蔵書 › 毛沢東選集 第五巻 › 社会主義革命と社会主義建設の時期(一)
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省・市・自治区党委員会書記会議における講話
(一九五七年一月)
一 一月十八日の講話
こんどの会議では、おもにつぎの三つの問題について討議する。つまり、思想動向の問題、農村問題、経済問題である。きょうは、思想動向の問題についてのべてみたい。
思想動向の問題は、しっかりとつかんでおかなければならない。ここでは、第一の問題として提起する。いま、党内における思想動向、党外における思想動向には、ひじょうに注意すべき問題があらわれている。
一つの問題は、わが家の内部に発生したものである。たとえば、いま、幹部のなかには、名利の追求に明け暮れ、がりがり亡者となっている者が一部いる。級別評定のさいには、こんな手合いもあらわれた――一級あがったが満足せず、二級あがってもまだベッドで泣きべそをかいている。三級でもあがらなければ、ベッドから起きあがれないのだろう。このようなことがあったおかげで、一つの問題が解決された。なにが幹部の級別評定だ。そんなものは、いっさい取りやめにする。給料はほぼ平均にし、ちょっと格差をつける程度でよいのだ。かつて北洋軍閥政府に唐紹儀という内閣総理がいたが、のちに広東省中川県の県長になった。旧社会の内閣総理でも県長をつとめるというのに、なぜ、われわれの部長は県長になれないのか。わたしの見るところ、級別のことでさわぎたて、格あげはよいが格さげはまかりならぬ、といった手合いは、この点、この旧官僚にもおよばない。かれらは、困苦にたえるとか、仕事は多く報酬は少なくといった点でせりあうのではなく、ぜいたくさ、級別、地位の上下でせりあう。いま、党内にはこのような考え方がだいぶふえており、われわれの注意すべきところである。
いったい、農業協同化には見込みがあるのかどうか。協同組合のほうがいいのか、個人経営経済のほうがいいのか。この問題もふたたび蒸しかえされた。昨年一年についていえば、豊作をおさめた地方では問題がなく、災害のひどかった地域でも問題はなかった。問題が出てきたのは、災害はうけたがそんなにひどくはなく、収穫はあったがそんなに多くはないというような協同組合である。こうした協同組合では、はじめに約束した労働点数の基準値が高すぎた。実際にはそんなに高くはなかったので、組合員の収入がふえず、なかには減るものさえあった。そこで、論議がわいたのである。協同組合はやはりいいのかどうか、必要があるのかどうか。こうした論議は、党内の一部の幹部にも影響をあたえた。協同組合にはなんの優越性もない、などと言う幹部もいる。一部の部長は、ちょっと農村を視察して、北京へもどってくると、かんばしくない空気を流して、農民は意気あがらず、野良仕事にも身がはいらないと言い、まるで協同組合などいまにもつぶれてしまいそうな気配である。一部の協同組合の組合長は、いたるところで悪態をつかれ、上からも批判され、新聞でも批判されて、肩身のせまい思いをしている。また、一部の党委員会の宣伝部長は、協同組合の優越性について、宣伝する勇気をなくしている。農業部の廖魯言部長は、党中央農村工作部の副部長でもあるが、かれに言わせると、自分も気をおとしているし、部下の指導的幹部も気をおとしている、どっちみちだめであり、農業発展要綱四十ヵ条も反古にひとしいのだそうである。気をおとしたら、どうすればよいのか。なにも難しいことはなかろう。元気がないのなら、元気をつけてやるまでだ。いま、新聞の論調は方向を転じて、協同組合の優越性を大いに宣伝しており、もっぱらほめるだけで、くさしてはいない。これを数ヵ月やって、元気をつけてやるのである。
一昨年は右よりに反対し、昨年は「暴走」に反対した。「暴走」に反対した結果、またもや右よりがあらわれた。わたしの言う右よりとは、社会主義革命の問題、主として農村における社会主義的改造の問題での右よりをさす。われわれの幹部のあいだにこうした風が台風のように吹きまくったことは、とくに注意すべきである。われわれの部長、副部長、司長・局長および省クラスの幹部のなかには、地主、富農、富裕中農の家庭出身の人がかなりおり、また一部の人のご尊父は地主で、いまだに選挙権を持っていない。こうした幹部が帰省すると、家の者がさまざまな悪口を口にいれ、きまって、協同組合はだめだとか、長つづきしないなどと言う。富裕中農は動揺している階層で、単独経営でいこうという考え方がまたもや頭をもたげており、なかには組合を脱退しようと考えている者もいる。われわれの幹部のあいだに吹きまくったこうした風は、これらの階級と階層の考え方を反映したものである。
協同化は、かならず成功する。しかし、この一、二年内に完全に成功させることは不可能である。この点は、党、政府、軍隊、人民団体など、各界の同志にはっきり説明しておくべきである。協同組合の歴史はごく浅くて、大多数の協同組合が一年から一年半の歴史しかなく、経験もひじょうに少ない。生涯、革命をやってきた人ですら、誤りを犯すというのに、とりかかってからまだ一年や一年半のものにたいして、すこしの誤りも犯してはならないなどと要求できるだろうか。ちょっと風が吹き、雨が降ると、協同化はもういけないと言う。こうした考え方じたいが、大きな誤りである。事実、大多数の協同組合は、うまくいっているか、比較的うまくいっている。うまくいっている協同組合を一つでも示せば、協同化に反対するすべての奇怪な論調を撃退することができる。この組合がうまくやっていけるのに、なぜ他の組合はうまくやれないのか。この組合が優越性をもっているのに、なぜ他の組合にはそれがないのか。いたるところで、この組合の経験を大いに宣伝すればよい。一つの省に一つぐらいは、このような典型が見つかるはずである。条件がもっともわるく、地勢がよくなく、以前は収量が低くて、ひじょうに貧しかった組合をさがしだすべきで、もともと条件にめぐまれた組合をさがすべきではない。もちろん、典型は何十あってもよいが、一つだけでもりっぱにやれば、勝利したと言える。
学校でも問題がおきており、多くの地方で学生が騒ぎをおこしている。石家荘のある学校では、一部の卒業生がしばらく就職できないため、卒業を一年のばしたところ、学生たちの不満をひきおこした。少数の反革命分子が機に乗じて扇動し、デモ行進を組織し、石家荘放送局を奪取して「ハンガリー」の再現を宣言する、といきまいたのだ。かれらは数多くのビラをはったが、なかでも「ファシズムを打倒せよ!」「平和ではなくて戦争を!」「社会主義には優越性がない!」という三つのスローガンがもっとも人目をひいた。この連中によれば、共産党はファシストで、われわれのような者は打倒されるべきだというわけである。うち出したスローガンがあまりにも反動的だったので、労働者は支持せず、農民は支持せず、各界の大衆もみな支持しなかった。北京の清華大学のある学生は、おおっぴらにこういきまいた――「いつかはおれさまの手で、何千何万の人を殺してやる!」と。百花斉放、百家争鳴がはじまると、こんな一「家」も出てきたのだ。鄧小平同志がこの大学にいって講演し、きみが何千何万もの人を殺そうとするのならわれわれは独裁をおこなう、と言明した。
北京市の調査によると、われわれの大学の学生は、大多数が地主、富農、ブルジョア階級、富裕中農の子弟で、労働者階級、貧農・下層中農出身の者は二〇パーセントにも満たない。全国的にも、大差はないだろう。このような状況は改めるべきであるが、それには時間がかかる。一部の大学生のあいだでは、ゴムルカはなかなか人気があるし、チトー、カダルもなかなか人気がある。むしろ、農村の地主や富農、都市の資本家や民主政党のほうに、比較的おとなしくしている者が多い。ポーランド、ハンガリーで騒動がおきたときにも、かれらは騒ぎをおこさなかったし、何千何万の人を殺してやるなどと言ってとび出してくるようなこともなかった。かれらがこのようにおとなしくしていることについては、分析をくわえるべきである。この人たちにはもう元手がなく、労働者階級、貧農・下層中農はかれらの言うことをきかなくなっており、かれらの足もとはからっぽなのである。もしも天下に異変がおきて、原子爆弾が北京や上海をめちゃくちゃにしてしまったとしても、この人たちの態度には変化がおこらないだろうか。そうなれば、知れたものではない。そのときには、地主、富農、ブルジョア階級、民主政党はみな分化する。かれらは世故にたけており、いまは多くの者が本心をかくしているのだ。だが、その子弟である学生の若造たちは、経験がないので、やれ「何千何万の人を殺してやる」とか、やれ「社会主義には優越性がない」とか、こうしたしろものをもち出しているのである。
一部の教授のあいだにも、さまざまの奇怪な論議がある。共産党は要らない、共産党はおれたちを指導しきれない、社会主義はよくない、まあこういったたぐいである。内心このように考えてはいても、以前には口に出さなかったものだが、百家争鳴で言わせてみたところ、こんな言論が出てきた。諸君は映画『武訓伝』を見ただろうか。画面に、背たけ何丈もの大きな筆があらわれて、「文化人」を象徴している。こんな筆で一掃きされたら、たまったものではない。いま、教授連がのり出してくるのは、おそらく、われわれを掃きだすためだろう。資本主義の復活をもくろんでいるのではないだろうか。
昨年の一年、国際的には大きな風波が数回まきおこった。ソ連共産党第二十回大会が大いにスターリンをやっつけ、その後、帝国主義が反共の大波を二度おこし、国際共産主義運動でも大弁論の波が二度あらわれた。このいくどかの風波のなかで、欧州と米州の一部の党がうけた影響と損失はかなり大きく、東方諸国の党がうけた影響と損失はわりあい小さかった。ソ連共産党第二十回大会がひらかれると、それまでひじょうに積極的にスターリンを支持していた一部の者が、こんどはさかんに攻撃しだした。わたしの見るところ、この人たちは、マルクス・レーニン主義をかえりみず、問題を分析せず、革命的道徳にも欠けている。マルクス・レーニン主義のなかには、プロレタリア階級の革命的道徳も含まれているのだ。いままであれほど支持していたのだから、いまこんな大転換をとげるには、すこしは理由をあげるのが至当であろう。ところが理由はなに一つのべず、突如こんな百八十度の転換をする。まるで、おれさまは従来からスターリンなど支持していなかったと言わんばかりだが、その実、以前はひじょうに支持していたのである。スターリン問題は、一国際共産主義運動全般にかかわり、すべての国の党にかかわっている。
