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中国共産党第七期中央委員会第二回総会での報告
(一九四九年三月五日)
中国共産党第七期中央委員会第二回総会は、一九四九年三月五日から十三日まで、河北省平山県西柏坡村でひらかれた。出席者は中央委員三十四人、中央委員候補十九人であった。この会議は、中国の人民革命が全国的勝利をおさめる前夜にひらかれたもので、きわめて重要な会議であった。毛沢東同志はこの会議でおこなった報告のなかで、革命の急速な全国的勝利を促進し組織するための諸方針を提起し、全国的勝利の局面のもとで党の活動の重心を農村から都市に移さなければならないことを説明し、党が全国的勝利ののち政治、経済、外交の面でとるべき基本政策、ならびに、中国を農業国から工業国に転化させ、新民主主義社会から社会主義社会に転化させる全般的任務と主要な道すじを規定した。毛沢東同志はこの報告のなかで、当時の中国経済の各種構成要素の状態と、党がとらなければならない正しい政策にとくに重点をおいて分析をくわえ、中国か社会主義的改造を実現するうえでかならず通らなければならない道を指摘し、この問題における「左」右のさまざまな偏向を批判するとともに、中国の経済が比較的はやい速度で発展することを確認した。毛沢東同志は、中国の人民民主主義革命が勝利したのちの内外の階級闘争における新しい情勢を見通し、ブルジョア階級の「糖衣弾」がプロレタリア階級の主要な危険となることをいちはやく警告した。これらすべての点から、この文献はひじょうに長い歴史的時期にわたって偉大な意義をもつものとなった。毛沢東同志のこの報告は、同年六月に書かれた『人民民主主義独裁について』という論文とともに、中国人民政治協商会議第一期総会で採択され新中国成立後かつて臨時憲法の役割をはたした「共同綱領」の政策上の基礎となった。党の第七期中央委員会第二回総会は、毛沢東同志の報告にもとづいて、これにおうじた決議を採択した。この会議ののち、中国共産党中央は河北省平山県西柏坡村から北平に移った。
一
遼瀋、淮海、平津の三つの戦役によって、国民党軍の主力はすでに消滅された。国民党の戦闘部隊はわずかに百余万人をのこすだけとなり、新疆から台湾にいたる広大な地域ときわめて長い戦線に散らばっている。今後、この百余万の国民党軍をかたづけるには、天津方式、北平方式、綏遠方式〔1〕の三とおりしかない。天津でやったように戦闘によって敵をかたづけるのが、やはり、まず第一に意をそそぎ、準備しなければならない方式である。人民解放軍の全指揮員、戦闘員は、自己の戦意をすこしでるゆるめるようなことを絶対にしてはならない。戦意をゆるめたり敵をみくびったりする考えは、すべてあやまりである。北平方式で問題を解決する可能性は増大している。これは、敵軍にせまって、平和的な方法で迅速かつ徹底的に、人民解放軍の制度にもとづいて、人民解放軍に編成がえさせる方式である。こうした方法で問題を解決するのは、反革命の遺物をすみやかにとりのぞき反革命の政治的影響をすみやかに一掃するという点では、戦争の方法で問題を解決するよりもいくぶん劣っている。しかし、こうした方法は、敵軍の主力が消滅されたのちには必然的にあらわれてくるもので、さけることのできないものである。同時に、それは死傷と破壊をさげることができ、わが軍にとっても人民にとっても有利なものである。したがって、各野戦軍の指導者はすべてこうした闘争方式に注目し、これを習得すべきである。これは一種の闘争方式であり、血を流さない闘争方式であって、闘争をしなくても問題が解決できるというわけではない。綏遠方式では、一部の国民党軍をわざとのこして、これをそっくりそのままにしておくか、または大体そのままにしておく、つまり、この部分の軍隊にしばらく譲歩して、これを政治的にわが方につかせるか、またはこれに中立をたもたせるようにする。そうすることによって、力を集中して、まず国民党残存勢力の主要な部分をかたづけ、かなりの時間をおいたのち(たとえば、数ヵ月、半年または一年ののち)、あらためて人民解放軍の制度にしたがって、この部分の軍隊を人民解放軍に編成がえするのである。