提唱する必要がある。わが国は一に勤勉、二に節約でなくてはならず、怠惰やぜいたくであってはならない。怠惰であれば衰えるから、よくない。勤倹の精神で組合を経営するには、労働生産性を高め、厳格に節約を励行し、コストをひき下げ、経済計算を実行し、派手ごのみと浪費に反対しなければならない。労働生産性を高め、コストを引き下げるのは、どの組合もやらなければならない仕事である。経済計算となると、これは一歩一歩やっていく必要がある。協同組合が大きくなると、経済計算がなくてはだめで、それを一歩一歩学びとっていかなければならない。
第七、こんどの会議でだれも国営農場の問題に触れなかったのは、欠点である。中央農村工作部と農業部で国営農場の問題を検討するよう希望する。将来、国営農場のウエートは年ごとに大きくなっていくであろう。
第八、ひきつづき大漢民族主義に反対しなければならない。大漢民族主義は一種のブルジョア思想である。漢族は人がこんなにも多いから、とかく少数民族を見さげやすく、真心をこめた援助はしていない。したがって、大漢民族主義にきびしく反対しなければならない。もちろん、少数民族のなかにも狭隘な民族主義がうまれるだろう、それにも反対しなければならない。だが、この両者のうち、主要な、まっさきに反対しなければならないものは、大漢民族主義である。漢族の同志が正しい態度をとり、少数民族にたいしてたしかに公正に対処し、民族政策のうえでも、民族関係の立場のうえでも、ブルジョア階級の観点ではなく、完全にマルクス主義の観点に立つなら、つまり大漢民族主義さえなければ、少数民族のなかの狭隘な民族主義の観点はわりあい克服しやすいものである。いまのところ、大漢民族主義はまだまだ少なくない。一手に代行する、他人の風俗習慣を尊重しない、ひとりよがりで、他人を見くだし、他人の落後ぶりを口にする、まあ、こういったたぐいである。ことしの三月、わたしは党の全国代表者会議で、中国は少数民族がいなければだめだ、とのべたことがある。中国には数十の民族がある。少数民族の居住地域は漢族のそれよりも面積が広く、そこにはざまざまな資源が大量に眠っている。われわれの国民経済は少数民族の経済がなければなりたたない。
第九、文盲一掃運動だが、一掃に取りかかったほうがよいと思う。一部の地方では文盲一掃運動を一掃してしまったが、それはよくない。協同化の過程で文盲を一掃するのであって、文盲一掃運動を一掃するのではない。文盲一掃を一掃するのではなく、文盲を一掃するのである。
第十、「左」右の偏向とはどういうことか、と聞く人がいる。われわれは、以前、事物は空間と時間のなかで運動する、とのべたことがある。ここで問題にするのは主として時間のほうである。事物の運動にたいする人びとの観察が実際の状況に合致しないばあい、時間がまだきていないのに先走った見方をするのを「左」の偏向といい、おくれた見方をするのを右の偏向という。たとえば協同化運動のばあい、もともと大衆の積極性、互助組の普遍的存在、党の指導力といった熟した条件があるのに、一部の同志はまだそれがないという。協同化運動という事物はいまの時点で(数年前ではなく、現在である)もう大いに発展させてもよいのに、かれらはまだだめだという。それが右の偏向である。もしも農民の自覚の程度、党の指導力といった条件がまだととのっていないのに、ひじょうに短い期間内に全国で八〇パーセントを協同化させるというなら、それが「左」の偏向である。中国には、「瓜が熟して、ヘタが落ちる」、「水が流れて、溝ができる」ということわざがある。われわれは具体的な条件にもとづいて事をはこぶのであり、無理押しではなく、自然にわれわれの目的を達するのである。たとえば、お産には九ヵ月かかるが、妊娠七ヵ月のときに医者がひと押しして、押し出すというのはよくない。それが「左」の偏向である。もしも九ヵ月すぎて、赤子がどうしても出たいというのに、出てこさせないとしたら、それが右の偏向である。要するに、事物は時間のなかで運動するのだ。やるときが来たらやらなければならないのに、やらせないのが右の偏向である。まだそのときが来ていないのに、無理にやろうとするのが「左」の偏向である。
第十一、「左」の偏向の誤りを犯すおそれがありはしないか、と聞く者がいる。われわれは、十分にある、と答える。郷支部、区委員会、県委員会、地区委員会、省委員会をとわず、その地方の指導部が大衆の自覚の程度、互助組の発展の状況に気をくばらず、計画も立てなければ、統制もせず、また何回かにわけてやるのでもなく、もっぱら数量を追求し、質に関心をもたないなら、かならず重大な「左」の偏向の誤りが現われるであろう。大衆の意欲がもりあがって、みんなが協同組合への加入を希望するときには、さまざまな困難と、現われるかもしれないあらゆる不利な状況を予想して、それを大衆に公然と説明し、大衆にじゅうぶん考慮させなければならない。それでもたじろがないようなら、やってもよいが、もしもたじろぐようなら、やってはならない。もちろん、人びとに肝をつぶさせてもいけない。きょう、わたしは諸君に肝をつぶさせることはあるまいと見ている。なぜなら、われわれはすでにこんなにも多くの時日をかけて会議を開いたからである。適当な時機に人びとの頭を冷やし、あまりのぼせあがらないようにさせるのは、必要なことである。
われわれは果てしない心配に反対し、数えきれないご法度に反対しているが、それならまったく心配しなくてもよいのか、一ヵ条のご法度もいらないのか。もちろん、そうではない。必要な心配、しかるべき心配、そういう心配をしない人などいるだろうか。また、必要なご法度もなくてはならない。ご法度がまったくなかったら、どうしてやっていけるだろうか。必要な心配、必要なご法度、そして必要な停頓、間欠、歯止め、塞き止めは、まったくなくてはならないものである。
ここに一つの方法がある。ある人がうぬぼれ出したとたん、つまり、鼻を高くしたとたん、かれに新しい任務をあたえ(たとえば、いま質をくらべることを提起したので、来年は質をくらべあう、そうなると量の問題は第二義的なものになる)、時間がなくて、うぬぼれてなどいられないようにするのである。この方法は、以前にやってみたことがある。軍隊で勝ちいくさをしたあと、一部の同志がまわりの人たちに得々と手柄話をして、鼻を高くすると、その人につぎの戦闘の新しい任務をあたえる。新しい任務をあたえると、かれはすぐ問題を考えなければならず、準備に取りかからなければならない。高くなった鼻がへこみ、うぬぼれる暇がなくなるのである。
第十二、ある同志は、県段階に一〇パーセントの機動的な権限をもたせたらどうか、と提案している。たとえば協同組合をつくるとき、一○パーセント少なくてもよいし、一〇パーセント多くてもよい、というのである。この提案は、採用してもよいと思う。この提案はいい。あまり杓子定規になってはいけない。諸君にもういちど考えてもらいたい。
第十三、決定をくつがえす者が出てくるだろうか。決定をくつがえそうとする者は少なくはない。かれらの見るところ、協同組合は見込みがなく、われわれの手がけたものはいずれ全部くつがえさなければならない。かれらに言わせると、われわれはマルクス主義などではなく、日和見主義だというわけである。だが、わたしから見れば、大勢のおもむくところ、この決定はくつがえされるものではない。
第十四、将来の趨勢はどうか、と聞く人がいる。およそ三つの五ヵ年計画の期間内に、社会主義的工業化と農業、手工業、資本主義工商業の社会主義的改造を基本的になしとげる、これが趨勢である。わたしから見れば、まあこういうところである。だが、次の点をつけくわえてもよい。前回の党の代表者会議でものべておいたが、およそ五十年から七十五年の期間内、つまり、十ないし十五の五ヵ年計画の期間内に、強大な社会主義国がきずきあげられるであろう、ということがそれである。
五十年から七十五年の期間内に、国の内外と党内にはかならず重大で複雑な多くの衝突と闘争がおこり、われわれはかならず数多くの困難にぶつかるだろう。われわれの経験によれば、われわれの代には、武力衝突や平和な衝突、流血の衝突や非流血の衝突がどれだけあったことか。今後はないといえるだろうか。きっとある。それも少なくはなく、多いだろう。このなかには、世界大戦がおこること、われわれの頭上に原子爆弾が落とされること、ベリヤが現われたり、高崗が現われたり、張国燾、陳独秀が現われたりすることがふくまれる。いまは多くのことを予測しようがない。だが、われわれマルクス主義者から見れば、すべての困難は克服でき、強大な社会主義中国がきっと出現するということ、これは断定できる。きっとそうなるだろうか。きっとそうなると思う。マルクス主義によれば、それはまちがいないのである。かのブルジョア階級はすでに自分のために墓掘り人を用意しており、その墓もすでに掘りあげてある。どうして死なないはずがあろう。趨勢については、かなり大ざっぱにいうと、まあこういうところである。
第十五、諸君は決議と規約とのこの二つの文書について多くの修正意見を出したが、たいへんけっこうなことである。これらの意見をあつめて考えてみることにしよう。きょう採択したあと、決議は数日のうちに政治局が筆をいれ、公表することになろう。規約はもうすこし時間がかかる。民主人士と相談しなければならず、立法の手続もとらなければならない。あるいは兵役法と同様、まず人民代表大会常務委員会で討議してから、国務院にまわしで公表し、意見をもとめ、各地で一定期間、試験的に施行したあと、来年になってから、人民代表大会にまわして採択させるようになるかもしれない。
最後に、文章の書き方に注意してほしいという問題について、ついでにちょっとのべておく。わたしは在席の諸君に、「国語の先生」になってもらいたいと思う。諸君の文章はなかなかいい出来ばえだが、いくらか欠点もあるようだ。諸君は、ほかの人を助けて、文章の作風を改めることに意をそそがなければならない。いま、多くの同志の文章には全編これ空論というものもあるが、それはわりあい少ない。おもな欠点は古文が多いことで、文語と口語半々という傾向がとてもつよい。文章を書くときは、論理を重視しなければならない。つまり、文章ぜんたい、演説ぜんたいの構造に注意し、書き出しと中間と結びのあいだに一定の関係、内部のつながりがなければならず、ちぐはぐなところがあってはならない。また、文法も重視しなければならない。多くの同志は、はぶくべきでない主語や客語をはぶき、あるいは副詞を動詞としてつかい、はては動詞まで省略してしまう、こういうのはいずれも文法にあっていない。さらに修辞にも気をくばり、もっと生きいきとした文章を書くよう工夫しなければならない。要するに、一つは論理が通っていること、一つは文法に合っていること、もう一つは修辞が比較的よいこと、文章を書くときにはこの三点に注意してほしい。
〔1〕 レーニンの『食糧税について』を参照。
〔2〕 毛沢東同志が農業協同化についての各地の報告に目を通し、『農業生産協同組合をいかに運営するか』という本を編集したことをさす。本巻の「『中国農村における社会主義の高まり』のはしがき」を参照。
〔3〕 レーニンの『食糧税について』を参照。
① 中国の古典小説『水滸伝』によると、王倫(あだなは白衣秀土)は、梁山泊を占拠して、農民蜂起軍の首領となった人物。自己の地位をたもとうとした王倫は、まず、追いつめられてやむなく造反した禁衛軍の軍事教官林冲が梁山に身を投じてきたとき、これに難くせをつけて、うけいれることを拒絶した。その後、農民蜂起軍の指導者晁蓋らが梁山泊に集まって蜂起しようとしたときにも、それを拒絶した。そのため、王倫は林冲に殺されてしまった。
(一九五五年九月、十二月)
資本主義から社会主義への過渡期における中国共産党の総路線は、国の工業化を基本的になしとげ、同時に農業、手工業および資本主義工商業の社会主義的改造を基本的になしとげることである。この過渡期のためには、ほぼ十八年、つまり回復期の三年のほかに、なお三つの五ヵ年計画を必要としよう。われわれの党内では、この総路線の定式と期間の規定について、表面的にはみな賛成しているようだが、実際には異なった意見がある。この異なった意見は、いまのところ、主として農業の社会主義的改造、つまり農業協同化の問題にあらわれている。
農業協同化の問題については、冬には発展をとなえるが、春になると暴走に反対するものがあらわれる、これが数年らいの法則のように見うけられる、という人がいる。こうしたことが口にされるのも、無理はない。かれらはこれまで幾度か、暴走なるものへの反対を目にしてきたからである。たとえば、一九五二年の冬には発展がみられたが、一九五三年の春には暴走反対がおこった。一九五四年の冬にも発展がみられたが、一九五五年の春にはまたしても暴走反対がおこった。この暴走反対というのは、ただ発展をとめるだけではなく、すでにできている協同組合をも大量にむりやり解散(「きりすてる」ともいう)させてしまうので、幹部と農民大衆の不満を買っている。農民のなかには、腹をたてて飯を食わないものもいれば、ふて寝をして起きないものもおり、十数日間、野良仕事に出ないものもいる。かれらは、「組合をつくれといったのもきみたちだし、組合を解散しろというのもきみたちだ」といっている。解散しろといわれて、喜ぶのは富裕中農であり、顔をくもらせるのは貧農である。湖北省の貧農は、発展の中止とか解散とかいった消息をきいて、「冷や水を浴びせられた」ように感じているが、中農のなかには、「木蘭山にお参りしたようなものだ」といっているものもいる(湖北省黄陂県に木関山という山があって、そこには、農民が喜んでお参りする木菌廟がある)。
一般の人から見ればまったくあるべきでないこうした動揺が、なぜ、一部の同志にうまれるのか。それは、かれらが一部の中農の影響をうけているからである。一部の中農、とりわけ資本主義的傾向のつよい富裕中農は、協同化の初期、社会主義的改造というものに抵抗を感じていた。ここで、協同化運動のなかでの、中農にたいする党の政策と活動方法が問題となる。経済的地位のわりあい低く、政治的自覚のわりあい高い多くの中農、主として新中農のうちの下層中農と旧中農のうちの下層中農についていえば、われわれが、貧農にだけ有利で中農には不利な政策をとるのではなく、貧農と中農という二つの階層のどちらにも有利な政策をとり、しかも、適切な活動方法をとりさえすれば、かれらは協同組合に加入することをのぞむであろう。しかし、このような政策をとったとしても、一部の中農は、やはりいましばらく協同組合の外にいて、「一、二年、自由にすごすのもわろくない」と考えるであろう。このような状況は、十分に理解できる。なぜなら、協同化は農民の生産手段私有制と経営方式ぜんたいを変えるもので、かれらにしてみれば根本的な変化であり、かれらは、当然、慎重に考慮するだろうし、当分のあいだはおいそれと決心がつかないからである。われわれの一部の同志は、党の政策と活動方法の面から問題を解決していこうとせず、富裕中農が文句を言ったり、仕事のうえでいくらかまちがいが出たりすると、すっかりあわてふためき、やっきになって「暴走」に反対し、なにかというと協同組合を「きりすて」ようとする。それはまるで、このガンをはやく切りとらなければ、いまにも病人が死んでしまうかのようである。ところが、実情はまったくちがう。われわれの仕事には欠点もあるが、運動ぜんたいは健全である。広範な貧農と下層中農は、協同組合を歓迎している。一部の中農がしばらく様子を見たいと思うのなら、そうさせるべきである。富裕中農にたいしては、自由意思で参加するものは別として、なおさら、様子を見る時間をもっとあたえなければならない。いまのところ、この問題でのおもな欠点は、多くのところで党の指導が追いつかないことである。これらの指導者たちは、運動ぜんたいの指導をしっかり掌握しておらず、一つの省、一つの県、一つの区、一つの郷の全般的な企画をたてておらず、ただあれやこれやと手当たりしだいにやるだけで、主動的に、積極的に、喜びにあふれ、心から歓迎し、全力をかたむけて事にあたるという精神に欠けている。こうして、下では運動が幅広くくりひろげられているのに、上では関心がたりないという大きな問題がうまれ、当然、いくらかの混乱がおこることになる。われわれは、これらの混乱を目にしたさい、指導をつよめ、計画性をつよめるのではなく、消極的になって運動の前進をとめたり、いそいで一部の協同組合を「きりすて」たりしようとしている。こんなことをするのは、もちろんまちがっており、さらに多くの混乱をひきおこすにちがいない。
われわれはここに、『農業生産協同組合をいかに運営するか』〔1〕という本を編集した。この本に収録されているのは、各省、市、自治区の実例、あわせて百二十数編である。これらの資料の大部分は一九五五年一月から八月にかけてのもので、一九五四年後半のものも一部ふくまれている。これらの資料は、ほとんど各省、市、自治区の党内の刊行物からえらんだもので、そのほかに、新聞からえらんだもの数編、下級の党委員会あるいは活動家から上級の党委員会におくられた報告数編、ある協同組合の主任を北京にまねいて話してもらった談話の記録一編がある。これらの資料は字句をいくらか改めただけで、内容はもとのままである。われわれは、いちぶの資料にすこしばかり評語を書いた。いくつかの資料についているもとの刊行物の編集者の評語と区別するため、われわれの書いた評語には、「本書編集者」と記しておいた。われわれは、これらすべての資料にしめされている筆者の観点は正しいか、あるいは基本的に正しいと考えている。読者は、これらの資料から、全国の協同化運動の規模、方向とその発展の未来図を見てとることができよう。これらの資料は、運動が健全であることをしめしている。混乱がおきたところでは、いずれも党委員会がよく指導していなかったのである。党委員会が中央の方針にもとづいて積極的に適切な指導をするようになると、そこの問題はただちに解決された。これらの資料はひじょうに説得力があり、いまなおこの運動にたいして消極的な人たちには積極的な態度をとらせ、いまなお協同組合をどう運営するのかわからない人たちにはその運営の方法を見つけ出させ、なにかにつけて協同組合を「きりすて」ようとする人たちにたいしては、なおさらのこと、その口をつぐませることができる。
数億にのぼる農民のなかで農業の社会主義的改造をすすめるというのは、なかなかたいした仕事である。全国的にいえば、まだそれほど時間をかけていないし、まだそれほど経験をつみあげたともいえない。とりわけ、われわれがまだ全党で幅広い、強力な宣伝活動をすすめていないため、多くの同志はこの問題に目をむけておらず、この運動の方針、政策、方法をはっきり理解しておらず、したがって党内の意志はまだ統一されていない。わが党は、まもなく中央委員会第六回総会をひらいて、この問題を討議し、これについての新しい決議を採択することになっている。われわれは、この決議にもとづいて、幅広い、強力な宣伝活動をすすめ、全党の意志を統一していかなければならない。本書の出版は、この宣伝活動にいくらか役立つであろう。
これは、農村で活動している人びとに読んでもらうための資料集である。もともと、本書のはしがきは九月に書きあげてあった〔2〕。三ヵ月すぎた現在では、そのはしがきもすでにふるくなっているので、あらためて書きなおすほかはない。
それは、こういうわけである。本書は二回編集された。いちどは九月、もういちどは十二月である。さいしょの編集のときには、百二十一編の資料を収録した。これらの資料に反映されていたのは、大部分が一九五五年前半の状況であり、一部が一九五四年後半の状況であった。当時、これらの資料を見本刷りにして、一九五五年十月四日から十一日にかけての中国共産党第七期中央委員会第六回総会(拡大会議)に参加した各省委員会、市委員会、自治区委員会および地区委員会の責任者に配布して読んでもらい、その意見をもとめた。かれらは、資料をいくらか補充する必要があると考えた。会議ののち、大多数の省、市、自治区から補充資料がおくられてきた。
これらの資料のなかには、一一九五五年後半の状況を反映しているものがたくさんあったので、あらためて編集しなおす必要が生じた。われわれはもとの百二十一編から三十編をけずって、九十一編をのこし、あらたにうけとった資料から八十五編をえらびだし、あわせて百七十六編、約九十万字を、現在のこの本にまとめたのである。本書に収録された資料は、いずれも、編集にあたった数人の同志がすこし字句をあらため、理解しにくい用語には多少注釈をつけ、さらに問題の性質におうじて分類索引をつくった。このほか、いくらかのまちがった思想に批判をくわえ、いくらかの提案をおこなうため、われわれはまた、いちぶの資料にすこしばかり評語を書いた。いくつかの資料についているもとの刊行物の編集者の評語と区別するため、われわれの書いた評語には「本書編集者」と記しておいた。これらの評語は、九月と十二月の二回にわけて書いたので、語調のうえでも多少のちがいがある。
だが、問題はたんに資料の面にあるのではない。問題は、一九五五年の後半に、中国の状況に根本的な変化がおこったことにある。中国の一億一千万世帯の農家のうち、現在(一九五五年十二月下旬)までに、中国共産党中央の呼びかけにこたえて、半社会主義的な農業生産協同組合に加入した農家は、すでに六〇パーセント以上、つまり七千余万世帯に達する。わたしは、一九五五年七月三十一日におこなった農業協同化の問題についての報告のなかで、協同組合に加入した農家数は千六百九十万世帯だとのべたが、それから数ヵ月のあいだに、五千数百万世帯の農家が協同組合に加入したのである。これは、たいした出来事である。このことは、あと一九五六年の一年だけで、農業面における半社会主義的な協同化が基本的になしとげられるであろうということ、さらに三年か四年すれば、すなわち一九五九年か一九六〇年になれば、協同組合の、半社会主義から社会主義への転化が基本的になしとげられるであろうということを、われわれにしめしている。このことは、中国の手工業と資本主義工商業の社会主義的改造も多少くりあげてなしとげるよう努力すべきであり、そうしてこそはじめて、農業発展の必要にこたえられるのだということを、われわれにしめしている。このことは、中国の工業化の規模と速度、科学、文化、教育、医療・衛生といった諸事業の発展の規模と速度が、もはやこれまで考えていたとおりであってはならず、いずれも適当に規模を拡大し、速度をはやめなければならないということを、われわれにしめしている。
農業協同化のテンポはこんなにはやいが、それは健全な状態ですすめられているのであろうか。まったく健全である。すべての地方の党組織がこの運動を全面的に指導した。農民がじつに熱心に、じつに秩序ただしくこの運動に参加した。かれらの生産意欲は、かつてないほどもりあがった。きわめて広範な大衆がはじめて、はっきりと自分たちの将来を見てとったのである。三つの五ヵ年計画が達成されるとき、すなわち一九六七年になれば、食糧その他の多くの農作物の収穫高は、人民共和国成立以前の最高年間収穫高とくるべて、一〇〇パーセントから二〇〇パーセントふえるであろう。文盲は、わりあい短期間(たとえば七年ないし八年)に一掃できるであろう。人民にきわめてひどい危害をあたえていた疾病、たとえば住血吸虫病なども、これまで不治の病とされていたが、いまではその対策がとられるようになった。要するに、大衆はすでに自分たちの偉大な前途を見てとったのである。
いま、全党と全国人民のまえに提起されている問題は、もはや農業の社会主義的改造の速度の面での右よりの保守思想を批判するというような問題ではなくなっている。この問題はすでに解決された。それはまた、資本主義工商業において業種別に全面的な公私合営を実行する速度の問題でもなくなっている。この問題もすでに解決された。手工業の社会主義的改造の速度の問題は、一九五六年の前半には討議すべきであるが、この問題も容易に解決されるであろう。現在の問題は、これらの面にあるのではなくて、他の面にある。つまり、農業の生産、工業(国営、公私合営および協同組合経営をふくむ)と手工業の生産、工業と交通運輸業の基本建設の規模と速度、商業と他の経済部門との協力、科学、文化、教育、医療・衛生などの諸活動とさまざまな経済事業との協力、といった面がそれである。これらの面では、いずれも状況にたいする過小評価という欠点があり、全般的な状況の発展に歩調をあわせるためには、すべてそれを批判し、克服していくべきである。人びとの思想は、すでに変化した状況に適応しなければならない。もちろん、どんな人でも、根拠なしに勝手な妄想にふけってはならず、客観的状況のゆるす条件をこえて自分の行動を計画してはならず、実際にできもしないことを無理にやってはならない。だが、現在の問題は、やはり右よりの保守思想が多くの面でわざわいしており、このために多くの面での活動が客観的状況の発展に適応できないということである。現在の問題は、もともと努力すればやれることを、多くの人がやれないと考えていることである。したがって、たしかに存在しているこれらの右よりの保守思想をたえず批判することは、ぜひとも必要である。
この本は、農村で活動している同志たちに読んでもらうためのものである。都市の人びとが読んでもよいだろうか。読んでもよいばかりか、読まなければならない。これは新しい事がらである。都市で、毎日のように、社会主義事業の新しい事がらが芽ばえているのと同じように、農村にも、毎日のように、それが芽ばえている。農民はいまなにをやっているのか。農民のやっていることは、労働者階級、知識分子およびすべての愛国人士がやっていることと、どんな関係があるのか。これらの点を理解するためには、農村関係の資料に目を通してみるのもよいことである)。
農村の現状をより多くの人びとに理解してもらうため、われわれは百七十六編の資料のうちから四十四編、約二十七万字の文章を抜きだして、簡略版をつくり、全巻を読みきれない人びとにも、この問題にふれてもらうようにするつもりである。
〔1〕 正式に出版されたときには、書名を『中国農村における社会主義の高まり』と改めた。
〔2〕 「はしがき 一」をさす。
(一九五五年九月、十二月)
毛沢東同志は『中国農村における社会主義の高まり』という本を編集したさい、百四編の評語を書いた。ここに収録したのは、そのうちの四十三編である。一九五八年三月、中国共産党中央政治局拡大会議が成都でひらかれたさい、評語の一部がふたたび印刷された。このために、一九五八年三月十九日、毛沢東同志は全文次のような説明を書いた。「これらの評語は『中国農村における社会主義の高まり』という本におさめたもので、一九五五年の九日と十二月に書いた。そのうちの一部はいまなおその意義を失ってはいない。だが、そのなかに、一九五五年は社会主義が資本主義との決戦で基本的な勝利をおさめた年だ、とのべているところがある。こういう言い方は妥当ではない。一九五五年は、生産関係の所有制の面で基本的な勝利をおさめた年であるが、生産関係のその他の面、および上部構造のいくつかの面、すなわち思想戦線の面と政治戦線の面では、まだ基本的な勝利をおさめていないか、あるいはまだ完全な勝利をおさめておらず、なお今後の努力に待たなければならない、というべきである。われわれは、一九五六年に国際面であれほど大きな風波が立つとは予想しなかったし、おなじ年に国内面で大衆の積極性をくじく『反暴走』事件がおこるとも予想しなかった。この二つのできごとは、いずれも、右派の狂気じみた攻撃にかなり油をそそぐことになった。ここから得た教訓は、社会主義革命も社会主義建設も順風に帆をあげた状態ですすめられるものではなく、われわれは国際、国内の両面でおこりうる数かずの大きな困難に対処する用意がなければならない、ということである。国際面からいっても、国内面からいっても、全般的な情勢は有利であり、この点は疑いがない。だが、数かずの大きな困難がおこるにちがいないから、われわれはそれに対処する用意がなければならない。」
この文章はよく書けており、本書の第一編として読者に推薦する価値がある。この文章が冒頭でのべているように、自分にはわからなくて、人に聞かれると困る、だから「組合をよけて通る」という人は、いま、各地にまだ少なからずいる。「断固として縮減する」、つまり命令をくだして協同組合を大量に解散するというやり方も、「組合をよけて通る」現われの一つである。ただ、かれらは消極的に避けるのではなく、いっそのこと多くの協同組合を一刀のもとに「きりすて」(かれらのことば)、ひじょうに積極的な態度をとるにすぎない。かれらは手にだんびらを握っており、一太刀あびせれは、やっかいな問題をよけられるというしだいだ。かれらは、協同組合づくりにはあれやこれやの困難があるといっており、その困難ときたらまったく想像もつかないほどのものだそうである。だが、このような言い草は、全国の数えきれないほどの事例によって論破されている。河北省遵化県の経験は、こうした事例の一つにすぎない。一九五二年には、ここの人は、協同組合をどうつくったらよいのか、だれもわからなかった。かれらの解決策は学習することであり、かれらのスローガンは「書記みずから取りくみ、全党で組合づくりにあたろう」というものであった。その結果、「わからない状態から、わかるようになり」、「少数の者がやれるところから、多数の者がやれるようになり」、「区の幹部の組合づくりから、大衆の組合づくりになった」。河北省遵化県の第十区では、十一の郷の四千三百四十三世帯が、一九五二年から一九五四年までの三年間に、半社会主義的性質の段階での協同化を基本的になしとげ、組合に加入した農家の数は全区の農家の八五パーセントを占めるようになった。この区の農業、林業、牧畜業など各部門の生産量は、一九五四年を一九五二年に比べてみると、食糧が七六パーセント、樹木が五六・四パーセント、果樹が六二・八七パーセント、羊が四六三・一パーセントそれぞれふえている。
そこで、われわれとしては次のような問題を提起する理由が出てくる。ここではこのようにやれるのに、ほかのところではなぜこのようにやれないのか。もしもやれないとしたら、きみたちの理由はどこにあるのか、と。わたしの見るところ、理由は一つしかない。つまり、やっかいなことをいやがること、もうすこし率直にいえば、右翼日和見主義である。それだから、「組合をよけて通る」のであり、書記がみずから取りくまず、全党で組合づくりにあたろうとしないのであり、わからないことはいつまでもわからず、やれる者はいつまでも少数で、組合づくりに取りくむのはいつまでも区の幹部だけとなるのである。ざもなければ、手にだんびらをもち、やっかいな問題をもち出す協同組合に出くわすと一太刀あびせるのである。このような理由があるかぎり、何事もなしえない。われわれは、「積極的に指導し、着実に前進しよう」、「全面的に計画し、指導を強化しよう」といったスローガンをうち出したが、同時にまた、遵化県の同志たちのうち出した「書記みずから取りくみ、全党で組合づくりにあたろう」というまったく正しいスローガンにも賛成している。遵化県では、「積極的に指導し、着実に前進し」ていないとでもいうのだろうか。また、「全面的に計画し、指導を強化し」ていないとでもいうのだろうか。もちろん、そうではない。では、これは危険であるのかどうか。「暴走」であるのかどうか。危険は「組合をよけて通る」ことにあるのだ、この点は遵化県の同志たちがすでに克服している。危険はまた「暴走」を口実に、協同組合を大量に「きりすてる」ことにあるのだ、この点は遵化県ではおこらなかった。さらに、「協同組合の発展の速度が大衆の自覚の程度と幹部の指導能力の水準をこえている」などというにいたっては、遵化県の状況をどう説明するのか。ほかでもなく、そこの大衆が協同化を要求したのであり、そこの幹部がわからない状態からわかるようになったのである。だれにも目があるのだが、遵化県でなにか危険を見いだせる人がいるだろうか。三年のあいだに、一歩一歩、協同化が実現したことによって、食糧が七六パーセント、樹木が五六・四パーセント、果樹が六二・八七パーセント、羊が四六三・一パーセントそれぞれふえた。これを一種の危険であるとか、「暴走」であるとか、「大衆の自覚の程度と幹部の指導能力の水準をこえている」とか、といえるだろうか。
遵化県の協同化運動のさい、王国藩協同組合というのがあって、二十二世帯の貧農がロバの足三本①しかもっておらず、「すかんぴん組合」とよばれていた。かれらはみずからの努力で、三年のあいだに大量の生産手段を「山からとってきた」②が、一部の参観者はそれを見て、感激の涙を流した。これこそわが国ぜんたいの姿である、とわたしはおもう。六億のすかんぴんがみずからの努力で、数十年内に、富み栄えた、強大な社会主義国に変えられないとでもいうのだろうか。社会の富は、労働者、農民、勤労知識分子がみずから創造するのである。これらの人びとが自分の運命をその手ににぎり、またマルクス・レーニン主義の路線を導きとし、問題を回避するのではなく、積極的な態度で解決していきさえすれば、世の中のいかなる困難も解決されるにちがいない。
最後に、われわれはこの無署名の文章の筆者に感謝する。筆者はあふれるような熱情、生きいきとした筆致で、一つの区の協同化の過程をこと細かに書いている。これは、全国の協同化の事業に少なからず貢献するであろう。どの省、どの専区、どの県でも、このような文章を一編ないし数編、書いてほしいものである。
(「書記みずから取りくみ、全党で組合づくりにあたろう」という文章の評語)
二
中国では、多くの人にとって、一九五五年は迷信打破の年であったといえる。一九五五年の前半、多くの人はいくつかの事がらにたいしてまだあれほど自分の信念をもちつづけていたが、後半になると、もうもちつづけることができず、新しい事物を信ずるほかはなくなった。たとえば、かれらはこう考えていた――大衆が「三年で協同化しよう」などといっているのは、幻想にすぎない。協同化のテンポは北部では速かろうが、南部ではそうはいかない。立ちおくれた郷では、協同組合をつくれない。山間地帯では、協同組合をつくれない。少数民族地域や民族雑居地域では、協同組合をつくれない。被災地区では、協同組合をつくれない。協同組合をつくるのはやさしいが、それを固めるのはむずかしい。農民はあまりにも貧乏で、資金を工面しようがない。農民は読み書きができないから、会計係が見つからない。協同組合をつくればつくるほど、もめごともそれだけ多くなる。協同組合の発展の速度は、大衆の自覚の程度と幹部の経験の水準をこえている。党が食糧の統一買付・統一販売の政策と協同化の政策をとっているため、農民の生産意欲が落ちている。協同化の問題で共産党がいそいで「馬から降り」なければ、労農同盟が破壊されるおそれがある。協同化をすれば、大量の過剰労働力がうまれ、その使いみちが見いだせなくなる、などなど。このほかにも、まだたくさんあげることができる。要するに、いずれも迷信である。これらの迷信は、一九五五年十月の中国共産党第七期中央委員会第六回総会(拡大会議)で批判されてから、ひとつ残らず打破された。いま、全国の農村ではすでに社会主義的改造の高まりがあらわれており、大衆は喜びに沸きたっている。このことは、すべての共産党員につぎのような深い教訓をあたえている――大衆のなかにはこれほど大きな社会主義的積極性がひそんでいるのに、あろうことか、多くの指導機関は数ヵ月前まで気がつかず、あるいは少ししか父がつかなかった、これはなぜだろうか。指導者たちの考えていたことは、広範な大衆の考えていたこととあれほど食い違っていた、これはなぜだろうか。このことを教訓として、今後、類似した事がらや問題に出あったばあい、どう処理したらよいだろうか。答えは一言につきる。つまり、大衆から浮きあがってはならず、大衆の積極性を本質的な面から発見することに長じなければならない、ということがそれである。
(「立ちおくれた農村といわれているところでも、すべてが立ちおくれているわけではない」という文章の評語)
一つ一つの地方についていえば三年内に初級形態の協同化が実現できるということを信じない人びと(三年で協同化しようというスローガンは大衆の提起したものだが、日和見主義者から批判された)、おくれて解放された地区でも旧い解放区と同時に協同化が実現できるということを信じない人びと――こうした人びとには、ひとつ、江蘇省昆山県のこの郷をみてもらいたい。ここは三年で協同化したのではなく、二年で協同化したのである。ここは旧い解放区ではなく、まぎれもなくおくれて解放された地区である。この解放区が多くの旧解放区の先へすすんでしまったのだ。どうにもいたし方がないではないか。それをひきもどせるとでもいうのだろうか。もちろん、そんなことはできはしない。日和見主義者はかぶとをぬぐよりほかはない。大衆のなかには、きわめて大きな社会主義的積極性がひそんでいる。革命の時期にも型にはまった行動しかとれない人間には、こうした積極性がぜんぜん目に見えないのだ。かれらはめくらも同然で、その前にあるのは一面の暗やみだけである。かれらは、ときにはまったく是非を転倒し、黒白を混同するようなことまでしでかす。われわれはこうした人間をまだあまり見かけないとでもいうのだろうか。このような型にはまった行動しかとれない人間は、いつも人民の積極性を過小評価する。なにか新しい事物があらわれると、かれらはきまって賛成せず、まずひとしきり反対する。そのあとで、かぶとをぬぎ、すこしばかり自己批判をする。つぎの新しい事物があらわれると、かれらはまたこの二とおりの態度をひとわたりくりかえす。その後も、さまざまな新しい事物があらわれるたびに、すべてこうした方式で処理していく。こういう人間はいつも受け身で、かんじんなときになるといつも足踏みをし、いつも他人に背中をどやしつけられないと一歩も踏みだそうとしないのである。いったい、いつになったら、こうした人間がひとりだちで歩き、しかもまともに歩けるようになるのだろうか。こうした病気をなおす方法はある。いくらかの時間をさいて大衆のなかへはいっていき、大衆がなにを考え、なにをしているかを見てまわり、そのなかから先進的な経験をさがしだして、それをおしひろめることである。これは、右よりという頑固な病気にきき目のある処方だ。ひとつ、ためしてみるよう、おすすめしたい。
(「この郷は二年で協同化した」という文章の評語)
これはいい文章だ。この文章を読めば、ウイグル族の農民は協同化の道をあゆもうとする積極性がひじょうに高い、ということがわかる。かれらは、半社会主義的な協同化の実現に必要な幹部もすでに養成している。少数民族のあいだでは協同化はやれないという者もいるが、それは正しくない。われわれはすでに、蒙古族、回族、ウイグル族、ミャオ族、チワン族、その他いくつかの民族がつくった少なからぬ協同組合、あるいはいくつかの民族の人民が共同でつくった協同組合を目にしており、しかも、それらがりっぱな成績をあげたのを知っている。このことは、少数民族を軽視する例の人たちの誤った観点を反駁するものである。
(「郷と村の幹部には組合づくりを指導する能力がある」という文章の評語)
この文章はいい。多くの人を説得することができる。この地方の党組織は、協同化の問題で、いちども動揺したことがない。この党組織が協同組合をつくりたいという貧しい農民の要求を断固支持したので、かれらは富裕中農との競争に勝利をおさめた。このため、小さい組合が大きい組合に変わり、年々収穫がふえ、三年たらずのうちに村ぜんたいの協同化が実現した。富裕中農は、「すかんぴんどもが協同組合をつくるんだとさ。鶏の羽が天まで飛んでいくなんて、お目にかかったこともない」といっていた。ところが、鶏の羽はちゃんと天まで飛んでいったのだ。これこそ社会主義と資本主義との二つの道の闘争である。中国では、富農経済はひじょうに弱いが(土地改革の時期に、富農の半封建的部分の土地はとりあげられ、旧富農の大多数は作男をやとえなくなり、世間におけるかれらの評判もひじょうに悪い)、しかし、ゆたかな中農とわりにゆたかな中農の勢力はかなり強く、かれらは農村人口の二〇パーセントないし三〇パーセントを占めている。中国の農村では、二つの道の闘争の重要な面の一つは、貧農、下層中農と富裕中農との平和的競争をつうじてあらわれる。ここ二、三年のうちに、どちらが収穫をふやすか、つまり、単独経営の富裕中農が収穫をふやすか、それとも貧農と下層中農のつくった協同組合が収穫をふやすか、これを比べあうのである。はじめのうちは、一部の貧農と下層中農のつくった協同組合だけが単独経営の富裕中農と競争しており、大多数の貧農と下層中農はまだ様子をみていた。つまり、双方が大衆を争奪していたのである。富裕中農のうしろには地主と富農がひかえていて、かれらはときにはおおっぴらに、ときにはこっそりと富裕中農を支持していた。協同組合の側には共産党がついており、かれらは安陽県南崔荘の共産党員のように、断固として協同組合を支持すべきであった。ところが、残念なことに、すべての村の党支部がみなそのようにしたわけではない。こうしたところから混乱が生じたのである。まず、鶏の羽は天まで飛べるかどうかという議論についてである。もちろん、これは重大な問題だ。数千年らい、鶏の羽が天まで飛んでいくなど、だれも見たことがない。それはあたかも真理のようにみえる。もしも党がこれに批判をくわえないなら、多くの貧農と下層中農はとまどいを感じるだろう。つぎには幹部の面、そのつぎには貸付金などの物質的な面で、もしも党と国家の支持が得られないなら、協同組合は大きな困難にぶつかるだろう。富裕中農が、鶏の羽は天まで飛べないといった大昔からの真理をあえて宣伝したのは、ほかでもなく協同組合がまだ収穫をふやしておらず、貧しい協同組合がまだゆたかな協同組合になっておらず、少数の孤立した協同組合がまだ何千何万という協同組合にまで発展していなかったからである。それはまた、党が全国的な範囲で協同化の利点を大々的に宣伝していなかったからであり、「鶏の羽は天まで飛べない」という昔の真理が、社会主義の時代ではもはや真理ではなくなったことを、まだはっきりと指摘していなかったからである。貧しい人たちが立ちあがろうとしている。旧い制度が滅び、新しい制度がうまれようとしている。鶏の羽がたしかに天まで飛んでいこうとしている。ソ連では、すでに天まで飛んでいった。中国では、いま天まで飛んでいきつつある。世界中どこでも、天まで飛んでいくようになるにちがいない。われわれの多くの地方党組織は、貧しい農民に断固とした支持をあたえることができなかったが、これを全部それらの党組織のせいにするわけにもいかない。それというのも、上のほうでまだ日和見主義の思想に致命的な打撃をあたえておらず、協同化のための全面的な計画もたてておらず、そのうえ、全国的な範囲でこの運動にたいする指導をつよめることもしていなかったからである。一九五五年、われわれがこれらの仕事をすすめたので、数ヵ月で情勢はすっかり変わってしまった。様子をみていた広範な大衆は、つぎつぎと協同化の側に立つようになった。富裕中農も口ぶりをかえた。一部のものは組合への加入を申し出ており、一部のものは加入を申しこもうとしている。いちばん頑固なものでも、もう鶏の羽が天まで飛べるかどうかという問題について、とやかく言えなくなった。地主と富農はすっかりしょげてしまった。これは、治安を攪乱したり、協同化を破壊したりした反革命分子を人民政府が処罰したこととも関係がある。要するに、一九五五年の後半には、わが国の階級的な力関係に根本的な変化がおこって、社会主義が大いに前進し、資本主義が大いに後退したのである。一九五六年にもう一年努力すれば、過渡期における社会主義的改造の土台は根本からきずきあげられるであろう。
(「鶏の羽は果たして天まで飛べないか」という文章の評語)
多くの地方にほとんど普遍的に存在しており、広範な貧農、下層中農大衆が協同化の道をすすむのをさまたげている党内の右翼日和見主義者は、社会の資本主義勢力とたがいに呼応しあっている。こうした状況を、この文章は適切に描いているといえる。作者はかぎりない怒りに燃えて日和見主義者を叱責し、貧しい農民を支持している。一部の者は、共産主義者を名のりながら、いまやらなければならない社会主義の事業にはほとんど興味をしめさない。かれらは、熱意に燃えた大衆を支持しないばかりか、大衆に冷や水をあびせかける。一九五五年は、まさしく、中国で社会主義と資本主義とが勝敗を決する年であった。この決戦は、まず中国共産党中央の招集した五月、七月、十月の三回にわたる会議をへて表面化した。一九五五年の前半には、あれほど妖気がたちこめ、暗雲にとざされていた。ところが、一九五五年の後半になると、様子ががらりと変わって別の空模様となり、数千万世帯の農民大衆が行動に立ちあがって、党中央の呼びかけにこたえ、協同化をおしすすめた。編者がこの数行に筆を走らせているときまでに、全国ですでに六千万以上の農家が協同組合に加入している。それは大海のあれ狂う怒濤のごとくであり、すべての妖怪変化はおし流されてしまった。社会におけるさまざまな人物の正体は、はっきりと見わけられるようになった。党内でも同様である。この一年がすぎれば、社会主義の勝利はひじょうに確かなものとなるであろう。もちろん、行く手にはまだ多くの戦闘がひかえており、ひきつづき奮闘努力しなければならない。
(「日和見主義の邪気は消えうせ、社会主義の正気はみなぎる」という文章の評語)
これもたいへん興味のある文章である。潮流をはばもうとする日和見主義者はほとんどどこにでもいるとはいえ、潮流は到底はばみうるものではない。社会主義は、あらゆる邪魔ものをはらいのけ、いたるところで勝利のうちに前進しつつある。社会はこのように日ごとに前進しつつあり、人びとの思想は改造されつつある。革命の高揚期には、とくにそうである。
(「協同化運動のなかで、労働者の家族の積極性はひじょうに高い」という文章の評語)
これは人の胸をうつ文章だ。読者がよく読むよう希望する。わけても、広範な農民大衆に社会主義の道をあゆむ積極性があることを信じない同志と、ともすればだんびらを振りかざして協同組合を「きりすて」ようとする同志に、よく読んでもらいたい。いま、全国の農村では、社会主義の要素が毎日、毎時間のように増大している。広範な農民大衆が協同組合をつくることをもとめており、その大衆のなかからは、聡明で、能力のある、公正で、積極的な指導的人物がぞくぞくとあらわれている。このような状況には、人びとを大いに奮いたたせるものがある。最大の欠点はといえば、多くの地方で党の指導がまだ主動的に追いつこうとしていないことだ。当面の任務は、地方の各籾党委員会にこの問題でマルクス・レーニン主義の主動的立場をとらせ、農業協同化ぜんたいの責務をひきうけさせ、積極的に、喜びにあふれ、心から歓迎し、全力をかたむけて事にあたるという態度でこの運動を指導させることである。何年も社会主義を口にしながら、いざ社会主義がやってくると、こんどはそれをこわがるというような、葉公、竜をこのむ③式の故事をくりかえしてはならない。
(「指導者の意志にそむいて、大衆が自発的につくった協同組合」という文章の評語)
ここの路線は正しい。この郷にはすでに五つの農業生産協同組合、七つの連合互助組、三つの常設互助組、十四の臨時互助組があり、組織すべき農家の九八・四パーセントを占めている。一九五四年十二月以前、この郷の党支部は、まだ、その指導活動の重点を互助・協同化の面においておらず、党員も互助組を指導する活動で困難をおそれていた。支部がたよっていたのは、「書記みずから取りくみ、全党で組合づくりにあたろう」というやり方ではなく、工作組(上からそこに派遣された工作組のようである)であった。農業協同化の問題で、このように軟弱無能な状態にある農村の党支部は、いまなお全国に少なくない。支部ばかりでなく、おそらく一部の上級党委員会もそうであろう。この点が問題なのだ。わが国農業の社会主義的改造が国の工業化に歩調を合わせられるかどうか、協同化の運動があまり欠点を出さずに、健全に発展し、増産を保証できるかどうかは、地方の各級党委員会がその指導の重点をすみやかに、正しくこの面にうつせるかどうかにかかっている。工作組は派遣しなければならないが、次のことをはっきりさせておく必要がある。つまり、工作組が行くのは、そこの党組織を助けるためであって、これにとって代わるのではなく、この組織に手も頭もつかわせず、もっぱら工作組にたよらせるというのではない。貴州省のこの郷は一九五四年十二月に活動態度を改めてから、わずか五ヵ月あまりで、ひじょうに大きな成績をあげた。ここでは工作組にたよらず、みずから取りくんだので、党員も困難をおそれなくなったのだ。このような転換をとげるには、なによりもまず各級党委員会の書記――省委員会と自治区委員会の書記、地区委員会と自治州委員会の書記、県委員会と自治県委員会の書記、区委員会書記と支部書記にたよらなければならず、かれらは農業協同化の全責務を負うべきである。面倒をおそれ、困難をおそれて、これほど偉大な任務を前にしてみずから取りくもうとせず、ただ農村工作部あるいは工作組にまかせるだけというような態度では、任務を完遂できないばかりか、多くのもめごとをひきおこすこととなろう。
(「鳳同県崇新郷では、どのように党支部の指導のもとで互助・協同化運動を展開したのか」という文章の評語)
本文の筆者は、県で協同組合主任の合同会議がひらかれてからこの協同組合は一時的請負の基礎のうえに季節的請負制を実施した、といっている。ここからもわかるように、県の指導はひじょうに重要である。われわれは、全国の二千数百県の県段階の指導機関が、全県の協同化運動の発展状況に細心の注意をはらい、問題を発見し、その解決策を検討するとともに、全県の協同組合の主任会議、あるいは全県の重点的な協同組合の主任会議をいちはやく招集して、決定をおこない、これをすみやかに実行するよう希望する。問題が山積し、数かずのもめごとがおこってから、やっと解決にのりだすようではだめである。指導部は運動に立ちおくれてはならず、かならずその先頭に立たなければならない。県の範囲内では、党の県委員会が主要な指導的役割を発揮すべきである。
(「季節的請負」という文章の評語)
この資料はひじょうに説得力がある。ある地方の協同化が健全に実現できるかどうか、これは党の政策と活動方法にかかっている。協同化の問題を処理するわが党の諸政策が正しいものでさえあれば、また、大衆を立ちあがらせて協同組合に加入させるさいのわが党の活動方法が命令主義的なもの、あるいは無造作なものではなく、大衆にむかって道理をとき、分析をおこない、もっぱら大衆の自覚と自由意思に依拠する方法でさえあれば、協同化をなしとげ、収穫をふやすのは、さほどむずかしいことではない。河北省[”刑”からりっしんべんを取り”おおざと”]台県東川口村は旧解放区で、全村の七十世帯が一九五二年以前に互助組に参加したこと、強力な党支部があること、また王志琪のように大衆から信頼されている指導的人物がいることなど、各方面の条件がそろっている。このため、同村は一九五二年に、わずか一ヵ月あまりで協同組合をつくり、半社会主義の協同化をなしとげた。条件がまだこの村ほどととのっていないところでは、どうしたらよいだろうか。それは条件をととのえることだ。数ヵ月、または一年、あるいはそれよりも少し長い時間があれば、足りるであろう。条件は、やりながらととのえていけばよい。一部の小型組合をつくることは、とりもなおざず、全村、全郷、全区の協同化の条件をととのえることである。東川口のこの資料はまた、党支部がどのように大衆にたいして宣伝教育活動をおこなったのか、どのように大衆の自覚と自由意思に依拠して協同組合をつくったのかという問題を重点的に説明している。そのなかのいわゆる「反面の宣伝」〔1〕は、大いに注目していいものである。なお、この資料には、労働組織と労働管理の面の問題についての紆余曲折の全過程が描かれ、その変化の結果、年ごとに増産するという大きな成果をおさめたことが書かれている。事実が立証しているように、この協同組合は健全である。すべての協同組合は、増産の有無と増産の幅を、自己が健全であるかどうかを検証するおもな基準としなければならない。
(「わずか一ヵ月あまりで全村の協同化を実現した」という文章の評語)
この資料は、混乱状態にあるどのような協同組合も整頓できる、という真理を物語っている。協同組合に加入しているのはみな働く農民であるから、その各階層の意見がどんなにあわなくても、結局はまとめることができるのである。一部の協同組合は、ある期間、たしかに混乱していたが、その唯一の原因は、党の指導が得られず、党が大衆にその政策と方法をはっきり説明していなかったことにある。「組合をつくるのがよいことだというのは、おれたちも知っている。だが、組合をつくったあと、県委員会も、区委員会も、支部もおれたちをかまってはくれなかった。たぶん、おれたちの村が貧しくて、ろくなものが食べられず、ろくなところに住めないので、おれたちの組合には来なかったのだろう。」混乱というのは、ほかでもなく、ここに原因があるのだ。党の指導が得られなければ、もちろん混乱する。指導があたえられれば、混乱はたちどころにおさまるであろう。この資料はまた、立ちおくれた農村で協同組合をつくれるかどうかという問題を提起している。それにたいする答えは然りである。本文の筆者が書いているこの協同組合は、ほかでもなく、立ちおくれた村にある。全国には立ちおくれた農村がほぼ五パーセントあるが、そこでも協同組合をつくるべきであり、組合づくりの闘いのなかで、その地方の立ちおくれた状態をなくしていくべきである。
(「混乱した協同組合が整頓された」という文章の評語)
これは、普遍的にみられる重大な問題である。各檄の党委員会も、農村へ派遣されて協同化の指導にあたっている同志たちも、この問題には十分注意をはらうべきである。協同組合の指導機関では、現在の貧農と新しい下層中脂の優勢を確保し、旧い下層中農と新旧の上層中農を補助的な力としなければならない。こうしてこそ、党の政策にもとづいて、貧農と中農との団結を実現し、協同組合を強固にし、生産を発展させ、全農村の社会主義的改造を正しくなしとげることができるのである。この条件がなければ、中農と貧農を団結させることも、協同組合を強固にすることも、生産を発展させることもできず、全農村の社会主義的改造を実現することもできない。多くの同志は、この道理がわかっていない。かれらの考えによると、貧農の優勢を確保することは、土地改革の時期には必要であった。それというのも、当時、農村人口の五、六〇ないし七〇パーセントを占める貧農はまだ中農になっていなかったし、中農は土地改革について動揺していたので、当時はたしかに貧農の優勢を確保する必要があったからである。だが、いまは農業の社会主義的改造をおこなう時期であって、以前の貧農は大部分が新中農になっているし、旧中農は生産手段をたくさんもっていて、その参加なしには協同組合の生産手段不足の問題を解決することができない。したがって、いまは貧農に依拠するとか貧農の優勢を確保するとかのスローガンを提起すべきでなく、こうしたスローガンは協同化のためにならないと、これらの同志は考えているのである。われわれは、このような見解はまちがっていると思う。労働者階級と共産党は、社会主義の精神と社会主義の制度によって全農村における生産手段の小農私有制を徹底的に改造しようとするなら、かつて半プロレタリア階級であった広範な貧農大衆に依拠してこそ、わりあい順調にやりとげることができ、ざもなければ、ひじょうな困難につきあたることになるだろう。なぜなら、農村の半プロレタリア階級は、生産手段の小農私有制にわりあい執着しないし、社会主義的改造をわりあいうけいれやすい人たちであるからだ。かれらのうちの大部分は、いまではもう新中農になっているが、一部の新しい富裕中農をのぞいて、その大多数は旧中農にくらべると、政治的にわりあい高い自覚をもっており、苦しかった過去の生活をやはり容易におもいおこすことができる。このほか、旧中農のうちの下層中農も、その経済的地位と政治的態度は、新中農のうちの下層中農にわりあい近く、新旧中農のうちの上層中農、すなわち、ゆたかな中農やわりあいゆたかな中農とはちがっている。したがって、われわれとしては、協同化の過程で、まず、(一)現在まだ困難な状態にある貧農、(二)新中農のうちの下層中農、(三)旧中農のうちの下層中農という、社会主義的改造をわりあいうけいれやすい三つの部分に属する人たちを何回かにわけて、協同組合に加入するようみちびくとともに、かれらのなかから自覚がわりあい高く、組織能力もわりあいすぐれている一部の人を選びだして養成し、協同組合の指導的骨幹を形成するよう、心がけなければならない。とくに、現在の貧農と新しい下層中農のなかからこうした骨幹を選ぶよう心がけるべきである。それは農村で階級構成の区分をもう一度やりなおすというのではなく、協同化の過程で、党の支部と農村へ派遣されて指導にあたる同志たちとが注意ぶかく把握しなければならない方針である。この方針は農民大衆にはっきりと知らせるべきである。われわれはなにも、富裕中農は組合に加入してはならない、などというのではない。富裕中農は、その社会主義的自覚が高まり、組合に加入したいと表明し、しかも貧農(現在の貧農と、もと貧農であったすべての新しい下層中農をふくむ)の指導にしたがうという気持ちになったときに、はじめて組合に加入させるのであって、かれらが組合に加入したくないとき、かれらの役牛や農具を目当てに、むりやり組合に加入させてはならない、というのである。すでに組合に加入していて、しかも残っていたいと望む者は、そのままにしておく。脱退したいといってきても、説得によって翻意した者は、残してもよい。生産手段が多少すくなくても協同組合をつくれるということは、貧農と下層中農のつくった多くの協同組合によってすでに証明ずみである。われわれはなにも、富裕中農はひとりも協同組合の幹部になれない、などというのではない。社会主義的自覚が高く、公正で、能力があり、組合の大多数の人から敬服されているごく少数の富裕中農は、幹部になってもよい。だが、協同組合はかならず貧農(もう一度いうが、現在の貧農と、もと貧農であったすべての新しい下層中農をふくむ。かれらは農村人口の多数あるいは大多数を占めている)の優勢を確保しなければならない。組織構成の面では、かれらが約三分の二を占めなければならず、中農(旧下層中農と新旧二つの部分の上層中農をふくむ)は約三分の一を占めるにとどめ、またそのぐらいは占めるべきである。協同組合の指導方針の面では、貧農と中農の相互利益の政策を実行すべきであり、どちらの利益をもそこなってはならない。そのためには、やはり貧農の優勢を確保しなければならない。中農が優勢を占める協同組合では、どうしても貧農がおしのけられ、貧農の利益がそこなわれることになる。湖南省長沙県高山郷の経験は、貧農の優勢を確保し、それによって中農としっかり団結することが、必要でもあるし、また可能でもあるということ、もしもそうしないなら、それがどんなに危険であるかということを、あますところなくわれわれに教えている。本文の筆者は、党の路線を完全にわきまえている。まず緊急な増産任務をなしとげてから、指導の面で貧農の優勢を確保するということ、このやり方も正しい。その結果、貧農は大いに意気があがり、中農もひじょうに心服している。本文の筆者はまた、混乱状態にある協同組合は果たして解散したほうがよいのか、それとも混乱状態から健全な状態へむかうよう整頭したほうがよいのか、このような協同組合は整頓し、強固にすることができるのかどうか、という大事なことをわれわれに教えている。本文の筆者はじゅうぶんな説得力をもって、「三級組合」は解散すべきでなく、整頓すべきであると、われわれに教えている。整頓をすれば、三級組合も完全に一級組合に変えることができるのである。このような経験は、長沙県高山郷の一ヵ所にとどまらず、全国各地にもすでに少なくない。
(「長沙県高山郷の武塘農業生産協同組合は、どのようにして中農が優勢を占めている状態から貧農が優勢を占める状態に転化したのか」という文章の評語)
ここでのべている問題は、普遍的な意義をもっている。中農とは団結しなければならず、中農と団結しないのは誤りである。だが、労働者階級と共産党は農村で、だれに依拠して中農と団結し、全農村の社会主義的改造を実現するのか。もちろん、貧農しかない。以前、地主と闘争して、土地改革をおこなったときもそうであったし、いま、富農その他の資本主義的要素と闘争して、農業の社会主義的改造をおこなうときもやはりそうである。この二つの革命のどちらの時期にも、中農は、最初の段階で動揺した。中農は大勢を見きわめ、革命がまさに勝利しようというときになって、はじめて革命の側につくのである。貧農は中農にはたらきかけ、中農を自分たちの側に獲得して、革命を日一日とひろげていき、最後の勝利をかちとるようにしなければならない。現在の農業生産協同組合の管理委員会には、以前の農民協会のばあいと同じように、旧い下層中農と、自覚がわりあい高く、代表性もある新旧の上層中農の一部を参加させなければならない。だが、その人数はあまり多すぎてはならず、約三分の一を占めるのが適当である。委員のなかの貧農(現在の貧農と、もと貧農であった新しい下層中農をふくむ)の人数は、約三分の二を占めるようにしなければならない。組合の主要な指導的幹部の職は、旧い下層中農と、自覚がひじょうに高く、たしかに公正で、能力もある若干の新旧の上層中農がひきつづき担任してもよいが、一般には貧農(もう一度いうが、現在の貧農と、もと貧農であったすべての新しい下層中農をふくむ)が担任すべきである。福建省福安県では、貧農の指導する協同組合と中農の指導する協同組合が社会主義の事業にたいして異なった態度をしめしているが、こうした状況は普遍的にみられるのであって、個別的な現象とみなすべきではない。
(「福安県で『中農組合』と『貧農組合』がうまれたことの教訓」という文章の評語)
この資料は役に立つものであり、各地で注意をはらうべきである。この資料は、農村における各階層の動きを描いている。貧農は、協同化にたいして、いちばん積極的である。多くの中農は、「もう少し様子を見よう」としており、「組合の外でのんびり」したがる。かれらは主として、自分の生産手段を組合にいれたばあい、協同組合がかれらに損をさせるかどうかを見ようとするのであり、その態度はああもなれば、こうもなるのである。多くの富裕中農は、協同化にたいして大きな抵抗を感じている。なかでも、態度のいちばんわるい者は、自分の生産手段を売りとばしたり、資金をかくしたり、にせの協同組合をつくったりしており、ごく少数ではあるが、地主、富農とぐるになって悪事をはたらく者さえいる。われわれは、各地で農村工作にたすさわる同志たちがみな、地元の各階層の動きを注意ぶかく観察し、分析して、状況に通した政策をとるよう希望する。この資料は、協同組合には気をくばるが互助組をおろそかにするという誤った傾向にふれ、統一的な計画、全般的な配慮という意見を出しているが、これは正しい。「互助・協同網」という方法はよいもので、協同組合、互助組の双方に配慮をくわえるのであり、協同組合は互助組と単独経営農家が当面の生産上の難題を解決できるように、こころから援助するのである。貧農基金はすみやかに支給すべきである。いまなお協同組合に加入していない貧農には、いつ組合に加入してもすぐ、この基金をもらえることを知らせてやらなければならない。
(「新しい状況と新しい問題」という文章の評語)
この協同組合の方針は正しい。すべての協同組合はこのようにすべきである。各省は協同化の問題にかんする決議または指示のなかで、すべての協同組合は、労働能力がなくて寄る辺のない孤独な組合員(かれらを協同組合にいれるべきである)や、労働能力があっても暮らしむきのひじょうに苦しい組合員を助けて、かれらの困難を解決してやる責任がある、と指摘すべきである。目下のところ、多くの協同組合は、暮らしに困っている農家を助けるという社会主義の精神に欠けており、さらには貧農を完全に排斥さえしているが、これはまったく誤っている。現在、政府はすでに貧農基金を設けており、役牛や農具の面での貧農の困難解決を助けることはできる。だが、貧農のなかの一部農家の労働力不足という困難はまだ解決できないし、一部農家の端境期における食糧不足という困難も完全には解決できない。このような困難は、協同組合の広範な大衆の力に依拠してのみ解決できるのである。
(「湘潭県清風郷の党支部は貧しい組合員の困難解決を助けている」という文章の評語)
これはひじょうに興味のある物語だ。社会主義という新しい事物は、旧い事物とのきびしい闘争を経て、はじめてうまれてくるものである。社会の一部の者は、ある時期には、きわめてかたくなに旧い道をあゆもうとする。だが一他の時期になると、その同じ人びとがこんどは態度をかえて、新しい事物に賛成するようになる。富裕中農の大多数は、一九五五年の前半には、まだ協同化に反対していた。だが、後半になると、一部の者は態度をかえて――そのなかには、協同組合の指導権をにぎろうとする下心をもつ者もいくらかいたとはいえ――協同組合に加入したいと表明するようになった。他の一部の者はきわめて大きな動揺をみせており、口先では加入したいといっているが、腹のなかではあまり乗り気ではない。さらにもう一部の者は、かたくなにも、もっと様子を見ようとしている。この問題では、農村の党組織はこの階層にたいして、辛抱づよく待つ態度をとらなければならない。貧農と新しい下層中農の指導面における優勢を確保するためには、一部富裕中農の組合加入がすこし遅れるとしても、それはかえって有利である。
(「かれらは断固として協同化の道を選んだ」という文章の評語)
政治工作はすべての経済工作の生命線である。社会経済制度が根本的に変革される時期には、とりわけそうである。農業協同化運動は、はじめから、きびしい思想的・政治的闘争であった。どの協同組合も、このような闘争を経なければ、つくりあげることができない。まったく新しい社会制度を旧い制度の地盤のうえにうちたてるには、この地盤をはききよめなければならない。旧い制度の反映である旧い思想の残りかすは、なんといっても長いあいだ人びとの頭に残るもので、そうやすやすとひきさがりはしない。協同組合ができてからも、なお多くの闘争を経なければ強固にすることはできない。強固にしたあとも、すこしでも気をゆるめると、またつぶれるおそれがある。現に、山西省解虞県の三婁寺脇同組合は、強固にしたあと、気をゆるめたためにつぶれそうになった。その危機を克服して、ひきつづき発展する道をあゆむようになったのは、そこの党組織が自分の誤りを批判して、あらためて組合員大衆に資本主義反対、社会主義強化の教育をおこない、政治工作を復活してからのことである。私利私欲をはかるという資本主義の自然発生的傾向に反対するとともに、集団の利益と個人の利益との結合という原則をあらゆる言論と行動の基準にする社会主義の精神を提唱すること、これは、分散した小農経済をしだいに大規模な協同化経済へ移行させるための思想的、政治的な保証である。これは骨の折れる仕事であって、あらっぽい態度や単純な方法をとってはならず、ぜひとも農民の生活体験にもとづき、きわめて具体的に、きめ細かくおこなわなければならない。それは経済工作と結びつけておこなうべきで、それだけをきり離しておこなってはならない。こうした仕事については、全国的な範囲で、われわれはすでにかなり豊富な経験をもっている。本書にのせた文章のほとんどは、この特徴をしめしている。
(「重大な教訓」という文章の評語)
この文章の観点は正しい。協同組合では政治工作をりっぱにおこなうよう、強調しなければならない。政治工作の基本的任務は、農民大衆にむかって、たえず社会主義の思想をそそぎこみ、資本主義的傾向を批判することである。
(「張郭荘協同組合の政治工作」という文章の評語)
このような状況には、注意すべきである。ゆたかな農民のあいだには、ゆゆしい資本主義的傾向がある。協同化運動の過程でも、また、そのごのかなり長い期間でも、われわれがもし少しでも農民にたいする政治工作をゆるめるなら、資本主義的傾向はたちまち氾濫するであろう。
(「資本主義的傾向と断固たたかわなければならない」という文章の評語)
これは組合の整頓についてのよい経験で、推薦に値する。新しい社会制度がうまれるときには、それにともなって、大いにさけびたてるのがつねである。つまり、新しい制度の優越性を宣伝し、旧い制度の落後性を批判するのである。わが国の五億をこえる農民に社会主義的改造をおこなわせるという、天地をゆるがすような大事業は、波風の立たない状況のもとでなしとげられるわけがない。この事業のためには、われわれ共産党員が、旧い制度の重荷を背おっている広範な農民大衆にたいして、辛抱づよい、生きいきとした、わかりやすい宣伝・教育をおこなわなければならない。いま、全国各地ではこの仕事に取りくんでおり、農村工作の同志のなかから宣伝活動に長じた者がおおぜいあらわれている。この文章に書いてある「四つの比較、五つの計算」④は、二つの制度のうちどちらがよくて、どちらがわるいかを農民にわかりやすく説明する、とてもよい方法である。このような方法は、ひじょうに説得力がある。それは、宣伝のへたな一部の同志が、手もとには人の心を動かすようなものがなにもなく、ただ単純に「共産党の道をあゆむか、それとも蒋介石の道をあゆむか」などと言い、ひたすら高飛車に出て聴衆を圧服しようとするのとは、大いに異なる。それは、地元農民の経験と結びつけて、農民にきめ細かく分析してみせている。だから、ひじょうに説得力があるのである。
(「組合整頓のよい経験」という文章の評語)
反革命分子が協同化運動を破壊するのは、貴州省都匀県第五区だけの問題ではなく、普遍的にみられる問題である。だが、ほかの省のこの種の刊行物にはこの問題がほとんど反映されていない。農村工作にたずさわるすべての同志は、協同化の過程で、反革命分子の破壊活動との闘争に十分な注意をはらわなければならない。都匀県のこの区に見ならって、協同組合のなかに、共産党員と青年団員を骨幹とする防衛組織を設けるべきである。党の区委員会は、県委員会の指導と監督のもとに、状況を検討し、党の内外に宣伝と説明をおこない、反革命分子の破壊活動にたいする大衆の警戒心を高めたあとで、協同組合の指導機関にもぐりこんだ反革命分子とその他の悪質分子を審査し、粛清し、処分すること、これがぜひとも必要である。しかし、粛清するのは真の反革命分子と真の悪質分子でなければならず、よい人、あるいはなんらかの欠点があるだけの人を悪者あつかいしてはならない。処分はとりわけ適切でなければならず、県の認可を得なければならない。
(「反革命分子の破壊活動と断固たたかうべきである」という文章の評語)
広範な婦人大衆を動員して生産に参加させることは、偉大な社会主義社会を建設するうえで、きわめて大きな意義がある。生産のなかでは、男女の同一労働・同一報酬を実現しなければならない。真の男女平等は、社会ぜんたいの社会主義的改造の過程においてのみ実現できる。
(「婦人が労働戦線に進出した」という文章の評語)
この文章はいい、各地の参考になる。青年は社会ぜんたいのなかで、もっとも積極的で、もっとも生気にあふれた力である。かれらは学習意欲がもっともさかんで、保守的な思想がもっとも少ない。社会主義の時代には、とくにそうである。各地の党組織は青年団の組織と協力して、青年の力をとくに発揮させる方法を研究するよう心がけてほしい。かれらの特徴を無視し、一般並みにあつかうようなことがあってはならない。もちろん、青年は老人や壮年に学ぶべきであり、できるだけかれらの同意を得て、さまざまの有益な活動をやるようにしなければならない。老人や壮年は保守的な思想がわりあい多くて、とかく青年の進歩的な活動をおさえがちであり、青年が成果をあげてからやっと心服するものである。本文はこうした状況をよく描いている。保守的な思想にたいしては、もちろん、妥協すべきではない。では、よかろう、やってみることだ。成果があがれば、かれらも同意するようになる。
(「中山県新平郷第九農業生産協同組合の青年突撃隊」という文章の評語)
これもいい文章で、各地の参考になる。そのなかで、中学と高等小学校の卒業生を組織して協同化の仕事に参加させることにふれているが、これはとりわけ注目に値する。農村へいって仕事のやれるこうした知識分子は、みな喜んでそこへいくべきである。農村は広びろとした天地であり、そこでは大いに力を発揮することができる。
(「一つの郷で協同化の計画をたてる経験」という文章の評語)
ここにも、ひとり、陳学孟がいる。中国では、このような英雄的人物は何千何万にとどまらない。残念ながら、文学者たちはいまだにかれらを訪ねていないし、農村へ協同化の指導にいく人たちも、かれらをしばしば目にしながら、あまり書いてはいない。
(「協同化の先導者――陳学孟」という文章の評語)
この文章はよく書けており、共産党と青年団のすべての県委員会、区委員会、郷支部に推薦していいものである。すべての協同組合は、このようにすべきだ。本文の筆者は党の路線をわきまえており、その所論はまったく的を射ている。文章もよく、読んですぐわかり、党八股臭がない。ここで、読者に注意してほしいことがある。われわれの多くの同志は、文章を書くとき、党八股をたいへん好む。それは生きいきとしておらず、具象的でなく、読むと頭が痛くなる。また、文法や修辞には無頓着で、文語体とも口語体ともつかない文体を好み、ときには全編むだな言葉をならべたて、ときには筆をはぶきすぎた古めかしい文章を書き、まるで読者を苦しめる誓いでもたてたかのようである。本書におさめた百七十余編の文章のなかにも、党八股臭の強いものが少なくなかったが、いくどか筆をくわえた結果、わりあい読みやすくなった。それにもかかわらず、やはり読みづらくて、わかりにくい文章は、少数ながらまだ残っている。それを本書に収録したのは、ただその内容が重要であるからにすぎない。いったい、いつになったら、われわれは頭の痛くなる党八股をあまり読まなくてすむようになるのだろうか。そうなるには、われわれの新聞や雑誌の編集者がこのことに注意をはらい、寄稿者に生きいきとした、読みやすい文章を書くよう求めるとともに、自分も寄稿者を助けて文章に手をくわえることが必要である。
(「協同組合の政治工作」という文章の評語)
ここで紹介されているのは、王国藩の指導するいわゆる「すかんぴん組合」である。勤倹の精神で経営すること、これは全国のすべての農業生産協同組合の方針でなければならない。いな、すべての経済事業の方針でなければならない。工場、商店、すべての国営事業と協同組合事業、そしてその他のすべての事業を勤倹の精神で経営する。つまり、どんなことをするにも、勤倹の原則をつらぬかなければならない。これはとりもなおさす節約の原則であり、節約は社会主義経済の基本原則の一つである。中国は大きな国であるが、いまはまだひじょうに貧しい。中国をゆたかにするには、数十年の時間がかかる。数十年後にも勤倹の原則をつらぬく必要はあるが、とりわけ勤倹を提唱し、節約に注意しなければならないのは、ここ数十年のことであり、ここ何回かの五ヵ年計画の期間のことである。いま、多くの協同組合では、節約に注意しないというよくない作風が見うけられるが、これをすみやかに正さなければならない。どの省、どの県でも、勤倹の精神で協同組合を経営している例をいくつか見つけることができる。これらの例をひろく宣伝して、みんなに見ならわせるべきである。勤倹につとめ、生産量がもっとも高く、いろいろな面でうまくいっている協同組合を表彰し、浪費ばかりして、生産量がひじょうに低く、いろいろな面でうまくいっていない協同組合を批判すべきである。
(「勤倹の精神で組合を経営する」という文章の評語)
これは、全郷一千余世帯からなる大型協同組合(集団農場と称しているが、協同組合のことである)の七ヵ年展望計画で、各地の参考になる。なぜこのような長期計画が必要なのか、その内容を見ればすぐにわかる。人類の発展は数十万年を経ているが、ここ中国においては、いまになってやっと、自国の経済と文化を計画的に発展させる条件がかちとられた。この条件がかちとるれてからは、わが国の姿は年ごとに変わっていくであろう。五年ごとにわりあい大きな変化がみられ、いくつかの五年をつみ重ねていけば、いっそう大きな変化がみられるであろう。
(「紅星集団農場の展望計画」という文章の評語)
これはいい文章で、一読の価値があり、各地の協同組合が長期計画をたてるばあいの参考になる。本文の筆者がいみじくも述べているように、「生産計画をたてる全過程は、先進的な思想と保守的な思想の闘争する過程である。」いま、保守的な思想がほとんどいたるところで邪魔をしている。このような保守的な思想を克服して、生産力と生産を大幅に発展させるためには、すべての地方、すべての協同組合でそれぞれ長期計画をたてなければならない。
(「ある協同組合の三ヵ年生産計画」という文章の評語)
この郷は、協同化、増産措置、水利、共産党と青年団の整頓、文化・教育といった諸活動の二ヵ年計画をたてたが、全国の各郷もこのようにすべきである。計画をたてるのはむずかしいと言う者もいるが、それならなぜこの郷でたてることができたのか。一九五六年、全国の各県、各区、各郷はすべて、この計画よりもさらに多くの項目、たとえば副業、商業、金融、緑化、医療・衛生などをふくむ全面的な計画をたてなければならない。たとえ少し大ざっぱで、完全には実情に合致していなくても、ないよりはましである。一つの省で一、二の県、一、二の区、一、二の郷がかなりりっぱな計画をたてさえすれば、それをすみやかにおし広めて、その他の県や区や郷に見ならわせることができる。計画をたてるのはなんともむずかしいと言われているが、実際にはそれほどむずかしいものではない。
(「沂濤郷の全面的計画」という文章の評語)
この文章はたいへん役に立つもので、各県の参考になる。どの県もその全面的な計画のなかで、適当な水利計画をたてるべきである。水利建設は農業の増産を保証するたいせつな事がらで、小型の水利工事なら、各県、各区、各郷、各協同組合どこでもやれる。したがって、若干年のうちに何回かにわけて実施する水利計画、つまり、とくに大きな不可抗力の水害や干害は別として、干ばつのときは灌概でき、冠水のときは排水できるそうした水利計画をたてることが、きわめて必要である。これは完全にやれることだ。協同化という基礎があるので、大衆はひじょう大きな力をもっている。数千年らい解決できなかった普通の水害と干害の問題は、数年のうち解決されるであろう。
(「一人あたり{一畝|ムー}の灌漑地をつくるべきである」という文章の評語)
養豚は、堆肥づくり、食肉供給、外貨獲得にとってたいせつな問題である。すべての協同組合は養豚を自分の計画に組みいれなければならず、もちろん、省、専区、県、区もそれぞれ計画をたてるべきである。ブタの飼料は容易に解決できる。一部の青草、木の葉、いもづる、サツマイモなどはいずれも飼料となるから、かならずしも穀物を必要とせず、まして大量の穀物を要するとはかぎらない。協同組合で共同飼育するほか、各農家でも一頭ないし数頭飼育するようにすすめ、何年かにわけてこの目標を達成するようにしなければならない。養豚を禁止しているいくつかの少数民族と、宗教上の慣習からブタを飼いたがらないごく一部の家庭は、もちろん例外である。養豚業を発展させるには一連の奨励措置が必要であり、浙江省上華協同組合の経験は各地の参考になる。
(「ここでは大量のブタを飼育している」という文章の評語)
協同化以前は、全国の多くの地方に労働力過剰の問題があった。だが、協同化以後は、多くの協同組合で労働力の不足を感じており、これまで野良仕事に出なかった広範な婦人大衆を労働戦線に動員する必要がうまれた。これは、多くの人が予想もしなかった大きな事がらである。以前には、協同化すると、労働力が余るにちがいない、と考えられたものだ。もともとあり余っているのに、このうえ余ってきたら、どうすればよいのか。ところが、多くの地方では、協同化の実践によって、人びとのこうした懸念は吹きとばされてしまった。労働力は余ったのではなく、足りなくなったのである。一部の地方では、協同化以後、一時的に労働力の過剰をみたが、それはまだ生産の規模が拡大されておらず、多角経営がおこなわれておらず、農耕も集約化されていなかったからである。多くの地方では、生産の規模が大きくなり、経営の種目がふえ、労働の範囲が自然界にむかって広く深くひろがっていき、仕事がきめ細かくやられるようになると、労働力の不足を感ずるようになる。こうした傾向はいまはじまったばかりで、将来は年ごとに強まっていくであろう。農業が機械化されてからも、おなじである。将来は、これまで思いもつかなかったようなさまざまな事業があらわれ、農作物の生産量は現在の数倍、十数倍、ないし数十倍にもなるであろう。工業、交通、交換事業の発展は、なおさら、先人の思いもおよばなかったものとなろう。科学、文化、教育、医療・衛生などの諸事業も同様である。中国の婦人は偉大な人的費源である。この資源をほりおこして、偉大な社会主義国の建設のために奮闘させなければなちない。婦人を動員して労働に参加させるには、男女の同一労働・同一報酬の原則を実行しなければならない。浙江省建徳県の経験は、すべての協同組合が取りいれていいものである。
(「婦人を動員して生産に従事させ、労働力不足の困難を解決した」という文章の評語)