ソ連共産党第二十回大会については、わが党内の圧倒的多数の幹部は、スターリンをやっつけすぎたとして不満であった。これは正常な気持ちであり、正常な反応である。しかし、ぐらついた者も少数ながらいる。台風がやってくると、雨の降るまえにアリが穴からはい出す。連中の「鼻」はなかなか敏感で、気象学を心得ている。ソ連共産党第三十回大会の台風が吹いてくると、中国でも、一部、穴からはい出すアリがいた。党内の動揺分子がそれで、機会のあるたびに、かれらは動揺する。スターリンが一撃のもとに倒されたと聞くと、連中はすっかりいい気持ちになり、そちらになびいて、万歳を叫び、フルシチョフはすべてが正しい、おれさまも以前から同じ主張であった、と言う。その後、帝国主義にいくどかたたかれ、国際共産主義運動の内部でいくどかたたかれて、フルシチョフもいくらか口調を変えざるをえなくなると、かれらはまたもやこちらになびいてきた。大勢のおもむくところ、こちらになびいてこないわけにはいかないのだ。土塀のうえの草は、風のまにまにどちらにもなびく。こちらへなびいてくるのは本意ではなく、あちらへなびいていくのこそ本意なのである。ポーランド、ハンガリー事件を、党内党外のあの連中は、よくぞもちあげたものである。明けてもポズナニ、暮れてもハンガリーだ。これで正体があらわれ、アリが穴からはい出し、妖怪変化どもがぞろぞろ出てきた。連中は、ゴムルカのふりまわす棍棒のまにまに動き、ゴムルカが大民主をとなえると、かれらもまた大民主をとなえる。いまは状況が変わったので、かれらはものも言わない。だが、それは本心からではなく、本心はやはりものを言いたいのである。
台風が吹くと、動揺分子はもちこたえられず、動揺する。これは法則である。諸君がこの問題に注意をはらうようのぞむ。一部の人は、いくどか動揺し、経験をつんだので、動揺しなくなった。だが、一部の人はいつまでも動揺する。ちょうど稲などの作物は、茎が細いので風にゆらぐのと同様である。コウリャン、トウモロコシは茎がわりあい太いので、いくらかましである。ただ、大木だけが毅然として動じない。台風が年々吹くように、国内、国際の思想上の台風、政治上の台風も年々吹く。これは一種の社会的な自然現象である。政党は一種の社会であり、一種の政治的社会である。その政治的社会の第一部類が党派である。党は階級の組織である。わが中国共産党はプロレタリア階級の政党で、主として労働者と、半プロレタリアである貧農出身の人びとによって構成される。しかし、党員のなかには、地主、富農、資本家の家庭出身の者や、富裕中農と都市小ブルジョア階級出身の者もたくさんいる。そのうちかなり多くの者は、多年、刻苦奮闘し、鍛えられてはいるが、マルクス主義をあまり身につけていないので、思想面でも、精神面でも、まだ稲と同様、風が吹くとゆらぐのである。
党員のなかには、これまでさまざまな関所を越えてきたのに、社会主義の関所だけはなかなか越せない者がいる。その典型的なひとりが薛迅である。彼女は、もと、河北省の省委員会副書記、副省長であった。彼女はいつごろ動揺したのだろうか。統一買付・統一販売の実施にとりかかったときである。統一買付・統一販売は、社会主義を実施するうえでの重要な段どりである。だが、彼女はあくまで反対し、なにがなんでも反対しようとした。もうひとりいる。全国購買販売合作総社副主任の孟用潜がそれである。かれは、一通の意見書を出し、やはり統一買付・統一販売にあくまで反対した。農業協同化の実施についても、党内にはやはり反対する者がいる。要するに、党内には、社会主義の関所を越せずに動揺している高級幹部がいる。このような事態には、終止符がうたれただろうか。うたれてはいない。では、十年たったら、この人たちは確固として、心から社会主義を信ずるようになるだろうか。そうともかぎらない。十年後に、なにか問題がおこったら、かれらはまたこう言いだすだろう――わたしはとっくに予想していたのだ、と。
軍隊の一部の幹部の思想動向を反映した資料を、同志諸君に配布する。こうした幹部の意見のなかには、たとえば一部の幹部の給料が高すぎるので、農民がこころよく思っていない、といった合理的なものもいくらかあるが、しかし、意見の全般的な方向としては妥当でなく、根本路線がまちがっている。かれらは、わが党の政策を、農村では「左」、都市では右だと言って批判する。中国は九百六十万平方キロもあるが、全部で二つの部分しかない。一つが農村、一つが都市である。かれらの論法によると、われわれの政策は全部まちがっていることになる。
農村政策が「左」だというのは、農民の所得が多くなく、労働者よりも少ないということである。これには分析をくわえるべきで、所得だけを見てはならない。一般に労働者の所得は農民よりも多いが、かれらの生産する価値が農民より大きく、生活に必要な支出も農民より多い。農民の生活を改善するには、主として、農民自身が生産の発展につとめることである。政府も、水利施設の建設や農業資金の貸付などの面で、農民を大いに援助する。われわれの農業税は、副業にたいする課税をふくめて、農民の生産総額の約八パーセントであり、多くの副業には税を課していない。食糧の統一買付は、正常な価格でおこなわれている。工業製品と農産物との交換の過程で国が農民のところかち得る利潤も、ごくわずかなものである。われわれは、ソ連のような義務供出制をとっていない。工農業生産物の交換にさいして、われわれは鋏状価格差を縮小させており、ソ連のように拡大しているのではない。われわれの政策は、ソ連とは大いに異なっている。したがって、われわれの農村政策を「左」であるとは言えない。
われわれの軍隊の高級幹部のなかには、農民は苦しいと訴えている人がいくらかいる。おそらく、帰省した折や国もとの親族がやってきたときに、富裕中農や富農や地主の例の言い草を耳にして、それに心を動かされているのであろう。一九五五年の前半には、党内のかなり多くの人が、梁漱溟のたぐいと呼応して、農民は苦しいと訴え、まるでこの二つの部分の人間だけが農民を代表し、農民の苦しみを知っている、とでも言わんばかりであった。かれらの目から見ると、わが党の中央などは農民を代表しておらず、党の省委員会も農民を代表しておらず、党員の大多数も農民を代表していない。江蘇省での調査によると、ある地区の県、区、郷三段階の幹部のうち、三〇パーセントの人が、農民は苦しいと訴えている。だが、あとで調べてみたところ、農民は苦しいと訴えているこの人たちの大多数は、家が比較的ゆたかで、売りに出せる余剰食糧を持っていることがわかった。かれらの言う「苦しい」とは、余剰食糧を持っていることである。また、「農民を援助する」とか、「農民に関心をよせる」とは、余剰食糧があっても国に売らなくてもよいということである。苦しいと訴えたこの人たちは、いったいだれを代表しているのか。かれらが代表しているのは.広範な農民大衆ではなくて、少数の裕福な農民なのである。
都市政策が右だという点になると、いかにももっともらしくみえる。われわれは資本家をかかえこんだうえに、七年間の定額利子〔1〕まであたえているからである。七年たったら、どうするのか。そのときになって、また様子をみる。しっぽを残しておき、いくらか定額利子をあたえるのがいちばんよい。こればかりの金で、この階級を買いとったのだ。この政策は、中央が十分に考慮したものである。資本家およびかれらとつながりをもつ民主人士と知識分子は、一般に文化、技術の水準がわりあい高い。われわれはこの階級を買いとり、その政治資本を奪いとって、かれらが文句を言えないようにしてしまう。奪いとる方法は、一つには金をはらって買いとるのであり、もう一つには仕事につかせるよう取りはからうのである。こうすれば、政治資本はかれらの手中にはなく、われわれの手に握られることになる。かれらの政治資本は、すっかり奪いとってしまわなければならず、まだ残っている部分は、ひきつづき奪いとるべきである。したがって、われわれの都市政策を右だ、と言うこともできない。
われわれの農村政策は正しいし、われわれの都市政策も正しい。だから、ハンガリー事件のような全国的な大騒動はおこせない。せいぜい、少数の人があちらで騒ぎ、こちらで騒ぎ、いわゆる大民主をやるくらいのものである。大民主とて、なにも恐ろしいことはない。諸君のなかには、ひじょうに恐れている同志もいるようだが、この問題では、わたしは諸君と見方がちがう。わたしに言わせると、大民主がおきても、第一には恐れないこと、第ニには分析をくわえて、相手がなにを言い、なにをするかを観察することである。ああした悪人がいわゆる大民主をやるときには、きっとまちがった行動をとり、まちがったことを口にして、自分の正体をさらけ出し、自分自身を孤立させるものだ。「何千何万の人を殺してやる」、これは人民内部の矛盾を解決する方法だろうか。大多数の人の支持を得ることができるだろうか。「ファシズムを打倒せよ」「社会主義には優越性がない」、これは公然と憲法に違反するものではないか。共産党と共産党の指導する国家権力は革命的なものであり、社会主義には優越性がある。これはみな、憲法にうたわれ、全国人民によって公認されたことである。「平和ではなくて戦争を」と言うなら、それもよかろう。戦争をよびかけたところで、全部であればかりの人数しかなく、兵士も足りなければ、将校の訓練もできていないではないか。この若造どもは気が狂ったのだ。石家荘の例の学校で、あの三つのスローガンを討議にかけたところ、七十名の代表のうち、賛成したのはわずか十数名で、五十数名が反対した。そのあと、このスローガンをさらに四千名の学生に討議させたところ、みな不賛成だったので、この十数名は孤立してしまった。このスローガンをもち出し、あくまで譲らなかった極反動分子は、わずか数人にすぎない。もしもかれらが大民主などやらず、いたるところにスローガンをはらなければ、われわれはまだ、連中がなにをしでかそうとしているのかわからなかっただろう。かれらは大民主の挙に出て、しっぽをつかまえられたのである。ハンガリ丁事件のよいところは、わが中国のこのアリどもを穴からおびき出したことである。