これは、もう一つの闘争方式である。こうした闘争方式では、反革命の遺物や反革命の政治的影響が北平方式よりもいっそう多くのこるであろうし、のこる時間もいっそう長くなるであろう。だが、こうした反革命の遺物や反革命の政治的影響は結局は一掃されてしまうのであり、この点にはまったく疑問の余地がない。反革命勢力がわれわれに従うようになったからといって、かれらはもう革命党になったとか、かれらの反革命の思想や反革命の企図はもう存在しなくなったとか、けっして考えてはならない。だんじてそんなものではない。かれらのうちの多くのものは改造され、一部のものは淘汰され、若干の徹底した反革命分子は弾圧されるであろう。
二
人民解放軍はいつまでも戦闘隊である。全国的勝利ののちも、国内でまだ階級が消滅されず、世界にまだ帝国主義制度が存在する歴史的時期には、われわれの軍隊はやはり戦闘隊である。この点については、どのような誤解も動揺もあってはならない。人民解放軍はまた工作隊でもある。南方の各地で、北平方式または綏遠方式によって問題が解決されるばあいには、とくにそうである。戦闘がしだいに少なくなるにつれて、工作隊としての役割は大きくなってくる。そう遠くない時期に人民解放軍を全部工作隊にしなければならなくなるという可能性があり、われわれはこうした状況を見通しておかなければならない。いま軍隊について南下しようとしている五万三干人の幹部では、遠からずわれわれに占領されるきわめて広大な新しい地域からいって、とても足りるものではなく、われわれは二百十万の野戦軍全部を工作隊にする用意がなければならない。そのようにすれば、幹部も足りることになり、広大な地域にわたる活動も展開できるようになる。われわれは二百十万の野戦軍をひとつの大きな幹部学校とみなさなければならない。
三
一九二七年からこんにちまで、われわれの活動の重点は農村におかれた。われわれは農村で力を結集し、農村によって都市を包囲し、そのあとで都市を手に入れたのである。こうした活動方式をとる時期はもう終わった。これからは、都市から農村への時期、しかも都市が農村を指導する時期がはじまるのである。党の活動の重心は農村から都市にうつされる。南方の各地では、人民解放軍は、さきに都市を占領し、そのあとで農村を占領することになる。都市と農村のどちらにも心をくばらなければならず、都市の活動と農村の活動、労働者と農民、工業と農業をしっかりと結びつけなければならない。農村をほうっておいて、都市にだけ心をくばるようなことは、けっしてしてはならない。もしそのようなことを考えるなら、それは完全なあやまりである。だが、党と軍隊の活動の重心は都市にわかなければならず、ひじょうな努力をはらって都市の管理、都市の建設を習得しなければならない。都市で、帝国主義者、国民党、ブルジョア階級にたいして政治闘争、経済闘争、文化闘争をおこない、また帝国主義者にたいして外交闘争をおこなうことを習得しなければならない。かれらと公然たる闘争をおこなうことも習得すべきであるし、かれらと非公然の闘争をおこなうことも習得すべきである。もしこれらの問題に注意をはらわず、これらの連中とこうした闘争をおこなうことを習得せず、闘争に勝利をおさめないなら、われわれは権力を維持することができなくなり、もちこたえられなくなり、失敗するであろう。銃をもった敵が消滅されてからも、銃をもたない敵は依然として存在する。かれらはかならずわれわれに死にもの狂いのたたかいをいどんでくる。われわれはけっしてこれらの敵をみくびってはならない。現在、このように問題を提起し認識しないなら、われわれはきわめて大きなあやまりをおかすことになる。
四