これも普遍性をもつ問題である。この二つの協同組合の状況からみると、いまの生産条件のもとでも、すでに約三分の一の労働力が余っている。これまで三人でやった仕事も、協同化ののちは二人でやれば十分で、ここに社会主義の優越性がしめされている。では、三分の一、さらにはもっと多くの余った労働力は、どこにその使いみちを見つけるのか。主として、やはり農村である。社会主義は旧社会から勤労者と生産手段を解放したばかりでなく、旧社会の利用しようもなかった広大な自然界をも解放した。人民大衆は、かぎりない創造力をもっている。かれらはみずからを組織して、その力を発揮できるあらゆる領域と部門にむかって進軍し、生産を広く深くおしすすめ、自分のために日一日と多くの福祉事業をおこしていくことができる。ここではまだ農業の機械化にはふれていない。機械化すれば、もっと多くの労働力が省かれるが、使いみちがあるのだろうか。一部の機械化農場の経験によると、使いみちはやはりある。生産の範囲がひろがり、種目がふえ、仕事がきめ細かくなるから、力はあっても使いどころがないという心配はないのである。
(「余った労働力の使いみちが見つかった」という文章の評語)
農村の余った労働力は農村でその使いみちを見つけられる――このことを、この県の状況もわれわれに教えている。男女労働力の一年の労働日は、この文章がのべているように男子百余日、女子数十日というのではなく、経営方法の改善と生産種目の拡大によって、男子は二百余日、女子は百余日、あるいはそれ以上にふやすことができる。この日数は、現によその一部の協同組合では、すでに実現している。副業には確実な販路がなくてはならず、盲目的に発展させてはならないということ、これは正しい。農村の副業は、全国的にみて、その大部分が農村に奉仕しているが、都市と輸出に奉仕する部分もかなりなくてはならず、将来、この部分は増大する可能性がある。問題は、国が統一的な計画をたて、逐次盲目性をとりのぞくことである。
(「湘陰県では余った労働力の使いみちの問題を解決した」という文章の評語)
この文章はいい、各地はみなこれに見ならうべきだ。「会計係がいない」――これは協同化の急速な発展に反対する人たちの口実の一つである。全国で協同化がすすめば、数百万の会計係が必要となるが、どこからさがしてくるのか。その実、人はいるのだ。おおぜいの高等小学校卒業生と初級中学卒業生を動員して、この仕事をやらせたらよい。問題は、かれらをすみやかに養成して、仕事のなかでその知識と技能の水準を高めることにある。各区ごとに、生産協同組合、購買販売協同組合、信用協同組合の会計係からなる会計互助網をつくること、これは会計係の知識と技能の水準を高めるよい方法である。彰武県第三区の会計網は、会計係の知識と技能の水準の向上を助けたばかりでなく、多くの経済工作と政治工作もやった。県と区の党組織はみな、この仕事の指導に意をそそぐべきである。
(「農業生産協同組合、購買販売協同組合、信用協同組合の会計係で会計互助網をつくった経験」という文章の評語)
この経験は普及させるべきである。レーニンは、「文盲のみちあふれている国では、共産主義社会をきずきあげることができない」〔2〕とのべたことがある。いま、わが国には文盲がこんなにもたくさんいるが、社会主義の建設は文盲を一掃してから取りかかるというわけにもいかない。そこで鋭い矛盾がうまれてくる。いま、わが国では、おおぜいの学齢児童のはいる学校がないばかりでなく、学齢をすぎた多くの青少年のはいる学校もない。大人にいたっては、なおさらである。このゆゆしい問題は、農業協同化の過程で解決しなければならず、また、農業協同化の過程でのみ解決することができる。農民は協同組合をつくったあと、経済面の必要から、読み書きを習うことを切実にもとめている。農民は協同組合をつくり、集団の力をもつようになったので、状況が完全に変わった。かれらは読み書きの勉強を自分で組織することができる。まず第一段では、労働点数を証人する必要から、自分の村の人名、地名、農具や農作業の名称、およびいくらかの必要な単語をおぼえる、これが約二、三百字。ついで第二段では、さらにいっそう多くの文字と単語をおぼえる。テキストとしては、次のような二種類のものをつくる必要がある。第一種のテキストは、協同化の指導にあたっている同志の援助のもとで、地元の知識分子がそれぞれ自分たちの協同組合の必要におうじてつくるべきである。統一したテキストを使ってはならず、どこでも自分でつくらなければならない。このようなテキストは審査をうける必要がない。第二種のテキストも、協同化の指導にあたっている同志の援助のもとで、地元の知識分子がわりあい小範囲の地方(たとえば一つの県、あるいは一つの専区)の事物と語彙をもとに、全省(市、自治区)や全国の事物と語彙の一部をくわえてつくるべきで、これも数百字程度でよい。この種のテキストも、各地で統一する必要はなく、県段階、専区段階、あるいは省(市、自治区)段階の教育機関がすみやかにこれを審査する。この二段の仕事を終えてから、第三段の什事にはいる。つまり、各省(市、自治区)の教育機関が一般に使われる第三種のテキストをつくる。このあと、いっそう程度の高いテキストもつくらなければならない。中央の文化・教育機関はこのことに適切な指導をあたえるべきである。山東省[”くさかんむり”に”呂”]南県高家柳溝村の青年団支部は、創意にみちた仕事をした。こうした状況を目にして、ひじょうにうれしい。教員はいるのだ、その郷の高等小学校卒業生がそれである。進度は速く、ニヵ月半で百余名の青年と壮年が二百宇あまりをおぼえ、自分の労働点数を記入できるようになった。一部の人は協同組合の労働点数記入係になっている。労働点数記入学習班という名称もひじょうによい。こうした学習班は、各地でこれに見ならって普遍的につくるべきである。青年団の各級組織はこの仕事を指導すべきであり、すべての党・政府機関は支持をあたえるべきである。
(「[”くさかんむり”に”呂”]南県高家柳溝村の青年団支部が労働点数記入学習班をつくった経験」という文章の評語)
ここに書いてあるのは、李順達の指導する金星農業・林業・牧畜生産協同組合のことである。この協同組合は、できてから三年のうちに、二百八十三世帯をかかえる大組合となった。この組合は太行山のなかのあれほど貧しいところにあるが、みんなで努力した結果、わずか三年でその姿を変えはじめた。労働力の利用率は、抗日戦争前の個人経営の時期より一一〇・六パーセント高まり、協同組合をつくるまえの互助組の時期よりも七四パーセント高まった。協同組合の公共積立金は、初年度の百二十元から一万一千余元にまでふえた。一九五五年、組合員一人あたりの平均所得は食糧八百八十四斤で、抗日戦争前にくらべて七七パーセントのび、組合をつくるまえとくらべても二五・一パーセントふえた。この組合はすでに五ヵ年計画をたてているが、三年間実施した結果、総生産額は五ヵ年計画の目標の一〇〇・六パーセントに達した。この協同組合の経験は、われわれにこう教えている――自然条件のわりあい劣っている地方でさえ大量に増産できるとすれば、自然条件のわりあいめぐまれている地方ではなおさら大量に増産できるはずである、と。
(「勤倹の精神で組合を経営し、山間地区を建設する」という文章の評語)
これはうまく経営されている協同組合で、ここから多くの有益な経験を汲みとることができる。曲阜県は孔子の故郷で、この老先生が長ねん学校をひらき、才能のある弟子を多数そだてあげたところだ。このことはよく知られている。しかし、かれは人民の経済生活にはあまり関心をもたなかった。弟子の樊遅が農耕のやり方について尋ねたとき、かれは相手にしなかったばかりか、かげで樊遅のことを「小人」だとののしったものである〔3〕。いま、かれの故郷の人民は社会主義の協同組合をつくりはじめている。二千年以上たっても相変わらずあれほど貧しかった人民であるが、組合をつくってから三年で、経済面、文化面の生活がともに変わりはじめた。これは、こんにちの社会主義がたしかに史上に例をみないものであることを物語っている。社会主義は孔子の「経書」にくらべて、何層倍よいかわからない。孔子廟や孔子林を見てみようという興味のある人たちには、ついでにこの協同組合も見てくるよう、おすすめする。
(「三年で六七パーセント増産した農業生産協同組合」という文章の評語)
この文章はよく書けており、一読に値する。いまの半社会主義的な協同組合に、二、三十世帯くらいの小型組合が多いのは、組合をつくりやすくするためであり、幹部と大衆に早く経験を得させるためでもある。しかし、小型組合は人力も耕地も資金も少ないので、大規模な経営をおこなうことも、機械を使用することもできない。このような小さい組合は相変わらず生産力の発展を拘束するので、あまり長く存続させてはならず、しだいに合併すべきである。一部のところでは一つの郷を一つの協同組合に組織してもよく、少数のところではいくつかの郷を一つの協同組合に組織してもよい。もちろん、一つの郷にいくつかの協同組合を組織するところも多いだろう。平原地区で大型組合がつくれるばかりでなく、山間部でも大型組合がつくれる。安徽省の仏子嶺ダムをかかえるある郷は、東西、南北数十里、ぜんぶ山地であるが、そこに農業、林業、牧畜業を総合的に経営する大規模な協同組合がつくられた。もちろん、このような合併のためには、段どりをおって事をはこばなければならず、適当な幹部がいなければならず、大衆の賛同を得なければならない。
(「大型組合の優越性」という文章の評語)
大型の組合や高級組合をつくるのがいちばん有利だということ、これは海南島の紅旗協同組合の経験からも立証される。この大型の協同組合は、できてから一年にしかならないのに、もう高級組合に変わる準備をすすめている。もちろん、すべての協同組合がこれに見ならえというのではない。それぞれの組合では、やはり自公の条件がととのっているかどうかをみて、いったい、いつ合併し、いつ昇格したらよいかを決めなければならない。しかし、一般的にいうと、三年もあれば、ほぼ十分だ。重要なのは、農民に手本をしめすことである。大型の組合や高級組合のほうが小型の組合や初級組合よりも有利だということがわかれば、農民は合併と昇格を要求するようになる。
(「{瓊山|チゥンシャン}県第一区の紅旗農業生産協同組合は、自然災害および資本主義思想とたたかうなかで強固になった」という文章の評語)
条件のととのった協同組合は、生産力と生産をいちだんと発展させるため、初級形態から高級形態に変えることを考えるべきである。初級形態の協同組合は半私有制⑤をのこしており、一定の段階になると、それが生産力の発展を拘束するようになるので、人びとはこのような制度をあらため、協同組合を生産手段の完全に共有化した集団経営の経済組織にするよう要求する。生産力がいちだんと解放されるや、生産はさらに大きく発展するであろう。転化の時機は、ところによっては少し早くなるかもしれないし、ところによっては少し遅くなるかもしれない。初級協同組合は、できてから三年もすれば、基本的にこのような条件をそなえるようになる。各省、市、自治区の党組織はこれを検討して、措置を講すべきであり、一九五六年と一九五七年の二年内に、大衆の同意のもとで、いくつかの高級協同組合を試験的につくってみるべきである。いまの協同組合は一般に小型のものであり、それを高級組合に転化させるときは、大衆の同意を得て、多くの小型組合を合併して大型組合にすべきである。もしもこの二年間にどの区にもこのような協同組合を一つ、ないしいくつかつくり、しかもこれらの組合が初級組合よりもいっそう大きな優越性をもっていることを大衆にしめすことができれば、今後数年における合併と昇格の仕事に、有利な条件をもたらすことができる。この仕事は、生産発展の全面的な計画と結びつけておこなわなければならない。大型組合や高級組合のほうが小型組合や初級組合よりも有利であることを見てとったとき、また長期的な計画が現在よりもはるかに高い物質面、文化面の生活水準をもたらすことを見てとったとき、人びとは協同組合の合併と昇格に同意するであろう。都市の郊外区での昇格はいくらか速くなるだろう。北京のこの協同組合の経験は、同じような状況にある他の協同組合の参考になる。
(「初級形態から高級形態に移行した協同組合」という文章の評語)
〔1〕 ここでいう「反面の宣伝」とは、大衆が普遍的に立ちあがり、ぞくぞくと組合加入を要求してきたとき、協同組合をつくる利点と有利な条件を宣伝するほか、ぶつかるかもしれないさまざまな困難や不利な状況をも大衆にはっきりと説明し、みんながよく考え、自由意思で加入するようにさせることをさす。
〔2〕 レーニンの『青年同盟の任務』にみられる。
〔3〕 『論語』―「子路第十三」を参照。
① 王国藩協同組合が成立したばかりのとき、一匹のロバの四分の三の所有権しかもっていなかったことをさす。
② 王国藩協同組合は、成立直後、生産手段の不足という困難にぶつかった。だが、かれらは国からの貸付金にたよるのではなく、労働力を組織して十七、八キロも離れた山奥へ薪をとりにいき、それを売って大量の生産手段を購入した。そこで、この協同組合の人たちは、生産手段を「山からとってきた」といったのである。
③ 本選集第一巻の『湘南省農民運動の視察報告」注〔28〕を参照。
④ 四つの比較とは、第一に協同組合と互助組と単独経営のどれがよいか、第二に社会主義と資本主義のどちらがよいか、第三に搾取制度のあるのと、ないのとではどちらがよいか、第四に自分だけよくなるのと、みんなが一緒に豊かになるのとではどちらがよいか、この四つの比較をさす。五つの計算とは、第一に自然災害による損失、第二に副業の発展による収入の増加、第三に労働意欲の高まりによる労働点数の増加、第四に貧農と中農の協力による相互利益と生産増加、第五に生産面と生活面での困難の克服、この五つについて計算してみることである。
⑤ 初級協同組合は土地の出資と統一経営を特徴とする半社会主義的性質のものである。この種の組合は、組合員に土地、家畜、大型農具といった生産手段の私有権をのこしたまま、これらの生産手段を使用し、その出資高におうじて組合員に「配当」をあたえている。したがって、半私有制をのこしているというのである。
(一九五五年十二月二十一日)
これは、毛沢東同志が中国共産党中央のために起草した、党の上海局、各省委員会、各自治区委員会あての通達である。
さる十一月、毛沢東同志が杭州と天津で十四名の省委員会書記および内蒙古自治区委員会書記とそれぞれ相談して定めた十七ヵ条は、一九五六年度の計画に組みいれて、しんけんに実施に取りかかるため、一月十日、党中央の招集する各省・市・自治区委員会書記の出席する会議でこれを確定すべきである、と中央は考える。このため、本電報を受けとりしだい、所属の各地区委員会書記および一部の県委員会書記をあつめて、つぎの点を詳細に検討してもらいたい。(イ)いったい全部実現できるのか、それとも一部実現できないものもあるのか、実現の根拠は各条とも十分であるのかどうか。(ロ)十七ヵ条のほかに、なお補足する点があるかどうか(実行可能なものでさえあれば、補足してもよい)。(ハ)各地は、ただちにこれを一九五六年度の計画に組みいれ、実施に取りかかる用意があるかどうか。以上の諸点について、一九五六年一月三日までに検討を終え、意見をまとめておいてもらいたい。
十七ヵ条の内容はつぎのとおりである。
(一)農業協同化の進度としては、一九五六年の後半で初級形態の組合設立を基本的に達成する。このさい、省・市・自治区(新疆を除く)段階の指標については、組合加入農家数を七五パーセントに達するよう要求するのが妥当である。こうして、下部のほうでこれをやや上回って、八〇ないし八五パーセント前後に達するようにする。
高級形態の協同化は、一九六〇年に基本的に達成するよう努力する。一年くりあげて、一九五九年での基本的達成をめざすことはできないだろうか。そのためには、一九五六年に、各県あるいは各区が――県よりも区のほうがのぞましい――直接に掌握して、それぞれ大型(百世帯以上)の高級組合を一つまたはいくつかつくり、さらに一九五七年にも一定数の組合をつくって、両者あわせて農家総数の二五パーセント前後に達するようにし、これをモデル・ケースとしていくことが必要である。こうすることは可能かどうか。また、小型の組合を大型の組合にするばあい、規模をどの程度にすればよいだろうか。一郷に数組合、一郷に一組合、数郷に一組合――この三者のいずれでもよいのかどうか。全国の組合総数を三十万とするのか、四十万とするのか、それとも五十万とするのか、はたしてどれが妥当だろうか。ソ連では十万だが、わが国では三十数万あるいは四十万が妥当ではないだろうか。また、合併してから昇格するのがよいのか、合併と昇格を同時におこなうのがよいのか、それとも昇格してから合併するのがよいのか。以上の諸点をあわせて検討してもらいたい。
(二)地主と富農の組合加入については、一九五六年から安徽、山西、黒竜江などの省の意見にしたがって処理したらどうだろう。すなわち、よい者は組合に加入するのを許し、よくも悪くもない者は組合員の名称をあたえずに、組合で生産に従事するのを許し、悪い者は協同組合の管制のもとで生産をおこなわせるのである。およそ強力な幹部のいる古株の組合であれば、すべてこのようにしてよい。このようにすれば、利点は多い。ただ、ひとつの欠点は、いまのところまだ組合に加入したがらない上層中農をいやいやながら組合に加入せざるをえないところまで追いこむことになり、しかも、かれらの面目をたててやるためには、地主と富農よりもさきにかれらを組合に加入させなければならなくなることである。これが有利なのかどうか。あるいは一年のばして、一九五七年になってから上述の方法を実行するのがよいのか。この両者のうち、どちらのほうが有利なのか、検討してもらいたい。
(三)協同組合の指導部の構成については、いまの貧農と、もと貧農であったすべての新しい下層中農が三分の二を占め、旧い下層中農と新旧両方の上層中農が三分の一を占めるようにする。
(四)増産の条件。(イ)いくつかの基本的措置を講ずること(内容は追って相談するが、各地にいくらかの差異があってもかまわない)。(ロ)すすんだ経験をおしひろめること(毎年、典型的な事例をあつめ、各省ごとに一本にまとめて出版する)。
(五)一九五六年、すべての省、地区、県、区、郷は、あらゆる必要項目を網羅した全面的な長期計画をたてることとし、県と郷の計画に重点をおく。来年の前半に草案をまとめ、後半に成案をつくりあげ、その後、さらに改めてもよい。計画にふくまれる期間は、少なくとも三年、一番よいのは七年だが、十二年まではかまわない。このことは急いでやらなければならないが、各地ですでに手配が終わっているだろうか。経験がないので、粗雑な計画も多いだろうが、少数の県や郷の計画は、わりあい実際に即したものにして、普及できるようにしなければならない。
(六)牛、馬、ラバ、ロバ、豚、羊、鶏、アヒルの保護と増殖について全面的な計画をたて、とくに幼畜を保護する。増殖計画については追って相談するが、意見をまとめておいてもらいたい。
(七)流域計画と結びつけて、小型の水利施設をたくさんつくり、七年内に、一般の水害と干害を基本的になくすようにする。
(八)七年内に、豊作物をそこなう十数種の病虫害を基本的に根絶する。
(九)十二年内に、荒地とはげ山を基本的になくする。家のまわり、村のまわり、道ばた、水辺、および荒地、はげ山など、つまり、すべての可能なところに、規格どおり植樹し、緑化を実行する。
(十)十二年内に、大部分の地区では肥料の九〇パーセント、一部の地区では肥料の一〇〇パーセントを、その地方と協同組合が自分で解決できるようにする。
(十一)十二年内に、食糧の畝あたり平均収量が、黄河、秦嶺、白竜江、黄河(青海省の域内)以北では四百斤、黄河以南、淮河以北では五百斤、淮河、秦嶺、白竜江以南では八百斤に達するようにする。綿花、油料作物、大豆、生糸、茶、黄麻、甘蔗、果物などの指標については、各地からの計画数字の提出を待って、あらためて相談する。
(十二)七年内に、人民と家畜にもっとも大きな危害をあたえるいくつかの病気を基本的に根絶する。たとえば、住血吸虫病、フィラリア病、ペスト、脳炎、牛疫、豚コレラなどがそれである。各省、各自治区の風土病については、どれが七年内に基本的に根絶できるのか、どれがもっと時間をかけなければ根絶できないのか、どれがいまのところまだ根絶の見こみがないのかを、それぞれ検討してもらいたい。
(十三)四害を退治する。すなわち、七年内に、ネズミ(およびその他の害獣)、スズメ(およびその他の害鳥。ただし、カラスを退治すべきかどうかはまだ検討の必要がある)、ハエ、蚊〔1〕を基本的に退治する。
(十四)七年内に、文盲を基本的に一掃する。だれでも、千五百字から二千字は知っていなければならない。
(十五)七年内に、省、地区、県、区、郷の各種の必要な道路を規格どおりに建設する(そのうち、一部は自動車道路、一部は大きい道路、さらにもう一部は小さい道路)。
(十六)七年内に、有線放送網をつくりあげ、どの郷、どの組合でも有線放送を聞けるようにする。 ,
(十七)七年内に、郷と大型組合の電話網を完成する。
以上の各項について、関係ある諸同志と検討のうえ、一月三日までに準備を終えてもらいたい。中央では、一月四日前後に、まずいくつかの省委員会の書記をあつめ、数日間会議を開いて検討し、一月十日の会議のために意見をまとめておくつもりである。
〔1〕 一九六〇年三月、毛沢東同志は、中国共産党中央のために起草した衛生工作にかんする指示のなかで、つぎのようにのべている。「さらに一件。もうスズメは退治しないこと、トコジラミをそれに代える。スローガンは『ネズミ、トコジラミ、ハエ、蚊を退治せよ』とする。」
(一九五六年三月五日)
これは、国務院の関係部門が手工業の工作状況について報告したさい、毛沢東同志があたえた指示の一部である。
(一)個人経営の手工業の社会主義的改造の速度は、すこし遅いようにおもう。さる一月の省・市党委員会書記会議でも、わたしはすこし遅いといったことがある。一九五五年の末までに組織されたのは、二百万人だけであった。ことしのはじめのニヵ月で三百万人も伸び、年内にほぼ終わるようだが、これはたいへん結構なことだ。手工業の総生産額について、諸君は三つの五ヵ年計画の期間に、毎年平均一〇・九パーセント増加すると見ているが、やや低いようである。第一次五ヵ年計画では、低めに定めたため、すこし損をした。いまさら改めなくてもよいが、諸君は仕事の中でそれを見計らっていくべきである。
(二)手工業協同組合の規模については、一般に百人前後が適当であるが、ばあいによっては数百人でもよいし、数十人でもよい。
(三)農業生産に奉仕するため、鉄工、木工協同組合をつくり、農村へいって農具を修理させるというやり方は、なかなかよい。きっと農民によろこばれるだろう。中国の手工業には数千年らい、このようにやってきたものがあった。協同組合をつくったあと、技術が向上すれば、いっそうよく農民に奉仕することができる。
(四)諸君の話によると、手工業にたいする改造の高まりのなかで、修理とサービスの業種が経営を集中化し、営業点を減らしすぎて、大衆の不満を買っている、という。これではよろしくない。では、どうすればよいか。「そもそも大下の大勢は、分かれること久しければかならず合し、合すること久しければかならず分かれる」ものである。
(五)手工業生産の労働生産性は、半機械化および機械化生産のそれと比べると、最高と最低のひらきが三十数倍にも達する。一人あたりの年平均生産額は、国営の現代化工業では二万元から三万元、半機械化、機械化の協同組合では五千元、百人以上の大型協同組合では二千元、小型協同組合では千五百元、個人経営の手工業では八百元から九百元である。労働生産性を比べてみれば、手工業を半機械化、機械化の方向に発展させ、労働生産性を高めなければならない、ということがわかる。
(六)手工業の各業種は、いずれも有益なことをやっている。食べるもの、着るもの、使うもの、みなそろっている。また七宝焼とか、「ガラス細工の常家五人娘」〔1〕のつくったブドウなどのような工芸美術品もある。そのほか、アヒルの丸焼きも技術輸出ができるだろう。一部のサービス業では、王おばさんの甕直しのように、町や村をまわり、いろいろなものをなおしている。この人たちは、あちこちを歩きまわり、見聞が広い。北京の東の朝市には、六干種あまりもの製品がならんでいる。
手工業のうちの多くの良いものを途絶えさせてしまわないよう、注意しておきたい。アバタの王さんや張小泉の包丁やはさみは、一万年たっても作るのをやめさせてはならない。作らなくなったわが民族の良いものを、かならず復活させ、しかも、いっそう良いものにしていかなければならない。
(七)工芸美術品の水準を高め、民間の工芸家を保護するという措置はたいへんよい。それを早いうちに実行し、いそいでやらなければならない。諸君は自分で機構を設けたり、大学を開設したり、会議を招集したりすればよい。楊士恵は象牙彫りであるが、実はたいへんすぐれた芸術家である。かれは、わたしと同じテーブルで食事をとり、わたしを見ながら肖像を彫ることができる。わたしなら、かれを数日見つめても、その画像さえ描けないだろう。
(八)国は協同組合に物資を調達するばあい、国の調達価格で値段をつけてはならず、合理的につけるべきである。協同組合と国営企業とは同じではなく、社会主義的集団所有制と社会主義的全人民所有制とはちがいがある。協同組合は発足したばかりのときは、その経済的基礎がよわいため、国の援助が必要である。設備更新で使わなくなったふるい機械や、公私合営で工場を合併してあまった機械と建物を、国が低い値段で協同組合にふりむけるのは、なかなかいいことだ。「取らんとすればまず与えよ」。協同組合の経済的基礎が固まってから、国は税金の額を多くし、原料も値上げする。そのとき、協同組合は形式的には集団的所有制だが、実際には全人民的所有制となっているのである。
国は協同組合の半機械化、機械化を援助すべきであるが、協同組合自身もその発展につとめなければならない。機械化の速度がはやければはやいほど、諸君の手工業協同組合の寿命はそれだけ短くなる。諸君の「国」が小さくなればなるほど、われわれの事業はそれだけやりやすくなる。諸君はよりはやく機械化を実現し、より多く国に納入するように努力されたい。
(九)手工業の生産額が全国の工業総生産額の四分の一を占めているのに、その供給、生産、販売はなぜ国の計画に組みいれられていないのか。手工業の生産額がこんなにも大きい以上、当然国の計画に組みいれるべきである。
(十)一部の地方の党委員会は忙しくて、手工業にまで手がまわらないが、これではよくない。なぜ一部の幹部は手工業の仕事をあまりやりたがらないのか。これはたいへん重要な仕事だから、わたしなら大いにやりたいところだ。
(十一)諸君は、六万あまりの手工業協同組合のなかから、きわだったものをえらんで、典型資料を書くべきである。各地区、各業種のものが含まれていなければならないし、よいものと悪いもの、大きいものと小さいもの、集中したものと分散したもの、半機械化されたものと機械化されたものなど、すべてが含まれていなければならない。『中国農村における社会主義の高まり』のような本を出すのである。
〔1〕 ガラス細工のブドウをつくることで名を知られている北京の手工業職人――常一家の五人の女性をさす。
(一九五六年四月二十五月)
これは、毛沢東同志が中国共産党中央政治局拡大会議でおこなった講話である。毛沢東同志はこの講話のなかで、ソ連の経験をいましめとして、わが国の経験を総括し、社会主義革命と社会主義建設における十大関係について論じ、わが国の状況に適合した、多く、はやく、りっぱに、むだなく社会主義を建設するという総路線の基本思想を提起した。
ここ数ヵ月、中央政治局は、中央の工業、農業、運輸、商業、財政など三十四部門の活動報告を聴取したが、そのなかに、社会主義建設と社会主義的改造についての若干の問題を見いだした。総合するとみなで十の問題となる。つまり十大関係である。
ここに提起する十の問題はいずれも、国内国外のすべての積極的要素を動員して、社会主義の事業に役立たせるという、一つの基本方針をめぐるものである。かつてわれわれは、帝国主義、封建主義、官僚資本主義の支配を終わらせ、人民民主主義革命を勝利させるために、すべての積極的要素を動員するという方針を実行した。いまも、社会主義革命をおしすすめ、社会主義国を建設するために、同じようにこの方針を実行している。だが、われわれの活動のなかには、なお述べておかなければならないいくつかの問題がある。とくに注意に値するのは、最近ソ連で、社会主義建設の過程におけるいくつかの欠点や誤りがさらけだされたことである。かれらが歩んだまわり道を、なおも歩もうというのか。かつてわれわれは、かれらの経験と教訓を汲みとることで、あまりまわり道をせずにすんだ。いまは、なおさらそれをいましめとしなければならない。
国内国外の積極的要素とはなにか。国内では、労働者と農民が基本的な力である。中間勢力は獲得できる力である。反動勢力は一種の消極的要素であるが、われわれはやはりよく働きかけて、できるだけ消極的要素を積極的要素に変わらせるようにつとめるべきである。国際的には、団結できるすべての力と団結すべきであり、中立でないものを中立にさせ、反動的なものも分化させ、利用する。要するに、われわれはすべての直接的、間接的な力を動員して、わが国を強大な社会主義国にきずきあげるために、奮闘しなければならない。
以下、十の問題について述べてみよう。
重工業はわが国の建設の重点である。生産手段の生産を優先的に発展させること、これはすでに決まったことである。だからといって、生活資料、とくに食糧の生産をおろそかにしてよいというわけではない。もし、十分な食糧とその他の生活必需品がなければ、だいいち労働者を養うことができず、どうして重工業の発展など語ることができよう。したがって、重工業と軽工業、農業との関係は、かならずうまく処理しなければならない。
重工業と軽工業、農業との関係を処理するうえで、われわれは原則的な誤りは犯さなかった。ソ連や一部の東ヨーロッパの国に比べると、われわれのほうがうまくいっている。ソ連で食糧の生産高が、長期にわたって革命前の最高水準に達することができなかったという問題、一部の東ヨーロッパの国で軽工業、重工業の発展がきわめてアンバランスなために生じた深刻な問題などは、われわれのところには存在しない。かれらは一面的に重工業を重視し、農業と軽工業を軽視したために、市場には物資が不足し、通貨は不安定である。われわれは、農業、軽工業を比較的重視してきた。われわれは一貫して農業に力をいれ、農業を発展させ、工業の発展に必要な食糧と原料をかなり保証してきた。われわれの日用品は比較的豊かであり、物価と通貨は安定している。
われわれの現在の問題は、重工業と農業、軽工業への投資の比率をさらに適切に調整し、農業と軽工業をいっそう発展させることである。こうすることは、重工業を主としないことだろうか。やはり主とするのであり、やはり投資の重点である。しかし、農業、軽工業への投資の比率はもう少しふやさなければならない。
では、ふやしたらどうなるか。その結果は、第一に、人民の生活面の需要をよりよく満たすことができ、第二に、資金の蓄積をいっそうはやめることができて、より多く、よりりっぱに重工業を発展させることができるようになる。重工業も資金を蓄積することができるが、われわれの現在の経済条件のもとでは、軽工業、農業のほうがより多く、よりはやく資金を蓄積することができる。
ここで一つの問題が出てくる。重工業の発展について、いったい本気で考えているのか、それともうわべだけで考えているのか、猛烈に考えているのか、それとも大して考えていないのか。もしうわべだけで考えているか、または大して考えていないのなら、農業、軽工業に打撃をあたえ、それへの投資を少なくすればよい。もし本気で考えているか、猛烈に考えているのなら、農業、軽工業を重視すべきであり、それによって食糧や軽工業の原料はふえ、蓄積はふえ、将来、重工業方面に投ずる資金もふえていくはずである。
いま、重工業を発展させるうえで、われわれがとることのできる方法が二つある。一つは、農業、軽工業を少なく発展させるやり方であり、一つは農業、軽工業を多く発展させるやり方である。長期的な観点からみると、前者のやり方は重工業の発展を少なくし、おそくすることになり、すくなくとも基礎はあまり堅固にならず、数十年後の総決算では勘定が引きあわなくなる。後者のやり方は重工業をより多く、よりはやく発展させることになり、しかも人民の生活面の需要が保証されるので、発展の基礎をいっそう堅固なものにすることができる。
わが国の工業はこれまで沿海地方に集中していた。沿海地方というのは、遼寧、河北、北京、天津、河南東部、川東、安徽、江蘇、上海、浙江、福建、広東、広西のことである。わが国の軽工業と重工業はいずれも約七○パーセントが沿海地方にあり、内陸には三〇パーセントしかない。これは歴史的に形成された不合理な状況である。沿海地方の工業基地は十分に利用しなければならないが、しかし、工業分布のバランスをはかるためには、内陸工業を大いに発展させなければならない。この両者の関係の問題でも、われわれは大きな誤りを犯しはしなかった。ただ、最近の数年、沿海工業への評価に不十分なところがあり、その発展をあまり重視しなくなった。これは改めるべきである。
以前は、朝鮮でまだ戦争がおこなわれており、国際情勢がかなり緊張していたので、沿海工業にたいするわれわれの見方は、その影響をうけないわけにはいかなかった。現在、新たな中国侵略戦争と新たな世界大戦は、短期間には起こらないものと予想され、十年あるいはもうすこし長い平和の時期があるだろう。これでもなお、沿海工業の設備能力と技術力を十分に生かさないとしたら、それはまちがっている。十年とは言わず、五年としてみても、われわれは沿海地方で四年間工業をしっかりやるべきで、五年目に戦争が起こってから引っ越せばよい。手持ちの資料からみて、軽工業の工場建設と蓄積とは、一般的にはひじょうにはやく、全設備が稼動してから四年内には、工場の投資を回収できるばかりでなく、さらに、同規模の工場の三つ分、二つ分、一つ分、すくなくとも半分をかせぎ出すことができる。こんなに割のよいことをなぜやらないのか。原子爆弾がすでにわれわれの頭上にあり、数秒後には落ちてくる、といった情勢判断は事実に合致しないし、こうした見方から、沿海工業にたいして消極的な態度をとるのはまちがっている。
だからといって、新しい工場をぜんぶ沿海地方に建てるように、と言っているわけではない。新しい工業の大部分は内陸に配置すべきであり、これによって一歩一歩工業分布のバランスをはかり、しかも戦争への備えに役立たせる、これはすこしも疑う余地のないことである。しかし、沿海地方にもいくらか、新しい工場、鉱山を建設してもよく、そのなかの一部は大型のものであってもよい。沿海地方にもとからあった軽工業、重工業の拡張や改造については、これまでにも多少おこなわれてきたが、今後もひきつづき大いにおこなうべきである。
沿海工業のこれまでの基盤を十分に利用し発展させていけば、内陸工業を発展させ、支持するわれわれの力を増大させることができる。もし消極的な態度をとるなら、内陸工業の速やかな発展を妨げることになる。したがって、これまた内陸工業の発展を本気で考えているのか、うわべだけで考えているのかという問題になる。もし、本気で考えており、うわべだけで考えているのでなかったら、沿海工業、とくにその軽工業をもっとよく利用し発展させるべきである。
国防は欠くことのできないものである。いま、われわれはある程度の国防力を持つようになった。抗米援朝と、数年にわたる整備・訓練の結果、われわれの軍隊は強化されて、第二次世界大戦前のソ連赤軍よりもいくらか強くなっており、装備も改善されている。われわれの国防工業は、目下建設中である。盤古の天地開闢いらい、われわれは飛行機をつくることも、自動車をつくることも知らなかったが、いまではつくれるようになった。
われわれはまだ原子爆弾を持っていない。しかし、以前には飛行機も大砲もなく、粟と小銃で日本帝国主義と蒋介石をうち負かしたのである。いま、われわれは以前よりも強くなっているが、今後はもっと強くなってゆき、飛行機や大砲をもっと持つだけでなく、原子爆弾も持たなければならない。こんにちの世界で、他人の侮りをうけたくなければ、これを持たないわけにはいかないのだ。それにはどうすればよいか。確実な道は、軍事・行政費を適切な比率に下げて、経済建設費をふやすことである。経済建設がいっそうはやいテンポで発展しないかぎり、国防建設はさらに大きな進歩をとげることはできないのである。
一九五〇年、われわれは、党の第七期中央委員会第三回総会ですでに、わが国の財政・経済状況を根本的に好転させる三条件の一つであると考えて、国家機構の簡素化、軍事・行政費の削減という問題を提起した。第一次五ヵ年計画の期間、軍事・行政費は国家予算の総支出の三〇パーセントを占めていた。この比重は大きすぎた。第二次五ヵ年計画の期間には、それを二〇パーセント前後にまで下げて、より多くの工場の建設とより多くの機械の製造にもっと多くの資金をまわせるようにすべきである。一定の時間を経たら、われわれは大量の飛行機、大砲を持つばかりでなく、われわれ自身の原子爆弾をも持つようになるだろう。
ここでもつぎのような問題が出てくる。原子爆弾を持ちたいと本気で考え、十分に考えているのか、それともいく分かは考えているが、十分には考えていないのか。もし本気で、十分に考えているのなら、軍事・行政費の比重を下げ、経済建設をもっとやるべきである。本気で、十分に考えているのでなければ、古いやり方を踏襲すればよい。これは戦略方針の問題であり、軍事委員会で討議するよう希望する。
いま、われわれは軍隊を全部きりすててもよいのか。それはよくない。まだ敵がおり、われわれはまだ敵の侮りと包囲をうけているからだ。われわれはかならず国防を強化しなければならない。それには、どうしてもまず経済建設を強化しなければならない。
国家と工場、協同組合との関係、工場、協同組合と生産者個人との関係、この二つの関係はいずれもうまく処理しなければならない。そのためには、一方だけについて配慮するようなことがあってはならず、国家、集団、個人の三方についてあわせて配慮しなければならない。つまり、かつてわれわれがよく言った「軍民双方への配慮」「公私双方への配慮」である。ソ連とわれわれ自身の経験にかんがみ、今後、この問題はぜひともよりよく解決していかなければならない。
労働者についていうと、その労働生産性の向上にともない、かれらの労働条件と集団の福利も逐次改善していく必要がある。われわれは一貫して、刻苦奮闘すべきことをとなえ、個人の物質的利益を至上のものとする見方に反対してきた。同時にわれわれはまた、一貫して、大衆の生活に関心をよせるべきことをとなえ、大衆の苦楽に無関心な官僚主義に反対してきた。国民経済ぜんたいの発展にともない、賃金も適切に調整する必要がある。賃金については、いくらかふやすことを最近決定したが、上下の格差を縮小するため、おもに所得の低い者や労働者をその対象とした。われわれの賃金は一般に、まだ高くはない。だが、就業する人が多くなっていること、物価が安く、安定していること、さらにその他のいろいろな条件をくわえてみると、労働者の生活は過去に比べてやはりひじょうによくなっている。プロレタリア階級の政権のもとで、労働者の政治的自覚と労働意欲は一貫してひじょうに高い。去年の年末に、中央が右よりの保守主義に反対することを呼びかけると、労働者大衆は熱烈に支持し、三ヵ月間の奮闘の結果、前例を扱って、今年第一・四半期の計画を超過達成した。われわれは、かれらのこうした刻苦奮闘の精神を大いに発揚すべきであるが、かれらの労働および生活面のさし迫った問題の解決にも、もっと気をくばる必要がある。
ここで、統一的指導のもとにおける工場の自主性の問題についても話さなければならない。なにもかも中央または省・市に集中して、工場にはすこしの権限も、すこしの融通の余地も、すこしの利益をもあたえないのは妥当なやり方ではないだろう。いったい、中央、省・市、工場にはそれぞれどれだけの権限、利益をあたえたらよいのか、われわれは経験が足りず、まだ研究していかなければならない。原則的にいえば、統一性と自主性は対立面の統一であって、統一性も必要であり、自主性も必要である。たとえば、いま会議をひらいているのは統一性であるが、散会すれば、散歩する人あり、読書する人あり、食事をする人ありで、これは自主性である。もし、各人に散会後の自主性をあたえず、休まずにずっと会議をひろいたままにしていったらどうなるか、みんな死んでしまうではないか。個人についてもそうであるが、工場やその他の生産単位についても同様である。どの生産単位も、統一性と関連した自主性をもってはじめて、いっそう生きいきと発展することができる。
こんどは農民について述べてみよう。われわれと農民との関係は、一貫してうまくいっている。しかし、食糧の問題ではいちど誤りを犯したことがある。一九五四年、わが国の一部の地区が水害のため減産となったのに、われわれは食糧を七十億斤も多く買い付けた。そこで一方では生産減、一方では買付増となり、去年の春には、多くの地方で、ほとんどの人が食糧のことを口にし、ほとんどの農家が統一販売のことを話題にした。農民からは苦情が出、党内党外からも多くの苦情が出た。故意に誇張したり、機に乗じて攻撃したりする者も少なからずいたが、われわれにも欠点がなかったとはいえない。調査が足りず、実情がはっきりつかめず、七十億斤も多く買い付けてしまった、これが欠点である。われわれは、この欠点に気づいたので、一九五五年には買付量を七十億斤減らし、「三定」①つまり、生産量、買付量、販売量を規定するという措置をとった。そのうえ豊作でもあった。一方では買付減、一方では生産増となり、農民の手もとの食糧が二百億斤余り増加した。こうして、かつて苦情を訴えていた農民も「共産党はほんとうにすばらしい」というようになった。この教訓は全党が銘記しなければならない。
ソ連は農民をひどくしぼりあげるやり方をとっている。かれらは義務供出制〔1〕などのやり方で、農民の生産したものを多く取りすぎ、しかも支払い代金はひじょうに低くおさえている。かれらはこのやり方で資金を蓄積しているが、そのため、農民の生産意欲は大きな打撃を受けている。めんどりにタマゴはたくさん産んでもらいたいが、えさはあたえない、馬にしっかり走ってもらいたいが、まぐさはやらない。いったい世の中にこんな理屈があるだろうか。
農民にたいするわれわれの政策は、ソ連のあのような政策とは異なり、国家と農民双方の利益に配慮を加えている。われわれの農業税は、一貫してわりあいに軽かった。工業製品と農産物の交換には、われわれは、鋏状価格差の縮小、等価交換、または等価交換に近い政策をとっている。農産物の統一買付は、正常な価格でおこなわれているので、農民が損をするようなことはなく、しかも買付価格を逐次引き上げている。農民に工業製品を供給する面では、われわれは薄利多売、物価の安定または適切な引き下げの政策をとっており、食糧不足地区の農民に食糧を供給するばあい、一般に、多少の補給金をあたえている。しかしそれでも、よく気をつけないと、やはりあれこれの誤りを犯すようになる。ソ連がこの問題で重大な誤りを犯したことにかんがみ、われわれは、国家と農民との関係をうまく処理するよう、いっそう注意をはらわなければならない。
協同組合と農民との関係もうまく処理しなければならない。協同組合の収入のなかから、国家、協同組合、農民はそれぞれどれだけ取るのか、またどのような取り方をするのか、適切な規定がなければならない。協同組合の取る部分は、すべてが直接、農民のために使われるものである。生産費は言うにおよばず、管理費も必要経費であり、公共積立金は拡大再生産のためのもの、公益金は農民の福利のためのものである。だが、それぞれどれだけ占めるかについては、農民といっしょに検討して合理的な比率を決めるべきである。生産費も管理費も極力節減するようつとめなければならない。公共積立金、公益金も一定の規制が必要であり、よいことをなにもかも一年でやってしまおう、などと考えてはならない。
とくに大きな自然災害に見舞われたときを除いて、われわれは、かならず農業生産を増加させるという基礎のうえで、九〇パーセントの組合員の毎年の収入が前年度よりふえ、一〇パーセントの組合員の収入は現状を維持できるようつとめるべきである。もし収入が減るようなことがあったら、早急に解決策を講じなければならない。
要するに、国家と工場、国家と労働者、工場と労働者、国家と協同組合、国家と農民、協同組合と農民、これらいずれのばあいにも双方に配慮を加えるべきであって、一方だけのことを考えてはならない。どちらか一方だけのことを考えるのは、社会主義に不利であり、プロレタリア階級独裁に不利である。これは六億の人民にかかわる大問題であり、全党、全国人民に、くりかえし教育していかなければならない。
中央と地方との関係もまた一つの矛盾である。この矛盾を解決するうえで、いま注意しなければならないことは、中央の統一的指導を強固にするという前提のもとで、地方の権限を少しく拡大し、地方にもっと多くの自主性をあたえ、地方にもっと多くの事をやらせるべきだ、ということである。これは、われわれが強大な社会主義国を建設するのに比較的有利である。われわれの国はこんなに大きく、人口はこんなに多く、状況はこんなにも複雑なので、中央と地方の二つの積極性があるほうが、一つの積極性しかないのより、はるかによい。ソ連のように、なにもかも中央に集中して、地方をがんじがらめにしぼりつけ、すこしの裁量権も持たせないといったやり方を、われわれはとってはならない。
中央は工業を発展させなければならないが、地方も工業を発展させなければならない。中央直属の工業といえども、地方の協力を得なければならない。農業や商業にいたっては、なおさら地方に依拠する必要がある。要するに、社会主義建設を発展させるためには、地方の積極性を発揮させなければならない。中央を強固にするには、地方の利益に気をくばらなければならない。
いま、数十本の手が地方に伸びていて、地方では仕事がやりにくくなっている。部を一つ設けたからには革命をやらねばならず、革命をやるからには命令を出さねばならぬ、というわけだ。だが各部は、省の党委員会、省の人民委員会に命令を出すわけにはいかないので、省・市の庁や局と直結し、毎日、庁や局に命令を出している。これらの命令は、党中央も、国務院も関知していないのに、みな中央から来たということで、地方への大きな圧力となっている。集計報告の多いこと、まさに洪水同然である。こうした状態は、かならず改めなければならない。
われわれは、地方と相談して仕事をする作風を提唱すべきである。党中央が事をはこぶときにはつねに地方と相談しており、地方と相談することなしに、軽がるしく命令を出すようなことはなかった。この面で中央各部がよく注意するよう希望する。およそ地方に関係のあることは、まず地方と相談し、相談がまとまってから命令を出すようにしてもらいたい。
中央の部門は二種類にわけるれる。一つは、その指導が直接に企業にまでおよぶもので、地方に設けられたその管理機構と企業は地方の監督を受ける。他の一つは、指導方針の提起、工作計画の策定を任務とするもので、実務のほうは地方にまかせ、地方に処理させなければならない。中央と地方との関係をうまく処理することは、われわれのような大きな国と大きな党にとって、きわめて重要な問題である。この問題については、一部の資本主義国でもひじょうに注意をはらっている。かれらの制度はわれわれの制度と根本的に異なっているが、その発展の経験は、やはりわれわれの研究に値する。われわれ自身の経験についていえば、建国初期に実施した大行政区の制度は、当時の必要から出たものではあったが、欠点もあった。のちの高崗・饒漱石反党同盟は、多少この欠点を利用したのである。その後、大行政区を廃止し、各省が中央に直属するよう決定した。これはこれで正しかった。だが、ここから地方の必要な自主性まで廃止するようになり、結果はあまりよいものでもなかった。われわれの憲法は、立法権は中央に属すると規定している。だが、中央の方針に違反しないという条件のもとで、状況と仕事の必要にそくして、地方でも規約、条例、規程などを定めてもよく、憲法はこれを拘束していない。われわれには統一も必要であり、特殊も必要である。強大な社会主義国をきずきあげるためには、中央の強力な統一的指導、全国の統一的計画と統一的規律がなければならず、こうした必要な統一を破壊するのは許されないことである。同時にまた、地方の積極性を十分に発揮させるべきで、各地にはそれぞれ地元の状況に適合した特殊なものがなければならない。この特殊とは、高崗のあの特殊ではなくて、全体の利益のため、全国の統一を強めるために必要な特殊である。
また、地方と地方との関係の問題がある。ここでいうのはおもに、地方における上級と下級との関係の問題である。省・市で中央の各部門にたいして意見があるが、では、地区、県、区、郷では省・市にたいして意見がないだろうか。中央は、省・市の積極性を発揮させるよう注意すべきであるが、省・市も地区、県、区、郷の積極性を発揮させるよう注意をはらうべきで、いずれも、あまりにきつくワクをはめてはならない。もちろん、下級の同志にたいしては、なにが統一事項に属し、勝手にやってはならないことなのか、言っておかなければならない。要するに、統一でき、しかも統一すべきものは統一しなければならず、統一できず、しかも統一すべきでないものは統一を強要してはならない。正当な自主性と正当な権利は、省・市、地区、県、区、郷のいずれもが持つべきであり、主張すべきものである。このような、国ぜんたいの利益から出発した権利の主張、本位主義的利益から出発したものではない権利の主張を、地方主義と言ったり、自主性をふりかざしてたてついていると言ったりすることはできない。
省・市と省・市とのあいだの関係も、地方と地方との関係の一種であり、これもうまく処理しなければならない。大局に気をくばり、助けあい譲りあうよう提唱すること、これがわれわれの一貫した原則である。
中央と地方、地方と地方の関係の問題を処理するうえで、われわれの経験はまだ浅く、まだ熟していない。みなが十分に研究、討議し、一時期ごとに経験を総括して、成果を拡大し欠点を克服するよう希望する。
漢族と少数民族との関係にたいするわれわれの政策は、比較的穏当なものであり、わりあい少数民族の賛同を得ている。われわれは主として、大漢民族主義に反対する。地方民族主義にも反対すべきであるが、一般的にいって、それは重点ではない。
わが国の少数民族は人数が少なく、占めている地域が広い。人口についていえば、漢族は九四パーセントを占め、圧倒的に優勢である。もし漢族の人たちが大漢民族主義をふりかざし、少数民族を差別するならば、それはきわめてよくないことである。では、土地はどちらのほうが広いか。土地は少数民族のほうが広く、五〇ないし六〇パーセントを占めている。中国は土地が広大で物産が豊富、そして人口が多い、というが、実際には「人口が多い」のは漢族、「土地が広大で、物産が豊富」なのは少数民族であって、すくなくとも地下資源については、少数民族のほうが「物産豊富」だろう。
各少数民族はいずれも中国の歴史に貢献があった。漢族は人口が多いが、これも長い期間にわたって、数多くの民族の混血によって形成されたものである。歴史上の反動支配者、おもには漢族の反動支配者が、かつて各民族のあいだにさまざまなみぞをつくり、少数民族をしいたげてきた。これによってもたらされた影響は、勤労人民のあいだでも、早急には消しがたい。したがって、幹部にたいしても、人民大衆にたいしても、プロレタリア階級の民族政策についての教育を広範に、持久的におしすすめ、かつ漢族と少数民族との関係をつねに点検するよう心がけるべきである。二年前にいちど点検したが、いま、もういちどやるべきである。もし、その関係が不正常なら、しんけんに正さねばならず、口先だけにとどまってはならない。
少数民族地域における経済管理体制と財政体制は、けっきょくどのようにすれば適切なのか、よく研究してみる必要がある。
われわれは誠心誠意、積極的に、少数民族の経済建設と文化建設の発展を援助しなければならない。ソ連では、ロシア民族と少数民族とがきわめて不正常な関係にあるが、われわれはこの教訓を汲みとるべきである。天上の空気、地上の森林、地下の資源、これらはすべて社会主義建設に必要な大事な要素であるが、あらゆる物的要素は、人という要素をつうじてのみ開発利用される。われわれは、漢族と少数民族との関係をうまく処理し、各民族間の団結をうち固めて、ともに偉大な社会主義祖国の建設につとめなければならない。
いったい、一つの党だけでよいのか、いくつかの党があるほうがよいのか。現在の考えでは、やはりいくつかの党があるほうがよいようだ。過去にそうであったばかりでなく、将来もそうであってよい。つまり、長期に共存し、相互に監督しあうということである。
わが国では、抗日、反蒋闘争のなかで形成された、民族ブルジョア階級とその知識分子を主体とする、数多くの民主政党が、いまもひきつづき存在している。この点、われわれはソ連とは異なっている。われわれは意識的に民主政党を残しておき、かれらに意見を発表する機会をあたえ、かれらにたいして団結もし闘争もするという方針をとってきた。われわれにたいして善意で意見を出す民主人士とは、すべて団結しなければならない。衛立煌、翁文[シ+景+頁]などのような愛国心のある、国民党の軍人や政治家については、われわれは、かれらの積極性をひきつづき発揮させていくべきである。竜雲、梁漱溟、彭一湖など、われわれを罵るような連中でも、養っておき、罵らせておく。その罵ったことに道理がなければ反駁し、道理があれば受けいれる。こうしたやり方は、党にとって、人民にとって、社会主義にとって比較的有利である。
いま、中国にはまだ階級と階級闘争が存在している以上、さまざまな形の反対派があらわれないはずはない。すべての民主政党と無党派民主人士は、中国共産党の指導を受けいれることを表明しているが、かれらのなかの多くのものは、実際には、程度の差こそあれ、反対派なのである。「革命を最後まで遂行する」、抗米援朝、土地改革などの問題では、かれらはみな、反対でもあり、また反対でもなかった。反革命鎮圧にたいしては、かれらはいまでもまだ異議をとなえている。かれらは、共同綱領はまったくすばらしいなどといって、社会主義型の憲法をつくろうとしなかった。だがいったん憲法が起草されると、こんどはみな手をあげて賛成した。事物はしばしばその反面に転化するものだが、多くの問題にたいする民主政党の態度もこうしたものである。かれらは反対派でもあるし、反対派でもなく、しばしば反対から反対しないほうに移っていく。
共産党も民主政党もみな歴史的に発生したものである。およそ歴史的に発生したものは、歴史的に消滅する。したがって、共産党はいつかは消滅するし、民主政党もいつかは消滅する。消滅するのはそんなに不愉快なことだろうか。わたしは、たいへん愉快なことだと考える。共産党、プロレタリア階級独裁が不要なものになったときこそ、ほんとうにすばらしいとおもう。われわれの任務は、それらがはやく消滅するように促進することである。この道理については、これまでになんども述べてきた。
しかし、プロレタリア政党とプロレタリア階級独裁は、いまはどうしてもなくてはならないし、しかもひきつづき強めていかなくてはならない。さもないと、反革命を鎮圧することもできず、帝国主義に抵抗することもできず、社会主義を建設することもできず、建設したところで、それをうち固めることもできない。プロレタリア政党とプロレタリア階級独裁についてのレーニンの理論は、けっして一部の人のいうように「時代おくれ」にはなっていない。プロレタリア階級独裁は大きな強制的性格を持たないわけにはいかないのだ。しかし、官僚主義には反対し、機構の肥大化には反対しなければならない。わたしは、一に人が死なず、二に仕事が停頓しない、という条件のもとで、党と政府の機構を大いに簡素化し、三分の二をきりすてるよう提案する。
だからといって、党と政府の機構を簡素化することは、民主政党はいらないと言うことではない。みなが統一戦線の工作に力をいれて、かれらとわれわれとの関係を改善し、できるだけかれらの積極性を発揮させて社会主義に役立たせるよう希望する。
反革命とはどういう要素か。消極的要素、破壊的要素であり、積極的要素に反対する力である。反革命分子は転化できるだろうか。もちろん、骨の髄からの一部の反革命分子は転化できない。しかし、わが国の条件のもとでは、その大多数の者は、将来、程度の差こそあれ、転化をとげるであろう。われわれが正しい政策をとったので、現にかなりの反革命分子が、革命に反対しない者に改造されており、いくらか有益な仕事をした者もいる。
いくつか確認しておくべき点がある。
第一に、一九五一年と一九五二年のあのときの反革命鎮圧は必要なものであった、ということを確認しておくべきである。あのときの反革命鎮圧はやらなくてもよかった、といった意見がある。このような意見はまちがっている。
反革命分子にたいする措置としては、死刑、投獄、管制、放免がある。死刑がどういうものかは周知のとおりである。投獄とは、獄にいれて労働改造をさせること、管制とは、社会に置いておき、大衆の監督のもとに改造をさせること、放免とは、逮捕してもしなくてもよい者を、一般的には逮捕しないこと、あるいは逮捕のあと態度のよい者を釈放することである。それぞれの状況におうじて、反革命分子にそれそれちがった処置をとるのは、必要なことである。
ここでは死刑についてだけ述べる。あのときの反革命鎮圧で一部の者を処刑したが、それはどんな人間だったのか。それは人民大衆からひじょうに憎まれている、血の債務が山のようにある反革命分子であった。六億人民の大革命で、あの「東の大悪党」だの「西の大悪党」だのを処刑しなければ、人民は立ちあがれなかった。もし、あのときの鎮圧がなかったら、こんにちわれわれのとっている寛大な政策に人民大衆が賛成することはありえない。いま、スターリンが一部の者をまちがって処刑したと聞いて、われわれがあのとき反革命分子を処刑したのもまちがっていた、と言う人がいるが、これは正しくない。かつての処刑が根本的に正しかったと確認することは、いま現実的な意義をもっている。
第二に、まだ反革命分子はいるが、ずっと少なくなっている、ということを確認しておくべきである。胡風問題が発生したのち、反革命分子の摘発をおこなったのは必要なことであった。まだ摘発されていない者にたいしては、ひきつづき摘発していかねばならない。いまなお、少数の反革命分子がいることを確認すべきである。この連中はいまでもさまざまな反革命的破壊活動をやっている。たとえば牛を殺し、食糧を焼きはらい、工場を破壊し、情報を盗み、反動的ビラを張る、などがそれである。したがって、反革命分子はもう一掃された、枕を高くして眠れる、というのはまちがっている。中国と世界にまだ階級闘争があるかぎり、永久に警戒心をゆるめてはならない。だが、いまでも反革命分子がたくさんいる、というのもまちがっている。
第三に、今後、社会における反革命分子の鎮圧は、逮捕や死刑を少なくすることである。社会における反革命分子は、人民大衆の直接のうらみの的であり、大衆が骨の髄まで憎んでいるので、少数の者はやはり死刑にしなければならない。かれらの大多数については、農業協同組合にひき渡して、その管制のもとで生産に従事させ、労働改造をさせるべきである。しかし、われわれはまだ、ひとりも処刑しないと宣言することはできないし、死刑を廃止することはできない。
第四に、機関、学校、部隊における反革命分子の摘発は、延安ではじめたあの箇条を堅持すること、つまりひとりも殺さず、大部分を捕えずである。証拠の確実な反革命分子については、機関で摘発する。しかし、公安局は逮捕せず、検察機関は起訴せず、法院でも裁判にかけない。百人の反革命分子のうち、九十いく人かはこのように処理する。これがいわゆる大部分を捕えず、である。死刑についてはどうか。ひとりも死刑にしないのである。
どのような人間を死刑にしないのか。胡風、潘漢年、饒漱石のような者は死刑にせず、捕虜になった戦犯の宣統皇帝や康沢なども死刑にしない。死刑にしないのは、死刑とすべき罪がないからではなく、死刑にすると不利だからである。こうした人間をひとり死刑にすると、第二、第三の者もそれと比較され、けっきょく数多くの首がはねられてしまう、これがその一である。その二は、まちがって処刑してしまうことがおこる。歴史の証明するところによれば、地に落ちた首は、つなぎあわせることはできず、また、ニラとちがって、いちど切りとると、二度と伸びてこないので、もし切りまちがえたら、誤りを改めようとしても改めようがない。その三は、証拠が湮滅してしまう。反革命分子の鎮圧には証拠が必要である。ひとりの反革命分子が他の反革命分子の生き証人ということはしばしばあり、事件が生じたらかれに教えを乞うことができる。そのかれを消滅してしまうと、もう証拠が見つからなくなるかもしれない。これは、反革命に有利となるだけで、革命には不利である。その四は、かれらを死刑にしたところで、一に生産を増加させることも、二に科学の水準を高めることも、三に四害退治に役立たせることも、四に国防を強大にすることも、五に台湾をとりもどすこともできるわけではない。かれらを死刑にすれば、捕虜を処刑したという名声を博するが、捕虜処刑の名声は由来かんばしくないものと決まっている。もう一つ、機関の反革命分子は社会の反革命分子とはちがう。社会の反革命分子は人民の頭上にのさばっているが、機関の反革命分子は人民とはいくらか隔たっており、普遍的なうらみは買っていても、直接的なうらみはあまり買っていない。この連中をひとりも死刑にしないからといって、なんの害があるだろうか。労働改造できる者は労働改造にいかせ、労働改造できない者は養っておけばよい。反革命分子は屑であり、害虫である。だがこちらがおさえてしまえば、人民のために何かやらせることもできる。
しかし、機関の反革命分子はひとりも死刑にしないという法律をつくる必要があるだろうか。これはわれわれの内部政策で、発表しなくてもよく、実際に、極力この方針に沿ってやればよいのだ。もし、だれかがこの部屋に爆弾を投げつけ、室内の者を全部、あるいは半数、または三分の一殺したとする。その犯人を死刑にすべきかどうか。それはもちろん死刑にしなければならない。
機関における反革命分子の粛清で、ひとりも死刑にしない方針を実行することは、われわれが反革命分子にたいして厳然たる態度でのぞむのを妨げるものではない。しかし、この方法によれば、取り返しのつかない誤りを犯さずにすむことが保証され、誤りを犯してもそれを改める機会が得られ、多くの人を安定させることができ、党内の同志間の相互不信を避けることができる。首をはねない以上、飯を食わせなければならない。すべての反革命分子にたいして、更生の機会が得られるよう生活の道をあたえるべきである。こうしたやり方は、人民の事業にとっても、国際的影響からみても有益である。
反革命分子鎮圧には、まだ骨の折れる仕事が必要であり、気をゆるめてはならない。今後は、社会の反革命分子をひきつづき鎮圧するほか、機関、学校、部隊にもぐりこんでいるすべての反革命分子をひきつづき摘発しなければならない。かならず、敵と味方のけじめをはっきりつけなければならない。もしも、敵をわれわれの陣営にもぐりこませ、はてはわれわれの指導機関にまでもぐりこませたならば、社会主義事業とプロレタリア階級独裁にどんなに重大な危険をもたらすか、これはだれの目にも明らかなことである。
党内でも、党外でも、是と非をはっきりさせなければならない。誤りを犯した人にどう対処するかは、重要な問題である。正しい態度とは、誤りを犯した同志にたいして「前の誤りを後のいましめとし、病をなおして人を救う」という方針をとり、かれらが誤りを改めるよう援助し、かれらがひきつづき革命をやるのを許すことである。かつて、王明をかしらとする教条主義者が実権を握っていたとき、わが党はこの問題で誤りを犯し、スターリンの作風のよくない面をまねた。かれらは、社会では中間勢力をしめだし、党内では人が誤りを改めるのを許さず、革命をやるのを許さなかった。
『阿Q正伝』はすぐれた小説である。これを読んだことのある同志にはもういちど読むよう、読んだことのない同志にはよく読んでみるよう、すすめたい。魯迅はこの小説で、ひとりのおくれた、めざめていない農民を中心に描いている。魯迅はとくに「革命を許さない」という一章を書いて、ニセ毛唐は阿Qが革命するのを許さない、と述べている。その実、阿Qがそのとき考えていた革命とは、他の人と同じように、すこしばかり品物を手にいれることでしかなかった。だが、こんな革命でもニセ官唐は許さなかった。わたしの見るところ、この点では、一部の人は、どうもニセ毛唐によく似ているようだ。かれらは誤りを犯した人が革命するのを許さず、誤りを犯した者と反革命分子とのけじめをつけず、はては一部の誤りを犯した人をも殺してしまった。われわれはこの教訓を銘記しなければならない。社会において人が革命するのを許さないのも、党内において誤りを犯した同志がそれを改めるのを許さないのも、よくないことである。
誤りを犯した同志については、かれらが改めるかどうか観察する必要がある、と言う人がいる。わたしに言わせれば、観察するだけではだめで、かれらが改めるのを援助してやるべきである。つまり、一に観察し、二に援助することである。人間はだれしも援助が必要である。誤りを犯さなかった人にも援助が必要であるが、誤りを犯した人にはなおさら援助が必要である。およそ人間は、多かれ少なかれ誤りを犯すものであり、誤りを犯さない人間はおそらくいないだろう。誤りを犯せば援助が必要になる。ただ観察するだけでは消極的であり、さまざまな条件をつくって、誤りを改めるよう援助すべきである。是か非かは、かならずはっきりさせなければならない。なぜなら、党内における原則問題の論争は、社会の階級闘争が党内に反映したものであり、いいかげんにしておくことは許されないからである。誤りを犯した同志にたいして、状況におうじ、適度の、実際に即した批判、ばあいによっては必要な闘争をおこなうのは、正常なことであり、それはかれらが誤りを改めるよう援助するためである。誤りを犯した同志に援助をあたえないばかりか、人の災いを喜ぶ、これこそセクト主義である。
革命についていえば、なんといっても人が多いほうがよい。誤りを犯した人のうちで、誤りに固執し、いくら諭しても改めないごく少数の人を除けば、大多数は改めることができる。ちょうど腸チフスにかかると免疫になるようなもので、誤りを犯した人も、そこからよく教訓を汲みとりさえすれば、あまり誤りを犯さずにすむようになる。かえって、誤りを犯したことのない人のほうが、誤りを犯しやすい。なぜなら、このような人は、とかく、鼻高だかになりがちだからである。誤りを犯した人をせめすぎると、しばしばわが身にはねかえってくるものだということに注意しなければならない。もともと、高崗は石を持ちあげて人を打とうとしたのであるが、結果は自分自身を打倒してしまった。誤りを犯した人に善意をもってあたれば、人心を得ることができ、人と団結することができる。誤りを犯した同志にたいして、いったい、援助する態度をとるのか、敵視する態度をとるのか、これは、その人が善意なのか、悪意なのかを見わける基準となる。
「前の誤りを後のいましめとし、病をなおして人を救う」という方針は、全党を団結させる方針であり、われわれはこの方針を堅持しなければならない。
外国に学ぼう、というスローガンをわれわれは提起したが、このスローガンは正しいとおもう。いま、一部の国の指導者は、このスローガンを提起したがらないか、提起する勇気さえない。これは多少勇気のいることであり、つまり、舞台で見得を切るようなまねをやめることである。
どの民族にもそれぞれの長所があることを認めるべきである。長所がなければ、どうして存在でき、どうして発展できるのだろうか。同時に、どの民族にもそれぞれの短所がある。社会主義はまったくたいしたもので、すこしの欠点もない、と思っている人がいる。そんなことがありえようか。かならずすぐれた点と欠点という二つの点があることを承認すべきである。わが党の支部書記、軍隊の中隊長、小隊長らはみな、自分の手帳にこう書きいれることを知っている――きょう、経験を総括すれば二つの点にわけられる、一つはすぐれた点、一つは欠点である、と。かれらはみな二つの点が存在していることを知っているのに、なぜわれわれは一つの点しか提起しないのか。一万年たっても二つの点は存在する。将来には将来の、現在には現在の、各人には各人の二つの点がある。要するに一つの点ではなくて、二つの点がある。一つの点しかないというのは、その一を知って二を知らざるものである。
われわれの方針は、すべての民族、すべての国の長所は学ぶべきであり、政治、経済、科学、技術、文学、芸術などの真にすぐれたものは、すべて学ぶべきであるということである。しかし、分析的、批判的に学ぶべきで、盲目的に学んではならず、なにもかも引きうつしたり、機械的に持ちこんだりしてはならない。かれらの短所や欠点は、もちろん学んではならない。
ソ連およびその他の社会主義国の経験にたいしても、こうした態度をとるべきである。かつて、われわれの一部の人びとは、このことがわからず、人の短所をも学んだ。学びとったあと、たいしたものだと得意になっているころには、向こうではもう不要なものとなっており、その結果つまずいてしまい、孫悟空のように、トンボ返りをうって元の木阿彌になったのである。たとえば以前、ソ連では映画部、文化局を設けているのに、われわれのほうでは文化部、映画局となっているのは、われわれが原則的な誤りを犯していることだ、と言う人がいた。ところが、意外なことに、ほどなくしてソ連でも文化部を設け、われわれと同じになった。どんな物事にも分析を加えず、完全に「風」むきしだいの人が一部にいる。きょう、北風が吹けば北風派になり、あす、西風が吹けば西風派になり、その後また北風が吹けば、また北風派になる。自分には定見がまったくなく、しばしば、極端から極端に走るのである。
ソ連で、かつてはスターリンを一万丈の高さにまで待ちあげていた人が、いまでは一挙にかれを地下九千丈にまでこき下ろしている。わが国にもその尻馬に乗っている者がいる。中央では、スターリンは誤り三分、功績七分で、総じてやはり偉大なマルクス主義者であると認め、この尺度から『プロレタリア階級独裁の歴史的経験について』の一文を書いた。三分、七分の評価は比較的適切である。スターリンは中国について、いくつかのまちがった事をやった。第二次国内革命戦争後期における王明の「左」翼冒険主義、抗日戦争初期における王明の右翼日和見主義は、いずれもスターリンのところからきたものである。解放戦争の時期には、はじめはわれわれに革命をやるのを許さず、もし内戦をやったら中華民族は壊滅するおそれがあるといった。戦争がはじまると、われわれにたいして半信半疑であった。戦争に勝つと、こんどはチトー式の勝利ではないかとわれわれを疑い、一九四九年、一九五〇年の二年間、われわれに大きな圧力をかけてきた。それでもわれわれは、スターリンは誤り三分、功績七分だとみているのである。これは公正な見方である。
社会科学、マルクス・レーニン主義について、スターリンの説いた正しい部分は、われわれはかならずひきつづきその学習につとめるべきである。われわれが学ぶのは、普遍的真理に属するもので、しかもかならず中国の実際と結びつけて学ばなければならない。もしマルクスのを含めて、一宇一句、そっくり持ちこんだら大へんなことになる。われわれの理論は、マルクス・レーニン主義の普遍的真理と中国革命の具体的実践との結合である。党内の一部の人たちは、ある時期に教条主義をやったことがあるが、当時、われわれはこれを批判した。しかし、いまでもまだある。学術界にしろ、経済界にしろ、いずれにもまだ教条主義がある。
自然科学の面では、われわれは比較的立ちおくれており、外国から学ぶようとくに努力しなければならない。しかし、これも批判的に学ぶべきで、盲目的に学んではならない。技術の面については、わたしの見るところ、大部分はひとまずそのとおりにやることである。なぜなら、いま、われわれのところにはまだそれがないし、よくわからないので、学んでおいたほうが有利だからである。しかし、すでにわかっている部分については、事ごとにそのとおりにやる必要はない。
外国ブルジョア階級のいっさいの腐敗した制度と思想、作風にたいしては、断固として拒否し、批判しなければならない。だが、このことは、われわれが資本主義国の先進的な科学技術と、企業管理方法のなかの科学的な面を学ぶのを妨げるものではない。工業の発達した国の企業は、所要人員が少なく、能率が高く、商売もうまい。われわれの仕事の改善に役立たせるために、原則をふまえたうえでこれらの事をよく学びとるべきである。いま、英語をやる人も英語を研究しなくなり、学術論文も英語、フランス語、ドイツ語、日本語に訳して相手と交換することをしなくなっている。これまた一種の偏見である。外国の科学、技術、文化を分析も加えずに一概に排斥するのと、さきに述べた、外国のものを分析も加えずに一概にそのまま持ちこむのとは、どちらもマルクス主義の態度ではなく、われわれの事業にとって不利である。
わたしは、中国には二つの欠点があり、それは同時に二つのすぐれた点でもあるとおもう。
第一に、わが国はかって帝国主義ではなく、植民地・半植民地であって、ずっとしいたげられてきたということである。工農業は発達しておらず、科学技術の水準は低く、そして土地が広大で物産が豊かなこと、人口が多いこと、歴史が長いこと、それに、文学の面で『紅楼夢』があることなどを除けば、多くの面で外国におよばず、いばれたものではなかった。しかし、一部の人は、長いあいだ奴隷だったので、何事も人に劣ると思いこみ、外国人の前で背筋を伸ばすことができなくなり、まるで『法門寺』の賈桂〔2〕と同じように、人に腰をかけろと言われても、立ちなれているからと言って腰をかけようとしないのである。この面では元気を出して、民族の自負心を強め、抗米援朝のときに提唱した「アメリカ帝国主義を蔑視」するあの精神を発揚しなければならない。
第二に、われわれの革命は後発の革命だ、ということである。辛亥革命で皇帝を打倒したのは、ロシアよりも先だが、当時は共産党がなく、この革命は失敗した。人民革命の勝利は一九四九年で、ソ連の十月革命より三十数年おそかった。この点でも、われわれのいばってでる幕ではない。ソ連はわれわれとちがい、一にツァー・ロシアは帝国主義であり、二にのちになってさらに十月革命があった。それで、多くのソ連人はひじょうにいぱっており、鼻高だかとしているのである。
われわれのこの二つの欠点はすぐれた点でもある。わたしはつぎのように言ったことがある。われわれは一に「貧窮」、二に「空白」である、と。「貧窮」とは、工業がいくらもなく、農業も発達していないことである。「空白」とは、一枚の白紙で、文化水準も科学水準も低いことである。発展の観点からみれば、これは別に悪いことではない。貧窮であれば革命をやろうとするが、富裕であれば革命はやりにくい。科学技術水準の高い国は、ひじょうにおごり高ぶっている。われわれは一枚の白紙で、文字を書くのには好都合である。
したがって、この二つの点はどちらもわれわれにとって有益である。将来、われわれの国が富強になったときも、われわれはかならず、革命的立場を堅持し、謙虚でつつしみ深く、人に学ぶべきであり、鼻を高くしてはならない。第一次五ヵ年計画の期間だけではなく、数十の五ヵ年計画を経たのちにも、やはり人に学ぶべきである。一万年たっても学ぶのだ。それがどうして悪いだろう。
あわせて十の問題について述べた。この十種の関係は、いずれも矛盾である。世界は矛盾から成りたっている。矛盾がなければ、世界は存在しない。われわれの任務は、これらの矛盾を正しく処理することである。実践のなかでこれらの矛盾が完全にうまく処理できるかどうか、やはり二つの可能性にそなえなければならない。しかも、これらの矛盾を処理していく過程でも、かならずまた新しい矛盾、新しい問題に出あうはずである。しかし、われわれがよく言っているように、道はつねに曲がりくねっているが、前途はつねに明るい。われわれはかならず、党内党外、国内国外のあらゆる積極的な要素、直接的、間接的な積極的要素をぜんぶ動員し、わが国を強大な社会主義国にきずきあげるために努力しなければならない。
〔1〕 義務供出制とは、ソ連が一九三三年から一九五七年まで実施した、国家による農産物買付のおもなやり方である。コルホーズと個人経営農家は、毎年、同家の規定する義務供出の数量と価格にしたがって国家に農産物を提供することになっている。
〔2〕 賈桂は、京劇『法門寺』に出てくる明朝の宦官劉瑾の腹心である。
① 生産量、買付量、販売量を規定することで、一九五五年春から実施された措置である。生産量を規定するとは、平年作の単位面積当たり収量を基準にして生産量を算定することをさし、一九五五年から三年間は、増産であっても買付をふやさない。買付量を規定するとは、政府が余剰食糧保有農家から買い付ける余剰食糧の比率を固定すること。販売量を規定するとは、政府が食糧不足農家にあたえる食糧の供給量を規定すること。「三定」という措置は、農民の生産意欲を高めるためにとられたものである。
(一九五六年七月十四日)
これは、毛沢東同志が三人のラテンアメリカの人士に語った談話の一部である。
アメリカは、他人を侵略する目的をとげるため、いたるところで反共の看板をかかげています。
アメリカは、いたるところに借りがあります。中南米諸国、アジア、アフリカ諸国に借りがあり、ヨーロッパ、オセアニア諸国にも借りがあります。イギリスも含めて全世界がすべてアメリカをきらっています。広範な人民はみなアメリカをきらっています。アメリカが抑圧しているので、日本はアメリカをきらっています。東方諸国でアメリカの侵略をうけていない国は一つもありません。アメリカは中国の台湾省を侵略しています。日本、朝鮮、フィリピン、ベトナム、パキスタンは、いずれもアメリカの侵略をうけていますが、そのうちの一部はアメリカの同盟国でもあるのです。人民はこころよく思っていませんし、一部の国の当局もこころよく思っていません。
抑圧をうけているすべての民族は、みな独立を求めています。
なにごとも変化するものです。腐敗した大きな力は、新生の小さな力に席をゆずるでしょう。力の小さなものは力の大きなものへと変わるでしょう。なぜなら、大多数の人が変化を要求しているからです。アメリカ帝国主義は力の大きなものから小さなものへと変わるでしょう。なぜなら、アメリカ人民も自国政府をこころよく思っていないからです。
わたしは自分の一生をっうじて、こうした変化を体験してきたのです。ここに在席しているわれわれのなかには、清朝生まれの人もいますし、民国生まれの人もいます。
清朝はとっくにくつがえされました。だれがくつがえしたのでしょうか。孫中山の指導する党が人民といっしょにくつがえしたのです。孫中山の力は微々たるもので、清朝の役人はかれを眼中におきませんでした。かれはなんども蜂起したが、いずれも失敗しました。だが最後には、やはり孫中山が清朝をくつがえしたのです。大きいからといって、恐れるにたりません。大きなものは小さなものにくつがえされます。小さなものは大きなものに変わります。清朝をくつがえしたあと、孫中山は挫折しました。なぜなら、人民の要求、たとえば人民の土地にたいする要求、帝国主義反対の要求をみたきなかったからです。また、当時反革命がいたるところに横行していたのに、かれはこの反革命を鎮圧することを知りませんでした。その後、かれは北洋軍閥の首領袁世凱によって敗北の憂き目を見たのです。袁世凱の力は孫中山よりも大きいものでした。しかしやはり、力が小さくても、人民と結びついているものは強く、力が大きくても、反人民的なものは弱い、という法則どおりになったのです。その後、孫中山のブルジョア民主主義革命派は、われわれ共産党と合作して、袁世凱によって残された軍閥の体系をうち破りました。
蒋介石の中国支配は、世界諸国の政府から承認され、その支配は二十二年にわたり、力はもっとも大きいものでした。われわれの力は小さく、もと五万いた党員も、反革命による弾圧のために、数千人しか残りませんでした。敵はいたるところで攪乱をおこないました。しかしやはり、人民から遊離しているために、強大なものでも失敗し、人民と結びつき人民のために仕事をしているために、弱小なものでも勝利する、という法則どおりになったのです。結局はこういうことだったのです。
抗日戦争の時期、日本はひじょうに強大でした。国民党の軍隊は辺ぴな地区に追いやられ、共産党の指導する武装力も、敵後方の農村で遊撃戦をくりひろげるほかはありませんでした。日本は、北京、天津、上海、南京、武漢、広州といった中国の大都市を占領しました。しかし、日本軍国主義も、ドイツのヒトラーもこの法則どおり数年もたたないうちに崩壊したのです。
われわれは数かずの困難を経てきました。南から北に追われ、数十万人が余すところわずか数万人になってしまいました。二万五千里①の長征で残ったのは二万五千人でした。
