蔵書 › 毛沢東選集 第五巻 › 社会主義革命と社会主義建設の時期(一)
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農業協同化の問題について
(一九五五年七月三十一月)
これは、毛沢東同志が中国共産党中央の招集した省委員会・市委員会・自治区委員会書記会議でおこなった報告である。
一
全国の農村には、新しい社会主義的大衆運動の高まりがおとずれようとしている。ところが、われわれの一部の同志ときたち、まるで纏足をした女のようによろよろと歩きながら、はやすぎる、はやすぎる、と愚痴ばかりこぼしている。よけいな品さだめ、的はずれの怨み言、とめどもない取越し苦労、かぞえきれないほどのご法度や戒律など、こうしたものを、農村の社会主義的大衆運動を指導する正しい方針だとおもっている。
とんでもない、これは正しい方針ではなく、誤った方針である。
いま農村での協同化という社会改革の高まりが、一部の地方にすでにおとずれているし、全国にもまさにおとずれようとしている。これは、五億をこえる農村人口の大規模な社会主義的革命運動であり、きわめて偉大な世界的意義をもっている。われわれは、この運動を積極的に、熱情をこめて、計画的に指導すべきであり、さまざまなやり方で後退させるようなことをしてはならない。運動のなかではすこしくらいのまちがいは避けられないもので、それは理解できるし、是正するのもむずかしくはない。幹部や農民のあいだにある欠点や誤りは、われわれが積極的にかれらを援助しさえすれば、克服され、是正されるものである。幹部や農民は、党の指導のもとに前進しており、運動は基本的に健全である。一部の地方では、かれらは仕事のなかで多少の誤りを犯している。たとえば、一方では貧農の組合加入を拒否して、その困難に気をくばらず、他方ではまた富裕中農に組合加入を無理じいして、その利益を犯している。こうした点については、これを是正していくよう幹部や農民を教育すべきであり、むぞうさに責めてはならない。むぞうさに責めるのでは、問題は解決できない。あとさきのことをあれこれとおそれてはならず、大胆に運動を指導していくべきである。幹部も農民も、自分自身の闘争経験をつうじて自己を改造していくだろう。かれらに実際にやらせて、やっていく過程で教訓をくみとり、その能力を高めていくようにさせなければならない。こうすれば、すぐれた人物がたくさんうまれてくる。あとさきのことをあれこれとおそれるようでは、幹部をそだてあげることはできない。上のほうからは、協同化運動の指導と援助のため、短期の講習をうけた幹部をおおぜい農村におくらなければならない。しかし、上のほうからおくられた幹部も、運動をつうじてはじめて、仕事のやり方を学びとることができるのである。講習会に出て講師から何十ヵ条かを聞いただけでは、仕事ができるとはかぎらない。
要するに、指導が大衆運動に立ちおくれてはならない。ところが、いまはまさしく大衆運動が指導より先にすすんでいて、指導が運動に追いつかない状態である。こうした状態はどうしても改めなければならない。
二
いま、全国の協同化運動がすでに大きな規模で展開されているのに、われわれはまだ、協同組合は発展しうるかどうか、強固なものになりうるかどうかというような問題について議論しなければならないでいる。一部の同志についていえば、問題の中心は、いまの数十万の半社会主義的な、一般に規模の小さい(各組合平均二十数世帯しかない)協同組合が固められるかどうか、と心配している点にあるようにおもわれる。もしも固められないなら、もちろん発展などは話にならない。一部の同志は、ここ数年らい協同化が発展してきた歴史を見てもまだ信じられず、さらに、一九五五年のこの一年間の発展状況がどんなぐあいかを見てみようとしている。ことによると、かれらは一九五六年に、もう一年様子を見ようとしているのかもしれない。もしもっと多くの協同組合が強固になったなら、そのときはじめて農業の協同化が可能であることをほんとうに信じ、また、わが党中央の方針が正しいことを信ずるようになるだろう。したがって、この二年間の仕事はひじょうに大切である。
農業協同化の可能性と農業協同化についてのわが党中央の方針の正しさを証明するためには、ここで、わが国の農業協同化運動の歴史についてのべるのも、あながち無益ではあるまい。
中華人民共和国の成立するまえ、二十二年にわたる革命戦争のあいだに、わが党はすでに、土地改革のあと、農民を指導して社会主義の芽ばえをもつ農業生産互助団体を組織した経験をもっている。当時、江西省には労働互助社と耕田隊、陝西省北部には変工隊、華北、華東、東北などの各地には互助組があった。そのころ、半社会主義的あるいは社会主義的な農業生産協同組合の組織も、ごくわずかではあるがすでにうまれていた。たとえば、抗日戦争の時期に、陝西省北部の安塞県には、社会主義的性質の農業生産協同組合が一つあらわれていた。ただ、こうした協同組合は、その当時まだおしひろめられてはいなかった。
わが党が農民を指導して農業生産互助組をいっそう広範に組織し、また、互助組の基礎のうえに農業生産協同組合を大量に組織しはじめたのは、中華人民共和国が成立してからのことである。それからこんにちまで、さらに六年近い年月がたった。
一九五一年十二月十五日、わが党中央が、まず地方の党組織に配布して、各地で試験的に実施した、農業年産の互助・協同化にかんする決議の最初の草案をつくったときには(この文書は一九五三年三月にはじめて正式の決議として新聞紙上に発表された)、すでに三百あまりの農業生産協同組合ができていた。それから二年たって、一九五三年十二月十六日にわが党中央が農業生産協同組合についての決議を公布したときには、農業生産協同組合はすでに一万四千あまりに発展し、二年間に四十七倍にふえていた。
この決議には、一九五三年の冬から一九五四年の秋の取入れの時期までに、農業生産協同組合を一万四千あまりから三万五千八百あまりに発展させる、と書いてあった。つまり、ただ二倍半にふやす予定にすぎなかった。だが、実際には、この一年間に協同組合は十万に発展し、一万四千余の七倍以上になった。
一九五四年十月、わが党中央は、協同組合を十万からその六倍にふやして、六十万に発展させることをきめた。だが、実際には、六十七万もの協同組合がつくられた。一九五五年六月までに、いちおうの整理をおこなって、二万の組合をへらし、六十五万の組合をのこしたが、これは計画の数字を五万うわまわっている。組合に加入している農家は、合計千六百九十万世帯で、一組合あたり二十六世帯となっている。