都市の闘争で、われわれはだれに依拠するのか。考えのあいまいな一部の同志は、労働者階級に依拠するのではなく、貧民大衆に依拠するのだと考えている。もっと考えのあいまいな一部の同志は、ブルジョア階級に依拠するのだと考えている。工業を発展させる方向については、考えのあいまいな一部の同志は、国営企業の発展をたすけるのではなく、主として私営企業の発展をたすけるのだと考えている。あるいは、その反対に、ただ国営企業に意をそそげば十分で、私営企業などはとるにたりないものだと考えている。われわれは、こういうあいまいな考えに批判をくわえなければならない。われわれは、ひたすら労働者階級に依拠し、その他の勤労大衆と団結し、知識人を獲得し、われわれと協力しうる民族資本家やその代表的人物をできるだけ多く獲得してわれわれの側に立たせるか、中立をたもたせるようにしなければならない。そうすることによって、帝国主義者、国民党、官僚ブルジョア階級とだんこ闘争し、一歩一歩これらの敵にうち勝っていくのである。同時に、われわれは建設事業に着手して、一歩一歩、都市の管理を習得し、都市の生産事業を回復し発展させていかなければならない。生産を回復し発展させる問題については、第一が国営工業の生産であり、第二が私営工業の生産であり、第三が手工業の生産であることを明確にしなければならない。われわれは、都市を接収したその日から、その都市の生産事業の回復と発展に目をむけなければならない。盲目的にゆきあたりばったりに事をはこんで、中心任務を忘れてしまい、そのため、一つの都市を占領してから数ヵ月もたつのに、生産と建設がまだ軌道にのらず、ひどいばあいには、多くの工業が停頓状態におちいって、労働者が失業し、労働者の生活が低下し、共産党への不満がうまれるというようなことになってはならない。そういう状態はまったく許されないことである。そのため、われわれの同志は、ひじょうな努力をはらって生産の技術と生産管理の方法を学ばなければならないし、生産と密接なつながりのある商業、銀行、その他の方面の活動を学ばなければならない。都市の生産を回復し発展させ、消費的な都市を生産的な都市にかえたとき、人民の権力ははじめて強固なものになる。都市のその他の活動、たとえば、党の組織活動、権力機関の活動、労働組合の活動、その他各種大衆組織の活動、文化・教育方面の活動、反革命分子粛清の活動、通信社、新聞、放送局の活動はすべて、生産、建設というこの中心の活動をめぐっておこなわれるのであり、またこの中心の活動に奉仕するのである。もし、われわれが生産活動についてなにも知らす、生産活動を急速に習得することができず、また生産事業をできるだけはやく回復し発展させ、確実な成果をあげて、まず第一に労働者の生活を改善し、さらに一般人民の生活をも改善することができないなら、われわれは権力を維持することができなくなり、もちこたえられなくなり、失敗するであろう。
五
南方と北方とでは事情がちがうので、党の任務にもちがいがなければならない。南方はいまなお国民党の支配する地域である。そこでの党と人民解放軍の任務は、都市と農村で、国民党の反動武装力を消滅し、党の組織をつくり、政権をうちたて、民衆を立ちあがらせ、労働組合、農会その他の大衆組織をつくり、人民の武装力をつくって、国民党の残存勢力を一掃し、生産事業を回復し発展させることである。農村では、まず段どりをおって、土匪を掃討する闘争と、悪覇すなわち地主階級の実権派に反対する闘争とをくりひろげ、小作料・利子引き下げのための準備を完了することであり、これによって、人民解放軍がその地区にはいってからおよそ一年か三年ののちに、小作料・利子引き下げの任務を達成して、土地分配の前提条件をつくりだせるようにすることである。同時に、農業生産のいまの水準をできるだけ維持し低下させないよう、注意しなければならない。北方は、少数の新解放区をのぞいて、まったく異なった状態にある。ここでは、すでに国民党の支配がくつがえされ、人民の支配がうちたてられており、しかも、土地問題が根本的に解決されている。ここでの党の中心任務は、あらゆる力を動員して生産事業を回復し発展させることであり、ここにすべての活動の重点がある。同時に、文化・教育事業を回復し発展させ、残存する反動勢力を一掃して、北方全体を強固にし、人民解放軍を支援しなければならない。
六