わが党の歴史には、「左」よりと右よりの路線上の誤りがいくたびかあらわれました。そのうちもっとも重大な誤りは、陳独秀の右よりのものと王明の「左」よりのものです。このほかにまだ、張国燾、高崗らの右よりの誤りがあります。
誤りを犯すことにも利点があるものです。それは人民を教育し、党を教育してくれます。われわれには、日本、アメリカ、蒋介石、陳独秀、李立三、王明、張国燾、高崗といった多くの反面教師がいます。これらの反面教師から学ぶのに、われわれは大きな代価をはらいました。歴史のうえで、ィギリスはわれわれとなんども戦争しました。イギリス、アメリカ、日本、フランス、ドイツ、イタリア、ツァー・ロシア、オランダは、みなわれわれのこの土地に、大いに興味をもっていました。かれらはみなわれわれの反面教師であり、われわれはかれらの学生です。
抗日戦争の時期、日本と戦うなかで、われわれの軍隊は九十万に発展しました。そのあとが解放戦争です。われわれの銃砲は国民党におよびませんでした。四百万いた国民党軍は三年の戦いで、われわれに累計八百万消滅されました。アメリカ帝国主義に援助された国民党は、われわれに勝てなかったのです。強大なものは勝てず、弱小なものが結局は勝利するものです。
いまアメリカ帝国主義はたいへん強いといっても、ほんとうの強さではありません。アメリカ帝国主義は政治的にきわめて弱体です。なぜなら、広範な人民から遊離し、みなからきらわれ、アメリカ人民からもきらわれているからです。見かけはたいへん強そうでも、実際には、恐ろしいものではなく、ハリコの虎なのです。見かけは虎ですが、紙でできており、風雨に耐えられません。わたしの見るところ、アメリカはハリコの虎にほかなりません。
強いものが弱いものに席をゆずる――これは、全歴史の立証するところであり、数千年にわたる人類の階級社会の歴史の立証するところです。米州もその例外ではありません。
帝国主義が消滅されて、はじめて太平が訪れます。ハリコの虎は、いつかは消滅されるものです。だが、みずから消滅することはありえず、風雨でうちのめさなければなりません。
われわれが、アメリカ帝国主義はハリコの虎であるというのは、戦略的にいっているのです。全体についていえば、それを軽視しなければなりません。個々の局部についていえば、それを重視しなければなりません。アメリカ帝国主義には、爪もあり、牙もあります。それを処理するには、一つひとつ片づけていかなければなりません。たとえば、牙が十本あるとします。最初にその一本をたたき折ると、九本残ります。さらに一本たたき折っても、まだ八本残ります。牙を全部たたき折っても、まだ爪があります。一歩一歩しんけんにやっていけば、最後にはかならず成功するものです。
戦略的にはそれをまったく軽視し、戦術的にはそれを重視する。それと闘争するばあい、一つひとつの戦い、一つひとつの問題を重視しなければなりません。いまアメリカは強大ではありますが、広大な範囲から見ても、全局から見ても、長い目で見ても、人心を得られず、その政策は評判がよくありません。なぜなら、人民を抑圧し、搾取しているからです。この点から、虎はかならず死にます。だから、なにも恐ろしくはなく、軽視していいのです。しかし、アメリカはいままだ力があり、年に一億余トンの鋼鉄を生産し、いたるところで人にかみついています。したがって、まだまだアメリカと闘争しなければならず、力いっぱいたたかい、陣地を一つひとつ争奪していかなければなりません。これには、時間をかける必要があります。
どうやら、米州諸国、アジア、アフリカ諸国は、これからもアメリカと争いつづけ、ハリコの虎を風雨でうちのめすまで争うほかはないようです。
アメリカ帝国主義に反対するため、中南米諸国のヨーロッパの移民は、現地のインディオと団結すべきです。ヨーロッパから移住した白色人種は、一部は支配者、もう一部は被支配者という二つの部分にわけるれるのではないでしょうか。そうであれば、抑圧されている部分の白色人種は、現地人と容易に接近できます。なぜなら、そのおかれている地位が同じだからです。
われわれと、ラテンアメリカの友人、アジア、アフリカの友人とは、同じ地位におかれており、人民のためにつくし、人民にたいする帝国主義の抑圧を軽減するという同じ仕事にたずさわっています。仕事をりっぱにおこなえば、帝国主義の抑圧を根底から一掃することができるのです。この点でわれわれは同志であります。
われわれとあなたがたは、住んでいる地域、民族、言語がちがうだけであって、帝国主義の抑圧に反対するという点では性質が同じです。われわれと帝国主義とは、性質を異にしており、われわれは帝国主義を見ただけでも不愉快に感じます。
帝国主義になんの用があるのでしょうか。中国人民にとって帝国主義は不要であり、全世界人民にとっても帝国主義は不要です。帝国主義など存在する必要はないのです。
① 一里は五〇〇メートル。
(一九五六年八月三十日)
これは、毛沢東同志が中国共産党第八回全国代表大会予備会議の第一回会議でおこなった演説である。
きょうから、第八回全国代表大会の予備会議をひらく。予備会議は十数日間とするが、そのおもな仕事は、一、大会文書の作成、二、中央委員会の予備選挙、三、大会における発言原稿の準備である。
ここで、わたしはいくつか意見をのべてみたいとおもう。
第一点、大会の目的と主旨について。こんどの大会では、どのような問題を解決し、どのような目的を達成しなければならないのか。概括的にいうならば、それは、第七回党大会いらいの経験を総括し、全党を団結させ、国内国外の団結できるすべての勢力と団結して、偉大な社会主義の中国を建設するために奮闘する、ということである。
経験の総括についていうと、われわれの経験はひじょうに豊富だが、ただ多くの事がらをならべるだけではいけない。重点をつかみ、実際から出発し、マルクス主義の観点に立って総括しなければならない。こうした総括は、われわれ全党にとって、ひとつの推進力となり、われわれの活動を、これまでよりもいっそうよいものにすることだろう。
われわれの党は、偉大な、光栄ある、正しい党である。これは、全世界で広く認められているところである。以前、一部の外国の同志は、中国共産党はいったいどんなことをやっているのか、という疑問をもっていた。多くの人は、民族ブルジョア階級にたいするわれわれの政策を理解していなかったし、また、われわれの整風運動のことも、あまり理解していなかった。わたしの見たところ、いまでは理解している人がいっそう多くなり、一般的には理解しているといってよい。もちろん、一部にはまだ理解していない人もいるだろう。国内でも、はては党内でも、一部には、理解せず、第七回党大会いらいの路線がそれほど正しいとはかぎらない、と考えている人もいるだろう。しかし、事実は歴然としている。われわれは、二つの革命をすすめた。一つは、全国的な政権を奪取するというブルジョア民主主義革命であり、もう一つは、社会主義的改造をおこない、社会主義国を建設するというプロレタリア社会主義革命である。われわれが第七回党大会いらいの十一年間におさめた成果は、ひじょうに大きなもので、これは全国が認めており、全世界が認めており、外国のブルジョア階級でさえ認めざるをえなくなっている。二つの革命は、第七回党大会から現在までの党中央の路線が正しいものであることを立証している。
十月革命はブルジョア階級をくつがえしたが、これは世界における新鮮な出来事であった。この革命について、国際ブルジョア階級の多くは、あたまから罵倒し、さんざん悪態をついている。ロシアのブルジョア階級は反革命的階級で、当時、かれらは、国家資本主義というものを受けいれず、サボタージュや破壊活動をおこない、武器をとって反抗した。ロシアのプロレタリア階級は、かれらをかたづけてしまうよりほかはなかった。この事が、各国のブルジョア階級の怒りを買い、かれらはののしりだしたのである。われわれのところでは、民族ブルジョア階級にたいして、比較的おだやかに対処しているので、かれらは、わりあい気分がよく、まだいくらかいいところもあると感じている。いま、アイゼンハワーやダレスは、アメリカの記者が中国にくるのを許可していないが、これは、事実上、われわれの政策のこの長所を認めていることである。もし、われわれのところがめちゃくちゃならば、どのみちわれわれをののしる文章を書くのだから、かれらは記者がくるのをさしとめないだろう。かれらがおそれているのは、書きあがった文章が、われわれをののしるだけでなく、いくらかいい点もいうことであって、それでは困るのである。
昔は、中国のことを「老大帝国」「東亜の病夫」などといい、経済、文化ともに立ちおくれ、衛生を重んぜず、球技もだめ、水泳もだめ、女は纒足、男は辮髪、それに宦官もおり、お月さまも中国のは大して美しくなく、なんといっても外国の月のほうが澄んでいる、といっていた。一言でいえば、中国には悪いところが多いというのだ。だが、この六年の改革をつうじて、われわれは中国の姿を変えてしまった。われわれの成果は、だれも、これを否定することができない。
われわれの革命事業を指導する中核は、わが党である。今回の大会における経験の総括は、まず全党の団結をより強化するものでなければならない。六月現在、わが党には千七十三万の党員がいる。この千余万の党員にたいして、幅広く教育、説得や団結の面の活動をすすめて、これらの党員が、人民のなかで中核としての役割をよりよく果たすようにしなければならない。ただ党があるというだけではだめで、党は中核なのであり、かならず大衆がいなければならない。工業、農業、商業、文化・教育などの活動をふくむわれわれの具体的な諸活動は、その九〇パーセントが党員によってではなく、非党員によって進められている。したがって、大衆としっかり団結しなければならず、団結できるすべての人と団結し、ともに仕事をしていかなければならない。これまで、全党を団結させる面でも、また党外の人たちと団結する面でも、われわれには多くの欠点があった。われわれは、今回の大会で、また大会後の宣伝・教育活動をつうじて、この面の仕事を大いに改善しなければならない。
国際的には、われわれは、全世界の団結できるすべての勢力と団結しなければならず、まずソ連と団結し、兄弟党、兄弟諸国およびその人民と団結しなければならない。また、平和を愛するすべての国家、人民と団結し、役に立つすべての力を借りるようにしなければならない。今回のわれわれの大会には、五十数ヵ国の共産党の代表が参加するが、これはひじょうによいことである。以前、われわれには、全国的な政権もなく、二つの革命の勝利もなく、建設の成果もなかったが、いまはちがう。外国の同志は、われわれのことをわりあい尊重している。
われわれが、党内党外、国内国外の団結できるすべての勢力と団結する目的はなにか。それは、偉大な社会主義国を建設するためである。われわれのこのような国を形容するには「偉大な」という文字がつかえるし、またこれをつかうべきである。われわれの党は偉大な党であり、われわれの人民は偉大な人民であり、われわれの革命は偉大な革命であり、われわれの建設事業は偉大な建設事業である。地球上で、六億の人口をもつ国は、われわれの国だけである。これまで、われわれが見くびられていたのには、わけがあった。それは、われわれがなんの貢献もしていなかったからで、鋼鉄も一年に数十万トンしか生産できず、それも日本人の手に握られていた。国民党蒋介石は二十二年にわたって独裁をおこなったが、そのあいだ鋼鉄は一年にわずか数万トンしかつくれなかった。われわれはいまもまだ多いとはいえないが、手をつけ始めた。今年は四百万トンあまり、来年は五百万トンを突破し、第二次五ヵ年計画では一千万トンを越し、第三次五ヵ年計画では二千万トンを越すだろう。われわれは、この目標実現のため努力しなければならない。世界には、およそ百を数える国があるが、二千万トン以上の鋼鉄を生産できるのはわずか数ヵ国にすぎない。したがって、われわれの国も建設されていけば、偉大な社会主義国となり、過去百年あまりのああした立ちおくれた状況、人に見くびられた状況、災難つづきの状況は、完全にあらためることができるし、そればかりか世界でいちばん強大な資本主義国、つまりアメリカに追いつくこともできるであろう。アメリカの人口は一億七千万にすぎないが、わが国の人口はそれより数倍多く、資源も豊富で、気候条件も大差がないから、追いつくのは可能である。追いつくべきかどうか。もちろん追いつくべきである。六億の人口は、いったいなにをしているのか。居眠りでもしているのではあるまいか。居眠りをするのが当然なのか、それとも仕事をするのが当然なのか。もし仕事をするのが当然だというならば、むこうは一億七千万の人口で一億トンの鋼鉄を生産しているのだから、六億の人口で、二億トン、三億トンの鋼鉄がつくれないことがあろうか。追いつけないならば、われわれには道理がなく、それほど光栄ではなく、それほどとくに偉大ではないということになる。アメリカは、建国後わずか百八十年しかたっておらず、その鋼鉄の生産も六十年まえにはわずか四百万トンだった。われわれは、アメリカとくらべ六十年立ちおくれているわけだ。五十年、六十年のちには、われわれは当然アメリカを追いこさなければならないのである。これは、われわれの責務である。中国には、こんなに多くの人間がおり、こんなに広い国土があり、こんなに豊富な資源がある。それに社会主義をやっていると聞くし、優越性もあるという話なのに、五、六十年たっても、まだアメリカを追いこせないとあっては、まったく格好がつかないではないか。これでは、地球からその球籍を剥奪されてしまうだろう! だから、アメリカを追いこすことは、可能であるだけではなく、まったく必要であり、当然なすべきことなのである。もし、そうしなければ、われわれ中華民族は全世界の諸民族に申し訳がたたないし、人類にたいしてあまり貢献していないということになる。
第二点、党の伝統を受け継ぐことについて。今回の大会では、思想面、作風面におけるわが党のすぐれた伝統をひきつづき発揚すべきであり、主観主義、セクト主義という二つのものの一掃にしんけんに取りくむとともに、官僚主義にも反対しなければならない。きょうは官僚主義についてはふれないで、主観主義とセクト主義だけについて話そう。この二つのものは、一掃してもまたあらわれるし、あらわれたならばまた一掃しなければならない。
誤りを犯すというのは、つまりその主観が誤りを犯すのであり、その思想がまちがっているのである。われわれの読んだ、スターリンの誤りを批判した多くの論文は、この問題にふれていないか、あるいはわずかしかふれていない。スターリンは、なぜ誤りを犯したのか。それは、一部の問題で、かれの主観が客観的実際に合致していなかったからである。いま、われわれの活動のなかでも、こうした状況をよく見かける。主観主義とは、客観的実際から出発せず、現実的可能性から出発せずに、主観的願望から出発することである。われわれの今回の大会文書で規定されるもの、述べられるものは、できるかぎり中国の実際に合致するか、それに近いものにしなければならない。同時に、われわれのこれまでの経験にもとづいて、実際に合致しない観点を批判し、この主観主義を批判し、この主観主義に一撃を浴びせなければならない。われわれは、数年前からこの任務をうちだしている。いま、われわれが反対しているのは社会主義革命と社会主義建設のなかでの主観主義である。過去、民主主義革命のさい、われわれはひじょうに長いあいだ主観主義の危害をこうむり、ひじょうにきびしい懲罰を受け、ほとんどすべての根拠地をうしない、革命勢力の九〇パーセント以上をうしなってしまった。このときになってはじめて、われわれは目をひらくようになった。そして、延安での整風をつうじて、調査研究に力をいれ、実際から出発して、はじめてこの問題をはっきりさせることができたのである。マルクス主義の普遍的真理は、かならず中国革命の具体的実践と結びつけなければならず、もし結びつけなければ失敗する。これがつまり、理論と実践を統一させなければならないということである。理論と実践の統一、これはマルクス主義のもっとも基本的な原則である。弁証法的唯物論によれば、思想は客観的実際を反映していなければならず、また客観的実践のなかでの検証によって真理であると実証されたものだけが真理であり、そうでないものは真理といえないのである。この数年のわれわれの活動には成果があったが、主観主義という欠点もいたるところで見うけられた。主観主義は現在だけでなく、将来も存在する。主観主義は永遠に存在し、一万年、一億年、人類が絶滅しないかぎり存在するであろう。主観主義が存在する以上、どうしても誤りを犯すことになる。
もう一つは、セクト主義とよばれるものである。一地方には一地方の全局があり、一国には一国の全局があり、一地球には一地球の全局がある。いまのところ、地球以外についてはふれないでおこう。というのは、まだ航路が通じていないからだ。もし、火星か金星にも人間が発見されたならば、そのときになってから、かれらと団結し、かれらと統一戦線をうちたてる問題について交渉することにしよう。ここで話すのは、党内、国内、全世界の団結の問題である。外国の党や外国の党外の人たちとは、世界平和と人類進歩の事業にいくらかでも役立つかぎり、それがだれであろうと団結すべきだ、というのがわれわれの原則である。まず数十の共産党と団結すべきであり、ソ連と団結すべきである。ソ連でいくらか誤りがおこったので、この面を語りすぎ、とりあげすぎて、こうした誤りをとてつもなく大きなものであるかのようにいうが、このような見方は妥当ではない。いかなる民族であろうと、誤りを犯さないことはありえない。ましてソ連は、世界で最初の社会主義国であり、そのあゆんだ道もあのように長いのだから、誤りがおこらないなど不可能なことである。ソ連でおきた誤り、たとえばスターリンの誤りをどのように位置づけるか。これらの誤りは、局部的な性質のものであり、一時的な性質のものである。事がらによっては二十年もつづいたと聞くが、それにしてもやはり一時的なもの、局部的なものであって、是正することができるものだ。ソ連の主流、主要な面、大多数は正しいものである。ロシアはレーニン主義を生み、十月革命を経て最初の社会主義国となった。そして、社会主義を建設し、ファシストにうち勝ち、強大な工業国となっている。ソ連には、われわれの学ぶものがたくさんある。もちろん、すすんだ経験に学ぶのであって、おくれた経験に学ぶのではない。われわれの一貫したスローガンは、ソ連のすすんだ経験に学ぶというのであって、おくれた経験に学べなどとだれも言ったことはない。一部の人は、ミソもクソも一緒で、ソ連人が屁を放ってもよい香りだというが、これも主観主義である。ソ連人自身でさえ、臭いといっているではないか! だから、分析が必要なのだ。われわれは、スターリンを功績七分、誤り三分とみるべきだといった。かれらの主要なもの、多くのものはよいものであり、役に立つものであって、一部のものが誤っているのである。われわれにも一部よくないものがあり、われわれ自身もこれを捨てさらなければならないのだから、なおさらのこと他国にはこうした悪いものを学ばせるべきではない。しかし、悪いものも一つの経験だといえるし、大きな役割をはたすこともできる。われわれには、陳独秀、李立三、王明、張国燾、高崗、饒漱石といった連中がおり、かれらは、われわれの教師である。このほかにも、われわれには別の教師がいる。国内についていえば、いちばんよい教師は蒋介石である。われわれには説得できない人でも、蒋介石が教えると納得するのである。蒋介石はどんな方法で教えるのだろうか。かれは、機関銃、大砲、飛行機をつかって教えるのである。このほか、帝国主義という教師もおり、この教師は、われわれ六億の人民を教育した。百年あまりにわたって、いくつかの帝国主義の強国が、われわれを抑圧し、われわれを教育した。したがって、悪いことには、人を教育し、いましめる役割があるのだ。
セクト主義反対について、とくに話しておかなければならないことは、自分と闘争したことのある人とも団結しなければならない、という点である。かれはきみとけんかをしたことがあり、きみをこっぴどくたたき、きみはしてやられ、面目まるつぶれになった。きみはそんなに悪者でもないのに、日和見主義者という「官」にとりたてられてしまったのだ。たたくのが正しければ、たたくべきだし、もともときみが日和見主義ならば、たたいてならないはずはあるまい。ここでわたしがいうのは、まちがってたたいたばあい、まちがって闘争したばあいについてである。もし、たたいた連中が、そのご、態度をあらためて、きみをたたいたのは誤りだったと認め、きみを日和見主義王国の国王にとりたてたのは適切でなかったと認めるならば、この一ヵ条だけでよろしい。もし、まだそれを認めようとしない人がいたならば、認めるのを待っていてもよいだろうか。待っていてもよい。団結とは、自分と意見の違う人、自分を見さげている人、自分を尊重してくれない人、自分と悶着をおこしたことのある人、自分と闘争したことのある人、自分がしてやられたその相手、といった人たちと団結することである。同じ意見の人については、もう団結しているので、団結という問題は存在しない。問題は、まだ団結していない人たちのことである。まだ団結していない人たちというのは、意見を異にする人たちか、あるいは大きな欠点をもっている人たちである。たとえば、いまわが党には、組織的には入党したが思想的にはまだ入党していない人も多い。その人たちは、きみとけんかしたり、わたりあったりしたことはないが、思想的に入党していないので、どうしてもその行動は適切さを欠き、いくらか欠点があるか、いくらかは悪いことをやっているのである。こうした人たちにたいしては、かれらと団結し、かれらを教育し、かれらを援助しなければならない。以前、わたしは、欠点のある人、誤りを犯した人にたいしては、それがだれであろうと、その人があらためるかどうかを観察するだけでなく、その人があらためるのを援助しなければならず、一に観察し、二に援助するのだ、といったことがある。もしじっと立ちどまったまま観察するだけで、おまえがどうやるかみていてやろう、よくやればそれでよいが、よくやらなければ痛い目にあうのもどうせおまえだ、という態度をとるならば、これは消極的な態度であり、積極的な態度とはいえない。マルクス主義者は積極的な態度をとるべきで、観察するだけでなく、援助もしなければならない。
第三点、中央委員会の選挙について。さきほど鄧小平同志も言ったように、第八期中央委員会の定員は、百五十人ないし百七十人とする。第七期の中央委員は七十七人だったから、今回はその倍をやや上回るわけだが、これは比較的妥当なものといえよう。数年後、たとえば五年たってから、さらにふやすようにすれば、比較的利点が多いのではないか。いま活躍しているひじょうに多くの人材は、抗日戦争の時期に育ったもので、「三八年式」幹部とよばれている。これらの幹部は、われわれの現在の活動におけるきわめて重要な基盤であり、かれらなしでは活動できない。だが、この部分の幹部はひじょうに多く、もし今期中央委員会のメンバーとして考慮するとなると、定員を数百人にふやさなければならなくなる。だから、今回は考慮しないことにした。中央が出した百五十人から百七十人という数が妥当であるかどうか、いったいなん人ぐらいにしたらよいのか、同志諸君にも考えてもらいたい。
第七期中央委員会の委員たちは、第七回党大会の委託をうらぎることなく活動してきた。この点は確認すべきである。かれらは、この十一年間、中国の民主主義革命を正しく指導し、社会主義革命と社会主義建設を正しく指導し、大きな問題はひき起こさなかった。そして、さまざまの日和見主義と闘争し、誤りと闘争し、革命に不利な、建設に不利なさまざまの要素を克服した。誤りを犯した一部の同志をもふくめて、かれらは成果をあげたといえる。これは、中央委員会ぜんたいについていうのである。ごく少数の同志については、このような評価はあてはまらない。とくに王明だが、かれは第七回党大会のさい、その場のがれに、書面による声明を書いて、中央の路線が正しいことを認め、第七回党大会の政治報告を承認し、大会の決定にしたがいたいといった。だが、そのご、わたしがかれと話しあったとき、かれは、これをくつがえし、そんなものなど忘れてしまっていた。帰ってから考えたあげく、翌日、かれはまた、自分は書面で誤りを認めたことがあるといいだした。そこでわたしは、きみはあのとき誤りを認めたが、もし、いま認めないならば、それを撤回してもよいといった。だが、かれは撤回しようとはしなかった。そのご二中総で、われわれは、自分の誤りについて話すようかれに希望したが、かれはそれにはふれず、ただわれわれのことをあれこれほめそやした。われわれは、こうしたことは話さなくてもよく、きみ自身にどんな誤りがあったかを話してもらいたいといったが、かれは聞きいれなかった。かれは、二中総が終わってから自己批判を書くことを承知した。ところがそのご、病気なので頭をつかうことができない、筆をとったら例の病気が出てきた、というのだ。かれは、意識的にこうしたのかもしれないが、それはなんとも言えない。かれは、ずっと病気で今回の大会にも出席できない。かれを選ぶべきだろうか。もうひとり、李立三同志だが、かれを選ぶかどうか。李立三については、了承するという人がわりあい多いが、王明についてはあまりいない。鄧小平同志が言ったように、もし、われわれがかれらを選べば、それには第七回党大会でかれらを選出したのと同じような意義があるのだ。第七回党大会のとき、多くの代表はかれら(王明だけでなく、ほかに数人もの同志がいた)を選びたがらなかったが、当時われわれは、もしこうした方針をとるならば誤りを犯すことになる、といった。誤りを犯した人を選ばないと、なぜ誤りを犯すことになるのだろうか。それは、こうしたやり方は、かれらのやり方の引き写しだからである。かれらのやり方は、きみがほんとうに誤りを犯したかどうかにかかわりなく、ひとたびきみのことを日和見主義だと宣告すると、もうきみをほうり出すのだ。もし、われわれもこのやり方をとるならば、われわれは、かれらの路線、つまり王明路線あるいは李立三路線をあゆむことになる。こうしたことを、われわれはやらない。われわれに、王明路線、李立三路線をあゆめといっても、それはできない相談である。かれら流の党内関係とは、誤りを犯した人、あるいはかれらと闘争したことのある人、かれらを日和見主義だとののしったことのある人は、みなほうり出すという関係なのである。かれらは、一〇〇パーセントのボリシェビキを自任しているが、あとで調べてみると一〇〇パーセントの日和見主義で、逆にかれらから「日和見主義者」とされたわれわれのほうに、いくらかマルクス主義があるようだ。
ここで、もっとも基本的な道理は、かれらは孤立した個人ではなく、小ブルジョア階級のなかのかなりの部分の人たちを代表している、ということである。中国は、小ブルジョア階級の大衆がきわめて多い国である。小ブルジョア階級のなかのかなりの部分の人たちは動揺するものである。たとえば富裕中農だが、みなが見てきたように、かれらは、どの革命においても動揺し、確固としておらず、喜びだすと有頂天になるが、悲観しだすとしょげかえってしまう。富裕中農の念頭にいつもあるのは、かれらのわずかばかりの財産、まあ、せいぜい一、二頭の役畜とか、一台の馬車とか、十数畝の畑とかいったものだ。かれらは、こうした財産をうしないはしないかとあくせくしているのだ。こうした人たちは貧農とはちがう。中国の貧農は、北部では五〇パーセント、南部では七〇パーセントを占めている。わが党をその構成からみるならば、基本的には労働者と貧農、つまりプロレタリア階級と半プロレタリア階級から構成されている。半プロレタリア階級も小ブルジョア階級だが、革命にたいする態度は中農よりずっとしっかりしている。わが党はまた、一部の知識分子も吸収しているが、千余万の党員のうち、大・中・小の知識分子は、だいたい百万といったところだ。この百万の知識分子は、帝国主義を代表しているともいえず、地主階級を代表しているともいえず、官僚ブルジョア階級を代表しているともいえず、民族ブルジョア階級を代表しているともいえず、小ブルジョア階級の範疇にいれるのが比較的適切であろう。これらの知識分子は、おもに小ブルジョア階級の範疇のなかのどの部分の人を代表しているのか。かれらは、都市と農村の、生産手段を比較的多くもっている部分の人、たとえば富裕中農を代表している。これらの知識分子の党員は、あとさきのことをあれこれと心配し、いつも動揺しており、主観主義がもっともひどく、セクト主義も少なくない。われわれが、主明路線と李立三路線のこの二人の代表的人物を選出することは、なにをしめすのだろうか。これは、われわれが、こうした思想面での誤りを犯した人と反革命分子および分裂派(陳独秀、張国燾、高崗、饒漱石のような連中)とを区別して扱っていることをしめすものである。王明、李立三の王朝主義、セクト主義は、白昼のもと、公然と鳴り物入りで、自分の政治綱領をもちだして、他人を征服しようとするものであった。王明には政治綱領があり、李立三にも政治綱領があった。もちろん、陳独秀にも政治綱領があったが、かれは、トロツキストの活動をやり、分裂活動をすすめ、党外で反党活動をおこなった。張国燾は、陰謀をめぐらし、分裂活動をすすめ、国民党のもとに走った。こうしてみると、王明、李立三の問題は、たんにかれる個人の問題だけではなく、重要なのは、その社会的原因なのである。党内でも、かなりの部分の人が重大なせとぎわで動揺するのは、こうした社会的原因のわが党内における反映である。こうした動揺分子は日和見主義である。日和見主義とは、これが有利ならばこれをやり、あれが有利ならばあれをやり、きまった原則もなく、きまった規約もなく、きまった方向もなく、今日こうやったかとおもうと、明日はああやる、といったことである。たとえば王明がそうで、かれは、はじめはたいへんな「左」よりだったが、あとではたいへんな右よりとなった。
第七回党大会で、われわれは一部の同志を説得して王明、李立三を選んだが、それだからといって第七回党大会後のこの十一年らい、われわれはなにか失うところがあっただろうか。なんの損失もなかった。王明、李立三を選んだからといって、われわれの革命が勝利しなかったということもなかったし、勝利が数ヵ月おくれたということもなかった。
かれらを選ぶと、誤りを犯した人が奨励を受けることになりはしないか。誤りを犯した人が中央委員になるなら、われわれもみんなで誤りを犯そうじゃないか、いずれにせよ中央委員になる機会があるのだから、というようなことになりはしないか。そうはならない。われわれの七十数人の中央委員をみたまえ。中央委員に再選されようとして、わざといくつかの誤りを犯すような人はいないではないか。中央委員にならなかった人たちも、「三八年式」以前の人であれ、「三八年式」の人であれ、「三八年式」以後の人であれ、中央委員になろうとして、王明や李立三に学び、さらに二つの路線をもちだして、四つの路線にしたりするだろうか。そうはしまい。そんな人はおらず、かれらの誤りから教訓を汲みとって、いっそう慎重になるだろう。
このほか、かつて「はやく革命に参加するよりも、おそく参加したほうがとくだ。革命に参加するよりも、参加しないほうがとくだ」という言い方があったが、かれらを選ぶと、党内に、正しいのよりも誤りを犯したほうがとくだ、小さな誤りを犯すよりも大きな誤りを犯したほうがとくだ、という問題がうまれはしないか。王明、李立三は路線上の誤りを犯したが、かれらを中央委員にするには、正しい人あるいは小さな謀りを犯した人が椅子を二つあげて、かれらに坐らせなければならない。こうした措置は、世の中でいちばん不公平なものではないだろうか。みたまえ、正しい人、あるいは小さな誤りを犯した人が、その椅子を大きな誤りを犯した人にゆずっている。これは、あきらかに不公平なことであり、公平など、どこにも見あたらない。この点からみると、こうしたやり方はきわめて不公平である。もし、このようにくらべるならば、いわゆる正しいことよりも誤りを犯したほうがとくで、小さな誤りを犯すことよりも大きな誤りを犯したほうがとくだ、ということを認めなければならない。だが、もう一つの点からみると、そうではない。かれらが路線上の誤りを犯したことは、全国に知れわたっており、全世界に知れわたっている。かれらを選ぶ理由は、かれらの名が売れているという点にある。かれらの名は売れているのだ。誤りを犯さないか、小さな誤りしか犯さないきみの名は、かれらの名ほど売れていないのだから、どうにもしようがないではないか。小ブルジョア階級がきわめて多いわが国では、かれらは旗じるしなのである。かれらを選べば、多くの人が、共産党は、やはりかれらが誤りをあらためるのを持っている、誤りをあらためさせるため、二つの椅子をあげてまでしてかれらを持っているのだ、と言うだろう。かれらがあらためるかどうかはまた別の問題で、これはきわめて小さな、かれら二人だけの問題である。問題は、われわれのこの社会にはこんなに多くの小ブルジョア階級がおり、われわれの党内にはこんなに多くの小ブルジョア階級の動揺分子がおり、知識分子のなかには多くのこうした動揺する人間がおり、かれらは、この手本をみているということである。かれらは、この二つの旗じるしが健在なのをみると、気分がよくなり、よく眠れるし、うれしくなるのだ。この二つの旗じるしを倒すと、かれらは恐れおののくのだ。だから、王明、李立三があらためるかどうかという問題ではないのである。かれらがあらためるかどうかは、あまりたいした問題ではなく、大きな問題となるのは、党内の数百万にのぼる動揺しやすい小ブルジョア階級出身者、とりわけ知識分子が、王順、李立三にたいしてわれわれがどういう態度をとるかをみているということである。ちょうど土地改革でわれわれが富農に対処したときのように、われわれが富農に手をつけなければ中農は安心しているというわけだ。もし、われわれの第八回党大会が、この二人にたいして、やはり第七回党大会とおなじ態度をとるならば、それは、わが党にとって、全国のきわめて多くの小ブルジョア階級の改造がいくらか容易になるという利点、長所がある。これは世界的にも影響があることだ。外国では、誤りを犯した人にたいして、われわれのこのような態度をとることはきわめてまれであって、ないといってもよいだろう。
われわれの今回の大会の予備会議は、きょうから始まり、会期はわずか十数日だが、適切に運営すれば準備の仕事をりっぱに終えることは、まったく可能である。今回の大会は成功するだろうし、代表たちには、この大会を成功させるだけの能力がある、とわれわれは確信する。だが、刻苦勉励し、みんなが努力することが肝要である。
(一九五六年九月二十五日)
これは、毛沢東同志がラテンアメリカのいくつかの党の代表に謂った談話の一部である。
アメリカ帝国主義ぱあなたがたの敵ですが、わたしたちの敵でもあり、全世界人民の敵でもあります。アメリカ帝国主義がわたしたちに干渉するのは、あなたがたに干渉するよりもいくらか困難です。アメリカはわたしたちのところから遠く離れている、これが一つの要因です。とはいえ、アメリカ帝国主義の手はひじょうに遠くまで伸びており、わが国の台湾に伸び、日本、南朝鮮、南ベトナム、フィリピンなどにも伸びています。また、イギリス、フランス、イタリア、アイスランド、西ドイツに駐兵しており、北部アフリカと中近東にも軍事基地があります。その手は全世界に伸びています。アメリカ帝国主義は世界的な帝国主義で、全世界人民の反面教師なのです。全世界人民は団結して、たがいに助けあい、それぞれの地でアメリカ帝国主義の手を断ち切らなくてはなりません。その手を一つ断ち切るごとに、わたしたちはそれだけ気持ちがさっぱりするのです。
中国も以前は帝国主義と封建主義の抑圧をうけた国であり、われわれの状況はひじょうによく似ています。農村の人口が多く、封建勢力が存在しているような国には、よくない一面があります。だが、それはプロレタリア階級の指導する革命にとってはよいことでもあり、そのために、われわれは農民という広範な同盟軍をもつことになるのです。十月革命以前のロシアは、ひどい封建主義の国でしたが、ボリシェビキ党に広範な農民の支持があったため、革命は勝利をおさめました。わが国は、なおさらです。わが国は農業国で、五億あまりの人が農村に住んでいます。以前、戦争をするには主として農民に依拠していました。いま、都市ブルジョア階級がいちはやく社会主義的改造をうけいれたのも、農民が組織され、農業が協同化したからです。したがって、農民のなかでの党の活動はひじょうに重要です。
わたしの見るところ、封建性のつよい国では、プロレタリア政党は農村にはいって、農民をたずねるべきです。知識分子が農村へいって農民をたずねるばあい、もしも態度がよくないと、農民から信頼されません。都市の知識分子は農村のことや農民の心理をあまり知らないため、とかく農民問題をそれほど適切には解決することができないものです。わたしたちの経験によれば、長期にわたって、かれらとほんとうにうちとけ、われわれがかれらの利益のためにたたかっているのだと信じこませたとき、はじめて勝利をかちとることができるのです。膿民がすぐに信じてくれるなどとは、ぜったいに考えてはなりません。すこしばかり助けたら農民がすぐ信じてくれるなどと思いこんではならない、このことを心にきざみつけておくべきです。
農民はプロレタリア階級のもっとも主要な同盟軍です。わが党もはじめは農民工作の重要性がわからず、都市工作を第一位におき、農村工作は第二位においていました。わたしの見るところ、アジアの一部の国の党、たとえばインド、インドネシアの党では、農村工作がよくやれていないようです。
わが党の農民工作も、当初は成功しませんでした。知識分子には、すこしばかり臭みがある、つまりインテリ臭いところがあります。このような臭みがあると、農村へいきたがらず、農村を軽視します。農民もまた知識分子が気にくわないのです。わが党も、当時はまだ農村を理解する方法をさぐりあてていませんでした。その後、ふたたび農村へいって、農村を理解する方法をさぐりあて、農村の各階級を分析し、農民の革命的要求を理解するようになったのです。
第一の時期には、農村をはっきり見きわめていませんでした。当時、陳独秀の右翼日和見主義路線は、農民というもっとも主要な同盟軍を放棄してしまいました。多くの同志は、農村を平面的には見るが立体的に見ない、つまり階級的観点で農村を見るということがわかりませんでした。その後、マルクス主義を身につけてから、はじめて階級的観点で農村を見るようになりました。もともと、農村は平面的なものではなくて、富める者もいれば、貧しい者もおり、またもっとも貧しい者もいて、雇農、貧農、中農、富農、地主の区別があります。この時期に、わたしは農村を研究し、何回か農民運動講習所を開いたことがありますが、すこしばかりマルクス主義を身につけていたとはいえ、深く掘りさげて観察してはいませんでした。
第二の時期には、わたしたちのよい先生、つまり蒋介石に感謝しなくてはなりません。かれがわたしたちを農村へ追いやったのです。この時期はひじょうに長く、十年も内戦がつづきました。かれと十年も戦うからには、農村を研究しないわけにはいきません。この十年のうち、はじめの数年は農村をまだそれほど深くは理解しておらず、あとになってはじめて比較的理解するようになり、その理解もかなり深いものになったのです。この時期には、瞿秋白、李立三、王明に代表される三回の「左」翼日和見主義路線がわが党にひじょうに大きな損失をもたらしました。とりわけ王明の「左」翼日和見主義路線は、農村における党の大部分の根拠地を台なしにしてしまいました。
そのあとは第三の時期、つまり抗日戦争の時間です。ロ本帝国主義が攻めてきたので、わたしたちは国民党と休戦し、日本帝国主義と戦いました。当時、われわれの同志は公然と国民党地区の都市へいけるようになりました。ところが、以前に「左」翼日和見主義路線の誤りを犯した王明が、こんどは右翼日和見主義路線の誤りを犯しました。先にはコミンテルンのもっとも「左」の方針を実行したのが、こんどはもっとも右の方針を実行したのです。かれもわたしたちのひじょうによい反面教師で、わが党を教育しました。わたしたちにはもう一人、とてもよい反面教師がいて、それが李立三です。当時、かれらの犯したおもな誤りは教条主義で、外国の経験を機械的に取りいれたことです。わが党はかれらの誤った路線を清算し、マルクス・レーニン主義の普遍的真理と中国の具体的状況とを結びつける道をほんとうにさぐりあてました。こうしてはじめて、第四の時期に、蒋介石が攻撃してきたとき、蒋介石をうち倒し、中華人民共和国をうちたてることができたのです。
中国革命の経験、つまり農村根拠地をつくり、農村で都市を包囲し、最後に都市を奪取するという経験は、かならずしもあなたがたの多くの国に適用できるとはかぎりませんが、参考にはなるでしょう。中国の経験を機械的に取りいれないことを心にきざみつけておくよう、おすすめします。外国の経験はどんなものでも、参考にするのはいいが、教条としてはなりません。かならずマルクス・レーニン主義の普遍的真理と自国の具体的状況とのこの両面を結びつけていくべきです。
農民を獲得し、農民に依拠するには、農村を調査しなくてはなりません。その方法は、数週間の時間をかけて、一つか二つ、あるいはいくつかの農村を調査し、農村の階級勢力、経済状況、生活条件などの問題をはっきりさせることです。党の書記長というようなおもだった指導者が、いくらか時間をさいて、みずから調査にのりだし、一つか二つの農村を調べるようにする、これはそろばんにあうことです。スズメはたくさんいるけれども、全部を分析する必要はなく、一羽か二羽を解剖すれば十分です。書記長が農村を一つか二つ調査して、見当がついておれば、同志たちが農村を知り、農村の具体的状況をはっきりつかむのを助けることができます。わたしの見るところ、多くの国の党では、書記長が一羽か二羽の「スズメ」を解剖することを重視せず、農村についてすこしはわかっているが、深くはわかっておらず、したがって、出された指示が農村の状況にあまり合っていないようです。党の指導機関も、中央、省、県の責任者をふくめて、みずから一つか二つの農村を調査し、一羽か二羽の「スズメ」を解剖しなくてはなりません。これを「解剖学」というのです。
調査には二つの方法があります。一つは馬に乗って花を見る、もう一つは馬から降りて花を見る。馬に乗って花を見れば、深く掘りさげることができません。花がじつにたくさんあるからです。あなたがたがラテンアメリカからアジアにやってくるのは、馬に乗って花を見るようなものです。お国には多くの花がありますが、それをちょっと見ただけでいってしまう、これではとても不十分で、さらにもう一つの方法を用いなくてはなりません。つまり、馬から降りて花を見る、花を仔細に観察し、一つの「花」を分析し、一羽の「スズメ」を解剖することです。
帝国主義の抑圧をうけている国では、民族ブルジョア階級と買弁ブルジョア階級という二種類のブルジョア階級がいます。あなたがたの国には、この二種類のブルジョア階級がいるのかどうか。たぶん、いるでしょう。
買弁ブルジョア階級は、つねに帝国主義の手先で、革命の対象です。買弁ブルジョア階級はまた、アメリカ、イギリス、フランスその他の帝国主義国の独占資本グループにそれぞれ従属しています。買弁グループにたいする闘争では、帝国主義国相互間の矛盾を利用して、まずそのうちの一つに対処し、当面のもっとも主要な敵に打撃をあたえることです。たとえば以前、中国の買弁ブルジョア階級には、親英、親米派と親日派がいました。抗日戦争のとき、わたしたちは英米と日本との矛盾を利用して、まず日本侵略者とそれに依存する買弁グループを打倒しました。そのあとで米英の侵略勢力とたたかい、親米、親英の買弁グループを打倒したのです。地主階級のなかにも派閥があります。もっとも反動的なのは少数で、愛国的な者、帝国主義反対に賛成する者をこれと一緒くたにして打撃をくわえてはなりません。さらに大地主と小地主とを区別すべきです。一つの時期には、打撃をくわえる敵が多すぎてはならず、それを少数にしぼるべきで、大地主にたいしてさえも、もっとも反動的な少数の者にだけ打撃をあたえることです。なにもかもたたくというのは、いかにも革命的にみえるが、実際にはひじょうに大きな害をもたらすものです。
民族ブルジョア階級はわれわれのかたきです。中国には、「かたき同士でないと顔をあわせない」ということわざがあります。中国革命の経験によれば、民族ブルジョア階級には慎重に対処しなくてはなりません。かれらは労働者階級と対立していますが、同時に帝国主義とも対立しています。われわれのおもな任務は帝国主義と封建主義に反対することで、この二つの敵を打倒しなければ人民は解放されません。したがって、われわれはかならず民族ブルジョア階級を獲得して、帝国主義に反対させなくてはならないのです。民族ブルジョア階級は、地主階級と密接なつながりがあるので、封建主義反対には興味をもっていません。かれらはまた労働者を抑圧し、搾取しています。したがって、われわれはかれると闘争しなくてはなりません。けれども、民族ブルジョア階級を獲得して、われわれといっしょに帝国主義に反対させるためには、かれらとの闘争は適当なところでやめなくてはならず、それは道理があり、有利であり、節度があるものでなくてはなりません。つまり、闘争するには道理がなくてはならず、勝利の見こみがなくてはならず、適当な勝利をおさめたところで節度をまもらなくてはならないのです。それには、双方の状況を調査し、労働者の状況も調べ、資本家の状況も調べるべきです。労働者のことは知っていても資本家のことを知らないようでは、資本家と交渉するにも、やりようがありません。この点でも典型調査、つまり一羽か二羽の「スズメ」を解剖しなくてはならず、馬に乗って花を見る、馬から降りて花を見るという二つの方法を用いるべきです。
帝国主義と封建主義に反対する全歴史的時期においては、民族ブルジョア階級が人民の側に立って帝国主義に反対するよう、われわれはかれらを獲得し、かれらと団結しなくてはなりません。反帝、反封建の任務を基本的になしとげたあとも、一定の期間、かれらとの同盟関係を保つべきです。こうすれば、帝国主義の侵略に対処するのに有利であり、生産の発展と市場の安定に有利であり、ブルジョア知識分子を獲得し改造するのにも有利であります。
いま、あなたがたはまだ権力を手にいれておらず、それを奪取する準備をしているところです。民族ブルジョア階級にたいしては、「団結もすれば闘争もする」という政策をとらなくてはならない。かれらと団結して、いっしょに帝国主義に反対し、帝国主義に反対するかれらのすべての言行を支持する。だが、労働者階級に反対し、共産党に反対するかれらの反動的な言行にたいしては、適当な闘争をおこなう。片方だけでは誤りです。つまり、闘争するだけで団結しないのは「左」の誤り、団結するだけで闘争しないのは右の誤りです。わが党はこの二種類の誤りをどちらも犯したことがあり、それはとても苦い経験でした。その後、わたしたちはこの二種類の経験を総括して、「団結もすれば闘争もする」という政策をとり、闘争すべき面では闘争し、団結できる面では団結しました。闘争する目的は、かれらと団結して、反帝の勝利をかちとることにあります。
帝国主義と封建主義の抑圧をうけている国では、プロレタリア政党は民族の旗をその手に握らなくてはならず、民族団結の綱領をうちだして、帝国主義の手先をのぞく、すべての団結できる勢力と団結しなくてはなりません。共産党はいかに国を愛し、いかに平和を愛し、いかに民族の団結をもとめているか、これを全国人民に見てとらせることです。こうすれば、帝国主義とその手先を孤立させ、大地主や大ブルジョア階級を孤立させるのに有利です。
共産党員は誤りを犯すのを恐れてはなりません。誤りには二面性があります。誤りは、一方では党と人民に損失をもたらすが、もう一方ではよい教師となり、党と人民をりっぱに教育し、革命にとって役に立つのです。失敗は成功の母である。失敗には役に立つものがないとしたら、どうして成功の母と言えるでしょうか。誤りが多すぎれば、きっとひっくりかえる。これがマルクス主義です。「物きわまれば反転す」といいます。誤りがつみ重なれば、光明が訪れるでしょう。
(一九五六年十一月十二日)
これは、毛沢東同志が孫中山先生の生誕九十周年を記念して書いた文章である。
偉大な革命の先駆者孫中山先生を記念しよう!
中国の民主主義革命の準備期に、先生が中国の革命的民主派としてのはっきりした立場に立って、中国の改良派とするどい闘争をおこなったことを記念する。このたたかいにおいて、先生は中国の革命的民主派の旗じるしであった。
辛亥革命の時期に、先生が人民を指導して帝制をくつがえし、共和国をうちたてたその偉大な功績を記念する。
第一次国共合作の時期に、先生が旧三民主義を新三民主義に発展させたその偉大な功績を記念する。
先生は政治と思想の面で、われわれに多くの有益なものをのこしてくれた。
現代の中国人は、ひとにぎりの反動分子をのぞいて、みな、孫先生の革命事業の継承者である。
われわれは、孫先生がなしとげえなかった民主主義革命をなしとげ、さらにこの革命を社会主義革命に発展させた。いま、われわれはこの革命をなしとげつつある。
事物はつねに発展するものである。一九一一年の革命すなわち辛亥革命からことしまで、わずか四十五年しかたっていないが、中国の姿はすっかり変わった。さらに四十五年たてば、二〇〇一年になる、つまり二一世紀にはいるが、そのころには、中国の姿はさらに大きく変わっているに違いない。中国は強大な社会主義工業国に変わっているであろう。中国はまた、そうなっているべきである。中国は九百六十万平方キロメートルの土地と六億の人口をもつ国であるから、当然、人類にかなり大きな貢献をしなければならない。だが、こうした貢献は、これまでの長いあいだ、あまりにも少なかった。われわれはこのことを恥ずかしく思っている。
しかし、謙虚でなければならない。現在そうでなければならないだけでなく、四十五年後もそうでなければならず、永遠にそうでなければならない。中国人は国際的なつきあいの面で、大国主義を断固として、徹底的に、きれいさっぱりと、のこらす一掃しなければならない。
孫先生は、謙虚な人であった。わたしは、先生の講演をいくども聞いたことがあるが、先生には偉大な気迫があると感じた。中国の歴史や当時の社会状況の研究に意をそそぎ、また、ソ連をふくむ外国の状況の研究にも意をそそいだところからみて、先生はひじょうに虚心な人であったことがわかる。
先生は、誠心誠意、中国を改造するために、生涯の全精力をつかいはたした。まことに、国のためひたすら力をつくし、死ぬまでやまない人であった。
時代の流れをその先頭に立ってみちびいた多くの偉大な歴史的人物が、たいていそれぞれの欠点をもっていたように、孫先生にもその一面があった。このことについては、歴史的条件にもとづいて、よくわかるように説明すべきであり、先人にたいしてあまりにも多くを求めてはならない。
(一九五六年十一月十五日)
わたしは次の四つの問題――経済問題、国際情勢の間道、中ソ関係の問題、大民主と小民主の問題について話したいとおもう。
われわれは、問題を全面的に分析してはじめてそれを適切に解決できる。進むべきか、退くべきか、馬に乗るべきか、馬から降りるべきか、すべては弁証法にもとづいて行なわれなければならない。世の中には、つねに乗馬と下馬、前進と後退があるものだ。一日じゅう馬を乗りまわしても馬から降りないという道理がどこにあるだろうか。われわれが道を歩くときには両足がいっしょに前に出るのではなく、両足はつねにいれちがいである。第一歩でこっちの足が前なら、そっちの足はうしろであり、第二歩でそっちの足が前なら、こっちの足はうしろである。映画を見ているとスクリーンの上で人はたえず動いているが、フィルムを見てみると一コマ一コマはどれも動いていない。『荘子』の「天下編」に「飛鳥の景は、未だ嘗て動かざるなり」とある。世の中とはつまり、動いてもいるし、また動いてもいないという、このような弁証法なのである。動かないでいるだけのものはなく、また動いているだけのものもない。動は絶対的であるが、静は一時的であり、条件的である。
われわれの計画経済は、均衡がとれてもいるし、また不均衡でもある。均衡がとれているのは、一時的であり、条件的である。一時的には均衡がとれていても、その後すぐに変動がおこる。上半期は均衡がとれていても、下半期には不均衡になり、ことしは均衡がとれていても、来年はまた不均衡になる。均衡がとれてだけいて、その均衡かくずれないことは、ありえない。われわれマルクス主義者は、不均衡、矛盾、闘争、発展は絶対的であり、均衡、静止は相対的である、と考えている。相対的とは一時的、条件的のことをいう。このようにわれわれの経済問題をみるならば、いったい前進しているのかそれとも後退しているのか。これについて、幹部と広範な大衆につぎのように告げるべきである。前進もしているが後退もしており、主要な面は前進であるが、直線的な前進ではなく波状的な前進である、と。下馬しているときもあるが、馬に乗っている時間のほうが長いのである。各級党委員会、各部、各級政府は、経済を促進しているのか、それとも促退しているのか。根本的には促進しているのである。柞会はつねに前進しているのであって、前進が全般的趨勢であり、発展が全般的趨勢である。
第一次五ヵ年計画は正しいかどうか。これまでの四年間の状況からはっきり見てとれるように、第一次五ヵ年計画は根本的には正しい、という意見にわたしは賛成する。誤りについていえば、それはたしかに存在しており、われわれの経験が少ないためにそれも避けがたい。将来いくつか五ヵ年計画を実行して経験をつんでも、まだ誤りを犯すだろうか。やはりまだ犯すであろう。経験は永遠に学びつくせないものである。一万年後に計画をたてればすこしも誤りを犯さずにすむだろうか。一万年後のことまでは手がとどかないとしても、はっきりいえるのは、その時になってもやはり誤りは犯すだろうということである。青年は誤りを犯すが、老人なら誤りを犯さないだろうか。孔子は、自分は七十になると何事をしても客観的法則にあうようになった〔1〕と言ったが、それはホラを吹いているのであって、わたしは信じない。われわれの第一次五ヵ年計画の投資基準額をこえる建設項目のうち、一部分はソ連に設計してもらったが(大部分はわれわれ自身で設計したのである。中国人はだめだというのか。われわれにもできるのだ。しかし、まだ一部分、自分では設計できないものもあるので、われわれにはまだ多少だめなところもあるのを認めるべきである。この数年の建設には、一つの問題があった。それは、一部の同志がいっているように、「骨」に注意するだけで、「肉」にあまり注意をはらわなかったことである。工場の建物、機械設備などはととのったが、公共施設や民生関連施設はそれに見合ったものになっておらず、将来に大きな問題をのこしている。この問題の影響は、第一次五ヵ年計画にではなく、第二次五ヵ年計画あるいは第三次五ヵ年計画に現われてくるとおもう。第一次五ヵ年計画が正しいかどうかは、現在一部分の結論を出すことができ、来年にも一部分の結論が出せるが、第二次五ヵ年計画の末期になってはじめて全面的な結論が出せるのではないかとおもう。このなかで主観主義の誤りをすこしも犯さないというのは不可能なことである。誤りを多少犯すのも悪いことではない。成果には二重性があり、誤りにも二重性がある。成果は人をはげますが、同時に人をおごり高ぶらせる。誤りは人をつまずかせ、あせるせるので、敵ではあるが、同時にわれわれの良い教師でもある。全般的に言って、第一次五ヵ年計画になにか大きな誤り、根本的な誤りがあるということは、いまのところまだ見いだせない。
幹部と人民大衆の積極性を大切にすべきで、かれらに冷や水をかけるようなことをしてはいけない。一部の人は農業の社会主義的改造の問題で水をかけたことがあり、当時、「促退委員会」なるものがあった。そのご、われわれは水をかけるべきではないと言い、促進会ということになったのだ。もともと十八年の時間をかけて、所有制の面での社会主義的改造を基本的になしとげるよう段どりをしていたのが、促進したらたいへん速くなった。農業発展要綱草案には一九五八年に高級形態の農業協同化をなしとげると書いてあるが、いまの状況から見ると今冬から来春にかけて実現されるであろう。欠点も少なくはないが、あの促退会よりはよいので、農民は喜び、農業生産は伸びている。この協同化がなされていなかったら、ことしのような大きな災害のもとで、食糧を二百億斤あまりも増産することはできなかっただろう。また、被災地区に協同組合があれば、生産・救災にも便利である。幹部と人民大衆の積極性を大切にするという大前提のもとで、かれらの欠点を批判し、われわれ自身の欠点を批判すべきで、こうすればかれらもその気になって大いにやるようになる。大衆が要求しているが、一時手のまわらない事がらについては、大衆にはっきり説明すべきであり、また、はっきりと説明できるものである。
毎年の国家予算は三次評定方式をとるべきである。すなわち、われわれ中央委員会の同志と関係方面の一部の同志が三回会議をひらいて討議し決定するのである。このようにすればみんなが予算の内容を知ることができる。さもなければ、いつも、予算を手がけた人がわりあいよく知っているだけで、ここにいるわれわれは、採決の手はあげているものの、内容がわかっているかというと、わかっているようなわからないような、どうもはっきりしないということになってしまう。三次評定の方式だと十分にその内容を知ることができるか、というとそうともかぎらない。やはり直接手がけた同志にくらべれば開きがある。たとえていえば、かれらは舞台上の役者で芝居ができるが、われわれは観衆で芝居ができないのである。しかし、われわれも長いあいだ芝居を見ていれば、どれが上手でどれが下手かなどと、わりあい正しい判断ができるようになる。芝居の上手下手はやはり観衆によって評定される。役者の誤りをなおすのもやはり観衆である。観衆のすぐれたところはここにあるのだ。人びとがいつも喜んで見るのならその芝居はうち続けることができるが、人びとがあまり見たがらない芝居は、これを変えなければならない。こういうわけで、われわれの中央委員会の内部にも専門家と非専門家の矛盾があるのだ。専門家には専門家の長所があり、非専門家にもまたその長所がある。非専門家には正しいかまちがっているかを識別することができるのである。
一九五六年の国家予算報告のなかに「穏当で着実」ということばがあったが、今後は「きわめて着実」になおすよう提案したい。ことしの一月にひらかれた知識分子問題についての会議のとき、わたしは「きわめて着実」でなければならないといったことがある。穏当と着実とは意味が重複している。穏当ということばでも実を形容しても何らその意味を拡火したりあるいは限定したりしない。形容詞は一面では修飾し、もう一面では限定することばである。きわめて着実だといえば、程度のうえでこれを限定しており、普通にいう着実ではなく、きわめて着実なのである。きわめて着実というところまでやるのは容易なことではない。ことしの六月、人民代表大会で予算が可決されたとき、みんなは着実だといった。いまからみれば、この予算の十分の一たらずは着実ではなく、ある項目は割りふりがまちがっており、ある項目は金をつかいすぎている。したがって、今後は予算の各項目の割りふりに注意すべきである。各項目の割りふりが適切に進められているかどうかは、専門家に注意してもらうと同時に、われわれ自身、とくに省クラスの同志がこれに注意をはらわなければならない。もちろん、みんなも注意すべきである。
われわれ、ならびに省・市・自治区の党委員会書記は財政に力をいれ、計画に力をいれるべきである。以前、一部の同志はあまり力をいれていなかった。同志たちは、食糧、豚肉、タマゴ、蔬菜などの問題に注意をはらってもらいたい。これはかなり大きな問題である。去年の冬以後、集中的に食糧と取りくんだが、副業や工芸作物のほうはおろそかになった。その後、そのかたよりを是正して副業や工芸作物と取りくむようになった。とくに、綿花と食糧の価格比、食用油と食糧の価格比、豚肉と食糧の価格比、タバコと食糧の価格比など二十項目、三十項目の価格比がきまったことから、農民は副業、工芸作物にたいして大いに魅力を感じるようになったが、食糧生産の魅力は減ってきている。はじめは食糧へぐっとかたより、つぎには副業や工芸作物へぐっとかたよってきた、というわけだ。穀物が安ければ農民を傷つける。食糧の価格が安すぎると農民は食糧をつくらなくなるものである。この問題は大いに注意しなければならない。
勤倹の精神で国を建設し、ぜいたくや浪費に反対し、刻苦・質朴にっとめ、人民と苦楽を共にすることを提唱すべきである。同志たちは、企業長や学長・校長も仮小屋に住むといったが、これはよいことで、とくに困難な時期にはそうだとおもう。われわれは長征の途上、湿地草原を越えたときには家屋などまったくなかったが、それでも寝たものだし、朱徳総可令も四十日間湿地草原を歩いたが、それでも同じように寝たものだ。みなこうして乗りこえてきたのである。われわれの部隊は、食糧がなければ木の皮や木の葉を食べてきた。幸いあらば人民と共に分かち、災いあらは共に当たる、というのは、われわれがこれまでやってきたことで、いまそれができないことがあるだろうか。われわれがこのようにしさえすれば、大衆から浮きあがることなどありえないのである。
新聞に力をいれるべきである。中央、各級党委員会など、およそ新聞を発行しているところでは、みな新聞の仕事を重要なことと見なさなければならない。この一年間、新聞紙上では、人民の生活改善を、一面的に実際からかけ離れて、宣伝した。だが勤倹の精神で国を建設し、ぜいたくや浪費に反対し、刻苦・質朴につとめ、人民と苦楽を共にすることを提唱する面での宣伝はたいへん少なかった。今後は新聞の宣伝の重点をこの面におかなければならない。放送局で放送しているものも、やはり新聞紙上からきているのであろう。したがって、新聞記者、新聞・放送関係者を集めて会議をひらき、かれらと意見を交換し、宣伝の方針をつたえるべきである。
ここで反革命鎮圧の問題についてものべておこう。あの極悪非道の土豪劣紳、極悪ボス、反革命分子などは殺すべきかどうか。殺すべきである。一部の民主人士は殺すのはよくないと言い、われわれは殺すのはよいと言って、いずれにせよ張りあっているわけだ。このことについてわれわれは、民主人士とずっと張りあっている。われわれが殺すのは「小蒋介石」どもだ。「大蒋介石」たとえば宣統皇帝、王耀武、杜聿明などは一人も殺さない。だが、あの「小蒋介石」どもを殺さなければ、われわれの足もとでは毎日「地震」がおこり、生産力は解放されず、勤労人民は解放されないのである。生産力とは勤労者と道具の二つの要素からなる。反革命を鎮圧しなければ勤労人民は喜ばない。牛も喜ばないし鍬も喜ばず、土地も気が晴れないだろう。なぜなら、牛をつかい、鍬をつかい、土地を利用する農民が喜ばないからである。したがって、反革命にたいしては、かならずその一部を殺し、そのほかは一部を逮捕し、一部を管制しなければならないのである。
国際情勢は、全般的にみてすばらしい。いくつかの帝国主義などものの数ではない。さらに数十の帝国主義がくわわっても恐れるに足りない。
現在、二つのところで問題がおきている。一つは東ヨーロッパであり、もう一つは中東である。ポーランドとハンガリーには騒動がおこり〔2〕、イギリスとフランスはエジプトを武力侵略した。わたしに言わせれば、これらの悪い事はみなよい事でもある。マルクス主義者からみれば、悪い事には二重性、つまり悪い面とよい面がある。多くの人は「悪い」という字が「事」のうえにつけば、それは悪い事だけを意味すると思っている。だが、われわれはそのほかに、もう一つの意味、つまり「失敗は成功の母」というよい一面があるのだ、といっている。およそ失敗した事、運の悪い事、誤りというものは、一定の条件のもとでは、よい結果を生みだすものだ。ポーランドにせよ、ハンガリーにせよ、火だねがある以上、いつかは燃えあがる。燃えあがったほうがいいのか、それとも燃えないでいるほうがいいのか。紙は火を包むことができない。いま燃えあがったが、そのほうがいいのだ。ハンガリーにあれほど多くの反革命がいることが、これでいっぺんに暴露された。ハンガリー事件は、ハンガリー人民を教育したし、同時にソ連の一部の同志を教育し、われわれ中国の同志をも教育した。べリアが現われると、もうたいへんで、社会主義の国にべリアのようなものが現われるとはどうしたことか、という。高崗が現われると、またしてもびっくり仰天する。われわれはこうした事がらから教訓を汲みとらなければならないのである。こうした事がらは、在るべくして在るものであって、永遠になくなりはしない。
将来、世界じゅうの帝国主義が打倒され、階級が消滅されたら、そのときには革命がなくなるとおもうか。やはり革命はやらなければならない、とわたしはおもう。社会制度はやはり改革しなければならないし、「革命」ということばはやはり使われるであろう。もちろん、そのときの革命は、階級闘争の時代の革命とは性質が異なる。そのときにも、生産関係と生産力との矛盾が存在し、上部構造と経済的土台との矛盾が存在する。生産関係がうまくいかなければ、それはくつがえされるだろう。上部構造(これには思想、世論もふくまれる)が人民の喜ばないような生産関係を温存するならば、人民はそれを改革するだろう。上部構造も一種の社会関係である。上部構造は経済的土台のうえにきずかれている。経済的土台とは、生産関係のことであり、主として所有制のことである。生産力はもっとも革命的な要素であって、生産力が発展すれば、どうしても革命がおこるだろう。生産力は二つのものからなっており、一つは人間で、一つは道具である。道具は人間が創造したものである。道具が革命をおこすばあい、それは人間をつうじて物を言い、勤労者をつうじて物を言って、ふるい生産関係を破壊し、ふるい社会関係を破壊するのである。「君子、口を動かし手を動かさず」という。いちばんよい方法は口を使うことだ。よく話しても聞こうとしないなら、腕ずくでということになるだろう。だが、もう武器はなくなっている。どうすればよいのか。勤労者の手には道具がある。道具がないものは石を使えばよい。石がなければ二つのこぶしがある。
われわれの国家機関は、プロレタリア階級独裁の国家機関である。法廷についていえば、それは反革命に対処するためのものである。しかし、そのすべてが反革命に対処するのではなく、人民内部の数かずの紛糾も処理しなければならない。どうやら法廷は一万年たっても必要だ。なぜなら、階級が消滅しても、やはり進んだものと遅れたものとの矛盾が存在するし、人間同士のたたかいがあるし、喧嘩があるし、いろいろな騒ぎのおこる可能性もあるからだ。法廷を設けなければ、たいへんなことになってしまう! ただ、闘争の性質は変わって、階級闘争とは異なったものになり、法廷もその性質が変わるのである。そのときにも、上部構造に問題のおこることがありえよう。たとえば、われわれのような人間が誤りを犯すこともありうるし、その結果、たたかいにやぶれ、他人につき落とされて、ゴムルカが登場したり、饒漱石がかつぎだされたりする。このような事態はありえないと言うのか。一千年、一万年たってもありうるとおもう。
世界のあらゆる事物はみな対立面の統一である。対立面の統一とは、異なった性質をもつ対立物の統一ということである。たとえば、水は水素と酸素の二種類の元素が結合したものである。もしも水素だけで酸素がなければ、あるいは酸素だけで水素がなければ、どちらも水となることはできない。聞くところによれば、現在すでに名称のきまった化合物は百万種類以上もあるというが、名称のきまらないものがまだどれだけあるかわからない。化合物はすべて性質の異なった物の対立面の統一である。社会の事がらも同じだといえる。中央と地方は対立面の統一であり、政府のこの部とあの部も対立面の統一である。
二つの国も対立面の統一である。中国とソ連の二ヵ国はどちらも社会主義とよばれているが、異なるところはないか。それはある。ソ連と中国とでは民族が違う。ソ連では三十九年まえに十月革命がおこったが、われわれは全国の政権をにぎってまだ七年にしかならない。やっている事についていえば、多くの違いがある。たとえば、われわれの農業集団化はいくつかの段どりを経ており、かれらとは違う。われわれの資本家にたいする政策がかれらとは違う。われわれの市場での価格政策がかれらとは違う。われわれの農業および軽工業と重工業との関係の処理方法がかれらとは違う。われわれの軍隊内の制度と党内の制度もかれらとは違う。われわれはかつてかれらにたいして、きみたちの一部の事がらには同意できないし、一部のやり方にも賛成できない、と言ったことがある。
一部の同志は、弁証法など見向きもせず、分析をくわえることもせず、ソ連のものならなんでもよいといって、ソ連のあらゆるものを機械的に持ちこんでいる。その実、中国のものにせよ、外国のものにせよ、みな分析をくわえることができ、よいものも、悪いものも存在するのである。各省の仕事も同じで、成果もあれば、欠点もある。われわれ各人もこれと同様、つねに美点と欠点の二つの点があり、一つの点だけではない。一点論も昔からあったし、二点論も昔からあった。つまり、形而上学と弁証法である。中国の昔の人は、「一陰一陽、之を道と謂う」〔3〕といっている。陰だけあって陽がないのも、また陽だけあって陰がないのも、ありえないことだ。これが昔の二点論である。形而上学は一点論である。現在も一点論はかなりの同志のあいだで改められていない。かれらは問題を一面的にみて、ソ連のものはどれもよいと思い、なにからなにまでそのまま持ちこみ、持ってくるべきでないものまでたくさん持ってきた。持ってくるべきでなかったもの、われわれの土地柄にあわないものは、ぜひ改めなければならない。
ここで「外国に内通する」という問題について話そう。わが中国には中央にかくれて外国人に情報を流す人間がいないだろうか。わたしはいるとおもう。たとえば高崗がそのひとりである。これは多くの事実によって立証されている。
一九五三年十二月二十四日、わたしはかって高崗を摘発した中央の会議で、つぎのようにはっきり述べたことがある。北京城内には二つの司令部がある。一つの司令部はわれわれのもので、この司令部はまともな風を吹かせ、まともな火を燃やしている。もう一つの司令部は、地下の司令部とよばれ、かれらもある種の風、ある種の火、つまりよこしまな風を吹かせ、よこしまな火を燃やしている、と。昔のわが林黛玉①は、東風が西風を圧倒するのでなければ、西風が東風を圧倒する、と言った。いまはといえば、まともな風と火がよこしまな風と火を圧倒するのでなければ、よこしまな風と火がまともな風と火を圧倒する、というものだ。かれらがよこしまな風を吹かせ、よこしまな火を燃やすそのねらいは、まともな風を吹きとばし、まともな火をたたき消して、数多くの人を打倒することにある。
われわれの高級幹部と中級幹部のなかには、例外的ではあるが(多くはない)、外国に内通する者がいる。これはよくないことだ。わたしは、同志諸君が中央各部門の党グループ、党委員会で、また省・市・自治区党委員会で、この問題を取りあげ、このような事をやらないようみんなにはっきり伝えることを希望している。われわれが賛成できないソ連の一部の事がらについては、すでに党中央からかれらに何回も話しておいた。まだ話していない問題も若干あるが、将来話すことになっている。話すばあいは中央をつうじて話す。情報などは、流してはいけない。そんな情報は、害があるだけで、なんの役にも立たない。それは両党、両国間の関係を破壊するものだ。そんなことをやる人間は、自分でも居心地が悪いだろう。党にかくれてやったのだから、いつも気がとがめるであろう。情報をおくったことのある者は、自分から言えばよいが、言わなければ、調査をすすめ、調査して判明すれば、それ相応の処分をあたえることにする。
ソ連共産党第二十回大会について、すこし話してみたい。わたしは、二本の「剣」があるとおもう。一本はレーニンで、一本はスターリンである。いまでは、スターリンという剣をロシア人はなげ捨てた。ゴムルカやハンガリーの一部の者が、この剣を手にもってソ連に切りこみ、いわゆるスターリン主義に反対している。ヨーロッパの多くの国の共産党もソ連を批判しているが、その指導者がトリアッチである。帝国主義もこの剣を手にして人を切っている。ダレスが手にとってひとしきり振りまわしたのは、これである。この剣は貸し出したのではなくて、なげ捨てたのだ。わが国はそれをなげ捨ててはいない。われわれは、第一にスターリンをまもり、第二にスターリンの誤りにも批判をくわえるものであり、『プロレタリア階級独裁の歴史的経験について』という論文を書いた。われわれは一部の者のように、スターリンを醜悪化したり、スターリンを抹殺したりせずに、実際の状況にもとづいて対処しているのである。
レーニンという剣も、いまではソ連の一部の指導者によってある程度なげ捨てられてはいないだろうか。わたしの見るところ、かなりなげ捨てられている。十月革命の道はまだ威力があるかどうか。まだ各国の手本にすることができるのかどうか。ソ連共産党帯二十回大会でのフルシチョフの報告は「議会の道をつうじて国家権力を手にいれることができる、と言っている。これはつまり、各国は十月革命に学ばなくてもよいということなのだ。ひとたびこの扉がひらかれると、レーニン主義は基本的になげ捨てられることになる。
レーニン主義の学説はマルクス主義を発展させた。どの面で発展させたのか。第一に、世界観の面、すなわち唯物論と弁証法の面でそれを発展させた。第二に、革命の理論、革命の戦術の面、とりわけ階級闘争、プロレタリア階級独裁、プロレタリア政党などの問題においてそれを発展させた。レーニンには、このほかに社会主義建設についての学説がある。一九一七年の十月革命からは、革命のなかで建設がおこなわれたわけで、レーニンにはすでに七年間の実践があり、これはマルクスにはなかったものである。われわれが学ぶのは、ほかでもなく、マルクス・レーニン主義のこうした基本的な原理である。
われわれは、民主主義革命においても社会主義革命においても、大衆を立ちあがらせて階級闘争をやり、闘争のなかで人民大衆を教育してきた。われわれが階級闘争をやるのは、十月革命から学んだのである。十月革命は、都市でも農村でも、思い切り大衆を立ちあがらせて階級闘争をおこなった。こんにち、ソ連が専門家として各国に派遣している人たちは、十月革命のころ、わずか何歳か十何歳で、かれらの多くはもうその頃のことを忘れているのである。一部の国の同志は、中国の大衆路線は間違いだといって、例の、上からの慈恵的観点をよろこんで学んでいる。かれらが学びたいのだから、しかたがない。どのみち、われわれは平和共存の五原則でやっていき、相互内政不干渉、相互不可侵なのだ。われわれは、いかなる他国をも指導する意図はなく、指導するのはここ、中華人民共和国だけである。
東ヨーロッパの一部の国の根本的な問題は、階級闘争をよくやらなかったことである。あれほど多くの反革命分子を一掃しておらず、また階級闘争のなかで、プロレタリア階級を鍛えておらず、敵と味方、是と非、観念論と唯物論とをはっきり区別していなかったのである。いまでは、身からでた銹で、自分の頭上に火がついたのである。
そちらにはどれだけの資本があるというのか。一にレーニン、二にスターリン以外にはあるまい。そちらはスターリンをなげ捨て、レーニンもほとんどなげ捨ててしまった。レーニンは足がなくなり、頭だけが残っているか、あるいはその両腕のうち、片腕を切り落とされてしまっている。われわれはマルクス・レーニン主義を学び、十月革命を学ぶものである。マルクスはあんなに多くのものを書き、レーニンもあんなに多くのものを書いたではないか。大衆に依拠し、大衆路線を実行することは、かれらから学んだものだ。大衆に依拠した階級闘争をやらず、敵と味方とをはっきり区別しないなるば、それはひじょうに危険なことである。
いく人かの司・局長クラスの知識分子の幹部は、大民主をやるべきだと主張し、小民主では物足りないと言っている。かれらがやろうという「大民主」とは、西側のブルジョア議会制度を採用し、西側の「議会制民主主義」、「報道の自由」、「言論の自由」といったものに学ぶことなのだ。かれらのこうした主張は、マルクス主義の観点に欠け、階級的観点に欠けており、まちがっている。だが、大民主、小民主というのは、たいへん形象化された言い方なので、このことばを借りることにしよう。
民主は方法であり、それがだれにたいして使われ、なにをやるのかを見なければならない。われわれは大民主を好む。われわれが好むのは、プロレタリア階級の指導のもとでの大民主である。われわれは、大衆を動員して蒋介石とたたかい、二十数年たたかって、かれをうち倒した。土地改革運動では、農民大衆が立ちあがって地主階級とたたかい、三年たたかって土地を手にいれた。これらは、みな大民主である。「三反」では、ブルジョア階級にむしばまれた一部の工作要員とたたかい、「五反」では、ブルジョア階級とたたかい、思い切りたたいた。これらはみな、あらしのような大衆運動であり、また大民主でもある。先日、大衆が中国駐在イギリス代理大使事務所にデモをかけ、北京天安門広場では、数十万人の大衆が集会をひらいて、イギリス、フランスの侵略に抵抗するエジプトに声援をおくった。これも大民主であり、帝国主義に反対するものだ。このような大民主を、どうしてわれわれが好まないことがあろうか。われわれは、たしかにこれを好む。こうした大民主は、だれに対処するものなのか。帝国主義、封建主義、官僚資本主義に対処し、資本主義に対処するものだ。私営工商業の社会主義的改造は、資本主義に対処するものだ。農業の社会主義的改造は、小生産的私有制を廃絶させるためのもので、その性質からいうならば、やはり資本主義に対処するものなのである。われわれは、大衆運動の方法で農業の社会主義的改造をおこない、自分自身で組織するよう農民を動員している。まず貧農、下層中農が中心になって組織する。こうなると上層中農も賛成しないわけにはいかなくなる。資本家がドラや太鼓をたたいて社会主義的改造に賛成するのは、農村に社会主義の高まりがおとずれ、労働者大衆も下から資本家を突きあげるからで、かれらもこうせざるをえなくなっているのだ。
いままた大民主をやろうということに、わたしも賛成である。諸君は大衆が街頭にくりだすのをおそれているが、わたしはおそれない。数十万人くりだしてもこわくない。「身を八つざきにされようとも、敢然と皇帝を馬からひきずりおろす」――これは昔の人が言ったことばだ。その名は王煕鳳②、またの名を鳳姉さんといい、彼女が言ったことばである。プロレタリア階級のおしすすめる大民主は、階級の敵に対処するものである。民族の敵(帝国主義、外国の独占ブルジョア階級にほかならない)も階級の敵である。大民主はまた、官僚主義者に対処するばあいにも使える。さきほど、一万年後にも革命はあるといったが、そのときにも大民主をやることはありえる。もしも何もかも面倒くさくなって、官僚主義をやり、大衆と会ってもののしるだけで、いいことひとつ言わず、大衆のぶつかっている問題を解決しないならば、こうした連中は、かならず打倒されるだろう。げんに、この危険は存在している。もし大衆から浮きあがり、大衆のぶつかっている問題を解決しないならば、農民はてんびん棒をふりかざし、労働者は街頭デモにくりだし、学生もひとさわぎするだろう。およそ、こうしたことがおきれば、まずそれはよいことだと言うべきだ。わたしは、そう考える。
数年前、河南省のあるところに飛行場をつくることになったが、事前に農民への配慮がゆきとどかず、よく説明もしないで、むりやりかれらを引っ越させようとした。そこの村の農民たちは、長い棒で木の上のスズメの巣をつつき落とせば、スズメだってすこしは文句をいうさ、と言った。鄧小平、きみにも巣があって、わたしがそれをめちゃくちゃにしたら、きみはなにも文句を言わないかね? そこでだ、ここの大衆は三段がまえのピケット・ラインを敷いた。第一段は子供たち、第二段は婦人たち、第三段は青壮年男子のピケット・ラインだ。そこへ測量にいった人たちは、みな追い返されて、結局、農民が勝利した。そのご、農民に十分に説明をし、ゆきとどいた配慮をしたら、農民はやはり引っ越し、飛行場はちゃんとできあがったのである。こうしたことは少なくない。いま、天下をとったので枕を高くして寝られる、横暴のかぎりをつくせる、とでも思っているような人たちがいる。大衆がこうした人に反対し、石をぶつけ、鍬をふりあげるのを、わたしは当然のことだとおもうし、これを大歓迎する。それに、腕ずくに訴えてはじめて問題が解決されるばあいもあるのだ。共産党は教訓を汲みとらなければならない。学生が街頭にくりだし、労働者が街頭にくりだす、およそこうしたことがおきたならば、同志諸君は、これをよいことだとみなければならない。成都の百人あまりの学生が、北京に請願に来ようとしたが、ある列車に乗った学生は四川省の広元駅でとめられ、別の列車に乗った学生も洛陽まできたが、北京には来られなかった。これらの学生を北京に来させて、関係部門へ参上させたらよい、というのが、わたしの意見であり、また周総理の意見である。労働者のストライキを許すべきであり、大衆のデモを許すべきである。デモ行進については、憲法にその根拠がある。今後、憲法を改正するときには、もう一つ、ストライキの自由もくわえて、労働者のストライキを許すべきだ、とわたしは主張する。こうすることは、国家、企業長と大衆とのあいだの矛盾の解決に有利である。いずれにせよ矛盾であって、世界は矛盾にみちている。民主主義革命は、帝国主義、封建主義、官僚資本主義とのあいだの一連の矛盾を解決した。こんにち、所有制の面では、民族資本主義および小生産とのあいだの矛盾も基本的に解決したが、また、別の面の矛盾がきわだってきて、新しい矛盾が発生してきているのである。県委員クラス以上の幹部は数十万人おり、国の運命は、かれらの手に握られている。もし、りっぱに仕事をせず、大衆から浮きあがり、刻苦奮闘しないならは、労働者、農民、学生が、かれらに賛成しないのは当然のことである。われわれはかならず、官僚主義の作風がはびこらないように、人民から浮きあがった貴族階層がうまれないように、警戒しなければならない。官僚主義におちいり、大衆のぶつかっている問題を解決せず、大衆をののしり、大衆をおさえつけ、またいつまでもあらためようとしないならば、大衆が、こうした者をクビにするのは当然のことである。わたしは、クビにすることはたいへんよいことであり、クビにすべきだとおもう。