これらの協同組合は、大部分が、わりあい早く解放された北部のいくつかの省にある。わりあいおそく解放された全国の大多数の省でも、それぞれ農業生産協同組合がつくられている。そのうち安徽、浙江の向省ではわりあい多くつくられているが、他の各省ではその数はまだあまり多くない。
これらの協同組合は、一般に規模が小さいが、なかには一つの組合で七、八十世帯、ところによっては百世帯以上、または数百世帯をもつ大規模なものもすこしはある。
これらの協同組合は、一般に半社会主義的なものである。しかし、なかには、社会主義的な高級協同組合に発展しているものもすこしはある。
農民の農業生産協同化通勤の発展とならんで、わが国にはすでに、少数ではあるが、社会主義的な国営農場ができている。一九五七年には、この国営農場は三千三十八、その耕地面積は千六百八十七万畝に達する見込みである。そのうち、機械化された農場は百四十一(一九五二年にすでにできていたものと第一次五ヵ年計画の期間にふえるものとをふくむ)、その耕地面積は七百五十八万畝に達し、機械化されていない地方国営農場は二千八百九十七、その耕地面積は九百二十九万畝に達する見込みである。国営農業は、第二次、第三次の二つの五ヵ年計画の期間に、大いに発展するだろう。
一九五五年の春、わが党中央は、農業生産協同組合を百万に発展させることをきめた。この数学は、既存の六十五万にくらべてわずか三十五万の増加、つまり五割あまりふえるにすぎない。これではやや少ないようで、既存の六十五万の組合をほぼ二倍、つまり百三十万前後にふやす必要があるのではないかとおもう。そうすれば、全国二十数万の郷のうち、一部の辺境地区をのぞいて、どの郷にも、手本として、小規模な半社会主義的性質の農業生産協同組合が一つ、またはいくつかつくられることになる。これらの協同組合は、一年か「年たつと、経験をつみ、古株の組合になり、ほかのものがこれに見習うようになる。いまから一九五六年十月の秋の取入れまでにはまだ十四ヵ月あるので、こうした組合設立の計画は達成できるはずである。各省、各自治区の責任者は、帰って研究したうえ、実際の状況にもとづいて適切な計画をつくり、二ヵ月以内に中央に報告してもらいたい。そのとき、もういちど討議して、最終的にきめることにする。
問題は、組合を固めることができるかどうかである。ある人は、協同組合を五十万つくるという昨年の計画は過大だ、暴定だといい、また協同組合を三十五万つくるということしの計面も過大だ、暴走だといっている。かれらは、こんなにたくさん協同組合をつくっては固めることができないのではないか、と疑っている。
はたして固めることができないのだろうか。
もちろん、社会主義的工業化と社会主義的改造は、どちらもなまやさしいことではない。ほぼ一億一千万もの農家を個人経営から集団経営にあらため、さらにすすんで農業の技術的改革をなしとげるには、たしかに多くの困難がある。しかし、われわれは、わが党が大衆を指導してこれらの困難を克服することができるという確信をもたなければならない。
農業協同化の問題についていえば、われわれはつぎのことを信ずるべきだとおもう――(1)貧農、新中農のうちの下層中農、旧中農①のうちの下層中農は、その経済状態が困難であるか(貧農)、あるいはその経済状態が解放まえよりよくなっていても、やはりゆたかではない(下層中農)ため、社会主義の道をあゆもうとする積極性をもっており、協同化についての党のよびかけに積極的にこたえる、ということである。とりわけ、かれらのうちのわりに自覚の高い者は、そうした積極性がいっそうつよい。
われわれはつぎのことを信ずるべきだとおもう――(2)党は全国人民を社会主義社会へみちびいていく力をもっている、ということである。わが党は、すでに、偉大な人民民主主義革命を成功裏に指導し、労働者階級を先頭とする人民民主主義独裁をうちたてた以上、全国人民を指導して、ほぼ三つの五ヵ年計画の期間に、社会主義的工業化と農業、手工業、資本主義工商業の社会主義的改造を基本的になしとげることもきっとできるはずである。農業の面でも、その他の面とおなじように、われわれはすでに人びとを納得させるだけの有力な証拠をもっている。第一次の三百の協同組合、第二次の二万三千七百の協同組合、第三次の八万六千の協同組合を見てもらいたい。この三回分、計十万の協同組合は、みな一九五四年の秋までにつくられたもので、すべて固まっているのに、どうして一九五四年から心九五五年にかけての第四次の協同組合(五十五万)、一九五五年から一九五六年にかけての第五次の協同組合(さしあたり統制数宇を三十五万としておいて、いずれ最終的にきめる)が固められないのだろうか。
われわれは大衆を信ずるべきであり、党を信ずるべきであって、これは二つの根本的な原理である。もしもこの二つの原理に疑いをもつなら、なにごともなしとげることはできない。
三
全国農村の協同化を一歩一歩なしとげていくためには、すでにできている協同組合の整頓をしんけんにおこなわなければならない。
協同組合の質を重んずることを強調しなければならず、質をかえりみないで、ひたすら協同組合と加入農家の数を追いもとめるような傾向には反対しなければならない。したがって、組合整頓の仕事を重視しなければならない。
組合の整頓は、一年に一回ではなく、一年に二回か三回おこなうことである。一部の組合は、ことしの前半にすでに整頓を一回おこなったが(一部の地方では、やり方がひじょうに大ざっぱなようで、一まだあまり力をいれていない)、わたしは、ことしの秋から冬にかけて二回目の整頓をおこない、来年の春から夏にかけてさらに三回目の整頓をおこなうよう提案する。いまの六十五万の協同組合のうち五十五万は、昨年の冬からことしの春にかけてつくられた新しい組合で、そのうちの一部はわりあい強固になった、いわゆる「一級組合」〔1〕である。これに、すでに固められた、もとからある十万の古株の組合をあわせると、すでに強固になった組合は少なくはない。すでに固められたこれらの組合が、まだ固められていないその他の組合を、しだいに強固になるようにみちびいていくことはできないものだろうか。それはできる、と断言すべきである。
われわれは、農民と幹部の社会主義的積極性にたいしては、それがどのようにささやかなものでも大切にすべきであって、それをくじくようなことをしてはならない。われわれは、協同組合の組合員や協同組合の幹部、県、区、郷の幹部と運命を共にし、苦楽を分かちあうべきであって、その積極性をくじくようなことをしてはならない。