われわれは広範な経済建設をすすめている。すでに党の経済政策は実際活動のなかで実施され、いちじるしい成果をおさめている。だが、なぜこのような経済政策をとるべきで、他の経済政策をとるべきではないのかという理論的、原則的問題について、党内には多くのあいまいな考えがある。この問題にどう答えるべきか。われわれは、つぎのように答えるべきだと考える。中国の工業と農業が国民経済のなかでしめる比重は、全国的にみて、抗日戦争前はだいたいのところ、近代的な工業が一〇パーセント前後をしめ、農業と手工業が九〇パーセント前後をしめていた。これは、帝国主義制度と封建制度が中国を抑圧した結果であり、旧中国社会の半植民地的・半封建的性質の経済面におけるあらわれであり、そしてまた、中国の革命の時期と革命勝利後のかなり長い時期におけるすべての問題の基本的な出発点でもある。この点から、わが党の戦略上、戦術上、政策上の一連の問題が出てくる。これらの問題をいっそう明確に認識し解決することは、わが党の当面する重要な任務である。それはつぎのような意味である。
第一に、中国にはすでに一○パーセント前後の近代的な工業経済があるが、これは進歩的な点で、古い時代とちがうところである。こうした点から、中国にはすでに新しい階級と新しい政党、つまりプロレタリア階級とブルジョア階級、プロレタリア政党とブルジョア政党がうまれている。プロレタリア階級とその政党は、いく重もの敵の抑圧をうけて鍛えられているので、中国の人民革命を指導する資格をそなえている。この点を無視したり軽視したりするものは、右翼日和見主義のあやまりをおかすくとになる。
第二に、中国にはまだ九〇パーセント前後の分散した小私有経営の農業経済と手工業経済があるが、これはたちおくれた点で、古い時代と大してちがわないところであり、わが国の経済生活の九〇パーセント前後はまだ古い時代のままに停滞しているのである。古い時代には封建的な土地所有制があったが、これは現在われわれによってすでに廃止されたか、あるいは廃止されようとしている。この点では、すでに古い時代とちがっているか、あるいはちがったものになろうとしており、われわれは農業と手工業をしだいに近代化の方向へ発展させる可能性をすでに獲得しているか、あるいは獲得しようとしている。だが、われわれの農業と手工業は、その基本形態からいえば、こんにちでもやはり、分散した小私有経営のもの、すなわち古い時代に似かよったものであるし、また今後かなり長い期間にわたってもそうしたものであるだろう。この点を無視したり軽視したりするものは、「左」翼日和見主義のあやまりをおかすことになる。
第三に、中国の近代的な工業の生産額は、まだ国民経済の総生産額の一〇パーセント前後をしめるにすぎないが、この工業はひじょうに集中しており、もっとも大きな、もっとも主要な資本は、帝国主義者とその手先である中国官僚ブルジョア階級の手に集中している。これらの資本を没収して、プロレタリア階級の指導する人民共和国の所有にうつせば、人民共和国が国の経済動脈をにぎることになり、国営経済は全国民経済の指導的要素となる。この部分の経済は社会主義的性質の経済であって、資本主義的性質の経済ではない。この点を無視したり軽視したりするものは、右翼日和見主義のあやまりをおかすくとになる。
第四に、中国の私的資本主義工業は、近代的な工業のなかで第二位をしめており、無視することのできない力である。中国の民族ブルジョア階級とその代表的人物は、帝国主義、封建主義、官僚資本主義から抑圧または制限をくわえられていたので、人民民主主義革命の闘争のなかで、しばしば、これに参加するか、あるいは中立をたもつ立場をとってきた。こうしたことから、また、中国経済がいまなおたちおくれた状態にあることから、革命勝利後もかなり長い期間、国民経済の発展に役立たせるため、都市と農村の私的資本主義の積極性をできるだけ利用する必要がある。この期間には、国民経済に有利で害のない、都市と農村のすべての資本主義的要素は、その存在と発展を許すべきである。これはさけるれないほかりでなく、経済的に必要なことである。だが、中国における資本主義の存在と発展は、資本主義国のように制限をくわえないで、これをはびこるにまかせるのではない。それはいくつかの面――活動範囲の面、徴税政策の面、市場価格の面、労働条件の面から制限される。われわれは資本主義にたいし、各地、各業種、各時期の具体的な状況におうじて、各方面から、適切な、伸縮性のある制限政策をとらなければならない。孫中山の資本節制というスローガンを、われわれはやはりもちいなければならないし、またもちいることができるのである。