いま、民主政党、ブルジョア階級は、プロレタリア階級の大民主に反対している。もういちど「五反」ということになると、かれらは賛成しないだろう。かれらは、もし大民主をやれば、民主政党は消滅されてしまい、長期共存することはできなくなる、とたいへんおそれている。教授たちは大民主を好むだろうか。これもあやしいものだ。わたしの見るところ、かれらは、いささか警戒しており、またプロレタリア階級の大民主をおそれている。かれらがブルジョア階級の大民主をやるなら、こちらは整風、つまり思想改造をうちだす。学生たちを全部動員して、かれらを批判し、どの学校にも関所を設け、かれらがこの関所を通りぬけられたときに、はじめて決着がつく、ということになるだろう。だから、教授たちは、やはりプロレタリア階級の大民主をおそれているのである。
ここで、もう一つダライの問題について話そう。釈迦が死んで二千五百年になるが、いま、ダライたちはインドに巡拝しようとしている。行かせるか、行かせないか。中央は、行かせないのはよくない、やはり行かせたほうがよい、と考える。数日後に、かれは出発するだろう。飛行機で行くようすすめたが、かれは飛行機には乗らず、自動車でカーリンポン〔4〕を通って行くという。カーリンポンには、各国のスパイがおり、国民党の特務分子もいる。つぎのような事態がおきることも考えておかなければならない。つまり、ダライは多分帰ってこないだろうし、帰ってこないだけでなく、「共産党は西蔵を侵略した」などと毎日われわれをののしり、はては、インドで「西蔵独立」を宣言するかもしれない。かれはまた、大いに事をおこしてわれわれを追いだすことをよびかけるよう、西蔵の上層反動分子をそそのかす一方、自分は西蔵にいないのだから、責任は負えないと言うかもしれない。これは、悪い面から出発して考えた可能性だが、こうした悪い事態が発生しても、わたしはよろこぶ。われわれの西蔵工作委員会と軍隊は、陣地を構築し、食糧や水をいくらか余分に備蓄して、準備をととのえておかなければならない。われわれの兵力は、あれだけしかない。かれらが打ってくれば、われわれは防ぎ、かれらが攻めてくれば、われわれは守る。いずれにせよ、おのおのが思うようにやればよい。どうであろうと、われわれが先に攻めてはならず、まずかれらに攻めさせておいて、そのあとで反撃に出、進攻者をさんざんに打ちのめすのだ。ダライ一人が逃げたくるいで、わたしが悲しむとでもいうのか。もう九人足して十人逃げたとしても、わたしは悲しみはしない。われわれには一つの経験がある。例の張国燾が逃げたのも別に悪いことではなかった。人間はゆわえつけても夫婦にはできない。かれは、この土地がいやで逃げだそうというのだから、そうさせたらいい。逃げだしたからといって、われわれにどんな不利な点があるのか。別になにもなく、せいぜい、われわれのことをののしるだけである。われわれ共産党は、三十五年ののしられてきた。それも、せいぜい共産党は「極悪非道」だ、「共産共妻」だ、「残虐無比」だ、といったたぐいのきまり文句であった。いまダライ一人がふえたところで、もう一人だれかを足したところで、別にたいしたことはない。あと三十五年ののしられても、たかだか七十年である。人にののしられるのをおそれるのは、よくないことだとおもう。機密の漏れるのをおそれる人がいるが、張国燾はあんなにたくさん機密を知っていたではないか。だが、張国燾が機密を漏らしたので、われわれの仕事が失敗したということは聞いていない。
わが党には、経験をもった数百万にのぼる幹部がいる。これらの幹部の大多数は、よい幹部であり、その土地に根をはった、大衆と結びついた、長期にわたる闘争の試練を経た幹部である。われわれには、党創設の時期の幹部、北伐戦争の時期の幹部、土地革命戦争の時期の幹部、抗日戦争の時期の幹部、解放戦争の時期の幹部、全国解放後の幹部、と一連の幹部がいるが、かれらはみな、わが国の貴重な財産である。東ヨーロッパの一部の国が、あまり安定していない重要な原因の一つは、こうした一連の幹部がいないことである。われわれには、革命の各時期の試練をうけたこうした一連の幹部がいるので、「波風いかに立つとも、泰然と釣船にすわる」ことができるのだ。このような確信がなければならない。帝国主義をもおそれないのに、なんで大民主をおそれるのか。なんで学生が街頭にくりだすのをおそれるのか。ところが、われわれの一部の党員は、大民主をおそれている。これはよくないことだ。大民主をおそれる官僚主義者たちは、マルクス主義をよく学ばなければならず、態度をあらためなければならない。
われわれは、来年、整風運動をおこなうつもりである。一に主観主義、二にセクト主義、三に官僚主義の三つの作風を整頓するのである。中央が決定したあと、まず通知を発し、整頓を要する項目を提示する。たとえば、官僚主義には、幹部や大衆と接触しないとか、下部にはいって状況を了解しないとか、大衆と苦楽を共にしないとか、それに汚職、浪費などなど、多くのものがふくまれる、というように提示する。もし、来年の上半期に通知を出し、下半期に整風をおこなうようにすれば、その間に数ヵ月の時間ができる。およそ汚職行為のあった者は、誤りを認めなければならず、この期間内に、その返済をすますか、あるいは、以後何回かにわけて返済する。それさえどうにもならないものは、返済を免除するよりほかないだろう。以上いずれでもよいが、誤りはかならず認め、みずから申し出なければならない。これは、誤りを犯した者に、助けのはしごを掛けてやり、そのはしごでゆっくり降りてこさせるということである。その他の誤りについても、この方法をとる。「教えずして、とがめる」のではなく、あらかじめ告示を出し、期日が来たら整風をやるようにする。これは、一つの小民主の方法である。この方法をとると、下半期には、なにも整頓するものがなくなってしまうのではないか、と言う人がいる。われわれが達成したいと願っているのは、まさにそのことであり、整風が正式に始められるときには、主観主義、セクト主義、官僚主義がいずれも大いに減っていることを望んでいるのである。整風は、われわれがこれまでとってきた効果のある方法である。今後、およそ人民内部の問題、党内の問題はみな、武力に訴えるのではなく、整風の方法、批判と自己批判の方法で解決すべきである。われわれは、おだやかな微風細雨の方法を主張する。もちろん、そのなかで例外的に、いくらか激しいものとなることも免れないが、全般的な方向としては、病をなおし、人を救うことであり、この病をなおして人を救うという目的を口先だけでなく、確実に達成しなければならないのである。第一条は、保護すること、第二条は、批判することである。まず、保護しなければならない。なぜなら、その人は反革命分子ではないからだ。これがつまり、団結の願いから出発し、批判と自己批判をつうじて、新しい基礎のうえで新しい団結に達する、ということである。人民内部において、誤りを犯した人にたいしては、その人を保護もし、批判もするという方法をとる。こうすれば、大いに人心を得ることができ、全国人民を団結させ、六億の人口のうちのあらゆる積極的な要素を社会主義建設に動員することができる。
わたしは、平和な時期には、軍隊の幹部と軍隊以外の幹部とのあいだの給料の差を一歩一歩縮小していくことに賛成である。ただし、完全な平均主義をやるのではない。わたしは、軍隊が刻苦奮闘し、模範となるよう、ずっと主張してきた。一九四九年、ここで会議をひらいたとき、ある将軍が軍隊における給料の引き上げを主張し、多くの同志も賛成したが、わたしは反対した。かれは、資本家がおかずを五品も食べているのに、解放軍のおかずは塩水に漬け菜をちょっといれただけのものだ、という例をあげ、これではだめだと言った。わたしは、これこそ、よいことなのだと言った。資本家はおかずを五品食べ、われわれは漬け菜を食べる。この漬け菜のなかから、政治が生まれ、模範が生まれるのだ。解放軍が人心を得ているのは、もちろん別のこともあるが、この漬け菜にもよるのだ。いま、部隊の食事は改善され、漬け菜ばかり食べていたころとは違う。だが、根本となるのは、刻苦奮闘を提唱することであり、刻苦奮闘はわれわれの政治的本領なのである。錦州というところはリンゴの産地だ。遼西戦役のとき、ちょうど秋で、民家にはリンゴがたくさんあったが、われわれの戦士は一つも手をつけなかった。わたしは、このことを知ってひじょうに感動した。この問題で、戦士たちは、これは人民のリンゴなのだから、食べないのはひじょうに高尚なことであり、食べるのはひじょうに卑しいことだという自覚をもっていたのである。われわれの規律は、こうした自覚のうえに築かれているのである。これは、わが党の指導と教育のたまものだ。人間には、なにほどかの精神がなくてはならず、プロレタリア階級の革命精神は、ここから生まれてくるのである。リンゴを一つ食べなかったからといって、餓死者が出ただろうか。出なかった。まだ、粟と漬け菜があるからだ。在席の同志諸君は、必要とあるば、仮小屋にも住まなければならない。長征で湿地草原を越えたときには、仮小屋もなかったが、寝ることはできた。いま、仮小屋があるのに住めないとでもいうのか。軍隊は、ここ数日、会議をひらいている。かれらは生活をひきしめ、節約を励行する決意をしめし、意気軒昂であった。軍隊がこうなのだから、その他の人は、なおさらのこと刻苦奮闘しなければならない。さもなければ、軍隊がはっばをかけてくるだろう。在席の同志のなかには、文官もいれば武官もいる。われわれは、武をもって文にはっぱをかけるのだ。解放軍は、りっぱな軍隊であり、わたしは、この軍隊がたいへんすきである。
政治工作を強化しなければならない。文にしろ、武にしろ、また、工場、農村、商店、学校、軍隊、党・政府機関、大衆団体をとわず、各分野で、みな政治工作を大いに強めて、幹部と大衆の政治的レベルをたかめなければならない。
〔1〕 ここでは、孔子のいう「七十にして心の欲する所に従って、矩を逾えず」をさす。『論語』―「為政第二」にみられる。
〔2〕 一九五六年六月、ポーランドのポズナニ市でおきた騒乱と、同年十月、ハンガリーでおきた反革命暴動をさす。
〔3〕 『周易』―「繋辞上」にみられる。
〔4〕 カーリンポンは、インド東北部辺境地区にある町で、わが西蔵の亜東に近い。
① 林黛玉は、中国の古典小説『紅楼夢』の女主人公である。
② 王煕鳳は、中国の古典小説『紅楼夢』のもう一人の女主人公である。
(一九五七年一月)
こんどの会議では、おもにつぎの三つの問題について討議する。つまり、思想動向の問題、農村問題、経済問題である。きょうは、思想動向の問題についてのべてみたい。
思想動向の問題は、しっかりとつかんでおかなければならない。ここでは、第一の問題として提起する。いま、党内における思想動向、党外における思想動向には、ひじょうに注意すべき問題があらわれている。
一つの問題は、わが家の内部に発生したものである。たとえば、いま、幹部のなかには、名利の追求に明け暮れ、がりがり亡者となっている者が一部いる。級別評定のさいには、こんな手合いもあらわれた――一級あがったが満足せず、二級あがってもまだベッドで泣きべそをかいている。三級でもあがらなければ、ベッドから起きあがれないのだろう。このようなことがあったおかげで、一つの問題が解決された。なにが幹部の級別評定だ。そんなものは、いっさい取りやめにする。給料はほぼ平均にし、ちょっと格差をつける程度でよいのだ。かつて北洋軍閥政府に唐紹儀という内閣総理がいたが、のちに広東省中川県の県長になった。旧社会の内閣総理でも県長をつとめるというのに、なぜ、われわれの部長は県長になれないのか。わたしの見るところ、級別のことでさわぎたて、格あげはよいが格さげはまかりならぬ、といった手合いは、この点、この旧官僚にもおよばない。かれらは、困苦にたえるとか、仕事は多く報酬は少なくといった点でせりあうのではなく、ぜいたくさ、級別、地位の上下でせりあう。いま、党内にはこのような考え方がだいぶふえており、われわれの注意すべきところである。
いったい、農業協同化には見込みがあるのかどうか。協同組合のほうがいいのか、個人経営経済のほうがいいのか。この問題もふたたび蒸しかえされた。昨年一年についていえば、豊作をおさめた地方では問題がなく、災害のひどかった地域でも問題はなかった。問題が出てきたのは、災害はうけたがそんなにひどくはなく、収穫はあったがそんなに多くはないというような協同組合である。こうした協同組合では、はじめに約束した労働点数の基準値が高すぎた。実際にはそんなに高くはなかったので、組合員の収入がふえず、なかには減るものさえあった。そこで、論議がわいたのである。協同組合はやはりいいのかどうか、必要があるのかどうか。こうした論議は、党内の一部の幹部にも影響をあたえた。協同組合にはなんの優越性もない、などと言う幹部もいる。一部の部長は、ちょっと農村を視察して、北京へもどってくると、かんばしくない空気を流して、農民は意気あがらず、野良仕事にも身がはいらないと言い、まるで協同組合などいまにもつぶれてしまいそうな気配である。一部の協同組合の組合長は、いたるところで悪態をつかれ、上からも批判され、新聞でも批判されて、肩身のせまい思いをしている。また、一部の党委員会の宣伝部長は、協同組合の優越性について、宣伝する勇気をなくしている。農業部の廖魯言部長は、党中央農村工作部の副部長でもあるが、かれに言わせると、自分も気をおとしているし、部下の指導的幹部も気をおとしている、どっちみちだめであり、農業発展要綱四十ヵ条も反古にひとしいのだそうである。気をおとしたら、どうすればよいのか。なにも難しいことはなかろう。元気がないのなら、元気をつけてやるまでだ。いま、新聞の論調は方向を転じて、協同組合の優越性を大いに宣伝しており、もっぱらほめるだけで、くさしてはいない。これを数ヵ月やって、元気をつけてやるのである。
一昨年は右よりに反対し、昨年は「暴走」に反対した。「暴走」に反対した結果、またもや右よりがあらわれた。わたしの言う右よりとは、社会主義革命の問題、主として農村における社会主義的改造の問題での右よりをさす。われわれの幹部のあいだにこうした風が台風のように吹きまくったことは、とくに注意すべきである。われわれの部長、副部長、司長・局長および省クラスの幹部のなかには、地主、富農、富裕中農の家庭出身の人がかなりおり、また一部の人のご尊父は地主で、いまだに選挙権を持っていない。こうした幹部が帰省すると、家の者がさまざまな悪口を口にいれ、きまって、協同組合はだめだとか、長つづきしないなどと言う。富裕中農は動揺している階層で、単独経営でいこうという考え方がまたもや頭をもたげており、なかには組合を脱退しようと考えている者もいる。われわれの幹部のあいだに吹きまくったこうした風は、これらの階級と階層の考え方を反映したものである。
協同化は、かならず成功する。しかし、この一、二年内に完全に成功させることは不可能である。この点は、党、政府、軍隊、人民団体など、各界の同志にはっきり説明しておくべきである。協同組合の歴史はごく浅くて、大多数の協同組合が一年から一年半の歴史しかなく、経験もひじょうに少ない。生涯、革命をやってきた人ですら、誤りを犯すというのに、とりかかってからまだ一年や一年半のものにたいして、すこしの誤りも犯してはならないなどと要求できるだろうか。ちょっと風が吹き、雨が降ると、協同化はもういけないと言う。こうした考え方じたいが、大きな誤りである。事実、大多数の協同組合は、うまくいっているか、比較的うまくいっている。うまくいっている協同組合を一つでも示せば、協同化に反対するすべての奇怪な論調を撃退することができる。この組合がうまくやっていけるのに、なぜ他の組合はうまくやれないのか。この組合が優越性をもっているのに、なぜ他の組合にはそれがないのか。いたるところで、この組合の経験を大いに宣伝すればよい。一つの省に一つぐらいは、このような典型が見つかるはずである。条件がもっともわるく、地勢がよくなく、以前は収量が低くて、ひじょうに貧しかった組合をさがしだすべきで、もともと条件にめぐまれた組合をさがすべきではない。もちろん、典型は何十あってもよいが、一つだけでもりっぱにやれば、勝利したと言える。
学校でも問題がおきており、多くの地方で学生が騒ぎをおこしている。石家荘のある学校では、一部の卒業生がしばらく就職できないため、卒業を一年のばしたところ、学生たちの不満をひきおこした。少数の反革命分子が機に乗じて扇動し、デモ行進を組織し、石家荘放送局を奪取して「ハンガリー」の再現を宣言する、といきまいたのだ。かれらは数多くのビラをはったが、なかでも「ファシズムを打倒せよ!」「平和ではなくて戦争を!」「社会主義には優越性がない!」という三つのスローガンがもっとも人目をひいた。この連中によれば、共産党はファシストで、われわれのような者は打倒されるべきだというわけである。うち出したスローガンがあまりにも反動的だったので、労働者は支持せず、農民は支持せず、各界の大衆もみな支持しなかった。北京の清華大学のある学生は、おおっぴらにこういきまいた――「いつかはおれさまの手で、何千何万の人を殺してやる!」と。百花斉放、百家争鳴がはじまると、こんな一「家」も出てきたのだ。鄧小平同志がこの大学にいって講演し、きみが何千何万もの人を殺そうとするのならわれわれは独裁をおこなう、と言明した。
北京市の調査によると、われわれの大学の学生は、大多数が地主、富農、ブルジョア階級、富裕中農の子弟で、労働者階級、貧農・下層中農出身の者は二〇パーセントにも満たない。全国的にも、大差はないだろう。このような状況は改めるべきであるが、それには時間がかかる。一部の大学生のあいだでは、ゴムルカはなかなか人気があるし、チトー、カダルもなかなか人気がある。むしろ、農村の地主や富農、都市の資本家や民主政党のほうに、比較的おとなしくしている者が多い。ポーランド、ハンガリーで騒動がおきたときにも、かれらは騒ぎをおこさなかったし、何千何万の人を殺してやるなどと言ってとび出してくるようなこともなかった。かれらがこのようにおとなしくしていることについては、分析をくわえるべきである。この人たちにはもう元手がなく、労働者階級、貧農・下層中農はかれらの言うことをきかなくなっており、かれらの足もとはからっぽなのである。もしも天下に異変がおきて、原子爆弾が北京や上海をめちゃくちゃにしてしまったとしても、この人たちの態度には変化がおこらないだろうか。そうなれば、知れたものではない。そのときには、地主、富農、ブルジョア階級、民主政党はみな分化する。かれらは世故にたけており、いまは多くの者が本心をかくしているのだ。だが、その子弟である学生の若造たちは、経験がないので、やれ「何千何万の人を殺してやる」とか、やれ「社会主義には優越性がない」とか、こうしたしろものをもち出しているのである。
一部の教授のあいだにも、さまざまの奇怪な論議がある。共産党は要らない、共産党はおれたちを指導しきれない、社会主義はよくない、まあこういったたぐいである。内心このように考えてはいても、以前には口に出さなかったものだが、百家争鳴で言わせてみたところ、こんな言論が出てきた。諸君は映画『武訓伝』を見ただろうか。画面に、背たけ何丈もの大きな筆があらわれて、「文化人」を象徴している。こんな筆で一掃きされたら、たまったものではない。いま、教授連がのり出してくるのは、おそらく、われわれを掃きだすためだろう。資本主義の復活をもくろんでいるのではないだろうか。
昨年の一年、国際的には大きな風波が数回まきおこった。ソ連共産党第二十回大会が大いにスターリンをやっつけ、その後、帝国主義が反共の大波を二度おこし、国際共産主義運動でも大弁論の波が二度あらわれた。このいくどかの風波のなかで、欧州と米州の一部の党がうけた影響と損失はかなり大きく、東方諸国の党がうけた影響と損失はわりあい小さかった。ソ連共産党第二十回大会がひらかれると、それまでひじょうに積極的にスターリンを支持していた一部の者が、こんどはさかんに攻撃しだした。わたしの見るところ、この人たちは、マルクス・レーニン主義をかえりみず、問題を分析せず、革命的道徳にも欠けている。マルクス・レーニン主義のなかには、プロレタリア階級の革命的道徳も含まれているのだ。いままであれほど支持していたのだから、いまこんな大転換をとげるには、すこしは理由をあげるのが至当であろう。ところが理由はなに一つのべず、突如こんな百八十度の転換をする。まるで、おれさまは従来からスターリンなど支持していなかったと言わんばかりだが、その実、以前はひじょうに支持していたのである。スターリン問題は、一国際共産主義運動全般にかかわり、すべての国の党にかかわっている。
ソ連共産党第二十回大会については、わが党内の圧倒的多数の幹部は、スターリンをやっつけすぎたとして不満であった。これは正常な気持ちであり、正常な反応である。しかし、ぐらついた者も少数ながらいる。台風がやってくると、雨の降るまえにアリが穴からはい出す。連中の「鼻」はなかなか敏感で、気象学を心得ている。ソ連共産党第三十回大会の台風が吹いてくると、中国でも、一部、穴からはい出すアリがいた。党内の動揺分子がそれで、機会のあるたびに、かれらは動揺する。スターリンが一撃のもとに倒されたと聞くと、連中はすっかりいい気持ちになり、そちらになびいて、万歳を叫び、フルシチョフはすべてが正しい、おれさまも以前から同じ主張であった、と言う。その後、帝国主義にいくどかたたかれ、国際共産主義運動の内部でいくどかたたかれて、フルシチョフもいくらか口調を変えざるをえなくなると、かれらはまたもやこちらになびいてきた。大勢のおもむくところ、こちらになびいてこないわけにはいかないのだ。土塀のうえの草は、風のまにまにどちらにもなびく。こちらへなびいてくるのは本意ではなく、あちらへなびいていくのこそ本意なのである。ポーランド、ハンガリー事件を、党内党外のあの連中は、よくぞもちあげたものである。明けてもポズナニ、暮れてもハンガリーだ。これで正体があらわれ、アリが穴からはい出し、妖怪変化どもがぞろぞろ出てきた。連中は、ゴムルカのふりまわす棍棒のまにまに動き、ゴムルカが大民主をとなえると、かれらもまた大民主をとなえる。いまは状況が変わったので、かれらはものも言わない。だが、それは本心からではなく、本心はやはりものを言いたいのである。
台風が吹くと、動揺分子はもちこたえられず、動揺する。これは法則である。諸君がこの問題に注意をはらうようのぞむ。一部の人は、いくどか動揺し、経験をつんだので、動揺しなくなった。だが、一部の人はいつまでも動揺する。ちょうど稲などの作物は、茎が細いので風にゆらぐのと同様である。コウリャン、トウモロコシは茎がわりあい太いので、いくらかましである。ただ、大木だけが毅然として動じない。台風が年々吹くように、国内、国際の思想上の台風、政治上の台風も年々吹く。これは一種の社会的な自然現象である。政党は一種の社会であり、一種の政治的社会である。その政治的社会の第一部類が党派である。党は階級の組織である。わが中国共産党はプロレタリア階級の政党で、主として労働者と、半プロレタリアである貧農出身の人びとによって構成される。しかし、党員のなかには、地主、富農、資本家の家庭出身の者や、富裕中農と都市小ブルジョア階級出身の者もたくさんいる。そのうちかなり多くの者は、多年、刻苦奮闘し、鍛えられてはいるが、マルクス主義をあまり身につけていないので、思想面でも、精神面でも、まだ稲と同様、風が吹くとゆらぐのである。
党員のなかには、これまでさまざまな関所を越えてきたのに、社会主義の関所だけはなかなか越せない者がいる。その典型的なひとりが薛迅である。彼女は、もと、河北省の省委員会副書記、副省長であった。彼女はいつごろ動揺したのだろうか。統一買付・統一販売の実施にとりかかったときである。統一買付・統一販売は、社会主義を実施するうえでの重要な段どりである。だが、彼女はあくまで反対し、なにがなんでも反対しようとした。もうひとりいる。全国購買販売合作総社副主任の孟用潜がそれである。かれは、一通の意見書を出し、やはり統一買付・統一販売にあくまで反対した。農業協同化の実施についても、党内にはやはり反対する者がいる。要するに、党内には、社会主義の関所を越せずに動揺している高級幹部がいる。このような事態には、終止符がうたれただろうか。うたれてはいない。では、十年たったら、この人たちは確固として、心から社会主義を信ずるようになるだろうか。そうともかぎらない。十年後に、なにか問題がおこったら、かれらはまたこう言いだすだろう――わたしはとっくに予想していたのだ、と。
軍隊の一部の幹部の思想動向を反映した資料を、同志諸君に配布する。こうした幹部の意見のなかには、たとえば一部の幹部の給料が高すぎるので、農民がこころよく思っていない、といった合理的なものもいくらかあるが、しかし、意見の全般的な方向としては妥当でなく、根本路線がまちがっている。かれらは、わが党の政策を、農村では「左」、都市では右だと言って批判する。中国は九百六十万平方キロもあるが、全部で二つの部分しかない。一つが農村、一つが都市である。かれらの論法によると、われわれの政策は全部まちがっていることになる。
農村政策が「左」だというのは、農民の所得が多くなく、労働者よりも少ないということである。これには分析をくわえるべきで、所得だけを見てはならない。一般に労働者の所得は農民よりも多いが、かれらの生産する価値が農民より大きく、生活に必要な支出も農民より多い。農民の生活を改善するには、主として、農民自身が生産の発展につとめることである。政府も、水利施設の建設や農業資金の貸付などの面で、農民を大いに援助する。われわれの農業税は、副業にたいする課税をふくめて、農民の生産総額の約八パーセントであり、多くの副業には税を課していない。食糧の統一買付は、正常な価格でおこなわれている。工業製品と農産物との交換の過程で国が農民のところかち得る利潤も、ごくわずかなものである。われわれは、ソ連のような義務供出制をとっていない。工農業生産物の交換にさいして、われわれは鋏状価格差を縮小させており、ソ連のように拡大しているのではない。われわれの政策は、ソ連とは大いに異なっている。したがって、われわれの農村政策を「左」であるとは言えない。
われわれの軍隊の高級幹部のなかには、農民は苦しいと訴えている人がいくらかいる。おそらく、帰省した折や国もとの親族がやってきたときに、富裕中農や富農や地主の例の言い草を耳にして、それに心を動かされているのであろう。一九五五年の前半には、党内のかなり多くの人が、梁漱溟のたぐいと呼応して、農民は苦しいと訴え、まるでこの二つの部分の人間だけが農民を代表し、農民の苦しみを知っている、とでも言わんばかりであった。かれらの目から見ると、わが党の中央などは農民を代表しておらず、党の省委員会も農民を代表しておらず、党員の大多数も農民を代表していない。江蘇省での調査によると、ある地区の県、区、郷三段階の幹部のうち、三〇パーセントの人が、農民は苦しいと訴えている。だが、あとで調べてみたところ、農民は苦しいと訴えているこの人たちの大多数は、家が比較的ゆたかで、売りに出せる余剰食糧を持っていることがわかった。かれらの言う「苦しい」とは、余剰食糧を持っていることである。また、「農民を援助する」とか、「農民に関心をよせる」とは、余剰食糧があっても国に売らなくてもよいということである。苦しいと訴えたこの人たちは、いったいだれを代表しているのか。かれらが代表しているのは.広範な農民大衆ではなくて、少数の裕福な農民なのである。
都市政策が右だという点になると、いかにももっともらしくみえる。われわれは資本家をかかえこんだうえに、七年間の定額利子〔1〕まであたえているからである。七年たったら、どうするのか。そのときになって、また様子をみる。しっぽを残しておき、いくらか定額利子をあたえるのがいちばんよい。こればかりの金で、この階級を買いとったのだ。この政策は、中央が十分に考慮したものである。資本家およびかれらとつながりをもつ民主人士と知識分子は、一般に文化、技術の水準がわりあい高い。われわれはこの階級を買いとり、その政治資本を奪いとって、かれらが文句を言えないようにしてしまう。奪いとる方法は、一つには金をはらって買いとるのであり、もう一つには仕事につかせるよう取りはからうのである。こうすれば、政治資本はかれらの手中にはなく、われわれの手に握られることになる。かれらの政治資本は、すっかり奪いとってしまわなければならず、まだ残っている部分は、ひきつづき奪いとるべきである。したがって、われわれの都市政策を右だ、と言うこともできない。
われわれの農村政策は正しいし、われわれの都市政策も正しい。だから、ハンガリー事件のような全国的な大騒動はおこせない。せいぜい、少数の人があちらで騒ぎ、こちらで騒ぎ、いわゆる大民主をやるくらいのものである。大民主とて、なにも恐ろしいことはない。諸君のなかには、ひじょうに恐れている同志もいるようだが、この問題では、わたしは諸君と見方がちがう。わたしに言わせると、大民主がおきても、第一には恐れないこと、第ニには分析をくわえて、相手がなにを言い、なにをするかを観察することである。ああした悪人がいわゆる大民主をやるときには、きっとまちがった行動をとり、まちがったことを口にして、自分の正体をさらけ出し、自分自身を孤立させるものだ。「何千何万の人を殺してやる」、これは人民内部の矛盾を解決する方法だろうか。大多数の人の支持を得ることができるだろうか。「ファシズムを打倒せよ」「社会主義には優越性がない」、これは公然と憲法に違反するものではないか。共産党と共産党の指導する国家権力は革命的なものであり、社会主義には優越性がある。これはみな、憲法にうたわれ、全国人民によって公認されたことである。「平和ではなくて戦争を」と言うなら、それもよかろう。戦争をよびかけたところで、全部であればかりの人数しかなく、兵士も足りなければ、将校の訓練もできていないではないか。この若造どもは気が狂ったのだ。石家荘の例の学校で、あの三つのスローガンを討議にかけたところ、七十名の代表のうち、賛成したのはわずか十数名で、五十数名が反対した。そのあと、このスローガンをさらに四千名の学生に討議させたところ、みな不賛成だったので、この十数名は孤立してしまった。このスローガンをもち出し、あくまで譲らなかった極反動分子は、わずか数人にすぎない。もしもかれらが大民主などやらず、いたるところにスローガンをはらなければ、われわれはまだ、連中がなにをしでかそうとしているのかわからなかっただろう。かれらは大民主の挙に出て、しっぽをつかまえられたのである。ハンガリ丁事件のよいところは、わが中国のこのアリどもを穴からおびき出したことである。
ハンガリーでは、大民主がはじまると、党、政府、軍隊が総くずれになってしまった。中国では、そんなことはおこるまい。わずかいく人か学生の若造がおしかけて、そのために、党、政府、軍隊が全部つぶれてしまう――そんなことは、われわれがまったくの穀つぶしでもないかぎり、おこりえない。したがって、大民主を恐れるにはあたらない。騒ぎがおこれば、ウミが出て、問題は解決しやすくなる、それはよい事なのである。帝国主義を、われわれは以前も恐れなかったし、いまも恐れていない。また、蒋介石を一度も恐れたことはない。いまになって大民主を恐れるだろうか。恐れることはないと思う。もしもだれかが大民主とかで社会主義制度に反対し、共産党の指導をくつがえそうとするなら、かれらにたいしてプロレタリア階級独裁を実行すればよい。
知識分子の問題では、いま、一種の偏向がある。その人たちの配置については重視するが改造は重視しない、配置には大いに力をそそぐが改造にはほとんど力をそそがない、ということである。ひとたび百花斉放、百家争鳴ということになると、知識分子を改造する勇気がなくなる。われわれは資本家の改造さえやれるのに、なぜ、知識分子と民主人士の改造がやれないのか。
百花斉放について言えば、やはり「放」をさせることだと思う。一部の同志は、香り高い花にだけ「故」をゆるし、毒草には「放」をゆるしてはならない、と考えている。こうした見方は、かれらが百花斉放、百家争鳴の方針をまったく理解していないことをしめしている。総じて、反革命的言論には、もちろん、「放」をゆるさない。しかし、それが反革命の姿でなく、革命の姿で出現したときには、やはり「故」をゆるすほかはない。こうしてこそ、それを識別し、それと闘争するのに有利なのである。田畑には二種類のものが成長しており、一つが作物、いま一つが雑草である。雑草は年々取りのぞかなければならず、一年になんども取らなければならない。「放」は香り高い花にかぎり、毒草にはゆるさないと言うのでは、田畑には作物の成長のみをゆるし、草は一本も生えてはならない、と言うのと同じである。そうは言っても、田畑を見た人ならだれでも知っているように、田畑の草は取りのぞかないかぎり、やはりたくさん生えるものである。雑草にはよいところもあって、すきかえしてしまえば肥料になる。役に立たないとは言えまい。無用のものも有用のものに変えることができる。農民が年々田畑の雑草とたたかわなければならないように、わが党の作家、芸術家、評論家、教授も、年々思想の分野の雑草とたたかわなければならない。鍛えられたとは、たたかいぬいたということである。草が伸びれば、取りのぞく。この対立面はたえずあらわれるものである。雑草は一万年たっても存在する、だから、われわれは一万年たたかいつづける心がまえをもたなければならない。
要するに、去年の一年は多事の秋であった。国際的にはフルシチョフ、ゴムルカが風波をおこした一年であり、国内では社会主義的改造が激烈な様相をしめした一年であった。現在もやはり多事の秋で、さまざまな思想がひきつづきあらわれるであろう。同志諸君に注意をうながしておきたい。
これから、いくつか意見をのべる。
第一点、成果を十分に評価すること。われわれの革命と建設は、成果が主要なものであるが、欠点や誤りもある。数かずの成果をあげたとしても、誇張してはいけない。しかし、過小評価すれば誤りを犯すことになり、それも大きな誤りとなるだろう。この問題は、もともと八期二中総で解決されたはずなのに、こんどの会議でもたびたびもち出された。してみると、一部の同志はまだ思想的に解決していないようである。とくに民主人士のあいだには、こういう議論がある――「きみたちはいつも成果が主要なものだと言うが、それでは問題が解決されない。成果が主要なものであることはだれでも知っている。だが、まだ欠点や誤りがあるではないか」と。しかし、成果はたしかに主要なものである。この点を確認しなければ、気をおとしてしまう。協同化でも、気をおとすようなことがあったではないか。
第二点、全般的に配慮し、おのおのにその所を得させること。これは、われわれの一貫した方針である。延安の時期からこの方針をとってきた。一九四四年八月、『大公報』は論評を出して、「別のかまどをつくるな」などと言ったことがある。重慶交渉のさい、わたしは『大公報』の責任者にこう言った――おことばには大賛成だ。だが、蒋委員長は飯の面倒をみなければならない。かれが飯の面倒をみてくれない以上、わたしたちは別のかまどをつくるほかないではないか、と。当時、われわれが蒋介石にたいして提起したスローガンの一つは、おのおのにその所を得させよ、というものであった。いまでは、われわれが事を取りしきるようになった。われわれの方針は、とりもなおきず、全般的に配慮し、おのおのにその所を得させるということである。
それには、国民党が残していった軍隊・政府要員を全部かかえこみ、台湾へ逃げていった者も帰ってこられるようにすること、反革命分子でも、死刑にしない者は、みな改造して、生活の道をあたえること、民主諸政党は残しておいて、長期共存をはかり、その成員をしかるべき部署につかせること、などが含まれる。要するに、全国の六億の人口は、われわれがすべて面倒をみるのである。たとえば、都市の住民と農村の食糧不足世帯については、統一買付・統一販売によって、われわれがすべて面倒をみる。また、都市の青年については、進学させるとか、農村、工場、あるいは辺境へ行かせるとかして、かならずどこかに按配する。さらに職をもつものが一人もいない世帯にたいしては、救済の手をのぱして、とにかく餓死者を出さないことを原則とする。これらはすべて全般的配慮である。これは、どういう方針なのか。ほかでもなく、社会主義建設のためにすべての積極的要素を動員するということである。これは一つの戦略的方針である。こうした方針を実行すれば比較的うまくいき、問題があまりおこらない。この全般的配慮という考え方を、みなにはっきり説明しておかなければならない。
柯慶施同志は、ありとあらゆる方法を考えよう、と言った。このことばはなかなかいい。たしかに、ありとあるゆる方法を考えて困難を解決することだ。このスローガンを宣伝すべきである。われわれがいまぶつかっている困難はそんなに大きなものではなく、たいしたことはない。万里の長征のさい、雪山をこえ、湿地草原をよぎったのと比べれば、なんといってもいくらかましである。長征の途上、大渡河を渡ったのちに、いったいどう進むべきか、北側はみな高い山で、人家もひじょうに少ない。われわれは、そのとき、百方手をつくして困難を克服するということを提起した。百方手をつくすとは、どういうことか。百方とは、九十九の手だてのほかに、一つの手だてをくわえることである。いま、諸君はまだかぞえるほどの手だても考え出してはいない。各省でも、中央の各部でも、いったい、どのぐらいの手だてがあるというのか。ありとあらゆる方法を考えさえすれば、困難は解決できるのである。
第三点、国際問題。中東では、スエズ運河事件というのがおきた。まずナセルという人が、運河をとりもどして国有にした。もう一人イーデンという人が、出兵して攻撃をかけた。つづいて、さらにもう一人アイゼンハワーという人が、イギリス人を追いはらって、この地方をひとり占めにしようとした。イギリスのブルジョア階級は、ゆらい、狡猾で奸智にたけ、適当な時機に妥協を成立させるのがもっともうまい階級である。ところが、こんどは中東をアメリカ人の手に渡してしまった。この誤りはじつに大きい。こんな誤りは、かれらの歴史にどれだけあっただろうか。こんどは、なぜ血迷って、この誤りを犯したのだろうか。アメリカの圧力があまりにもひどいので、腹にすえかね、中東を奪いかえして、アメリカを阻止しようとしたのである。イギリスのほこ先は主としてエジプトにむけられているのだろうか。そうではない。イギリスのねらいはアメリカに対処することにあり、アメリカのねらいもイギリスに対処することにある。
この事件から、当面の世界における闘争の重点を見てとることができる。もちろん、帝国主義岡と社会主義国とのあいだの矛盾は、ひじょうにはげしい矛盾である。だが、かれらはいま、共産主義反対を口実にして地盤を争っているのである。どういう地盤を争っているのか。十億の人口をもつアジア、アフリカの地盤である。いま、かれらの争奪は中東という重要な戦略的意義をもつ地域、とくにエジプトのスエズ運河地域に集中している。そこでの衝突には、二種類の矛盾と三つの勢力がある。二種類の矛盾とは、一種は帝国主義と帝国主義との矛盾、すなわち、アメリカとイギリスとの矛盾、アメリカとフランスとの矛盾であり、もう一種は帝国主義と被抑圧民族との矛盾である。三つの勢力とは、第一は最大の帝国主義アメリカであり、第二は二流の帝国主義イギリスとフランスであり、第三は被抑圧民族である。いま、帝国主義が争奪しているおもな場所はアジア、アフリカである。これらの地域では、どこにも民族独立運動がおこっている。アメリカのとっている方法には、武力によらないものもあれば、武力によるものもあり、中東では、まさしくそうしているのである。
かれらが争えば、われわれに有利である。われわれは、社会主義諸国をうちかため、一寸の土地も譲らないこと、これを方針とすべきである。われわれに譲れと要求するものとは、かならずたたかわなければならない。これ以外の範囲では、かれらに争わせておけばよい。では、われわれは発言するのかどうか、われわれは発言する。アジア、アフリカ、ラテンアメリカ人民の反帝闘争にたいしても、各国人民の革命闘争にたいしても、われわれはこれを支持するのである。
帝国主義国とわれわれとのあいだは、相手のなかに味方がおり、味方のなかに相手がいる、という関係である。われわれは相手のところの人民革命を支持しており、相手はわれわれのところで転覆活動をすすめている。相手のなかに味方がいるというのは、そこの共産党、革命的な労働者、農民、知識分子および進歩人士のことである。味方のなかに相手がいるというのは、中国のばあい、ブルジョア階級と民主諸政党のなかの多くの人、それに地主階級のことである。いまのところ、これらの人は、まだおとなしくしているようで、騒ぎをおこしてはいない。しかし、もしも原子爆弾を北京におときれたとしたら、どうだろう。造反しないだろうか。それは、大いに問題である。まして労働改造をうけている犯人、石家荘の例の学校で騒ぎをおこした指導的人物、北京のあの何千何万の人を殺してやるといきまいた大学生にいたっては、なおさらのことである。われわれは、どうしてもかれらを消化してしまわなければならず、地主、資本家を勤労者に改造しなければならない。これも一つの戦略的方針である。階級を消滅するには、たいへん時間がかかる。
総じて国際問題については、われわれはやはり次のように見ている。つまり、帝国主義がたがいに争い、たがいに植民地を争奪しあうというこの矛盾のほうがいくらか大きい。かれらは、われわれとの矛盾を口実にして、かれら相互の矛盾をおおいかくそうとしている。われわれはかれらの矛盾を利用できるのであり、そこにはいろいろと打つ手がある。これは、われわれの対外方針にかかわる大きな問題である。
中米関係についてのべよう。われわれは、アイゼンハワーが蒋介石にあてた書簡を会議で配布しておいた。わたしの見るところ、この書簡はおもに蒋介石に冷や水をあびせ、そのあとで、これに活をいれているのである。書簡では、衝動にかられるな、冷静をたもて、と言っている。つまり、戦争をするな、国連にたよれ、と言っている。これは、冷や水をあびせているのである。蒋介石は、たしかに衝動にかられたところがある。活をいれるとは、共産党にたいしてひきつづき強硬な政策をとるということであり、われわれのところに騒ぎがおきることにも望みをかけるということである。かれの目から見れば、騒ぎはすでにおきており、共産党はそれを阻止するすべがない。それぞれ一流の見方があるわけだ。
わたしはやはり、アメリカとの外交関係樹立を何年か遅らせたほうがいいと思う。このほうがいくらか有利である。ソ連がアメリカと国交を結んだのは、十月革命の十七年あとであった。一九二九年に世界的な経済恐慌がおこり、一九三三年までつづいた。この年に、ドイツではヒトラーが登場し、アメリカではルーズベルトが登場した。このときになってはじめて、ソ米が国交を結んだのである。われわれがアメリカと国交を結ぶのは、第三次五ヵ年計画の達成後になるだろう、つまり十八年あるいはもっと長い時間がかかる。われわれは、アメリカとの国交樹立を急がないのと同様に、国連加盟をも急がない。われわれがこの方針をとるのは、できるだけアメリカの政治資本をうばい、かれらを道理のない、孤立した立場に追いこむためである。われわれを国連に加盟させず、われわれと国交を結ばないというのなら、それもよかろう、時間を延ばせば延ばすほど、われわれへの借りはそれだけ多くなる。延ばせば延ばすほど、ますます道理がなくなり、アメリカ国内でも、国際世論のうえでも、ますます孤立することになる。わたしは延安で、あるアメリカ人にこう言ったことがある――お国のアメリカが百年間われわれのこの政府を承認しないとして、百一年目になってもまだ承認しないとは、わたしには信じられない、と。いつかはかならず、アメリカはわれわれと国交を結ぶだろう。そのとき、アメリカ人は中国に来てみて、後悔先に立たずと思うにちがいない。それというのも、中国というこの国はすでに一変して、家屋はきれいに掃除され、「四害」も退治されている。かれらは、もはや幾人の友人も見つけることができず、すこしぐらい細菌をばらまいても大して役には立たないからである。
第二次世界大戦のあと、資本主義諸国はひじょうに不安定で、乱れており、人心は安らかでない。中国をふくめて、世界諸国はみな安らかでない。だが、なんといっても、われわれはかれらに比べていくぶん安らかである。社会主義国と帝国主義国、主としてアメリカとでは、いったいどちらがどちらを恐れているのか、これを検討してみたまえ。わたしに言わせれば、双方とも恐れている。問題は、どちらがよりいっそう恐れているかということである。わたしはどちらかと言えば、帝国主義のほうがわれわれをいっそう恐れていると見ている。このような見方をすれば、みなが枕を高くして眠りこみ、三日間も目がさめないという危険があるかもしれない。したがって、どうしても二つの可能性があることを見ておく必要があろう。よい可能性のほかに、帝国主義が発狂するという悪い可能性も存在する。帝国主義は善意などもちあわせてはおらず、攪乱するのがつねである。もちろん、帝国主義がいま世界大戦をおこそうとしても、それほど容易なことではなく、おこした結果どうなるかを、かれらは考えておかなければならない。
つぎに、中ソ関係についてのべよう。わたしの見るところ、どうしても悶着がおこるだろう。共産党相互のあいだには悶着がない、などと考えてはならない。世の中に、悶着がおこらないなどということがあるだろうか。マルクス主義は悶着の主義で、矛盾にとりくみ、闘争にとりくむのである。矛盾はつねに存在し、矛盾があれば闘争はおきる。いま、中ソのあいだにはいくらかの矛盾が存在している。かれらのものの考え方や事のはこび方、かれらの歴史的習慣は、われわれとちがっている。したがって、かれらに働きかけるべきである。わたしはかねてから、同志には働きかけるべきだ、と言ってきた。ある人はこう言う――共産党員であるからには、みな同じようにりっぱなはずだ。それなのに、なぜ働きかけるのか。働きかけるとは、統一戦線をくみ、民主人士に働きかけることだ。それなのに、なぜ共産党員にも働きかけるのか、と。このような見方はまちがっている。共産党のなかにも、さまざまの異なった意見がある。一部の者は、組織的には入党したが、思想的にはまだはっきりしていない。古顔の幹部でさえ、一部の者はわれわれとことばが一致していない。だから腹をわって語りあうこと、個別的あるいは集団的に話しあうこと、何回も会議を開いて、納得するよう働きかけることがつねに必要である。
わたしの見るところ、情勢というものは一部の人よりも押しがきき、高官よりも押しがきく。情勢の圧力のもとでは、ソ連の頑迷分子がひきつづき大国排外主義のしろものをふりかざそうとしても、通用するものではない。われわれの当面の方針は、やはり、かれらを援助することであり、その方法は、かれらに面とむかって直接ものを言うことである。このたび、われわれの代表団がソ連にいき、一部の問題についてぶちまけてやった。わたしは電話で周恩来同志にこう言った――この人たちは利得に目がくらんでいる。かれらに対処する最良の方法は痛罵することだ、と。利得とはなにか。鋼鉄五千万トン、石炭四億トン、石油八千万トンのことにほかならない。こんなものがなんだ。ものの数にもはいらない。これっばかしのものでのぼせあがるようでは、どうして共産党員、マルクス主義者などと言えるのか。わたしに言わせれば、さらに十倍ふえ、百倍ふえたとしても、ものの数ではない。地球からすこしばかりのものを掘り出して、鋼材に変え、自動車や飛行機のたぐいを追っただけのことだ。なにも大したことはない。それなのに、これをあれだけ大きな荷物として背負いこみ、革命の原則など捨ててかえりみなくなっている。これこそ、利得に目がくらむということではないだろうか。官職が高くなれば、利得に目がくらむこともある。第一書記になることも一種の利得であり、ともすればのぼせあがりやすい。ひどくのぼせあがっているときには、なんらかの方法で痛罵してやらなければならない。このたび、周恩来同志がモスクワで遠慮会釈もなくかれらをやっつけたので、かれらもやりかえしてきた。これはいいことだ、面とむかってはっきりさせることである。かれらはわれわれに影響をあたえようとするし、われわれもかれらに影響をあたえようとする。われわれはなにもかもぶちまけたのではない。奥の手をいちどに出しきってしまったわけではなく、掌中にはまだかなり残してある。矛盾はつねにあるものだ。いまのところ、ほぼがまんできるようなら、小異を残して大同を求め、異なる点は後日あらためて問題にすればよい。もしもかれらが強引にこのままつっ走るようなら、いつかはかならず、すべてをぶちまけることになるだろう。
われわれ自身のほうでは、対外宣伝の面で誇張してはいけない。いついかなるときにも、謙虚で、つつしみ深く、おごり高ぶってはならない。ソ連のものはやはり学ぶべきだが、よく選択して学ぶべきであり、おくれたものではなく、すすんだものを学ぶべきである。おくれたものについては、別の方法で学ぶ。つまり、学ばないことである。かれらの誤ったものをわれわれが知れば、ああした誤りを犯さなくてすむ。われわれに役立つものは、かならず学ばなければならない。われわれは、世界のあらゆる国の有益なものをすべて学ばなければならない。知識は各方面にもとめるべきで、ただ一つのところにもとめるようでは単調すぎる。
第四点、百花斉放、百家争鳴。この方針は、胡風反革命集団を批判したあとに提起したものであるが、やはり正しいもので、弁証法に合致していると思う。
弁証法については、レーニンが、「弁証法は簡単に対立面の統一の学説と規定することができる。これによって弁証法の核心はつかまれるであろうが、しかし、これは説明と展開とを要する」〔2〕と言ったことがある。説明と展開、これがわれわれの仕事である。説明をしなければならない。いま、われわれには説明が少なすぎる。また、展開もしなければならない。われわれは革命の過程で豊富な経験をつんでおり、この学説を展開しなければならない。レーニンはまた、「対立面の統一(一致、同一、均衡)は条件的、一時的、経過的、相対的である。たがいに排除しあう対立面の闘争は、発展、運動が絶対的であるように、絶対的である。」〔3〕とも言っている。こうした観点から、われわれは百花斉放、百家争鳴という方針を提起したのである。
真理は誤謬との対比において、しかも、それとの闘争のなかで発展する。美は醜との対比において、しかも、それとの闘争のなかで発展する。善と悪も同様であり、善事、善人は、悪事、悪人との対比において、しかも、それとの闘争のなかで発展する。要するに、香り高い花は毒草との対比において、しかも、それとの闘争のなかで発展するのである。誤謬、醜悪、敵対のものに接することを禁止し、観念論や形而上学のものに接することを禁止し、孔子、老子、蒋介石のものに接することを禁止する――こうした政策は、危険な政策である。このために、人びとは思想がおとろえ、一本調子となり、世間のあら波にもたえられず、人と張りあうこともできなくなってしまう。
哲学においては、唯物論と観念論は対立面の統一であり、この二つのものはたがいに闘争している。このほかに弁証法と形而上学という二つのものがあって、これまた対立面の統一であり、たがいに闘争している。哲学の問題となると、この二対は欠かせない。ところが、ソ連ではいま、対をやらないで、もっぱら「単独経営」をやっている。香り高い花には「放」をゆるすが、毒草には「放」をゆるさず、社会主義国のなかに観念論と形而上学が存在することを認めないのである。実際には、どの国にも観念論があり、形而上学があり、毒草がある。ソ連では、数かずの毒草が香り高い花という名目であらわれており、さまざまの奇怪な論調にはみな唯物論あるいは社会主義リアリズムのレッテルがはりつけてある。われわれは、唯物論と観念論、弁証法と形而上学、香り高い花と毒草のこの闘争を公然と認める。このような闘争は永遠につづくのであり、各段階で一歩ずつ前進していくのである。
もしも唯物論と弁証法が理解できたら、さらにその対立面としての観念論と形而上学をもいくらか学ぶ必要がある――わたしは在席の同志諸君にそうおすすめしたい。カントやへーゲルの著作、孔子や蒋介石の著作など、こうした反面のものを読んでみる必要がある。観念論や形而上学がわからず、こうした反面のものと闘争したことがなければ、きみのその唯物論や弁証法は強固なものではない。われわれの一部の共産党員や共産党の知識分子の欠点は、ほかでもなく、反面のものをあまりにも知らないことである。マルクスの本を何冊か読んで、それをそのまま話すようでは、いささか芸がない。話をしても文章を書いても、説得力にとぼしい。反面のものを研究しなければ、それを論破することはできない。マルクス、エンゲルス、レーニンはそうではなかった。かれらは、当時とそれ以前のさまざまなものを学び、研究することにつとめ、しかも、人びとにもそうするように教えた。マルクス主義の三つの構成部分は、ブルジョア階級のもの――ドイツの古典哲学、イギリスの古典経済学、フランスの空想的社会主義を研究し、しかも、それと闘争する過程でうまれたのである。これに比べると、スターリンはすこしおちる。たとえば、かれの時代には、ドイツの古典観念論哲学はフランス革命にたいするドイツ貴族の一種の反動であるといわれた。こういう結論をくだせば、ドイツの古典観念論哲学は全面的に否定されることになる。かれはドイツの軍事学を否定し、ドイツ人は戦争に負けたから、その軍事学も役に立たなくなった、クラウゼビッツ〔4〕の著作も読むべきではない、と言った。
スターリンは形而上学的なところがたくさんあり、しかも、多くの人に形而上学をやるよう教えこんだ。かれは『ソ連共産党(ボリシェビキ)歴史小教程』のなかで、マルクス主義の弁証法には基本的特徴が四つあると言った。そして、第一には事物の関連をあげており、まるでどんなものでも何のいわれもなしに関連しあうかのように言っている。いったい、どのようなものが関連しあうのか。対立する二つの側面が関連しあうのだ。どんな事物にも、対立する二つの側面があるのである。かれは第四に事物の内在的矛盾をあげているが、ここでは対立面の闘争を言うだけで、対立面の統一は言っていない。対立面の統一という弁証法の根本法則からすれば、対立面は闘争もすれば、統一もし、たがいに排除もすれば、たがいに関連もするのであって、一定の条件のもとではたがいに転化しあうのである。
ソ連で編纂した『哲学小辞典』第四版の、同一性についての項目には、スターリンの観点が反映されている。この辞典には、「戦争と平和、ブルジョア階級とプロレタリア階級、生と死などのような現象は、同一ではありえない。それらは根本的に対立し、たがいに排除しあうものだからである」と書いてある。つまり、これらの根本的に対立する現象にはマルクス主義の同一性がない、それらはたがいに排除しあうだけで、たがいに連結せず、一定の条件のもとでたがいに転化しあうこともありえない、と言うのである。このような論法は根本的に誤っている。
かれらの目から見れば、戦争は戦争であり、平和は平和である。この二つのものはたがいに排除しあうだけで、なんら関連がなく、戦争は平和に転化できず、平和は戦争に転化できないのである。レーニンは、「戦争は別の手段による政治の継続である」〔5〕というクラウゼビッツのことばを引用したことがある。平和の時期の闘争は政治である。戦争も政治であるが、ただ特殊な手段をもちいる。戦争と平和は、たがいに排除もすれば、たがいに連結もし、しかも、一定の条件のもとではたがいに転化しあうのである。平和の時期が戦争をはらまないなら、戦争がどうして突然おこるだろうか。戦争の過程に平和がはらまれないなら、平和がどうして突然おとずれるだろうか。
生と死が転化しあうことができないのなら、いったい、生物はどこから来るというのか。地球にはもともと無生物しかなかった。生物はあとになって出てきたのであり、無生物、すなわち死物から転化してきたのである。生物はみな新陳代謝するのであり、生長し、繁殖し、死亡する。生命の活動する過程でも、生と死はたえず闘争しあい、転化しあっている。
ブルジョア階級とプロレタリア階級が転化しあうことができないのなら、なぜ革命を経て、プロレタリア階級が支配者に変わり、ブルジョア階級が被支配者に変わるのか。たとえば、われわれと蒋介石国民党とは根本的に対立している。対立する双方が闘争しあい、排除しあった結果、われわれと国民党の地位にはともに変化がおこり、かれらは支配者から被支配者に変わり、われわれは被支配者から支配者に変わったのである。台湾に逃げた国民党は十分の一にすぎず、十分の九が大陸に残った。残った部分にたいして、われわれは改造をおこなっているが、これは新しい状況のもとでの対立面の統一である。台湾にいった十分の一についても、われわれとかれらとはやはり対立面の統一であり、これまた闘争を経て、かれらを転化させるのである。
対立面のこうした闘争と統一を、スターリンは結びつけることができなかった。ソ連の一部の人の思想は形而上学的で、じつに硬直しており、これかあれかのどちらかで、対立面の統一を認めない。そこで、政治的に誤りを犯すのである。われわれは対立面の統一の観点を堅持し、百花斉放、百家争鳴の方針をとる。香り高い花を咲かせるときには、毒草もかならず出てくるものだ。これはなにもおそろしいことではなく、一定の条件のもとでは有益でさえある。
一部の現象は、一時、避けられないものであるが、それが出てくれば、手をうつことができる。たとえば、これまで、芝居の演目をがんじがらめに統制し、これもいけない、あれもいけないと、上演を禁止してきた。こんど「放」の方針をとると、『烏盆記』『天雷報』だの、妖怪変化ものだのがどっと舞台にあらわれてきた。このような現象はどうだろうか。わたしは、あらわれたほうがいいと思う。多くの人は妖怪変化ものを見たことがないのだ。こうした醜悪な形象に接したときにはじめて、舞台に出すべきでないものまで舞台に出されたことがわかるのである。このあとで、そうした芝居に批判をくわえ、改造をおこない、あるいは上演を禁止すればよい。ある人が、一部の地方劇はよくない、地元の人でさえ反対している、と言っている。わたしは、このような芝居はすこしぐらい上演されてもかまわないと思う。果たして受けいれられるかどうか、まだどれだけ観客がいるのか、こうした点は実践をつうじて判断すればよく、あわてて禁止することはない。
こんど、われわれは『参考消息』の発行部数を二千部から四十万部にふやすことをきめ、党内党外の人がみな見られるようにした。これは共産党が帝国主義にかわって新聞を発行するのであり、われわれを罵倒した反動的言論までのせるのである。なぜ、このようなことをするのか。その目的は、毒草、つまり非マルクス主義や反マルクス主義のものを、われわれの同志に見せ、人民大衆と民主人士に見せて、鍛錬をさせるためである。封鎖すべきではなく、封鎖するのはかえって危険である。この点、われわれはソ連とやり方がちがう。なぜ種痘をするのか。それは、わざとビールスを人体にいれ、「細菌戦」をおこない、人間とたたかわせて、人間の体内に一種の免疫性ができるようにするためである。『参考消息』の発行やその他の反面教材の出版は、つまり「種痘」であって、幹部と大衆の政治的免疫性をつよめるのである。
一部の有害な言論にたいしては、適時に強力な反駁をくわえなければならない。たとえば、『人民日報』にのった『「不可避」について』という文章は、われわれの仕事のなかの誤りはなにも不可避なものではない、われわれは「不可避」ということばで自分の仕事のなかの誤りを容認している、と書いている。これは有害な言論である。この文章はのせなくてもよかったかもしれない。のせるからには、適時に反駁し、これと張りあう用意をすべきであった。われわれが革命や建設をやるのに、いくらかの誤りを犯すのはどうしても避けられないことだ。これは、歴史的経験によって立証されていることである。『ふたたびプロレタリア階級独裁の歴史的経験について』という論文は、まさに大不可避論にほかならない。われわれの同志で、誤りを犯したい人などいるだろうか。誤りというのは、あとからわかるもので、はじめはみな一〇〇パーセントのマルクス主義だと思いこんでいる。もちろん、誤りが不可避だからといって、すこしくらい犯してもかまわないと考えてはならない。しかし、仕事のなかで誤りを犯さないなど、たしかに不可能であることは、やはり認めなければならない。問題は、誤りを少なくし、小さくすることである。
社会の邪風はかならず撃退しなければならない。党内でも、民主人士のあいだでも、また学生のあいだでも、およそ邪風でさえあれば、つまり、それが個々の人の誤りではなく、一陣の風を形成しているかぎりは、かならずこれを撃退しなければならない。撃退する方法は、道理を説くことである。説得力さえあれば、邪風を撃退することができる。説得力がなく、ちょっと悪態をつくだけでは、その邪風はますますひどくなるばかりだ。重大問題については、十分な準備をしたうえで、成算ができたときに、十分説得力のある反駁の文章を発表することである。書記はみずから新聞の指導にあたり、みずから文章を書かなければならない。
統一物のたがいに対立しあい、闘争しあう二つの側面には、かならず主従の区別がある。われわれのこのプロレタリア階級独裁の国家においては、もちろん、毒草をいたるところにはびこらせるようではいけない。党内でも、思想界や文学・芸術界でも、香り高い花、つまりマルクス主義が主要なものとなり、支配的地位を占めるよう、大いに努力しなければならない。毒草、つまり非マルクス主義や反マルクス主義のものには被支配的地位しかない。これは、ある意味では、原子のなかの原子核と電子との関係にたとえられる。一つの原子は二つの部分に分けられる。一部を原子核、もう一部を電子という。原子核はひじょうに小さいが、たいへん重い。電子はたいへん軽く、一つの電子はいちばん軽い原子核の約千八百分の一にすぎない。原子核も分割できるが、ただその結合がかなり強固である。電子はいくらか「自由主義」的なところがあって、いくつかとび出したり、はいりこんできたりする。原子核と電子との関係も対立面の統一で、主従の区別がある。このような観点からみれば、百花斉放、百家争鳴は有益無害と言えよう。
第五点、騒ぎをおこす問題。社会主義社会で少数の人が騒ぎをおこすのは、新しい問題であり、大いに研究に値する。
社会のがらはすべて対立面の統一である。社会主義社会も対立面の統一で、人民の内部での対立面の統一もあれば、敵味方のあいだでの対立面の統一もある。わが国では、まだ少数の人が騒ぎをおこすこともあるが、その基本的な原因は、社会に各種の対立しあう側面 正面と反面が依然として存在すること、対立しあう階級、対立しあう人びと、対立しあう見解が依然として存在することにある。
われわれは、すでに生産手段所有制の社会主義的改造を基本的になしとげたが、しかし、まだブルジョア階級がおり、地主、富農がおり、極悪ボスや反革命分子がいる。かれらは収奪された階級であり、現在ではわれわれがかれらを抑圧している。かれらは恨みをいだいており、その多くの者が機会さえあれば暴れだす。ハンガリー事件がおきたとき、かれらはハンガリーがかき乱されるのを願い、中国もかき乱されれば何よりだと願っていた。これは、かれらの階級的本性である。
一部の民主人士と教授述のもち出す例の奇怪な議論も、われわれと対立するものである。かれらは観念論をとなえ、われわれは唯物論をとなえる。かれらは、共産党には科学が指導できない、社会主義には優越性がない、協同化はまったくよくないと言い、われわれは、共産党は科学を指導できる、社会主義には優越性がある、協同化はまったくすばらしいと言う。
学生のなかにも、われわれと対立する者が少なくない。いまの大学生は、大多数が搾取階級の家庭の出身である。そのなかに、われわれに反対する者がいても、なにも不思議ではない。こうした連中は、北京にもおり、石家壮にもおり、その他の地方にもいる。
社会には、われわれの省委員会を「こわばった「ミイラ」だとののしる連中もいる。省委員会は果たしてミイラだろうか。わたしの見るところ、われわれの省委員会は、ぜんぜん死んでなどはいない。どうしてこわばっているなどと言えるだろうか。省委員会を「ミイラ」だとののしるのと、われわれのように省委員会をミイラではないと言うのとでは、これまた対立しあっている。
わが党内にも、さまざまの対立した見解がある。たとえば、ソ連共産党第二十回大会がスターリンを一撃のもとにたたきのめしたことについても、反対と支持との二つの対立した見解がある。党内における見解の相違はつねにあらわれるものである。いましがた見解が一致したと思っても、一、二ヵ月たつと、ふたたび新たな見解の相違があらわれる。
人びとのものの考え方の面では、実事求足と主観主義とは、対立しあうものである。わたしは、主観主義はいつの時代にもあるものだと思う。一万年後には、主観主義がすっかりなくなってしまうだろうか。そうは思わない。
工場、協同組合、学校、団体、家涎をとわず、要するにいついかなるところにも、すべて対立しあう側面がある。したがって、社会で少数の人が騒ぎをおこすのは、年々あることである。
いったい、騒ぎがおきるのを恐れるのか、それとも恐れないのか。われわれ共産党は、これまで帝国主義、蒋介石国民党、地主階級、ブルジョア階級も恐れたことはなかった。それなのに、いま、学生が騒ぎをおこすのを恐れ、農民が組合のことで騒ぐのを恐れるとしたら、それこそ不思議ではないか。大衆が騒ぎをおこすのを恐れるのは、段祺瑞、蒋介石ぐらいなものである。このほかに、ハンガリーとソ連にも、一部、恐れる人がいる。少数の人が騒ぎをおこすことにたいし、われわれは積極的な態度をとるべきで、消極的な態度をとるべきではない。つまり、恐れない、だが備えはしておく、ということである。恐れても、どうにもならない。恐れれば恐れるほど、お化けは出るものである。騒ぎを恐れず、精神的な備えがあってこそ、受け身の立場に追いこまれないですむ。わたしは大事件発牛の心がまえをしておくべきだと思う。大事件発生の心がまえがあれば、発生しないかもしれない。そうした心がまえがないと、騒乱がおきるだろう。
ものごとの発展には、よいか悪いかの二つの可能性しかない。国際問題であろうと、国内問題であろうと、すべて二つの可能性を見とおしておかなければならない。ことしは太平であるというのなら、あるいはそうかもしれない。だが、こうした見とおしに立って仕事をするのはよくない。最悪のばあいを前提にして想定すべきである。国際面では、せいぜい世界大戦がおこり、原子爆弾が落ちるくらいであろう。国内では、せいぜい全国的な大騒乱がおき、「ハンガリー事件」があらわれて、数百万人がわれわれに反対し、数百の県を占領し、かつ北京に攻めよせてくるくらいであろう。われわれについて言えば、せいぜい延安に舞いもどるくらいのものだが、われわれはもともとそこからやってきたのである。われわれは北京に住みついて、もう七年になるが、八年目にどうぞ延安にお帰りくださいということになったらどうするか。みんな万事休すと言って、泣きさけぶのか。もちろん、われわれにはいま、「空おどしのひと突きをくれ、さっと馬首をひるがえして」、延安にもどるというようなつもりはない。中国共産党第七回代表大会のとき、わたしは十七ヵ条の困難を見とおしておくべきだと言った。そのなかには見わたすかぎり田畑は荒れはてて、大飢饉におそわれ、食べるものもなく、県都という県都をうしなう、という状況もふくまれていた。このように十分な見とおしを立てておいたので、われわれは終始、主動的な立場に立つことができた。現在、われわれは天下をとったが、それでもやはり最悪の可能性を想定しておかなければならない。
少数の人が騒ぎをおこすのは、一部は、指導部に官僚主義と主観主義が存在し、政治面あるいは経済面の政策で誤りを犯すことによる。また一部は、政策に誤りがあるわけではないが、仕事のやり方に誤りがあり、あまりにも弾力性を欠くためである。さらにもう一つの要因は、反革命分子と悪質分子が存在することである。少数の人の騒ぎたてるのを完全に避けることはできない。これもまた不可避論である。だが、路線上の大きな誤りさえ犯さなければ、全国的な大騒乱はおこらない。たとえ路線上の大きな誤りを犯し、全国的な騒乱がおこったとしても、すみやかに平定され、国が滅ぶようなことにはならないと思う。もちろん、われわれが不手ぎわをやれば、歴史がいくらか回れ右をして、後もどりすることも、大いにありうる。辛亥革命は、回れ右をした。革命によって皇帝をくつがえしたのに、また皇帝が返り咲き、軍閥が出てきたのである。問題があるからこそ革命がおこり、革命のあとにはまた問題があらわれる。わたしはこう信じている――たとえ全国的な大騒乱がおきても、そのときにはかならず大衆とその指導的人物が局面を収拾するだろう。それはわれわれであるかもしれないし、他の人であるかもしれない。そのような大騒乱を経て、ウミを出したあとは、われわれの国家はいっそう強固になるだけである。中国はかならず前進していく。
少数の人が騒ぎをおこすことについては、第一、これを奨励しない、第二、どうしても騒ぐものには騒がしておく、の二ヵ条である。わが国の憲法では、街頭行進と示威の自由を規定しているが、ストライキの自由は規定していない。だが、これを禁止してもおらず、したがって、ストライキは憲法違反にはならない。人がストライキをし、請願をしようとするのに、むりやり阻止するのはよくない。騒ごうとする者には騒がしておき、騒ぎたいだけ騒がしておけばよかろう。一ヵ月で足りなければ、二ヵ月でもよい。要するに、騒ぎあきるまで、けりをつけないことだ。急いでけりをつけても、いつかはまた騒ぎだすだろう。およそ学生が騒ぎをおこしている学校では、休校にしないで、腹をすえて赤壁の激戦をやればよい。これにはどんな利点があるだろうか。問題を徹底的にあばきだし、是非の区別をはっきりさせて、みなをきたえ、道理のない者や悪人どもを敗北させるということである。
このような指導の芸術を身につけるべきであって、なにごともフタをするようではいけない。人がすこしでも怪論を吐き、ストライキを打ち、請願をやると、一撃のもとにやっつけてしまい、まるでこの世にあるまじきことのように考える。だが、あるまじきことがなぜおこるのか。やはり、あるべきことなのである。ストライキをゆるさず、請願をゆるさず、悪口を言うのをゆるさず、なにがなんでも押えつけるというようでは、あげくの果てにラコシになってしまう。これは党内、党外をつうじて言えることである。さまざまな奇怪な議論、奇怪な出来事、矛盾は、暴露するのがよい。矛盾を暴露し、矛盾を解決しなければならない。
騒ぎにたいしては、いくつかの状況にわけて処理しなければならない。一つは、騒ぎをおこしたのが正しいばあいで、われわれは誤りを認め、かつ改めるべきである。もう一つは、騒ぎをおこしたのがまちがっているばあいで、これには反駁しなければならない。騒ぐのに道理があれば、騒ぎをおこすべきであり、騒ぐのに道理がなければ、騒ぎをおこしてもたいしたことはやれない。さらにもう一つは、その騒ぎに正しいところもあれば、まちがっているところもあるというばあいで、これは正しい部分は受けいれ、まちがっている部分は批判すべきである。なんの原則もなしに一歩一歩後退し、どんな要求でも受けいれるというようであってはならない。大がかりな、ほんものの反革命的暴動は武力によって鎮圧すべきであるが、それ以外は軽がるしく武力をつかったり、発砲したりしてはいけない。段祺瑞のやった「三・一八」虐殺事件①は、発砲するという方法をとった結果、自分自身を打倒してしまった。われわれは、段祺瑞のやり方を学んではならない。
騒ぎをおこした人にたいしては、よく働きかけて、分化させ、多数の人と少数の人とを区別しなければならない。多数の人にたいしては、だんだん変わっていくようによくみちびき、教育すべきであって、傷つけるようなことをしてはならない。わたしの見るところ、どんなところでも、左右両端が少なく、中間が多いものである。中間派を逐次かちとるべきである。そうすれば、われわれが優勢を占めるようになる。先頭に立って騒ぎをおこした者にたいしては、分析をくわえる必要がある。敢然と先頭に立って騒ぎをおこすような者のなかには、教育を経て、役に立つ人材になれる者がいるかもしれない。少数の悪人にたいしても、もっとも重大な罪を犯した者以外は、これまた逮捕したり、投獄したり、追放したりしてはならない。もとのところにとどまらせて、いっさいの政治資本をうばい、孤立させ、反面教師として利用すべきである。何千何万の人を殺してやるといきまいた精華大学の例の大学生も、われわれの鄧小平同志が講演にいったときには、これにそうした教師をつとめてもらった。こういった連中は、武装もしていなければ、ピストルももっていないのだ、なんで恐れることがあろうか。あっさり追放してしまえば、そこはきれいになるが、人心は得られない。そこで追放しても、ほかのところで仕事につくだろう。だから、こうした連中を急いで追放するのはよい方法ではない。こうした連中は、反動的な階級を代表しており、個々の人間の問題ではない。あっさり処分してしまえばせいせいはするだろうが、反面教師の役割をぞんぶんに利用したことにはならない。ソ連では、大学生が騒ぎをおこすと、なん人かの指導的人物を追放してしまう。悪いこともわれわれに役立つ教材になる、ということがわからないのである。もちろん、ハンガリー事件のような反革命的暴動をおこすごく少数の者にたいしては、かならず独裁を実行しなければならない。
民主人士にたいしては、かれらにわれわれと張りあわせ、思いきり批判させるようにしなければならない。こうしなければ、われわれはいささか国民党に似てくる。国民党は批判されるのをひじょうに恐れ、参政会が開かれるたびに戦々恐々としていた。民主人士の批判も、まちがっているものと、まちがっていないものとの二種類しかない。まちがっていないものは、それによってわれわれの短所を補えばよく、まちがっているものは、それに反駁をくわえなければならない。梁漱溟、彭一湖、章乃器といった連中には、屁を放りたければ放らせておけばよい。放らせるのが有利である。臭いか臭くないか、みなに判別させ、討論をつうじて、多数をかちとり、かれらを孤立させるのである。かれらが騒ぎたければ、ぞんぶんに騒がせておけばよい。よこしまなことをやりすぎると、かならず自滅するものである。かれらの言い草は誤りであればあるほどいいし、かれらの犯す誤りは大きければ大きいほどいい。こうして、かれらはますます孤立し、ますます反面から人民を教育することができるのである。民主人士にたいしては、われわれは団結もすれば、闘争もしなければならない。それぞれの状況におうじて、一部の人にはすすんで然るべき事前工作をするべきだが、一部の人にはみずからを暴露させ、後から受けて立つべきで、先に手出しをしてはならない。
ブルジョア思想との闘争、悪人や悪事との闘争は長期にわたるもので、数十年、さらには数百年を要する。労働者階級、勤労人民、革命的知識分子は、闘争のなかで経験をつみ、きたえられるであろう。これはひじょうに有益なことである。
悪いことには二重性があって、一つは悪い性質、もう一つはよい性質である。この点は、いまのところ、多くの同志にはまだよくわかっていない。悪いことのなかにも、よい要素がふくまれている。悪人や悪事をただ悪いと見なすのは、問題を一面的、形而上学的に見て、弁証法的には見ておらず、マルクス主義の観点ではない。悪人や悪事は、一面では悪いが、他の一面ではよい役割をもっている。たとえば、王明のような悪人でも、現に反面教師というよい役割をはたしている。同じように、よいことのなかにも、悪い要素がふくまれている。たとえば、解放後七年らいの大きな勝利、とくに去年一年におさめた大きな勝利によって、一部の同志はのぼせあがり、おごり高ぶっており、少数の人の騒ぎが突発すると、まったく意表をつかれたように感じている。
騒ぎを恐れたり、無造作に処理したりするのも、その根本的な原因は、社会主義社会が対立面の統一で、そこには矛盾、階級、階級闘争が存在するということを思想的に認めないことにある。
スターリンは、社会主義制度のもとでの生産関係と生産力との矛盾、上部構造と経済的土台との矛盾を、長いあいだ認めなかった。逝去のまえの年に書いた『ソ連における社会主義の経済的諸問題』になって、やっと、奥歯にものがはさまったような言い方で、社会主義制度のもとでの生産関係と生産力との矛盾にふれ、もしも政策をあやまり、調整で不手ぎわをやれば、問題がおきる、とのべたのであった。しかし、かれは依然として、社会主義制度のもとでの生産関係と生産力との矛盾、上部構造と経済的土台との矛盾を全面的な問題としては提起しておらず、これらの矛盾が社会主義社会の発展を推進する基本的矛盾であることを認識してはいなかった。かれは、かれのあの天下が強固であると考えていた。われわれは、天下が強固であるなどと考えてはならない。天下は、強固でもあるし、強固でもないのである。
弁証法によれば、人がいつかは死ぬのと同じように、歴史的現象の一つとしての社会主義制度も、いつかは死滅し、共産主義制度によって否定されるのである。もしも、社会主義制度は死滅しない、社会主義の生産関係と上部構造は死滅しない、というなら、それでもマルクス主義と言えるだろうか。これでは、宗教の教義と同じであり、神の不滅をとなえる神学と同じではないか。 社会主義社会における敵味方の矛盾と人民内部の矛盾をどのように処理するか、これは一つの科学であり、十分研究するに値する。わが国の状況についていえば、現在の階級闘争のうち、一部分は敵味方の矛盾であるが、大部分は人民内部の矛盾としてあらわれる。いま、少数の人が騒ぎをおこしているのは、こうした状況を反映しているのである。かりに一万年後に地球が壊滅するとして、少なくともこの一方年内は、まだ、騒ぎがおきるという問題はなくならない。われわれは、一万年も先のことまでかまってはいられないが、何回かの五ヵ年計画のあいだは、この問題を処理する経験を積むようしんけんに努力しなくてはならない。
われわれの活動を強化し、われわれの誤りと欠点を改めなければならない。どんな活動を強化するのか。工業、農業、商業、文化・教育、軍隊、政府、党では、いずれも政治思想活動を強化しなければならない。現在、やれ経済だ、やれ文化・教育だ、やれ国防だ、やれ党務だと言って、みなが業務にとりくみ、事務にとりくんでいるが、政治思想活動をやらなければ、ひじょうに危険である。こんどわれわれの書記長鄧小平同志が、みずから出馬して清華大学へ講演にいったが、諸君もみな出馬してほしい。党中央と省・市・自治区委員会の指導的同志は、みなみずから出馬して政治思想活動をすすめなくてはならない。第二次世界大戦後、ソ連共産党と東ヨーロッパの一部の国の党は、マルクス主義の基本原則を重視しなくなった。かれらは、階級闘争、プロレタリア階級独裁、党の指導、民主集中制、党と大衆との結びつきなどについてはすべて重視せず、そういう空気も薄らいでしまった。その結果、ハンガリー事件がおきたのである。われわれは、マルクス主義の基本理論をかならず堅持しなければならない。どの省・市・自治区も、すべて理論活動を展開し、マルクス主義の理論家、評論家を計画的に養成すべきである。
機構を簡素化しなければならない。国家は階級闘争の道具である。階級は国家そのものではなく、国家は支配的地位を占める階級が一部の人(少数の人)をだして構成するものである。国家機関の仕事にはいくらかの人員が必要であるが、少なければ少ないほどよい。現在、国家機構は膨大になり、部門がきわめて多く、機関にいても仕事のない人がたくさんいる。この問題を解決しなければならない。それには、第一に人員を減らすべきであり、第二には減らす予定の人員にたいして、かならず適当な身のふり万をきめてやり、どの人にも確実な落ちつき先があるようにすべきである。党、政府、軍隊はいずれもこうしなければいけない。