ハンガリーでは、大民主がはじまると、党、政府、軍隊が総くずれになってしまった。中国では、そんなことはおこるまい。わずかいく人か学生の若造がおしかけて、そのために、党、政府、軍隊が全部つぶれてしまう――そんなことは、われわれがまったくの穀つぶしでもないかぎり、おこりえない。したがって、大民主を恐れるにはあたらない。騒ぎがおこれば、ウミが出て、問題は解決しやすくなる、それはよい事なのである。帝国主義を、われわれは以前も恐れなかったし、いまも恐れていない。また、蒋介石を一度も恐れたことはない。いまになって大民主を恐れるだろうか。恐れることはないと思う。もしもだれかが大民主とかで社会主義制度に反対し、共産党の指導をくつがえそうとするなら、かれらにたいしてプロレタリア階級独裁を実行すればよい。
知識分子の問題では、いま、一種の偏向がある。その人たちの配置については重視するが改造は重視しない、配置には大いに力をそそぐが改造にはほとんど力をそそがない、ということである。ひとたび百花斉放、百家争鳴ということになると、知識分子を改造する勇気がなくなる。われわれは資本家の改造さえやれるのに、なぜ、知識分子と民主人士の改造がやれないのか。
百花斉放について言えば、やはり「放」をさせることだと思う。一部の同志は、香り高い花にだけ「故」をゆるし、毒草には「放」をゆるしてはならない、と考えている。こうした見方は、かれらが百花斉放、百家争鳴の方針をまったく理解していないことをしめしている。総じて、反革命的言論には、もちろん、「放」をゆるさない。しかし、それが反革命の姿でなく、革命の姿で出現したときには、やはり「故」をゆるすほかはない。こうしてこそ、それを識別し、それと闘争するのに有利なのである。田畑には二種類のものが成長しており、一つが作物、いま一つが雑草である。雑草は年々取りのぞかなければならず、一年になんども取らなければならない。「放」は香り高い花にかぎり、毒草にはゆるさないと言うのでは、田畑には作物の成長のみをゆるし、草は一本も生えてはならない、と言うのと同じである。そうは言っても、田畑を見た人ならだれでも知っているように、田畑の草は取りのぞかないかぎり、やはりたくさん生えるものである。雑草にはよいところもあって、すきかえしてしまえば肥料になる。役に立たないとは言えまい。無用のものも有用のものに変えることができる。農民が年々田畑の雑草とたたかわなければならないように、わが党の作家、芸術家、評論家、教授も、年々思想の分野の雑草とたたかわなければならない。鍛えられたとは、たたかいぬいたということである。草が伸びれば、取りのぞく。この対立面はたえずあらわれるものである。雑草は一万年たっても存在する、だから、われわれは一万年たたかいつづける心がまえをもたなければならない。
要するに、去年の一年は多事の秋であった。国際的にはフルシチョフ、ゴムルカが風波をおこした一年であり、国内では社会主義的改造が激烈な様相をしめした一年であった。現在もやはり多事の秋で、さまざまな思想がひきつづきあらわれるであろう。同志諸君に注意をうながしておきたい。
二 一月二十七日の講話
これから、いくつか意見をのべる。
第一点、成果を十分に評価すること。われわれの革命と建設は、成果が主要なものであるが、欠点や誤りもある。数かずの成果をあげたとしても、誇張してはいけない。しかし、過小評価すれば誤りを犯すことになり、それも大きな誤りとなるだろう。この問題は、もともと八期二中総で解決されたはずなのに、こんどの会議でもたびたびもち出された。してみると、一部の同志はまだ思想的に解決していないようである。とくに民主人士のあいだには、こういう議論がある――「きみたちはいつも成果が主要なものだと言うが、それでは問題が解決されない。成果が主要なものであることはだれでも知っている。だが、まだ欠点や誤りがあるではないか」と。しかし、成果はたしかに主要なものである。この点を確認しなければ、気をおとしてしまう。協同化でも、気をおとすようなことがあったではないか。
第二点、全般的に配慮し、おのおのにその所を得させること。これは、われわれの一貫した方針である。延安の時期からこの方針をとってきた。一九四四年八月、『大公報』は論評を出して、「別のかまどをつくるな」などと言ったことがある。重慶交渉のさい、わたしは『大公報』の責任者にこう言った――おことばには大賛成だ。だが、蒋委員長は飯の面倒をみなければならない。かれが飯の面倒をみてくれない以上、わたしたちは別のかまどをつくるほかないではないか、と。当時、われわれが蒋介石にたいして提起したスローガンの一つは、おのおのにその所を得させよ、というものであった。いまでは、われわれが事を取りしきるようになった。われわれの方針は、とりもなおきず、全般的に配慮し、おのおのにその所を得させるということである。
それには、国民党が残していった軍隊・政府要員を全部かかえこみ、台湾へ逃げていった者も帰ってこられるようにすること、反革命分子でも、死刑にしない者は、みな改造して、生活の道をあたえること、民主諸政党は残しておいて、長期共存をはかり、その成員をしかるべき部署につかせること、などが含まれる。要するに、全国の六億の人口は、われわれがすべて面倒をみるのである。たとえば、都市の住民と農村の食糧不足世帯については、統一買付・統一販売によって、われわれがすべて面倒をみる。また、都市の青年については、進学させるとか、農村、工場、あるいは辺境へ行かせるとかして、かならずどこかに按配する。さらに職をもつものが一人もいない世帯にたいしては、救済の手をのぱして、とにかく餓死者を出さないことを原則とする。これらはすべて全般的配慮である。これは、どういう方針なのか。ほかでもなく、社会主義建設のためにすべての積極的要素を動員するということである。これは一つの戦略的方針である。こうした方針を実行すれば比較的うまくいき、問題があまりおこらない。この全般的配慮という考え方を、みなにはっきり説明しておかなければならない。
柯慶施同志は、ありとあらゆる方法を考えよう、と言った。このことばはなかなかいい。たしかに、ありとあるゆる方法を考えて困難を解決することだ。このスローガンを宣伝すべきである。われわれがいまぶつかっている困難はそんなに大きなものではなく、たいしたことはない。万里の長征のさい、雪山をこえ、湿地草原をよぎったのと比べれば、なんといってもいくらかましである。長征の途上、大渡河を渡ったのちに、いったいどう進むべきか、北側はみな高い山で、人家もひじょうに少ない。われわれは、そのとき、百方手をつくして困難を克服するということを提起した。百方手をつくすとは、どういうことか。百方とは、九十九の手だてのほかに、一つの手だてをくわえることである。いま、諸君はまだかぞえるほどの手だても考え出してはいない。各省でも、中央の各部でも、いったい、どのぐらいの手だてがあるというのか。ありとあらゆる方法を考えさえすれば、困難は解決できるのである。
第三点、国際問題。中東では、スエズ運河事件というのがおきた。まずナセルという人が、運河をとりもどして国有にした。もう一人イーデンという人が、出兵して攻撃をかけた。つづいて、さらにもう一人アイゼンハワーという人が、イギリス人を追いはらって、この地方をひとり占めにしようとした。イギリスのブルジョア階級は、ゆらい、狡猾で奸智にたけ、適当な時機に妥協を成立させるのがもっともうまい階級である。ところが、こんどは中東をアメリカ人の手に渡してしまった。この誤りはじつに大きい。こんな誤りは、かれらの歴史にどれだけあっただろうか。こんどは、なぜ血迷って、この誤りを犯したのだろうか。アメリカの圧力があまりにもひどいので、腹にすえかね、中東を奪いかえして、アメリカを阻止しようとしたのである。イギリスのほこ先は主としてエジプトにむけられているのだろうか。そうではない。イギリスのねらいはアメリカに対処することにあり、アメリカのねらいもイギリスに対処することにある。
この事件から、当面の世界における闘争の重点を見てとることができる。もちろん、帝国主義岡と社会主義国とのあいだの矛盾は、ひじょうにはげしい矛盾である。だが、かれらはいま、共産主義反対を口実にして地盤を争っているのである。どういう地盤を争っているのか。十億の人口をもつアジア、アフリカの地盤である。いま、かれらの争奪は中東という重要な戦略的意義をもつ地域、とくにエジプトのスエズ運河地域に集中している。そこでの衝突には、二種類の矛盾と三つの勢力がある。二種類の矛盾とは、一種は帝国主義と帝国主義との矛盾、すなわち、アメリカとイギリスとの矛盾、アメリカとフランスとの矛盾であり、もう一種は帝国主義と被抑圧民族との矛盾である。三つの勢力とは、第一は最大の帝国主義アメリカであり、第二は二流の帝国主義イギリスとフランスであり、第三は被抑圧民族である。いま、帝国主義が争奪しているおもな場所はアジア、アフリカである。これらの地域では、どこにも民族独立運動がおこっている。アメリカのとっている方法には、武力によらないものもあれば、武力によるものもあり、中東では、まさしくそうしているのである。
かれらが争えば、われわれに有利である。われわれは、社会主義諸国をうちかため、一寸の土地も譲らないこと、これを方針とすべきである。われわれに譲れと要求するものとは、かならずたたかわなければならない。これ以外の範囲では、かれらに争わせておけばよい。では、われわれは発言するのかどうか、われわれは発言する。アジア、アフリカ、ラテンアメリカ人民の反帝闘争にたいしても、各国人民の革命闘争にたいしても、われわれはこれを支持するのである。