だが、国民経済全体の利益のため、労働者階級と勤労人民の現在と将来の利益のためには、私的資本主義経済にたいし、けっして、あまりにも大きな、あまりにも窮屈な制限をくわえてはならず、人民共和国の経済政策と経済計画のわく内で存在し発展する余地をあたえなければならない。私的資本主義にたいして制限政策をとれば、どうしても、ブルジョア階級、とくに私的企業のうちの大企業主、つまり大資本家から、さまざまな程度、さまざまな形での反抗をうけることになる。制限と反制限は、新民主主義国家における階級闘争の主要な形態となるであろう。もしわれわれが、いまは資本主義を制限する必要はないと考えたり、「資本節制」というスローガンをすててもよいと考えたりするなら、それは完全なあやまりであり、それこそ右翼日和見主義の観点である。だが、逆に、あまりにも大きな、あまりにも窮屈な制限を私的資本にくわえるべきだと考えたり、急速に私的資本を消滅してしまってもいっこうさしつかえないと考えたりするなら、これも完全なあやまりであり、これこそ「左」翼日和見主義または冒険主義の観点である。
第五に、国民経済の総生産額の九〇パーセントをしめる分散した小私有経営の農業経済と手工業経済は、近代化と集団化の方向へ発展するよう、慎重に、一歩一歩、しかも積極的にみちびくことができるし、また、みちびかなければならない。自由に放任しておく観点はまちがっている。生産、消費、信用の各協同組合と、中央、省、市、県、区における協同組合の指導機関をつくらなければならない。こうした協同組合は、私有制を基礎とした、プロレタリア階級の指導する国家権力の管理のもとにおかれた、勤労人民大衆の集団経済組織である。中国人民は文化的におくれており、協同組合の伝統がないので、われわれは困難にぶつかるだろうが、しかし、協同組合はつくることができるし、また、つくらなければならず、これを普及させ発展させなければならない。国営経済があるだけで協同組合経済がなければ、勤労人民の小私有経済を一歩一歩集団化の方向にむかうよう指導することはできず、新民主主義社会を将来の社会主義社会に発展させることはできず、国家権力におけるプロレタリア階級の指導権をうちかためることはできない。この点を無視したり軽視したりするものは、きわめて大きなあやまりをおかすことになる。国営経済は社会主義的性質のものであり、協同組合経済は半社会主義的性質のものであって、これに私的資本主義経済をくわえ、小私有経済をくわえ、国家と私的資本の協力する国家資本主義経済をくわえたものが、人民共和国のいくつかの主要な経済的要素であり、これらが新民主主義の経済形態を構成するのである。
第六に、人民共和国の国民経済の回復と発展は、対外貿易の統制政策なしには不可能である。中国の領土から帝国主義、封建主義、官僚資本主義と国民党の支配(これは帝国主義、封建主義、官僚資本主義の三者の集中的な表現である)が一掃されても、独立した、完全な工業体系をうちたてる問題は解決されたことにはならない。経済面で大きな発展をとげ、おくれた農業国からすすんだ工業国になったとき、この問題ははじめて最終的に解決されたことになるのである。この目的の達成は、対外貿易の統制なしには不可能である。中国革命が全国的勝利をおさめ、土地問題が解決されたのちも、中国にはまだ二つの基本的な矛盾が存在する。ひとつは国内的な矛盾、すなわち労働者階級とブルジョア階級との矛盾である。もうひとつは対外的な矛盾、すなわち中国と帝国主義国との矛盾である。したがって、労働者階級の指導する人民共和国の国家権力は、人民民主主義革命の勝利ののちも、これを弱めるのではなく、強めなければならない。対内的な資本の節制と対外的な貿易の統制は、経済闘争におけるこの国家の二つの基本政策である。この点を無視したり軽視したりするものは、きわめて大きなあやまりをおかすことになる。
第七に、中国の経済的遺産はおくれたものではあるが、しかし、中国人民は勇敢で勤勉であり、中国の人民革命の勝利と人民共和国の樹立、中国共産党の指導があり、さらには世界各国の労働者階級の援助、主としてソ連の援助があるのだから、中国の経済建設の速度はそう遅いものではなく、おそらくかなり遠いものとなるであろう。中国の興隆は期して待つべきものがある。中国の経済復興にたいする悲観的な見方には、なんの根拠もない。