下部におりて問題を研究しなければならない。中央の同志、各省・市・自治区および各部のおもだった責任者は、みなこうしてもらいたい。聞くところによると、いま、多くの責任者が下へおりていかなくなったそうだが、これはよくない。中央機関はじつにつらい。ここでは、まったく知識が得られないのだ。なにか知識を求めようとしても、機関のなかにすわっていては求められない。知識がほんとうに得られるところは、工場、協同組合、商店である。機関にいたのでは、工場をどうするか、協同組合をどうするか、商店をどうするかがわからない。上部であればあるほど、得るものはない。問題を解決するには、かならず自分で下へおりていくか、下部の人に上へ来てもらうか、どちらかである。弟叫に下へおりていかず、第二には下部の人に上へ来てもらうこともしないようでは、問題を解決することはできない。わたしは、省・市・自治区委員会書記が、県委員会書記を兼任するか、もしくは工場か学校の党委員会書記を兼任するよう提案する。地区委員会書記、県委員会書記も、下級の組織の書記を兼任すべきである。こうすれば、経験をつんで、全局を指導することができる。
大衆と緊密に結びつかなければならない。大衆から浮きあがり、官僚主義であれば、やっつけられるのは必至である。ハンガリーの指導者は、調査研究をやらず、大衆の状況をつかんでいなかったため、いったん大騒乱がおこると、まだその原因がどこにあるのかわかるないありさまであった。いま、われわれの部と省・市・自治区委員会の一部の指導部も、大衆の思想動向をつかんでおらず、一部の連中が騒ぎをたくらみ、暴動をたくらんでいるのに、まったく気づいてはいない。事がおきたら、それこそ手の打ちようもないだろう。われわれは、かならずこれを戒めとしなければならない。中央の同志、各省・市・自治区および各部のおもだった責任者は、一年のうち一定の期間、かならず工場、協同組合、商店、学校など基層組織にいって、調査研究をおこない、大衆の状況はどうか、すすんだ者、中間の者、立ちおくれた者はそれぞれどのくらいいるのか、われわれの大衆活動はどんな具合なのかをはっきりつかみ、成算がもてるようにしなければならない。労働者階級に依拠し、貧農・下層中農に依拠し、先進分子に依拠すべきであり、ともかく拠りどころがなければならない。こうしてこそ、ハンガリーのような事件を避けることができるのである。
第六点、法秩序の問題。かならず法を守ること、かならず反革命分子を粛清すること、かならず反革命分子粛清の成果を確認すること――この三点についてのべよう。
かならず法を守るべきで、革命的法秩序を破壊してはならない。法律は上部構造である。われわれの法律は、勤労人民がみずから制定したものである。それは革命の秩序を維持し、勤労人民の利益を保護し、社会主義の経済的土台を保護し、生産力を保護するものである。われわれは、革命的法秩序を遵守するよう、すべての人に要求しているのであって、民主人士にだけ要求しているのではない。
かならず反革命分子を粛清しなければならない。反革命分子粛清の計画を達成していないところでは、ことし達成しなければならず、やり残しがあれば、来年にはぜひとも達成しなければならない。反革命分子を粛清はしたが、まだ一掃していないという一部の部門では、闘争のなかで一歩一歩粛清して一掃しなければならない。反革命分子はもう多くはいない、この点は確認しておくべきである。騒ぎのおきたところでも、広範な大衆は反革命分子についていくことはないだろう。反革命分子についていくのは、一部であり、一時的にすぎない。だが、反革命分子はまだいるし、反革命分子粛清工作はまだ終わってはいないことも、確認しておかなければならない。
かならず反革命分子粛清の成果を確認しなければならない。反革命分子の粛清は偉大な成果をあげた。これには誤りもあり、もちろん、厳粛な態度で対処しなければならない。反革命分子粛清工作にたずさわる幹部をきざえてやるべきで、一部の民主人士がののしったからといって弱腰になってはならない。まいにち悪態をつく、飯を食ったら何もすることがないので、もっぱら人の悪態をつく――そんな連中には勝手にさせておけばよい、わたしの見るところ、かれらが悪態をつけばつくほどよい。わたしののべた三点は、悪態ぐらいでゆらぐものではない。
共産党は、どれぐらいののしられてきたかわからない。国民党はわれわれを「共産匪」とののしり、われわれに通じる人のことを「通匪」と言ったものだ。だが、結局は、「匪」と呼ばれたもののほうが、「匪」にあらざるかれらよりもましであった。古来、先進的なものは最初から歓迎されたためしがなく、ののしられるのがつねである。マルクス主義、共産党は、はじめからののしられてきた。一万年たってからでも、先進的なものは、やはり、最初のうちはののしられるであろう。
反革命分子の粛清を堅持し、反革命分子がいればかならず粛清すべきである。法秩序を遵守すべきである。法律にてらして事を処理するというのは、手足をしばられることではない。反革命分子がいるのに粛清せず、自分の手足をしばるというのでは、まちがいである。法律にてらして、思いきってやらなければならない。
第七点、農業の問題。ことしの豊作をかちとらなければならない。ことしが豊作なら、人心は安定し、協同組合はかなり強固になる。ソ連や東ヨーロッパの一部の国では、協同化をやると、何年か食糧の減産をきたすのがつぬであった。われわれは協同化を数年やり、昨年の一年には大々的にやったが、減産しなかったばかりか、増産さえした。ことしも豊作なら、協同化の歴史のうえでも、国際共産主義運動の歴史のうえでも、これこそ空前ということになる。
全党はかならず農業を重視しなければならない。農業は、国の経済と人民の生活にかかわるところがきわめて大きい。よく注意してもらいたい。食糧に力をいれなければたいへんなことになる。食糧に力をいれなければ、いつかは天下大乱となる。
まず第一に、農業は、農村の五億の人口の食の問題、食肉や食油の問題、その他の日用の非商品化農産物の問題にかかわりがある。農民が自給にあてるこの部分の量は、きわめて大きい。たとえば、昨年の食糧生産量は三千六百億斤をこえるが、農業税をふくむ商品化食糧はおよそ八百余億斤で、四分の一に足りず、四分の三以上が農民のものになっている。農業がうまくいき、農民が自給できれば、五億の人口は安定する。
第二に、農業はまた、都市や工鉱業地区の人口の食の問題にもかかわりがある。商品化農産物がふえなければ、工業人口の需要をみたすことができず、工業生産を発展させることができない。農業生産の発展を基礎に、農産物、とくに食糧の商品化率をしだいに高めていくべきである。飯が食えれば、学校や工場の少数の者が騒ぎをおこしても、恐れることはない。
第三に、農業は軽工業用原料の主要な供給源であり、農村は軽工業の重要な市場である。農業が発展しなければ、軽工業生産は十分な原料が得られず、軽工業製品は広大な市場が得られない。
第四に、農村はまた重工業の重要な市場でもある。たとえば、化学肥料、各種の農業機械、一部の電力、石炭、石油などはいずれも農村に供給され、鉄道、自動車道路、大型水利施設もみな農業に奉仕している。いま、われわれは社会主義の農業経済をうちたてているが、軽工業の発展のためにも重工業の発展のためにも、農村はきわめて大きな市場である。
第五に、現在の輸出物資は主として農産物である。農産物が外貨に変われば、各種の工業設備を輸入できる。
第六に、農業は蓄積の重要な源泉である。農業が発展すれば、工業の発展のためにより多くの資金を提供することができる。
したがって、ある意味では、農業はすなわち工業であるとも言える。農村に目を向け、農業を支援するよう、工業部門を説得しなければならない。工業化をりっぱにやりとげるには、このようにすべきである。
農業自身のための蓄積と国家が農業から得る蓄積とは、協同組合の収入のなかで、それぞれどのくらいの比率を占めればよいのか。みなで検討して、適当な比率をきめてもらいたい。それは、農業の拡大再生産を可能にし、農業を工業のいっそう大きな市場とし、農業を蓄積のいっそうゆたかな源泉にするためである。まず農業自身の蓄積を多くすること、そうしてはじめて、工業のための蓄積をいっそう多くすることができる。ただ工業のためにだけ蓄積して、農業自身の蓄積をあまりにも少なくするか、あるいはまったく蓄積しないのでは、池を干して魚をとるようなもので、工業の発展のためにかえって不利である。
協同組合の蓄積と組合員の所得との比率にも注意すること。協同組合は価値法則を利用して経済計算を実行し、勤倹の精神で経営し、しだいに蓄積をふやしていかなければならない。もしもことしが豊作なら、蓄積は昨年よりややふやすべきである。だが、ふやしすぎてもいけない。やはり、まず農民に腹いっぱい食わせることである。豊作の年には蓄積をやや多くし、凶作の年とか、半ば凶作の年には蓄積しないか、少ししか蓄積しない。つまり、蓄積は波状的、いわば螺旋状的におこなうのである。世の中の事物はみな矛盾しており、みな対立面の統一であるから、その運動や発展はみな波状的である。太陽から光の放射されるのを光波といい、無線電信局から発信されるのを電波といい、音の伝播するのを音波という。水には水の波があり、熱には熱の波がある。ある意味から言えば、道をあるいても波がおこる。一歩一歩あるくのは、波がおこることである。芝居の唱をうたうときにも波がおこる。一句をうたい終えてからつぎの一句をうたうのであって、一息に七、八句もうたう者はいない。字を書くにも波がおこる。一宇を書き終えてから、もう一字を書くのであって、一筆でなん百字も書けるものではない。これが事物の矛盾運動の曲折性である。
要するに、弁証法にもとづいて仕事をしなければならない。これは、鄧小平同志が言ったことである。わたしの見るところ、全党はみな弁証法を学び、弁証法にもとづいて仕事をすることを提唱しなければならない。全党は、みな思想・理論活動に意をそそぎ、マルクス主義の理論隊伍をつくり、マルクス主義理論の研究と宣伝を強めなければならない。対立面の統一というマルクス主義の学説を運用して、社会主義社会の階級矛盾と階級闘争についての新しい問題を観察、処理し、国際闘争における新しい問題を観察、処理しなければならない。
〔1〕 定額利子とは、わが国の社会主義的改造の過程で、国家が民族ブルジョア階級の生産手段にたいしてとった買戻し政策の一形態。一九五六年、資本主義工商業の全業種にわたる公私合営が実現されたのち、国家は一定の期間内、資本家の資産におうじ、きまった利率で毎年、利子を支払っている。これを定額利子という。定額利子の性質はやはり搾取に属する。
〔2〕 レーニンの『ヘーゲルの著書「論理学」の摘要』にみられる。
〔3〕 レーニンの『弁証法の問題について』にみられる。
〔4〕 クラウゼビッツ(一七八〇て一八三一年)はドイツの有名なブルジョア軍事理論家で、おもな著書に『戦争論』ヒがある。クラウゼビッツにたいするスターリンの評価については、スターリンの『ラジン同志への返書』を参照。
〔5〕 レーニンの『戦争と革命』にみられる。
① 一九二六年三月、馮玉祥の国民軍が奉天派の軍閥張作霖らとたたかっていたとき、日本帝国主義は軍艦を出動させ、大沽口の国民軍にたいする奉天派の軍隊の攻撃を掩護したが、これが失敗すると、こんどはイギリス、アメリカなど八ヵ国と結託して、中国政府に最後通牒をつきつけ、大沽口の国防施設の撤去など不当な要求を出してきた。三月十八日、これにたいして北京の労働者、学生、市民大衆数千人は天安門前で抗議集会をひらいた。八ヵ国通牒拒否を要求する請願デモの隊伍が執政府に着いたとき、北洋軍閥の首脳段祺瑞の命令で衛戊部隊が発砲したため、流血の惨事をまねいた。
(一九五七年二月二十七日)
これは、毛沢東同志が最高国務会議第十一回(拡大)会議でおこなった講話である。その後、毛沢東同志は、当時の記録にもとづいて整理し、いくらかの補足をおこなって、一九五七年六月十九日の『人民日報』に発表した。
人民内部の矛盾を正しく処理する問題について――これが全体の題目である。叙述の便宜上、十二の小さな題目にわける。ここでは敵味方の矛盾の問題にもふれるが、重点は人民内部の矛盾の問題を討議することにある。
わが国はいま、これまでになく統一されている。ブルジョア民主主義革命と社会主義革命の勝利、そして社会主義建設の成果は、ふるい中国の姿を急速に変えた。祖国のいっそうすばらしい将来が、われわれの目の前にひらけている。国家の分裂と混乱という人民の忌みきらっていた状悪は、永遠に過去のものとなった。わが国の六億の人民は、労働者階級と共産党の指導のもとに、一致団結して、偉大な社会主義建設をすすめている。国家の統一、人民の団結、国内諸民族の団結、これは、われわれの事業がかならず勝利するための基本的な保証である。だが、このことは、われわれの社会にはもはやどのような矛盾もなくなったということを意味するものではない。矛盾がないという考え方は、客観的実際にあわない無邪気な考え方である。われわれの前には二種類の社会的矛盾、つまり、敵味方のあいだの矛盾と人民内部の矛盾がある。これは、性質のまったく異なった二種類の矛盾である。
敵味方のあいだの矛盾と人民内部の矛盾というこの二種類の異なった矛盾を正しく認識するためには、まず、人民とはなにか、敵とはなにかをはっきりさせなければならない。人民という概念は、異なった国家と、それぞれの国家の異なった歴史的時期において、異なった内容をもっている。わが国の状況についていえば、抗日戦争の時期には、日本帝国主義とたたかうすべての階級、階層、社会集団はみな人民の範囲に属し、日本帝国主義、民族の裏切り者、親日派はみな人民の敵であった。解放戦争の時期には、アメリカ帝国主義とその手先である官僚ブルジョア階級、地主階級およびこれらの階級を代表する国民党反動派はみな人民の敵であり、これらの敵に反対するすべての階級、階層、社会集団はみな人民の範囲に属していた。現段階、すなわち社会主義建設の時期には、社会主義建設の事業に賛成し、これを支持し、これに参加するすべての階級、階層、社会集団はみな人民の範囲に属し、社会主義革命に反抗し、社会主義建設を敵視し、これを破壊するすべての社会勢力、社会集団はみな人民の敵である。
敵味方のあいだの矛盾は敵対性の矛盾である。人民内部の矛盾は、勤労人民のあいだでは非敵対性のものであり、被搾取階級と搾取階級とのあいだでは、敵対性の一面のほかに、非敵対性の一面もある。人民内部の矛盾は、いまはじめてあらわれたものではないが、革命の各時期と社会主義建設の時期では異なった内容をもっている。わが国の現在の条件のもとでは、いわゆる人民内部の矛盾には、労働者階級内部の矛盾、農民階級内部の矛盾、知識分子内部の矛盾、労働者階級と農民階級とのあいだの矛盾、労働者・農民と知識分子とのあいだの矛盾、労働者階級およびその他の勤労人民と民族ブルジョア階級とのあいだの矛盾、民族ブルジョア階級内部の矛盾などがふくまれる。われわれの人民政府は、真に人民の利益を代表する政府であり、人民に奉仕する政府であるが、この政府と人民大衆とのあいだにも一定の矛盾がある。こうした矛盾には、国家の利益、集団の利益と個人の利益とのあいだの矛盾、民主と集中との矛盾、指導と被指導とのあいだの矛盾、国家機関の一部要員の官僚主義的作風と大衆とのあいだの矛盾がふくまれる。こうした矛盾も、人民内部の矛盾である。一般的にいえば、人民内部の矛盾は、人民の利益の根本的一致を土台とする矛盾である。
わが国では、労働者階級と民族ブルジョア階級との矛盾は、人民内部の矛盾に屈する。労働者階級と民族ブルジョア階級との階級闘争が、一般に、人民内部の階級闘争に属するのは、わが国の民族ブルジョア階級が二面性をもっているからである。ブルジョア民主主義革命の時期には、民族ブルジョア階級は革命性の一面をもっとともに、妥協性の一面ももっていた。社会主義革命の時期には、かれらは労働者階級を搾取して利潤を手にいれるという一面をもっとともに、憲法を擁護し、社会主義的改造をうけいれようとする一面ももっている。民族ブルジョア階級は、帝国主義、地主階級、官僚ブルジョア階級とは異なっている。労働者階級と民族ブルジョア階級とのあいだには搾取と被搾取との矛盾が存在しており、これはもともと敵対性の矛盾である。しかし、わが国の具体的条件のもとでは、この二つの階級の敵対性の矛盾は、もしも適切に処理すれば、非敵対性の矛盾に転化することができ、平和的な方法によってこの矛盾を解決することができる。もしも、われわれが適切に処理せず、民族ブルジョア階級にたいして団結・批判・教育の政策をとらなかったり、あるいは民族ブルジョア階級がわれわれのこの政策をうけいれなかったりすれば、労働者階級と民族ブルジョア階級とのあいだの矛盾は敵味方のあいだの矛盾に変わることになる。
敵味方のあいだの矛盾と人民内部の矛盾というこの二種類の矛盾は、性質が異なっており、解決の方法も異なっている。簡単にいえば、前者は敵味方をはっきり見わける問題であり、後者は是非をはっきり見わける問題である。もちろん、敵味方の問題も一種の是非の問題である。たとえば、われわれと、帝国主義、封建主義、官僚資本主義という内外の反動派とでは、いったいどちらが正しく、どちらが正しくないのかということも、やはり是非の問題である。しかし、これは人民内部の問題とは性質の異なった別の種類の是非の問題である。
われわれの国家は、労働者階級が指導する、労農同盟を基礎とした人民民主主義独裁の国家である。この独裁はなにをするものなのか。独裁の第一の機能は、国内の反動階級、反動派、および社会主義革命に反抗する搾取者を抑圧し、社会主義建設を破壊するものを抑圧することである。それはつまり、国内の敵味方のあいだの矛盾を解決するためのものである。たとえば、一部の反革命分子を逮捕し、かれらに刑罰をくわえること、地主階級分子や官僚ブルジョア分子にたいして、ある期間、選挙権をあたえず、かれらに言論発表の自由権をあたえないことなどはみな、独裁の範囲に属する。社会の秩序と広範な人民の利益をまもるためには、窃盗犯、詐欺犯、殺人・放火犯、ごろつきの一味、社会の秩序をひどくみだすさまざまな悪質分子にたいしても、独裁をおこなわなければならない。独裁には、さらに第二の機能がある。それは国外の敵の転覆活動や、しかけてくるかもしれない侵略を防ぐことである。このような事態があらわれたばあい、独裁は、対外的に敵味方のあいだの矛盾を解決する任務を負う。独裁の目的は、全人民の平和な労働をまもり、わが国を現代的工業、現代的農業、現代的科学・文化をそなえた社会主義国にきずきあげることである。だれが独裁をおこなうのか。もちろん、労働者階級とその指導のもとにある人民である。独裁の制度は人民の内部には適用されない。人民が自分自身にたいして独裁をおこなってはならず、一部の人民が他の一部の人民を抑圧するようなことがあってはならない。人民のなかの法にそむいたものも法律による制裁をうけなければならないが、これは人民の敵を抑圧する独裁とは原則的なちがいがある。人民の内部では民主集中制を実行する。われわれの憲法は、中華人民共和国の公民は言論、出版、集会、結社、行進、示威、信仰などの自由をもつ、と規定している。われわれの憲法はまた、国家機関は民主集中制を実行する、国家機関は人民大衆に依拠しなければならず、国家機関の要員は人民に奉仕しなければならない、と規定している。われわれのこの社会主義的民主主義は、どのようなブルジョア国家にもありえないもっとも広範な民主主義である。われわれの独裁は、労働者階級が指導する、労農同盟を基礎とした人民民主主義独裁とよばれる。それはつまり、人民の内部では民主主義制度を実行する一方、労働者階級が、公民権をもつ全人民、まず第一に農民と団結して、反動階級、反動派、および社会主義的改造と社会主義建設に反抗するものにたいし独裁をおこなうということである。公民権をもっということは、政治の面では自由と民主の権利をもつことである。
しかし、この自由は指導のある自由であり、この民主は集中にみちびかれた民主であって、無政府状態ではない。無政府状態は人民の利益と願望に合致しない。
ハンガリー事件がおこったのち、わが国の一部の人はこれをよろこんだ。かれらは、中国でもそのような事件がおこり、なん千、なん万という人が街頭にくりだして、人民政府に反対することをのぞんだ。かれらのこうした希望は、人民大衆の利益にそむくもので、人民大衆の支持をうることができない。ハンガリーの一部の大衆は内外の反革命勢力にだまされ、暴力行為によって人民政府にたちむかうという誤りを犯した結果、国家にも人民にも損失をあたえた。数週間の騒乱が経済面にあたえた損失は、長い時間をかけなければ回復できないようなものであった。わが国のもう一部の人は、ハンガリー問題で動揺をしめしたが、それはかれらが世界の具体的な状況を理解していなかったためである。かれらは、われわれの人民民主主義制度のもとでは自由が少なすぎ、西側の議会民主主義制度ほど自由が多くない、と考えた。かれらは、一方が与党になれば、他方は野党になるという、西側の二大政党制を実施することを要求した。だが、こうしたいわゆる二大政党制はブルジョア階級の独裁を維持する一つの方法にすぎず、けっして勤労人民の自由権を保障するものではない。実際には、世界には具体的な自由、具体的な民主があるだけで、抽象的な自由、抽象的な民主はない。階級闘争の存在する社会では、搾取階級に勤労人民を搾取する自由があれば、勤労人民には搾取をされずにすむ自由がない。ブルジョア階級に民主があれば、プロレタリア階級と勤労人民には民主がない。一部の資本主義国では共産党の合法的な存在もゆるされてはいるが、それはブルジョア階級の根本的利益をそこなわない範囲にかぎられ、この範囲をこえれば、ゆるされない。抽象的な自由、抽象的な民主を要求する人びとは、民主を目的と考え、手段とはみとめない。民主というものは、ときには目的のように見えるが、実際には、一つの手段にすぎない。マルクス主義は、民主が上部構造に属し、政治という範疇に属することを、われわれに教えている。それは要するに、民主とは経済的土台に奉仕するものだということである。自由も同様である。民主も自由も絶対的なものではなくて、相対的なものであり、どちらも歴史的に発生し、発展するものである。人民の内部では、民主とは集中にたいしていうのであり、自由とは規律にたいしていうのである。これらはいずれも一つの統一体の矛盾する二つの側面であって、矛盾もしていれば、統一もしているのである。われわれは、ある側面を一面的に強調して、他の側面を否定してはならない。人民の内部には、自由がなくてはならないし、規律もなくてはならない。また、民主がなくてはならないし、集中もなくてはならない。こうした民主と集中の統一、自由と規律の統一こそ、われわれの民主集中制なのである。この制度のもとでは、人民は広範な民主と自由を享受するが、同時にまた社会主義の規律によって自分自身を拘束しなければならない。こうした道理は、広範な人民大衆がよくわきまえていることである。
われわれは指導のある自由を主張し、集中にみちびかれた民主を主張するが、これは、いかなる意味においても、人民内部の思想問題、是非を区別する問題を強制的な方法で解決してもよいということではない。行政命令の方法、強制の方法によって思想問題、是非の問題を解決しようとしても、それでは効果がないばかりでなく有害でさえある。われわれは、行政命令によって宗教を消滅することはできず、人びとに宗教を信仰しないよう強制することはできない。人びとに観念論を放棄するよう強制することはできず、人びとにマルクス主義を信じるよう強制することもできない。思想的性質の問題や人民内部の論争問題は、すべて、民主の方法によってのみ解決でき、討論の方法、批判の方法、説得と教育の方法によってのみ解決できるのであって、強制、圧服の方法によって解決することはできない。人民は、効果的に生産をおこない、学習をおこない、秩序だった生活をおくるために、強制をともなういろいろの適切な行政命令をだすよう、自分の政府や生産面の指導者、文化・教育機関の指導者に要求する。このような行政命令がなければ、社会秩序も維持しようがないことは、人びとが常識として知っていることである。これと、説得と教育の方法によって人民内部の矛盾を解決することとは、たがいにおぎない、たすけあう二つの側面である。社会秩序を維持する目的で出される行政命令も、やはり、説得と教育をともなわなければならず、行政命令だけにたよっていては、うまくいかないばあいが多い。
一九四二年、われわれは人民内部の矛盾を解決するこうした民主の方法を、「団結――批判――団結」という公式に具体化した。すこし詳しくいうと、団結の願いから出発し、批判または闘争をつうじて矛盾を解決し、これによって、あたらしい基礎のうえであたらしい団結に達するということである。われわれの経験によれば、これは人民内部の矛盾を解決する正しい方法である。一九四二年、われわれは共産党内部の矛盾、すなわち教条主義者と広範な党員大衆とのあいだの矛盾、教条主義思想とマルクス主義思想とのあいだの矛盾を解決するためにこの方法をとった。「左」翼教条主義者がかつてとった党内闘争の方法は、「無慈悲な闘争、容赦のない打撃」というものであった。これはまちがった方法である。われわれは「左」翼教条主義を批判したとき、こうしたふるい方法はとらず、あたらしい方法、すなわち、団結の願いから出発し、批判または闘争をつうじて是非をあきらかにし、あたらしい基礎のうえであたらしい団結に達するという方法をとった。これが一九四二年の整風運動のときにとった方法である。数年を経て、一九四五年に中国共産党が第七回全国代表大会をひらいたとき、はたして全党の団結という目的が達せられ、それによって人民革命の偉大な勝利がかちとられた。ここでは、なによりもまず、団結の願いから出発することが必要である。なぜなら、団結しようという願いがなければ、いったん闘争となると、どうしても事態が混乱し、収拾がつかなくなるからである。そうなっては、それこそ「無慈悲な闘争、容赦のない打撃」となるではないか。そうなっては、どこに党の団結などがあるだろうか。この経験から、われわれは、団結――批判――団結という公式をさがしあてた。それはまた、前の誤りを後のいましめとし、病をなおして人を救う、ということでもある。われわれはこの方法を党外にもおしひろめた。われわれは、各抗日根拠地で指導部と大衆との関係を処理するばあいにも、軍隊と人民との関係、将校と兵士との関係、いくつかの部隊の相互関係、いくつかの方面の幹部の相互関係を処理するばあいにも、すべてこの方法をとり、大きな成功をおさめた。この問題については、われわれの党の歴史をもっと遠くさかのぼることもできる。われわれは、一九二七年に南方で革命の軍隊と革命根拠地を創設したときから、党と大衆との関係、軍隊と人民との関係、将校と兵士との関係、その他の人民内部の関係を処理するうえで、いずれもこの方法をとってきた。ただ、われわれがいっそう自覚的な基礎のうえにこの方法をうちたてたのは、抗日戦争の時期になってからである。全国が解放されたのち、われわれは民主政党と工商業界にたいしても、「団結――批判――団結」という方法をとった。われわれの現在の任務は、人民内部全体にわたってこの方法をひきつづきおしひろめ、いっそうりっぱに運用することであり、あらゆる工場、協同組合、商店、学校、機関、団体、つまり六億の人びとがすべてこの方法をとって、かれらの内部の矛盾を解決するよう要求することである。
一般的な状況のもとでは、人民内部の矛盾は敵対性のものではない。しかし、それを適切に処理しなかったり、警戒心をうしなって油断していたりすると、敵対が生ずることもありうる。こうした状況は、社会主義国では、ふつう局部的、一時的な現象にすぎない。それは、社会主義国では人が人を搾取する制度が消滅され、人民の利益が根本的に一致しているからである。ハンガリー事件にみられた、あのようなかなり広範囲の敵対的行動は、内外の反革命的要因が作用した結果である。これは特殊な、しかも一時的な現象である。社会主義国内部の反動派と帝国主義者はたがいに結託し、かれらの陰謀を実現するために人民内部の矛盾を利用して、離間挑発をはかり、波らんをまきおこす。ハンガリー事件のこのような教訓には、みんなが注意をはらわなければならない。
多くの人は、民主の方法によって人民内部の矛盾を解決するという問題の提起を、あたらしい問題のようにおもっている。事実はけっしてそうではない。マルクス主義者は、一貫して、プロレタリア階級の事業は人民大衆に依拠するほかはない、共産党員は勤労人民のなかで活動するばあい、民主的な説得と教育の方法をとるべきで、命令主義的な態度や強制的な手段をとることはぜったいにゆるされない、と考えてきた。中国共産党は、マルクス・レーニン主義のこの原則を忠実にまもっている。われわれは、これまで人民民主主義独裁のもとで、敵味方のあいだの矛盾と人民内部の矛盾という性質の異なった二種類の矛盾を解決するのに、独裁と民主という二つの異なった方法をとることを主張してきた。こうした考えは、わが党のこれまでの多くの文献や、党の多くの責任者の言論のなかでくりかえしのべられている。わたしは、一九四九年に書いた『人民民主主義独裁について』のなかで、「人民内部における民主の面と反動派にたいする独裁の面が結びついたものが人民民主主義独裁である」、人民内部の問題を解決するにあたって「もちいる方法は、民主の方法つまり説得の方法であって、強制の方法ではない」とのべたことがある。わたしはまた、一九五〇年六月の政治協商会議第二回会議における講話のなかでも、「人民民主主義独裁には二つの方法がある。敵にたいしては独裁の方法をとる。つまり、必要な期間、かれらを政治活動に参加させず、かれらを人民政府の法律にしたがうよう強制し、労働するよう強制するとともに、労働をつうじて新しい人間に改造するのである。人民にたいしては逆で、強制の方法はとらず、民主の方法をとる。つまり、かれらを政治活動に参加させるべきで、ああしろ、こうしろと強制するのではなく、民主の方法によって、かれらにたいし教育と説得をおこなうのである。こうした教育活動は、人民内部の自己教育の活動であり、批判と自己批判の方法こそ自己教育の基本的な方法である」とのべた。これまでわれわれは、民主の方法で人民内部の矛盾を解決するという問題について、すでに何度ものべてきたし、活動のなかでも基本的にそのようにしてきており、多くの幹部と人民は実際のなかでこの問題を理解している。ところがなぜ、いまになってまた、これをあたらしい問題のようにおもう人がいるのだろうか。それは以前、国内国外の敵味方の闘争がひじょうにはげしかったため、人民内部の矛盾がこんにちほど人びとの注意をひかなかったからである。
多くの人は、敵味方のあいだの矛盾と人民内部の矛盾というこの性質の異なった二種類の矛盾をはっきり区別することができず、とかく混同しがちである。この二種類の矛盾がときには混同されやすいことは、みとめなければならない。われわれは、これまでの活動のなかでも、これを混同したことがある。反革命分子を粛清する活動で、よい人を悪い人とみなすような誤りは、以前にもあったし、現在もまだある。われわれの誤りが拡大しなかったのは、われわれが政策のなかで、かならず敵味方をはっきり見わけ、まちがった決定があったらそれを破棄するよう、規定したからである。
マルクス主義の哲学は、対立面の統一の法則を宇宙の根本法則とみる。この法則は、自然界、人類社会、人間の思想をとわず、いずれにも普遍的に存在するものである。矛盾する対立面は、統一もしていれば、闘争もしており、それによって事物の運動と変化が推進される。矛盾は普遍的に存在するのであり、ただ事物の性質のちがいによって、矛盾の性質もちがってくるのである。いかなる具体的事物についても、対立面の統一は条件的、一時的、過渡的であり、したがって相対的であるが、対立面の闘争は絶対的である。この法則については、レーニンがひじょうにはっきりとのべている。わが国でも、この法則を理解する人がしだいに多くなってきた。しかし、多くの人にとっては、この法則をみとめることと、この法則を応用して問題を観察し問題を処理することとは、まったく別個の事がらである。多くの人は、わが国の人民の内部にはまだ矛盾が存在しており、これらの矛盾こそがわれわれの社会の発展を推進しているのだ、ということを公然とみとめる勇気がない。多くの人は、社会主義社会にもまだ矛盾があることをみとめず、そのために、社会的矛盾に出あうとおずおずして、受け身の立場におちいってしまう。かれらは、矛盾をたえず正しく処理し解決する過程で、社会主義社会の内部の統一と団結が日ましに強化されていくことを理解していない。そのため、わが国の人民、まず幹部にこのことを説明して、人びとが社会主義社会の矛盾を認識し、また、正しい方法でこうした矛盾を処理できるよう、みちびいていく必要がある。
社会主義社会の矛盾は、旧社会の矛盾、たとえば資本主義社会の矛盾とは根本的に異なったものである。資本主義社会の矛盾は、はげしい敵対と衝突となってあるわれ、はげしい階級闘争となってあらわれる。この矛盾は資本主義制度そのものによっては解決されず、社会主義革命によってのみ解決される。社会主義社会の矛盾は、これとは異なり、まったく逆であって、敵対性の矛盾ではなく、社会主義制度そのものをつうじて、たえず解決されていくのである。
社会主義社会においても、基本的な矛盾は、やはり生産関係と生産力とのあいだの矛盾、上部構造と経済的土台とのあいだの矛盾である。ただ、社会主義社会におけるこれらの矛盾は、その性質と状況が旧社会における生産関係と生産力との矛盾、上部構造と経済的土台との矛盾とは、根本的に異なっているのである。わが国の現在の社会制度は、旧時代の社会制度にくらべて、はるかにすぐれている。すぐれていなければ、旧制度がくつがえされるはずはなかったし、新制度がうちたてられることはありえなかっただろう。社会主義の生産関係が旧時代の生産関係にくらべて、よりよく生産力発展の性質に照応することができるというのは、それが旧社会にはみられなかった速さで生産力の急速な発展をゆるし、したがって、生産をたえず拡大し、それによって、人民のたえず増大する需要をしだいにみたしていくことができる、という状況をさすのである。帝国主義、封建主義、官僚資本士義の支配のもとにあった旧中国は、一貫して生産力の発展がひじょうに緩慢であった。解放前の五十数年間、東北地方をのぞいて、全国の鋼鉄生産高は終始数万トンどまりであり、東北地方をいれても、全国の最高年産高は九十数万トンにすぎなかった。一九四九年には、全国の鋼鉄生産高はわずか十数万トンであった。ところが、全国が解放されて七年しかたたないのに、鋼鉄生産高は四百数十万トンに達している。旧中国には、機械工業がほとんどなく、自動車工業や航空機工業はなおさらなかったが、いまでは、これらがみな建設されている。人民が帝国主義、封建主義、官僚資本主義の支配をくつがえしたのち、中国はどこへいくのか。資本主義へか、それとも社会主義へか。この問題については、考え方のはっきりしない人がたくさんいた。事実はすでにこの問題に回答をあたえている。中国を救えるのは社会主義だけである、と。社会主義制度はわが国の生産力の飛躍的な発展を促進しており、国外の敵でさえこの点をみとめないわけにはいかなくなっている。
しかし、わが国の社会主義制度は、まだうちたてられたばかりで、まだ完全にはできあがっておらず、まだ完全にはかたまっていない。工商業の公私合営企業では、資本家がまだ定額利子をとっている、つまり、まだ搾取が存在している。所有制の点からいえば、こうした企業はまだ完全に社会主義的な性質のものではない。農業生産協同組合、手工業生産協同組合も、一部はまだ半社会主義的な性質のものであり、完全に社会主義化された協同組合でも、所有制にかんするいくつかの問題は、さらにひきつづき解決していく必要がある。各経済部門における生産と交換の相互関係については、いまなお、社会主義の原則にもとづいて一歩一歩うちたてており、比較的適切な形態を一歩一歩さがしもとめているところである。全人民的所有制の経済と集団的所有制の経済の内部においても、この二つの社会主義的経済形態のあいだにおいても、蓄積と消費の配分の問題は複雑な問題であり、完全に合理的な解決を一挙におこなうのはやはり容易なことではない。要するに、社会主義の生産関係はすでに確立されて、生産力の発展とは照応しあっているが、それはまだひじょうに不完全であり、これらの不完全な面と生産力の発展とは、これまた矛盾しあっているのである。生産関係と生産力の発展とのこうした照応しながらも矛盾しあっている状況のほかに、なお上部構造と経済的土台との照応しながらも矛盾しあっている状況がある。人民民主主義独裁の国家制度と法律、マルクス・レーニン主義にみちびかれる社会主義的イデオロギー、これらの上部構造は、わが国の社会主義的改造の勝利と社会主義的労働組織の確立にたいして、積極的な推進作用をはたしており、社会主義の経済的土台、すなわち社会主義の生産関係とは照応しあっている。しかし、プルジョア・イデオロギーの存在、国家機構における若干の官僚主義的作風の存在、国家制度のいくつかの環における欠陥の存在は、また社会主義の経済的土台と矛盾しあっている。われわれは、今後、具体的な状況にもとづいて、上にのべたいくつかの矛盾をひきつづき解決していかなければならない。もちろん、これらの矛盾を解決したのちにも、またあたるしい問題があらわれてくる。あたらしい矛盾は、また解決していかなければならない。たとえば、客観的に長期にわたって存在する社会的生産と社会的需要とのあいだの矛盾は、たえず国家計画をつうじて調整していかなければならない。わが国では、毎年一度、経済計画をたて、蓄積と消費との適切な比率をざだめて、生産と需要との均衡をはかっている。いわゆる均衡とは、矛盾の一時的、相対的な統一のことである。一年たつと、全体としては、こうした均衡は矛盾の闘争によってうちやぶられ、こうした統一は変化をおこして、均衡が不均衡になり、統一が不統一になり、またしてもつぎの年の均衡と統一をはかることが必要となる。これがわれわれの計画経済の優越性である。実際には、こうした均衡と統一は、月ごと、四半期ごとに局部的にうちやぶられるので、局部的に調整する必要がある。ときには、主観的処置が客観的状況に合致しないために矛盾が生じて、均衡が破れることもある。これを、誤りを犯したというのである。矛盾はたえず発生し、またたえず解決される。これが事物の発展の弁証法的法則である。
現在の状況は、つぎのとおりである。革命の時期における大規模な、あらしのような大衆的階級闘争は基本的に終わりをつげたが、階級闘争はまだ完全には終わっていない。広範な大衆は、一面ではあたらしい制度を歓迎しているが、他面ではまだあまりなじめないものを感じている。政府の工作要員の経験もまだそれほどゆたかではなく、いくつかの具体的政策の問題では、ひきつづき検討し、探求していかなければならない。それは、つまり、われわれの社会主義制度がひきつづき確立と強化の過程を必要としており人民大衆もまだこのあたらしい制度になじんでいく過程を必要としており、政府の工作要員も学習し、経験をつんでいく過程を必要としているということである。こうしたとき、われわれが、敵味方の矛盾と人民内部の矛盾という二種類の矛盾を区分する境界線を提起し、人民内部の矛盾を正しく処理する問題を提起することは、今回の各民族人民を結集して、自然界との闘争というあらたな戦争をおこない、われわれの経済を発展させ、文化を発展させ、全人民がこの過渡期を比較的順調にのりこえて、われわれのあたらしい側度をうち固め、われわれのあたらしい国家を建設することができるようにするうえで、きわめて必要である。
反革命分子を粛清する問題は、敵味方の矛盾の闘争についての問題である。人民の内部にも、一部には反革命分子粛清の問題について、いくらか異なった見方をもっている人びとがいる。二種類の人びとがわれわれと異なった見解をもっている。右よりの思想の持ち主は、敵味方を区別せず、敵を味方だと考えている。広範な大衆が敵だと考えているものを、かれらはかえって友だと考えている。「左」よりの思想の持ち主は、敵味方の矛盾を拡大して、人民内部の一部の矛盾までも敵味方の矛盾とみなし、もともと反革命でない一部の人をも反革命とみなしている。この二つの見方はともにまちがっており、どちらも反革命分子粛清の問題を正しく処理することができず、われわれの反革命分子粛清工作を正しく評価することもできない。
わが国の反革命分子粛清工作を正しく評価するためには、ハンガリー事件がわが国におよぼした影響を考えてみるのもよい。ハンガリー事件が発生したのち、わが国の一部の知識分子のあいだには多少動揺がみられたが、波らんなどはおこらなかった。それはなぜだろうか。その原因の一つは、われわれがかなり徹底的に反革命分子を粛清してきたことにある、というべきである。
もちろん、われわれの国家が強固なのは、反革命分子の粛清が第一の原因ではない。われわれの国家が強固なのは、まず第一に、われわれには数十年の革命闘争できたえられた共産党と解放軍があり、数十年の革命闘争できたえられた勤労人民がいることによるのである。われわれの党と軍隊は、大衆のなかに根をはっており、長期にわたる革命の烈火のなかできたえあげられており、戦闘力をもっている。われわれの人民共和国は、革命根拠地からしだいに発展してきたのであって、突然うちたてるれたのではない。民主人士の一部も程度の差こそあれ、それぞれ鍛錬をうけており、われわれと苦難をともにしてきた。知識分子の一部は、帝国主義と反動勢力に反対する闘争をつうじてきたえられており、多くのものは、解放後、敵味方のけじめをはっきりさせることを目標とする思想改造をおこなってきた。このほか、われわれの国家が強固なのは、われわれの経済上の措置が根本的に正しいこと、人民の生活が安定し、しかもしだいに改善されていること、民族ブルジョア階級やその他の階級にたいするわれわれの政策も正しいことなどによるのである。しかし、われわれが反革命分子粛清の面でかちとった成功は、疑いもなくわれわれの国家が強固である重要な原因の一つとなっている。こうしたすべての原因によって、わが国の大学生は、非勤労人民の家庭出身のものがまだたくさんいるにもかかわらず、少数の例外をのぞいては、みな愛国的で、みな社会主義を支持しており、ハンガリー事件のさいにも、ぐらつくようなことはなかった。民族ブルジョア階級も同様であった。まして、労働者、農民という基本大衆についてはいうまでもない。
解放後、われわれは一群の反革命分子を粛清した。重大な罪を犯した一部の反革命分子は死刑に処せられた。これはまったく必要なことであり、広範な大衆の要求であり、長期にわたって反革命分子やさまざまな極悪ポスに圧迫されてきた広範な大衆を解放するためであり、いいかえれば、生産力を解放するためであった。われわれがそのようにしなければ、人民大衆は立ちあがれなかっただろう。一九五六年いらい、状況は根本的に変化した。全国的にいえば、反革命分子のおもな勢力はすでに粛清された。われわれの根本的任務は、すでに生産力を解放することから、あたらしい生産関係のもとで生産力をまもり、発展させることへと変わった。一部の人は、われわれのこんにちの政策がこんにちの状況に合致し、過去の政策が過去の状況に合致していたことを理解せず、こんにちの政策を利用して過去の決定をくつがえそうとし、過去の反革命分子粛清工作の大きな成果を否定しようとしているが、これは完全にまちがっており、人民大衆のゆるしえないことである。
われわれの反革命分子粛清工作は、成果が主要なものであったが、誤りもあった。いきすぎもあったし、粛清もれもあった。われわれの方針は、「反革命分子がいれば、かならず粛清し、誤りがあれば、かならず是正する」ことである。反革命分子粛清工作でのわれわれの路線は、大衆による反革命分子粛清の路線である。もちろん、大衆路線をとっても粛清工作のなかで欠陥がうまれることもあるが、しかし、欠陥はわりあい少なくなるし、誤りはわりあい是正しやすくなる。大衆は闘争のなかで経験をつむ。正しくやれば、正しくやったという経験をつむし、誤りを犯せば、誤りを犯したという経験をつむのである。
反革命分子粛清工作のなかの、すでに発見された誤りについては、われわれはすべてこれを是正する措置をとったし、またとりつつある。まだ発見されていないものは、発見されしだい、是正していくつもりである。誤った決定については、その決定を発表した範囲で、これを破棄することを言明しなければならない。わたしは、今年か来年に反革命分子粛清工作を全面的に点検して、経験を総括し、正しい気風を発揚し、よこしまな気風に打撃をあたえるよう提案する。この点検は、中央では全国人民代表大会常務委員会と中国人民政治協商会議常務委員会が主宰し、地方では省、市の人民委員会と政治協商会議委員会が主宰する。点検活動をおこなうさい、われわれは広範な幹部と活動家を援助すべきであって、かれらに冷水をあびせてはならない。広範な幹部と活動家に冷水をあびせるのは正しくない。だが、誤りを発見したら、かならずあらためなければならない。公安部門、検察部門、司法部門、刑務所、労働改造の管理機関はすべて、こうした態度をとるべきである。われわれは、人民代表大会常務委員、政治協商会議委員、人民代表のうち、参加できるものはすべて、この点検に参加するよう希望する。これは、わが国の法制の健全化に役立ち、反革命分子やその他の犯罪分子の正しい処理に役立つであろう。
現在、反革命分子の状況についていえば、反革命分子はまだいるが、しかし多くはない、というこの二句で説明することができる。第一には、反革命分子がまだいるということである。もういなくなった、天下は太平だ、枕を高くして眠れる、という人がある。これは事実にあわない。実際にはまだいるし(もちろん、どの地方、どの部門にもいるというわけではない)、さらにひきつづきかれらと闘争しなければならない。まだ粛清されていないかくれた反革命分子はあきらめはしない、かれらはかならず機に乗じて攪乱する、ということを知っておかなければならない。アメリカ帝国主義者と蒋介石一味は、いまなおたえずわれわれのところへ特務を送りこんで、破壊活動をすすめている。もとからいた反革命分子が粛清されても、また新しい反革命分子があらわれる可能性がある。われわれが警戒心をうしなえば、ひどい目にあい、大きな損矢をこうむるだろう。どこに反革命分子の攪乱があらわれても、断固それを一掃しなければならない。しかし、全国的にいえば、反革命分子はたしかに多くはない。いまもまだ全国にたくさん反革命分子がいるというなら、その見方もやはりまちがっている。こうした判断をうけいれるなら、その結果は、やはり混乱をひきおこすことになる。
わが国には五億以上の農業人口があり、農民がどういう状態にあるかは、わが国の経済の発展と国家権力の強化にとってきわめて大きな関係がある。わたしは、その状態は根本的によいとおもう。協同化がなしとげられたので、わが国における社会主義的工業化と個人経営の農業経済とのあいだの大きな矛盾が解決された。協同化が急速になしとげられたため、欠陥が生ずるのではないかと心配する人もいた。幸いなことに、いくらか欠陥はあっても、大きなものではなく、基本的には健全であった。農民は生産に意気ごんでおり、昨年の水害・干害・風害は過去数年のどの年よりもひどかったにもかかわらず、全国の食糧は依然として増産をみた。ところが、いま一部の人は、協同化はだめだ、協同化には優越性がないといって、小さな台風をまきおこしている。協同化にははたして優越性がないのだろうか。きょう、会議で配布した文書のなかに、河北省遵化県の王国藩協同組合についての資料があるので、読んでみるとよい。この協同組合があるところは山地で、昔からひじょうに貧しく、毎年人民政府の食糧援助にたよっていた。一九五三年に組合がつくられたときには、人びとから「すかんぴん組合」とよばれた。四年にわたる刻苦奮闘のなかで、年ごとによくなり、組合員の圧倒的多数が余剰食糧をもつ農家になった。王国藩協同組合にやれたことは、ほかの組合でも、ふつうの状況のもとではやれるはずであり、あるいはすこしぐらい時間がかかってもやれるはずである。このことからもわかるように、協同化がよくないという論議には根拠がないのである。
また、このことから、協同組合はかならず刻苦奮闘のなかでつくっていかなければならないということもわかる。どのような新生の事物も、それが成長するには、みな困難や曲折を経なければならない。社会主義の事業のなかで、困難や曲折を経ず、大きな努力をはらわずに、いつも順風に乗って、たやすく成功をおさめられるとおもうなら、そうした考え方は幻想にすぎない。協同組合を積極的に支持しているのはどういう人たちだろうか。それは圧倒的多数の貧農と下層中農であり、かれらは農村人口の七〇パーセント以上を占めている。その他のものも、大多数は協同組合に期待をかけている。ほんとうに不満におもっているのはごく少数にすぎない。多くの人は、このような状況を分析せず、協同組合の成果と欠陥、および欠陥の生じた根源について、全面的な検討をくわえず、局部や一面を全体とみなした。こうして、一部の人びとのあいだに、協同組合には優越性がないなどという小さな台風がまきおこされたのである。
協同組合が強固になるには、また協同組合には優越性がないという議論がおさまるには、どれだけの時間がかかるだろうか。多くの協同組合の発展の経験によれば、おおよそ五年、あるいはもうすこし長い時間が必要である。現在、全国の大多数の協同組合は、まだ一年あまりの歴史しかないのだから、そんなにりっぱなものを要求するのは、むりである。わたしの見るところでは、第一次五ヵ年計画の期間に協同組合がつくられ、第二次五ヵ年計画の期間にそれが強固になれば、それでけっこうだとおもう。
協同組合は、いま、一歩一歩と強固になっていく過程にある。そこには、まだ解決しなければならない矛盾がいくらか残っている。たとえば、国家と協同組合とのあいだ、協同組合の内部、協同組合と協同組合とのあいだには、それぞれ、解決しなければならない矛盾がいくらかある。われわれは、生産の問題と分配の問題をっうじて上述の矛盾を処理するよう、つねに心がけなければならない。生産の問題では、一方において、協同組合経済は、国家の統一的な経済計画の指導にしたがうとともに、国家の統一的な計画や政策・法令にそむかない範囲で自分自身の一定の弾力性と自主性をたもつようにし、他方において、協同組合に加入しているそれぞれの家庭は、自留地やその他の一部の個人経営経済については自分で適当な計画をたててもよいが、それ以外はすべて協同組合または生産隊の全般的な計画にしたがうようにする。分配の問題では、われわれは国家の利益、集団の利益、個人の利益をあわせて考慮しなければならない。国家の税収、協同組合の蓄積、農民の個人収入というこの三方面の関係については、これを適切に処理し、つねにそのあいだの矛盾を調整するよう心がけなければならない。国家も蓄積しなければならないし、組合も蓄積しなければならないが、どちらも多すぎてはならない。われわれは、できるかぎり、平年作のもとでも、農民が増産によって年々個人収入をふやせるようにしなければならない。
多くの人は、農民は苦しいといっているが、こうした見解は正しいだろうか。一面からいえば、正しい。つまり、わが国は百年あまりにわたって帝国主義者とその代理人の抑圧と搾取をうけ、ひじょうに貧しい国になっているので、農民の生活水準が低いだけでなく、労働者や知識分子の生活水準もやはりまだ低い。人民全体の生活水準をしだいに引き上げていくには、数十年の時間をかけ、なみなみならぬ努力をはらう必要がある。こういう意味から「苦しい」というのであれば、それはあたっている。しかし、他の面からいえば、正しくない。つまり、解放後七年のあいだに、労働者の生活だけは改善されたが、農民の生活は改善されていない、というのがそれである。実際には、労働者、農民の生活は、ごく少数の人をのぞいて、みな、いくらかは改善されている。解放後、農民は地主の搾取をうけなくなり、生産は年をおって発展してきた。食糧を例にとると、一九四九年の全国の食糧収穫高は二千百数十億斤にすぎなかったが、一九五六年の食糧収穫高は三千六百数十億斤に達し、干五百億斤ちかくふえている。国家が徴収する農業税は、それほど重いものではなく、年三百余億斤にすぎない。毎年、正常な価格で農民から買い付ける食糧も、五百余億斤にすぎない。両者をあわせて八百数十億斤である。これらの食糧のうち、農村と農村にちかい町に売られるものが半分以上を占めている。これからみても、農民の生活が改善されていないとはいえない。われわれは、今後数年間、食糧の徴収量と買付量をだいたい八百数十億斤の線にすえおくつもりである。そうすることによって、農業を発展させ、協同組合を強化し、いまなお農村に残っている少数の食糧不足農家に二度と食糧を不足させないようにし、工芸・園芸作物を専門につくっている一部の農家をのぞいて、他の農家を残らず余剰食糧をもつ農家または自給できる農家に変え、農村から貧農をなくし、農民全体を中農または中農以上の生活水準に到達させるのである。農民の一人当たり年平均所得と労働者の一人当たり年平均所得とを単純に比較して、一方が低く一方が高いというのは、適当ではない。労働者の労働生産性は農民よりもずっと高く、農民の生活費は都市の労働者よりもずっと少なくてすむのだから、労働者がとくべつに国家から優遇されているとはいえない。少数の労働者や一部の国家機関要員の給料はたしかにいくらか高いので、農民がそれをみて不満におもうのはもっともなことであり、状況を考えあわせて、なんらか適切な調整をくわえることは必要である。
わが国の社会制度の改革は、農業の協同化と手工業の協同化のほか、私営工商業の公私合宮企業への改造も一九五六年になしとげられた。それがこんなにはやく、順調におこなわれたのは、われわれが労働者階級と民族ブルジョア階級とのあいだの矛盾を人民内部の矛盾として処理したことと密接な関係がある。この階級矛盾は完全に解決されただろうか。まだ、されてはいない。完全に解決するには、さらに相当の時間をかける必要がある。ところが、いま、一部に、資本家はもう労働者とほとんど変わらないほどに改造されており、これ以上改造する必要はない、というものがいる。なかには、資本家は労働者よりもすぐれている、というものさえいる。また、改造の必要があるというなら、なぜ労働者階級は改造をしないのか、というものもいる。こうした議論は正しいだろうか。もちろん、正しくない。
社会主義社会を建設する過程では、だれでもみな改造の必要があり、搾取者も改造の必要があるし、勤労者も改造の必要がある。労働者階級は改造の必要がないなどと、だれがいっただろうか。もちろん、搾取者の改造と勤労者の改造とは、性質の異なった二種類の改造で、これを混同してはならない。労働者階級は、階級闘争や自然界との闘争のなかで社会全体を改造するのであり、同時に、自分を改造していくのである。労働者階級は仕事のなかでたえず学び、一歩一歩と自分の欠点を克服していくべきで、永遠に停止してはならない。われわれ自身についていっても、多くの人は年々いくらかずつ進歩しており、いいかえれば、年々改造されつつある。わたし自身、以前はいろいろな非マルクス主義の思想をもっていたのであって、マルクス主義はあとからうけいれたものである。わたしは書物のうえでマルクス主義をいくらか学んで、いちおう自分の思想を改造したが、おもには、やはり長期にわたる階級闘争のなかで改造してきたのである。しかも、さらにいくらか進歩するには、今後もひきつづき学習していかなければならず、そうしなければ、立ちおくれてしまうだろう。それなのに、資本家がそんなにすぐれていて、もう改造をしなくてもよい、とでもいうのだろうか。
中国のブルジョア階級には、現在もう二面性はなく、一面性しかない、というものがいる。これは事実だろうか。事実ではない。ブルジョア分子は、一面では、すでに公私合宮企業の管理要員になっており、搾取者から、自分の労働で生活する勤労者へと変わっていく転化の過程にあるが、他面では、いまなお公私合営企業のなかで定額利子をとっており、いいかえれば、かれらの搾取の根っこはまだぬけていないのである。かれらはまだ労働者階級の思想・感情や生活習慣からかなりかけはなれたものをもっている。もう二面性がなくなったなどと、どうしていえるだろうか。たとえ、定額利子をとらなくなり、ブルジョア階級というレッテルをはがしてもらったとしても、なお、かなりの時間をかけて、ひきつづき思想改造をすすめていく必要がある。ブルジョア階級にはもう二面性がなくなったと考えるなら、資本家の改造や学習の任務もなくなってしまう。
こうした見解は、工商業者の実情に合致しないだけでなく、大多数の工商業者の願望にも合致しない、というべきである。ここ数年のあいだ、大多数の工商業者はすすんで学習してきたし、いちじるしい進歩もとげてきた。工商業者の徹底的な改造は仕事のなかでなければできるものではなく、かれらは企業のなかで、労働者・職員といっしょに労働し、企業を自己改造の基地とすべきである。しかし、学習をつうじて自分のある種のふるい観点を変えていくのも重要なことである。工商業者の学習は本人の自由意思にもとづくべきである。多くの工商業者は、講習会で数十日間学習して工場へ帰ってくると、労働者大衆や政府代表とのあいだにいっそう多くの共通のことばをもつようになり、いっしょに仕事をしていく条件が改善されるようになった。かれらは自分自身の経験をつうじて、学習をつづけ、自己改造をつづけることが、かれらにとって有益であることを理解している。先にのべたような、学習をする必要はないし、改造をする必要もないという見解は、大多数の工商業者の見解を代表することはできず、少数のものの見解にすぎない。
わが国の人民内部の矛盾は、知識分子のなかにもあらわれている。かつてふるい社会に奉仕していた数百万の知識分子は、いまではあたらしい社会に奉仕するようになっている。ここには、かれらがどのようにあたらしい社会の要求に適応するのか、また、われわれがどのようにかれらを援助してあたらしい社会の要求に適応させるのか、という問題がある。これも人民内部の矛盾の一つである。
わが国の知識分子の大多数は、これまでの七年間にいちじるしい進歩をとげた。かれらは社会主義制度に賛意を表している。かれらのなかには、いまマルクス主義の学習にはげんでいる人がたくさんいるし、一部にはすでに共産主義者になっている人もいる。これらの人は、いまのところまだ少数ではあるが、しだいにふえつつある。もちろん、知識分子のなかには、いまなお社会主義に疑いをもったり、賛成しなかったりする人もいくらかいるが、これらの人は少数にすぎない。
わが国のなみなみならぬ社会主義建設の事業は、できるだけ多くの知識分子がこれに奉仕することを必要としている。社会主義の事業に奉仕することをほんとうにのぞんでいる知識分子なら、われわれはかれらを信頼し、かれらとの関係を根本的に改善し、かれらが解決を必要としているいろいろな問題を解決できるように援助して、かれらが積極的に自分の才能を発揮できるようにしてやらなければならない。われわれのあいだには、知識分子とうまく団結できず、かれらにたいして角ばった態度をとり、かれらの労働を尊重せず、科学・文化工作のなかの干渉してはならない事がらに不当な干渉をくわえる同志がたくさんいる。こうした欠陥はすべて克服しなければならない。
広範な知識分子は、すでに進歩してきてはいるが、だからといって自己満足をしてはならない。あたらしい社会の要求に十分に適応し、労働者・農民と一致団結するためには、知識分子は、ひきつづき自己を改造し、しだいにブルジョア階級の世界観をすてきって、プロレタリア階級の共産主義的世界観をうちたてなければならない。世界観が変わるということは根本的な転換であって、現在、多くの知識分子はまだこのような転換をなしとげたとはいえない。われわれは、わが国の知識分子がひきつづき前進し、自分の仕事と学習の過程でしだいに共産主義的世界観をうちたて、しだいにマルクス・レーニン主義を身につけ、しだいに労働者、農民と一つにとけあい、途中でたちどまちず、まして後退などしないよう希望する。後退すれば前途がないのである。わが国の社会制度がすでに変化し、ブルジョア思想の経済的土台が基本的になくなったため、大量の知識分子にとっては、世界観を変える必要性があるだけでなく、それを変える可能性もうまれてきた。しかし、世界観を徹底的に変えるにはひじょうに長い時間がかかるので、われわれはしんぼうづよく働きかけるべきであり、あせってはならない。実際には、思想のうえで終始マルクス・レーニン主義をうけいれようとせず、共産主義をうけいれようとしない人はかならずいくらかいるものであって、これらの人にはあまりきびしく要求してはならない。かれらが国家の要求にしたがい、まともな労働をしているかぎり、われわれはかれらに適当な仕事につく機会をあたえるべきである。
知識分子や学生のあいだでは、このところ、思想・政治工作が弱まり、いくらかのよくない傾向がうまれている。一部の人からみれば、政治とか、祖国の前途、人類の理想とかには、まるで関心をよせる必要がないかのようである。マルクス主義は一時もてはやされたが、いまではそれほどもてはやされないかのようである。こうした状況に対処して、いま思想・政治工作を強める必要がある。知識分子といわず、学生といわず、みな学習につとめなければならない。それぞれの専門について学習するほか、思想的にも、政治的にも、なんらかの進歩があるべきで、それには、マルクス主義を学習し、時事や政治を学習する必要がある。正しい政治的観点がなければ、魂がないのとおなじである。これまでの思想改造は必要であったし、積極的な効果をあげた。しかし、やり方がいくらかぞんざいで、一部の人を傷つけた。これはよくないことである。こうした欠陥は、今後避けなければならない。思想・政治工作には、すべての部門がみな責任を負う必要がある。共産党も、青年団も、政府の主管部門もみなこれにとりくまなければならないし、学校の校長、教師はなおさらこれにとりくまなければならない。われわれの教育方針は、教育をうけるものを、徳育、知育、体育のいずれの面でも成長させて、社会主義的自覚をもつ、教養をそなえた勤労者にそだてあげることである。勤倹建国を提唱する必要がある。わが国はいまなおひじょうに貧しい国で、短期間ではこの状態を根本的にあらためることができず、すべては青年と全人民が数十年にわたって、団結して奮闘し、自分たちの両手で富強な国をつくりあげることにかかっているということ、こうしたことをすべての青年に理解させなければならない。社会主義制度の確立は、われわれに理想境への道をきりひらいてくれたが、理想境を実現させるには、やはりわれわれのたゆまぬ労働にたよらなければならない。青年のあいだには、社会主義社会になれば、なにもかもよくなるはずだ、骨を折らずにできあいの幸福な生活がたのしめる、と考えているものがいるが、これは実際にそぐわない考え方である。
わが国の少数民族は三千数百万人で、全国総人口の六パーセントを占めるにすぎないが、その居住する地域は広大で、全国総面積のほぼ五〇ないし六〇パーセントを占めている。したがって、漢族と少数民族との関係はぜひともよくしていかなければならない。この問題の鍵は大漢民族主義を克服することである。同時に、地方民族主義が存在する少数民族のなかでは、地方民族主義を克服しなければならない。大漢民族主義にしても、地方民族主義にしても、どちらも各民族人民の団結にとって不利であり、これは克服すべき人民内部の矛盾の一つである。この面で、われわれはすでにいくらか仕事をしてきた。大部分の少数民族地区では、民族間の関係が以前にくらべてずっとよくなってきてはいるが、これから解決していかなければならない問題がまだ若干存在している。一部の地区では、大漢民族主義と地方民族主義がどちらも、まだひどく残っており、十分注意をはらわなければならない。各民族人民の数年らいの努力によって、わが国の少数民族地区はほとんどがすでに民主主義的改革と社会主義的改造を基本的になしとげている。西蔵はまだ条件が熟さないので、民主主義的改革をおこなっていない。中央政府と西蔵地方政府との十七ヵ条の協定にもとづいて、社会制度の改革はかならず実行しなければならないが、しかし、いつ実行するかは、西蔵の大多数の人民大衆と指導的な人物が実行してもよいと考えたときにはじめて決定できるのであり、あせってはならない。現在、第二次五ヵ年計画の期間には改革をおこなわないことをすでに決定している。第三次五ヵ年計画の期間に改革をおこなうかどうかは、そのときになって状況をみてから決定する。
ここで全般的な配慮というのは、六億の人口にたいして全般的な配慮をすることである。われわれは、計画をたて、事をはこび、問題を考えるばあい、いつもわが国には六億の人口があるという点から出発すべきであって、ぜったいにこの点を忘れてはならない。なぜ、このような問題を提起しなければならないのか。わが国には六億の人口があることを、まだ知らない人がいるとでもいうのだろうか。知っていることは知っていても、いざ事をはこぶ段になると、一部の人はこれを忘れてしまい、まるで人が少なければ少ないほどよく、ワクを小さくすれば小さくするほどよいかのようである。このような小ワク主義をいだいている人びとは、つぎのような思想に抵抗を感じている。それは、あらゆる積極的要素を動員し、団結できるすべての人びとと団結し、しかも、消極的な要素をできるかぎり積極的な要素に変えて、社会主義社会の建設という偉大な事業に奉仕させる、という思想である。わたしは、これらの人びとが視野をひろげて、わが国には六億の人口があることをほんとうにみとめ、これが客観的な存在であり、われわれの元手であることをみとめるよう希望する。わが国に人が多いのはよいことであるが、もちろん困難もある。われわれの各分野の建設事業は、すばらしい勢いで発展し、大きな成果をあげているが、社会に大変動がおこっている当面の過渡期にあっては、困難な問題もまだひじょうに多い。発展もあれば、困難もある、これが矛盾である。いかなる矛盾も解決しなければならないだけでなく、また完全に解決することもできる。われわれの方針は、全般的に配慮し、適切に按配することである。食糧問題、自然災害の問題、就職問題、教育問題、知識分子の問題、愛国諸勢力の統一戦線の問題、少数民族の問題、その他さまざまな問題にしても、みな全国人民にたいする全般的配慮の観点から出発して、その時その地の実際に可能な条件について、各方面の人びとと話しあい、いろいろと適切な按配をしていかなければならない。人が多すぎるとか、おくれているとか、事がらが面倒でやりにくいとかといって、放り出してしまうようなことを絶対にしてはならない。わたしがこんなふうにいうのは、すべての人、すべての事がらを政府が一手にひきうけるべきだということだろうか。もちろんそうではない。多くの人、多くの事がらについては、社会団体が方法を講じ、大衆がみずから方法を講じるようにすればよい。かれらはよい方法をたくさん考えだすことができる。このことも全般的な配慮と適切な按配の方針にふくまれており、われわれは社会団体と各地の大衆がそうするよう指導しなければならない。
百花斉放、百家争鳴、長期共存、相互監督というこれらのスローガンは、どのようにして提起されたのだろうか。これは、中国の具体的な状況にもとづいて提起されたのであり、社会主義社会にもなおさまざまな矛盾が存在することをみとめたうえで提起されたのであり、経済と文化を急速に発展させなければならないという国家のさし迫った要求から提起されたのである。百花斉放、百家争鳴の方針は、芸術の発展と科学の進歩を促進する方針であり、わが国の社会主義的文化の繁栄を促進する方針である。芸術上の異なった形式や風格は自由に発展させてよいし、科学上の異なった学派は自由に論争させてよい。行政的な手段にうったえて、強制的に一つの風格や一つの学派をおしひろめ、別の風格や別の学派を禁止することは、芸術と科学の発展にとって有害である、とわれわれは考える。芸術と科学における是非の問題は、芸術界と科学界の自由な討論をつうじて解決し、芸術と科学の実践をつうじて解決すべきであって、単純な方法によって解決すべきではない。正しいものとまちがったものを判別するには、多くのばあい、それを検証する時間が必要である。歴史のうえで、あたらしくて正しいものは、はじめのうちは、とかく多数の人からみとめられず、闘争のなかで、曲折を経て発展するよりほかはなかった。正しいもの、よいものであっても、最初は、香り高い花とみとめられず、逆に毒草とみなされることがよくある。コペルニクスの太陽系にかんする学説〔1〕もダーウィンの進化論〔2〕も、かつてはまちがったものとみなされ、苦しい闘争を経たのである。わが国の歴史にも、このような例はたくさんある。旧社会にくるべると、社会主義社会では、新生の事物の成長の条件が、以前とは根本的に異なり、はるかによくなっている。しかし、新生の力をおさえたり、合理的な意見をおさえたりするのは、やはりよくあることである。意識的におさえるのではなくて、ただはっきり見わけがつかないために、新生の事物の成長をさまたげることもある。したがって、科学上、芸術上の是非については、慎重な態度をとり、自由な討論を提唱すべきであって、軽がるしく結論をくだしてはならない。このような態度をとることは、科学と芸術をわりあい順調に発展させるうえで役に立つと、われわれは考える。
マルクス主義も闘争のなかで発展してきたのである。マルクス主義は、はじめのうち、いろいろな攻撃をうけ、毒草とみなされていた。現在も、世界の多くの地域では、ひきつづき攻撃をうけ、なお毒草とみなされている。社会主義国では、マルクス主義の地位は異なっている。だが、社会主義国であっても、やはり非マルクス主義の思想は存在するし、反マルクス主義の思想も存在する。わが国では、社会主義的改造が、所有制の面では基本的になしとげられ、革命の時期における大規模な、あらしのような大衆的階級闘争は基本的に終わりをつげたが、しかし、くつがえされた地主・買弁階級の残存分子はまだ存在しており、ブルジョア階級もまだ存在しており、小ブルジョア階級はやっと改造をはじめたばかりである。階級闘争はまだ終わってはいない。プロレタリア階級とブルジョア階級とのあいだの階級闘争、各政治勢力のあいだの階級闘争、プロレタリア階級とブルジョア階級とのあいだのイデオロギー面での階級闘争は、なお長期にわたる、曲折したたたかいであり、ときにはひじょうに激しいものでさえある。プロレタリア階級は自己の世界観にもとづいて世界を改造しようとするし、ブルジョア階級も自己の世界観にもとづいて世界を改造しようとする。この面では、社会主義と資本主義とのあいだの、どちらが勝ち、どちらが負けるかという問題は、まだほんとうには解決されていない。全人口のなかでも、知識分子のあいだでも、マルクス主義者はやはり少数である。したがって、マルクス主義は、やはり闘争のなかで発展していかなければならない。マルクス主義は闘争のなかではじめて発展できるのであって、過去においても現在においてもそうであるだけでなく、将来においてもかならずそうである。正しいものは、つねに、まちがったものとの闘争の過程で発展してきたのである。真、善、美は、つねに、偽、悪、醜との対比において存在し、それとの闘争のなかで発展するのである。あるまちがったものが人類から普遍的にすてさられ、ある真理が人類から普遍的にうけいれられたときには、いっそうあたらしい真理がまたもやあたらしいまちがった見解と闘争をはじめている。こうした闘争は永遠に終わることがない。これは真理の発展法則であり、もちろん、マルクス主義の発展法則でもある。
わが国では、イデオロギーの面で社会主義と資本主義とのあいだのどちらが勝ち、どちらが負けるかという闘争は、なおかなり長い時間をかけなければ解決することができない。それは、ブルジョア階級や旧社会からきた知識分子の影響がなお長期にわたってわが国に存在し、階級のイデオロギーとしてもなお長期にわたってわが国に存在するからである。こうした情勢について認識がたりなかったり、ぜんぜん認識していなかったりするなら、ひじょうに大きな誤りを犯すことになり、必要な思想闘争をおろそかにすることになる。思想闘争は、他の闘争とはちがって、あらっぽい、強制的な方法をとってはならず、きめのこまかい、道理を説く方法をとるよりほかはない。いま、社会主義は、イデオロギー闘争において、優位に立っている。国家権力の基本的な力は、プロレタリア階級の指導する勤労人民の手中にある。共産党は強大な力ときわめて高い威信をもっている。われわれの活動には、欠陥や誤りがあるとはいえ、われわれが人民に忠実であること、われわれが人民とともに祖国をりっぱに建設する決意と能力をもっていること、われわれがすでに大きな成果をおさめており、今後もひきつづきいっそう大きな成果をおさめるであろうことは、公正な人ならだれでもわかることである。ブルジョア分子や旧社会からきた知識分子の圧倒的多数は愛国的であって、日ごとに発展する社会主義の祖国に奉仕したいとおもっているし、また、社会主義の事業からはなれ、共産党の指導する勤労人民からはなれては、ほかになにもたよるべきものがなく、どのような明るい前途もありえないことを知っている。
人びとは、つぎのようにたずねる。わが国では、マルクス主義はすでに大多数の人から指導思想とみとめられているが、それなち、批判をくわえてはいけないのか、と。もちろん、批判してもよい。マルクス主義は科学的真理であり、批判をおそれない。マルクス主義が批判をおそれたり、批判によってたおされたりするようなら、マルクス主義はなんの役にも立ちはしない。事実、観念論者は、毎日いろいろな形でマルクス主義を批判しているではないか。ブルジョア思想、小ブルジョア思想をいだきつづけながら、あらためようとしない人びとも、いろいろな形でマルクス主義を批判しているではないか。マルクス主義者はどのような人の批判もおそれてはならない。それどころか、マルクス主義者は、人びとの批判のなか、闘争のあらしのなかでこそ、自分をきたえ、自分を成長させ、自分の陣地をひろげるのである。まちがった思想と闘争するのは、ちょうど、種痘をするようなもので、牛痘ワクチンの作用によって身体の免疫力が強まるのとおなじである。温室でそだてられたものは、強い生命力をもつはずがない。百花斉放、百家争鳴の方針を実行すれば、思想界におけるマルクス主義の指導的地位を弱めないばかりか、逆にその地位を強めることになる。
非マルクス主義の思想にたいしては、どのような方針をとるべきだろうか。はっきりした反革命分子や社会主義事業を破壊するものについては、問題は簡単で、かれらの言論の自由をうばえばそれでよい。人民内部のまちがった思想については、事情がちがう。これらの思想を禁止し、これらの思想にどのような発表の機会もあたえないでよいだろうか。もちろん、よくない。人民内部の思想問題や精神界の問題に対処するばあい、簡単な方法で処理したのでは、効果があがらないばかりか、ひじょうに有害でさえある。まちがった意見の発表をゆるさなかったところで、まちがった意見はやはり存在する。他方、正しい意見は、もしも温室でそだてられたもので、風雨にさらされたことがなく、免疫力をもっていなければ、まちがった意見にぶつかったとき、それにうち勝つことができない。したがって、ほんとうに正しい意見を発展させ、まちがった意見を克服し、ほんとうに問題を解決するには、討論の方法、批判の方法、道理を説く方法をとるよりほかはない。
ブルジョア階級、小ブルジョア階級についていえば、その思想はかならず反映されるものである。かれらは政治問題や思想問題で、かならずいろいろな方法をもちいて執拗に自分自身を表現しようとする。かれらに反映させまい、表現させまいとしても、それは不可能である。われわれは、かれらが表現するのを強圧的な方法でおさえつけてはならず、かれらに表現させるべきであり、同時に、かれらが表現したばあい、かれらと議論をたたかわせ、適切な批判をくわえるべきである。疑いもなく、われわれは種々さまざまなまちがった思想を批判しなければならない。批判をくわえず、まちがった思想がいたるところに氾濫するのを見すごし、それらが市場を占領するままにまかせておくのは、もちろんよくない。誤りがあればこれを批判し、毒草があればこれと闘争しなければならない。だが、こうした批判は教条主義的であってはならず、形而上学的な方法をとるのではなく、できるかぎり弁証法的な方法をとるようにすべきである。科学的な分析が必要であり、十分な説得力が必要である。教条主義的な批判では問題を解決することができない。われわれはすべての毒草に反対するが、なにがほんとうの毒草であり、なにがほんとうの香り高い花であるかを慎重な態度で見わけなげれはならない。われわれは、大衆といっしょに香り高い花と毒草とを慎重な態度で見わけることを学びとり、大衆といっしょに正しい方法をもちいて毒草とたたかわなければならない。
われわれは、教条主義を批判すると同時に、修正千義にたいする批判にも心をくばらなければならない。修正主義あるいは右翼日和見主義は、一種のブルジョア思潮であって、教条主義よりもさらに大きな危険性をもっている。修正主義者、右翼日和見主義者も、口先ではマルクス主義をとなえており、けっこう「教条主義」を攻撃している。だが、かれらが攻撃しているものこそ、まさにマルクス主義のもっとも根本的なものである。かれらは、唯物論と弁証法に反対するか、あるいはそれを歪曲し、人民民主主義独裁と共産党の指導に反対するか、あるいはそれを弱めようとし、社会主義的改造と社会主義建設に反対するか、あるいはそれを弱めようとする。わが国の社会主義革命が基本的な勝利をおさめたのちにも、社会の一部には、まだ資本主義制度の復活を夢みるものがおり、かれらは、思想の面をふくむあらゆる面から労働者階級に闘争をしかけてくる。そして、この闘争では、修正主義者こそかれらの最良の助手なのである。
百花斉放、百家争鳴という二つのスローガンは、文字づらからみれば、階級性がなくて、プロレタリア階級が利用することもできれば、ブルジョア階級が利用することもでき、その他の人ぴとが利用することもできる。いわゆる香り高い花と毒草については、どの階級、どの階層、どの社会集団にもそれぞれ独自の見方がある。では、広範な人民大衆の観点からすれば、こんにちわれわれが香り高い花と毒草とを見わける基準は果たしてどのようなものだろうか。わが国人民の政治生活において、われわれの言論や行動の是非をどのように判断すべきだろうか。われわれの考えでは、わが国の憲法の原則にもとづき、わが国の最大多数の人民の意志と、わが国の各政党がこれまで発表してきた共同の政治的主張にもとづいて、その基準を大体つぎのように規定することができる。(一)全国の各民族人民を分裂させるのではなくて、その団結に有利であること。(二)社会主義的改造と社会主義建設に不利ではなくて、社会主義的改造と社会主義建設に有利であること。(三)人民民主主義独裁を破壊したり、弱めたりするのではなくて、この独裁をかためるのに有利であること。(四)民主集中制を破壊したり、弱めたりするのではなくて、この制度をかためるのに有利であること。(五)共産党の指導からはなれたり、これを弱めたりするのではなくて、この指導をかためるのに有利であること。(六)社会主義の国際的団結と全世界の平和を愛する人民の国際的団結をそこなうのではなくて、これらの団結に有利であること。この六ヵ条の基準のうち、もっとも重要なのは社会主義の道と党の指導のニヵ条である。これらの基準を提起するのは、さまざまな問題について、人民の自由な討論をうながすためであって、このような討論をさまたげるためではない。これらの基準に賛成しない人びとも、やはり自分の意見を出して論議することができる。だが、大多数の人びとが明確な基準をもてば、批判と自己批判を正しい道にそっておしすすめることができ、これらの基準によって、人びとの言論と行動が正しいかどうか、はたして香り高い花なのか毒草なのかを見わけることができる。これらは政治的基準である。科学上の論点が正しいかどうか、芸術作品の芸術的水準がどうであるかを見わけるには、もちろん、このほかにそれぞれいくつかの基準が必要である。しかし、この六ヵ条の政治的基準はどのような科学・芸術活動にも適用できるものである。わが国のような社会主義国では、有益な科学・芸術活動で、これらの政治的基準にそむくものが果たしてありうるだろうか。
以上にのべた観点は、いずれも、わが国の具体的な歴史的条件から出発したものである。各社会主義国と各国共産党の状況は、それぞれ異なっている。したがって、われわれは、かれらが中国のやり方をとらなければならないとか、とるべきであるとかは、考えていない。