帝国主義国とわれわれとのあいだは、相手のなかに味方がおり、味方のなかに相手がいる、という関係である。われわれは相手のところの人民革命を支持しており、相手はわれわれのところで転覆活動をすすめている。相手のなかに味方がいるというのは、そこの共産党、革命的な労働者、農民、知識分子および進歩人士のことである。味方のなかに相手がいるというのは、中国のばあい、ブルジョア階級と民主諸政党のなかの多くの人、それに地主階級のことである。いまのところ、これらの人は、まだおとなしくしているようで、騒ぎをおこしてはいない。しかし、もしも原子爆弾を北京におときれたとしたら、どうだろう。造反しないだろうか。それは、大いに問題である。まして労働改造をうけている犯人、石家荘の例の学校で騒ぎをおこした指導的人物、北京のあの何千何万の人を殺してやるといきまいた大学生にいたっては、なおさらのことである。われわれは、どうしてもかれらを消化してしまわなければならず、地主、資本家を勤労者に改造しなければならない。これも一つの戦略的方針である。階級を消滅するには、たいへん時間がかかる。
総じて国際問題については、われわれはやはり次のように見ている。つまり、帝国主義がたがいに争い、たがいに植民地を争奪しあうというこの矛盾のほうがいくらか大きい。かれらは、われわれとの矛盾を口実にして、かれら相互の矛盾をおおいかくそうとしている。われわれはかれらの矛盾を利用できるのであり、そこにはいろいろと打つ手がある。これは、われわれの対外方針にかかわる大きな問題である。
中米関係についてのべよう。われわれは、アイゼンハワーが蒋介石にあてた書簡を会議で配布しておいた。わたしの見るところ、この書簡はおもに蒋介石に冷や水をあびせ、そのあとで、これに活をいれているのである。書簡では、衝動にかられるな、冷静をたもて、と言っている。つまり、戦争をするな、国連にたよれ、と言っている。これは、冷や水をあびせているのである。蒋介石は、たしかに衝動にかられたところがある。活をいれるとは、共産党にたいしてひきつづき強硬な政策をとるということであり、われわれのところに騒ぎがおきることにも望みをかけるということである。かれの目から見れば、騒ぎはすでにおきており、共産党はそれを阻止するすべがない。それぞれ一流の見方があるわけだ。
わたしはやはり、アメリカとの外交関係樹立を何年か遅らせたほうがいいと思う。このほうがいくらか有利である。ソ連がアメリカと国交を結んだのは、十月革命の十七年あとであった。一九二九年に世界的な経済恐慌がおこり、一九三三年までつづいた。この年に、ドイツではヒトラーが登場し、アメリカではルーズベルトが登場した。このときになってはじめて、ソ米が国交を結んだのである。われわれがアメリカと国交を結ぶのは、第三次五ヵ年計画の達成後になるだろう、つまり十八年あるいはもっと長い時間がかかる。われわれは、アメリカとの国交樹立を急がないのと同様に、国連加盟をも急がない。われわれがこの方針をとるのは、できるだけアメリカの政治資本をうばい、かれらを道理のない、孤立した立場に追いこむためである。われわれを国連に加盟させず、われわれと国交を結ばないというのなら、それもよかろう、時間を延ばせば延ばすほど、われわれへの借りはそれだけ多くなる。延ばせば延ばすほど、ますます道理がなくなり、アメリカ国内でも、国際世論のうえでも、ますます孤立することになる。わたしは延安で、あるアメリカ人にこう言ったことがある――お国のアメリカが百年間われわれのこの政府を承認しないとして、百一年目になってもまだ承認しないとは、わたしには信じられない、と。いつかはかならず、アメリカはわれわれと国交を結ぶだろう。そのとき、アメリカ人は中国に来てみて、後悔先に立たずと思うにちがいない。それというのも、中国というこの国はすでに一変して、家屋はきれいに掃除され、「四害」も退治されている。かれらは、もはや幾人の友人も見つけることができず、すこしぐらい細菌をばらまいても大して役には立たないからである。
第二次世界大戦のあと、資本主義諸国はひじょうに不安定で、乱れており、人心は安らかでない。中国をふくめて、世界諸国はみな安らかでない。だが、なんといっても、われわれはかれらに比べていくぶん安らかである。社会主義国と帝国主義国、主としてアメリカとでは、いったいどちらがどちらを恐れているのか、これを検討してみたまえ。わたしに言わせれば、双方とも恐れている。問題は、どちらがよりいっそう恐れているかということである。わたしはどちらかと言えば、帝国主義のほうがわれわれをいっそう恐れていると見ている。このような見方をすれば、みなが枕を高くして眠りこみ、三日間も目がさめないという危険があるかもしれない。したがって、どうしても二つの可能性があることを見ておく必要があろう。よい可能性のほかに、帝国主義が発狂するという悪い可能性も存在する。帝国主義は善意などもちあわせてはおらず、攪乱するのがつねである。もちろん、帝国主義がいま世界大戦をおこそうとしても、それほど容易なことではなく、おこした結果どうなるかを、かれらは考えておかなければならない。
つぎに、中ソ関係についてのべよう。わたしの見るところ、どうしても悶着がおこるだろう。共産党相互のあいだには悶着がない、などと考えてはならない。世の中に、悶着がおこらないなどということがあるだろうか。マルクス主義は悶着の主義で、矛盾にとりくみ、闘争にとりくむのである。矛盾はつねに存在し、矛盾があれば闘争はおきる。いま、中ソのあいだにはいくらかの矛盾が存在している。かれらのものの考え方や事のはこび方、かれらの歴史的習慣は、われわれとちがっている。したがって、かれらに働きかけるべきである。わたしはかねてから、同志には働きかけるべきだ、と言ってきた。ある人はこう言う――共産党員であるからには、みな同じようにりっぱなはずだ。それなのに、なぜ働きかけるのか。働きかけるとは、統一戦線をくみ、民主人士に働きかけることだ。それなのに、なぜ共産党員にも働きかけるのか、と。このような見方はまちがっている。共産党のなかにも、さまざまの異なった意見がある。一部の者は、組織的には入党したが、思想的にはまだはっきりしていない。古顔の幹部でさえ、一部の者はわれわれとことばが一致していない。だから腹をわって語りあうこと、個別的あるいは集団的に話しあうこと、何回も会議を開いて、納得するよう働きかけることがつねに必要である。
わたしの見るところ、情勢というものは一部の人よりも押しがきき、高官よりも押しがきく。情勢の圧力のもとでは、ソ連の頑迷分子がひきつづき大国排外主義のしろものをふりかざそうとしても、通用するものではない。われわれの当面の方針は、やはり、かれらを援助することであり、その方法は、かれらに面とむかって直接ものを言うことである。このたび、われわれの代表団がソ連にいき、一部の問題についてぶちまけてやった。わたしは電話で周恩来同志にこう言った――この人たちは利得に目がくらんでいる。かれらに対処する最良の方法は痛罵することだ、と。利得とはなにか。鋼鉄五千万トン、石炭四億トン、石油八千万トンのことにほかならない。こんなものがなんだ。ものの数にもはいらない。これっばかしのものでのぼせあがるようでは、どうして共産党員、マルクス主義者などと言えるのか。わたしに言わせれば、さらに十倍ふえ、百倍ふえたとしても、ものの数ではない。地球からすこしばかりのものを掘り出して、鋼材に変え、自動車や飛行機のたぐいを追っただけのことだ。なにも大したことはない。それなのに、これをあれだけ大きな荷物として背負いこみ、革命の原則など捨ててかえりみなくなっている。これこそ、利得に目がくらむということではないだろうか。官職が高くなれば、利得に目がくらむこともある。第一書記になることも一種の利得であり、ともすればのぼせあがりやすい。ひどくのぼせあがっているときには、なんらかの方法で痛罵してやらなければならない。このたび、周恩来同志がモスクワで遠慮会釈もなくかれらをやっつけたので、かれらもやりかえしてきた。これはいいことだ、面とむかってはっきりさせることである。かれらはわれわれに影響をあたえようとするし、われわれもかれらに影響をあたえようとする。われわれはなにもかもぶちまけたのではない。奥の手をいちどに出しきってしまったわけではなく、掌中にはまだかなり残してある。矛盾はつねにあるものだ。いまのところ、ほぼがまんできるようなら、小異を残して大同を求め、異なる点は後日あらためて問題にすればよい。もしもかれらが強引にこのままつっ走るようなら、いつかはかならず、すべてをぶちまけることになるだろう。
われわれ自身のほうでは、対外宣伝の面で誇張してはいけない。いついかなるときにも、謙虚で、つつしみ深く、おごり高ぶってはならない。ソ連のものはやはり学ぶべきだが、よく選択して学ぶべきであり、おくれたものではなく、すすんだものを学ぶべきである。おくれたものについては、別の方法で学ぶ。つまり、学ばないことである。かれらの誤ったものをわれわれが知れば、ああした誤りを犯さなくてすむ。われわれに役立つものは、かならず学ばなければならない。われわれは、世界のあらゆる国の有益なものをすべて学ばなければならない。知識は各方面にもとめるべきで、ただ一つのところにもとめるようでは単調すぎる。
第四点、百花斉放、百家争鳴。この方針は、胡風反革命集団を批判したあとに提起したものであるが、やはり正しいもので、弁証法に合致していると思う。
弁証法については、レーニンが、「弁証法は簡単に対立面の統一の学説と規定することができる。これによって弁証法の核心はつかまれるであろうが、しかし、これは説明と展開とを要する」〔2〕と言ったことがある。説明と展開、これがわれわれの仕事である。説明をしなければならない。いま、われわれには説明が少なすぎる。また、展開もしなければならない。われわれは革命の過程で豊富な経験をつんでおり、この学説を展開しなければならない。レーニンはまた、「対立面の統一(一致、同一、均衡)は条件的、一時的、経過的、相対的である。たがいに排除しあう対立面の闘争は、発展、運動が絶対的であるように、絶対的である。」〔3〕とも言っている。こうした観点から、われわれは百花斉放、百家争鳴という方針を提起したのである。
真理は誤謬との対比において、しかも、それとの闘争のなかで発展する。美は醜との対比において、しかも、それとの闘争のなかで発展する。善と悪も同様であり、善事、善人は、悪事、悪人との対比において、しかも、それとの闘争のなかで発展する。要するに、香り高い花は毒草との対比において、しかも、それとの闘争のなかで発展するのである。誤謬、醜悪、敵対のものに接することを禁止し、観念論や形而上学のものに接することを禁止し、孔子、老子、蒋介石のものに接することを禁止する――こうした政策は、危険な政策である。このために、人びとは思想がおとろえ、一本調子となり、世間のあら波にもたえられず、人と張りあうこともできなくなってしまう。