七
旧中国は、帝国主義の支配する半植民地国であった。中国の人民民主主義革命が徹底した反帝国主義の性質をもっているため、帝国主義者はこの革命を極度に敵視し、全力をあげて国民党をたすけてきた。このことによって、中国人民は帝国主義者にたいするはげしい怒りをいやがうえにも燃えあがらせ、帝国主義者は中国人民のあいだでその威信を最後のひとかけらまで失ってしまった。また、帝国主義体制全体が第二次世界大戦ののち大いに弱まり、ソ連を先頭とする世界の反帝国主義戦線の力はかってないほど増大した。これらすべての情勢から、われわれは、中国における帝国主義の支配権を、段どりをおって徹底的に粉砕していく方針をとることができるし、またとるべきである。帝国主義者のこうした支配権は政治、経済、文化の各方面にあらわれている。国民党の軍隊が消滅され、国民党の政府が打倒された都市や地方では、どこでも、帝国主義者の政治面における支配権がそれにつれてうち倒され、その経済面、文化面における支配権もうち倒された。だが、帝国主義者の直接経営する経済事業や文化事業はまだのこっているし、国民党の承認した外交要員や新聞記者もまだのこっている。これらにたいしては、前後緩急の区別をつけて、適切な解決をしていかなければならない。国民党時代のいかなる外国の外交機関や外交要員の合法的地位も認めないこと、国民党時代のあらゆる売国条約の存続を認めないこと、帝国主義が中国に設けた宣伝機関をすべて廃止すること、ただちに対外貿易を統制し税関制度を改革すること、これらはすべて、われわれが大都市にはいったとき、まず第一にとらなければならない措置である。これらのことをやりとげたち、中国人民は、帝国主義にむかって立ちあがったことになるのである。あとにのこった帝国主義の経済事業、文化事業は、しばらく存続させておいてもよいが、われわれがこれを監督し統制し、全国的勝利をおさめてから、あらためて解決するようにする。一般の外国居留民にたいしては、その合法的な利益を保護し、これを侵害しない。帝国主義のわが国にたいする承認の問題については、いま解決をいそぐべきではないし、全国的勝利をおさめたのちもなお、かなり長いあいだ解決をいそぐ必要はない。われわれは、平等の原則にしたがってすべての国と外交関係をうちたてることをのぞんでいる。しかし、一貫して中国人民を敵視している帝国主義が、すぐに平等の態度でわれわれにのぞむようなことはけっしてありえない。かれらが敵視の態度をあらためないかぎり、われわれは帝国主義国にたいし、中国における合法的地位をあたえない。外国人と商売をするのは、なにも問題ではない。商売があるならやるべきだし、現に商売はもうはじまっており、いくつかの資本主義国の商人がいまたがいに競争している。われわれは、できるかぎりまず社会主義国や人民民主主義国と商売をしなければならないが、同時に、資本主義国とも商売をするのである。
八
政治協商会議を招集し、民主連合政府を樹立するいっさいの条件はすでに熟している。すべての民主政党、人民団体、無党派民主人士はみな、われわれの側に立っている。上海や長江流域のブルジョア階級は、いまわれわれに関係をつけようとしている。南と北のあいだの航行・郵便業務はすでにはじまっている。四分五裂になった国民党は、もはやすべての大衆からはなれてしまっている。われわれはいま、南京反動政府と交渉をすすめる準備をしている〔2〕。南京反動政府の側でこの交渉の推進力となっているのは、広西派の軍閥、国民党の和平派、上海のブルジョア階級である。かれらの目的は、連合政府に一枚くわわり、できるだけ多くの軍隊を温存し、上海や南方のブルジョア階級の利益を保持し、極力、革命に温和な色彩をもたせることにある。この連中はわれわれの八ヵ条を交渉の基礎とすることを認めてはいるが、かれらの損失があまり大きくならないように、かけひきをしようと考えている。この交渉をぶちこわそうとしているのは、蒋介石とその度しがたい徒党である。蒋介石はまだ六十コ師団を江南一帯に配置しており、これらの部隊はいまなお戦う準備をしている。