「長期共存、相互監督」というスローガンも、わが国の具体的な歴史的条件の産物である。このスローガンは、とつぜん提起されたものではなく、すでになん年も検討されてきたものである。長期共存の考えはずいぶん前からあった。昨年になって、社会主義制度が基本的にうちたてられてから、これらのスローガンがはっきり提起されたのである。なぜ、ブルジョア階級、小ブルジョア階級の民主政党に労働者階級の政党との長期共存をさせる必要があるのか。それは、人民を社会主義の事業に結集するため確かに努力し、しかも人民の信頼をかちえている政党であるかぎり、われわれはかれらにたいして長期共存の方針をとらない理由がないからである。わたしは、すでに一九五〇年六月の政治協商会議第二回会議で、つぎのようにいったことがある。「どんな人でも、人民のためにほんとうに力をつくし、人民がまだ困難なときに確かに手をかし、役に立つ事をし、しかも、中途でやめずに、一貫してやり通すのであれば、人民と人民の政府は、その人を見捨てる道理はないし、その人に暮らしをたてる機会と力をつくす機会をあたえないという道理はない。」ここでのべているのは、つまり、各政党が長期に共存できる政治的基礎のことである。共産党と各民主政党との長期共存、これはわれわれの願望であり、われわれの方針でもある。各民主政党が長期に存在していけるかどうかという点になると、これは共産党の側の願望だけではきまらず、さらに、各民主政党自身の態度をみなければならないし、かれらが人民の信頼を得ているかどうかをみなければならない。各政党の相互監督の事実も早くから存在していた。つまり、各政党がたがいに意見を出しあい、批判しあってきたことである。相互監督というのは、もちろん一方的なものではなく、共産党は民主政党を監督することができるし、民主政党も共産党を監督することができるのである。なぜ、民主政党に共産党を監督させる必要があるのか。それは、政党も人間とおなじように、その耳でちがった声を聞くことがひじょうに必要だからである。周知のように、共産党を監督するのは、おもに勤労人民と党員大衆である。しかし、民主政党があれば、われわれにとってもっと有益である。もちろん、各民主政党と共産党がたがいにのべあう意見や批判も、われわれがさきにのべた六ヵ条の政治的基準に合致するという状況のもとで、はじめて相互監督という積極的な役割をはたすことができるのである。したがって、われわれは、各民主政党がいずれも新社会の要求に適応するため、思想改造に心をくばり、共産党との長期共存、相互監督をめざして努力するよう希望する。
一九五六年、いくつかのところで少数の労働者や学生がストライキをおこなうという事件がおこった。これらの人が騒ぎをおこした直接の原因としては、いくらかの物質的要求がみたされなかったということもある。これらの要求のうち、一部は解決するのが当然だし、またそれが可能でもあったが、他の一部は不通当であるか、または要求が高すぎて一時的にはまだ解決できないものであった。しかし、騒ぎのおこったもっと重要な要因は、やはり指導の側の官僚主義であった。こうした官僚主義の誤りは、一部は上級機関が責任を負うべきで、なにもかも下部のせいにするわけにはいかない。騒ぎのおこったもう一つの原因は、労働者、学生にたいする思想・政治教育が足りなかったことである。一九五六年には、このほかに、少数の協同組合員が組合で騒ぎをおこした事件があったが、それもやはり指導の側の官僚主義と大衆にたいする教育の足りなかったことがおもな原因であった。
一部の大衆はとかく、目先の、局部的、個人的な利益にとらわれやすく、遠い将来の、全国的、集団的な利益については理解していないか、または、あまり理解していないということ、このことは認めなければならない。少なからぬ青年は、政治的経験と社会生活の経験にとぼしいため、ふるい中国とあたらしい中国をよく比較することができず、わが国の人民がいかに数かずの苦難にみちた闘いを経てはじめて帝国主義と国民党反動派の抑圧からぬけだしたか、また、すばらしい社会主義社会をつくりあげるには、いかに長期の骨身をおしまぬ労働を経なければならないか、を深く理解することが容易でない。したがって、大衆のなかで、生きいきとした、地についた政治教育をたえずおこなうとともに、うまれてくる困難をたえずありのままに説明し、困難を解決する方法をかれらといっしょに検討するようにしなければならない。
われわれは、騒ぎをおこすことには賛成しない。なぜなら、人民内部の矛盾は「団結――批判――団結」の方法によって解決できるのであり、騒ぎをおこせば、どうしても多少の損失をもたらし、社会主義の事業の発展に不利となるからである。わが国の広範な人民大衆は社会主義を支持しており、かれらは、よく規律をまもり、よく道理をわきまえ、けっしていわれもなく騒ぎをおこすようなことはしない、とわれわれは信じている。しかし、これは、わが国にはもう大衆が騒ぎをおこす可能性がないという意味ではない。この問題で、われわれが注意しなければならないのはつぎの点である。(一)騒ぎのおこる原因を根本的になくすために、官僚主義を断固克服し、思想・政治教育を十分に強化し、さまざまな矛盾を適切に処理しなければならない。この点さえ実行すれば、まず騒ぎがおこるようなことはないだろう。(二)われわれの活動の不手ぎわから騒ぎがおこったとすれば、騒ぎをおこした大衆を正しい道へみちびいていき、この騒ぎを活動の改善や幹部と大衆にたいする教育の特殊な手段として利用し、日ごろ解決していない問題を解決するようにしなければならない。騒ぎを処理する過程では、きめのこまかい活動をしなければならず、単純な方法で処理したり、「いい加減にけりをつけ」たりしてはならない。騒ぎをおこした首謀者については、刑法にそむいた者や反革命の現行犯は法律による制裁をくわえるべきであるが、そのほかの者は軽がるしく追放してはならない。わが国のような大きな国では、少数の者が騒ぎをおこしたからといって驚くほどのことはなく、かえってわれわれの官僚主義を克服する助けになるくらいである。
われわれの社会には、少数ではあるが、公共の利益を無視し、横暴にふるまい、凶行をはたらき、法を犯す者もいる。かれらは、われわれの方針を悪用または歪曲し、わざと無理な要求をもちだして大衆を扇動したり、わざとデマをとばしたりして、社会の正常な秩序を破壊するだろう。われわれはこうした者を野放しにしておくことには賛成しない。反対に、法律による必要な制裁をくわえなければならない。こうした者を懲罰することは社会の広範な大衆の要求であり、懲罰しなければ大衆の意志にそむくことになる。
さきにのべたように、われわれの社会では、大衆が騒ぎをおこすのは悪いことで、われわれはこれに賛成しない。しかし、こうした事件がおこれば、われわれはここから教訓を得て、官僚主義を克服し、幹部と大衆を教育することもできる。この点からいえば、悪いこともよいことに変わりうるのである。騒乱には二重性がある。われわれはこの観点ですべての騒乱をみることができる。
ハンガリー事件がよいことでないのは、みんながはっきりと知っている。しかし、それにも二重性がある。ハンガリーの同志たちが事件の発展過程でこれを正しく処理した結果、ハンガリー事件は悪いことからよいことに転化した。現在、ハンガリーは以前よりも強固になっているし、社会主義陣営の諸国もみな教訓を得ている。
同様に、一九五六年の後半におこった反共、反人民の世界的な風潮も、もちろん、悪いことであった。しかし、それは各国の共産党と労働者階級を教育し、きたえたので、よいことに変わったのである。多くの国では、一部の人がこの風潮のなかで党から脱退した。一部の党員が脱党して、党員の数が減ったことは、もちろん、悪いことである。しかし、一面ではよいところもある。そうした動揺分子は活動をつづける気がなくなって、ぬけだしたが、大多数のしっかりした党員は、いっそうよく団結して奮闘できるようになった。それがどうしてよくないのだろうか。
要するに、われわれは、問題を全面的にみることを学びとらなければならず、事物の正面をみるだけでなく、その反面をもみる必要がある。一定の条件のもとでは、悪いものからよい結果がうみだされることもあれば、よいものから悪い結果がうみだされることもある。老子は二千年以上も前に、「禍は福の倚るところ、福は禍の伏するところ」〔3〕といった。日本が中国に攻めこんだのを、日本人は勝利だといった。中国の広大な土地が占領されたのを、中国人は敗北だといった。しかし、中国の敗北には勝利がふくまれており、日本の勝利には敗北がふくまれていた。歴史はこうしたことを立証しているのではないだろうか。
いま、世界各国の人びとのあいだでは、第三次世界大戦がおこるかどうかが論議されている。この問題について、われわれは精神的な準備もしなければならないし、分析もしなければならない。われわれは平和を堅持し、戦争に反対する。だが、帝国主義がどうしても戦争をおこすというのなら、われわれは恐れることもない。この問題にたいするわれわれの態度は、すべての「騒乱」にたいする態度とおなじで、第一には反対し、第二には恐れない、ということである。第一次世界大戦ののちには、ソ連があらわれ、その人口は二億であった。第二次世界大戦ののちには、社会主義陣営があらわれ、その人口はあわせて九億となった。もし帝国主義者がどうしても第三次世界大戦をおこすなら、その結果、かならずさらに幾億かの人口が社会主義の側に移り、帝国主義に残される地盤が少なくなり、帝国主義制度全体が完全に崩壊することもありうる、と断定できる。
矛盾する対立面の双方は、たがいに闘争しあう結果、一定の条件のもとで、みなたがいに転化しあうものである。ここでは、条件が重要である。一定の条件がなければ、闘争しあう双方が転化することはない。世界でいちばん自分の地位を変えたがっているのはプロレタリア階級であり、そのつぎは半プロレタリア階級である。なぜなら、前者はなにももっていないし、後者はもっていても少ないからである。現在、アメリカが国連で多数票をあやつり、世界の多くの地域を支配している状態は、一時的なものにすぎず、この状態はいつかはかならず変化するだろう。中国の、貧しい国としての地位、国際的に権利がないという地位にも変化がおこるはずであり、貧しい国がゆたかな国に、権利のないものが権利をもつものに変わることとなろう。つまり、反対の方向に転化するのである。ここで決定的な条件は、社会主義制度と、一致団結した人民の奮闘である。
わたしは、ここで節約の問題についてのべてみたい。われわれは大規模な建設をおこなおうとしているが、わが国はまだひじょうに貧しい国であること、これは一つの矛盾である。全面的、持続的に節約を励行することが、この矛盾を解決する一つの方法である。
一九五二年の「三反」運動で、われわれは汚職、浪費、官僚主義に反対し、とくに汚職反対に重点をおいた。一九五五年には、節約を提唱して、非生産面の基本建設で高すぎる基準に反対することと、工業生産で原料を節約することに重点をおき、ひじょうに大きな成果をおさめた。だが、そのころ節約の方針は国民経済の各部門でも、一般の機関、軍隊、学校、人民団体でも、まだしんけんに実行されてはいなかった。ことしは全国各方面で節約を提唱し、浪費に反対することが要求されている。われわれは、建設の仕事では、まだ経験にとぼしい。これまでの数年間に大きな成果もあったが、同時に浪費もあった。われわれは、おいおい一群の大規模で現代的な企業を建設して、これを骨幹にしていかなければならない。この骨幹がなければ、わが国を数十年のうちに現代的工業をもつ強国に変えることはできない。だが、多数の企業についてはそうすべきではなく、中・小規模の企業をより多く建設するとともに、旧社会から残された工業の基礎を十分に利用して、できるだけ節約し、より少ない資金でより多くの仕事をするようにすべきである。昨年十一月、中国共産党中央委員会第二回総会で節約励行、浪費反対の方針がいっそうつよく提起されていらい、ここ数ヵ月のあいだに、すでに効果があらわれはじめている。こんどの節約運動は、徹底的、持続的におこなわなければならない。浪費に反対するのは、他の欠陥や誤りを批判するのと同様、顔を洗うようなものである。人びとはまいにち顔を洗うではないか。中国共産党、民主政党、無党派の民主人士、知識分子、工商業者、労働者、農民、手工業者、要するにわれわれ六億の人びとはみな増産節約を実行し、ぜいたくと浪費に反対すべきである。これには経済的に重要な意義があるだけでなく、政治的にも重要な意義がある。現在、われわれの多くの要員のあいだには、大衆と苦楽をともにすることをのぞまず、個人の名誉や利益をとやかく問題にしたがる危険な傾向があらわれているが、これはひじょうによくないことである。われわれは増産節約運動のなかで、機関の簡素化、幹部の下放によって、かなり多くの幹部を生産面にもどらせるよう要求しているが、これはこうした危険な傾向を克服する一つの方法である。わが国は社会主義の大国ではあるが、また経済的に立ちおくれた貧しい国でもあり、それがひじょうに大きな矛盾であることを、すべての幹部と人民につねに銘記させなければならない。わが国を強大でゆたかな国にするには、節約励行、浪費反対という勤倹建国の方針の実行をもふくめて、数十年にわたる刻苦奮闘の時間が必要である。
ここでのべる工業化の道という問題は、主として、重工業、軽工業、農業の発展の関係についての問題である。わが国の経済建設は重工業を中心とするものであること、この点は確認しておかなければならない。しかし、同時に、農業と軽工業の発展にも、十分注意をはらわなければならない。
わが国は大きな農業国で、農村人口が全国人口の八〇パーセント以上を占めており、工業を発展させるには、同時に農業を発展させなければならない。こうしてこそ、工業は原料と市場を得ることができ、強大な重工業を建設するためにより多くの資金を蓄積することもできるのである。周知のように、軽工業と農業はきわめて密接な関係をもっている。農業がなければ、軽工業はない。重工業が農業を重要な市場としなければならないという点になると、いまのところ、まだ人びとにはっきりとは認識されていない。しかし、農業の技術改革がしだいにすすみ、農業が日ましに現代化されるにつれて、農業のための機械、肥料、水利施設、電力施設、運輸施設、民需の燃料や建築資材などが日ましにふえ、重工業が農業を重要な市場とする状況は、人びとから容易に理解されるようになるだろう。第二次五ヵ年計画と第三次五ヵ年計画の期間に、われわれの農業がいっそう大きく発展し、それにおうじて軽工業がいっそう大きく発展するようになれば、国民経済全体にとってそれだけ有利になるだろう。農業と軽工業が発展すれば、重工業には市場ができ、資金ができて、重工業はいっそう速く発展するだろう。そうなれば、工業化の速度はいくぶんおそいようにみえても、実際にはおそくはならず、あるいは、かえっていくぶん速くなるかもしれない。三つの五ヵ年計画を経るか、あるいはもうすこし時間をかければ、わが国の鋼鉄生産高も、解放前の最高年産高である一九四三年の九十余万トンから、二千万トンにまで発展するか、あるいはもっと多くなるだろう。そうなれば、都市の人も農村の人もみなよろこぶにちがいない。
経済問題について、きょうは、多くのべるつもりはない。経済建設については、これにとりかかってからまだ七年にしかならないので、われわれはなお経験にとぽしく、さらに経験をつまなければならない。革命についても、われわれは最初、やはり経験がなかったのであり、いくども挫折して、経験をつんだのち、はじめて全国的な勝利をおさめたのである。われわれは、経済建設の面で経験を身につけるさい、革命の経験を身につけたときよりもその時間を短くするとともに、あのように高い代価をはらわないようにすべきである。代価というものはどうしても必要だが、ただ革命の時期にはらったような高い代価ははらわないようにしたいものである。この問題には矛盾、つまり、社会主義社会の経済発展の客観的法則とわれわれの主観的認識とのあいだの矛盾があり、これを実践のなかで解決していく必要がある、ということを知らなければならない。この矛盾はまた人と人との矛盾、つまり、客観的法則をわりあい正確に反映する一部の人と、それをわりあい不正確に反映する一部の人とのあいだの矛盾としてもあらわれるだろう。したがって、これもまた人民内部の矛盾である。あらゆる矛盾はすべて客観的に存在するものであり、われわれの任務は、それをできるだけ正確に反映し、解決することにある。
わが国を工業国に変えるためには、われわれはソ連の先進的な経験をしんけんに学ばなければならない。ソ連はすでに四十年間も社会主義の建設をすすめており、その経験はわれわれにとってきわめて貴重なものである。諸君、みたまえ。こんなに多くの重要工場をわれわれのために設計し、その設備を供給してくれたのはだれだろうか。アメリカだろうか、イギリスだろうか、どちらでもない。ソ連だけがそうしてくれたのである。なぜなら、ソ連は社会主義国であり、われわれの同盟国だからである。ソ連のほかに、東欧のいくつかの兄弟国も、われわれに若干の援助をあたえてくれた。社会主義国のものであろうと資本主義国のものであろうと、すべての国のすぐれた経験をわれわれが学ばなければならないことは、まったくそのとおりであって、この点は疑いがない。しかし、主としては、やはりソ連に学ばなければならない。学習には二つの態度がある。一つは教条主義的な態度で、わが国の事情にはおかまいなしに、適用できるものも適用できないものも、いっしょくたにもちこんでくる。こうした態度はよくない。もう一つの態度は、学ぶときに頭をつかって考え、わが国の事情に適したものを学ぶ、すなわち、われわれにとって有益な経験をくみとるのである。われわれに必要なのはこうした態度である。
ソ連との団結をかため、すべての社会主義国との団結をかためることは、われわれの基本方針であり、そこにわれわれの基本的利益がある。さらにまた、アジア・アフリカ諸国および平和を愛するすべての国とすべての人民については、われわれはそれとの団結をかため、発展させなければならない。この二つの勢力との団結があれば、われわれは孤立しない。帝国主義国についていえば、われわれは、やはりそこの人民と団結するとともに、それらの国ぐにと平和的に共存し、いくらか商売をやり、おこるかもしれない戦争を阻止するようにつとめなければならない。しかし、われわれは、けっして、かれらについて実際にそぐわない考えをもつべきではない。
〔1〕 コペルニクス (一四七三~一五四三年)は、ポーランドの有名な天文学者である。コペルニクスは、『天体の回転について』という著作のなかで、地球が地軸を中心として自転しつつ、他の惑星とともに、太陽のまわりを回転することを立証して、約二千年らいの天不動説をくつがえした。
〔2〕 ダーウィン(一八〇九~一八八二年)は、イギリスの有名な生物学者である。ダーウィンは、その著作『種の起源』などのなかで、進化論を提起し、生物の起源、変異、発展についての法則をあきらかにした。
〔3〕 『老子』の第五十八章にみられる。
(一九五七年三月十二日)
同志諸君! こんどの会議はひじょうによかった。会議ではたくさんの問題が出されて、われわれは多くのことを知ることができた。わたしはここで、同志諸君が討議した問題について、いくつかの意見をのべてみたいとおもう。
われわれは、いま、社会の大変動の時期におかれている。中国の社会は久しいあいだ大変動のなかにあった。抗日戦争の時期も大変動であったし、解放戦争の時期もまた大変動であった。だが、性質からいうと、現在の変動には過去の変動よりもはるかに深刻なものがある。われわれは、いま、社会主義を建設している。数億の人が社会主義的改造の運動にくわわっている。全国の各階級の相互関係には、いずれも変化がおこっている。農業と手工業の分野における小ブルジョア階級にも工商業ブルジョア階級にも、みな変化がおこった。社会経済制度が変化しており、個人経済は集団経済に変わり、資本主義的私有制はいま社会主義的共有制に変わりつつある。このような大変動は、当然、人びとの思想に反映してくる。存在が意識を決定する。異なった階級、階層、社会集団に属する人びとのあいだでは、この社会制度の大変動にたいしてそれぞれちがった反応がみられる。広範な人民大衆はこの大変動を心から支持している。というのは、社会主義こそ中国の唯一の活路であることを、現実の生活が立証しているからである。ふるい社会制度をくつがえし、あたらしい社会制度、すなわち社会主義制度をうちたてること、これは偉大な闘争であり、社会制度および人間の相互関係の大変動である。状況は基本的に健全である、といわなければならない。しかし、あたらしい社会制度はうちたてられたばかりで、まだそれをかためていく時間が必要である。あたらしい制度がうちたてられたからといって、それでもう完全に強固なものになったと考えてはならないし、そんなことは不可能である。一歩一歩かためていかなければならない。それを最終的にかためるには、国の社会主義的工業化を実現し、経済戦線での社会主義革命を堅持しなければならず、また、政治戦線、思想戦線で、たえまのない、困難にみちた社会主義革命の闘争と社会主義教育をおこなわなければならない。このほか、それに呼応するいろいろな国際的条件も必要である。わが国では、社会主義制度をかためるたたかい、社会主義と資本主義のどちらが勝つかというたたかいは、まだかなり長い歴史的時期を経なければならない。しかし、われわれは、この社会主義のあたらしい制度がかならずかたまるものだという見通しをもたなければならない。われわれはかならず現代的工業、現代的農業、現代的科学・文化をそなえた社会主義国を建設することができるであろう。これがわたしの話したいことの第一点である。
第二点、わが国の知識分子の状況について。中国にはいったいどのくらい知識分子がいるのか、正確な統計はない。推定によると、高級知識分子と一般の知識分子をふくめて、さまざまな知識分子がおよそ五百万前後いる。この五百万前後の知識分子のうち、圧倒的多数は愛国的で、われわれの中華人民共和国を愛しており、人民に奉仕し、社会主義の国家に奉仕することをねがっている。少数の知識分子は社会主義制度をそれほど歓迎せず、それほどよろこんでいない。かれらは社会主義にたいしてまだ疑いをもっているが、帝国主義をまえにしては、やはり愛国的である。われわれの国家にたいして敵対的な感情をいだいている知識分子はごく少数である。これらの人は、われわれのこのプロレタリア階級独裁の国家をこのまず、旧社会に未練をもっている。かれらは、機会さえあれば波らんをまきおこして、共産党をくつがえし、旧中国を復活させようとする。これは、プロレタリア階級とブルジョア階級の二つの路線、社会主義と資本主義の二つの路線のうち、あとの路線をかたくなに歩もうとしている人である。このあとのほうの路線は実際には実現できないものであり、したがって、かれらは実際には帝国主義、封建主義、官僚資本主義に投降しようとしている人である。このような人は政界、工商業界、文化・教育界、科学・技術界、宗教界のいずれにもおり、それはきわめて反動的な人である。こうした人は五百万前後のうち、およそ一、二パーセントか三パーセントを占めるにすぎない。圧倒的多数の知識分子、総数五百万の九〇パーセント以上の人は、程度のちがいはあるが、みな社会主義制度を支持している。社会主義制度を支持するこれらの人のうち、多くの者は、社会主義制度のもとでどのように仕事をしたらよいのか、多くのあたらしい問題をどのように理解し、それにどのように対処し、どのように解答したらよいのかについて、まだあまりはっきりしていない。
五百万前後の知識分子を、マルクス主義にたいするその態度からみるなら、つぎのようにいえそうである。共産党員と党外の支持者をふくめて、およそ十数パーセントの人はマルクス主義がかなりよくわかっており、しかも、しっかりと足をふまえ、しっかりとプロレタリア階級の立場に立っている。五百万という総数からみると、これらの人は少数ではあるが、中核であり、力をもっている。多数の人はマルクス主義を学習することをのぞんでおり、また、いくらか学んでもいるが、しかし、まだよくわかっていない。そのうちの一部の人はまだ疑いをもっており、まだしっかりと足をふまえておらず、ひとたび風波にあうと、左右に動揺する。総数五百万のうち、大多数を占めるこれらの知識分子は、まだ中間の状態にある。マルクス主義にあくまで反対し、マルクス主義を敵視する態度をとっている人はごく少数である。一部の人は、公然とマルクス主義に不賛成だとはいわないが、実際は不賛成である。このような人は相当長期にわたって存在するもので、われわれはかれらが賛成しないのを許すべきである。たとえば、一部の観念論者は、社会主義の政治制度と経済制度には賛成もするだろうが、マルクス主義の世界観には賛成しない。宗教界の愛国的な人もそうである。かれらは有神論者であり、われわれは無神論者である。われわれはこれらの人に、マルクス主義の世界観をうけいれるよう強制することはできない。要するに、マルクス主義について、五百万前後の知識分子のとっている態度は、つぎのようにいうことができる。それに賛成し、しかもかなりよくわかっている人は少数であり、それに反対している人も少数であって、多数の人は賛成してはいるがよくわかっておらず、賛成の程度もひじょうにまちまちである。そこには三つの立場、つまり、確固とした立場、動揺する立場、反対する立場がある。こうした状況がまだまだ長期にわたって存在するということをみとめなければならない。こうした状況をみとめないなら、われわれは他人に過大な要求をすることになり、また、自分の任務を軽くすることになるだろう。宣伝活動にたずさわるわれわれの同志は、マルクス主義を宣伝するという任務をもっている。この宣伝は一歩一歩すすめるべきで、人びとがよろこんでうけいれるように、りっぱにおこなわなければならない。マルクス主義を人にうけいれさせるには説得するほかはなく、強制することはできない。もしも、今後の何回かの五ヵ年計画の期間に、われわれの知識分子のあいだで、マルクス主義をうけいれる人がわりあい多くなり、仕事と生活の実践をつうじ、階級闘争の実践、生産の実践、科学の実践をつうじて、マルクス主義をかなり理解できる人がわりあい多くなれば、それは結構なことである。これがわれわれの希望するところである。
第三点、知識分子の改造の問題。わが国は文化の発達していない国である。われわれのこのような大国にとりて、五百万前後の知識分子では、あまりにも少ない。知識分子がいなければ、われわれの事業はうまくすすめられない。だから、かれらをわれわれの側によく結集しなければならない。社会主義社会は、主として三つの部分の人、すなわち、労働者、農民と知識分子からなっている。知識分子は頭脳労働者である。かれらの仕事は人民に奉仕するもの、つまり、労働者、農民に奉仕するものである。知識分子は、その大多数についていえば、旧中国にも奉仕できるし、新中国にも奉仕できる、ブルジョア階級にも奉仕できるし、プロレタリア階級にも奉仕できる。旧中国に奉仕していたころ、知識分子の左翼は反抗し、中間派は動揺し、右翼だけが確固としていた。いまはあたらしい社会に奉仕することになったので、.それが逆になった。左翼は確固としており、中間派は動揺し(この動揺は過去のそれとはちがって、あたらしい社会での動揺である)、右翼は反抗している。知識分子はまた教育者でもある。われわれの新聞は毎日人民を教育している。われわれの文学・芸術家、われわれの科学・技術者、われわれの教授、教員はみな人民を教え、学生を敢えている。これらの人は教育者であり、先生の役をつとめるので、自分がさきに教育をうけるという任務をもっている。この社会制度の大変動の時期には、なおさら、さきに教育をうけなければならない。これまでの数年間、かれらはいくらかマルクス主義の教育をうけ、しかも一部の人はよく勉強したので、以前にくらべると大きな進歩をとげた。だが、多数の人についていえば、プロレタリア階級の世界観が、ブルジョア階級の世界観に完全にとって代わるには、まだ大きな隔たりがある。一部の人はマルクス主義の本をいくらか読んで、自分には学問があると思っているが、しかし、うわっつらをなでただけであり、頭のなかに根をおろしていないので、応用することができず、階級的感情はやはりもとのままである。また、一部の人はひじょうに高慢で、本を何行か読むと自分は大したものだと思いこみ、すっかり鼻を高くする。だが、ひとたび風波にあうと、かれらの立場は労働者や大多数の働く農民とくらべて、大きなちがいのあることがわかる。前者は動揺するが、後者は確固としており、前者はあいまいだが、後者ははっきりしている。したがって、もしも、人を教える者は、このうえ教育をうける必要も、学習をする必要もないと考えたり、社会主義的改造とは、ただ他人を改造し、地主、資本家を改造し、小生産者を改造するもので、知識分子は改造する必要がないと考えるならば、それはまちがっている。知識分子にも改造の必要がある。その基本的立場がまだ変わっていない人に改造の必要があるだけでなく、すべての人が学習し、改造しなければならない。わたしはすべての人といったが、われわれ自身もそのなかに含まれる。状況はたえず変化しており、自分の思想をあたらしい状況に適応させるには、学習をしなければならない。たとえマルクス主義をわりあいよく知っている人、プロレタリア階級の立場が比較的しっかりしている人でも、やはりさらに学習をし、あたらしい事物をうけいれ、あたらしい問題を研究しなければならない。知識分子がもしも自分の頭のなかの適当でないものをとり除かなかったならば、他人を教えるという任務をになうことはできない。もちろんわれわれは、教えながら学び、先生をしながら学生になるよりほかはない。りっぱに先生の役をつとめるには、まずりっぱに学生の役をつとめなければならない。多くのことは本から学ぶだけではだめであって、生産者から学び、労働者から学び、農民から学ばなければならず、また、学校では学生から学び、自分の教育する対象から学ばなければならない。わたしの見るところでは、われわれの知識分子のうち多数の人は学習することをのぞんでいる。われわれの任務は、学習したいという本人の意思にもとづいて、その学習を心から援助し、適切な方法で援助することであって、強制的な方法で学習を無理じいしてはならない。
第四点、知識分子が労農大衆と結合する問題。知識分子は、労農大衆に奉仕するからには、まず、労働者、農民を知り、かれらの生活、仕事、思想をよく知らなければならない。われわれは、知識分子が大衆のなかにはいり、工場にいき、農村にいくことを提唱する。もしも一生涯、労働者や農民と顔をあわせないなら、それはひじょうによくない。われわれの国家機関要員、文学者、芸術家、教員、科学研究者はみな、できるかぎりいろいろな機会を利用して、労働者、農民に近づかなければならない。一部の人は、工場や農村にいって、一回り見てくるがよい。これは「馬に乗って花を見る」というものだが、それでもいきもせず、見もしないよりはましである。他の一部の人は、工場や農村に何ヵ月か住んで、そこで調査をし、友だちをつくるがよい。これは「馬から降りて花を見る」というものである。さらにまた一部の人は、長期間、たとえば二年、三年あるいはもっと長くそこで生活するのもよい。これは「居をさだめて住みつく」というものである。一部の知識分子は、もともと労働者、農民のなかで生活している。たとえば、工業技術者はもともと工場にいるし、農業技術者や農村の学校の教員はもともと農村にいる。かれらはりっぱに仕事をやり、労働者、農民と一つにとけあうべきである。われわれは労農大衆に近づくということを一つの気風にしていかなければならない、つまり、多くの知識分子がそうするようにしていかなければならない。もちろん、いろいろな事情でいかれない人もいくらかいて、一〇〇パ,セントというわけにはいかないが、われわれは、できるだけ多くの人がいくことをのぞんでいる。そうはいっても、みんなが一度にいくわけにはいかず、逐次、何回かにわけていけばよい。知識分子を労働者、農民とちょくせつ接触させるということ、これは、以前、延安にいたころやったことがある。当時、延安にいた知識分子の多くは思想がたいへん混乱していて、いろいろとおかしな議論をしていた。われわれは会議をひらいて、大衆のなかにはいっていくことをみんなにすすめた。そこで、たくさんの人が大衆のなかにはいり、ひじょうによい効果をあげた。知識分子が本から得た知識を、実践と結びつけないうちは、かれらの知識は不完全、あるいはきわめて不完全である。知識分子は先人の経験をとりいれるのに、主として読書にたよる。本はもちろん読まなければならないが、読むだけでは問題を解決することができない。かならず当面の状況を研究し、実際の経験と材料を研究しなければならないし、労働者、農民と友だちにならなければならない。労働者、農民と友だちになることは、そんなに容易なことではない。いまも一部の人は工場や農村へいっているが、その結果、収穫のある人もいれば、収穫のない人もいる。ここには立場の問題または態度の問題、つまり世界観の問題がある。われわれは百家争鳴を提唱しており、それぞれの学術部門に多くの「派」、多くの「家」があってよいわけだが、しかし世界観についていえば、現代では、基本的に二家、つまりプロレタリア階級の一家とブルジョア階級の一家しかない。プロレタリア階級の世界観か、ブルジョア階級の世界観か、どちらかである。共産主義の世界観とはプロレタリア階級の世界観であって、ほかのどんな階級の世界観でもない。現在のわれわれの知識分子は、大多数がふるい社会を経てきた人で、勤労者の家庭の出身ではない。一部の人は、労働者、農民の家庭の出身であっても、解放前にブルジョア教育をうけているので、世界観は基本的にブルジョア階級のそれであり、かれらはやはりブルジョア階級の知識分子に属している。これらの人は、過去のものをそっくりすててプロレタリア階級の世界観ととりかえないかぎり、労働者、農民とは観点がちがい、立場がちがい、感情がちがって、労働者、農民とことごとにあいいれず、労働者、農民も、かれらに心をうちあけるようなことはしない。知識分子がもしも労農大衆と結びつき、かれらと友だちになれば、本から学んだマルクス主義を自分のものにすることができる。マルクス主義を学ぶには、本から学ぶだけではなく、主として階級闘争、活動の実践、労農大衆への接近をつうじてはじめて、ほんとうに学びとることができる。もしもわれわれの知識分子がマルクス主義の本をいくらか読み、さらに、労農大衆と接近するなかで、また自分の活動の実践のなかで、多少ともそれを理解できたならば、われわれみんなが共通のことばをもつようになり、愛国主義の面での共通のことば、社会主義制度の面での共通のことばをもつだけでなく、共産主義的世界観の面での共通のことばももつようになる。そうなれば、みんなの仕事はずっとうまくいくにちがいない。
第五点、整風について。整風とは思想作風と活動作風をととのえることである。共産党内の整風は、抗日の時期に一回おこない、そのあと、解放戦争の時期に一回おこない、中華人民共和国成立の直後にもう一回おこなった。現在、共産党中央は、ことし党内で整風をはじめるという決定をおこなった。党外の人の参加は自由で、参加したくない人はしなくてよい。こんどの弊風はおもに、いくつかのまちがった思想作風と活動作風、つまり、一つは主観主義、一つは官僚主義、もう一つはセクト主義を批判するのである。こんどの整風の方法は、抗日の時期の塵風とおなじように、まず、いくつかの文献を研究し、一人びとbが文献を学習したうえで、自分の思想と活動を点検し、批判と自己批判をすすめ、欠点と誤りの面をあばきだし、長所と正しい面をのばすというものである。整風にあたっては、一方では、厳粛に、しんけんにやるべきで、誤りと欠点にたいしては、お座なりでない、まじめな批判と自己批判をおこない、しかもかならずそれを是正しなければならない。他方ではまた、おだやかな方法をとるべきで、前の誤りを後のいましめとし、病をなおして人を救うようにしなければならず、「一撃のもとにたたきのめす」ようなやり方には反対しなければならない。
われわれの党は偉大な党、光栄ある党、正しい党である。これはぜひとも肯定すべきである。しかし、われわれにはまだ欠点があり、この事実も肯定しなければならない。われわれのすべてを肯定するのではなく、正しいところだけを肯定すべきである。同時にまた、われわれのすべてを否定するのではなく、まちがっているところだけを否定すべきである。われわれの活動では、成果がおもなものであるが、欠点と誤りもまた少なくない。したがって、われわれは整風をおこなわなければならないのである。われわれは、自分で自分の主観主義、官僚主義、セクト主義を批判するわけだが、そのためにわが党は威信をうしなうことになりはしないか。わたしはそうはなるないとおもう。それとは反対に、党の威信をたかめることになるだろう。抗日の時期の弊風がそれを立証している。それは党の威信をたかめ、同志たちの威信をたかめ、ふるい幹部の威信をたかめたし、あたらしい幹部も大きな進歩をみせた。共産党と国民党、この二つの党をくらべてみると、批判をおそれるのはどちらだろうか。批判をおそれるのは国民党である。国民党は批判を禁じたが、結局、失敗をまぬがれることはできなかった。共産党は批判をおそれない。なぜなら、われわれはマルクス主義者であって、真理はわれわれの側にあり、労働者、農民という基本大衆はわれわれの側にあるからである。われわれはかって、整風運動は「普遍的なマルクス主義の教育運動」〔1〕だといったことがある。整風というのは、全党が批判と自己批判をつうじてマルクス主義を学ぶことである。整風のなかで、われわれはマルクス主義をいっそう多く学びとることができるにちがいない。
中国の改革と建設はわれわれが指導しなければならない。もし、われわれが作風をりっぱにととのえたならば、われわれは仕事のなかでいっそう主動的となり、われわれの能力はいっそう高まり、仕事はいっそうりっぱにすすめられるようになるだろう。わが国は、心から人民に奉仕し、心から社会主義の事業につくし、改革をこころざす人をたくさん必要としている。われわれ共産党員はすべてそのような人でなければならない。かつて旧中国では、改革をとなえると、罪に問われ、首をはぬられ、獄につながれたものである。だが、そうしたときでも、改革をこころざす人びとがいて、かれらはなんらおそれることなく、いろいろ困難な条件のもとで、書籍や新聞を出版し、人民を教育し、人民を組織し、不撓不屈の闘争をおこなった。人民民主主義独裁の国家権力は、わが国の経済と文化に急速な発展の道をきりひらいた。われわれの国家権力がうちたてられてから、まだわずか数年しかたっていないが、人びとは、経済の分野でも、文化、教育、科学の分野でも、かつてない繁栄の局面があらわれているのを見ることができる。新中国を建設するという目的をはたすためには、われわれ共産党員はどんな困難もおそれはしない。しかし、われわれだけではまだ不十分である。そのほかに、われわれとともに社会主義と共産主義の方向にそって、われわれの社会を改革し建設するため、なにものもおそれることなくたたかうことのできる党外の志士仁人を数多く必要とする。数億という中国人の生活をよくし、経済的にも文化的にも立ちおくれたわれわれの国を、ゆたかで、強大で、高い文化をもった国にきすきあげること、これはなみなみならぬ任務である。われわれが整風をおこなうのは、つまり、現在も整風をおこない、将来も整風をおこない、われわれの身についている誤ったものをたえずはらいおとさなければならないのは、われわれがよりよくこの任務をにない、改革をこころざす党外のすべての志士仁人とともによりよく仕事をすることができるようにするためである。徹底した唯物論者はなにものもおそれない。われわれは、われわれとともに奮闘するすべての人が、困難を克服し、挫折をおそれず、他人のとりざたや嘲笑をおそれず、また、われわれ共産党員にたいして批判や提案をすることもおそれずに、勇敢に責任をになうよう希望する。「身を八つざきにされようとも、敢然と皇帝を馬からひきずりおろす」、われわれは、社会主義、共産主義のためにたたかうさい、こうしたなにものもおそれない精神をもたなければならない。われわれ共産党員の側では、これらの協力者のために有利な条件をつくってやり、かれらとのあいだにともに仕事をしていく同志的な、よい関係をうちたて、かれらと団結してともに奮闘するようにしなければならない。
第六点、一面性の問題。一面性とは思想上の絶対化であり、形而上学的に問題をみることである。われわれの活動にたいする見方において、すべてを肯定すること、またはすべてを否定することは、どちらも一面性である。このように問題をみる人は、いま共産党内にも少なくないし、党外にもたくさんいる。すべてを肯定するというのは、つまり、よい面が見えるだけで、わるい面は見えず、称賛ならよいが、批判は許さないということである。われわれの仕事がなにもかもよくやられているかのようにいうのは、事実にあわない。なにもかもよいのではなくて、まだ欠点と誤りがある。しかし、なにもかもだめだというのでもない、これまた事実にあわない。分析をくわえる必要がある。すべてを否定するのは、物事がなにもかもよくやられておらず、社会主義建設というこの偉大な事業、数億の人がすすめているこの偉大な闘争がまるでなんの取りえもなく、めちゃくちゃだと、分析ぬきで考えることである。こうした見方をしている人の多くは、社会主義制度に敵意をもっている人とはちがうが、こうした見方はひじょうにまちがっており、ひじょうに有害であって、人びとに確信をうしなわせるだけである。われわれの活動を、すべてを肯定する観点からみるのも、すべてを否定する観点からみるのも、みなまちがっている。問題を一面的にみるこれらの人にたいしては、批判をくわえるべきである。もちろん、前の誤りを後のいましめとし、病をなおして人を救うという態度で批判し、かれらを援助しなければならない。
ある人は、整風をおこない、みんなに意見を出してもらう以上、どうしても一面性がうまれるのだから、一面性を克服することを求めるのは、人の口をふさぐようなものだといっている。こうした言い方は正しいだろうか。すべての人にすこしも一面性をもたないことを要求するのは、むりなことである。人びとは、いつも自分の経験にもとづいて問題を観察し、問題を処理し、意見を発表するのであるから、ときには多少一面性をもっというのも避けられないことである。しかし、人びとに、一面性を一歩一歩克服していくよう要求し、問題をわりあい全面的にみるよう要求してはいけないだろうか。わたしはそう要求するのが当然だとおもう。もしもそうせず、問題をわりあい全面的にみるという方法をとる人が日一日、年一年と多くなるよう要求しなかったならば、われわれは停滞してしまい、一面性を是認することになり、整風の要求と相反することになる。いわゆる一面性とは、弁証法にそむくことである。われわれは、弁証法を一歩一歩普及させていくよう要求し、みんなが弁証法というこの科学的な方法の運用を一歩一歩学びとるよう要求する。いま、われわれの一部の文章は、もったいぶってはいるが、中身がなく、問題の分析ができておらず、道理をしめすことができず、説得力がない。このような文章はだんだんと減らしていくべきである。自分が文章を書くときには、いつも、「おれはなんてえらいんだろう」などと考えてはならず、読者とまったく平等の立場にあるという態度をとらなければならない。早くから革命に参加した人でも、まちがったことをいったら、人びとはやはり反駁する。えらそうに構えれば構えるほど、人びとはますます相手にしなくなり、その文章を読みたがらなくなる。われわれは、誠実にことにあたり、物事に分析をくわえ、説得力のある文章を書くべきであって、虚勢を張って、人をおどしつけてはならない。
ある人は、長編の大論文なら一面性を避けることもできるが、短い雑文だと一面性は避けられないといっている。雑文はかならず一面性をもつものだろうか。さきにのべたように、一面性はとかく避けられないものであるし、また、多少一面性があったとしてもたいしたことはない。問題をみるばあい、きわめて全面的でなければならないとすべての人に要求するのは、批判の展開をさまたげることになる。しかし、われわれはやはり、問題をわりあい全面的にみるよう努力し、長文であれ、短文であれ、雑文もふくめて、一面性をもたないものにするよう努力することを要望する。ある人は、数百字ないし一、二千字の雑文でどうして分析ができるだろうかというが、わたしは、どうしてできないのか、魯迅はそれができたではないか、といいたい。分析の方法は、つまり弁証法的方法である。いわゆる分析とは、事物の矛盾を分析することである。生活をよく知らず、論じようとする矛盾についてほんとうにわかっていなければ、当を得た分析などはありえない。魯迅の後期の雑文がきわめて意味が深く、力があって、一面性をもたないのは、そのころ、かれが弁証法を身につけていたからである。レーニンの文章にも一部、雑文といえるものがあって、風刺もきいており、筆鋒もするどいが、そこには一面性はない。魯迅の雑文は、ほとんど全部、敵にむけるれたものであり、レーニンの雑文には、敵にむけるれたものもあれば、同志にたいするものもある。人民内部の誤りや欠点にたいして、魯迅式の雑文を書いてもよいだろうか。わたしはそうしてもよいとおもう。もちろん敵味方をはっきり区別すべきであって、敵対的な立場に立ち、敵にたいする態度で同志にたいしてはならない。あふれるような熱情をもって、人民の事業をまもり人民の自覚をたかめるという態度でものをいうべきであり、嘲笑的、攻撃的な態度でものをいってはならない。
文章を書く勇気がなかったら、どうすればよいだろうか。ある人は、書きたいことがあっても、思いきって書けない、書いたらうらみを買いはしないか、批判されはしないか、それが気になるといっている。そうした心配はいらないとおもう。われわれの国家権力は人民民主主義の権力であり、これは人民のためにものを書くのに有利な環境である。百花斉放、百家争鳴の方針は、科学と芸術の発展にあらたな保障をあたえている。もし書いたものが正しければ、批判などおそれる必要はなく、論議をつうじて、自分の正しい意見をざらにすすんであきらかにすることができる。もし書いたものがまちがっているなら、批判のおかげで、誤りをただせるのだから、それはべつに悪いことではない。われわれの社会では、革命的で戦闘的な批判と反批判は、矛盾を暴露し、矛盾を解決し、科学、芸術を発展させ、各種の活動をりっぱにやっていくためのよい方法である。
第七点、「放」か「収」かの問題。これは方針の問題である。百花斉放、百家争鳴、これは一時的な方針ではなく、基本的な、同時にまた長期的な方針である。同志諸君は、討論のなかで、「収」に賛成しなかったが、わたしはこの意見は正しいとおもう。党中央は、「放」でなければならず、「収」はいけないという意見である。
われわれの国家を指導するばあい、二つのちがった方法、いいかえれば二つのちがった方針をとることができる。それはつまり「放」と「収」である。「放」とは、人びとが大胆にものをいい、大胆に批判し、大胆に論争するように、思いきってみんなに意見をのべさせること、まちがった議論をおそれず、毒素をふくんだものをおそれないこと、さまざまな意見のあいだの論争や相互批判を活発にし、批判の自由も認めるし、批判者を批判する自由も認めること、まちがった意見にたいしては、圧服するのではなく、説得し、道理を説いて服させることである。「収」とは、人びとが異なった意見を出すのをゆるさず、まちがった意見を発表するのをゆるさず、それを発表したら、「一撃のもとにたたきのめす」ことである。これは矛盾を解決する方法ではなく、矛盾を拡大する方法である。二つの方針、つまり「放」か、それとも「収」か、どうしてもそのうちの一つをとらなければならない。われわれは「放」の方針をとる。なぜなら、これがわれわれの国家の強化と文化の発展に有利な方針だからである。
われわれは、数百万の知識分子をわれわれの側に結集し、かれらの現在のすがたを変えるのに、この「放」の方針をとるつもりである。わたしがさきにのべたように、わが国の圧倒的多数の知識分子は、進歩をねがい、改造をねがっており、また改造できるのである。これについては、われわれのとっている方針はひじょうに大きな役割をもっている。知識分子の問題は、なによりもまず思想問題であって、思想問題にたいして、あらっぽいやり方やおさえつけるやり方をとるのは有害無益である。知識分子の改造、とくにかれらの世界観を変えるには、長期の過程が必要である。われわれの同志は、思想改造の仕事が長期にわたる、根気のいる、きめのこまかな仕事であって、人びとの数十年にわたる生活のなかで形成されてきた思想を何回かの講義や何回かの会議で変えようなどと考えてはならないということを、ぜひとも知っておかなければならない。人を服させるには、説得するよりほかはなく、圧服してはならない。圧服すれば、結局は圧すれど服さずということになるのが常である。力ずくで人を服させようとしてもだめである。敵にたいしてはそうしてもかまわないが、同志にたいし、友人にたいしては、ぜったいにこういう方法をとってはならない。説得するのが不得手ならどうしたらよいか。それには学習が必要である。われわれはかならず、論議をするという方法、道理を説くという方法をつうじて、さまざまなまちがった思想を克服することを学びとらなければならない。
百花斉放は芸術を発展させる方法であり、百家争鳴は科学を発展させる方法である。百花斉放、百家争鳴というこの方針は、科学と芸術を発展させるよい方法であるばかりでなく、ひいては、すべての仕事をすすめるうえでのよい方法でもある。この方法をとれば、われわれは誤りを少なくすることができる。多くの事がらは、われわれがわからないために、それを解決することができなくても、論議していくうち、闘争していくうちに、それらの事がらがわかるようになり、問題を解決する方法がわかってくる。いろいろの異なった意見をたたかわせることによって、真理を発展させることができるのである。毒素をふくんだ反マルクス主義的なものにたいしても、この方法をとることができる。なぜなら、こうした反マルクス主義的なものとの闘争によって、マルクス主義を発展させることができるからである。これは対立面の闘争をつうじての発展であり、弁証法にかなった発展である。
人びとは、これまでずっと真、善、美を口にしてきたではないか。真、善、美の反面は偽、悪、醜である。偽、悪、醜がなければ、真、善、美はない。真理は誤謬と対立するものである。人類社会と自然界においては、統一体はかならず異なった部分にわかれるもので、ただ、異なった具体的な条件のもとでは、その内容が異なり、形式が異なるにすぎない。どんなときでも、かならずまちがったものが存在し、かならず醜悪な現象が存在する。どんなときでも、良と否、善と悪、美と醜というような対立はかならず存在する。香り高い花と毒草もそうである。それらのあいだの関係はすべて対立面の統一であり、対立面の闘争である。比較してこそ識別することができる。識別し、闘争してこそ、発展することができる。真理は誤謬との闘争をつうじて発展するものである。マルクス主義はつまりこのようにして発展してきたのである。マルクス主義はブルジョア思想、小ブルジョア思想との闘争をつうじて発展するものであり、しかも闘争をつうじてはじめて発展できるのである。
われわれは「放」の方針を主張しているが、いまは「放」が度を越しているのではなく、まだ「放」が足りないのである。「放」をおそれてはならず、批判をおそれてはならず、また毒草をおそれてはならない。マルクス主義は科学的真理であって、批判をおそれないし、批判によってくつがえされるものではない。共産党、人民政府もそうであって、やはり批判をおそれないし、批判によって倒されもしない。まちがったものはかならず存在するのであって、それはべつにおそろしいものではない。最近の一時期、いくらかの妖怪変化ものが上演された。一部の同志はこうした状況を見て、ひどく気をもんでいる。わたしに言わせれば、すこしぐらいあってもかまわない、数十年たったら、いま舞台にのぼっているこうした妖怪変化は消えてなくなり、見たいとおもっても見られなくなる。われわれは正しいものを提唱し、まちがったものに反対しなければならないが、人びとがまちがったものに触れるのをおそれてはならない。行政命令の方法だけにたよって、人びとがまともでない現象に触れるのを禁止し、醜悪な現象に触れるのを禁止し、まちがった思想に触れるのを禁止し、妖怪変化を見るのを禁止するというのでは、問題を解決することはできない。もちろん、わたしは妖怪変化をふやすことを提唱しているのではなく、「すこしぐらいあってもかまわない」といっているのである。まちがったものがいくらかあるということは、なにも不思議なことではなく、またおそれるにおよばないことであって、それによって人びとが、これらのものとどうたたかうかをいっそうよく学びとることができるのである。荒れくるう波風もおそろしいことはない。人類社会というものは、荒れくろう波風のなかで発展してきたのである。
わが国では、ブルジョア階級と小ブルジョア階級の思想、反マルクス主義の思想は、なお長期にわたって存在する。社会主義制度は、わが国ではすでに基本的にうちたてられている。われわれは、生産手段所有制の改造の面では、すでに基本的な勝利をおさめたが、しかし、政治戦線と思想戦線の面では、まだ完全には勝利をおさめていない。イデオロギーの面でプロレタリア階級とブルジョア階級のどちらが勝ち、どちらが負けるかという問題は、まだほんとうに解決されてはいない。われわれは、ブルジョア階級、小ブルジョア階級の思想にたいして、なお長期にわたる闘争をすすめなければならない。こうした状況を理解しないで、思想闘争を放棄するなら、それは誤りである。およそ誤った思想であり、毒草であり、妖怪変化であるかぎりは、すべて批判すべきであり、それらが思うままにはびこるのをぜったいに許してはならない。しかし、こうした批判は、十分に道理を説き、分析をくわえ、説得力をもったものでなければならず、粗暴な、官僚主義的なもの、あるいは形而上学的な、教条主義的なものであってはならない。
これまで長いあいだ、人びとは教条主義にたいして、多くの批判をおこなってきた。これは当然やるべきことである。しかし、人びとはとかく修正主義にたいする批判をおろそかにする。教条主義と修正主義はどちらもマルクス主義にそむくものである。マルクス主義はかならず発展する。それは実践の発展にともなって発展するものであり、じっととどまっていることはない。とまってしまい、いつも同じ型にはまっているのでは、生命をうしなってしまう。しかし、マルクス主義の基本原則はまたそむいてはならないものであって、それにそむけば、誤りを犯すことになる。マルクス主義に形而上学的な観点で対処し、これを硬直したものとみること、それは教条主義である。マルクス主義の基本原則を否定し、マルクス主義の普遍的真理を否定すること、それは修正主義である。修正主義は一種のブルジョア思想である。修正主義者は社会主義と資本主義との区別を抹殺し、プロレタリア階級独裁とブルジョア階級独裁との区別を抹殺する。かれらが主張するのは、実際には、社会主義の路線ではなくて資本主義の路線である。現在の状況のもとでは、修正主義は教条主義よりいっそう有害なものである。いま、思想戦線におけるわれわれの重要な任務は、修正主義にたいする批判をくりひろげることである。
最後の点、つまり第八点は、それぞれの省、市、自治区の党委員会が思想問題に取りくむこと。このことは、在席の一部同志の希望にこたえて話すのである。いまでも、多くの地方の党委員会は思想問題に取りくんでいないか、あるいはわずかしか取りくんでいない。これは主として忙しいからである。しかし、ぜひとも取りくまなければならない。「取りくむ」というのは、この問題を議事日程にのぼせることであり、研究することである。わが国の革命の時期における大規模な、あらしのような大衆的階級闘争はすでに基本的に終わっているが、しかし、階級闘争、主として政治戦線と思想戦線における階級闘争は、なお存在しており、しかもまだひじょうに先鋭である。思想問題は、いまひじょうに重要な問題になっている。各地方の党委員会の第一書記はみずからのりだして思想問題に取りくむべきであり、この問題を重視し、研究しなければ、この問題を正しく解決することはできない。各地方がこんどの宣伝会議のような会議をひらいて、その地方の思想工作および思想工作と関連のある各方面の問題を討議すべきである。こうした会議には、党内の同志が参加するばかりでなく、党外の人も参加し、異なった意見をもつ人も参加する必要がある。われわれのこんどの会議の経験は、こうすることが会議をすすめるのに、役には立っても、害にはならないということを立証している。
〔1〕 本選集第三巻の『軍隊の生産自給、あわせて整風、年産の二大運動の重要性について』にみられる。
(一九五七年三月)
本文の一は、一九五七年三月十八日、毛沢東同志が済南での党員幹部会議でおこなった講話の一部分であり、二は、一九五七年三月十九日、毛沢東同志が南京での党員幹部会議でおこなった講話の一部分である。
わが党はいま、整風運動をくりひろげようとしている。整風は、批判と自己批判によって党内の矛盾を解決する一つの方法であり、党と人民とのあいだの矛盾を解決する一つの方法でもある。今回の整風では、官僚主義、セクト主義、主観主義という三つの作風を整頓する。整風をつうじて、わが党の刻苦奮闘の伝統を十分に発揚しなければならない。革命が勝利したので、一部の同志は、革命的意志がいくらか衰え、革命的情熱がいくらか冷め、誠心誠意人民に奉仕する精神が乏しくなり、以前敵と戦っていたころのあの命がけの精神が乏しくなっている。そして、地位、名誉をきそい、衣食にやかましく、給料の多寡を比べあい、名利を争う、といったことが多くなっている。聞くところによると、昨年、等級を評定したさいには、声をあげて泣くほど、なりふりかまわず騒ぎたてた者がいたそうだ。人間には二つの目がある。二つの目には水があって、それを涙という。評定された等級が自分の思いどおりでないと、両方の目からぽろぽろと涙を流す。蒋介石と戦ったとき、抗米援朝戦争のとき、土地改革のとき、反革命鎮圧のときには、一滴の涙も流さなかったし、社会主義をやるときにも一滴の涙も流さないのに、いったん、個人の利益にかかわってくると、両方の目からぽろぽろと涙を流している。また、三日間飯を食わなかったこともあった、と聞いている。わたしに言わせれば、三日間飯を食わなくてもたいしたことにはなるまいが、一週間も飯を食わないとなると、いささか危険である。要するに、名誉、地位を争い、給料を比べあい、衣食を比べあい、生活条件を比べあうという考え方が頭をもたげてきている。個人の利益のために絶食し、涙を流すのも一種の人民内部の矛盾に数えられよう。『林冲、深夜に出奔す』〔1〕という芝居があるが、そのせりふに、「男子、軽がるしく涙を落とさず、心の痛む処に到らざる故に」というのがある。現在、われわれの一部の同志も、やはり男子なので(女子もいるかもしれないが)、かれらは、男子、軽がるしく涙を落とさず、等級を評定するときに到らざる故に、ということになる。このような作風もやはり整頓すべきだろう。軽がるしく涙を落とさぬ、というのは正しい。心の痛む処とはなにか。それは労働者階級、広範な勤労人民の危急存亡のときであり、そのときには数滴の涙を落としてもかまわない。ところが、等級などは、たとえ評定がまちがっていたとしても、それを呑みこむべきであり、涙は外に流さずに、内に流すべきである。世の中には不公平なことが多い。等級が正しく評定されないばあいもあろうが、大局にひびきはしないので、騒ぐこともない。飯さえ食うことができればそれでよろしい。革命党たるもの、餓死せざればよし、を原則とする。餓死さえしなければ、革命の仕事をやり、奮闘すべきである。一万年のちにも、奮闘すべきである。共産党は、奮闘しなければならず、誠心誠意人民に奉仕しなければならず、半分の誠心、半分の誠意、あるいは三分の二の誠心、三分の二の誠意で人民に奉仕するようであってはならない。革命的意志の衰えた人は、整風をつうじて、ふたたびそれをふるいおこさなければならない。
われわれは、過去の革命戦争の時期のあの意気ごみ、あの革命的情熱、あの命がけの精神を保持して、革命の仕事をあくまでやりぬかなければならない。命がけとはどういうことか。『水滸伝』のなかに「命がけの三郎石秀」とよばれる人がいるが、つまりその「命がけ」なのである。以前われわれが革命をやったときには、そういう命がけの精神があった。人にはみな命というものがあるが、その寿命は六十歳、七十歳あるいは八十歳、九十歳とそれぞれちがう。だが、まだ仕事ができるかぎり、多少なりとも仕事をすべきである。そして、仕事をするときには、革命的情熱がなくてはならず、命がけの精神がなくてはならない。一部の同志は、こうした情熱に乏しく、こうした精神に乏しく、停滞してしまっている。このような現象はよくないことで、これらの同志にたいしては教育をおこなうべきである。
全党において政治思想工作を強化しなければならない。きょうは、軍隊の同志が会議にかなり出席している。軍隊内はどうだろうか。平時の政治工作と戦時の政治工作とでは、多少の違いがあるのではなかろうか。戦時には、緊密に大衆と結びつき、将校と兵士は一つにとげあい、軍隊と人民は一つにとけあう。このようなときには、われわれにいくらかの欠点があっても、人民は了承してくれる。いまは平時であり、訓練をするだけで、戦争はやっていない。もしも緊密に大衆と結びつくことを堅持しないと、人民がわれわれの欠点を大目にみてくれなくなるのは、無理からぬことである。いま軍隊の階級制度〔1〕とその他の制度が実施されているが、やはり、上級と下級は一つにとげあい、幹部と兵士は一つにとけあわなければならず、やはり上級にたいする下級の批判、幹部にたいする兵士の批判を許さなければならない。たとえば、党代表大会をひらいて、批判をおこなう機会をかれらにあたえなければならない。陳毅同志は、「三反」運動のときによいことを言った。かれは、われわれは何年間も号令をかけ、指示を発してきた、こんどは下級に一週間ほどわれわれを批判させたらどうだろうか、というのだ。かれの言わんとするところは、批判させてしかるべきだ、ということだ。わたしは、下級に一週間ほどわれわれを批判させる、ということに賛成である。批判をさせるまえに、まず自分にどんな欠点があるかを考え、それをみなに報告する。どのみち一、二、三、四といった数ヵ条だろう。そのあとで、同志たちに発言させ、若干の補足と批判をおこなわせる。大衆は公正であり、われわれの経歴を無視するようなことはないだろう。中隊長、小隊長も兵士たちに批判の機会をあたえ、できれば、一年に一回、数日間このような批判会をひらくようにすべきである。われわれは、かつて軍隊内でこのような民主を実行し、有益だった。軍隊で階級制度やその他の制度を実施したからといって、上級と下級、将校と兵士、軍隊と人民、軍隊と地方の緊密な関係をそこねるようなことがあってはならない。言うまでもなく、上級と下級の関係は緊密でなければならず、同志的な関係でなければならない。幹部と兵士の関係は緊密でなければならず、一つにとげあわなければならない。軍隊と人民、軍隊と地方の党・政府機関の関係も緊密なものでなければならない。
われわれの同志は、官職にたより、地位の高さにたより、年功にたよって飯を食うことがないように注意すべきである。年功を積み、革命を長年やってきたことからいえば、この年功はたよりにはなる。だが同時に、われわれはそれにたよっていてはならない。きみは何十年も功を積んできた。それはほんとうだ。しかし、きみがいったん愚かしいことをやり、でたらめなことをしゃべれば、人民はやはり了承してくれはしないだろう。たとえ過去にどれだけよい事をやり、地位がどれほど高かろうと、きょうの事がらをりっぱにやらず、正しく解決せず、人民に損失をあたえるならば、人民はこの点を大目にみてはくれないだろう。だから、われわれの同志は、年功にたよって飯を食うのではなく、問題の正しい解決にたよって飯を食うようにすべきである。正しさにたよるのであって、年功にたよるのではない。年功にたよっても飯は食えない以上、いっそのことそれにたよらないことにする。それは、なんの官職にもついていないのと同じで、旦那風を吹かさず、役人風を吹かさず、かみしもを脱ぎすてて、人民と顔をあわせ、下級と顔をあわせることである。この一ヵ条に、われわれの幹部、とりわけ古参の幹部は注意しなければならない。一般的にいって、新しい幹部にはこのような重荷がないので、わりあいに自由である。古参の幹部は新しい幹部と平等の立場に立たなければならない。古参の幹部は、多くの点で、新しい幹部に及ばないところがあり、かれらに学ばなければならないのである。
〔1〕 『林冲、深夜に出奔す』は、明代の人が書いた昆曲『宝剣記』のなかの一幕である。
〔2〕 軍隊の階級制度は、一九五五年九月に実施され、一九六五年五月に廃止された。
(一九五七年五月十五日)
これは、毛沢東同志が書いた文章で、かつて党内の幹部に配布されたことがある。
対立面の統一と闘争は、社会生活のなかに普遍的に存在する。闘争の結果、それぞれその反面に転化し、新しい統一がうちたてるれると、社会生活は一歩前進する。
共産党の整風とは、一つの統一体のなかの二つの作風がたがいに闘争することである。共産党のなかでもそうであるし、人民ぜんたいのなかでもそうである。
共産党のなかには、さまざまな人がいる。マルクス主義者がいる、これは大多数である。かれらにも欠点はあるが、ひどくはない。それから、教条主義の誤った思想をもつ者が一部いる。これらの人はほとんどが誠心誠意、党と国家につくしているが、ただ、ものの見方に「左」の一面性がある。このような一面性を克服すれば、大きく一歩前進するであろう。このほかに、修正主義あるいは右翼日和見主義の誤った思想をもつ者も一部いる。これらの人はわりあい危険である。なぜなら、かれらの思想はブルジョア思想が党内に反映したもので、かれらはブルジョア自由主義にあこがれ、すべてを否定し、党外のブルジョア知識分子と無数の糸でつながっているからである。ここ数ヵ月らい、人びとは教条主義を批判してきたが、修正主義を見のがしている。教条主義は批判されるべきであり、教条主義を批判しなければ、多くの誤った事がらをただすことはできない。しかし、これからは修正主義への批判に意をそそぐべきである。教条主義がその反面に転化すれば、マルクス主義になるか、修正主義になるか、である。わが党の経験からいうと、前者のほうが多く、後者はごく少数にすぎない。なぜなら、かれらはプロレタリア階級のなかの、小ブルジョア階級の熱狂的な観点にそまった思想面での一派だからである。「教条主義」だとして攻撃されているものの一部は、実際には、仕事の面でのいくらかの誤りにすぎない。また、「教条主義」だとして攻撃されているものの一部は、実際にはマルクス主義であるのに、一部の人から「教条主義」とまちがえられて攻撃されているのだ。真の教条主義者は、右よりも「左」のほうがましだと考えているが、それにはそれなりの理由がある。なぜなら、かれらは革命をやろうとしているからである。しかし、革命事業にあたえる損失からみれば、「左」は右よりもましだということはない、したがって、断固ただすべきである。一部の誤りは、中央の方針を実行したために犯したもので、あまり下級の者を責めるべきではない。わが党にはおおぜいの知識分子出身の新党員がおり(青年団員にはいっそう多い)、そのうちの一部はたしかにかなりゆゆしい修正主義の思想をもっている。かれらは、新聞の党派性と階級性を否定し、プロレタリア階級の報道事業とブルジョア階級の報道事業との原則的な区別を抹殺し、社会主義国の集団経済を反映する報道事業と、資本主義国の無政府状態の経済、独占体間の競争の経済を反映する報道事業とを混同している。かれらは、ブルジョア自由主義をもてはやし、党の指導に反対している。かれらは、民主に賛成し、集中に反対している。かれらは、計画経済を実現するうえで不可欠の、そして文化・教育事業(報道事業をふくむ)にとって必要ではあるが、集中しすぎてはいない指導、計画、統制をおこなうことに反対している。かれらは、党外の右翼知識分子と呼応しあい、兄弟のように一体となっている。教条主義を批判する者のなかには、さまざまな人がいる。共産党員――マルクス主義者がいる。括弧づきの「共産党員」、つまり共産党の右派――修正主義者がいる。党外の左派、中間派、右派がいる。中間派はおおぜいいて、党外の知識分子ぜんたいのほぼ七〇パーセントを占めるのにたいし、左派はほぼ二○パーセントを占め、右派はほぼ一パーセント、三パーセント、五パーセント、さらには一〇パーセントというように、状況によって異なる。
最近、民主政党と大学のなかでは、右派の態度がもっとも断固としており、もっとも気ちがいじみている。かれらは、中間派が自分の味方で、共産党についていくはずはないと思いこんでいるが、その実、これはただの夢にすぎない。中間派のうちの一部の人はぐらついていて、左にも右にもかたむくもので、右派が気ちがいじみた鬨の声をあげている現状では、口をひらこうとせず、しばらく様子を見ようとしている。いま、右派の攻撃はまだ極点に達しておらず、この連中は有頂天になっているところだ。党内の右派も党外の右派も、物きわまれば反転す、という弁証法がわかっていない。われわれは、極点に達するまで、なおしばらくかれらをたけり狂わせておく必要がある。かれらが気ちがいじみてくれぱくるほど、われわれにとってますます有利である。人びとは、「魚のように釣られるのがこわい」とか、「深く誘いこまれて集中殲滅されるのがこわい」とか、いっている。いま、たくさんの魚が自分のほうから水面に浮かびあがってきており、なにも釣る必要がない。このような筋は普通の魚ではなく、おおかたフカであろう、鋭い歯をもっていて、このんで人を食う。人びとが食べる魚のひれは、つまりこの種の魚の浮遊器官にほかならない。われわれと右派との闘争は中間派の争奪に集中しており、中間派はこちらの側に獲得することができる。人民民主主義独裁を支持する、人民政府を支持する、社会主義を支持する、共産党の指導を支持するなどということばは、右派の口から出たばあい、いずれもうそであり、ぜったいに信じてはならない。民主政党内の右派、教育界の右派、文学・芸術界の右派、報道界の右派、科学・技術界の右派、工商業界の右派のいずれをとわず、みなそうである。もっとも断固とした態度をとっているのは、左派と右派の二派である。かれらはたがいに中間派を奪いあい、中間派にたいする指導権を奪いあっている。右派のねらいは、さきに局部を奪いとり、そのあとで全体を奪いとることにある。つまり、報道界、教育界、文学・芸術界、科学・技術界の指導権をさきに奪いとろうとしている。かれらは、これらの分野で共産党がかれらにおよばないことを知っており、実状もまさにそのとおりである。かれらは「国宝」であり、機嫌をそこねてはならないものである。これまでの「三反」、反革命粛清、思想改造などは、もってのほかだ! 身のほど知らずのことをよくもやったものだ! かれらはまた、多くの大学生が地主、富農、ブルジョア階級の子女であることを知っており、これらの者は右派のよびかけにこたえて立ちあがってくれる大衆であると考えている。右よりの思想をもつ一部の学生には、その可能性があろう。だが、大多数の学生をそのように考えるのは、ただの夢にすぎない。なお、報道界の右派には、労農大衆にむかって政府に反対せよとよびかけている動きが見られる。
人びとはレッテルをはることに反対しているが、それはただ共産党がかれらにレッテルをはることにだけ反対しているのである。かれらが共産党にレッテルをはりつけたり、民主政党の左派や中間派、社会各界の左派や中間派にレッテルをはりつけたりするのは、かまわないのである。ここ数ヵ月らい、新聞紙上には右派の手でなんと多くのレッテルがばらまかれたことであろう! 中間派がレッテルのはりつけに反対しているのは、本心である。われわれがこれまでに中間派にはりつけた適切でないレッテルは、全部はぎとらなければならないし、今後もむやみにはりつけてはならない。「三反」、反革命粛清、思想改造などの運動でほんとうにまちがった一部のことは、それがどんな人にたいするものであっても、すべて公開の場でたださなければならない。ただ、右派にたいしてレッテルをはりつけることだけは別問題である。だが、これも的確にはりつけるべきであり、まちがいなく右派である者にだけ右派のレッテルをはるのである。ごく少数の例外をのぞいては、具体的な名指しをせず、適当な条件のもとで妥協しやすいように、かれらに思いなおす余地をのこしておく。一パーセント、三パーセント、五パーセント、さらには一〇パーセントの右派というのは一種の見つもりであり、これより多いかもしれないし、少ないかもしれない。ましてや、各部門で状況はまちまちであるから、たしかな証拠にもとづき、実際に即して事をはこぶようにしなければならない。行きすぎがあってはならず、行きすぎは誤りである。
ブルジョア階級と、かつて旧社会に奉仕した知識分子の多くは、どうしても、執拗に自分自身を表現しようとするものであり、自分の旧い世界に未練をもつものであり、新しい世界とはなんとなくしっくりしないものである。かれらを改造するには、長い時間がかかるし、あらっぽい方法をとってはならない。だが、かれらの大多数は解放当初にくらべて大きく進歩した、と見るべきである。かれらがわれわれにたいしておこなった批判は、大部分が正しいもので、受けいれなければならない。正しくないのは一部にすぎず、これについては説明すべきである。かれらは信頼されることをもとめ、職務にふさわしい権限を求めているが、これはもっともなことである。したがって、かれらを信頼し、権限をあたえなければならない。右派の批判にもすこしは正しいところがあり、十把ひとからげに抹殺してはならない。正しいものであれば、すべて受けいれるべきである。右派の特徴は、その政治的態度が右だということにある。かれらはわれわれと形式的には協力するが、実際には協力しない。一部の事がらについては協力するが、他の一部の事がらについては協力しない。ふだんは協力するが、たとえば現在のように、いったんつけ込むすきが見つかると、実際には協力しようとしなくなる。かれらは、共産党の指導を受けいれたいという誓約にそむき、この指導からぬけ出そうとしている。しかし、この指導がないかぎり、社会主義をきずきあげることはできず、われわれの民族はこの上なくひどい災難にみまわれるにちがいない。
全国にはブルジョア分子と、かつて旧社会に奉仕した知識分子が何百万といるが、われわれは、これらの人に仕事をしてもらう必要があり、かれらとの関係をいちだんと改善しなければならない。そうすることによって、かれらをいっそう効果的に社会主義事業に奉仕させ、かれらをいちだんと改造して、しだいに労働者階級化させ、現状の反面に転化させるのである。大多数の人についてはかならずこの目的が達せられる。改造とは、団結もすれば闘争もし、闘争の手段で団結の目的を達することである。闘争とは互いに闘うことであり、いまは多くの人がわれわれにたいして闘争をするときである。北京大学の傳鷹教授のような、新聞紙上に発表されていない鋭い批判もふくめて、多数の人の批判は道理にかなっているか、あるいは基本的に道理にかなっている。この人たちの批判の目的は、相互関係の改善を望むところにあり、したがって、その批判は善意のものである。ところが、右派の批判はとかく悪意のものが多く、かれらは敵対的な感情をいだいている。善意なのか、悪意なのか、これは当て推量ではなく、見てとれるものである。
こんどの批判運動と整風運動は、共産党がおこしたものである。毒草と香り高い花がともに生え、妖怪変化と鳳凰飛竜がともに現われている。これは、われわれの予期したところであり、われわれの望むところでもある。結局のところ、よい者は多数で、わるい者は少数である。人びとは大きな魚を釣るといい、われわれは毒草を刈るという。事はおなじだが、言い方がちがっている。反共的な感情をもつ右派分子はそのたくらみを遂げるため、なにがなんでも、中国というこの土地に、農作物をあらし、家屋を吹きたおす七級以上の台風をまきおこそうとしている。かれらが道理にあわないことをやればやるほど、これまで協力をよそおい、共産党の指導を受けいれるふりをしてきたかれらは、それだけはやくその反面におしやられ、じつは反共、反人民のひとにぎりの妖怪変化にすぎなかったことを人民にわからせることになる。そのとき、かれらはみずからを葬りさることであろう。これがどうしてよくないのであろうか。
右派のまえには二つの道がある。一つは、すっかりしっぽをまいて、邪道から正道に立ちかえる道である。もう一つは、ひきつづきでたらめなことをやって、みずから滅亡する道である。右派の先生がたよ、どちらの道をえらぶか、その主導権は(短期間だけ)きみたちの手ににぎられている。
わが国では、ブルジョア階級とブルジョア知識分子の政治面での真偽善悪を見わけるのに、いくつかの基準がある。主としては、ほんとうに社会主義を求めているのかどうか、ほんとうに共産党の指導を受けいれているのかどうかを見るのである。かれらはずっと前にこのニヵ条を認めたが、いま、一部の者がそれをくつがえそうとしている。それは許されない。かれらがこの二ヵ条をくつがえすかぎり、中華人民共和国にはかれらの身を置く場所はない。きみたちの求めているのは西側世界(自由諸国ともいう)の理想だから、きみたちにはやはりあちらへ行ってもらおう。
毒気のみなぎった、反動的な、大量の言論を、なぜ新聞に載せることを許したのか。それは、これらの毒草や毒気を人民によく見わけさせて、それを刈りとりやすく、一掃しやすいようにするためである。
「きみたちはなぜはやくこのことを話してくれなかったのか。」なぜはやく話さなかったのかというが、われわれは、すべての毒草は刈りとらなければならないと、とっくに言っておいたではないか。
「きみたちは人びとを左派、中間派、右派にわけているが、これは実情にあわないのではないか。」砂漠は別として、およそ人間のいるところなら、どこにでも左派、中間派、右派がいる。一万年たっても、やはりそうであろう。どうして、実状にあわないなどといえようか。このようにわければ、大衆は人をみる基準をもつようになり、中間派を獲得し、右派を孤立させるのに都合がよい。
「どうして右派を獲得しないのか。」獲得しようとはしている。だが、その可能性があるのは、かれらが孤立を感じているときだけである。いま、かれらは鼻高だかとそりかえっており、共産党をつぶそうとしているのに、どうしておとなしく聞きいれるだろうか。孤立すれば、分化がおこる。われわれは右派を分化させなければならない。われわれは以前から人びとを左派、中間派、右派にわけており、あるいは進歩派、中間派、落後派とよんでいる。それはいまにはじまったことではなく、一部の人が健忘症にかかっているだけである。
大いに「やっつける」のかどうか。これは右派の先生がたの今後の行動しだいである。毒草は刈りとらなければならないが、それはイデオロギーの面で刈りとるのだ。人を「やっつける」のは、またべつの問題である。その人が「ゆゆしい法規・規律違反」をするのでなければ、「やっつけ」られることはない。「ゆゆしい法規・規律違反」とはどういうことか。それは、国家の利益と人民の利益に重大な損害をあたえることであり、しかもこのような損害が、いくら戒めても聞きいれず、なにがなんでも自分の考えをおしとおすという状況のもとでもたらされる場合のことである。誤りを犯したその他の一般の者にたいしては、なおのこと、病をなおして人を救うようにする。こういう区別のしかたは当を得ており、党内でも党外でも一様に適用される。「やっつける」のも、病をなおして人を救うことである。
党の整風の任務をなしとげるには、どのくらいの時間がかかるであろうか。目下、情勢の発展はじつにはやく、党と大衆との関係は急速に改善されるであろう。どうやら、あるところは数週間、あるところは数ヵ月間、またあるところは一年前後(たとえば農村∨で終わりそうである。ただし、マルクス主義を学び、思想的水準を高めるということになると、もっと時間がかかる。
われわれがブルジョア階級や知識分子と団結もすれば、闘争もするという関係は、長期のものとなるであろう。共産党の整風が一段落すれば、各民主政党と社会各界で整風をおこなうよう、われわれは提案する。このようにすれば、かれらの進歩をはやめ、少数の右翼分子の孤立化をいっそう容易にするであろう。いまは、党外の人びとがわれわれの整風を助けてくれている。しばらくしたら、われわれのほうが党外の人びとの繋風を助けることになる。これはつまり相互援助であり、よこしまな作風をあらためて、その反面にむかわせ、正しい作風に変えるのである。これこそ人民のわれわれにたいする期待であり、われわれは人民の期待にこたえなければならない。
(一九五七年五月二十五日)
これは、毛沢東同志が中国新民主主義青年団第三回全国代表大会の全代表を接見したさいの談話である。
諸君の会議はひじょうによかった。諸君が団結して、全国の青年の指導的中核となるよう、希望する。
中国共産党は全中国人民の指導的中核である。このような中核がなければ、社会主義の事業は勝利をおさめることができない。
諸君のこの会議は団結の会議であり、全中国の青年に大きな影響をあたえるであろう。諸君に、お祝いのことばをのべる。
同志諸君、団結をかため、断固として、勇敢に社会主義の偉大な事業のために奮闘しよう。社会主義からはなれた言論や行動はすべて、完全に誤ったものである。