哲学においては、唯物論と観念論は対立面の統一であり、この二つのものはたがいに闘争している。このほかに弁証法と形而上学という二つのものがあって、これまた対立面の統一であり、たがいに闘争している。哲学の問題となると、この二対は欠かせない。ところが、ソ連ではいま、対をやらないで、もっぱら「単独経営」をやっている。香り高い花には「放」をゆるすが、毒草には「放」をゆるさず、社会主義国のなかに観念論と形而上学が存在することを認めないのである。実際には、どの国にも観念論があり、形而上学があり、毒草がある。ソ連では、数かずの毒草が香り高い花という名目であらわれており、さまざまの奇怪な論調にはみな唯物論あるいは社会主義リアリズムのレッテルがはりつけてある。われわれは、唯物論と観念論、弁証法と形而上学、香り高い花と毒草のこの闘争を公然と認める。このような闘争は永遠につづくのであり、各段階で一歩ずつ前進していくのである。
もしも唯物論と弁証法が理解できたら、さらにその対立面としての観念論と形而上学をもいくらか学ぶ必要がある――わたしは在席の同志諸君にそうおすすめしたい。カントやへーゲルの著作、孔子や蒋介石の著作など、こうした反面のものを読んでみる必要がある。観念論や形而上学がわからず、こうした反面のものと闘争したことがなければ、きみのその唯物論や弁証法は強固なものではない。われわれの一部の共産党員や共産党の知識分子の欠点は、ほかでもなく、反面のものをあまりにも知らないことである。マルクスの本を何冊か読んで、それをそのまま話すようでは、いささか芸がない。話をしても文章を書いても、説得力にとぼしい。反面のものを研究しなければ、それを論破することはできない。マルクス、エンゲルス、レーニンはそうではなかった。かれらは、当時とそれ以前のさまざまなものを学び、研究することにつとめ、しかも、人びとにもそうするように教えた。マルクス主義の三つの構成部分は、ブルジョア階級のもの――ドイツの古典哲学、イギリスの古典経済学、フランスの空想的社会主義を研究し、しかも、それと闘争する過程でうまれたのである。これに比べると、スターリンはすこしおちる。たとえば、かれの時代には、ドイツの古典観念論哲学はフランス革命にたいするドイツ貴族の一種の反動であるといわれた。こういう結論をくだせば、ドイツの古典観念論哲学は全面的に否定されることになる。かれはドイツの軍事学を否定し、ドイツ人は戦争に負けたから、その軍事学も役に立たなくなった、クラウゼビッツ〔4〕の著作も読むべきではない、と言った。
スターリンは形而上学的なところがたくさんあり、しかも、多くの人に形而上学をやるよう教えこんだ。かれは『ソ連共産党(ボリシェビキ)歴史小教程』のなかで、マルクス主義の弁証法には基本的特徴が四つあると言った。そして、第一には事物の関連をあげており、まるでどんなものでも何のいわれもなしに関連しあうかのように言っている。いったい、どのようなものが関連しあうのか。対立する二つの側面が関連しあうのだ。どんな事物にも、対立する二つの側面があるのである。かれは第四に事物の内在的矛盾をあげているが、ここでは対立面の闘争を言うだけで、対立面の統一は言っていない。対立面の統一という弁証法の根本法則からすれば、対立面は闘争もすれば、統一もし、たがいに排除もすれば、たがいに関連もするのであって、一定の条件のもとではたがいに転化しあうのである。
ソ連で編纂した『哲学小辞典』第四版の、同一性についての項目には、スターリンの観点が反映されている。この辞典には、「戦争と平和、ブルジョア階級とプロレタリア階級、生と死などのような現象は、同一ではありえない。それらは根本的に対立し、たがいに排除しあうものだからである」と書いてある。つまり、これらの根本的に対立する現象にはマルクス主義の同一性がない、それらはたがいに排除しあうだけで、たがいに連結せず、一定の条件のもとでたがいに転化しあうこともありえない、と言うのである。このような論法は根本的に誤っている。
かれらの目から見れば、戦争は戦争であり、平和は平和である。この二つのものはたがいに排除しあうだけで、なんら関連がなく、戦争は平和に転化できず、平和は戦争に転化できないのである。レーニンは、「戦争は別の手段による政治の継続である」〔5〕というクラウゼビッツのことばを引用したことがある。平和の時期の闘争は政治である。戦争も政治であるが、ただ特殊な手段をもちいる。戦争と平和は、たがいに排除もすれば、たがいに連結もし、しかも、一定の条件のもとではたがいに転化しあうのである。平和の時期が戦争をはらまないなら、戦争がどうして突然おこるだろうか。戦争の過程に平和がはらまれないなら、平和がどうして突然おとずれるだろうか。
生と死が転化しあうことができないのなら、いったい、生物はどこから来るというのか。地球にはもともと無生物しかなかった。生物はあとになって出てきたのであり、無生物、すなわち死物から転化してきたのである。生物はみな新陳代謝するのであり、生長し、繁殖し、死亡する。生命の活動する過程でも、生と死はたえず闘争しあい、転化しあっている。
ブルジョア階級とプロレタリア階級が転化しあうことができないのなら、なぜ革命を経て、プロレタリア階級が支配者に変わり、ブルジョア階級が被支配者に変わるのか。たとえば、われわれと蒋介石国民党とは根本的に対立している。対立する双方が闘争しあい、排除しあった結果、われわれと国民党の地位にはともに変化がおこり、かれらは支配者から被支配者に変わり、われわれは被支配者から支配者に変わったのである。台湾に逃げた国民党は十分の一にすぎず、十分の九が大陸に残った。残った部分にたいして、われわれは改造をおこなっているが、これは新しい状況のもとでの対立面の統一である。台湾にいった十分の一についても、われわれとかれらとはやはり対立面の統一であり、これまた闘争を経て、かれらを転化させるのである。
対立面のこうした闘争と統一を、スターリンは結びつけることができなかった。ソ連の一部の人の思想は形而上学的で、じつに硬直しており、これかあれかのどちらかで、対立面の統一を認めない。そこで、政治的に誤りを犯すのである。われわれは対立面の統一の観点を堅持し、百花斉放、百家争鳴の方針をとる。香り高い花を咲かせるときには、毒草もかならず出てくるものだ。これはなにもおそろしいことではなく、一定の条件のもとでは有益でさえある。
一部の現象は、一時、避けられないものであるが、それが出てくれば、手をうつことができる。たとえば、これまで、芝居の演目をがんじがらめに統制し、これもいけない、あれもいけないと、上演を禁止してきた。こんど「放」の方針をとると、『烏盆記』『天雷報』だの、妖怪変化ものだのがどっと舞台にあらわれてきた。このような現象はどうだろうか。わたしは、あらわれたほうがいいと思う。多くの人は妖怪変化ものを見たことがないのだ。こうした醜悪な形象に接したときにはじめて、舞台に出すべきでないものまで舞台に出されたことがわかるのである。このあとで、そうした芝居に批判をくわえ、改造をおこない、あるいは上演を禁止すればよい。ある人が、一部の地方劇はよくない、地元の人でさえ反対している、と言っている。わたしは、このような芝居はすこしぐらい上演されてもかまわないと思う。果たして受けいれられるかどうか、まだどれだけ観客がいるのか、こうした点は実践をつうじて判断すればよく、あわてて禁止することはない。
こんど、われわれは『参考消息』の発行部数を二千部から四十万部にふやすことをきめ、党内党外の人がみな見られるようにした。これは共産党が帝国主義にかわって新聞を発行するのであり、われわれを罵倒した反動的言論までのせるのである。なぜ、このようなことをするのか。その目的は、毒草、つまり非マルクス主義や反マルクス主義のものを、われわれの同志に見せ、人民大衆と民主人士に見せて、鍛錬をさせるためである。封鎖すべきではなく、封鎖するのはかえって危険である。この点、われわれはソ連とやり方がちがう。なぜ種痘をするのか。それは、わざとビールスを人体にいれ、「細菌戦」をおこない、人間とたたかわせて、人間の体内に一種の免疫性ができるようにするためである。『参考消息』の発行やその他の反面教材の出版は、つまり「種痘」であって、幹部と大衆の政治的免疫性をつよめるのである。
一部の有害な言論にたいしては、適時に強力な反駁をくわえなければならない。たとえば、『人民日報』にのった『「不可避」について』という文章は、われわれの仕事のなかの誤りはなにも不可避なものではない、われわれは「不可避」ということばで自分の仕事のなかの誤りを容認している、と書いている。これは有害な言論である。この文章はのせなくてもよかったかもしれない。のせるからには、適時に反駁し、これと張りあう用意をすべきであった。われわれが革命や建設をやるのに、いくらかの誤りを犯すのはどうしても避けられないことだ。これは、歴史的経験によって立証されていることである。『ふたたびプロレタリア階級独裁の歴史的経験について』という論文は、まさに大不可避論にほかならない。われわれの同志で、誤りを犯したい人などいるだろうか。誤りというのは、あとからわかるもので、はじめはみな一〇〇パーセントのマルクス主義だと思いこんでいる。もちろん、誤りが不可避だからといって、すこしくらい犯してもかまわないと考えてはならない。しかし、仕事のなかで誤りを犯さないなど、たしかに不可能であることは、やはり認めなければならない。問題は、誤りを少なくし、小さくすることである。
社会の邪風はかならず撃退しなければならない。党内でも、民主人士のあいだでも、また学生のあいだでも、およそ邪風でさえあれば、つまり、それが個々の人の誤りではなく、一陣の風を形成しているかぎりは、かならずこれを撃退しなければならない。撃退する方法は、道理を説くことである。説得力さえあれば、邪風を撃退することができる。説得力がなく、ちょっと悪態をつくだけでは、その邪風はますますひどくなるばかりだ。重大問題については、十分な準備をしたうえで、成算ができたときに、十分説得力のある反駁の文章を発表することである。書記はみずから新聞の指導にあたり、みずから文章を書かなければならない。