思いきって解散させなければならない協同組合は、その組合員のすべて、またはほとんどすべてが、どうしてもやっていきたがらない組合にかぎる。もしもある協同組合のなかで、一部の者だけがどうしてもやっていきたがらないなら、そうした一部の者を脱退させ、大部分の者をのこして引き続きやっていかせる。もしも大部分の者がどうしてもやっていきたがらず、ごく一部の者だけがやっていこうとするのなら、その大部分の者を脱退させ、ごく一部の者をのこして引き続きやっていかせる。たとえそうなっても、それで結構である。河北省に、わずか六世帯のひじょうに小さい協同組合があったが、旧中農三世帯はどうしても引き続きやっていく気がなかったので、脱退させた。だが、三世帯の貧農〔2〕はどんなことがあっても引き続きやっていくというので、かれらをとどまらせ、組合の組織もたもたれた。じつは、この三世帯の貧農がしめした方向こそ、全国五億の農民の方向である。すべての個人経営の農民は、結局、この三世帯の貧農が断固えらんだ道をあゆむことになるのである。
浙江省では、「断固として縮減する」という方針(これは浙江省党委員会の決定ではない)をとって、五万三千の協同組合のうちから、四十万の農家の加人する一万五千もの協同組合をいちどに解散させ、大衆と幹部の大きな不満を買ったが、これはひじょうによくない。この「断固として縮減する」方針は、あわてふためいた気分に支配されてきめられたものである。こうした大きな事がらを、党中央の同意を得ないでやったことも、また妥当ではない。のみならず、一九五五年四月、党中央は、すでに「一九五三年に協同組合を大量に解散させたような誤りを二度とくりかえしてはならない、そうでないと、また自己批判をしなければならなくなる」という警告を出しておいた。ところが一部の同志はこれを聞きいれようとしなかった。
勝利のもとでは、二とおりのよくない傾向があらわれる、とわたしは考える――(1)勝利にのぼせあがって、有頂天になり、「左」の誤りを犯すこと、これはもちろんよくない。(2)勝利に肝をつぶして、「断固たる縮減」をやりだし、右の誤りを犯すこと、これもよくない。いまの状況はあとのほうであって、一部の同志は数十万の小規模な協同組合に肝をつぶしてしまったのである。
四
協同組合をつくるまえの準備活動をしんけんにやっておかなければならない。
最初から協同組合の質を重視すべきであり、ただ数だけを追いもとめるという傾向には反対しなければならない。
準備のない戦いはせず、勝算のない戦いはしない。これは、かつての革命戦争の時期におけるわが党の有名なスローガンである。このスローガンは、社会主義建設の仕事にも適用できる。勝算を得るためには、どうしても準備がいるし、それも十分な準備が必要である。一つの省、一つの専区、一つの県に、かなりの数の新しい農業生産協同組合をつくるには、まえもって多くの準備活動をしておかなければならない。それらの活動は、だいたいつぎのとおりである。(1)誤った考えを批判し、活動の経験をしめくくること。(2)農民大衆のなかで、農業協同化についてのわが党の方針、政策、方法を系統的にくりかえし宣伝すること。農民に宣伝するばあいには、協同化の利点を説明するばかりでなく、協同化の過程でぶつかるであろう困難も指摘して、十分な心構えをもたせるようにしなければならない。(3)実際の状況におうじて、省ぜんたい、専区ぜんたい、県ぜんたい、区ぜんたい、郷ぜんたいの、農業協同化発展の全面的な企画をたて、またそれをもとにして年間の計画をたてること。(4)短期講習の方式で、組合づくりの幹部を養成すること。(5)普遍的かつ大量に農業生産互助組をつくる、そして、可能でさえあれば、多くの互助組をたがいに連合させて互助組の連合組をつくり、それをさらに連合させて協同組合をつくるための基礎をきすきあげること。
こうした条件がそなわれば、協同組合を発展させるうえでの、量と質の統一の問題を基本的に解決することが可能になる。しかし、一定数の協同組合ができたのちには、つづいて整頓の仕事にとりかからなければならない。
一定数の協同組合ができたのち、それが固められるかどうかは、第一に組合をつくるまえの準備活動がよくやられているかどうか、第二に組合ができたのちの整頓の仕事がよくやられているかどうかにかかっている。
組合設立の仕事も整頓の仕事も、すべて郷の党と青年団の支部に依拠しなければならない。したがって、組合設立の仕事もその整頓の仕事も、すべて農村における党と青年団の建設、党と青年団の整頓の仕事と緊密にむすびつけなければならない。
組合設立の仕事であろうと、その整頓の仕事であろうと、すべて農村の地元の幹部を主力とすべきであり、かれらをはげまして仕事をさせ、かれらに責任をもたせるべきである。上から派遣された幹部は補助的な力として、そこで指導と援助の役割をはたすべきであり、なにもかも一手に代行してはならない。
五
農業生産協同組合は、生産の面で、単独経営の農家や互助組よりも、農作物の収量をふやさなければならない。けっして、いつまでも単独経営の農家や互助組の収量とおなじであってはならない。もしそうであれば失敗であって、なにも協同組合などいらないではないか。まして、収量が減るようなことがあってはならない。すでにできている六十五万の農業生産協同組合のうち、八〇パーセント以上の組合では農作物の収量がふえている。これはまことにすばらしいことで、農業生産協同組合の組合月の生産意欲が高いこと、協同組合が互助組よりすぐれており、まして単独経営の農家よりすぐれていることを立証するものである。
農作物の収量をふやすには、(1)自由意思と相互利益の原則を堅持し、(2)経営管理(生産計画、生産管理、労働の組織など)を改善し、(3)耕作技術を高め(深くたがやし、たんねんに手入れをすること、小株密値をおこなうこと、多毛作の面積をふやすこと、優良品種をとりいれること、新式農具をひろめること、病虫害とたたかうことなど)、(4)生産手段(土地、肥料、水利施設、役畜、農具など)をふやさなければならない。これは協同組合を固め、増産を保証するうえで欠くことのできないいくつかの条件である。
自由意思と相互利益の原則を堅持するには、いまのところ、つぎの諸問題の解決に注意をはらわなければならない。(1)役畜と大型農具は、組合にいれるのを一、二年のばしたほうが適当ではないか、組合にいれるばあいの値ぶみが公正かどうか、また償還の期間が長すぎはしないか、(2)土地にたいする報酬と労働にたいする報酬の割合が適当かどうか、(3)組合の必要とする資金はどのようにしてあつめるか、(4)一部の組合員が自分の労働力の一部をつかってなにか副業生産をおこなってもよいかどうか(なぜなら、われわれがいまつくっている農業生産協同組合は、一般にはまだ半社会主義的性質のものであるから、以上にのべた四つの問題を適切に解決するように注意してはじめて、貧農と中農とのあいだの相互利益の原則にそむかずにすむし、また、相互利益をもとにしてはじめて、自由意思による加入を実現できるのである)、(5)組合員の自留地はどれだけにすべきか、(6)組合員の階級構成の問題、など。