われわれの方針は、交渉をこばまず、相手方に八ヵ条の完全な承認を要求し、かけひきを許さないことである。そのかわり、われわれとしては、広西派およびその他の国民党和平派をたたかず、一年前後はかれらの軍隊の編成がえをおこなわず、南京政府の一部の要員には政治協商会議と連合政府への参加を許し、上海や南方のブルジョア階級にはその一部の利益の保護を承諾するのである。この交渉は全面的なもので、もし成功すれば、われわれが南方に進軍し南方の各大都市を占領するうえでの多くの障害がとりのぞかれることになり、ひじょうに有利である。もし成功しなければ、進軍してから、個々に地方的な交渉をすすめることになる。交渉の時期は三月下旬の予定である。われわれは、四月か五月に南京を占領し、そののち北平で政治協商会議をひらき、連合政府をうちたて、首都を北平に定めたいとおもっている。われわれは、交渉を許す以上、交渉が成功したのちに幾多のわずらわしい事態がおこることを覚悟していなければならないし、また、孫情空が鉄扇公主の腹のなかにもぐりこんであばれまわった〔3〕ような政策を相手方がとったばあい、冷静な頭脳で対処するだけの用意がなければならない。十分な心がまえさえあれば、どんな妖術をつかう孫悟空にもうち勝つことができる。全面的な和平交渉であろうと、局地的な和平交渉であろうと、われわれはこうした心がまえをしておくべきである。われわれは、わずらわしさをいとい、ことなきをもとめて、これらの交渉をうけいれないというのであってはならないし、また、わけもわからずにこうした交渉をうけいれるのであってもならない。われわれは確固とした原則性をもたなくてはならないし、原則性をつらぬくために許され必要とされるあらゆる弾力性をももたなくてはならない。
九
プロレタリア階級の指導する、労農同盟を基礎とした人民民主主義独裁は、わが党が全労働者階級、全農民階級、広範な革命的知識層としんけんに団結することを要求している。かれらはこの独裁の指導勢力であり、基本勢力である。こうした団結がなければ、この独裁は強固なものになりえない。同時に、この独裁はまた、わが党が、できるだけ多くの、われわれと協力しうる都市小ブルジョア階級と民族ブルジョア階級のなかの代表的人物や知識人、政治グループと団結することを要求している。それは、革命の時期には、反革命勢力を孤立におとしいれ、国内の反革命勢力と帝国主義勢力を徹底的に打倒するためであり、革命の勝利したのちには、急速に生産を回復し発展させ、国外の帝国主義にたちむかい、中国を着実に農業国から工業国に変えていき、中国を偉大な社会主義国にきすきあげるためである。したがって、わが党が党外の民主人士と長期にわたって協力するという政策は、思想のうえでも活動のうえでも、全党的に確立しなければならない。われわれは、党外の大多数の民主人士をわれわれ自身の幹部とおなじようにみなし、相談し解決すべき問題については、誠意をこめて、かれらと卒直に相談して解決しなければならず、かれらに仕事をあたえて、かれらがその持ち場で職務におうじた権限をもち、仕事のうえで成果をあげられるようにしなければならない。かれらと団結するということから出発して、かれらのあやまりや欠点にたいし、しんけんで、適切な批判または闘争をおこない、かれらと団結する目的をたっしなければならない。かれらのあやまりや欠点にたいして妥協的な態度をとるのはまちがっている。かれらにたいして閉鎖的な態度やおざなりな態度をとるのもまちがっている。どの大都市やどの中都市でも、どの戦略的地域やどの省でも、われわれと協力できる、信望のある党外の民主人士を相当数そだてるべきである。わが党内では、土地革命戦争の時期の閉鎖主義の作風からうまれた、党外の民主人士にたいする正しくない態度が、抗日の時期にも完全には克服されないで、一九四七年の各根拠地における土地改革の高揚の時期にふたたびあらわれたことがある。こうした態度は、わが党を孤立におとしいれ、人民民主主義独裁の強化を不可能にし、敵に同盟者をえさせるだけである。いまや、わが党の指導のもとでの中国最初の政治協商会議がひらかれようとしており、民主連合政府が成立しようとしており、革命が全国的勝利をおさめようとしている。全党はこの問題についてしんけんに検討し、正しい認識をもたなければならず、右翼的な妥協主義と「左」翼的な閉鎖主義またはおざなり主義という二つの偏向に反対して、完全に正しい態度をとらなければならない。