統一物のたがいに対立しあい、闘争しあう二つの側面には、かならず主従の区別がある。われわれのこのプロレタリア階級独裁の国家においては、もちろん、毒草をいたるところにはびこらせるようではいけない。党内でも、思想界や文学・芸術界でも、香り高い花、つまりマルクス主義が主要なものとなり、支配的地位を占めるよう、大いに努力しなければならない。毒草、つまり非マルクス主義や反マルクス主義のものには被支配的地位しかない。これは、ある意味では、原子のなかの原子核と電子との関係にたとえられる。一つの原子は二つの部分に分けられる。一部を原子核、もう一部を電子という。原子核はひじょうに小さいが、たいへん重い。電子はたいへん軽く、一つの電子はいちばん軽い原子核の約千八百分の一にすぎない。原子核も分割できるが、ただその結合がかなり強固である。電子はいくらか「自由主義」的なところがあって、いくつかとび出したり、はいりこんできたりする。原子核と電子との関係も対立面の統一で、主従の区別がある。このような観点からみれば、百花斉放、百家争鳴は有益無害と言えよう。
第五点、騒ぎをおこす問題。社会主義社会で少数の人が騒ぎをおこすのは、新しい問題であり、大いに研究に値する。
社会のがらはすべて対立面の統一である。社会主義社会も対立面の統一で、人民の内部での対立面の統一もあれば、敵味方のあいだでの対立面の統一もある。わが国では、まだ少数の人が騒ぎをおこすこともあるが、その基本的な原因は、社会に各種の対立しあう側面 正面と反面が依然として存在すること、対立しあう階級、対立しあう人びと、対立しあう見解が依然として存在することにある。
われわれは、すでに生産手段所有制の社会主義的改造を基本的になしとげたが、しかし、まだブルジョア階級がおり、地主、富農がおり、極悪ボスや反革命分子がいる。かれらは収奪された階級であり、現在ではわれわれがかれらを抑圧している。かれらは恨みをいだいており、その多くの者が機会さえあれば暴れだす。ハンガリー事件がおきたとき、かれらはハンガリーがかき乱されるのを願い、中国もかき乱されれば何よりだと願っていた。これは、かれらの階級的本性である。
一部の民主人士と教授述のもち出す例の奇怪な議論も、われわれと対立するものである。かれらは観念論をとなえ、われわれは唯物論をとなえる。かれらは、共産党には科学が指導できない、社会主義には優越性がない、協同化はまったくよくないと言い、われわれは、共産党は科学を指導できる、社会主義には優越性がある、協同化はまったくすばらしいと言う。
学生のなかにも、われわれと対立する者が少なくない。いまの大学生は、大多数が搾取階級の家庭の出身である。そのなかに、われわれに反対する者がいても、なにも不思議ではない。こうした連中は、北京にもおり、石家壮にもおり、その他の地方にもいる。
社会には、われわれの省委員会を「こわばった「ミイラ」だとののしる連中もいる。省委員会は果たしてミイラだろうか。わたしの見るところ、われわれの省委員会は、ぜんぜん死んでなどはいない。どうしてこわばっているなどと言えるだろうか。省委員会を「ミイラ」だとののしるのと、われわれのように省委員会をミイラではないと言うのとでは、これまた対立しあっている。
わが党内にも、さまざまの対立した見解がある。たとえば、ソ連共産党第二十回大会がスターリンを一撃のもとにたたきのめしたことについても、反対と支持との二つの対立した見解がある。党内における見解の相違はつねにあらわれるものである。いましがた見解が一致したと思っても、一、二ヵ月たつと、ふたたび新たな見解の相違があらわれる。
人びとのものの考え方の面では、実事求足と主観主義とは、対立しあうものである。わたしは、主観主義はいつの時代にもあるものだと思う。一万年後には、主観主義がすっかりなくなってしまうだろうか。そうは思わない。
工場、協同組合、学校、団体、家涎をとわず、要するにいついかなるところにも、すべて対立しあう側面がある。したがって、社会で少数の人が騒ぎをおこすのは、年々あることである。
いったい、騒ぎがおきるのを恐れるのか、それとも恐れないのか。われわれ共産党は、これまで帝国主義、蒋介石国民党、地主階級、ブルジョア階級も恐れたことはなかった。それなのに、いま、学生が騒ぎをおこすのを恐れ、農民が組合のことで騒ぐのを恐れるとしたら、それこそ不思議ではないか。大衆が騒ぎをおこすのを恐れるのは、段祺瑞、蒋介石ぐらいなものである。このほかに、ハンガリーとソ連にも、一部、恐れる人がいる。少数の人が騒ぎをおこすことにたいし、われわれは積極的な態度をとるべきで、消極的な態度をとるべきではない。つまり、恐れない、だが備えはしておく、ということである。恐れても、どうにもならない。恐れれば恐れるほど、お化けは出るものである。騒ぎを恐れず、精神的な備えがあってこそ、受け身の立場に追いこまれないですむ。わたしは大事件発牛の心がまえをしておくべきだと思う。大事件発生の心がまえがあれば、発生しないかもしれない。そうした心がまえがないと、騒乱がおきるだろう。
ものごとの発展には、よいか悪いかの二つの可能性しかない。国際問題であろうと、国内問題であろうと、すべて二つの可能性を見とおしておかなければならない。ことしは太平であるというのなら、あるいはそうかもしれない。だが、こうした見とおしに立って仕事をするのはよくない。最悪のばあいを前提にして想定すべきである。国際面では、せいぜい世界大戦がおこり、原子爆弾が落ちるくらいであろう。国内では、せいぜい全国的な大騒乱がおき、「ハンガリー事件」があらわれて、数百万人がわれわれに反対し、数百の県を占領し、かつ北京に攻めよせてくるくらいであろう。われわれについて言えば、せいぜい延安に舞いもどるくらいのものだが、われわれはもともとそこからやってきたのである。われわれは北京に住みついて、もう七年になるが、八年目にどうぞ延安にお帰りくださいということになったらどうするか。みんな万事休すと言って、泣きさけぶのか。もちろん、われわれにはいま、「空おどしのひと突きをくれ、さっと馬首をひるがえして」、延安にもどるというようなつもりはない。中国共産党第七回代表大会のとき、わたしは十七ヵ条の困難を見とおしておくべきだと言った。そのなかには見わたすかぎり田畑は荒れはてて、大飢饉におそわれ、食べるものもなく、県都という県都をうしなう、という状況もふくまれていた。このように十分な見とおしを立てておいたので、われわれは終始、主動的な立場に立つことができた。現在、われわれは天下をとったが、それでもやはり最悪の可能性を想定しておかなければならない。
少数の人が騒ぎをおこすのは、一部は、指導部に官僚主義と主観主義が存在し、政治面あるいは経済面の政策で誤りを犯すことによる。また一部は、政策に誤りがあるわけではないが、仕事のやり方に誤りがあり、あまりにも弾力性を欠くためである。さらにもう一つの要因は、反革命分子と悪質分子が存在することである。少数の人の騒ぎたてるのを完全に避けることはできない。これもまた不可避論である。だが、路線上の大きな誤りさえ犯さなければ、全国的な大騒乱はおこらない。たとえ路線上の大きな誤りを犯し、全国的な騒乱がおこったとしても、すみやかに平定され、国が滅ぶようなことにはならないと思う。もちろん、われわれが不手ぎわをやれば、歴史がいくらか回れ右をして、後もどりすることも、大いにありうる。辛亥革命は、回れ右をした。革命によって皇帝をくつがえしたのに、また皇帝が返り咲き、軍閥が出てきたのである。問題があるからこそ革命がおこり、革命のあとにはまた問題があらわれる。わたしはこう信じている――たとえ全国的な大騒乱がおきても、そのときにはかならず大衆とその指導的人物が局面を収拾するだろう。それはわれわれであるかもしれないし、他の人であるかもしれない。そのような大騒乱を経て、ウミを出したあとは、われわれの国家はいっそう強固になるだけである。中国はかならず前進していく。
少数の人が騒ぎをおこすことについては、第一、これを奨励しない、第二、どうしても騒ぐものには騒がしておく、の二ヵ条である。わが国の憲法では、街頭行進と示威の自由を規定しているが、ストライキの自由は規定していない。だが、これを禁止してもおらず、したがって、ストライキは憲法違反にはならない。人がストライキをし、請願をしようとするのに、むりやり阻止するのはよくない。騒ごうとする者には騒がしておき、騒ぎたいだけ騒がしておけばよかろう。一ヵ月で足りなければ、二ヵ月でもよい。要するに、騒ぎあきるまで、けりをつけないことだ。急いでけりをつけても、いつかはまた騒ぎだすだろう。およそ学生が騒ぎをおこしている学校では、休校にしないで、腹をすえて赤壁の激戦をやればよい。これにはどんな利点があるだろうか。問題を徹底的にあばきだし、是非の区別をはっきりさせて、みなをきたえ、道理のない者や悪人どもを敗北させるということである。
このような指導の芸術を身につけるべきであって、なにごともフタをするようではいけない。人がすこしでも怪論を吐き、ストライキを打ち、請願をやると、一撃のもとにやっつけてしまい、まるでこの世にあるまじきことのように考える。だが、あるまじきことがなぜおこるのか。やはり、あるべきことなのである。ストライキをゆるさず、請願をゆるさず、悪口を言うのをゆるさず、なにがなんでも押えつけるというようでは、あげくの果てにラコシになってしまう。これは党内、党外をつうじて言えることである。さまざまな奇怪な議論、奇怪な出来事、矛盾は、暴露するのがよい。矛盾を暴露し、矛盾を解決しなければならない。
騒ぎにたいしては、いくつかの状況にわけて処理しなければならない。一つは、騒ぎをおこしたのが正しいばあいで、われわれは誤りを認め、かつ改めるべきである。もう一つは、騒ぎをおこしたのがまちがっているばあいで、これには反駁しなければならない。騒ぐのに道理があれば、騒ぎをおこすべきであり、騒ぐのに道理がなければ、騒ぎをおこしてもたいしたことはやれない。さらにもう一つは、その騒ぎに正しいところもあれば、まちがっているところもあるというばあいで、これは正しい部分は受けいれ、まちがっている部分は批判すべきである。なんの原則もなしに一歩一歩後退し、どんな要求でも受けいれるというようであってはならない。大がかりな、ほんものの反革命的暴動は武力によって鎮圧すべきであるが、それ以外は軽がるしく武力をつかったり、発砲したりしてはいけない。段祺瑞のやった「三・一八」虐殺事件①は、発砲するという方法をとった結果、自分自身を打倒してしまった。われわれは、段祺瑞のやり方を学んではならない。