ここで、組合員の階級構成の問題についてのべよう。わたしの考えでは、ここ一、二年のあいだは、協同組合をやっとおしひろめはじめたか、あるいはおしひろめてまもないすべての地域、つまりいまの大多数の地域では、(1)貧農、(2)新中農のうちの下層中農、(3)旧中農のうちの下層中農――以上の諸部分のなかの積極的な人たちがまず最初に組合を組織するようにすべきである。これらの部分のなかで、いまのところまだ積極的でないものは、むりに引きいれてはならない。かれらの自覚が高まり、協同組合に心をひかれるようになってから、何回かにわけて協同組合に吸収する。これらの部分の人たちの経済状態は、わりあい似かよっている。かれらの生活は、まだ困難であるか(貧農――かれらは土地の分配をうけて、解放まえよりずっと楽になってはいるが、まだ人力や畜力や農具がたりないため、やはり生活に困難を感じている)、あるいはまだゆたかでない(下層中農)。したがって、かれらは協同組合をつくろうという積極性をもっている。そうはいうものの、かれらの積極性の度合いは、いろいろな原因から、やはり一様ではなくて、ある者はひじょうに積極的であり、ある者はいまのところまだそれほど積極的でなく、ある者はもっと様子を見てからにしようとおもっている。このため、われわれは、当分協同組合に加入するつもりのないすべての者にたいしては、たとえそれが貧農や下層中農であっても、かれらを教育するための期間を設け、その自覚をしんほうづよく待つべきであって、自由意思の原則にそむいて、むりに引きいれるようなことをしてはならない。
新中農のうちの上層中農と、旧中農のうちの上層中農、つまり、経済状態のわりにゆたかなすべての中農については、すでに社会主義の道をあゆむという自覚をもった、ほんとうに組合加入をみずから望んでいる一部の者は組合に吸収してよいが、その他の者は当分吸収してはならず、まして、かれらをむりに引きいれるようなことをしてはならない。なぜなら、かれらはいままだ社会主義の道をあゆむ自覚をもっていないからである。農村の大多数の人が協同組合に加入したばあい、あるいは、協同組合の単位面積あたりの収量がこれらの富裕中農の単位面積あたりの収量とおなじになるか、さらにはそれよりもふえたばあい、かれらは、これ以上単独経営をつづければ自分たちにとっているいるな面で不利であり、協同組合に加入したほうが有利であると感じるようになる。そのときになってはじめて、協同組合に加入する決心をするのである。
このように、まず、経済状態の苦しい人びと、あるいはまだゆたかでない人びと(農村人口のほぼ六〇パーセントから七〇パーセントを占めている)を、その自覚の程度におうじ、何回かにわけて、ここ数年のうちに協同組合に組織し、そのあとで富裕中農を吸収していく。このようにすれば、命令主義にならずにすむ。
まだ基本的には協同化されていないすべての地域では、ここ数年間は、地主と富農をけっして協同組合に加入させてはならない。すでに基本的に協同化されている地域では、強固になっている組合は、早くから搾取をやめ、労働に従事し、しかも政府の法令をまもっているもとの地主と富農を何回かにわけて、条件つきで組合に加入させ、集団的な労働にくわわらせてよい。そして、労働のなかで引き続きかれらを改造する。
六
協同組合の発展についていえば、いまの問題は、暴走を批判することではない。いまの協同組合の発展が「実際の可能性をこえている」とか、「大衆の自覚の程度をこえている」とかいうのは、まちがっている。中国の状況はつぎのとおりである。中国は人口が多く、既耕地がたりず(全国平均では一人あたり三畝の田畑しかもっていないし、南方各省の多くの地方では一人あたり一畝あるいは数分②の水田しかもっていない)、よく災害に見舞われ(毎年多くの農地が、程度の差こそあれ、水害、干害、風害、霜害、雹害、虫害などをうけている)、経営方法が立ちおくれている、そのため、広範な農民の生活は、土地改革のあと、以前よりもいくらかよくなったか、あるいはだいぶよくなったとはいえ、かれらのうちの多くの者はやはり困難があり、やはりゆたかではなく、ゆたかな農民はわりあい少数を占めているにすぎない。したがって、大多数の農民は社会主義の道をあゆむ積極性をもっているのである。わが国の社会主義的工業化とその成果は、かれらのそうした積極性を日ましにうながしている。かれらにとっては、社会主義以外に生きる道はない。こうした状態にある農民が、全国の農村人口の六〇パーセントから七〇パーセントを占めている。つまり、全国の大多数の農民が貧困からぬけだし、生活をよくし、また災害とたたかうためには、連合して、社会主義の大道をすすむ以外に、その目的は達せられない。こういった気持ちは、広範な貧農や、ゆたかでない農民のあいだに、急速にひろまってきている。ゆたかな農民やわりにゆたかな農民は、全国の農村人口の二〇パーセントから三〇パーセントを占めているだけであって、かれらは動揺しており、一部の者は資本主義の道をあゆもうと懸命になっている。まえにものべたように、貧農やゆたかでない農民のなかにも、自覚が高くないため、当分まだ様子を見ようとしている者がかなりいて、かれらもまたぐらつくことはある。しかし、ゆたかな農民にくらべると、かれらは社会主義をうけいれやすい。これが実際の状況である。ところが、われわれの一部の同志は、こうした状況を見落として、いま新設されたばかりの数十万の小規模な、半社会主義的な農業生産協同組合のことを、すでに「実際の可能性をこえている」とか、「大衆の自覚の程度をこえている」とかと考えている。これは、わりあい少数のゆたかな農民にだけ目をむけて、もっとも数の多い貧農や、ゆたかでない農民のことを忘れているのである。これが第一の誤った考えである。