十
われわれはもうすぐ全国的勝利をおさめようとしている。この勝利は帝国主義の東方の戦線をつきやぶり、偉大な国際的意義をもつことになるであろう。この勝利をかちとるには、もうそれほど長い時間を必要としないし、それほど大きな力をついやす必要もない。だが、この勝利をうちかためるのは、長い時間をかけ、大きな力をついやさなければならないことがらである。ブルジョア階級はわれわれの建設能力にうたがいをもっている。帝国主義者は、われわれが結局はかれらにめぐみを乞わなければやっていけなくなるだろうと考えている。勝利をおさめると、党内にはおごりたかぶった気持ち、功労者を自任する気持ち、立ちとまって進歩をもとめようとしない気持ち、享楽をむさぼって二度と苦しい生活をしたがらない気持ちがうまれてくるであろう。勝利をおさめると、人民はわれわれに感謝し、ブルジョア階級もわれわれをもちあげるようになる。敵の武力がわれわれを征服できないこと、この点はすでに立証されている。だが、ブルジョア階級にもちあげられると、われわれの隊伍のなかの意志薄弱なものは征服されるかもしれない。銃をもった敵には征服されたことがなく、こうした敵のまえでは英雄の名に恥じなかったが、糖衣でくるんだ砲弾の攻撃にはたえきれず、梶衣弾のまえには敗北をなめる、というような共産党員がいるかもしれない。われわれはこうした事態を未然にふせがなければならない。全国的勝利をかちとること、これは万里の長征の第一歩をふみだしたにすぎない。たとえこの一歩が誇るべきものだとしても、それはむしろとるにたりないもので、もっと誇るべきものはこれからさきにある。何十年もたってから、中国の人民民主主義革命の勝利をふりかえってみれば、それはちょうど長い芝居の小さな序幕にすぎないような感じがするにちがいない。芝居は序幕からはじめなければならないが、序幕はまだやま場ではない。中国の革命は偉大であるが、革命後の道のりはもっと長く、その仕事はもっと偉大であり、もっと困難なものである。この点は、いまから党内にはっきりといっておかなければならない。そして、同志たちに謙虚で、慎重な、おごらず、あせらない作風をひきつづき保持させなければならないし、同志たちに刻苦奮闘の作風をひきつづき保持させなければならない。われわれには、批判と自己批判というマルクス・レーニン主義の武器がある。われわれはよくない作風をすてて、すぐれた作風を保持することができる。われわれは、以前知らなかったものを学びとることができる。われわれは古い世界を破壊することができるだけでなく、新しい世界を建設することもできる。中国人民は、帝国主義者にめぐみを乞わなくてもやっていけるだけでなく、帝国主義国よりももっとりっぱにやっていけるようになる。
注
〔1〕 一九四九年九月十九日、国民党綏遠省政府主席菫其武、兵団司令官孫蘭峯らは、四万余人をひきいて蜂起した。蜂起した部隊は、一九五〇年二月三十一日から人民解放軍綏遠軍区の指導のもとで再編成され、四月十日に人民解放軍に編成がえされた。
〔2〕 南京国民党反動政府と和平交渉をおこなうことについて、中国共産党中央は、一九四九年三月二十六日、つぎのことを決定した。「(一)交渉開始の期日――四月一日。(二)交渉の場所――北平。(三)周恩来、林伯渠、林彪、葉剣英、李維漢を代表に(四月一日、中国共産党中央は聶栄臻を代表に追加することを決定)、周恩来を首席代表に任命し、南京側の代表団と交渉をおこなわせる。毛沢東主席が一月十四日におこなった時局についての声明とそこにあげられた八項目の条件を双方の交渉の基礎とする。(四)交渉の順調な進行をはかるため、前記の各事項を、即日、放送局をつうじ南京国民党反動政府に通告して、上述の期日と場所をたがえず代表団を派遣させ、八項目の条件に必要な資料を携行させる。」
〔3〕 孫悟空が小さな虫に化け、鉄扇公王の腹のなかにもぐりこんで、鉄扇公王をうち負かした物語は、中国の伝奇小説『西遊記』の第五十九回にある。