騒ぎをおこした人にたいしては、よく働きかけて、分化させ、多数の人と少数の人とを区別しなければならない。多数の人にたいしては、だんだん変わっていくようによくみちびき、教育すべきであって、傷つけるようなことをしてはならない。わたしの見るところ、どんなところでも、左右両端が少なく、中間が多いものである。中間派を逐次かちとるべきである。そうすれば、われわれが優勢を占めるようになる。先頭に立って騒ぎをおこした者にたいしては、分析をくわえる必要がある。敢然と先頭に立って騒ぎをおこすような者のなかには、教育を経て、役に立つ人材になれる者がいるかもしれない。少数の悪人にたいしても、もっとも重大な罪を犯した者以外は、これまた逮捕したり、投獄したり、追放したりしてはならない。もとのところにとどまらせて、いっさいの政治資本をうばい、孤立させ、反面教師として利用すべきである。何千何万の人を殺してやるといきまいた精華大学の例の大学生も、われわれの鄧小平同志が講演にいったときには、これにそうした教師をつとめてもらった。こういった連中は、武装もしていなければ、ピストルももっていないのだ、なんで恐れることがあろうか。あっさり追放してしまえば、そこはきれいになるが、人心は得られない。そこで追放しても、ほかのところで仕事につくだろう。だから、こうした連中を急いで追放するのはよい方法ではない。こうした連中は、反動的な階級を代表しており、個々の人間の問題ではない。あっさり処分してしまえばせいせいはするだろうが、反面教師の役割をぞんぶんに利用したことにはならない。ソ連では、大学生が騒ぎをおこすと、なん人かの指導的人物を追放してしまう。悪いこともわれわれに役立つ教材になる、ということがわからないのである。もちろん、ハンガリー事件のような反革命的暴動をおこすごく少数の者にたいしては、かならず独裁を実行しなければならない。
民主人士にたいしては、かれらにわれわれと張りあわせ、思いきり批判させるようにしなければならない。こうしなければ、われわれはいささか国民党に似てくる。国民党は批判されるのをひじょうに恐れ、参政会が開かれるたびに戦々恐々としていた。民主人士の批判も、まちがっているものと、まちがっていないものとの二種類しかない。まちがっていないものは、それによってわれわれの短所を補えばよく、まちがっているものは、それに反駁をくわえなければならない。梁漱溟、彭一湖、章乃器といった連中には、屁を放りたければ放らせておけばよい。放らせるのが有利である。臭いか臭くないか、みなに判別させ、討論をつうじて、多数をかちとり、かれらを孤立させるのである。かれらが騒ぎたければ、ぞんぶんに騒がせておけばよい。よこしまなことをやりすぎると、かならず自滅するものである。かれらの言い草は誤りであればあるほどいいし、かれらの犯す誤りは大きければ大きいほどいい。こうして、かれらはますます孤立し、ますます反面から人民を教育することができるのである。民主人士にたいしては、われわれは団結もすれば、闘争もしなければならない。それぞれの状況におうじて、一部の人にはすすんで然るべき事前工作をするべきだが、一部の人にはみずからを暴露させ、後から受けて立つべきで、先に手出しをしてはならない。
ブルジョア思想との闘争、悪人や悪事との闘争は長期にわたるもので、数十年、さらには数百年を要する。労働者階級、勤労人民、革命的知識分子は、闘争のなかで経験をつみ、きたえられるであろう。これはひじょうに有益なことである。
悪いことには二重性があって、一つは悪い性質、もう一つはよい性質である。この点は、いまのところ、多くの同志にはまだよくわかっていない。悪いことのなかにも、よい要素がふくまれている。悪人や悪事をただ悪いと見なすのは、問題を一面的、形而上学的に見て、弁証法的には見ておらず、マルクス主義の観点ではない。悪人や悪事は、一面では悪いが、他の一面ではよい役割をもっている。たとえば、王明のような悪人でも、現に反面教師というよい役割をはたしている。同じように、よいことのなかにも、悪い要素がふくまれている。たとえば、解放後七年らいの大きな勝利、とくに去年一年におさめた大きな勝利によって、一部の同志はのぼせあがり、おごり高ぶっており、少数の人の騒ぎが突発すると、まったく意表をつかれたように感じている。
騒ぎを恐れたり、無造作に処理したりするのも、その根本的な原因は、社会主義社会が対立面の統一で、そこには矛盾、階級、階級闘争が存在するということを思想的に認めないことにある。
スターリンは、社会主義制度のもとでの生産関係と生産力との矛盾、上部構造と経済的土台との矛盾を、長いあいだ認めなかった。逝去のまえの年に書いた『ソ連における社会主義の経済的諸問題』になって、やっと、奥歯にものがはさまったような言い方で、社会主義制度のもとでの生産関係と生産力との矛盾にふれ、もしも政策をあやまり、調整で不手ぎわをやれば、問題がおきる、とのべたのであった。しかし、かれは依然として、社会主義制度のもとでの生産関係と生産力との矛盾、上部構造と経済的土台との矛盾を全面的な問題としては提起しておらず、これらの矛盾が社会主義社会の発展を推進する基本的矛盾であることを認識してはいなかった。かれは、かれのあの天下が強固であると考えていた。われわれは、天下が強固であるなどと考えてはならない。天下は、強固でもあるし、強固でもないのである。
弁証法によれば、人がいつかは死ぬのと同じように、歴史的現象の一つとしての社会主義制度も、いつかは死滅し、共産主義制度によって否定されるのである。もしも、社会主義制度は死滅しない、社会主義の生産関係と上部構造は死滅しない、というなら、それでもマルクス主義と言えるだろうか。これでは、宗教の教義と同じであり、神の不滅をとなえる神学と同じではないか。 社会主義社会における敵味方の矛盾と人民内部の矛盾をどのように処理するか、これは一つの科学であり、十分研究するに値する。わが国の状況についていえば、現在の階級闘争のうち、一部分は敵味方の矛盾であるが、大部分は人民内部の矛盾としてあらわれる。いま、少数の人が騒ぎをおこしているのは、こうした状況を反映しているのである。かりに一万年後に地球が壊滅するとして、少なくともこの一方年内は、まだ、騒ぎがおきるという問題はなくならない。われわれは、一万年も先のことまでかまってはいられないが、何回かの五ヵ年計画のあいだは、この問題を処理する経験を積むようしんけんに努力しなくてはならない。
われわれの活動を強化し、われわれの誤りと欠点を改めなければならない。どんな活動を強化するのか。工業、農業、商業、文化・教育、軍隊、政府、党では、いずれも政治思想活動を強化しなければならない。現在、やれ経済だ、やれ文化・教育だ、やれ国防だ、やれ党務だと言って、みなが業務にとりくみ、事務にとりくんでいるが、政治思想活動をやらなければ、ひじょうに危険である。こんどわれわれの書記長鄧小平同志が、みずから出馬して清華大学へ講演にいったが、諸君もみな出馬してほしい。党中央と省・市・自治区委員会の指導的同志は、みなみずから出馬して政治思想活動をすすめなくてはならない。第二次世界大戦後、ソ連共産党と東ヨーロッパの一部の国の党は、マルクス主義の基本原則を重視しなくなった。かれらは、階級闘争、プロレタリア階級独裁、党の指導、民主集中制、党と大衆との結びつきなどについてはすべて重視せず、そういう空気も薄らいでしまった。その結果、ハンガリー事件がおきたのである。われわれは、マルクス主義の基本理論をかならず堅持しなければならない。どの省・市・自治区も、すべて理論活動を展開し、マルクス主義の理論家、評論家を計画的に養成すべきである。
機構を簡素化しなければならない。国家は階級闘争の道具である。階級は国家そのものではなく、国家は支配的地位を占める階級が一部の人(少数の人)をだして構成するものである。国家機関の仕事にはいくらかの人員が必要であるが、少なければ少ないほどよい。現在、国家機構は膨大になり、部門がきわめて多く、機関にいても仕事のない人がたくさんいる。この問題を解決しなければならない。それには、第一に人員を減らすべきであり、第二には減らす予定の人員にたいして、かならず適当な身のふり万をきめてやり、どの人にも確実な落ちつき先があるようにすべきである。党、政府、軍隊はいずれもこうしなければいけない。
下部におりて問題を研究しなければならない。中央の同志、各省・市・自治区および各部のおもだった責任者は、みなこうしてもらいたい。聞くところによると、いま、多くの責任者が下へおりていかなくなったそうだが、これはよくない。中央機関はじつにつらい。ここでは、まったく知識が得られないのだ。なにか知識を求めようとしても、機関のなかにすわっていては求められない。知識がほんとうに得られるところは、工場、協同組合、商店である。機関にいたのでは、工場をどうするか、協同組合をどうするか、商店をどうするかがわからない。上部であればあるほど、得るものはない。問題を解決するには、かならず自分で下へおりていくか、下部の人に上へ来てもらうか、どちらかである。弟叫に下へおりていかず、第二には下部の人に上へ来てもらうこともしないようでは、問題を解決することはできない。わたしは、省・市・自治区委員会書記が、県委員会書記を兼任するか、もしくは工場か学校の党委員会書記を兼任するよう提案する。地区委員会書記、県委員会書記も、下級の組織の書記を兼任すべきである。こうすれば、経験をつんで、全局を指導することができる。