これらの同志はまた、農村における共産党の指導力について、広範な農民が心から共産党を支持しているという状況について、評価がたりないのである。かれらは、わが党が数十万の小規模な協同組合を固めることさえなかなかできないのに、大々的な発展などなおさら思いもよらない、と考えている。かれらは、農業協同化を指導する党の活動の現状を悲観的にえがきだし、それは「幹部の経験の水準をこえている」と考えている。たしかに、社会主義革命は新しい革命である。これまで、われわれは、ブルジョア民主主義革命の経験をもっているだけで、社会主義革命の経験はもっていなかった。しかし、その経験をどのようにして身につけるのか。すわったままなにもしないという方法で身につけるのか、それとも社会主義革命の闘争に身を投じて、闘争のなかで学ぶという方法で身につけるのか。五ヵ年計画を実行せず、社会主義的工業化をすすめる仕事に手をつけないで、われわれはどうして工業化の経験を身につけることができるだろうか。げんに五ヵ年計画には農業協同化という部分があるが、もしもわれわれが農民を指導して各郷、各村に一つまたはいくつかの農業生産協同組合をつくるようにしなかったら、「幹部の経験の水準」はどこから得られ、どこから高めていくというのだろうか。いまの農業生産協同組合の発展状況が、「幹部の経験の水準をこえている」などという考えは、あきらかに誤っている。これが第二の誤った考えである。
これらの同志は、ものの見方がまちがっている。かれらは問題の本質の面、主流の面を見ないで、本質でない面、主流でない面のものを強調している。指摘しなければならないのは、本質でない面や主流でない面の問題もゆるがせにしてはならず、それらを一つ一つ解決していかなければならないが、しかし、それらを本質や主流と見なして、自分の方向を見失うようなことがあってはならない、ということである。
われわれは、(1)広範な農民は党の指導のもとで一歩一歩社会主義への道をすすんでいきたいとのぞんでいる、(2)党は農民を指導して社会主義への道をすすませることができる、ということを信じなければならない。この二つの点が物事の本質であり、主流である。もしもこうした信念がなかったなら、われわれは、ほぼ三つの五ヵ年計画の期間に、社会主義を基本的にきずきあげることはできない。
七
社会主義をきずきあげたソ連の偉大な歴史的経験は、わが国の人民を勇気づけており、わが国で社会主義をきずきあげることについて、わが国の人民にあふれるばかりの確信をもたせている。ところが、この国際的な経験の問題についても、やはり異なった見方がある。一部の同志は、わが国の農業協同化の段どりはわが国の社会主義的工業化の段どりに歩調をあわせるべきである、というわが党中央の方針に賛成しない。しかし、この方針はかってソ連でその正しさが証明されているのである。かれらは、工業化の問題ではいまきめられている速度でよいが、農業協同化の問題では工業化の段どりに歩調をあわせる必要はなく、とくにゆるやかな速度でいくべきである、と考えている。これではソ連の経験を無視することになる。これらの同志たちは、社会主義的工業化が農業の協同化をはなれて、孤立してすすめられるものではないことを知らないのである。第一に、だれでも知っているように、わが国の商品化食糧と工業用原料の生産水準はいまのところきわめて低いのに、これらの物資にたいする国家の需要は年々ふえる一方で、これがするどい矛盾となっている。もしも、ほぼ三つの五ヵ年計画の期間に農業協同化の問題を基本的に解決できなければ、すなわち、農業を畜力牽引農具をつかう小規模経営から機械をつかう大規模経営――国家が組織した、機械をつかう、大がかりな、移住者による開こん(三つの五ヵ年計画の期間に四億畝から五億畝の開こんが予定されている)をもふくむ――へ躍進させなければ、われわれは、商品化食糧や工業相原料にたいする需要が年々ふえることと、いま主要農作物の収穫高が一般に低いこととのあいだの矛盾を解決することができず、われわれの社会主義的工業化の事業はきわめて大きな困難にぶつかり、われわれは社会主義的工業化をなしとげることができなくなる。これは、かつてソ連が社会主義を建設する途上でぶつかった問題である。ソ連は農業協同化を計画的に指導し発展させるという方法によってこれを解決したのであり、われわれもまたこの方法によってはじめてこの問題を解決することができるのである。第二に、われわれの一部の同志はまた、つぎのような二つの事がらをむすびつけて考えていない。それはつまり、社会主義的工業化のもっとも重要な部門である重工業、そこではトラクターの生産、その他の農業機械の生産、化学肥料の生産、農業につかわれる近代的輸送用具の生産、農業につかわれる石油や電力の生産等々がおこなわれるが、これらのものはすべて、農業が協同化されて、大規模な経営になったという基礎があってはじめて、使用できるか、あるいは大量に使用できる、ということである。われわれはいま、私有制から共有制へという社会制度の面での革命をおこなっているばかりでなく、手工業生産から大規模な近代的機械生産へという技術の面での革命をもおこなっているが、この二つの革命はむすびついている。農業の面において、わが国の条件のもとでは(資本主義国では農業を資本主義化させる)、まず協同化してからでなければ大型機械をつかうことはできない。このことからもわかるように、われわれは、工業と農業、社会主義的工業化と農業の社会主義的改造という二つの事がらを見るばあい、けっしてこれをきりはなしたり、たがいに孤立させたりしてはならず、けっして一方だけに力をいれて他方で力をぬくようなことがあってはならない。ソ連の経験は、この問題についてもわれわれに方向をさししめしているのに、われわれの一部の同志はそれに注意をはらわず、いつもこれらの問題を孤立した、たがいに関連のないものと見なしているのである。第三に、われわれの一部の同志はまた、以下の二つの事がらをむすびつけて考えていない。つまり、国の工業化と農業の技術的改造をなしとげるために必要な巨額の資金のうち、かなりの部分は農業の面で蓄積しなければならない。このためには、直接的な農業税によるほか、農民に必要な大量の生活資料をつくる軽工業生産を発展させ、これらの品物を農民の商品化食糧や軽工業用原料と交換し、これによって農民と国家の双方の物資の需要をみたすとともに、国家のために資金の蓄積もするということである。ところが、軽工業の大規模な発展のためには、重工業の発展が必要であるばかりでなく、農業の発展も必要である。なぜなら、軽工業の大規模な発展は、小農経済を土台としては実現できず、大規模な農業にまたなければならない。わが国ではほかでもなく、社会主義的な協同化した農業にまたなければならないのである。というのは、こうした農業こそが、いまの何倍か知れないほど大きな購買力を農民にもたせることができるからである。こうした経験も、ソ連がすでにわれわれに提供してくれているのに、われわれの叫部の同志はこれに注意をはらっていない。かれらはいつもブルジョア階級、富農、あるいは資本主義の自然発生的傾向をもつ富裕中農の立場に立って、少数の人のために考えているのであり、労働者階級の立場から、国家ぜんたいと全人民のために考えてはいないのである。