(一九五七年六月八日)
これは、毛沢東同志が中国共産党中央のために起草した党内指示である。
省・市クラスの機関と大学における大鳴大放は、ほぼ十五日もあれば十分である。反動分子は、気違いじみた攻撃をかけてきている。共産党員や青年団員のなかの動揺分子は、裏切って出ていくか、ぐらついて裏切ろうとしている。広範な党員や団員のなかの積極分子と中間大衆は、立ちあがって、これに対抗している。大字報を戦いの武器として、双方が闘争のなかで経験をつみ、人材をきたえている。反動分子の人数は数パーセントにすぎず、もっとも活発な狂気分子は一パーセントにすぎないから、恐れるにはあたらない。一時、けわしい空模様にみえたからといって、腰を抜かしてはならない。反動分子は所属の機関、学校以外の工場や学校へいって策動するだろうから、あらかじめこれをしめ出す手配をしておかなければならない。工場のおもな幹部や古参の労働者を集めて会議をひらき、つぎのように話しておく――一部のよくない資本家、よくない知識分子、社会の反動分子が、いま労働者階級と共産党に気違いじみた攻撃をかけており、労働者階級の指導する国家権力をうち倒そうとしているから、断じてその手にのらないよう注意しなければならない、と。扇動する者があれば、それをしめ出す。街頭に反動ビラがはり出されれば、大衆を動員してはがす。労働者は大局を見きわめるべきで、事をおこしてはならない。この期間は、一致して反動派に対処すべきで、福祉や賃金などの問題をもち出してはならない。
各民主政党のなかの反動分子の気違いじみた攻撃に注意してもらいたい。各党にそれぞれ座談会をひらかせ、左派、中間派、右派の人びとをみな出席させて、正反両面の意見をのこらずさらけ出させ、記者にそれを報道させる。われわれは、左派、中間派の人びとにうまく働きかけて、右派にたいする反撃の発言をさせる。こうすれば、なかなか効果がある。党の機関紙はすべて文章を数十編用意しておき、その地における反動分子の攻撃が山を越したころに、つぎつぎと発表する。中間派と左派に文章を書かせるよう心がける。しかし、そうした攻撃が山を越すまでは、党の機関紙にまともな文章をあまり載せないようにする(中間派の文章はいくらか載せてもよい)。大字報は、かならず、大衆に反駁させなければならない。大学では、教授の座談会をひらいて、党へ意見を出させ、できるだけ右派に毒素を吐かせて、それを新聞に発表する。かれらに学生のまえで演説をさせ、学生に自由に意思表示をさせたらよい。反動的な教授、講師、助手、学生に毒素を大いに吐かせ、言いたいことを存分に言わせるのがいちばんよい。かれらは、いちばんよい教師なのである。適当な時機がきたら、すぐ党員と青年団員にそれぞれ組にわかれて会議をひらかせ、どれが建設的な批判で、それをうけいれ、自分たちの誤りや欠点をただすべきであるのか、どれが破壊的な批判で、それに反駁すべきであるのかを区別させる。同時に、党外の人びとに演説させ、まっとうな見解をのべさせる。そのあとで、わりあい威信のある党の責任者が分析もあり説得力もある総括的な演説をおこなって、空気を完全に転換させる。うまくいけば、全過程はだいたい一ヵ月もあれば十分で、そのあと、おだやかな方法による党内の整風にはいるのである。
これは、偉大な政治闘争であり、思想闘争である。こうしてこそ、わが党は主動権をにぎり、人材をきたえ、大衆を教育し、反動派を孤立させ、反動派を受け身の立場に追いこむことができる。ここ七年間、われわれは形式的には主動権をにぎっていたが、実質的には少なくともその半分が実体のない主動権であった。反動派は見せかけの降伏をしていたのであり、中間派の多くも心の底から悦服していたわけではなかった。いま、情勢は変わりはじめており、われわれは形式的には受け身の立場におかれているが、実質的には主動権をにぎりはじめている。なぜなら、われわれは真剣に整風をおこなっているからである。反動派は、のぼせあがって、ひじょうに気違いじみており、いかにも主動的にみえるが、やりすぎたために、人心を失いはじめ、受け身の立場におちいりはじめている。各地の状況はそれぞれ異なっており、臨機応変に戦術を運用し、措置を講ずればよい。
要するに、これは一大合戦であり(戦場は党内にもあれば党外にもある)、この戦いに勝たなければ、社会主義はきずきあげられず、そのうえ、「ハンガリー事件」のおこる危険性もいくらかある。いま、われわれが主動的にすすめている整風は、おこりうる「ハンガリー事件」を主動的に誘いだし、それを分割して、各機関、各学校で演習をやらせ、処理をさせ、多くの小型「ハンガリー」に分割してしまうことである。このようにしても、党と政府の小部分がつぶれるだけで(この部分がつぶれるのは、まことにけっこうなことで、これでウミが出るのである)、党と政府は基本的にはつぶれることがなく、利点はきわめて大きい。これは避けられないことである。社会に反動派が存在していて、中間分子もいまのような教訓をくみとっていなかったし、党もいまのような鍛錬をうけてはいなかったのだから、騒ぎはどのみちおこるはずであった。
いま、国内の情勢は、ひじょうにすばらしい。われわれは、労働者、農民、党、政府、軍隊および大多数の学生をしっかり掌握することができる。国際情勢もひじょうにすばらしい。アメリカは苦しい立場におかれている。
(一九五七年七月一日)
これは、毛沢東同志が『人民日報』にかわって書いた社説である。
六月十四日、本紙編集部が「一時期における文匯報のブルジョア的方向」を発表していらい、文匯報と光明日報ではそれぞれこの問題についてなにほどかの自己批判をおこなった。
光明日報の社員はいくども会議をひらいて、社長章伯鈞、編集長儲安平の誤った方向をきびしく批判した。この批判は態度がはっきりしていて、立場の根本的な転換がみられた。つまり、章伯鈞、儲安平の反共、反人民、反社会主義のブルジョア路線から、革命的な社会主義路線に転換したのである。こうして、同紙は読者の信頼をとりもどし、社会主義の新聞らしくなった。やや不十分なところといえば、割りつけ技術の面である。割りつけの技術と割りつけの政治性とは別個の事がらで、光明日報についていえば、前者は不十分でも、後者は十二分にある。技術面の問題は、完全に改善することができる。割りつけの技術が改善されて、紙面が一新すれば、読者もよろこぶであろう。だが、これも難しいことではある。本紙においてもこれを期することすでに久しいが、やや改善ありとはいえ、いまだに意に満たない。
文匯報では、自己批判の書を発表して、方向を改めたかのようだし、正しい路線を反映するニュースや論文も数多く載せた。これはもちろんよいことである。しかし、まだ不十分なようにおもわれる。ちょうど芝居をやるのと同じで、一部の役者は敵役にうってつけだが、立役はどうしてもしっくりせず、わざとらしくて、不自然である。これもなかなか難しいことだ。東風が西風を圧倒するのでなければ、西風が東風を圧倒するのであって、路線の問題では妥協の余地はない。編集者や記者のなかには、旧くからの軌道に沿った生活に慣れている者が多いので、いちどきに改めるとなると、まことに容易でない。大勢のおもむくところ、改めないわけにはいかないが、それはしぶしぶとやるのであり、不愉快でもある。気楽で愉快にやっているとはいうが、これは人びとのよくつかう外交辞令である。それは人情のつね、許すべきものであろう。重大なのは文匯報の編集部だ。この編集部は、同紙がブルジョア的方向につっ走っていた期間に采配をふるったのであり、その荷物が重くて、容易にぬけ出せずにいる。将の上に将ありやといえば、攻撃する者はありといい、弁護する者はなしという。しかも、攻撃する者は名ざしで、章・羅同盟の羅隆基だという。両将のあいだにはなお一将ありて、文匯報北京事務所の責任者浦熙修がその人、手腕のある女傑である。羅隆基――浦熙修――文匯報編集部、これが文匯報における民主同盟の右派系列だといわれている。
百家争鳴と整風の過程で民主同盟の演じた役割は、とりわけ悪質である。これには組織があり、計画があり、綱領があり、路線があって、いずれも人民に背を向けたものであり、反共、反社会主義のものである。このほかに、農工民主党もまったく同様である。このたびの狂風怒濤のなかでは、この二つの党がとくに目立っている。風波は章・羅同盟がひきおこしたものである。ほかの政党でもそれをやっており、一部ひじょうに悪質な人間もいる。だが、人数はわりあい少なく、それほど組織だったものではない。民主同盟、農工民主党の成員についてみても、そういうのは全部ではないし、多数でもない。風雲を呼び、波浪をおこし、あるいは密室で策をぬり、あるいは下部で火をはなち、上下を奔走し、八方で呼応しあう、そして、天下が大いに乱れるのに乗じて、とって代わり、着々と事をはこんで、ついに大業をなしとげるという、これを時局の評価、最終の目的としているのは、結局のところ比較的少数の連中にすぎず、それがいわゆるブルジョア右派の人物である。一部の者は頭がはっきりしているが、多数の者はだまされており、少数の者は右翼の骨幹分子である。右翼の骨幹分子だから、小人数ではあっても、かなりの神通力をもっている。この一春、中国の空にはにわかに暗雲が乱れ飛んだが、その源はといえば章・羅同盟にある。
新聞記者協会では会議を二度ひらいたが、一度は否定、もう一度は否定の否定で、この間わずか一ヵ月あまりにすぎず、中国における時局の変化のはげしさを反映している。会議は成果があった。一度目は「暗雲城を圧し、城まさにくずれんとす」といったところで、反動的なブルジョア報道路線がうち出された。このほどひらかれた二度目の会議では、空気が変わった。右派はまだ執拗に手むかっているが、多数の者は正しい方向にむかったといえよう。
文匯報は六月十四日に自己批判をおこない、いくらかの誤りを犯したことを認めた。自己批判をするのはよいことであり、われわれはそれを歓迎する。しかし、文匯報の自己批判は不十分だとおもう。ここでいう不十分とは、根本的な性質のものである。つまり、文匯報は根本的に自己批判をしていないということである。反対に、十四日の社説では、自分の誤りを弁護している――「われわれは、党の鳴放政策についての理解が一面的で誤っており、鳴放を無条件に励ましさえすれば、党の整風を援助することになるが、まっとうな意見を多く載せたり、誤った意見に反批判をくわえたりすると、鳴放にさしつかえると考えていた。」果たしてそうだろうか、そうではないのだ。文匯報は春に民主同盟中央の反共、反人民、反社会主義の方針を実行し、プロレタリア階級にたいして気違いじみた攻撃をくわえ、共産党の方針とは反対の方向に走った。その方針とは、共産党をたたきつぶし、天下の大乱をひきおこし、それにとって代わるというものだ。いったい、「整風を援助する」というのはほんとうだろうか。うそだ、まぎれもなくペテンである。ある期間、正しい意見を載せないか、すこししか載せず、誤った意見にたいして反批判をくわえないというのは、まちがっているのであろうか。本紙をはじめ党のすべての機関紙は、五月八日から六月七日までのあいだ、中国共産党中央の指示にもとづいて、ほかでもなくそのようにしたのである。その目的は、魑魅魍魎や妖怪変化のたぐいに「大鳴大放」をやらせ、おもいきり毒草を伸び放題にさせておき、それを見た人民が、世界にはまだこんなしろものがあったのかと大いにおどろき、これらの悪党を退治するため立ちあがるようにするという点にあった。つまり、共産党は、ブルジョア階級とプロレタリア階級とのこのたびの階級闘争は避けられないものであると見てとった。そこでブルジョア階級とブルジョア知識分子にこのたびの戦争をおこさせておいて、新聞はある期間、正しい意見を載せないか、すこししか載せず、ブルジョア反動右派の気違いじみた攻撃に反撃をくわえず、また、整風をおこなっているすべての機関・学校の党組織も、ある期間、こういう気違いじみた攻撃にいっさい反撃をくわえず、どの人の批判が善意のもので、どの人のいわゆる批判が悪意のものであるかを大衆にはっきり見てとらせ、こうして、力を結集し、機が熟するのを待って、反撃に出たのである。ある人はこれを陰謀だというが、われわれはこれを陽謀だという。それというのも、妖怪変化はとび出させてこそ退治でき、毒草は芽を出させてこそ摘みとれるということ、これはあらかじめ敵に告げてあったからである。農民は、毎年、いくどか草取りをするではないか。草は取ったあと、肥料にすることもできる。階級敵はかならず機会をねらって、かれら自身を表現する。かれらは亡国、共産に甘んじることはない。共産党がどのように事前に警告し、根本的な戦略方針をあからさまに自分の敵に知らせても、敵はやはり攻撃してくる。階級闘争は客観的存在であって、人間の意志で左右できるものではない。つまり、避けられないのである。人間の意志で避けようとしても、避けることはできない。情勢をみながち、これをうまくみちびき、勝利をかちとるほかはないのである。反動的な階級敵は、どうして自分から網にかかってくるのか。かれらは反動的な社会集団で、利欲に目がくらみ、プロレタリア階級の絶対的な優勢を絶対的な劣勢とおもいこんでいるからだ。いたるところで火をつけたら労働者、農民を扇動することができる、学生の大字報は学校の接収を容易にする、大鳴大放をやれば、一触即発の事態となり、天下はたちまち大いに乱れて、共産党はすぐにくたばってしまう――これは、六月六日、章伯鈞が北京の六教授に語った当面の情勢判断である。利欲に目がくらむとは、このことではあるまいか。「利欲」とは権力の奪取をいう。かれらはかなりの新聞をにぎっており、その一つが文匯報である。文匯報は上にのべた反動的な方針にしたがって行動したのに、六月十四日には、まるで自分たちが善意から出たかのように装い、人民を欺いている。文匯報は、「このような誤った認識がうまれたのは、われわれの頭にまだ、ブルジョア的な新聞づくりの思想が残っているからだ」と言っている。それはちがう、「充満している」と改めるべきである。反動派のため、数ヵ月にわたってプロレタリア階級にたいする気違いじみた攻撃の代弁者となり、新聞の方向を反共、反人民、反社会主義の方向、すなわちブルジョア的な方向に変えてしまったのだ。ブルジョア的な思想がすこしばかり残っているぐらいで、そんなことがやれるだろうか。これはどういう論理であろうか。個別的な前提から普遍的な結論をひきだす、これが文匯報の論理である。文匯報は、事実に反する反動的なニュースを大量に報道したこと、反動的な言論を大量に載せたこと、プロレタリア階級にたいする攻撃の道具として反動的な割りつけを大量に用いたことについて、いまなお自己批判をしようとはしていない。新民報はそれとはちがい、比較的まじめな自己批判をすでにいくどもおこなっている。新民報の犯した誤りは文匯報のそれよりも軽いが、自分が誤りを犯したことに気づくと、すぐまじめに改め、責任者や記者たちの、人民の事業にたいする責任感をしめしたので、この新聞は読者にたいして主動的な立場に立つようになった。文匯報の責任感はどこへ消しとんでしまったのか。きみたちはいつになったら、新民報に見ならうようになるのか。借金は返さなければならない。文報はいつになったら、この借金を返すようになるのか。どうやら、新民報の自己批判は文匯報にどっさり難題をつきつけたようだ。いったい、いつになったら文報は新民報に追いつくのか、と読者は聞くだろう。文匯報はいま、まったく受け身の立場に立っている。新民報が自己批判をおこなうまでは、文匯報もまだしばらくはお茶をにごしていけそうにみえたが、新民報の自己批判が出ると、文匯報はしのぎにくくなってきた。受動は主動に転化しうるのであって、それには新民報を手本とし、これをしんけんに見ならうことである。
ここでもう一度、「ブルジョア右派」という呼び方にもどってみよう。ブルジョア右派というのは、上にのべた反共、反人民、反社会主義のブルジョア反動派のことで、これは科学的な、実情に合致した説明である。これはひとにぎりの連中であって、民主政党、知識分子、資本家、学生のなかにおり、共産党や青年団のなかにもいて、このたびの大あらしのなかで浮かびあがってきた。かれらの人数はきわめて少ないが、民主政党、とくにいくつかの民主政党のなかでは力をもっており、軽視することができない。こういう連中は言論があるだけでなく、行動もあり、かれらはとがめられるべきである。「言うものはとがめられない」という原則は、かれらには適用されない。かれらは言うものであるばかりでなく、行なうものでもあるからだ。刑罰をくわえる必要があるだろうか。いまのところ、かならずしもその必要はなさそうである。なぜなら、人民の国家はきわめて強固であるし、かれらのうちの多くは頭株の人物でもある。寛大を旨とし、刑罰をくわえないでもよい。一般には「右派分子」と呼べばよく、反動派と呼ぶにはおよばない。ただし、くりかえしいましめても改めず、ひきつづき破壊活動をおこない、刑法にふれるというばあいは例外で、やはり刑罰をくわえなければならない。前の誤りを後のいましめとし、病をなおして人を救い、消極的な要素を積極的な要素に変えるというこうした原則は、かれらにもやはり適用される。このほかに、言論はあるが行動のない別の種類の右派がいる。その言論は上にあげた種類の右派と似ているが、破壊的な活動はない。こういう者にたいしては、なおさら寛大でなければならない。誤った言論はかならず徹底的に批判しなければならず、この点では手心をくわえてはならないが、かれらが自分の意見を留保するのを許すべきである。以上にのべたすべての種類の人びとにたいしても、やはり言論の自由が許される。偉大な強固な国家では、この小人数の連中を残しておいても、広範な大衆がかれるの誤りを知ってしまえば、すこしも害にはならない。右派は反面からわれわれを教育するものだ、ということを知っておくべきである。この点では、毒草にも功績がある。毒草の功績は、それらが毒をもっていること、しかもそれをばらまいて人民に害をあたえたということにある。
共産党はひきつづき整風をおこなっているし、各民主政党でもすでに整風をはじめている。気違いじみた攻撃をかけてきた右派が人民に撃退されたあとは、整風は順調にすすめられるであろう。
(一九五七年七月九日)
これは、毛沢東同志が上海での幹部会議でおこなった講話である。
さる三月、わたしはここで党内の一部の幹部と話をしたことがある。そのときから数えて、百日になる。この百日のあいだに、時局は大きく変わった。われわれがブルジョア右派と一戦を交えたので、人民の自覚は高まり、それもかなり大幅に高まった。当時、われわれはすでにこれらのことを予想していた。わたしはここでも話したことがあるが、人の批判がはじまると、つまり火が燃えだすと、熱くないはずはなかろう。だが、そこは頭の皮を厚くしてもちこたえなければならない。人間のこの部分を頭といい、頭には皮があって、頭皮という。頭皮を厚くしてもちこたえるとは、つまり人に批判されたら、頭の皮を厚くして耳をかたむける、ひとしきり聞いたあと、それに分析をくわえ、回答する、正しいものであれば受けいれるが、まちがっているものであれば批判をくわえる、ということである。
全世界にしろ、わが中国にしろ、多数の人はよい人である、ということを、われわれはつねに信じなければならない。多数の人というのは、五一パーセントの人ではなく、九〇パーセント以上の人のことである。わが国の六億の人口のうち、労働者、農民がわれわれの基本的な大衆である。共産党のなかでも、青年団のなかでも、民主政党のなかでも、学生と知識分子のなかでも、つねに多数の人はよい人である。かれらの心は、狡猾ではなく、下心も抱かず、つねに善良で誠実である。この点は認めなければならない。これは運動のたびごとに立証されている。たとえば、こんどの運動における学生を例にとってみよう。北京大学には七千人あまりの学生がいるが、右派はわずか一、二、三パーセントにすぎない。一、二、三パーセントというのは、どういうことか。しばしば騒ぎをおこし、おさまりがつかないほど騒ぐかたくなな骨幹分子は、終始五十数人しかおらず、一パーセントにも満たない。ほかの一、二パーセントはかれらに喝采をおくり、かれらを支持する連中である。
火をつけて身を焼くのは、なまやさしいことではない。ここの一部の同志に、火を思いきってつけなかったことを後悔しているものがいると聞いたが、わたしから見れば、上海での火のつけ方はまあまあであった。ただ、多少不十分で、いささかもの足りない。早くからこんなけっこうなことと知っていたら、思いきって火をつけただろうに。毒草を伸びさせ、妖怪変化を登場させればよいのだ、なにを恐れることがあろう。さる三月に、わたしは恐れるなと話したことがある。わが党内の一部の同志は、まさに天下大乱を恐れているのである。わたしに言わせれば、これらの同志は、誠心誠意、党と国につくしてはいるが、ただ大きな局面が目に入らず、大多数の人、すなわち九十数パーセントの人がよい人だというこどに思いをいたしたことがないのである。大衆を恐れてはならない、かれらはわれわれと共にあるのだ。かれらはわれわれをののしることはあっても、拳骨をくらわすようなことはしない。右派はごく少数にすぎず、さきほど例にあげた北京大学では、わずか一、二、三パーセントである。これは学生についていっているのである。教授、助教授についていうなら、様子がすこしちがって、右派は約一〇パーセントになろう。左派も一〇パーセントくらいいる。両者は伯仲している。中間派は約八〇パーセントを占めている。なにを恐れることがあろうか。われわれの一部の同志はすこしこわがり屋で、やれ家が倒れるの、天がくずれ落ちるの、と恐れている。昔から「杞人、天を憂ふ」〔1〕といって、天がくずれ落ちるのを恐れるのは、かの河南人だけである。かれを除いて、天がくずれ落ちるのを恐れた人はこれまでいなかった。家についていうなら、この建物は倒れることはないとおもう。建てて間もないものが、どうしてそう簡単に倒れようか。
要するに、どこであろうと、九十数パーセントの人はわれわれの友人、同志なのだから、恐れる必要はない。どうして大衆を恐れるのか。大衆を恐れるのは、筋の通らない話だ。指導的人物とはどういう人間か。組長、班長、支部書記、学校の校長、党委員会書記などは、みな指導的人物であり、柯慶施同志もそうであり、わたしもその一人に数えられる。われわれのような人間はとにかくすこしは政治的資本をもっている。つまり人民のためにいくらか仕事をしてきた。いま、人びとは火をつけてわれわれを焼いているのであるが、その九〇パーセント以上は、われわれの同志が焼かれてよくなるように望んでいるのである。われわれのどの同志にも、なんらかの欠点がある。欠点のない人がどうしてありえようか。「人は聖賢にあらず、孰かよく過ち無からん」といっているように、どうしてもいくらかは誤ったことを話し、誤ったことをやる、つまり官僚主義といったような誤りを犯すものである。しかも、往々にして無意識のうちに犯すのである。
定期的に「火をつけ」なければならない。今後どうやればよいか。一年に一回焼くか、それとも三年に一回焼くか、諸君はどちらがよいとおもうか。わたしの見るところ、少なくとも閏年、閏月がめぐってくるように、三年に一回、五年で二回、一つの五ヵ年計画の期間に少なくとも二回やるべきである。孫悟空は大上老君の八卦炉のなかで鍛えられてさらに強くなった。孫悟空はたいそう手ごわい人物ではないか。この「斉天大聖」と呼ばれているものでさえ、八卦炉のなかで焼かれなければならなかったのだ。われわれは鍛錬するというではないか。鍛とは鉄槌で打つこと、錬とは高炉で鉄を精錬し、平炉で鋼を精錬することである。鋼は精錬されたあと、うち鍛えなければならない。いまではスチームハンマーでうち鍛えている。それはものすごいものだ。人間も鍛錬しなければならない。一部の同志は、鍛錬に賛成するかと聞かれると、それには大賛成で、「わたしには欠点があるから、ぜひ鍛錬したいとおもっている」という。鍛錬する必要があると、だれもがいっている。ふだん鍛錬を口にするのは、たいへん気楽ではあるが、いざほんとうに鍛錬することになり、ほんとうにスチームハンマーでうち鍛える段になると、腰を抜かし、 逃げだしてしまう。こんどの運動はひとつの鍛錬にほかならない。一時期、天地が暗くなり、日月も光が失せた。二つの風が吹いてきたのだ。一つは大多数のよい人で、かれらは大字報をはり、共産党に欠点があり、たださなければならないといっている。もう一つはごく少数の右派で、かれらはわれわれを攻撃している。両者の進攻の方向は同じである。だが、多数の人の進攻のほうは当然のことであり、それは正しい。それはわれわれにとって一種の鍛錬である。右派の進攻も、われわれにとっては一種の鍛錬である。ほんとうに鍛錬されるという点でいえば、今回はやはり右派に感謝しなければならない。わが党にたいし、広範な大衆にたいし、労働者階級、農民、学生、および民主政党にたいして、右派はもっとも大きい教育をあたえてくれた。どの都市にもいくらか右派がおり、これらの右派はわれわれを打倒しようとしている。いまは、われわれがこれらの右派を包囲討伐しつつある。
われわれの革命は人民の革命であり、プロレタリア階級の指導する六億人民の革命であり、人民の事業である。民主主義革命は人民の事業であり、社会主義革命は人民の事業であり、社会主義建設は人民の事業である。それでは、社会主義革命と社会主義建設はよいものであるかどうか。成果があがっているかどうか。成果が主か、それとも誤りが主か。右派は人民の事業の成果を否定している。これが第一である。第二は、どちらの方向に向かって歩むかである。こちらに向かって歩むなら社会主義であり、あちらに向かって歩むなら資本主義である。右派は、この方向を逆転して、資本主義の道を歩もうとしているのである。第三は、社会主義をやるには、だれが指導するかである。プロレタリア階級が指導するのか、それともブルジョア階級が指導するのか。共産党が指導するのか、それともブルジョア右派どもが指導するのか。右派は、共産党の指導はいらない、といっている。わたしは、今回はひとつの大弁論、つまりこの三つの問題をめぐる大弁論であるとおもう。弁論してみるのはいいことだ。これらの問題についてまだ弁論したことはなかったのだ。
民主主義革命は長期にわたる弁論を経たものである。清朝末期から辛亥革命、袁世凱反対、北伐戦争、抗日戦争にいたるまで、いずれも弁論を経てきたものである。日本に抵抗すべきかどうか。ある一派は唯武器論者で、中国は鉄砲が足りないから、抵抗できない、といった。もう一派は、恐れることはない、人間が主であって、兵器は人間に及ばないから、やはり戦える、といった。それにつづく解放戦争も弁論を経ている。重慶での交渉も、重慶での旧政治協商会議も、南京での交渉も、弁論であった。蒋介石はわれわれの意見にも人民の意見にもいっさい耳をかさず、戦おうとした。戦った結果、かれは敗れた。したがって、あの民主主義革命は弁論を経たものであり、長期にわたる精神的準備を経たものであった。
社会主義革命は急速にやってきた。六、七年で、資本主義的所有制と小生産者の個人的所有制の社会主義的改造は基本的になしとげられた。だが、人間の改造は、すこしはおこなわれたが、まだまだ足りない。社会主義的改造には二つの面がある。一つは制度の改造であり、もう一つは人間の改造である。制度には、所有制だけではなく、権力機関、イデオロギーを主とする上部構造もふくまれる。たとえば新聞、これはイデオロギーの範疇に属している。ある者は、新聞には階級性がなく、新聞は階級闘争の道具ではない、といっている。こういう言い草はまちがっている。少なくとも帝国主義が消滅されるまでは、新聞をはじめさまざまなイデオロギー的なものは、みな階級関係を反映するものである。学校教育や文学芸術もイデオロギーであり、上部構造であり、階級性をもっている。自然科学は二つの面にわかれており、自然科学そのものについていうならば、階級性はないが、だれがそれを研究、利用するかという点では、階級性がある。大学で観念論がいちばん多いのは、一つは中国文学科、もう一つは歴史学科である。また、新聞をつくる人たちに、観念論がいちばん多い。諸君は社会科学にだけ観念論が多いと考えてはならない。自然科学にも観念論がたくさんある。自然科学をやる人たちの多くは、世界観が観念論的である。水はどういうもので構成されているのかということでは、かれらは唯物論者で、水は二種類の元素で構成されているといった現実の状況に即した態度で事をはこぶ。だが、社会をどのように改造するかということになると、かれらは観念論になる。われわれのいう整風は共産党を整頓してよくするためであるが、かれらのなかの一部の者は、共産党を消滅するのだといっている。今回は、こういう状況が暴露された。
右派が攻撃をかけてきたとき、われわれは、聞くだけで発言しないという政策をとった。数週間ものあいだ、頭の皮を厚くし、耳をそばだてて聞くばかりで、一言もいわなかった。しかも、そのことを青年団員にも共産党員にも支部書記にも支部委員会にも知らせず、かれらを入り乱れて戦うようにさせ、めいめいに考えをさめさせた。学校の党委員会や総支部にも一部の敵がまぎれこんでおり、現に、清華大学党委員会の委員のなかには敵がいた。こちらが会議をひらくと、かれはすぐ敵側に知らせた。これを「蜂起分子」という。蜂起将軍というのがいたではないか。いまのは「蜂起文人」である。このことには、敵と味方の両方が喜んだ。敵側からすれば、共産党員が「蜂起」し、共産党が「崩壊」しようとしているのを見て、とても喜んだのである。今回はどのくらい崩壊したか。上海はいざ知らず、北京の学校の党員はおよそ五パーセント崩壊し、青年団員はもうすこし多く、一〇パーセント、あるいはそれよりすこし多く崩壊したかもしれない。こうした崩壊は、至極当然というものだ。一〇パーセント、二〇パーセント、二〇パーセント、あるいは四〇パーセントでもよい、要するに、崩壊したら、わたしはたいへんうれしい。頭がブルジョア思想や観念論でこり固まっていて、共産党や青年団のなかにもぐりこんだ連中は、名目上は共産主義といっても、実際には共産主義に反対する者あるいは動揺分子なのである。したがって、われわれの側からしても、「蜂起」する者を見たら、やはりうれしいのである。これまで党の粛清、団の粛清をこれほど徹底的にやったためしがあるだろうか。連中が自分で出ていったので、われわれは粛清する必要がなくなったのである。しかし、いまや状況が変わり、逆転した。われわれが右派を包囲し、右派とつながりをもってはいるが右派でない多くの人が立ち上がって暴露すると、連中は「蜂起」しなくなった。いまでは右派の立場は苦しくなっており、その一部がこちら側へ蜂起している。さる三月、わたしがここで話をしたあと、わずか百日で、時局にこれほど大きな変化がおきたのである
こんどの反右派闘争の性質は、主として政治闘争である。階級闘争にはいろいろな形態があるが、こんどのは軍事闘争でも経済闘争でもなく、主として政治闘争である。思想闘争の要素があるかどうか。それはある。だが、おもな要素は政治闘争であるとわたしはおもう。思想闘争は主としてつぎの段階で、おだやかな微風細雨の方法でやらなければならない。共産党と青年団の整風は、思想闘争である。いままでより一歩高めて、真にマルクス主義を学ばなければならない。まごころこめて互いに助けあわなければならない。どういう欠点があるかというと、主観主義がすこしあるのではなかろうか。官僚主義がすこしあるのではなかろうか。われわれはこの数ヵ月のあいだ、まじめに頭で考え、すこしノートでもつくって、マルクス主義の水準、政治水準、思想水準を一歩高めなければならない。
右派にたいする反撃は、あと数十日、あるいはひと月ぐらいかかるかもしれない。右派の言論をこのように新聞に、今年一年載せ、来年一年載せ、再来年また一年載せるというように、いつまでも載せるとなると、それでは困る。右派の数は知れており、その言論をほとんど載せてしまったし、載せるものはそんなにあるわけではない。今後は、ああいう形で載せたり、こういう形で載せたり、あれば載せ、なければ載せない。七月はやはり右派にたいする反撃で緊迫する月だ、とおもう。右派は疾風暴雨が大好きで、おだやかな微風細雨の方法が大嫌いである。われわれのほうは微風細雨を提唱しているではないか。ところが、かれらは、微風細雨だと、梅雨が毎日のように降って、稲の苗が腐り、飢饉になるから、疾風暴雨のほうがましだ、というのだ。諸君の上海には「烏、『昼』に鳴く」という文章を書いた者がいるではないか。あの「カラス」がこの議論をもち出したのである。かれらはさらに、共産党は公平でない、以前われわれをやっつけたときは疾風暴雨の方法をとったが、こんど自分自身をたたくときは微風細雨の方法をとっている、という。実際は、われわれが以前、胡適、梁漱溟批判をふくむ思想改造をやったとき、わが党内ではいずれも微風紬雨でやれという指示を出しているのである。世の中の事がらとは紆余曲折しているものである。たとえば、道を歩くにしても、つねに曲がりくねって歩くものだ。諸君は莫干山にいったことがあるだろうか。登りも下りもつづらおりである。社会の運動は螺旋状を描きながら前進するものである。いまは、手をゆるめることなく右派をさらに摘発しなければならず、やはり疾風暴雨でやる。これは、かれらが疾風暴雨で襲ってきたからで、われわれがかれらに報復するようなものである。このときになって、右派ははじめて微風細雨のよいところがわかるのだ。溺れかかっているから、草一本でも見ればつかもうとする。黄浦江でいまにも溺死しようとしている人のように、たとえ一本のワラであろうと、それをつかもうとする。いまでは、例の「カラス」も微風細雨をひじょうに歓迎しているとおもう。いまは暴雨の季節だが、七月がすぎ、八月になれば微風細雨でやってもよい。というのは、そのときはもうあまり摘発するものがないからである。
右派はたいへんよい反面教師である。わが中国では、従来からそうであるように、正面教師もいれば、反面教師もいる。人間には正反両面の教育が必要である。日本帝国主義は、われわれにとって一番すぐれた反面教師であった。以前にはまた清朝政府あり、袁世凱あり、北洋軍閥あり、のちには蒋介石ありで、いずれもたいへんよい反面教師であった。共産党が正面教師になるだけでは足りず、かれらがいなかったら、中国人民は目ざめることができなかったであろう。いまもそうである。われわれの言っているいろいろなことを、かれらは聞かない。聞かないというが、どういう人が聞かないのだろうか。数多くの中間派の人びと、とりわけ右派が聞かないのである。中間派の人びとは半信半疑である。右派はまったく聞こうとしない。多くのことはかれらに話してあるのに、かれらはそれを聞かないで、別のことをやっている。たとえば、われわれは「団結――批判――団結」を主張しているが、かれらはどうしても聞かない。われわれは反革命粛清では成果が主であるといっているが、かれらはそれも聞かない。われわれは民主集中制が必要であり、プロレタリア階級の指導する人民民主主義独裁が必要であるといっているが、かれらはやはり聞かない。われわれは社会主義諸国および平和を愛する全世界の人民と団結する必要があるといっているが、かれらはそれも聞かない。要するに、これらのことはみな話したことがあるのに、かれらはそのいずれも聞かないのである。もう一つ、かれらがとくに聞こうとしないのは、毒草は取りのぞかなければならないということである。妖怪変化は、出てこさせておいて、これを展示する。展示すれば、妖怪変化はよくないから打倒しよう、とみんなが言うようになる。毒草は、伸びさせておいて、それを取りのぞく、取りのぞいたものは肥料にすることができる。これらのことは話したことがないだろうか。話したではないか。それでも毒草はやはり出てくる。農民は毎年のようにそれらの草に話しかけ、つまり一年に何回か取りのぞいているが、それらの草はぜんぜん聞こうとせず、やはり伸びてくる。一万年取りのぞいても、草はやはり伸びてくるし、一億年たってもやはり伸びてくる。右派は取りのぞかれるのを恐れない。なぜなら、わたしが話をしたときは、草を取りのぞかなければならないと言っただけで、実際にはやらなかったからである。しかもかれらは、自分は毒草ではなくて香り高い花であるから、取りのぞかれるべきではない、毒草とはわれわれのような者であって、これは取りのぞかれるべきである、と考えているからである。かれらこそ取りのぞかれるべきものであるということに、かれらは思いもおよばないのである。
いまはほかでもなく、わたしが上にのべた三つの問題について弁論している。社会主義革命が急速にやってきたので、過渡期における党の総路線はまだ十分に弁論されておらず、党内でも社会でも十分に弁論されていない。牛が草を食むように、まずするすると呑みこんで胃袋におさめ、そのあとでゆっくりと反すうするというぐあいである。われわれは制度の面、すなわち、まず生産手段所有制の面で、つぎは政治制度にせよイデオロギーにせよ、上部構造の面で、社会主義革命をすすめたが、十分な弁論を展開しなかった。今回、新聞や座談会や大会や大字報を介したのは、弁論を展開させるためである。
大字報はよいものであって、きっと後世に伝えられていくとおもう。孔子の『論語』は伝えられてきたし、『五経』『十三経』も『ニ十四史』も伝えられてきた。この大字報が伝えられていかないことがあろうか。かならず伝えられていくとおもう。たとえば、将来、工場で整風をするとき、大字報が必要であるかどうか。大字報を利用したらよい、それも多ければ多いほどよいとおもう。大字報には階級性がなく、それは言語に階級性がないのと同様である。口語には階級性がない。われわれのような人間が演説するときは口語をつかうし、蒋介石も口語をつかう。いまでは、「学びて時にこれを習う、また説ばしからずや」「朋遠方より来たるあり、また楽しからずや」のような文語はつかわなくなった。プロレタリア階級は口語で話をするし、ブルジョア階級も口語で話をする。プロレタリア階級は大字報を利用できるし、ブルジョア階級も大字報を利用できる。われわれは、多数の人がプロレタリア階級の側に立っている、と信じている。だからこそ、大字報という道具は、プロレタリア階級に有利で、ブルジョア階級に不利なのである。一時期、つまり二、三週間、天地が暗くなり、日月も光が失せて、ブルジョア階級に有利であるかのようにみえた。われわれが頭の皮を厚くしてもちこたえると言ったのは、夜も眼れず、飯ものどを通らなかったあの二、三週間のことである。諸君は鍛錬を口にしているではないか。数週間眠れず、飯がのどを通らなくなる、それがつまり鍛錬である。なにも高炉のなかにおしこんで焼くというわけではない。
数多くの中間派の人びとがいささか動揺したが、これもよいことである。動揺することによって、かれらは経験をつんだ。中間派の特徴は動揺にほかならない。そうでなければ、なぜ中間派といえようか。こちらはプロレタリア階級、あちらはブルジョア階級、そのほかに多くの中間派がおり、両端は小さく中間が大きい。だが、中間派は結局のところよい人であり、かれらはプロレタリア階級の同盟軍である。ブルジョア階級も、同盟軍としてかれらを獲得しようとし、一時期かれらはそのようにもみえた。というのは、中間派もわれわれを批判したからである。しかし、その批判は善意のものであった。右派は、中間派がわれわれを批判したのを見て、攪乱にのりだした。諸君の上海では、王造時、陸詒、陳仁炳、彭文応だとか、それに呉茵などといった右派の人物が出てきて攪乱した。右派が攪乱すると、中間派はどうしていいかわからなくなってきた。右派の始祖は章伯鈞、羅隆基、章乃器で、その発源地はいずれも北京である。北京というところは混乱すればするほどよく、とことんまで混乱するほどよい。これは一つの経験である。
いま大字報のことにふれたが、これは方法の問題であり、どういう形でたたかうかの問題である。大字報はたたかう武器の一つであって、小銃、ピストル、機関銃といった軽火器のようなものである。飛行機、大砲にあたるのはおそらく『文匯報』のたぐいであろう。『光明日報』もそうであり、ほかのいくつかの新聞もそうである。ある時期、共産党の機関紙も右派の言論を載せた。われわれは、右派の言論はすべてそのまま載せるように、という命令を出した。われわれはこういう方法や、その他のさまざまな方法を活用して、広範な大衆に正反両面の教育を受けさせたのである。たとえば『光明日報』『文匯報』の社員は、こんどひじょうに深い教育を受けた。かれらはこれまで、どういうものがプロレタリア階級の新聞で、どういうものがブルジョア階級の新聞であるのか、またどういうものが社会主義の新聞で、どういうものが資本主義の新聞であるのか、はっきりしなかった。一時期、かれらの右派指導者は新聞をブルジョア階級の新聞にしてしまった。これらの右派指導者はプロレタリア階級と社会主義を憎んでいる。かれらは学校をプロレタリア階級の方向へ導くのではなく、ブルジョア階級の方向へ導こうとした。
ブルジョア階級および旧社会から来た知識分子は、改造する必要があるかどうか。かれらは改造をたいへん恐れており、改造すると「劣等感」とでもいうものが生まれ、改造すればするほど、劣等感がますます強くなるという。このような言い方はまちがっている。改造すればするほど自尊心が強くなるというべきである。なぜなら、改造する必要があると自覚したからには、それは自尊心でなければならないのだ。だが、その人たちの「階級的自覚」はたいへん高く、自分自身は改造する必要がないと考え、逆にプロレタリア階級を改造しようとしているのである。かれらはブルジョア階級の姿に照らして世界を改造しようとし、プロレタリア階級はプロレタリア階級の姿に照らして、世界を改造しようとする。わたしから見れば、多数の人、つまり九〇パーセント以上の人が躊躇、思案、不本意、動揺といった過程を経て、結局は改造したいという方向にむかうことになるとおもう。改造すればするほど、その必要をおぼえるはずである。共産党でさえ改造しており、整風とは改造にほかならず、将来もやはり整風をしなければならない。こんどの整風を終えたるもうしないのだろうか。こんどの整風で官僚主義が一掃されるだろうか。二、三年もたてば、すっかり忘れてしまい、例の官僚主義はふたたびやってくる。人間には忘れっぽいという欠点がある。だから、ある期間がすぎると整風しなければならない。共産党でさえ整風を必要としているのに、ブルジョア階級および旧社会から来た知識分子は整風を必要としないのか、改造を必要としないのか。かれらこそ、いっそう整風を必要とし、改造を必要とするのだ。
いま、各民主政党は整風をしているではないか。社会ぜんたいが整風をする必要がある。作風を整頓して、どこがわるいのか。しかも、爪の先みたいなことについて整頓するのではなく、大きな事がら、路線問題について整頓するのである。いま、民主政党の整風は重点を路線問題においており、ブルジョア右派の反革命路線をやっつけている。そのようにやるのは正しいとおもう。いま、共産党の整風の重点は、路線問題にはなく、作風問題にある。しかし、民主政党ではいま、作風問題は二の次で、主としてどの路線をおしすすめるかの問題にある。章伯鈞、羅隆基、章乃器、陳仁炳、彭文応、陸詒、孫大雨らの反革命路線をおしすすめるのか、それともほかの路線をおしすすめるのか。なによりもまずこの問題をはっきりさせなければならず、わたしの話したつぎの三つの問題をはっきりさせなければならない。つまり、社会主義革命と社会主義建設の成果、数億の人民のやった事は果たしてすばらしいかどうか、社会主義の道を歩むのか、それとも資本主義の道を歩むのか、社会主義をやるからには、どの政党がその指導にあたるべきか、章・羅同盟か、それとも共産党か、ということである。この問題でひとつ大弁論を展開し、路線問題をはっきりさせようではないか。
共産党にも路線問題があり、例の「蜂起分子」、共産党と青年団のなかの右派についていえば、これは路線問題なのである。現時点では、教条主義はまだ形成されていないから、路線問題ではない。わが党の歴史に、教条主義路線の問題が数回おきたのは、それが制度、政策、綱領を形成していたからである。現在の教条主義はまだ制度、政策、綱領を形成していないが、すこしこちこちのところがある。しかし、いまは鉄槌で打ち、火で焼いたので、いくらか柔らかくなっている。各機関、各学校、各工場の指導者は「二階から降りて」いる①ではないか。かれらはあの国民党作風や旦那気取りをすて、役人風や旦那風を吹かさなくなった。協同組合の主任は大衆といっしょに田畑を耕し、工場の責任者や党委員会の書記は職場へいって労働者といっしょに労働して、官僚主義がずいぶん少なくなった。このような整風は将来もしなければならない。大字報をはったり、座談会をひらいたりして、改めるべきもの、批判すべきものを、問題ごとに分けて解決しなければならない。もう一つは、いままでより一歩高めて、いくらかマルクス主義を学ぶことである。
中国人の大多数はよい人間であり、わが中華民族はりっぱな民族である、とわたしは信じている。われわれのこの民族はまことに道理をわきまえており、情熱にあふれ、聡明で勇敢である。わたしの希望するところは、集中と統一もあれば生きいきと活発でもあり、すなわち、集中もあれば民主もあり、規律もあれば自由もある、という局面をつくり出すことである。一方があるだけではなく、両方ともあるべきであり、規律と集中があるだけで、人の口をふさぎ、ものを言わせず、もともと正しくないものも批判させないというのではいけない。発言するよう提唱すべきであり、生きいきと活発でなければならない。およそ善意から批判的意見を出す人は、言う者に罪なしで、どんなに鋭くても、どんなにののしっても、罪に問われたり、やっつけられたり、小さい靴をはかせられたりすることはない。小さい靴をはくのはいい気持ちのするものではない。いまはどういう人に小さい靴をはかせるのか。いま、われわれは右派にはかせるのである。右派に小さい靴をはかせて少々窮屈な目にあわせるのは必要である。
大衆を恐れてはならず、「大衆と共にあるべきである。一部の同志は水を恐れるように大衆を恐れている。諸君は水泳をするだろうか。わたしはいたるところで水泳を提唱している。水とはすばらしいものである。毎日一時間、かかさず、きょうも明日もと習いさえすれば、百日で泳げること受け合いである。第一は先生を頼んではならず、第二は浮き袋をつかってはならない。浮き袋をつかうと、おぼえられない。「だけど、命が大切なんだよ。泳げないんだ。」それなら、最初は浅いところで泳いだらいい。百日でおぼえるというなら、浅いところでは三十日も習えばおぼえるだろう。おぼえてしまえば、長江でも、太平洋でも同じことで、要するに水は水である。プールなら溺れてもすぐひっばり上げられるから、死なないですむが、長江で泳いだらたいへんだ、流れがとても急で、溺れたら探しようがないではないか、と言う人がいる。こういう理屈で人をおどかすのである。わたしに言わせれば、これは素人のいうことだ。われわれの水泳健児、プールでの教員や教授は、もとは長江で泳ぐ勇気がなかったのが、いまではその勇気をもつようになっている。諸君のこの黄浦江でも、いまでは泳ぐ人がいるではないか。黄浦江、長江はまったく金のかかるないプールである。たとえて言うならば、人民は水のようなもの、各級の指導者は泳ぐ人のようなものであり、泳ぐ人は水から離れてはならず、それに逆らってはならず、沿うようにしなければならない。大衆をののしってはならない。大衆をののしることはできないのだ。労働者大衆、農民大衆、学生大衆、民主政党の大多数の成員、知識分子の多数をののしってはならず、大衆と対立してはならず、つねに大衆といっしょでなければならない。大衆も誤りを犯すかもしれない。かれらが誤りを犯したとき、われわれはよく道理を話してやり、よく話してやっても聞かなければ、しばらく待ち、機会があればまた話すようにする。だが、われわれは泳ぐとき水から離れないように、かれらから離れてはならない。劉備は諸葛孔明を得て、「魚の水を得たるがごとし」と言ったが、とれはたしかにあったことで、小説だけでなく、史書にも、魚と水の関係のようであったと書いてある。大衆が諸葛孔明であり、指導者が劉備である。一方は指導する人で、一方は指導される人である。
知恵はみな大衆のところからくるものである。わたしはかねてから、知識分子はいちばん知識がない、と言っている。これは端的に言ったまでの話だ。知識分子が威張ってしっぽを立てると、それは孫悟空のよりも長い。孫悟空は七十二たび変身して、ついにしっぽを旗ざおに変えたが、それは長いものであった。知識分子がしっぽを立てると、それこそたいへんだ。「わしは天下第一といえなくても、天下第二といえよう」。「労働者、農民がなんだ。あの無能な『阿斗』にすぎず、字もろくに読めはしない」。しかし、大局の問題は知識分子が決定するのではなく、最終的には勤労者が決定するのであり、しかもそのうちのもっとも先進的な部分であるプロレタリア階級が決定するのである。
プロレタリア階級がブルジョア階級を指導するのか、それともブルジョア階級がプロレタリア階級を指導するのか。プロレタリア階級が知識分子を指導するのか、それとも知識分子がプロレタリア階級を指導するのか。知識分子はプロレタリア階級の知識分子となるべきであり、ほかに活路はないのである。「皮これ存せざれば、毛将いづくに附かん」〔2〕。以前、知識分子という「毛」は五枚の「皮」にくっ付いていた。つまり五枚の皮にたよって飯を食ってきたのである。一枚目は帝国主義的所有制、二枚目は封建主義的所有制、三枚目は官僚資本主義的所有制である。民主主義革命は三つの大きな山をくつがえすのではなかったか。つまり、帝国主義、封建主義、官僚資本主義を打倒することであった。四枚目は民族資本主義的所有制、五枚目は小生産的所有制、すなわち農民と手工業者の個人的所有制である。以前の知識分子はまえの三枚の皮か、またはあとの二枚の皮に付いており、これらの皮にくっ付いて飯を食ってきたのである。いま、この五枚の皮はまだあるだろうか。「皮これ存せざる」ことになったのである。帝国主義は逃げてしまい、かれらの資産は全部取りもどされた。封建主義的所有制は廃絶されて、土地は農民のものとなり、そのうえ、いまは協同化された。官僚資本主義の企業は国有化された。民族資本主義工商業は公私合営が実行され、基本的には(まだ完全ではないが)社会主義的なものに変わった。腰民と手工業者の個人的所有制は集団的所有制に変わった。もっとも、この制度はいまなお強固ではなく、あと数年たたなければ強固にはならないだろう。この五枚の皮はもうなくなったが、それでもなお「毛」に影響し、資本家に影響し、知識分子に影響しているのである。かれらの班はいつでもそれをおぼえており、夢のなかでも忘れない。旧社会、旧軌道を経てきた人は、どうしてもああいう旧い生活、旧い習慣に木綿を残す。だから、人間の改造は、いっそう時間がかかるのである。
いま、知識分子はどのような皮に付いているのだろうか。共有制の皮に付いているのであり、プロレタリア階級に付いているのである。だれが飯を食わせているのか。労働者と農民にほかならない。知識分子は労働者階級と勤労者に招かれた先生であるが、かれらの子弟に教えるのに主人のいうことを聞かす、自分の考えどおりに八股文や孔子や資本主義といった類のものを教えて、一部の反革命分子を仕立てあげる。これでは、労働者階級は承知せず、きみをやめさせ、来年はもう招聘しなくなるだろう。
百日前、わたしはここで、旧社会から来た知識分子は、もう基礎がなくなり、もとの社会的経済的基礎を失った、つまりあの五枚の皮がなくなったのであるから、新しい皮に付くほかはない、と話したことがある。いま、一部の知識分子は宙ぶらりんの釣瓶みたいな状態にある。かれらは空中を飛び、天にも至らず地にも着かず、である。わたしは、かれらを「梁上の君子」とよぶ。かれらは梁の上を飛んでおり、古巣へもどろうとするが、そこは空っぽになっていて、つまりあの何枚かの皮がなくなっていて、もどれないのである。古巣がなくなったのに、それでも甘んじてプロレタリア階級に付こうとはしない。プロレタリア階級に付くには、プロレタリア階級の思想を研究し、すこしはプロレタリア階級にたいする感情を抱き、労働者、農民と友人にならなければならない。だが、かれらはそうしない。かれらももとのところが空っぽになったことを知っていながら、それでも未練を残している。われわれはいま、かれらに自覚するよう忠告しているのである。この大批判を経て、すこしは自覚するだろうとわたしはおもう。
中間状態にある知識分子は自覚すべきであり、しっぽをあまり高くあげてはならない。かれらの知識は限られたものである。わたしに言わせれば、こういう人は知識分子でもあれば知識分子でもなく、半知識分子と呼んだほうが比較的妥当である。なぜなら、この諸君の知識はそれしかなく、大きな道理を説くとすぐ誤りを犯すからである。いまは右派の知識分子にはふれない、かれらは反動派なのだ。中間状態にある知識分子の犯す誤りとは、動揺し、方向がはっきりせず、ある期間それを見失うことである。それほど知識があるとしたら、どうして誤りを犯すのだろう。見幕がそれほどすごく、しっぽをそれほど高くあげながら、なぜ動揺するのだろうか。まるで土塀の上に生えた草のように、風に吹かれれば、どちらにもなびく。かれらの知識のそれほどでもないことがわかろうというものだ。この面で、知識が多いのは労働者であり、農民のなかの半プロレタリア階級である。孫大雨の例のしろものなど、かれらは一目見れば、正しくないことがすぐわかる。いったい、どちらの知識がゆたかなのだろうか。やはりあまり字を読めない人のほうがゆたかなのだ。大局を決定し、大方向を決定するときは、プロレタリア階級に頼まなくてはならない。わたし自身、なにか事をはこび、なにか大計を立てるばあい、どうしても労農大衆に聞いてみなければ気がすまず、それが可能かどうか、かれらと話しあい、相談しあい、かれらと接触している幹部とも相談してみる、というような人間である。そうするには、各地をまわらなくてはならない。北京にだけ坐っていてはたいへんなことになる、北京はなにも出ないところなのだ。そこには原料がない。原料はみな労働者、農民のところからもってくるのであり、地方からもってくるのである。中国共産党中央はいわば加工工場のようなもので、これらの原料でものをつくるのである。しかも、うまくつくらなくてはならず、うまくつくらなければ誤りを犯す。知識の源泉は大衆にある。人民内部の矛盾を正しく解決するとはどういうことか。実際にもとづいて事をはこび、大衆路線をおしすすめることにほかならない。とどのつまり、大衆路線の四字につきる。大衆から遊離してはならず、われわれと大衆との関係は、魚と水との関係、泳ぐ人と水との関係のようなものである。
右派にたいしては、一撃のもとにたたきのめすべきかどうか。すこしたたいてやるのは必要なことだ。すこしたたかなければ、死んだふりをするであろう。こういう者を、攻撃もせず、追及もしないでいいだろうか。攻撃は必要だ。しかし、攻撃する目的は、かれらを改心させることにある。われわれがさまざまな方法で手がたく攻撃し、かれらを完全に孤立させるならば、かれらをこちら側にひきいれる可能性がうまれ、たとえ全部といわなくとも、とにかく一部の人はひきいれることができる。かれらは知識分子であり、その一部は高級知識分子であって、こちら側にひきいれたら、役に立つのである。かれらをこちら側にひきいれて、なにがしかの仕事をやらせる。しかも、今回かれらは、反面教師となり、反面から人民を教育して、大いに手助けしてくれたのである。われわれはかれらを黄浦江に放りこむつもりはない。やはり病をなおして人を救うという態度で臨んでいる。一部の者はこちら側に来たがらないかもしれない。孫大雨のような者が、もしひじょうにかたくなで、改めようとしないなら、それまでのことだ。いま、われわれにはやるべき事がたくさんある。もしも毎日のように攻撃し、五十年も攻撃していたら、それはたまったものではない。どうしても改めようとしない者は一部いるが、そういう者は誤りをたずさえて棺桶にはいり、閻魔大王に会いに行けばよい。そして閻魔大王に、わたしは五枚の皮を擁護する者で、たいへん「気骨」があり、共産党や人民大衆がわたしを闘争にかけたが、それでも屈服せず、ずっと抵抗してきた、と言えばよい。だが、いまや閻魔大王も代替わりしたことを、知っているだろうか。この閻魔大王は、第一がマルクス、第二がエンゲルス、第三がレーニンである。いま、地獄は二つにわかれており、資本主義世界の閻魔大王はおそらく背のままであろうが、社会主義世界ではいま言った人たちが閻魔大王になっているのである。頑迷な右派は、百年たってもやっつけられるであろう。
〔1〕 『列子』―「天瑞篇」にみられる。
〔2〕 『左伝』―「僖公十四年」にみられる。
① 整風運動のなかで、誤りを犯した指導者が大衆の批判に耳をかたむけ、自己批判をおこなって、大衆の諒解をとりつけることをさす。
(一九五七年七月)
これは、毛沢東同志が一九五七年七月、青島でひらかれた省・市党委員会書記会議の期間に書いた文章である。この会議で配布され、さらに同年八月、党内の指導的幹部に配布された。
わが国の社会主義革命の時期には、反共、反人民、反社会主義のブルジョア右派と人民との矛盾は敵味方のあいだの矛盾であり、食うか食われるかの和解できない敵対性の矛盾である。
労働者階級と共産党に気違いじみた攻撃をかけているブルジョア右派は、反動派であり、反革命派である。そうは呼ばずに、右派と呼ぶのは、一つには中間派の獲得を容易にするためであり、二つには右派を分化させて、一部の右派分子が態度を変え、近づいてこられるようにするためである。
あくまでも態度を変えない一部のブルジョア右派分子は、頑迷派である。かれらが特務にならず、二度と破壊活動をやらないかぎり、かれらにもなんらかの仕事をあたえ、その公民権も剥奪しないようにする。これは、歴史上の多くの事件で極端な政策をとったためによくない結果をまねいたことを考慮したからである。われわれはもうすこし遠くを見とおすべきである。数十年後にこの事件をふりかえってみれば、われわれがこのようにブルジョア右派分子に対処したことが、プロレタリア階級の革命事業に深い影響と大きな利益をもたらしたことがわかるであろう。
われわれの目標は、集中もあれば民主もあり、規律もあれば自由もあり、意志の統一もあれば、個人の気持がのびのびし、生きいきとして活発でもある、という政治的局面をつくり出し、こうして社会主義革命と社会主義建設を有利にし、困難をわりあい克服しやすくし、わが国の現代的工業と現代的農業をわりあい速いテンポで建設し、党と国家をわりあい強固で、わりあい風波にたえられるようなものにすることである。全般的な課題は、人民内部の矛盾を正しく処理し、敵味方の矛盾を正しく処理することである。方法は、実際に即して事を処理し、大衆路線をとることである。そこから出てくるのは、重要な政治方針についての会議を党員と非党員がいっしょにひらき、整風を公開的におこない、党と政府の多くの誤りや欠陥を新聞紙上で批判するという方法である。民主政党、教育界、報道界、科学・技術界、文学・芸術界、医療・衛生界、工商業界、そして労働者階級、農民階級の各階層、手工業労働者および都市と農村のその他の勤労者は、みな整風と社会主義教育をなん回かにわけて逐次すすめていくべきである。このうち、ブルジョア階級とブルジョア知識分子については、社会主義的改造をうけいれさせるという問題であり、小ブルジョア階級(農民や都市と農村の自営の勤労者)、とりわけ富裕中農についても、社会主義的改造をうけいれさせるという問題であるが、労働者階級と共産党の基本部隊については、作風をととのえるという問題である。これは、性質の異なる二つの社会範陣の問題である。このように異なったものであるのに、なぜ、いずれのばあいにも整風というスローガンをつかうのか。それは、整風というスローガンが多くの人にわりあい受けいれられやすいからである。われわれは、人びとにこういう――共産党と労働者階級でさえ整風をしているのに、きみたちは整風をしなくてもいいのか、と。これで、われわれは完全に主動的な立場に立つ。整風のやり方は、批判と自己批判をおこない、事実をならべて道理をとくのである。整風の目的は、政治方向をただし、思想的水準を高め、仕事のなかの欠陥を改め、広範な大衆を団結させ、ブルジョア右派と社会主義に反対するすべての分子を孤立させ、分化させる方向に、闘争をみちびくことにある。ここでいうブルジョア右派のなかには、共産党や青年団にまぎれこんで、党外、団外の右派分子とまったく同じ政治的態度をとっている者も含まれる。かれらは、プロレタリア階級の革命事業を裏切り、党にたいして気違いじみた攻撃をくわえた。したがって、党と青年団の組織の純潔を守るために、かれらをあますところなく暴露し、除名すべきである。
大衆の多数、まずもって労働者、農民という基本的大衆の多数をあくまでも信頼しなければならない。これがわれわれの基本的な出発点である。工商業界や文化・教育界についてみても、右派が狂気のように攻撃をかけてきたときには、その多くの人が、一時だまされ、動揺もした。だが、数週間後に右派への反撃がくりひろげられると、多くの人はめざめ、こちらの側についてきた。したがって、工商業界や文化・教育界の多数も、最終的にはやはり信頼できる人たちで、改造をうけいれるれるのである。少なからぬ同志は、かつてプロレタリア階級の力を過小に評価し、ブルジョア右派の力を過大に評価するという誤りを犯した。いま、地区、県、区、郷および工場の幹部のあいだにも、まだそのような人がたくさんいるが、味方の側の力を過小に評価したり、敵側の力を過大に評価したりしないよう、よく説得すべきである。農村では、地主、富農が改造されつつあるが、そのうち一部の者はまだ攪乱をつづけているから、かれらにたいする警戒心を高めなければならない。富裕中農についていえば、多数の者は協同組合にとどまりたいと思っているが、少数の者は脱退すると騒ぎたて、資本主義の道を歩もうとしている。われわれは、それぞれ区別して対処すべきである。農村では、階級路線に留意しなければならず、もとの貧農と届農に指導機関で優勢を占めさせる一方、中農との団結にも気をくばらなければならない。わたしは、中央がただちにつぎのような指示を出すことに賛成する。つまり、農村の全住民に大規模な社会主義教育をほどこして、党内の右翼日和見主義思想を批判し、いちぶ幹部の部門本位主義思想を批判し、富裕中農の資本主義思想と個人主義思想を批判し、地主、富農の反革命的行動に打撃をあたえる、ということである。そのおもなほこ先は動揺している富裕中農にむけ、かれらの資本主義思想にたいして理づめの闘争をおこなうのである。これからは、年に一度、確固とした理づめの闘争をおこない、これを区や郷の幹部の弊風(三級組合の整頓と呼応させて、協同組合を一歩一歩うち固めていくようにする。農村でも、まず農民に「鳴放」させる、つまり、意見を出させ、論議をおこなわせる。そして、よい意見はとりいれ、よくない意見は批判する。こうしたことは、地元の幹部が上級から派遣された工作組の協力を得て農村の整風を主宰するという条件のもとで、逐次おしすすめていくべきである。都市とおなじく、農村にもやはり、社会主義か資本主義かという二つの道の闘争がある。この闘争で徹底的な勝利をかちとるには、ひじょうに長い時間がかかる。これは過渡期の全期間にわたる任務である。農村では、勤倹の精神で家計をきりもりすることと、勤倹の精神で協同組合を経営することとをあわせて提唱し、国を愛し、協同組合を愛することと、家庭を愛することとをあわせて提唱すべきである。勤倹の精神で家計をきりもりする問題を解決するには、とりわけ婦人団体の活動に依拠しなければならない。ここ数年間は、年々、現物農業税三百五十億斤と食糧買付五百億斤をぜひとも確保しなければならず、これより少なくてはならない。ただ、その年の作柄におうじて、なにほどかは調整してもよい。農村では、年々増産し、食糧不足農家が年々減っているから、ここでの食糧販売量も年々減らしていくべきである。都市でも、食糧販売量の多すぎるところでは、やはり適宜に減らしていくべきである。こうしてはじめて、国家の食糧備蓄量を年々ふやし、おこりうべき緊急のさいの必要にそなえることができる。もしも八百五十億斤前後の食糧を確保できないなら、市場の物価にひびき、国民経済計画全般の順調な遂行にひびき、緊急事態に対処するすべもなくなる。これはひじょうに危険なことである。ことしは秋の収穫前に、国家の利益と集団の利益をかえりみない個人主義や部門本位主義にたいする闘争を農村でおこなわなければならない。
反革命分子がいれば、かならず粛清する。処刑者の数は少なくしなければならないが、死刑はけっして廃止せず、大赦もけっしておこなわない。刑期満了で釈放されても、ふたたび罪を犯した者は、ふたたび逮捕して、刑を科する。社会のごろつき、不良、窃盗、殺人、強姦、汚職、公共秩序の破壊、ゆゆしい法規・規律違反などの重罪犯、および公衆が悪質分子だと認めた者は、かならず処罰しなければならない。いま、公安・司法部門の一部の要員は、その職分を放棄して、ほんらい逮捕・処罰すべき者をも逮捕・処罰していないが、これはまちがっている。軽い罪に重い刑を科するのはまちがいだが、重い罪に軽い刑を科するのもまちがいである。当面の危険は後者にある。賭博は禁止する。反動的な結社・教団にたいする取り締まりは厳正におこなう。右派学生の頭目には、徹底した批判をくわえるべきであるが、一般には、もとのところで監督、改造し、これを「教師」にすればよい。以上の諸点は過渡期に適用されるもので、省・市・自治区の党委員会が責任をもってこれにあたる。中央の政策・法令にそむかないという条件のもとで、地方の公安・司法、文化・教育部門は、省・市・自治区の党委員会および省・市・自治区の人民委員会の指示にしたがい、それに違反してはならない。
人民内部の矛盾を正しく処理するというのが全般的な課題である。大いに論議して、それになれてしまえば、別に不思議に思わなくなる。人民内部の矛盾について納得し、みんなにはっきり説明し、一部の問題を正しく処理して、効果をおさめ、経験を身につければ、もう恐れることはない。
もう一度くりかえすと、人民内部の矛盾を正しく処理するという問題は、わが党がかねてからとなえてきた大衆路線を歩むということである。共産党員は、事を処理するさい、大衆と相談することに長じていなければならず、どんなばあいでも大衆から遊離してはならない。党と大衆との関係は、水魚のまじわりにたとえられる。もしも党と大衆の関係がうまくいかなければ、社会主義制度をきずきあげることはできないし、たとえ社会主義制度をきすきあげたとしても、それを強固にすることはできない。
軍隊ではすでにいくども整風をおこなって、三大規律・八項注意を実行し、軍事面、政治面、経済面の三大民主を実行し、戦時には分隊に互助組をもうけ、将校と兵士、軍隊と人民が一つにとけあうようにし、人をなぐったり、ののしったりするのを禁止し、逃亡兵を銃殺するのを禁止している。したがって、士気があがり、戦えばかならず勝つ。武器を手にした軍隊でさえこのようにやれるのに、工場、農村、機関、学校で民主を発揚し、圧服の方法ではなく説得の方法で自分の問題(矛盾)を解決することがどうしてできないのであろうか。
帝国主義をも恐れないのに、なぜ民衆を恐れるのか。民衆を恐れて、人民大衆は道理をわきまえないから説得ができず、圧服のほかはないなどと考えるような人は、ほんとうの共産主義者ではない。
整風のなかでは、裏切り者と、法規・規律にひどくそむいた者との二種類の人びとを除いて、すべての党員と青年団員に保護をくわえ、かれらが誤りや欠点を改め、活動の方法を改善し、活動の能力を高め、政治的水準を高め、思想的水準を高めていくよう、誠心誠意、大いに援助する。共産党員は、ぜひとも生気がなければならず、ぜひとも強固な革命的意志がなければならず、ぜひとも困難を恐れずに、不撓不屈の意志でいかなる困難をも克服していくという精神がなければならず、ぜひとも個人主義、部門本位主義、絶対的均等主義、自由主義を克服しなければならない。さもなければ、名実あいともなう共産党員とはいえない。生気をうしない、革命的意志をうしない、またはあくまで誤りをつづけるような一部の人にたいしては、くりかえしいましめても改めないばあい、党委員会がしかるべく処理し、誤りのはなはだしい者には規律上の処分をくわえるべきである。
省・市・自治区党委員会の第一書記(他の書記も同様)は、半年から一年のうちに、一つの協同組合、一つの工場、一つの商店、一つの学校を自分で研究して、その知識を身につけ、発言権を獲得し、それを全般的な活動の指導に役立てるようにすべきである。地区、県、区の党委員会書記もそうすべきである。
今回のブルジョア右派にたいする批判の意義を低く見てはならない。これは、政治戦線と思想戦線における偉大な社会主義革命である。一九五六年の経済戦線(生産手段の所有制)における社会主義革命だけでは、まだ十分でもないし、強固でもない。ハンガリー事件がそれを立証している。さらに政治戦線と思想戦線における徹底した社会主義革命がなければならない。共産党は、民主政党、知識界、工商業界の一部の人(右派)にたいしては、もちろん、指導権をもつことができない、なぜなら かれらは敵だからである。多数の人びと(中間派)にたいしても、指導権は強固ではない。一部の文化・教育部門では、党の指導がまったく確立されていない。われわれは中間派にたいする強固な指導権をうちたてるべきであり、しかもそれをできるだけはやく強化しなければならない。ブルジョア階級とブルジョア知識分子は共産党に心服しておらず、そのなかの右派分子はわれわれと張りあう腹をきめている。張りあって、失敗してからはじめて、かれらは自分たちの時世がすでにすぎ去り、望みがなくなったことを認める。その時になってはじめて、かれらのなかの多数の人びと(中間派および一部の右派)は、しだいにおとなしくなり、自分のブルジョア階級の立場をしだいに放棄して、プロレタリア階級の側に立つようになり、プロレタリア階級にたよって飯を食おうと決意するようになる。死ぬまで改めようとしない少数の者には、その反動的な観点を棺桶のなかまで持っていかせるほかはない。しかし、われわれは警戒心を高めるべきである。機会さえあれば、かれらはまた波風を立てるということを心得ておかなければならない。この闘争は、こんごまだ十年から十五年にわたってつづく可能性がある。うまくやれば、期間をちぢめることもできよう。もちろん、十年から十五年後には階級闘争がなくなるというのではない。世界に帝国主義とブルジョア階級が存在するかぎり、わが国の反革命分子とブルジョア右派分子の活動は、つねに階級闘争の性質を帯びるばかりでなく、またつねに国際的な反動派と呼応しあうことであろう。いまおこなわれている闘争は、ある必要な期間を経たのち、思想面でいっそう深い、徹底したものにするため、あらしのようなはげしい形態から、そよ風のようなおだやかな形態に変えていかなければならない。最初の決定的な戦闘では、これまでの数ヵ月、主としてこの二ヵ月のあいだに、われわれはすでに勝利をかちとった。しかし、全面的な勝利をかちとるには、なおいく月かの時間をかけてほりさげていく必要があり、けっして軽がるしく兵をひいてはならない。もしこの一戦に勝てなければ、社会主義は望めないのだということを心得ておかなければならない。
大弁論は全人民的なもので、革命と建設の仕事は正しいのかどうか(革命と建設の成果が主要なものなのかどうか)、社会主義の道を歩むべきかどうか、共産党の指導は必要なのかどうか、プロレタリア階級の独裁は必要なのかどうか、民主集中制は必要なのかどうか、わが国の外交政策は正しいのかどうかといった重要な諸問題をすでに解決したか、または解決しつつある。このような全人民的な大弁論がおこるのは、きわめて自然なことである。ソ連では二十年代におこったことがあるが(一国で社会主義を建設できるかどうかについてトロツキーらと弁論した〔1〕)、わが国では五十年代の七年目におこった。もしもこの弁論で完全な勝利をかちとれないなら、われわれは前進をつづけることができない。弁論で勝利しさえすれば、わが国の社会主義的改造と社会主義建設は大いに促進されるであろう。これは、世界的な意義をもつ偉大なできごとである。
わが国で現代的工業の基礎と現代的農業の基礎をきずきあげるには、いまから十年ないし十五年はかかるということをわきまえていなければならない。十年ないし十五年かかって社会的生産力がわりあい十分に発展したときにはじめて、われわれの社会主義の経済制度と政治制度はわりあい十分な物質的土台(いまはまだこの物質的土台がきわめて不十分である)を獲得したといえるのであり、われわれの国家(上部構造)は十分強固になったといえるし、社会主義社会は根本的にきずきあげられたといえるのである。いまはまだきずきあげられたとはいえず、まだ十年ないし十五年の時間がかかる。社会主義をきずきあげるためには、労働者階級は、自分じしんの技術幹部の隊列をもたなければならないし、自分じしんの教授、教員、科学者、新聞記者、文学者、芸術家、マルクス主義理論家の隊列をもたなければならない。それは壮大な隊列であるべきで、人数が少なくてはだめである。この任務は、こんご十年ないし十五年のあいだに基本的に達成すべきである。十年ないし十五年以後の任務は、生産力をさらに発展させ、労働者階級の知識分子の隊列をさらに拡大し、社会主義から共産主義に逐次移行するのに必要な条件をととのえ、八回ないし十回の五ヵ年計画を経て経済の面でアメリカに追いつき、追いこすようにすることである。共産党員、青年団員、そして全人民の一人びとりがこの任務をわきまえておかねばならず、学習にはげまなければならない。条件のある者は、技術を学び、業務を学び、理論を学ぶようにつとめ、労働者階級の知識分子の新しい部隊(この新しい部隊のなかには、旧社会の知識分子で真に改造を経たあと、しっかりと労働者階級の立場に立つようになったすべての者が含まれる)をつくりあげていかなければならない。これは、歴史がわれわれに課した偉大な任務である。この労働者階級の知識分子の壮大な新しい部隊がつくりあげられるまでは、労働者階級の革命事業は十分に強固なものとはなりえない。
中央と省・市との二つの段階で整風、右派批判、中間的大衆の獲得という三つの任務の面における経験をつんだことは、大切なことである。この経験をつむと、物事はやりやすくなる。こんご数ヵ月の作礎は、地区と県の段階で経験をつむよう教えていくことである。いまから今年の冬または来年の春までに、区と郷の段階で経験をつむよう一歩一歩と教えていく。都市では、区の段階、基層の工場・鉱山、町内の居民委員会で経験をつむよう教えていく。このようにすれば、視野がぱっとひらけ、多くの人にとって大衆路線がただの空文句ではなくなり、人民内部の矛盾がわりあい解決しやすくなる。
省・市・自治区党委員会の第一書記と全委員は、この偉大な闘争を完全に掌握していかなければならない。民主政党(政治界)、教育界、報道界(すべての新聞と雑誌を含む)、科学・技術界、文学・芸術界、医療・衛生界、工商業界などの政治面、思想面の改造の仕事を完全に自分たちの手に握らなければならない。各省・市・自治区は、それぞれ自分たちのマルクス主義理論家、科学者と技術人材、文学者、芸術家と文学・芸術理論家、新聞、雑誌のすぐれた編集者と記者をもたなければならない。第一初期(他の書記も同様)は、とりわけ新聞、雑誌に注意をはらうべきで、骨惜しみをしてはならず、各人が少なくとも五種類の新聞、五種類の雑誌を読みくらべなければならない。こうしてこそはじめて、自分たちの新聞、雑誌を改善することができるのである。
右派にたいする批判は、民主政党、知識界、工商業界の全体をはげしくゆさぶった。かれらのなかの多数の人びと(中間派)は、社会主義の道とプロレタリア階級の指導とをうけいれる傾向にあることを心にとめておくべきである。このような傾向は、人によって程度の差がある。いまのところ、真に社会主義の道をうけいれ、真にプロレタリア階級の指導をうけいれるというこれらの基本点は、かれらのばあいまだ一つの傾向にすぎないが、こうした傾向があるかぎり、かれらがブルジョア階級の立場から労働者階級の立場への長い道のりの第一歩をふみだしたのだということを知るべきである。もし一年の時間(今年の五月から来年の五月まで)をかけて整風をおこなえば、大きく一歩をふみだすことができるであろう。これらの人は、これまで社会主義革命に参加する心がまえがなかった。この革命は、かれらにとっては突然おこったのである。共産党員のあいだでも、一部の人にとってはそうであった。右派批判と整風は、この人たちや広範な人びとにとって深刻な社会主義教育となるであろう。
大字報は、商店の売り場、農村(区、郷)、小学校、軍隊の大隊と中隊以外のところでは、どこに張ってもよい。わが国の条件のもとでは、これはプロレタリア階級に有利で、ブルジョア階級には不利な闘争形式である。大字報を恐れるのは、いわれのないことである。大学でも、中央、省・市、地区、県の機関や都市の大企業でも、大宇報、座談会、弁論会は、矛盾を暴露、克服し、人びとの進歩を促すうえでの三つのよい形式である。
整風の期間、いかなるばあいにも生産や仕事に支障をきたしてはならない。各地の整風は、所属のすべての単位でいっせいにおこなうのではなく、何回かにわけてすすめるべきである。
はげしい波浪を恐れてはならず、ぐっともちこたえ頑張りとおさなければならない。一つの単位についていうと、ほぼ二、三週間もすれば、峠をこすもので、それからは右派にたいする反撃の新段階にうつることができる。二、三週間のあいだ、各単位の指導者は、右派の気違いじみた攻撃には、ぐっともちこたえて取りあわず、ただ聞くだけで反駁はせず、精神を集中して分析、研究をくわえ、力をあつめて反撃の準備をととのえ、左派を結集し、中間派を獲得し、右派を孤立させる。これは、マルクス主義の一連のすぐれた戦術である。
大鳴大放の段階(整風をやりながら改革する)、右派に反撃をくわえる段階(整風をやりながら改革する)、整頓と改革に重点をおく段階(ひきつづき鳴放する)、各人が文献を学習し、批判と自己点検をおこなって、自己を高める段階 これは、中央、省・市、地区、県のそれぞれの整風でかならずたどらなければならない四つの段階である。このほかに、都市と農村の基層組織でも整風をおこなう。このように整風をおこなえば、全党と全国人民の様相はかならず一新するであろう。
九月の中央委員会総会にそなえて、省・市・自治区段階の党委員会と地区段階の党委員会の第一書記は、八月に一定の時間をさいて、農村における協同組合の整頓、生産、食糧などの諸問題をしらべておいてもらいたい。四十ヵ条の全国農業発展要綱は改正する必要があるかどうかも、各条ごとに検討してもらいたい。
〔1〕 「ソ連共産党(ボリシェビキ)歴史小数程』第九章第五節を参照。
(一九五七年十月九日)
これは、毛沢東同志が中国共産党第八期中央委員会第三回拡大総会でおこなった講話である。
こんどの会議はひじょうによかった。省委員会、地区委員会の同志も参加したこのような中央委員会拡大総会は、実際には三クラスの幹部の会議である。それは、方針の明確化、経験の交流、意志の統一に役立つ。
このような会議は、一年に一回ひらく必要があるだろう。わが国のような大きな国では、仕事がひじょうに複雑だからである。昨年一年はひらかなかったため、右よりの傾向があらわれて、えらい目にあった。一昨年はもりあがりをみせたが、昨年はたるみが出た。もっとも、昨年は第八回党大会をひらいたので、時間もなかったのだ。今後、このような会議をひらくときには、少数の県委員会書記や一部大都市の若干名の区委員会書記を参加させてもよい。たとえば、あと百人ぐらいふやしてもよかろう。各省でも、全省的規模の三クラスまたは四クラスの幹部の会議をひらき、一部の協同組合の幹部も参加させて、問題がはっきりするまで話しあうよう提案する。これが第一点である。
第二点、政府についてのべよう。大胆に放をさせ、徹底的に放をさせ、断固として放をさせなくてはならず、大胆に改め、徹底的に改め、断固として改めなくてはならない。われわれには、このような決心がなくてはならない。では、さらに反右派闘争をくわえて、大いに右派に反対する必要があるだろうか。それはくわえなくてもよい。なぜなら反右派は軌道にのっており、一部のところではもう終わっているからである。いまの重点は基層組織で放をさせ、基層組織で改めること、つまり県、区、郷の三段階における鳴放と整頓・改革である。中央と省・市段階でも、一部の部門では、やはり放をさせなければならないが、重点は改めることにある。