大衆と緊密に結びつかなければならない。大衆から浮きあがり、官僚主義であれば、やっつけられるのは必至である。ハンガリーの指導者は、調査研究をやらず、大衆の状況をつかんでいなかったため、いったん大騒乱がおこると、まだその原因がどこにあるのかわかるないありさまであった。いま、われわれの部と省・市・自治区委員会の一部の指導部も、大衆の思想動向をつかんでおらず、一部の連中が騒ぎをたくらみ、暴動をたくらんでいるのに、まったく気づいてはいない。事がおきたら、それこそ手の打ちようもないだろう。われわれは、かならずこれを戒めとしなければならない。中央の同志、各省・市・自治区および各部のおもだった責任者は、一年のうち一定の期間、かならず工場、協同組合、商店、学校など基層組織にいって、調査研究をおこない、大衆の状況はどうか、すすんだ者、中間の者、立ちおくれた者はそれぞれどのくらいいるのか、われわれの大衆活動はどんな具合なのかをはっきりつかみ、成算がもてるようにしなければならない。労働者階級に依拠し、貧農・下層中農に依拠し、先進分子に依拠すべきであり、ともかく拠りどころがなければならない。こうしてこそ、ハンガリーのような事件を避けることができるのである。
第六点、法秩序の問題。かならず法を守ること、かならず反革命分子を粛清すること、かならず反革命分子粛清の成果を確認すること――この三点についてのべよう。
かならず法を守るべきで、革命的法秩序を破壊してはならない。法律は上部構造である。われわれの法律は、勤労人民がみずから制定したものである。それは革命の秩序を維持し、勤労人民の利益を保護し、社会主義の経済的土台を保護し、生産力を保護するものである。われわれは、革命的法秩序を遵守するよう、すべての人に要求しているのであって、民主人士にだけ要求しているのではない。
かならず反革命分子を粛清しなければならない。反革命分子粛清の計画を達成していないところでは、ことし達成しなければならず、やり残しがあれば、来年にはぜひとも達成しなければならない。反革命分子を粛清はしたが、まだ一掃していないという一部の部門では、闘争のなかで一歩一歩粛清して一掃しなければならない。反革命分子はもう多くはいない、この点は確認しておくべきである。騒ぎのおきたところでも、広範な大衆は反革命分子についていくことはないだろう。反革命分子についていくのは、一部であり、一時的にすぎない。だが、反革命分子はまだいるし、反革命分子粛清工作はまだ終わってはいないことも、確認しておかなければならない。
かならず反革命分子粛清の成果を確認しなければならない。反革命分子の粛清は偉大な成果をあげた。これには誤りもあり、もちろん、厳粛な態度で対処しなければならない。反革命分子粛清工作にたずさわる幹部をきざえてやるべきで、一部の民主人士がののしったからといって弱腰になってはならない。まいにち悪態をつく、飯を食ったら何もすることがないので、もっぱら人の悪態をつく――そんな連中には勝手にさせておけばよい、わたしの見るところ、かれらが悪態をつけばつくほどよい。わたしののべた三点は、悪態ぐらいでゆらぐものではない。
共産党は、どれぐらいののしられてきたかわからない。国民党はわれわれを「共産匪」とののしり、われわれに通じる人のことを「通匪」と言ったものだ。だが、結局は、「匪」と呼ばれたもののほうが、「匪」にあらざるかれらよりもましであった。古来、先進的なものは最初から歓迎されたためしがなく、ののしられるのがつねである。マルクス主義、共産党は、はじめからののしられてきた。一万年たってからでも、先進的なものは、やはり、最初のうちはののしられるであろう。
反革命分子の粛清を堅持し、反革命分子がいればかならず粛清すべきである。法秩序を遵守すべきである。法律にてらして事を処理するというのは、手足をしばられることではない。反革命分子がいるのに粛清せず、自分の手足をしばるというのでは、まちがいである。法律にてらして、思いきってやらなければならない。
第七点、農業の問題。ことしの豊作をかちとらなければならない。ことしが豊作なら、人心は安定し、協同組合はかなり強固になる。ソ連や東ヨーロッパの一部の国では、協同化をやると、何年か食糧の減産をきたすのがつぬであった。われわれは協同化を数年やり、昨年の一年には大々的にやったが、減産しなかったばかりか、増産さえした。ことしも豊作なら、協同化の歴史のうえでも、国際共産主義運動の歴史のうえでも、これこそ空前ということになる。
全党はかならず農業を重視しなければならない。農業は、国の経済と人民の生活にかかわるところがきわめて大きい。よく注意してもらいたい。食糧に力をいれなければたいへんなことになる。食糧に力をいれなければ、いつかは天下大乱となる。
まず第一に、農業は、農村の五億の人口の食の問題、食肉や食油の問題、その他の日用の非商品化農産物の問題にかかわりがある。農民が自給にあてるこの部分の量は、きわめて大きい。たとえば、昨年の食糧生産量は三千六百億斤をこえるが、農業税をふくむ商品化食糧はおよそ八百余億斤で、四分の一に足りず、四分の三以上が農民のものになっている。農業がうまくいき、農民が自給できれば、五億の人口は安定する。
第二に、農業はまた、都市や工鉱業地区の人口の食の問題にもかかわりがある。商品化農産物がふえなければ、工業人口の需要をみたすことができず、工業生産を発展させることができない。農業生産の発展を基礎に、農産物、とくに食糧の商品化率をしだいに高めていくべきである。飯が食えれば、学校や工場の少数の者が騒ぎをおこしても、恐れることはない。
第三に、農業は軽工業用原料の主要な供給源であり、農村は軽工業の重要な市場である。農業が発展しなければ、軽工業生産は十分な原料が得られず、軽工業製品は広大な市場が得られない。
第四に、農村はまた重工業の重要な市場でもある。たとえば、化学肥料、各種の農業機械、一部の電力、石炭、石油などはいずれも農村に供給され、鉄道、自動車道路、大型水利施設もみな農業に奉仕している。いま、われわれは社会主義の農業経済をうちたてているが、軽工業の発展のためにも重工業の発展のためにも、農村はきわめて大きな市場である。
第五に、現在の輸出物資は主として農産物である。農産物が外貨に変われば、各種の工業設備を輸入できる。
第六に、農業は蓄積の重要な源泉である。農業が発展すれば、工業の発展のためにより多くの資金を提供することができる。
したがって、ある意味では、農業はすなわち工業であるとも言える。農村に目を向け、農業を支援するよう、工業部門を説得しなければならない。工業化をりっぱにやりとげるには、このようにすべきである。
農業自身のための蓄積と国家が農業から得る蓄積とは、協同組合の収入のなかで、それぞれどのくらいの比率を占めればよいのか。みなで検討して、適当な比率をきめてもらいたい。それは、農業の拡大再生産を可能にし、農業を工業のいっそう大きな市場とし、農業を蓄積のいっそうゆたかな源泉にするためである。まず農業自身の蓄積を多くすること、そうしてはじめて、工業のための蓄積をいっそう多くすることができる。ただ工業のためにだけ蓄積して、農業自身の蓄積をあまりにも少なくするか、あるいはまったく蓄積しないのでは、池を干して魚をとるようなもので、工業の発展のためにかえって不利である。
協同組合の蓄積と組合員の所得との比率にも注意すること。協同組合は価値法則を利用して経済計算を実行し、勤倹の精神で経営し、しだいに蓄積をふやしていかなければならない。もしもことしが豊作なら、蓄積は昨年よりややふやすべきである。だが、ふやしすぎてもいけない。やはり、まず農民に腹いっぱい食わせることである。豊作の年には蓄積をやや多くし、凶作の年とか、半ば凶作の年には蓄積しないか、少ししか蓄積しない。つまり、蓄積は波状的、いわば螺旋状的におこなうのである。世の中の事物はみな矛盾しており、みな対立面の統一であるから、その運動や発展はみな波状的である。太陽から光の放射されるのを光波といい、無線電信局から発信されるのを電波といい、音の伝播するのを音波という。水には水の波があり、熱には熱の波がある。ある意味から言えば、道をあるいても波がおこる。一歩一歩あるくのは、波がおこることである。芝居の唱をうたうときにも波がおこる。一句をうたい終えてからつぎの一句をうたうのであって、一息に七、八句もうたう者はいない。字を書くにも波がおこる。一宇を書き終えてから、もう一字を書くのであって、一筆でなん百字も書けるものではない。これが事物の矛盾運動の曲折性である。
要するに、弁証法にもとづいて仕事をしなければならない。これは、鄧小平同志が言ったことである。わたしの見るところ、全党はみな弁証法を学び、弁証法にもとづいて仕事をすることを提唱しなければならない。全党は、みな思想・理論活動に意をそそぎ、マルクス主義の理論隊伍をつくり、マルクス主義理論の研究と宣伝を強めなければならない。対立面の統一というマルクス主義の学説を運用して、社会主義社会の階級矛盾と階級闘争についての新しい問題を観察、処理し、国際闘争における新しい問題を観察、処理しなければならない。
注
〔1〕 定額利子とは、わが国の社会主義的改造の過程で、国家が民族ブルジョア階級の生産手段にたいしてとった買戻し政策の一形態。一九五六年、資本主義工商業の全業種にわたる公私合営が実現されたのち、国家は一定の期間内、資本家の資産におうじ、きまった利率で毎年、利子を支払っている。これを定額利子という。定額利子の性質はやはり搾取に属する。
〔2〕 レーニンの『ヘーゲルの著書「論理学」の摘要』にみられる。
〔3〕 レーニンの『弁証法の問題について』にみられる。
〔4〕 クラウゼビッツ(一七八〇て一八三一年)はドイツの有名なブルジョア軍事理論家で、おもな著書に『戦争論』ヒがある。クラウゼビッツにたいするスターリンの評価については、スターリンの『ラジン同志への返書』を参照。
〔5〕 レーニンの『戦争と革命』にみられる。
訳注
① 一九二六年三月、馮玉祥の国民軍が奉天派の軍閥張作霖らとたたかっていたとき、日本帝国主義は軍艦を出動させ、大沽口の国民軍にたいする奉天派の軍隊の攻撃を掩護したが、これが失敗すると、こんどはイギリス、アメリカなど八ヵ国と結託して、中国政府に最後通牒をつきつけ、大沽口の国防施設の撤去など不当な要求を出してきた。三月十八日、これにたいして北京の労働者、学生、市民大衆数千人は天安門前で抗議集会をひらいた。八ヵ国通牒拒否を要求する請願デモの隊伍が執政府に着いたとき、北洋軍閥の首脳段祺瑞の命令で衛戊部隊が発砲したため、流血の惨事をまねいた。