八
一部の同志はまた、ソ連共産党の歴史に根拠を見つけだし、それをよりどころにして、わが国のいまの農業協同化の仕事における性急と暴走なるものを批判している。『ソ連共産党(ボリシェビキ)歴史小数程』は、ソ連の多くの地方党組織がかつて協同化の速度の問題で、ある時期に性急と暴走の誤りを犯したことをわれわれに教えているではないか、われわれはこの国際的経験に注意をはらうべきではないとでもいうのか、というわけである。
わたしはこう考える。われわれはソ連のこの経験に注意をはらうべきであり、準備のない、農民大衆の自覚の程度を無視した、どのような性急と暴走の考えにも反対しなければならないが、しかし、われわれの一部の同志がソ連のこの経験を利用して、自分たちの牛歩思想をおおいかくすのを、ゆるしてはならない。
わが党中央は、中国で農業協同化をすすめることについてどのような決定をしているのか。
第一に、われわれは、十八年の年月をかけてこの計画を基本的に達成する予定である。一九四九年十月に中華人民共和国が成立したときから一九五二年まで、この三年とすこしばかりの年月は、わが国の経済回復の任務を遂行するためにつかわれた。この期間にわれわれは、農業の面では土地改革と農業生産回復の任務を遂行したほか、すべての旧解放区において、農業生産互助組の組織を大々的におしひろめ、さらに半社会主義的な農業生産協同組合を組織することにとりかかって、いくらかの経験をつんだ。つづいてはじまったのが一九五三年からの第一次五ヵ年計画で、現在まですでに三年ちかく実施されてきたが、われわれの農業協同化運動はすでに全国的な範囲でおしひろめられ、われわれの経験もふえてきている。中華人民共和国の成立から第三次五ヵ年計画の達成までには、あわせて十八年の年月がある。われわれはこの期間に、社会主義的工業化を基本的になしとげ、手工業と資本主義工商業の社会主義的改造を基本的になしとげると同時に、農業の面での社会主義的改造を基本的になしとげる予定である。それは可能だろうか。ソ連の経験がわれわれにしめしているように、それは完全に可能である。ソ連では、一九二〇年に国内戦争が終わって、一九二一年から一九三七年まで十七年の期間に農業の協同化がなしとげられた、しかも、その協同化のおもな仕事は一九二九年から一九三四年までの六年間になしとげられたのである。この期間に、ソ連の一部の地方党組織は、『ソ連共産党(ボリシェビキ)歴史小教程』にのべられているように、「勝利にのぼせあがる」という誤りをいちど犯したことがあったが、それはまもなく是正された。ソ連は、大きな努力をはらってついに農業ぜんたいの社会主義的改造を成功裏になしとげるとともに、農業の面で強大な技術的改造をもなしとげたのである。ソ連があゆんだこの道こそ、われわれの手本である。
第二に、われわれは、農業の社会主義的改造の面で、一歩一歩前進していく方法をとっている。第一歩としては、農村で、自由意思と相互利益の原則にもとづいて、いくらかの社会主義的芽ばえをもつにすぎない、数世帯または十数世帯からなる農業生産互助組をつくるよう、農民に呼びかけるのである。そのあと、第二歩として、これらの互助組を基礎に、やはり自由意思と相互利益の原則にもとづいて、土地の出資と統一的経営を特徴とする小規模な、半社会主義的性質の農業生産協同組合をつくるよう、農民に呼びかけるのである。そのあと、第三歩としてはじめて、これらの小規模な、半社会主義的な協同組合を基礎に、おなじ自由意思と相互利益の原則にもとづき、さらに連合して大規模な、完全に社会主義的性質の農業生産協同組合をつくるよう、農民に呼びかけるのである。こうした段どりをとれば、農民は、自分自身の経験をつうじて社会主義的自覚をしだいに高め、生活様式をしだいに変えることができるので、その生活様式の変化がいかにも突然やってきたような感じをあまりもたないですむ。こうした段どりをとれば、農作物がある期間(たとえば一年から二年のあいだ)減産になるのを基本的に避けることができる。それどころか、こうした段どりは年々増産を保証しなければならないが、それは実現できることである。現在すでにできている六十五万の農業生産協同組合のうち、八〇パーセント以上の組合は増産になっており、十数パーセントの組合は増減がなく、数パーセントの組合は減産になっている。あとの二種類の状況はよくない。とりわけ減産になっているほうはもっともよくないので、大いに力をいれて整頓しなければならない。このように、八〇パーセント以上の協同組合は増産になっているし(増産幅は一〇ないし三〇パーセント)、十数パーセントの協同組合は一年目は増減なしでも、整頓の結果、二年目には増産になるだろうし、最後の、減産になっている数パーセントの組合も、整頓の結果、二年目には増産になるか、あるいは増減のないところまでいくだろうから、全般的にいうと、われわれの協同化の発展は健全であり、減産をまぬがれ、基本的に増産を保証することができるのである。こうした段どりはまた、幹部を養成するよい学校でもある。こうした段どりを経て、大量の協同組合の管理要員と技術要員がしだいにそだてあげられる。
第三に、毎年一回、実際状況にてらして農業協同化発展の統制数字をきめ、そのうえ、協同化の仕事も何回か点検をおこなう。こうすれば、状況の変化や成績のよしあしにもとづいて、各省、各県、各郷での毎年の具体的な発展の段どりをきめることができる。一部の地方では発展を一時停止して整頓をしてもよいし、一部の地方では発展させながら整頓をしてもよい。一部の協同組合の少数の組合員には脱退をゆるしてもよいし、ごく少数の協同組合には一時解散をゆるしてもよい。一部の地方では新しい組合を大量につくるべきであり、一部の地方では古株の組合にかぎって加入農家数をふやしてもよい。各省、各県では、一定数の協同組合をつくったのち、発展をやめて整頓をする期間を設け、そのあとでふたたび一定数の協同組合をつくるようにしなければならない。立ちどまることをゆるさず、合い間をおくことをゆるさないといった考えはまちがいである。協同化運動の点検の仕事については、党中央と党の各省委員会、自治区委員会、市委員会、地区委員会は十分力をいれなければならず、毎年一同ではなく、何回かこれをおこなうべきである。問題があればただちに解決し、問題が山積みになってからひとまとめにして解決するようなことをしてはならない。批判は適時におこなわなければならず、いつもあとになってから批判するようなことをしてはならない。たとえば、ことしにはいぞ七ヵ月のあいだに、党中央が招集した、農村協同化問題を討議する地方責任者の会議だけでも、こんどの会議をふくめて三回になる。このように地方の実情にあった措置をとり適時に指導するという方法をとるなら、仕事のうえで誤りを少なくするよう保証することができ、たとえ誤りを犯してもすぐに是正することができるのである。