ことしは、大衆が二楠の革命形態、大衆闘争の形態を考えだした。大鳴、大放、大弁論、大字報というのがそれである。いま、われわれの革命は、その内容にまことに通した形式をさがしあてた。このような形式は、以前には現われえなかったものである。以前は戦争、五大運動〔1〕、三大改造①といったものなので、このようにじっくりと弁論する形式はうまれえなかった。当時は、じっくりと弁論し、事実をならべ、道理を説き、これを一年間もつづけるというようなことは、許されなかったのである。いまでは、それができる。われわれのさがしあてたこの形式は、現在の大衆闘争の内容に適しており、現在の階級闘争の内容に適しており、人民内部の矛盾に属する問題を正しく処理するのに適している。この形式をしっかりつかめば、これからのことはずっとやりやすくなる。原則的な是非の問題にしろ非原則的な是非の問題にしろ、また革命の問題にしろ建設の問題にしろ、みなこの嶋放、弁論の形式で解決でき、しかも比較的はやく解決することができる。左派は中間派といっしょに鳴放、弁論しているばかりでなく、まったく公然と、右派といっしょに鳴放、弁論し、農村では地主、富農といっしょに鳴放、弁論している。「一党の天下」とか、「共産党は政権をゆずれ」とか、「かごから降りろ」とか、こうした言い草を公然と新聞に載せており、「恥」をかくのを恐れない。われわれはいましがた「かごに乗った」ばかりなのに、右派は「かごから降りろ」と追っている。このような大鳴、大放、大弁論、大字報の形式は、大衆の主動性を発揮させ、大衆の責任感を強めるのにもっとも適している。
わが党には民主の伝統がある。民主の伝統がなければ、このような大鳴大放、大論争大弁論、大字報をうけいれることはできなかったであろう。延安での整風のときは、七、八人が一つのグループになって、数ヵ月間、ノートをつくり、自分で反省し、たがいに助けあった。わたしの接触した人はみな、あのときの整風に感謝しており、主観主義を改めるようになったのはそのときからだと言っている。土地改革のときは、事あるごとに大衆と相談し、意志の疎通をはかった。われわれの軍隊では、中隊長が兵士たちにふとんをかけてやり、まったく平等に、友情をこめて兵士と語りあった。延安での整風、土地改革、軍隊での民主生活、それに「三査三整」〔2〕、そのあとの「三反」「五反」、知識分子の思想改造など、どの過程でも豊富な民主の形式がうまれた。だが、こんどのように大鳴、大放、大論争、大弁論をくりひろげ、そのあと、なおおだやかな方法で相談し、啓発するというこの形式は、いまの時点ではじめてうまれえたのである。このような形式をさがしあてたことは、われわれの事業にとって大いに有益であり、主観主義、官僚主義、命令主義(命令主義とは、人をなぐったり、ののしったりして、強制的にやらせること)を克服すること、指導的幹部が大衆とうちとけるということも、容易にやれるようになった。
われわれの民主的伝統は、ことし、ひじょうに大きな発展をみたが、今後は大鳴、大放、大弁論、大字報という形式を伝えていかなくてはならない。このような形式は、社会主義の民主を十分に発揚するものである。このような民主は、社会主義国にのみ存在しうるもので、資本主義国には存在しえない。このような民主の基礎の上では、集中が弱められるのではなく、集中制がいっそう強固となり、プロレタリア階級独裁がいっそう強化される。なぜなら、プロレタリア階級独裁は広範な同盟軍に依拠しなければならず、プロレタリア階級という一つの階級だけではやっていけないからである。中国のプロレタリア階級は人数が少なく、一千万人余りしかいないため、数億にのぼる貧農、下層中農、都市の貧民、貧しい手工業者、革命的知識分子に依拠してこそ、独裁を実行しうるのであり、さもなければそれは不可能である。いま、われわれがかれらの積極性を発揮させたため、プロレタリア階級独裁は強固になったのである。
第三点、農業について。農業発展要綱四十ヵ条はすでに改正され、まもなく公表されるであろう。同志諸君は、ひとつ、農村で弁論と討議をりっぱに組織してもらいたい。わたしは一部の同志に、地区段階では農業計画をたてる必要があるかどうか、とたずねてみた。すると、やはりその必要がある、という答えであった。区段階ではその必要があるがどうか。やはり必要がある、ということであった。郷ではその必要があるかどうか。それも必要があるとのことであった。協同組合もやはりその必要がある。そうすると、省、地区、県、区、郷、協同組合の六段階で計画をたてることになる。諸君はこの農業企画の作成にしっかり力をいれることを重視してもらいたい。企画と計画は同じことで、つかいなれてしまえば、企画と言ってもよい。あくまでも全面的に企画し、指導を強化し、書記みずからとりくみ、全党で組合づくりにあたるようにしなくてはならない。昨年の後半は、全党で組合づくりにあたるのではなかったし、書記もみずからとりくむことをあまりしなかったようだ。今年は、あくまでもこのようにやらなくてはならない。
企画は、いったい、いつ頃までにできあがるだろうか。何人かの同志にたずねてみたところ、一部の地方ではすでにできあがっており、一部の地方ではまだ完全にはできあがっていないとのことである。いまの重点は皆、地区、県の三段階にあるが、今年の冬または来年の春までにできあがるだろうか。もしできないとしても、来年じゅうにはどうしてもつくりあげなくてはならず、しかも六段階ともつくりあげなくてはならない。なぜなら、われわれには数年の経験があるし、全国農業発展要綱四十ヵ条もほぼできあがっているからである。農業発展要綱四十ヵ条、省の企画、その他各段階の企画は、どれも農村へもっていって討議させなくてはならない。しかし、七つの企画をいちどに討議するのではあまりにも多すぎる、やはり何回かにわけて大衆のなかへもちこみ、鳴放と弁論をさせるようにしなくてはならない。ここで言っているのは長期的な企画のことである。つくったとしても、将来、通さなくなったらどうするか。さらに何年かの経験をつむと、また手直しをしなくてはならない。たとえば「四十ヵ条」は、何年かたてば、やはり手直しをしなくてはならない。手直しをしないというわけにはいかないのだ。わたしの見るところ、だいたい三年に一回小幅の手直しをし、五年に一回大幅の手直しをすることになろう。とにかく、企画のあるほうが、ないよりもましだ。全部で十二年だが、もう二年過ぎたから、あと十年しかない。このうえしっかりと取りくまないでいたら、「四十ヵ条」に定めた二種類の地区の畝あたり収量それぞれ四百斤、五百斤、八百斤という計画目標は、見込みはずれとなるおそれがある。しっかりと取りくめれば、達成されるであろう。
わたしの見るところ、中国はともかく集約農法で飯を食うことである。将来、中国は世界一の多収穫国にならなければならない。ある県ではすでに畝あたり千斤に達しているが、半世紀で二千斤に高めるわけにはいかないだろうか。将来、黄河以北は畝あたり八百斤、淮河以北は千斤、淮河以南は二千斤ということにしたらどうだろう。二一世紀の初頭にこの目標を達成するまでには、まだ数十年あり、あるいはそんなに長い期間を必要としないかもしれない。われわれは集約農法で飯を食うのだから、すこしくらい人間が多くても、食うには困らない。わたしの見るところ、一人平均三畝では土地が多すぎる、将来はわずか何分かの土地があれば十分に食っていけると思う。もちろん、産児制限はやはりやらなくてはならず、子供を生むように奨励しているわけではない。
同志諸君は、農民の食糧消費の実状を調べてもらいたい。勤倹の精神で家計をきりもりし、食糧を節約して、蓄積をはかるよう、提唱しなくてはならない。国に蓄積があり、協同組合に蓄積があり、家庭に蓄積がある――この三種の蓄積があれば、われわれは豊かになる。そうではなくて、のこらず食べてしまったら、どうして豊かになるだろうか。
ことし、豊作であった地方、災害のなかった地方では、すべて蓄積をすこしふやすべきである。豊作で凶作を補うというのは、たいへん必要なことである。ある省の協同組合では、公共積立金(五パーセント)、公益金(五パーセント)、管理費のほかに、生産費が総生産額の二〇パーセントを占めているが、そのうち基本建設費が生産費の二○パーセントを占めている。他の省の同志と相談してみたところ、基本建設費がすこし多すぎるようだと言っていた。きょうの話はみな提案の性質をおびたもので、やれるところでは実行し、やれないところでは実行しなくてもよい、また、各省各県は一律であってはならない。諸君が検討してくれたらよい。これまで、一部の地方では、協同組合の管理費の占める比率が大きすぎたから、一パーセントにまで減らすべきである。管理費とは、協同組合の幹部への手当と事務費をさす。管理費を減らし、農地基本建設費をふやすべきである。
中国人は気概がなくてはならない。われわれは全国の都市と農村のひとりひとりにたいし、遠大な目標をもて、気概がなくてはならぬ、と教育すべきである。大いに食い、大いに飲んで、のこらず飲み食いしてしまう、これを一種の気概と言えるだろうか。そんなものは気概とは言えない。勤倹の精神で家計をきりもりし、遠い先のことまで考えなくてはならない。嫁とりや葬儀など、慶弔の行事とかで豪勢な宴席をもうけるのは、まったく不必要なことである。こうした点で節約をすべきであり、浪費をしてはならない。これはふるい慣習を改めることである。この慣習を改めるには、大鳴大放、もしかすると小鳴小放かもしれぬが、それによってひとつ論争をしなくてはならない。それから、賭博というような問題も、以前は禁止しようがなかった。これは、大鳴大放し、論争を経てのみ、はじめて改めることができるのである。ふるい慣習を改めることも企画のなかに組みいれなければならないとおもう。
それから、四害を退治し、衛生に注意するという問題がある。ネズミ、スズメ、ハエ、蚊というこの四つのものを一掃することに、わたしはひじょうに意をそそいでいる。あと十年しかないが、今年は準備し、動員をしておいて、来年の春にやるというわけにはいかないだろうか。ハエはそのころに発生するからである。やはりこういったものを一掃し、国ぜんたいが大いに衛生に注意するようになるべきだとおもう。これが文化というもので、この文化を大いに高めなくてはならないのだ。競争をくりひろげて、ぜひともこれらのものを一掃し、だれもが清潔で、衛生に気をくばるようにならなくてはならない。各省、各県ででこぼこがあってもよい。どのみち、どこが英雄であるかをみるのである。中国は、一にネズミがいない、二にスズメがいない、二にハエがいない、四に蚊がいない、という四無の国にならなくてはならない。
計画出産も、十年の計画をたてるべきである。少数民族地区ではおし広めてはならず、人口の少ない地方でもおし広めてはならない。たとえ人口の多い地方でも、まず試験的にやってみて、逐次おし広め、しだいに全面的な計画出産にもっていくべきである。計画出産については公然と教育しなくてはならず、これまた大鳴大放、大弁論でやるほかはない。人類は出産の面でまったく無政府状態にあり、自分で自分をコントロールすることができない。将来、完全な計画出産を実現しようとしても、もしも社会の力がなく、みんなが同意し、みんながいっしょにやるのでなければ、これはできない相談である。
このほかに、総合計画の問題がある。いまのべたのは農業計画であるが、まだ工業計画、商業計画、文化・教育計画がある。工業、農業、商業、文化・教育の総合計画はぜひとも必要であり、それらをまとめて互いにかみあわせるのである。
試験田をつくる経験は、普遍的におし広める価値がある。それは、県、区、郷、協同組合の指導的幹部がみな小面積の田畑を耕し、高い収穫をあげることができるかどうか、またどのような方法で高い収穫をあげるかを実験するのである。
われわれは、農業技術の素養がなくてはならない。農業をやるのに、技術を学ばなくてはもうだめである。政治と業務は対立面の統一であるが、政治は主要な側面、第一義的な側面であり、政治に無関心という傾向にはぜひとも反対しなくてはならない。だが、政治をやるだけで、技術がわからす、業務がわからないというのも、よろしくない。われわれの同志は、工業、農業、商業、文化・教育のどれをやるにしても、みな技術と業務をすこし学ばなくてはならない。これも十年の企画をたてる必要があるとおもう。われわれの各業種の幹部は、みな技術と業務に精通して、それぞれその道の玄人となり、「紅」でもあり「専」でもあるようにつとめなくてはならない。さきに「専」をめざし、「紅」はあとにするというのは、さきに白く、そのあとで赤くなるということであり、これは誤りである。こうした人は、実際には白いままでおし通そうとするのであり、あとで赤くなるというのは空言にすぎないからである。いま、一部の幹部は、赤いといっても赤くはなく、富農の思想になっている。一部の者は白く、たとえば党内の右派は政治的には白色であり、技術的にも「専」ではない。一部の者は灰色であり、さらに一部の者は桃色である。わが五星紅旗のようにほんとうに真っ赤なのは、左派である。しかし、「紅」であるだけではまだ不十分で、そのうえに業務がわかっており、技術もわかっていなくてはならない。いま、多くの幹部は「紅」であるだけで、「専」ではなく、業務も、技術もわかっていない。右派は、われわれが指導することはできない、つまり、「素人が玄人を指導することはできない」、と言っている。われわれは右派に反駁して、われわれは指導できる、と言った。われわれができるというのは、政治面ではできるということである。技術となると、われわれにはまだわからないところがたくさんある、だが、そうした技術は学びとることができるのである。
プロレタリア階級は、もしも自分じしんの強大な技術陣と理論陣がなければ、社会主義をきずきあげることができない。われわれはここ十年内に(科学計画も十二年で、あと十年ある)、プロレタリア知識分子の隊列をつくらなくてはならない。わが党の党員と党外の積極分子は、プロレタリア知識分子になるよう努力すべきである。各段階、とくに省、地区、県の三段階では、プロレタリア知識分子を養成する計画をたてなくてはならない。さもなければ、時が過ぎても、まだ人が育っていないということになる。中国には、「木を育てるには十年、人を育てるには百年」という古いことばがある。人材養成には百年というが、九十年へらして、十年で養成する。植樹には十年というのは間違いで、南部では二十五年、北部ではもっと長い時間がかかる。むしろ、十年で人材を養成することは可能である。もう八年過ぎたが、あと十年くわえて、十八年もあれば、マルクス主義の思想をもった、労働者階級の専門家の隊列を、ほぼつくりあげることができるとおもう。その後は、この隊列を拡大し、向上させていけばよい。
農業と工業との関係についていえば、もちろん、重工業を中心とし、重工業を優先的に発展させること、この点はまったく問題がなく、いささかもゆらぐことはない。だが、これを前提として、工業と農業を同時に発展させ、現代化した工業と現代化した農業を一歩一歩うち立てていくべきである。以前、われわれはよくわが国を工業国にきずきあげると言ったものだが、実をいうと、これには農業の現代化もふくまれている。いまは、農業の宣伝に重点をおくべきである。この問題については、鄧小平同志もふれている。
第四点、二つの方法について。事をはこぶには少なくとも二つの方法がある。一つはわりあい遅く、わりあいまずく目的を達成する方法であり、もう一つはわりあいはやく、わりあいよく目的を達成する方法である。どちらにも速度の問題、質の問題がふくまれている。一つの方法だけを考えるのではなく、いつも二つの方法を考えなくてはならない。たとえば、鉄道を敷設するにも、路線をきめるには、いくつかの案をつくって、そのなかから一つを選ぶようにしなくてはならない。数種の方法を比べてもよいが、少なくとも二つの方法は比べることである。たとえば、大鳴大放でいくか、それとも小鳴小放でいくか。大字報を使うか、それとも使わないか。この二つの方法のうち、いったい、どちらがよいのかを比べるのである。こうした問題はじつに多いが、ともかく、鳴放がやられていない。北京にある三十四の大学は、どれも鳴放がやられておらず、さわやかに鳴放をやってのけた大学は一つもない。それというのも、これは火をつけて身を焼く問題だからである。鳴放をさせるには、じゅうぶん説得しなくてはならず、しかもかなりの圧力をかけなくてはならない。つまり、公然と呼びかけ、多くの会議をひらき、王手をかけ、「追いつめられて梁山にのぼる」②ようにさせるのである。以前の革命では、あれこれの方法、あれこれの政策のどれを取るかについて、党内に異なった意見がたくさんあったが、けっきょく、わりあい実状に合った政策をとった。このため、抗日戦争と解放戦争の時期は、その前のいくつかの時期に比べて進歩したのである。建設の方針についても、あれこれ考えられるが、やはり、わりあい実状にあった方針をとらなくてはならない。
ソ連の建設の経験はわりあい全面的である。全面的とは、誤りを犯すことがふくまれているということである。誤りを犯さなければ、全面的とはいえない。ソ連に学ぶとは、なにもかも機械的に取りいれることではない。機械的に取りいれるのは教条主義である。われわれは教条主義を批判したあとで、ソ連に学ぶよう提唱した、だから危険はない。延安での整風および第七回党大会のあとで、われわれはソ連に学ぶよう強調したが、これはわれわれにとって損なことではなく、有利なことであった。革命の面では、われわれには経験がある。だが、建設の面では、まだ取りかかったばかりで、八年しかたっていない。われわれの建設は、成果が主要なものだが、誤りがなかったわけではない。誤りは将来も犯すだろうが、それを少なくしたいものである。われわれがソ連に学ぶばあい、その誤りを研究することも含まれていなくてはならない。その誤りの面を研究すれば、あまり回り道をしないですむ。われわれはソ連のたどった回り道を避けて、ソ連の速度よりもさらに速く、ソ連の質よりもさらによくするわけにはいかないだろうか。この可能性をかちとるべきである。たとえば、鋼鉄の生産高について、われわれは三つの五ヵ年計画またはもうすこし長い期間で、二千万トンに達することができるかどうか。努力をすれば、可能である。そのためには、小型の製鋼所を多くつくらなくてはならない。年産三万ないし五万トンの製鋼所、七万ないし八万トンの製鋼所はひじょうに役に立つので、多くつくるべきだとおもう。そのほか、年産三十万ないし四十万トンの中型の製鋼所もつくらなくてはならない。
第五点、昨年の一年間にいくつかのものが一掃された。その一つは、「多く、はやく、りっぱに、むだなく」というスローガンが一掃されてしまったことである。「多く」というのも、「はやく」というのもいらなくなり、「りっぱに」「むだなく」というのも、ついでに一掃されてしまった。「りっぱに」「むだなく」に反対する者はいないとおもうが、「多く」というのと、「はやく」というのとは、人びとが喜ばず、なかには「暴進」だと言う同志もいる。もともと、「りっぱに」「むだなく」というのは、「多く」「はやく」を制約するものである。「りっぱに」とは質がよいこと、「むだなく」とは金をあまり使わないこと、「多く」とは多くのことをやること、また、「はやく」というのも多くのことをやることである。このスローガンはそれ自身を制約している。「りっぱに」「むだなく」は、質もよければ、金もあまり使わないことを求めているため、実際とかけ離れた「多く」や実際とかけ離れた「はやく」はありえないからである。うれしいことには、この会議で一、二の同志がこの問題にふれている。それから、新聞でもこの問題を取りあげた文章を一つ見かけた。われわれのいう「多く、はやく、りっぱに、むだなく」は、実事求是の、実際に即したもので、主観主義的なものではない。われわれはつねにできるかぎり「多く」「はやく」やるよう努力しなければならず、ただ主観主義的な、「多く」「はやく」というのに反対しているだけである。昨年の後半には、一陣の風が吹いて、このスローガンを一掃してしまったが、わたしはそれを回復しようと思っている。その可能性があるかどうか、諸君に検討してもらいたい。
それから、農業発展要綱四十ヵ条も一掃されてしまった。この「四十ヵ条」は、昨年いらい、受けが悪くなったが、いままた「復活」した。
そのほか、促進委員会が一掃されてしまった。以前にも言ったことがあるが、共産党の中央委員会、各級党委員会、それに国務院、各級人民委員会など、とにかく「会」というものが実に多い。そのうち主要なものは党委員会だが、いったい、その性質は促進委員会なのか、それとも促退委員会なのか。促進委員会であるべきが当然である。わたしの見るところ、国民党は促退委員会で、共産党は促進委員会である。昨年のあの一陣の風によって一掃された促進委員会は、いま復活させてもよいのかどうか。もしも諸君が復活させるのに賛成せず、是が非でも促退委員会を組織しようとするなら、つまり、これほど多くの諸君が促退しようというのなら、わたしもお手あげである。しかし、こんどの会議からみると、諸君は促進しようとしており、促退を主張する演説は一つもなかった。われわれを促退させようとしているのは、例の右派の章・羅同盟である。たしかに進め方が速すぎ、不適当である一部のものについては、一時的、局部的な促退があってもかまわない。つまり、一歩ゆずり、一歩ゆるめるのである。しかし、われわれの全般的方針は、なんといっても促進することである。
第六点、プロレタリア階級とブルジョア階級との矛盾、社会主義の道と資本主義の道との矛盾、これは疑いもなく、当面のわが国社会の主要な矛盾である。われわれのいまの任務は、以前と違っている。以前は主として、プロレタリア階級が人民大衆を指導して帝国主義と封建主義に反対することであったが、その任務はすでになしとげられた。では、いまの主要な矛盾はなにか。いまは社会主義革命であって、この革命はブルジョア階級にほこ先を向けており、同時に小生産制度の変革、つまり協同化の実現をはかっている。その主要な矛盾は社会主義と資本主義、集団主義と個人主義、まとめていえば、社会主義と資本主義との二つの道の矛盾である。第八回党大会の決議には、この問題が提起されていなかった。この大会の決議には、主要な矛盾は先進的な社会主義制度と立ちおくれた社会的生産刀との矛盾であるというくだりがあった。このような提起のしかたは間違っている。われわれは七期二中総で、全国的な勝利のあと、国内の主要な矛盾は労働者階級とブルジョア階級との矛盾であり、対外的には中国と帝国主義との矛盾である、と提起したことがある。そのご、公式には提起しなかったが、実際にはそのようにやってきた。革命はすでに社会主義革命に転化しており、われわれが取りくんでいるのは、ほかでもなく社会主義革命というこの事業である。三大改造は社会主義革命であり、主として生産手段所有制の面における社会主義革命であるが、これはもう基本的にはなしとげられた。それは先鋭な階級闘争であった。
昨年の後半に階級闘争の緩和をみたが、それは意識的にすこし緩和させたのである。ところが、ちょっと緩和させると、ブルジョア階級、ブルジョア知識分子、地主、富農および一部の富裕中農がわれわれに攻撃をかけてきた。これがことしの出来事である。われわれがちょっと緩和させると、かれらは攻撃してくる。それもよかろう、われわれは主動権をとれる。『人民日報』の社説がのべているように、「木 静まるんと欲すれども風やまず」〔3〕である。かれらは風を吹かせてくるのだ。同級かの台風を吹かせてくる。それならよかろう、われわれは「防風林帯」をつくるまでだ。これが反右派であり、整風である。
整風には二つの任務がある。一つは反右派で、それにはブルジョア思想に反対することが含まれる。もう一つは整頓・改革で、それにも二つの路線の闘争が含まれる。ー主観主義、官僚主義、セクト主義はブルジョア階級のしろものである。わが党内にはこの三つのものが存在するが、その付けはブルジョア階級にまわすべきである。百年、二百年後も、そうすることができるだろうか。そのころになれば、たぶん、一そうするわけにはいかないだろう。そのころには、官僚主義、主観主義はあるかどうか。やはり、あるだろうが、その付けは立ちおくれという帳簿に付けるれる。社会には、つねに左派、中間派、右派があり、つねに先進的な者、中間的な者、立ちおくれた者がいる。そのときになって官僚主義、主観主義を犯せば、その人は立ちおくれているということになる。
整風運動は来年の五月一日までやるから、まだだいぶ時間がある。五月一日以後は、またすこし緩和させる必要があるだろうか。その必要はあるとおもう。緩和させることは右よりと言えるだろうか。右よりとは言えないとおもう。これを会議にたとえてみると、昼夜の別なく会議をひらき、たてつづけに半年もひらいたとすれば、大部分の人が姿を消してしまうだろう。したがって、仕事は状況にもとづいて、ときには緊張し、ときにはのびやかにやらなければならない。昨年、われわれはあれほど大きな勝利をおさめたため、人様が心服し、ドラや太鼓をうち鳴らした。そのとき、すこしも緩和させないとしたら、その理由は不十分で、言い訳が立たないのである。われわれは所有制の問題が基本的に解決されたとは言っているが、完全に解決されたとは言っていない。階級闘争はまだ消失していないのだ。だから、それは原則的な譲歩ではなく、状況の必要におうじてすこし緩和させたのである。
整風は来年の五月一日までやるが、来年の後半にはもうやらなくてもいいだろう。農村では、来年の後半に雑風と弁論をもういちどやるかどうか、これはそのときにその必要があるかどうかをみて、来年になってから討議する。再来年は一度やらなくてはならない。再来年もやらず、数年やらないとしたら、例のふるい右派、新しい右派、いま出てきている右派がうごめき出すだろうし、それに一部の右より中間分子、中間派、はては一部の左派までが変わってくるだろう。はの中には、こういうおかしな人間がいるのだ。気をゆるめさえすれば、それもかなりのあいだゆるめているうちに、右よりの空気がうまれ、よくない論議や右派的な言論が出てくる。われわれの軍隊でも、三六規律・八項注意についての教育はつねにやらなくてはならない。数ヵ月でもやらないでいると、もうたるんでくる。一年に何回か士気をふるいたたせなくてはならない。新兵が入隊してきたら、教育しなくてはならない。古参の兵士やふるい幹部にしても、整風をやらないかぎり、思想が変わってくる。
ここでついでに、われわれとソ連との意見の食い違いについてすこしのべてみよう。まず、スターリン問題でわれわれはフルシチョフと矛盾がある。かれはスターリンをあんなにこきおろしたが、われわれは賛成しない。あまりにもみにくい姿に仕立てあげてしまったからである。これはもうソ連一国の問題ではなく、各国の問題である。わが天安門の前にはスターリンの肖像がかかげてあるが、それは全世界の勤労人民の意志にかなうもので、われわれとフルシチョフとの基本的な食い違いをしめしている。スターリンその人にたいする評価も、七分、三分でなくてはならない。つまり、スターリンの功績は七分、誤りは三分と見るのである。これも正確とはかぎらず、誤りはわずか二分かもしれないし、わずか一分かもしれない、あるいはもうすこし多いのかもしれない。いずれにしても、スターリンは功績が主要なもので、欠点や誤りは副次的なものである。この点、われわれはフルシチョフと意見がちがう。
それから、平和移行の問題についても、われわれはフルシチョフらと意見がちがう。われわれは、どの国のプロレタリア政党であれ、一に平和、二に戦争というニヵ条がなくてはならない、と考える。第一に、共産党は、レーニンが二月革命から十月革命までの時期にうち出したスローガンに学び、支配階級に平和的転化を要求する。われわれも、蒋介石に和平交渉の問題を提起したことがある。このスローガンは、ブルジョア階級をまえにし、敵をまえにしては、防御的なスローガンであって、われわれが戦争を求めず、平和を求めていることをしめしており、大衆を獲得するのに都合がよい。これは主動的なスローガンであり、戦術的性格のスローガンである。しかし、ブルジョア階級はみずからすすんで権力をひき渡すはずがなく、暴力をつかうにきまっている。そこで、第二には、向こうが戦争をやろうとし、先に銃をぶっばなしてくるなら、こちらも応戦するよりほかはない。武力で権力を奪取する――これは戦略的スローガンである。是が非でも平和移行でいくというのなら、社会党と区別がつかない。日本社会党がそれで、かれらには、永遠に暴力をつかわないという一ヵ条しかない。全世界の社会党はみなそうである。総じて、プロレタリア政党には、やはり二ヵ条がなくてはならない。君子は口では争うが手は出さない、これが第一、だが第二に、小人が手を出すなら、こちらさまも手を出す、ということである。このような提起のしかたをすれば、弊害がなく、手抜かりがない。そうでなければ、だめである。いま一部の国の党、たとえばイギリス共産党は、平和移行のスローガンしか提起していない。われわれはイギリスの党の指導者と語りあったが、どうしても話が通じない。当然のことながら、かれらはおごり高ぶっており、平和移行がどうしてフルシチョフの提起と言えるのか、それは自分たちがとっくにうち出していたものだ、などと言っている。
このほか、百花斉放、百家争鳴の方針についても、ソ連の同志は理解していない。われわれがとなえているのは、社会主義の範囲内の、人民の内部での百花斉放、百家争鳴であって、反革命は含まれてはいない。もちろん、人民の内部も分化するものであって、一部の者は敵に変わる。たとえば右派のばあい、以前は人民であった。いま、この連中は人民の要素が三分の一、反革命の要素が三分の二と、わたしは見ている。かれらの選挙権を剥奪するかどうか。法律にもとづいて処罰し、労働改造をさせる必要があるごくわずかの者は、選挙権を剥奪すべきであるが、それ以外は一般に剥奪しないほうがよい。人によっては、政治協商会議の委員をやらせてもよい。いずれにせよ、政治協商会議は千人ぐらいあってもかまわないのだ。右派は、形式的にはまだ人民の内部にいるが、実際には敵である。かれらは社会主義に反対し、共産党の指導に反対し、プロレタリア階級独裁に反対しているのだから、かれらは敵であり、われわれとかれらとの矛盾は敵味方の矛盾である――われわれはこのことを公然と言明する。要するに、六ヵ条の基準にあっていないのだ。それは毒草である。人民の内部には、いつでもいくらかは毒草が出てくるものである。
最後の点、気力をふるいおこし、骨身を削って学習すること。骨身を削るとは、一つには骨であり、一つには身であり、一つには削ることである。かならず気力をふるいおこし、骨身を削らなくてはならない。いま、われわれの多くの同志は骨身を削っていない。一部の同志は、仕事以外のあまった精力を主としてトランプ、マージャン、ダンスといったものにそそいでいるが、これではよくないとおもう。仕草以外のあまった精力は上として学習にそそぎ、学習の習慣をつけるべきである。では、なにを学習するのか。一つはマルクス・レーニン主義、もう一つは、技術科学、さらにもう一つは自然科学である。それから文学、主として文芸理論も、指導的幹部はすこしわかっているべきである。そのほか、新聞学、教育学など、こうした学問もすこしはわかっていなくてはならない。要するに、学問はひじょうに多いのだ、そのあらましをすこしは心得ておかなくてはならない。われわれはこれらの事を指導しなくてはならないからである。われわれのような者のことをなに「家」というのか。政治家というのである。これらのことがわかりもせず、指導もしないということが、どうして許されるだろうか。どの省にも新聞はあるが、以前はその指導に力をいれなかった。また文芸雑誌や文芸団体もあるが、以前はやはりその指導に力をいれなかった。それから、統一戦線や民主政党の指導にも力をいれなかったし、教育の指導にも力をいれなかった。これらの指導に力をいれなかったので、その結果はどうか、まさにこれらの分野で造反がおきたのである。ところが、いったんその指導に力をいれると、数ヵ月で事態は一変した。羅隆基は、プロレタリア階級の小知識分子がどうして小ブルジョア階級の大知識分子を指導できるか、と言った。かれのこの言い草は間違っている。かれは小ブルジョア階級だと自称しているが、実はブルジョア階級である。プロレタリア階級の「小知識分子」こそが、ブルジョア階級の大知識分子を指導するのだ。プロレタリア階級には、それに奉仕する一群の知識分子がいる。その最初の一人がマルクス、次がエンゲルス、レーニン、スターリン、その次がわれわれのような者で、このほかにもまだ多くの人がいる。プロレタリア階級はもっとも先進的な階級で、全世界の革命を指導するのである。
〔1〕 土地改革、抗米援朝、反革命粛清、「三反」「五反」、思想改造の五大運動をさす。
〔2〕 本書第四巻の『軍隊内の民主運動』注〔1〕にみられる。
〔3〕 前漢韓嬰の著書『韓詩外伝』巻九にみられる。
① 農業、手工業、資本主義工商業の社会主義的改造をさす。
② 山東省の梁山泊は宋代農民蜂起軍の根拠地。『水滸伝』に出てくる大小首領の大部分は、宮府や豪紳の圧迫を受けて、生きる道を失い、梁山に身を投じた人たちである。後世、「近いつめられて梁山にのぼる」というのは、一つの成語になり、四囲の情勢にせまられて事をおこなうことを意味するようになった。
(一九五七年十月十三日)
これは、毛沢東同志が最高国務会議第十三回会議でおこなった講話である。
整風は、いま大鳴、大放、大弁論、太子報という形式をさがしあてた。これは、大衆が創造した一つの新しい形式であって、わが党がこれまでにとってきた形式とは違ったものである。延安での整風のときにも、いくらか大字報が出たが、当時、われわれはそれを提唱しなかった。その後の「三査、三整」にも、このような形式はとらなかった。革命戦争の時期には、われわれに俸給を払ってくれる者もなく、銃砲を製造する工場もなく、われわれの党と軍隊は兵士にたより、地元の人民にたより、大衆にたよっていた。こうして、長いあいだに一種の民主的な作風が形づくられてきた。しかし、そのころには、いまのような大鳴、大故、大弁論、大字報はなかった。それはどうしてか。そのころは、陣太鼓がなりひびき、いくさの最中で、階級闘争がひじょうに激しかったため、内部でこのような大さわぎをするのは好ましくなかったからである。いまは状況が変わり、戦争も終わりを告げ、台湾省を除く全国がすべて解放されている。だから、このような新しい形式が現われてきたのである。新しい革命的内容は、新しい形式をざがしもとめる。現在の革命は社会主義革命であり、社会主義国家を建設するためのものであり、それがこのような新しい形式をさがしあてたのである。このような形式は、ごく短期間で普及させ、学びとることができる。数ヵ月間もかければ学びとることができよう。
大鳴、大放、大弁論、大宇報にたいしては、主として、二つの恐れがある。一つは、乱れるのを恐れることである。諸君は乱れるのを恐れてはいないか。わたしの見るところ、乱れるのを恐れている人がかなりいる。もう一つの点は、ひっこみがつかなくなるのを恐れることである。企業長、協同組合士任、学長、党委員会書記を担当している者は、ひとたび意見を「放」させて火が燃えあがると、どうやってひっこみをつければよいのか、と恐れている。いまでこそ説得しやすくなったが、五月ごろはなかなか説得するのが難しかった。北京の三十四の大学は、多くの会議をひらいて、やっと「放」ができるようになったのだ。なぜ恐れなくてもよいのか。なぜ「放」が有利なのか。大鳴大放が有利なのか、小鳴小放が有利なのか。それとも不鳴不放が有利なのか。木鳴不放は不利であり、小鳴小放では問題を解決することができず、やはり大鳴大放でなければならないのである。大鳴大放をやっても、一に乱れることはなく、二にひっこみがつかなくなるということはない。もちろん、個別的には例外の人もある。たとえば丁玲だが、彼女のばあいは、ひっこみかっかなくなっている。馮雪峰もそうだが、かれが火を放った目的は、共産党を焼きはらうことにあったので、ひっこみがつかなくなっている。こういう連中は少数であり、右派である。その他の人はひっこみがつくのであって、ひっこみがつかなくなると恐れる必要はない。どのみち官僚主義、セクト主義、主観主義といった欠点であるから、あればそれを改めればよいので、恐れることはない。要は、大衆の大多数を信じ、人民のなかの大多数はよい人だという点を信じることである。労働者の大多数はよい人であり、農民の大多数はよい人である。共産党の内部も、青年団の内部も、大多数はよい人である。かれらはわれわれの国を乱そうと考えているわけではない。ブルジョア知識分子、資本家、民主政党の成員も、その多数は改造できる。だから、われわれは乱れることを恐れる必要はない。乱れるはずもなく、乱れようもないのである。多数を信頼すべきであるが、ここでいう多数とは五一パーセントのことであろうか。そうではなくて、九○パーセントから九八パーセントのことである。
社会主義革命は、われわれにとっては新しい事がらである。過去、われわれは民主主義革命しかやったことがないが、それはブルジョア的性質の革命であって、個人的所有制をうちこわさず、民族資本主義的所有制をうちこわさず、帝国主義的所有制、封建主義的所有制、官僚資本主義的所有制のみをうちこわしたのである。だから、多くの人は民主主義革命という関所を越えることができた。そのうち、一部の者は徹底的な民主主義革命にたいし、もともと熱心ではなく、どうにか越えてきたのであり、一部の者は徹庇的な民主主義革命にたいし、大いにやる気概があって、この関所を越えてきたのである。いまは社会主義という関所を越えるわけだが、一部の者にとっては、どうも越えにくいようだ。たとえば、湘北省に雇農出身の共産党員がいるが、かれの家は三代つづきの乞食であった。解放後はうまれかわり、家も栄えて、本人は区の幹部になった。ところが、こんど、かれは社会主義にたいしてひじょうな不満をもち、どうしても協同化に賛成しようとせず、「自由」にやるといって、統一買付・統一販売に反対したのである。いま、かれにかんする展覧会をひらいて、階級教育をおこなっているが、かれは涙をはらはら流して、誤りを改めたいと言っている。なぜ社会主義という関所は越えにくいのだろうか。それは、この関所は資本主義的所有制をうち破って、これを社会主義的全人民所有制に変えるからであり、個人的所有制をうち破って、これを社会主義的集団所有制に変えるからである。もちろん、この闘争は長期にわたるものであるが、いったいどれぐらいの期間を過渡期と呼ぶべきか、いまのところ確定するのはまだ難しい。ことしはたたかいの一つのピークといえる。毎年、黄河の流れに洪水のピークがやってくるように、今後、年に一回このようなピークがやってくるのだろうか。おそらくそうではないとおもう。だが、このようなピークは今後もやってくるであろう。
現在、社会主義に賛成しない者は、全国でいったいどれだけいるのか。わたしは、多くの地方の同志といっしょに、このかんの実情を調べてみた。全国の総人口のうち、約一〇パーセントの者が、社会主義に賛成しないか、あるいは反対している。そのなかには、地主階級、富農、富裕中農の一部、民族ブルジョア階級の一部、ブルジョア知識分子の一部、都市の上層小ブルジョア階級の一部、個別的には労働者、貧農・下層中農もふくまれている。人口六億のうちの一〇パーセントといえば、どれぐらいになるか。六干万人である。この数字は少なくないので、軽く見てはいけない。
われわれが、あくまでも大衆の大多数を信頼すべきだというばあい、それは二つの点にもとづいている。第一は、九〇パーセントの人びとが社会主義に賛成している、ということである。そのなかには、プロレタリア階級、農村の半プロレタリア階級である貧農、下層中農、それに上層の小ブルジョア階級の多数、ブルジョア知識分子の多数、および民族ブルジョア階級の一部がふくまれている。第二は、社会主義に賛成しないか、あるいは反対する者のうちもっとも頑迷な者――極右派、反革命分子、破壊分子や、破壊はやらないがひじょうに頑迷な者、頑固な頭のまま棺桶にはいる者など、このような連心はどれだけいるのかといえば、およそ二パーセント前後にすぎない、ということである。全国の人口の二パーセントといえばどれぐらいになるか。千二百万人である。もしも千二百万人が集合して、銃を手にすれば、それは膨大な軍隊になる。それなのに、世の中が大きく乱れないのはなぜか。それは、かれらがあちらこちらに散らばっているからである。あちらこちらの協同組合、あちらこちらの農村、あちらこちらの工場、あちらこちらの学校、あちらこちらの共産党支部、あちらこちらの青年団支部、あちらこちらの民主政党支部というように散らばっていて、集合できないから、世の中は大きく乱れないのだ。
社会主義革命とは、いったいどのような範囲内の革命なのか、いったいどのような階級のあいだの闘争なのか。それはプロレタリア階級が勤労人民を指導してブルジョア階級とのあいだに進める闘争なのである。わが国のプロレタリア階級はその人数は比較的少ないが、かれらには広範な同盟軍がいる。そのいちばん主なものは、農村の貧農と下層中農であり、それは農村人口の七〇パーセント、もしくは若干それを上回っているのである。富裕中農は、ほぼ農村人口の二〇パーセントを占めている。いまの富裕中農は、だいたいつぎの三部分にわけられる。協同化に賛成する者、これは四〇パーセントを占めている。動揺する者、これも四〇パーセントを占めている。反対する者、これは二〇パーセントを占めている。ここ数年らい、教育と改造をつうじて、地主、富農にも分化がみられ、いまでは社会主義に完全に反対しているとはいえない者もいる。ブルジョア階級およびブルジョア知識分子にたいしても分析をくわえるべきで、かれらがみな社会主義に反対している、と考えてはならない。事実はそうではない。全国の総人口のうち九〇パーセントの者が社会主義に賛成している。われわれはこの多数を信頼しなければならない。われわれの活動をつうじ、また大弁論をとおして、さらに八パーセントの者を獲得することが可能であり、そうすれば九八パーセントになる。かたくなに社会主義に反対する頑迷派は、わずか二パーセントにすぎないのである。もちろん、さきほど鄧小平同志が言ったようにそれはやはり大きな勢力であって、注意をおこたってはならない。
富農は農村におけるブルジョア階級であり、かれらが農村で物を言っても、めったに聞く人はいない。地主はそれ以上に嫌われている。買弁ブルジョア階級はとっくに鼻つまみものになっている。ブルジョア階級とブルジョア知識分子、農村での上層の小ブルジョア階級(富裕中農)、都市での上層の小ブルジョア階級(一部の比較的富裕な小企業主)とその知識分子となると、まだいくらか影響力をもっている。とりわけ知識分子というのは幅がきき、何事もかれらなしにはやれない。学校をつくるには大学の教授や中・小学校の教員が必要だし、新聞を出すには新聞記者が必要だし、芝居をやるには役者が必要だし、建設をすすめるには科学者、技師、技術要員が必要である。現在、知識分子は五百万人、資本家は七十万人おり、あわせると約六百万人になる。家族構成を五人とみれば、五かける六で三千万人になる。ブルジョア階級とその知識分子は、相対的に言って、もっとも教育程度が高く、いちばん技術を身につけている。右派が鼻を高くするゆえんである。羅隆基は、プロレタリア階級の小知識分子にはかれのような小ブルジョア階級の大知識分子を指導できない、と言ったではないか。かれは、自分がブルジョア階級であるとはいわず、どうしても小ブルジョア階級に属し、小ブルジョア階級の欠如織分子であると言い張っている。わたしは、プロレタリア階級の小知識分子はもとより、あまり読み書きのできない労働者や農民でさえ、かの羅隆基よりはるかにすぐれていると思う。
ブルジョア階級とその知識分子のなかの、また上層の小ブルジョア階級とその知識分子のなかの右派と中間派は、共産党とプロレタリア階級の指導にたいしては不服なのである。共産党擁護、憲法擁護については、擁護もし、賛成の手も挙げているものの、あまり心服はしていない。そこで区分けが必要となる。右派は反抗的、中間派はなかば心服なかば不服、ということである。共産党などにはあれも指導できない、これも指導できない、と言う者がいるではないか。右派にこのような思想があるだけでなく、中間派の一部にもそれがある。要するに、かれらの言い方にしたがえば、共産党はどうしても外国に引っ越さなければならず、プロレタリア階級はどうしてもべつの天体にいかなければならなくなり、ほとんどお陀仏になってしまう。なぜならば、われわれは、あれもだめ、これもだめだからである。どの分野にせよ、右派はわれわれのことをなっていないと言う。今回の弁論の主な目的は、ほかでもなくあのなかば心服なかば不服の中間派を獲得し、かれらに社会の発展法則はいったいどういうものなのかを理解させることにあり、やはり教育程度の高くないプロレタリア階級の言うことをきかなければならず、農村では貧農、下層中農の言うことをきかなければならない、ということを理解させることにある。教育程度についていうなら、プロレタリア階級、貧農、下層中農はかれらに及ばないだろう。しかし、革命についていうなら、プロレタリア階級、貧農、下層中農のほうがすぐれているのである。これで多数の人を説得できるだろうか。多数の人を説得できる。ブルジョア階級の多数、ブルジョア知識分子の多数、上層の小ブルジョア階級の多数は、説得できるのである。大学の教授、中・小学校の教員、芸術家、文学者、科学者、技師のなかの多数は、説得できるのである。あまり心服していない人でも、何年かたてば、次第に心服するようになるであろう。
多数の人が社会主義を支持しているという基盤のうえで、いまのこの時期に、大鳴、大放、大弁論、大字報のような形式が現われたことは、たいへん有益なことである。こうした形式には階級性がない。大鳴、大放、大宇報といったものは、右派にもやれることなのである。「大」の字はかれらが発明したもので、右派に感謝したい。わたしは、ことしの二月二十七日の講話では、べつに大鳴、大放、大弁論とはいわなかった。つまり、この「大」という字をつけてはいなかったのである。去年の五月、ここで開いた会議でわれわれが百花斉放について語ったときは、「放」という字があっただけであり、また、百家争鳴にしても「鳴」という字があっただけで、この「大」という字はなかったのである。しかも、文学・芸術の面での百花斉放、学術問題の面での百家争鳴に限定されていた。そのご、右派はこれを政治にまでひろげ、鳴放の時期などと称して、どんな問題についても鳴放をやる、しかも大鳴大放をやるといった。これをみてもわかるように、このスローガンは、プロレタリア階級もつかえるし、ブルジョア階級もつかえる。左派もつかえるし、中間派もつかえるし、右派もつかえる。大鳴、大放、大弁論、大字報は、はたしてどの階級にとって有利なのか。つまるところ、プロレタリア階級にとって有利なのであり、ブルジョア右派にとっては不利なのである。その理由は、九〇パーセントの人が国の乱れることを望んでおらず、社会主義が建設されることを望んでいるからであり、社会主義に賛成しないかあるいは反対する一〇パーセントの人のうち、多くの人は動揺しており、かたくなに社会主義に反対する者はわずか二パーセントにすぎないからである。これでは乱しようがないではないか。したがって、大鳴大放のスローガン、大鳴、大故、大井論、大字報の形式と方法は、つまるところ多数の人にとって有利であり、多数の人の自己改造にとって有利である、ということになる。社会主義と資本主義との二つの道についていえば、つまるところ社会主義にとって有利なのである。
われわれは乱れるのを恐れることはないし、またひっこみがつかなくなるのを恐れることもない。右派はひっこみがつかなくなるが、しかし、それでもなんとかひっこみはつくのである。弁証法にもとづけば、右派は一つが分かれて二つとなる、とわたしは考える。おそらく相当多くの右派分子が、大勢のおもむくところにしたがって、納得のいくようになり、よい面に転じ、わりあいおとなしくなり、そんなに頑迷ではなくなるだろう。そのときには、レッテルをはいで、右派と呼ばないようにし、適当な仕事にもつかせるようにする。少数のとくに頑迷な者は、おそらく死んでも悔い改めようとせず、右派のレッテルを振ったまま棺桶に入るだろうが、それでも大したことはない。このような人間は、どのみちいるものである。
右派がこのようにひと騒ぎしたので、われわれは実情をつかむことができた。つまり、一方では、社会主義に賛成する者は九〇パーセントで、九八パーセントまで獲得できる可能性もあるということ、他方では、社会主義に賛成しないかあるいは反対する者は、一〇パーセントで、そのうちかたくなに社会主義に反対する頑迷派はわずかニパーセントにすぎない、ということである。このような実情をつかむことによって、胸に成算ありといえるようになった。プロレタリア政党の指導のもとで、多数の人が社会主義を支持しているという基盤のうえで、大鳴、大放、大弁論、大字報というわれわれのやり方をとれば、ハンガリーのような事件を避けることができるし、またいまポーランドで発生しているような事件も避けることができる。われわれは、ポーランドのように、一出版物の発行を停止させる必要はなく①、党の機関紙に一、二編の社説を発表するだけでよいのだ。文匯報にたいして、われわれは二編の社説を書いて批判をおこなったが、最初の一編は問題を十分につっこんで説明しておらず、不徹底だったので、第二編の社説を発表したところ、かれらは自分で改めた。新民報も自分で改めた。ポーランドでは、このようにはいかない。そこでは、反革命の問題が解決されておらず、右派の問題が解決されておらず、いずれの道を歩むのかという問題が解決されておらず、またブルジョア思想にたいする闘争にも力をいれていないので、一出版物の発行を停止させると、すぐに騒ぎがおこるのである。わたしは、中国の事がらはやりやすいとみており、いまだかつて悲観したことはない。わたしは、乱れようもないし、乱れることも恐れない、といったではないか。騒乱はよい事に変わりうるのである。およそ「放」を徹底的にやったところでは、いっときわめきたて、ひとしきり乱れたので、物事はいっそうやりやすくなっている。
わが国は、解放まえ、産業労働者は四百万しかいなかったが、いまでは千二百万の労働者がいる。労働者階級は、人数こそ少ないが、この階級にだけ将来性があるのであって、その他の階級はみな過渡的な階級であり、すべて労働者階級の側に移行するものである。農民は、まず第一歩としては集団化した農民に移行し、第二歩には国労農場の労働者となる。ブルジョア階級は消滅されるべきであるが、もちろん人間を消滅するというのではなく、その階級を消滅するのであって、人間は改造しなければならない。ブルジョア知識分子は改造され、小ブルジョア知識分子も改造されなければならず、一歩一歩改造されて、プロレタリア知識分子に変わっていくことができるのである。わたしは、「皮これ存せざれば、毛将いづくに附かん」と言ったことがある。知識分子は、もしもプロレタリア階級に付着しなければ、「梁上の君子」になるおそれがある。いま、多くの人が労働組合に加入している。労働組合に加入したのだから、もうそれで労働者階級になったではないか、と言う者がいるが、そうではない。共産党に加入しても、まだ共産党に反対する人間がいる。丁玲、馮雪峰などは、共産党員でありながら共産党反対をやっているではないか。労働組合に加入したから労働者階級になったとはかぎらず、やはり改造の過程が必要なのである。いま、民主政党の成員、大学教授、文学者、作家たちには、労働者の友人もいなければ、農民の友人もいない。これはひじょうに大きな欠点だ。たとえば費孝通だが、二百人あまりの高級知識人を友人にしており、北京、上海、成都、武漢、無錫などいずれの地方にもいる。かれは、このワクから抜け出せず、しかも意識的にこれらの人を組織し、かれらを代表して、大鳴大放をやっている。かれはこの点でばかをみたのである。わたしはかれにこう言った。きみはひとつ改めることができないものか。あの二百人とつきあうのではなくて、労働者、農民のなかに入り、べつに二百人の友人をさがすべきだ、と。知識分子はみな労農大衆のなかに入って友人をさがさなければならないとおもう。真の友人は労働者、農民のなかにいる。古参の労働者を友人にしなければならない。農民のなかでは、無造作に富裕中農を友人にするのではなく、貧農、下層中農を友人にしなければならない。古参の労働者は、じつにはっきりと方向を見わけており、貧農、下層中農もじつにはっきりと方向を見わけているのである。
整風には、放、反、改、学の四つの段階がある。すなわち大鳴大放がその一つ、右派への反撃がその一つ、整頓・改革がその一つ、最後の一つは、いくらかマルクス・レーニン主義を学び、小型の会議を開いて、微風細雨の方法で批判と自己批判をおこなうことである。ことしの五月一日に、中国共産党中央の発表した整風文献のなかで、微風細雨の方法をとるようにのべたが、当時賛成しなかった人も多く、主として右派が賛成しなかったのである。かれらは、疾風暴雨の方法を要求したが、その結果はたいへん得るところがあった。この点について、われわれは当時から予測していたのである。なぜなら、延安での整風のときもこれと同じで、微風細雨の方法をとると言いながらも、疾風暴雨の方法になった。だが、最後にはやはり微風紬雨の方法に帰着したのである。一つの工場で何千枚もの大字報が張り出されれば、工場の指導者はたいへんつらいものである。十日もすると一部の人は、これではたまらない、飯がのどを通らない、眠れない、といってなげやりになり、辞職を考える。北京の大学の党委員会書記たちは、飯がのどを通らず、眠れなかった。そのとき、右派の連中は、おまえたちは反駁してはならない、おれたちだけに鳴放させろ、といった。われわれも、反駁するな、かれらに鳴放させておけ、といった。こうして、五月中は反駁をせず、六月八日以前はいっさい反駁しなかった。それで、十分に鳴放しつくされたのである。鳴放されたものは、大体九○パーセント以上は正しいものであり、何パーセントかは右派的言論であった。あの時期には、じっとがまんして聞き、聞き終えてから反撃にうつることであった。どこの部門でもこのような段階を経なければならなかったのである。今回の整風は、どの工場でもどの協同組合でもおこなうべきであり、いま、軍隊でもこのようにおこなっている。こうすることはたいへん必要である。これをおこなわなければ「自由市場」がまた発展するであろう。世の中にはおかしなことがあるもので、三年間も整風をしないと共産党、青年団、民主政党、大学教授、中・小学校教員、新聞記者、技師、科学者のなかで、またもや多くのおかしな議論があらわれ、資本主義思想が頭をもたげてくるのである。たとえば、部屋を毎日掃除し、顔を毎日洗うように、今後、整風はだいたい一年に一回ぐらいやり、毎回ひと月ほどでよい、とわたしは考える。そのときには、またちょっとしたピークがやってくるかもしれない。こんどのこのピークは、われわれのせいではなく、右派がひきおこしたものである。われわれは、こういったことがあるではないか――共産党のなかから高崗が出たが、きみたち民主政党には一人も高崗がいないのか、わたしは信じない。いままた共産党から丁玲、馮雪峰、江豊などが出たが、きみたち民主政党からも出てきたではないか。
ブルジョア階級とブルジョア知識分子は、その改造の必要性を認めなければならない。右派は自分に改造の必要があるのを認めないばかりか、一部の人たちに、自分は改造ずみだといって、その改造をしぶるような影響をあたえている。章乃器は、改造などたまったものではない、あれは筋を抜き、皮を剥ぐものだ、といった。われわれが、身も心もいれかえて生まれかわるべきだといえば、かれは、身も心もいれかえるのは、筋を抜き、皮を剥ぐことだという。この先生、いったいだれがあなたの筋を抜き、皮を剥ぐというのか。多くの人は、われわれの目的がなんであるのか、なぜこのようなことをするのか、社会主義はどこがよいのか、といったことを忘れてしまっている。なぜ思想改造をするのか。それは、ブルジョア知識分子にプロレタリア階級の世界観を確立させて、かれらをプロレタリア知識分子に改造するためなのである。これらのふるい知識分子は、新しい知識分子の成長に押されて変化せざるをえなくなってきている。学問の面からいえば、新しい人は、いまはまだだめだといわれるが、将来はりっぱにやっていけるのである。この新しい人たちの出現によって、旧来の科学者、旧来の技師、旧来の教授、旧来の教員は、はっばをかけられており、その圧力で前進せざるをえなくなっている。大多数の人は前進するであろうし、一部はプロレタリア知識分子に改造することができるであろう、とわれわれは予測している。
プロレタリア階級は、かならず自己の知識分子の隊列を育成しなければならない。これはブルジョア階級が、自己の知識分子の隊列を育成するのと同じである。階級の政権として、自己の知識分子を持たないわけにはいかないのである。アメリカにそうした知識分子がいなければ、アメリカのブルジョア階級独裁はどうなるであろう。われわれはプロレタリア階級独裁である。プロレタリア階級自身の知識分子の隊列をかならず育成しなければならず、それには、旧社会からきて、改造を経たのち、ほんとうにしっかりと労働者階級の立場に立った知識分子を全部ふくめるのである。章乃器は、右派のなかで自分を変革したくない者の一人にかぞえられるだろう。プロレタリア階級の知識分子に変わるように、といっても、かれはこれを拒み、自分は「赤いブルジョァ」であり、とうの昔にりっぱに変わったというのである。それなら、自己推薦と大衆評議でいこうではないか。きみが自己推薦をするのはよいが、大衆評議もしなければならない。章乃器はまだだめだ、かれは白いブルジョアである、というのがわれわれの意見だ。さきに「専」をめざし、「紅」はあとにする、と言う人がいる。さきに「専」をめざし、「紅」はあとにする、ということは、さきに白色であり、そののちに紅色になるということである。いまのところ「紅」ではなく、将来「紅」になるというが、それでは、いまかれは同色をしているのだろうか。もちろん白色である。知識分子は、「紅」であると同時に、「専」でもなければならない。「紅」になるには、自分のブルジョア的世界観を徹底的に改造するという決心をくだすべきである。これには、本をたくさん読むということではなく、プロレタリア階級とはなにか、プロレタリア階級独裁とはなにか、なぜプロレタリア階級にだけ将来性があり、その他の階級はみな過渡的な階級なのか、なぜわが国は社会主義の道を歩まなければならず、資本主義の道を歩んではならないのか、なぜ共産党の指導がどうしても必要なのか、などの問題をほんとうにはっきりさせることが必要なのである。
わたしが四月三十日に話したこと②を多くの人は聞きいれようとしない。「皮 これ存せざれば、毛 将いづくに附かん。」わたしに言わせれば、中国には五枚の皮がある。古いのが三枚、すなわち帝国主義的所有制、封建主義的所有制、官僚資本主義的所有制の三枚の皮である。以前、知識分子はこの三枚の皮にたよって飯を食ってきた。このほかに民族資本主義的所有制と小生産者的所有制すなわち小ブルジョア階級的所有制の二つにもたよっていた。われわれの民主主義革命は、まえの三枚の皮にたいする革命であった。林則徐③いらい百年あまりこの革命をやってきた。社会主義革命は、あとの二枚の皮、すなわち民族資本主義的所有制と小生産者的所有制にたいする革命である。いま、この五枚の皮はいずれも存在しない。古い三枚の皮は早くからなくなり、ほかの二枚の皮もなくなった。いまあるのはどんな皮だろうか。それは社会主義的共有制の皮である。もちろん、これはさらに二つの部分にわけられる。一つは全人民的所有制であり、もう一つは集団的所有制である。いまはだれにたよって飯を食うのか。民主政党にしろ、大学教授、科学者、新聞記者などにしろ、いずれも労働者階級の飯を食い、集団的農民の飯を食い、全人民的所有制と集団的所有制の飯を食っているのである。ひと言でいえば、社会主義的共有制の飯を食っているのである。あの五枚の古い皮はなくなったが、その毛はいま空中を舞っている。舞いおりてきても落ち着かないのである。知識分子はまだこの新しい皮を見くびっており、プロレタリア階級、貧農、下層中農がなんだ、まったく能なしではないか、上は天文から下は地理にいたるまでさっぱり知識がない、「三教九流」〔1〕いずれもおれには及ばない、とおもっている。かれらはマルクス・レーニン主義をうけいれようとしない。このマルクス・レーニン主義には、以前多くの人が反対した。帝国主義が反対したし、蒋介石は毎日のように「共産主義は中国の国情にあわない」といって反対し、その影響でみんなはこれをひたすら恐れていた。知識分子がマルクス・レーニン主義をうけいれ、自分のブルジョア階級の世界観をプロレタリア階級の世界観に改造するには、一つの過程が必要であり、また社会主義の思想革命の運動が必要である。ことしのこの運動は、この道をきりひらいたものである。
いま、一部の機関、学校では、右派に反対したあと、すっかり静まりかえってのんびりしており、多くの正しい意見が出されているのに改めようとしていない。北京の一部の機関、学校では、このような問題が出てきている。わたしの見たところ、整頓・改革にはもういちど鳴放の高まりが必要だ。大字報を張り出して、なぜ改めないのか、とはっぱをかけるのである。このはっぱはひじょうに役に立つとおもう。整頓・改革には短期間、たとえば一、二ヵ月をさくべきである。そのあとは学科で、いくらかマルクス・レーニン主義を学び、微風細雨の方法で批判と自己批判をおこなう、これが第四段階のことである。この学習は、もちろん一、ニヵ月で終わってしまうのではなく、ただこの運動を一段落させ、学習にたいする風味をひきだすためのものである。
右派にたいする反撃は、いずれにせよ一段落つけるべきだ。ある右派分子は、騒ぎはいずれ過ぎてしまう、といってこのことを予測していた。それに間違いはない。われわれは、右派への反撃を毎日、毎年やっているわけにはいかない。たとえば、いま北京の反右派の空気は、一時にくらべてそれほど濃くなくなった。なぜなら、だいたいメドがついたからである。しかし、まだ終わったわけではないので気をゆるめてはならない。いま一部の右派分子はがんとして降伏しない。たとえば羅隆基、章乃器は、がんとして降伏しないのである。わたしの考えでは、まだ説得すべきである。何回話してもどうしても聞きいれないばあいは、これ以上かれらと毎日話しあうわけにもいくまい。一部の頑迷派が永久に改めようとしないのなら、それまでのことだ。こういう連中はごく少数で、ほうっておけばよい。何十年もほうっておいて、かってにさせたらよい。大多数の人たちはかならず前進するはずである。
右派分子を海へ投げこむかどうか。われわれは一人も投げこみはしない。右派は、反共、反人民、反社会主義なのであるから、敵対的勢力である。しかし、われわれは、いまかれらを地主、反革命分子と同様には取り扱わない。その基本的な標識は、かれらの選挙権を取りあげないということである。個別的には、選挙権を取りあげ労働改造をさせることもありうるが、われわれは、逮捕も選挙権の剥奪もしないという方法によって、かれらに転換の余地をのこし、その分化を有利にみちびくのである。さきほど二種類の者に区分けすると話したではないか。一種類は、誤りを改めた者で、これは右派のレッテルを取りさり、人民の隊列にもどすことができる。もう一種類は閻魔大王にまみえるまで頑迷に固執する者で、閻魔さま、見てください、わたしは降伏するような者ではありません、とても「気骨」があるでしょう、と言うだろう。かれはブルジョア階級の忠臣なのである。右派は、封建残存勢力や反革命分子とつながりをもち、気脈を通じ、互いに呼応しているのである。地主は、あの文匯報をみて大いに喜び、それを買ってきて農民に読んで聞かせ、どうだ、新聞に載っているのだぞ、と農民をおどかしている。まきかえしをたくらんでいるのだ。また、帝国主義、蒋介石も右派と気脈を通じている。たとえば、台湾、香港の反動派は、儲安平の「一党の天下」、章伯鈞の「政治設計院」、羅隆基の「判決再審査委員会」をたいへん支持しており、アメリカ帝国主義も右派にきわめて同情的である。わたしは、まえにもみなさんにこう話したことがある。もしアメリカ人が北京まで攻めてきたら、みなさんはどうするか。どんな態度をとるのか。どうしようと考えているのか。アメリカといっしょに維持会でも組織するのか、それともわれわれと共に山に登るのか。わたしは山に登る腹をきめており、第一歩は張家口、第二歩は延安へ行く、と。この話は、極端なことを言ったまでで、問題をはっきりさせたのであり、動乱など恐ろしくはないのだ。アメリカが中国の半分を占領しても恐れはしない。日本は中国の大半を占領したではないか。ところが、われわれはついに新中国を戦いとったではないか。わたしは日本人にこう話したことがある。日本帝国主義に感謝すべきだ。かれらの侵略は、われわれにとってたいへん得るところがあった。それは、われわれの全民族を日本帝国主義反対に奮い立たせ、わが国人民の自覚をたかめたのだ、と。
右派はほんとうのことを話さない。不正直で、われわれにかくれて悪事をはたらいているのである。章伯鈞があんなに多くの悪事をはたらいていたことをだれが知っていたか。思うに、このような者は官位が高くなればなるほど、大きな謀反をたくらむ。章・羅同盟は、長期共存・相互監督、百花斉放・百家争鳴の二つのスローガンをもっとも好んでおり、この二つのスローガンを利用してわれわれに反対している。われわれが長期共存をすべきだといえば、かれらは短期共存をやり、われわれが相互監督をすべきだといえば、かれらは監督をうけつけない。一時期、かれらは気違いじみていたが、その結果は、長期共存が短期共存になるという逆の羽目におちいったのである。章伯鈞の部長の椅子はどうすればよいか。おそらくもう部長にはなれないだろう。右派が部長になることには、たぶん人民が賛成しないだろう。また一部の名の知られた右派は、もともと人民代表だったが、いまはどうしたらよいか。おそらく配慮するのは難しいであろう。たとえば、丁玲はもう人民代表にはなれない。一部の者にたいしては、まったく職務をあたえず、すこしも仕事をさせないというのもよくないであろう。たとえば銭偉長は、副学長にはなれないが、まだ教授はやれる。さらに、学生がその講義を聞かないのでしばらくは教授にもなれない者も、一部いるだろう。それなら何をすればよいか。学校でなにかべつの仕事をやらせ、自己改造をさせ、何年かたってから講義をもたせればよい。これらは面倒ではあるが、考慮しなければならない問題である。革命そのものが面倒な事がらなのだ。右派をどう処遇するか、どう按配するか、ひとつ討議してもらいたい。
各民主政党の状況はどうか、下部の状況はどうかということについては、諸君ら責任者も実情をつかんでいないだろう。徹底した右派分子は、ある一時期、一部の部門で水をかきまぜて、われわれが底まで見通すのをさまたげることができるが、ひとたび調査をしてみると、こうした連中はじつは一、二パーセントしかいないのである。一つかみの明礬をほうりこめば、底まではっきり見えるのである。こんどの整風は、一つかみの明礬をほうりこんだのであって、大鳴、大放、大弁論のあとは、底がはっきり見えてきた。工場、農村でも、学校でもその底が見え、共産党、青年団、民主政党でもその底がはっきりしてきた。
ここで、農業発展要綱四十条ヵについて話したいとおもう。二年の実践からみて、基本的な要求は、やはりあの四、五、八である。すなわち、穀物の生産量が一畝あたり、黄河以北で四百斤、淮河以北で五百斤、淮河以南で八百斤ということであり、十二年間でこの目標に達するというのが基本点である。要綱全体としては、条文をいくつか修正したのみで、基本的には変えていない。一部の問題はすでに解決されている。たとえば、協同化の問題は基本的に解決されているので、それに関係のある条文には修正をくわえた。農業機械、化学肥料など、以前には強調されていなかったいくつかの問題については、いま大いに力をいれなければならないので、条文のうえでもこれを強調した。そのほか条文の順序もすこし変えている。この修正後の農業発展要綱草案は、人民代表大会常務委員会と政治協商会議常務委員会との合同会議で討議されたあと、あらためて公布し、全国の農村で討論する。工場で討論してもよく、各界、各民主政党で討論してもよい。この農業発展要綱草案は、中国共産党が提出したものであり、中国共産党中央という政治設計院で設計されたもので、章伯鈞の例の「政治設計院」で設計されたものではないのである。
すべての農民を動員して、この農業発展要綱を討論するのは、たいへん必要なことである。大いに意気があがるようにしなければならない。去年の後半と今年の前半はすこし気がゆるんでいた。そのうえ、都市や農村の右派がさわいだので、なおさら意気があがらなかった。いま、整風・反右派闘争でまた意気があがってきたのである。農業発展要綱四十ヵ条は、中国の同情にわりあい通しており、主観主義的なものではない、とわたしはおもう。もとは主観主義的なものがいくらかあったが、いまではそれも改められているり全体的に言って、この要綱の実現には希望がもてる。わが中国は改造できる。無知調は改造して知識をもつようにすることができ、意気消沈は改造して意気軒昂にすることができるのだ。
要綱のなかに四害退治の項がある。すなわち、ネズミ、スズメ、ハエ、蚊の四害を消滅するのである。わたしはこれにたいへん興味があるが、みなさんはどうだろうか。やはり興味をお持ちではないだろうか。四害退治は、一大衛生運動であり、また迷信打破の運動でもある。この幾種類かのものを退治するのも容易なことではない。四害退治においても大鳴、大放、大弁論、大字報をやらなければならない。もし全人民を動員してやり、いくらかの成果をあげることができれば、人びとの心理状態は変わり、われわれ中華民族の精神はかならず奮い立つであろう。われわれは、わが民族を奮い立たせなければならないのである。
計画出産もりっぱにやれる見こみがある。この事も大弁論を経る必要があり、何年かかけて試験的におこない、同年かかけておしひろめ、何年かかけて普及させなければならない。
われわれのやるべき事がらはたいへん多い。農業発展要綱四十ヵ条だけでも、やるべきことがたくさんある。しかし、これは農業計画だけであり、まだほかに工業計画、文化・教育計画があるのだ。三つの五ヵ企計画を完成したあと、わが国の様相は変化をきたすことになろう。
われわれの予測では、三つの五ヵ年計画を経て、鋼鉄の年産を二千万トンにすることができる。ことしは五百二十万トンで、あと十年あればこの日標に達することができるだろう。インドの一九五二年の鋼鉄生産量は百六十万トンで、現在が百七十数万トン、五年間やって十数万トンしかふえていない。われわれはどうか。一九四九年は十九万トンしかなかった。三年の回復期に百余万トンになり、さらに五年やって五百二十万トンに達した。五年間で三百余万トンも増加したのである。もう五年やれば一千万トンを越すか、あるいはもうすこしふえて一千百五十万トンになるだろう。そのあと第三次五ヵ年計画をやれば、二千万トンになるのではないだろうか。これは可能である。
わたしに言わせれば、わが国にはほんとうに希望がある。右派は、希望がないといっているが、それは完全な間違いである。かれらには自信がない。社会主義に反対しているのだから自信のあるはずがないのだ。われわれは社会主義を堅持しており、われわれはほんとうに自信があるのである。
〔1〕 三教は儒教、道教、仏教をさす。九流は儒家、道家、陰陽家、法家、名家、墨家、縦横家、雑家と農家をさす。「三教九流」はのちにひろく宗教と学術の各流派をさすようになり、旧社会ではひろく世間を渡り歩く各種各様の人たちをさすのにも用いられた。
① 一九五七年十月、ポーランド政府は週刊誌『ポ・プロストゥ』の発行を停止したが、これが学生の騒ぎをひき起こした。
② 毛沢東同志が、一九五七年四月三十日、各民主政党の責任者と無党派の民主人士をまねき、整風運動と知識分子の思想改造の問題についておこなった談話をさす。
③ 林側徐(一七八五~一八五〇年)は、アヘン戦争のときの中国清朝の広東・広西総督で、イギリスの侵略にあくまでも抵抗することを主張した。
(一九五七年十一月十八日)
これは、毛沢東同志がモスクワにおける共産党・労働者党代表者会議でおこなった発言の抜粋である。
団結の件について、方法の問題をすこしのべてみよう。わたしに言わせると、同志であれば、敵対分子や破壊分子でないかぎり、どのような人にたいしても団結の態度をとるべきである。それらの同志にたいしては、弁証法的方法をとるべきで、形而上学的方法をとるべきではない。弁証法的方法とはなにか。すべてについて分析をくわえること、人は誤りを犯すものだと認めること、誤りを犯したからといって、その人のすべてを否定するようなまねをしないことである。レーニンはかつて、誤りを犯さない人はこの世にひとりもいない、と言ったことがある。どんな人でも他人の支持が必要である。男一匹にも加勢三人、垣根一つにも杭三本、美しい蓮の花にも緑の葉っぱ――これは中国のことわざである。中国にはさらに、靴なおしも三人よれば諸葛孔明の知恵、ということわざがある。諸葛孔明ただひとりでは、なんといっても欠陥があり、不完全なのである。われわれのこの十二ヵ国宣言をみても、第一次、第二次、第三次、第四次と草案をつくってきたが、いまだに字句のうえでの修正が終わっていない。自分は全知全能で、神と同じだというなら、そうした考え方は妥当ではないとおもう。それなら、誤りを犯した同志にたいしては、どのような態度をとるべきであろうか。分析をくわえ、弁証法的方法をとるべきで、形而上学的方法をとってはならない。わが党はかつて、形而上学――教条主義におちいったことがあり、自分の気にいらない人にたいしては完全にたたきつぶすようなことをしたものである。そのご、われわれは教条主義を批判し、弁証法をすこしずつ身につけてきた。弁証法の基本的観点は対立面の統一である。この観点を認めるなら、誤りを犯した同志にどう対処すべきであろうか。誤りを犯した同志にたいしては、第一には闘争し、誤った思想を完全に一掃しなければならない。第二には援助しなければならない。一に闘争、二に援助である。善意から出発して、誤りを改めるよう援助し、活路をあたえるのである。
別の種類の人にたいしては、やり方がちがってくる。たとえばトロツキーのような連中、中国の陳独秀、張国燾、高崗のような連中にたいしては、援助の態度をとるわけにはいかない。かれらは救いようがないからである。また、ヒトラー、蒋介石、ツァーもみな救いようがなく、打倒するほかはない。かれらはわれわれにとって、絶対的に排除しあう関係にあるからである。この点からいえば、かれらには二重性がなく、一重性しかない。帝国主義制度、資本主義制度についても、最終的にはやはり同様なことがいえる。それらは、最終的には、かならず社会主義制度にとって代わられるのである。イデオロギーについても同様で、唯物論を観念論にとって代わらせ、無神論を有神論にとって代わらせなければならない。これは戦略目標からいうのである。戦術段階ではちがってきて、妥協ということもありうる。朝鮮の三十八度線では、われわれはアメリカ人と妥協したではないか。ベトナムでは、フランス人と妥協したではないか。
それぞれの戦術段階では、闘争にも長じ、妥協にも長じていなければならない。ここで、同志関係のことにもどろう。同志のあいだにみぞができたばあいには会談をおこなうことを提案したい。一部の人は、共産党にはいったとたん、すべてが聖人になり、意見の相違もなければ、誤解もなく、分析をくわえる余地もない、つまり、一枚岩で、画一的で、整然としており、会談などを必要としない、と考えているらしい。まるで共産党にはいったとたん、一〇〇パーセントのマルクス主義者でなければいけないかのようである。その実、マルクス主義者もさまざまである。一〇〇パーセントのマルクス主義者もいれば、九〇パーセントのマルクス主義者もおり、八〇パーセントのマルクス主義者、七〇パーセントのマルクス主義者、六〇パーセントのマルクス主義者、五〇パーセントのマルクス主義者もいる、また、一〇パーセントか、二〇パーセントのマルクス主義しか持たない人もいるのである。われわれは、小さい部屋のなかでふたりか数人で話しあえないものだろうか。団結から出発して、援助の精神で会談をするということができないものだろうか。もちろん、これは帝国主義との会談ではなく(われわれは帝国主義とも会談する)、共産主義内部の会談である。ひとつ、例をあげてみよう。このたび、われわれ十二ヵ国は会談をしているのではないだろうか。六十数ヵ国の党は会談をしているのではないだろうか。実際には会談である。それはつまり、マルクス・レーニン主義を傷つけないという原則のもとに、うけいれてもよい他人の意見をいくらかうけいれ、放棄してもよい自分の意見をいくらか放棄するということである。こうすれば、われわれは手を二本もつことになる。つまり、誤りを犯した同志にたいし、一方の手ではこれと闘争し、もう一方の手ではこれと団結するのである。闘争の目的はマルクス主義の原則を堅持することにあり、これを原則性という。これが一方の手である。もう一方の手では団結をはかる。団結の目的は活路をあたえ、妥協を成立させることにあり、これを弾力性という。原則性と弾力性との統一はマルクス・レーニン主義の原則である。これは対立面の統一の一種である。
どのような世界にも、矛盾が充満している。当然のことながら、階級社会ではとくにそうである。一部の人は、社会主義社会にも矛盾を「見つけだす」ことができると言っているが、こういう提起のしかたは正しくないとおもう。矛盾を見つけだせるか見つけだせないかというのではなく、矛盾が充満しているのである。矛盾が存在しないようなところは一つもなく、分析の対象となりえないような人はひとりもいない。もしも分析の対象となりえないような人がひとりでもいると認めるなら、それは形而上学である。現に、原子のなかにも矛盾の統一が充満しているではないか。ここには原子核と電子という対立する二つの側面の統一がある。原子核にはまた、陽子と中性子という対立面の統一がある。陽子にはさらに陽子と反陽子があり、中性子にはさらに中性子と反中性子がある。要するに、対立面の統一はどこにも存在するのである。対立面の統一という観念について、弁証法について、ひろく宣伝する必要がある。わたしに言わせると、弁証法は哲学者のワクをこえて、広範な人民大衆のなかにはいっていくべきである。各国の党の政治局会議と中央委員会総会でこの問題を話しあうこと、党の各級地方委員会でこの問題を話しあうことを提案したい。じつのところ、われわれの党支部書記には弁証法がよくわかっている。かれらは支部の総会での報告を準備するとき、第一にはすぐれた点、第二には欠点というように、しばしばノートに二つの点を書きこんでいる。一つが分かれて二つとなる――これは普遍的な現象であり、これが弁証法なのである。
(一九五七年十一月十八日)
これは、毛沢東同志がモスクワにおける共産党・労働者党代表者会議でおこなった発言の抜粋である。
一九四六年、蒋介石がわれわれにたいして進攻をはじめたとき、われわれの多くの同志と全国の人民は、戦争に勝てるかどうかをひじょうに心配した。わたし自身もこのことを心配した。しかし、われわれには確信があった。当時、アンナ・ルイズ・ストロングというアメリカの記者が延安にやってきた。わたしは彼女と話をしたとき、蒋介石、ヒトラー、日本、アメリカ、原子爆弾など、多くの問題について語った。わたしはこう言った――強大だと称しているすべての反動派は、どれもこれもハリコの虎にすぎない。その理由は、かれらが人民から遊離していることにある。見たまえ、ヒトラーはハリコの虎ではなかったか。ヒトラーはうち倒されたではないか、と。わたしはまた、こう言った――ツァーはハリコの虎であり、中国の皇帝はハリコの虎であり、日本帝国主義はハリコの虎である。見たまえ、みな倒れてしまった。アメリカ帝国主義は倒れておらず、そのうえ原子爆弾ももっているが、わたしの見るところでは、これも倒れるし、やはりハリコの虎である、と。蒋介石はひじょうに強大で、四百万の正規軍をもっていた。当時、われわれは延安にいた。延安というところにはどれくらい人がいたのか。七千人である。われわれはどれくらい軍隊をもっていたのか。九十万の遊撃隊がいたが、みな蒋介石のため数十もの根拠地に分断されていた。しかし、蒋介石はハリコの虎にすぎず、われわれはかならずこれにうち勝つことができる、とわれわれは言った。敵と闘争するため、われわれは長いあいだに、一つの概念をつくりあげてきた。それはつまり、戦略的にはいっさいの敵を蔑視しなければならず、戦術的にはいっさいの敵を重視しなければならない、ということである。言いかえれば、総体としてはかならずそれを蔑視しなければならず、個々の具体的な問題ではかならずそれを重視しなければならない、ということである。もしも総体として敵を蔑視するのでなければ、われわれは日和見主義の誤りを犯すことになる。マルクスとエンゲルスはただふたりだけだったが、当時、かれらは、全世界の資本主義はうち倒されるであろうと言った。しかし、具体的な問題、個々の敵の問題で、もしも敵を重視しないなら、われわれは冒険主義の誤りを犯すことになる。戦いはひといくさひといくさ戦うほかはなく、敵は一部分一部分消滅していくほかはない。工場はひとつひとつ建てていくほかはなく、農民が田をたがやすときも一枚一枚たがやしていくほかはない。飯を食うにしても、そのとおりである。われわれは、この飯をたいらげることができる、と戦略的には、飯を食うことを蔑視する。だが、具体的に食うとなると、やはりひと口ひと口食うのであって、だれも一卓の料理をひと口に呑みくだすことはできない。これを名づけて個々に解決するといい、軍事書籍では各個撃破というのである。