以上にのべたいろいろな状況からみて、農業協同化の問題についてのわが党中央の指導方針は正しいものであり、したがって、運動の健全な発展を十分保証するものである、といえないだろうか。そういえるし、またそういうのが当然であって、この方針を「暴走」などと評価するのはまったく誤った言い草である、とわたしはおもう。
九
一部の同志は、ブルジョア階級、富農、あるいは資本主義の自然発生的傾向をもつ富裕中農の立場から出発して、労農同盟というこのきわめて重要な問題について誤った見方をしている。かれらは、協同化運動の現状をひじょうに危険であると考え、いまの協同化の途上で「いそいで馬から降りる」ようにわれわれにすすめている。かれらはわれわれに、「もしもいそいで馬から降りないと、労農同盟が破壊されるおそれがある」と警告している。われわれは、それとはまったく逆で、もしもいそいで馬に乗らないなら、労農同盟が破壊されるおそれがあると考える。これは、見たところ一方は馬から降りる、一方は馬に乗るという一語のちがいにすぎないが、じつは二つの路線の相違をしめすものである。だれでも知っているように、われわれにはすでに労農同盟があるが、これは、帝国主義と封建主義に反対し、地主の手から土地をとりあげてこれを農民にわけあたえ、農民を封建的所有制から解放するというブルジョア民主主義革命の基礎のうえにうちたてるれたものである。しかし、この革命はすでにすぎさり、封建的所有制はすでに一掃されてしまった。いま農村にあるのは、富農の資本主義的所有制と、はてしない大海原のような小農の所有制である。すでに見られるとおり、最近数年のあいだに、農村における資本主義の自然発生的勢力は日一日と発展して、新しい富農がいたるところにあらわれ、多くの富裕中農が富農になろうと懸命になっている。多くの貧農は、生産手段がたりないため、依然として貧しい状態にあり、ある者は借金を背負い、ある者は土地を売るか貸すかしている。こうした事態を発展するままにまかせるなら、農村における両極分解の現象が日一日とひどくなることは必至である。土地をうしなった農民やあいかわらず貧しい状態にある農民は、われわれがかれらの困難解決を援助しようとせず、かれらを見殺しにしているといって、われわれをうらむだろう。資本主義の方向に発展する富裕中農もまた、われわれに不満をいだくだろう。なぜなら、われわれがもし資本主義の道をあゆもうとしなければ、永遠にこれらの農民の要求をみたすことはできないからである。こうした状態のもとで、労働者と農民の同盟をひきつづき固めていくことができるだろうか。あきらかに、できはしない。この問題は、新しい基礎のうえに立ってはじめて解決できるのである。つまり、社会主義的工業化を一歩一歩実現し、手工業と資本主義工商業にたいする社会主義的改造を十歩一歩実現していくと同時に、農業ぜんたいにたいする社会主義的改造を一歩一歩実現していく、すなわち協同化をおこない、農村で富農経済の制度と小農経済の制度を一掃して、全農村の人民をともにゆたかにしていくのである。われわれは、こうしてはじめて労働者と農民の同盟が固められると考える。もしもわれわれがそうしないなら、この同盟は破壊されるおそれがある。われわれに「馬から降りる」ようにとすすめる同志たちは、この問題についての考え方がまったくまちがっている。
十
いまここで見ておかなければなるないのは、農村にはまもなく、全国的な社会主義的改造の高まりがあらわれようとしており、これは避けられないということである。第一次五ヵ年計画の最後の年の終わりと第二次五ヵ年計画の最初の年のはじめ、つまり一九五八年の春には、全国で二億五千万前後の人口――五千五百万前後の農家(一世帯あたり四人半として計算)が、半社会主義的性質の協同組合に加入することになるが、これは全農村人口の半分にあたる。そのときには、多くの県といくつかの省で農業経済の半社会主義的改造が基本的になしとげられるとともに、全国各地で、少数の協同組合が半社会主義的なものから完全に社会主義的なものに変わっているだろう。われわれは、第二次五ヵ年計画の前半期、つまり一九六〇年までには、のこりの半分の農村人口をふくむ農業経済の半社会主義的改造を基本的になしとげているだろう。そのときには、半社会主義的な協同組合から完全に社会主義的な協同組合に変わった数はふえているだろう。第一次、第二次の二つの五ヵ年計画の期間には、農村での改革はやはり社会改革が主であって、技術改革は従であり、大型農業機械はかならずふえるが、まだそんなに多くはならない。第三次五ヵ年計画の期間には、農村での改革は、社会改革と技術改革が並行してすすめられ、大型農業機械の使用は年々ふえるようになり、社会改革のほうも、一九六〇年以後、半社会主義的なものが何回かにわかれて完全に社会主義的なものへと、一歩一歩発展していくようになる。中国は、社会経済制度の面で社会主義的改造を徹底的になしとげ、また、技術の面で機械をつかって作業できるすべての部門と場所がみな機械をつかうようになってはじめて、社会経済の面目が一新されるのである。わが国の経済的条件からして、技術改革の期間は、社会改革の期間よりいくらか長くなるだろう。全国的な範囲で、農業面の技術改革を基本的になしとげるには、だいたい四つか五つの五ヵ年計画、つまり二十年ないし二十五年の年月を要する見込みである。全党は、この偉大な任務を実現するために奮闘しなければならない。
十一
全面的な計画が必要であり、また指導もつよめなければならない。
時期をわけて協同化をすすめることについて、全国、全省、全專区、全県、全区、全郷の計画が必要である。さらにまた、実際の仕事の発展状況にもとづいて、自分たちの計画をたえず修正していかなければならない。省、専区、県、区、郷など各級の党と青年団の組織はすべて、農村問題にしんけんに注意をはらい、農村工作にたいする自分たちの指導を着実に改善していかなければならない。各級の地方の党委員会と青年団委員会のおもな責任者はすべて、農業協同化の仕事の研究に力をいれ、自分をその道の専門家にしていかなければならない。要するに、受動的ではなく、主動的でなければならないし、指導を放棄するのではなく、指導をつよめなければならないのである。
十二
一九五四年八月(これはもはやニュースではない)、中国共産党黒竜江省委員会の報告は、つぎのようにのべている。「農村協同化の高まりがあらわれ、発展するにつれて、農村の各種の互助・協同組織と各階層の大衆は、程度の差こそあれ、すでに普遍的に動きだしている。いまある農業生産協同組合では、組合員をふやすことについて計画をたて下相談をしているし、組合設立の対象となっている農業生産互助組では、自分たちの世帯数をふやすことについて計画をたて下相談をしており、条件のととのっていない農業生産互助組でも、自分自身をいっそう発展させ、向上させることをつよくのぞんでいる。大衆のなかには新しい組合に加入しようといろいろ準備している者もあれば、古株の組合に加入しようといろいろ準備している者もある。ことしはまだ組合に加入するつもりのない者も、互助組に仲間入りする下相談を積極的にすすめている。こうした動きはひじょうに広い面にわたっており、すでに大衆的な運動となっている。これは、農業協同化の大発展における新しい、きわだった特徴である。しかし、一部の県や区の指導者のある者は、この新しい特徴に対応して、適時に指導をつよめることができず、そのために、一部の村や屯(黒竜江省の村は行政上の区画で、長城以南の各省の郷にあたる。黒竜江省の屯は行政上の区画ではなくて、長城以南の各省の村にあたる)では、大衆が自分で相手をえらぶばあい、『強いものは強いものをもとめて、貧しい農民をのけものにする』、『骨幹分子をうばいあい、組合員をうばいあって、たがいに団結をみだす』、『骨幹分子がむやみに集中する』、『富農や資本主義思想のかなりひどい、ゆたかな農民がこの機会に低級互助組または富農組合をつくる』などといった不健全な現象があらわれはじめている。ここからもよくわかるように、農業協同化が大きく発展している状況のもとでは、党の政策の貫徹やこの運動の指導を考えるばあい、たんに新しい組合をつくるという範囲や角度から出発するのではもはや不十分であって、ぜひとも全村の範囲(つまり全郷の範囲)から出発し、農業協同化運動を全面的におしすすめるという角度から出発しなければならない。つまり、古株の組合の拡大も考えれば、新しい組合の設立も考える、協同組合の発展も考えれば、互助組の向上も考える、ことしのことも考えれば、来年のこと、さらには再来年のことも考える、というようにしなければならない。こうしてこそ、党の政策を全面的に実現して、農業協同化運動を健全に発展させていくことができるのである。」
「一部の県や区の指導者のある者は、この新しい特徴に対応して、適時に指導をつよめることができずにいる」というこの状態は、黒竜江省一省だけがそうなのだろうか。一部の県や区だけのことだろうか。わたしの見るところ、指導が運動に立ちおくれているといった重大な状態については、おそらく全国の多くの指導機関のなかにも、その代表的な人物を見つけだすことができるにちがいない。
黒竜江省委員会の報告はまた、つぎのようにのべている。「双城県の希勤村では、村を単位として、指導と大衆の自由意思とをむすびつける方法をとり、全面的な企画をおこなった。これは、協同化の大発展を指導するうえでの創意である。それが果たした重要な役割は、なによりもまず、企画をつうじて、党の農村における階級路線を全面的につらぬき、貧農と中農の団結をつよめ、富農的傾向との闘争を強力にくりひろげたことにある。この村では、農業の全面的協同化の利益を考えて、骨幹分子を適当に配置した。また、組合と組合、組合と互助組との関係を調整し緊密にし、これによって農業協同化運動を計画的、全面的におしすすめた。つぎに、こうした企画をつうじて、農業協同化を大いに発展させる仕事が基層の指導部と広範な大衆に具体的に割り当てられ、村の党支部はどのようにして指導するか、古株の組合はどのようにして発展していくか、新しい組合はどのようにして組合を建設していくかがわかり、互助組は向上の具体的な方向がわかるようになり、村の党支部と広範な大衆の主動性と積極性がいちだんと発揮され、党支部にたより大衆の経験と知恵にたよるという正しい原則が十分に具体化された。最後に、まさしくこうした企画をつうじて、農村の実情をさらに深くつかみ、党の政策を具体的、全面的につらぬきとおすことができた。したがって、性急と暴走をふせぐこともできたし、また、保守と放任をふせぐこともでき、こうして党中央の『積極的な指導、着実な前進』という方針を正しく実現することができたのである。」
黒竜江省委員会の報告にのべられているある種の「不健全な現象」は、結局どのように解決されただろうか。省委員会の報告は、直接この問題にこたえてはいない。しかし、省委員会の報告のうしろのほうに双城県委員会の報告がそえてあり、それがこの問題にこたえている。そこにはつぎのようにのべられている。「党支部の指導と大衆の自由意思とをむすびつけて、全面的な企画をすすめた結果、貧しい農家を組合に加入させないという偏向は是正され、骨幹分子が集中しすぎるという問題は解決され、たがいに骨幹分子をうばいあい、組合員をうばいあうという現象はなくなり、組合と互助組との関係はいっそう緊密になり、富農と富裕中農が富農組合や低級互助組をつくろくわだては失敗に終わり、党支部の計画が基本的に実現した。二つの古株の組合は、組合員を四〇パーセントふやし、六つの新しい組合の骨組みがつくりあげられ、二つの互助組が組織された。うまくやれば、来年(つまり一九五五年)には村ぜんたいが協同化できる見込みである。いま、全村の大衆は、ことしの農業協同化の発展計画を積極的に実現しつつあり、増産と収穫確保の仕事をりっぱにすすめている。村の幹部はみな、『こうやってよかった。そうしなかったら、大変だった。ことしうまくいかないだけでなく、来年にもひびいただろう』とみている。」
では、こういうふうにやっていくことにしよう。
全面的に企画し、指導を強化すること、これがわれわれの方針である。
注
〔1〕 当時、農業生産協同組合のうち、経営状態のよいもの、中クラスのもの、よくないものを、一般に、一級組合、二級組合、三級組合とよんでいた。
〔2〕 ここにいう三世帯の貧農とは、河北省安平県南王荘の王玉坤、王小其、王小[”广”の中に”龍”]のこと。かれらのつくった農業生産協同組合は、いまの南王荘人民公社南主荘大隊の前身である。
訳注
① 農業協同化のときに、もとの貧農で、土地改革後に中農になったものを、新中農と称した。もとの中農で、経済条件に変化のないものを、旧中農と称した。
② 十分が一畝、十五畝が一ヘクタールにあたる。