蔵書 › 毛沢東選集 第五巻 › 社会主義革命と社会主義建設の時期(一)
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『中国農村における社会主義の高まり』の評語
(一九五五年九月、十二月)
毛沢東同志は『中国農村における社会主義の高まり』という本を編集したさい、百四編の評語を書いた。ここに収録したのは、そのうちの四十三編である。一九五八年三月、中国共産党中央政治局拡大会議が成都でひらかれたさい、評語の一部がふたたび印刷された。このために、一九五八年三月十九日、毛沢東同志は全文次のような説明を書いた。「これらの評語は『中国農村における社会主義の高まり』という本におさめたもので、一九五五年の九日と十二月に書いた。そのうちの一部はいまなおその意義を失ってはいない。だが、そのなかに、一九五五年は社会主義が資本主義との決戦で基本的な勝利をおさめた年だ、とのべているところがある。こういう言い方は妥当ではない。一九五五年は、生産関係の所有制の面で基本的な勝利をおさめた年であるが、生産関係のその他の面、および上部構造のいくつかの面、すなわち思想戦線の面と政治戦線の面では、まだ基本的な勝利をおさめていないか、あるいはまだ完全な勝利をおさめておらず、なお今後の努力に待たなければならない、というべきである。われわれは、一九五六年に国際面であれほど大きな風波が立つとは予想しなかったし、おなじ年に国内面で大衆の積極性をくじく『反暴走』事件がおこるとも予想しなかった。この二つのできごとは、いずれも、右派の狂気じみた攻撃にかなり油をそそぐことになった。ここから得た教訓は、社会主義革命も社会主義建設も順風に帆をあげた状態ですすめられるものではなく、われわれは国際、国内の両面でおこりうる数かずの大きな困難に対処する用意がなければならない、ということである。国際面からいっても、国内面からいっても、全般的な情勢は有利であり、この点は疑いがない。だが、数かずの大きな困難がおこるにちがいないから、われわれはそれに対処する用意がなければならない。」
一
この文章はよく書けており、本書の第一編として読者に推薦する価値がある。この文章が冒頭でのべているように、自分にはわからなくて、人に聞かれると困る、だから「組合をよけて通る」という人は、いま、各地にまだ少なからずいる。「断固として縮減する」、つまり命令をくだして協同組合を大量に解散するというやり方も、「組合をよけて通る」現われの一つである。ただ、かれらは消極的に避けるのではなく、いっそのこと多くの協同組合を一刀のもとに「きりすて」(かれらのことば)、ひじょうに積極的な態度をとるにすぎない。かれらは手にだんびらを握っており、一太刀あびせれは、やっかいな問題をよけられるというしだいだ。かれらは、協同組合づくりにはあれやこれやの困難があるといっており、その困難ときたらまったく想像もつかないほどのものだそうである。だが、このような言い草は、全国の数えきれないほどの事例によって論破されている。河北省遵化県の経験は、こうした事例の一つにすぎない。一九五二年には、ここの人は、協同組合をどうつくったらよいのか、だれもわからなかった。かれらの解決策は学習することであり、かれらのスローガンは「書記みずから取りくみ、全党で組合づくりにあたろう」というものであった。その結果、「わからない状態から、わかるようになり」、「少数の者がやれるところから、多数の者がやれるようになり」、「区の幹部の組合づくりから、大衆の組合づくりになった」。河北省遵化県の第十区では、十一の郷の四千三百四十三世帯が、一九五二年から一九五四年までの三年間に、半社会主義的性質の段階での協同化を基本的になしとげ、組合に加入した農家の数は全区の農家の八五パーセントを占めるようになった。この区の農業、林業、牧畜業など各部門の生産量は、一九五四年を一九五二年に比べてみると、食糧が七六パーセント、樹木が五六・四パーセント、果樹が六二・八七パーセント、羊が四六三・一パーセントそれぞれふえている。
そこで、われわれとしては次のような問題を提起する理由が出てくる。ここではこのようにやれるのに、ほかのところではなぜこのようにやれないのか。もしもやれないとしたら、きみたちの理由はどこにあるのか、と。わたしの見るところ、理由は一つしかない。つまり、やっかいなことをいやがること、もうすこし率直にいえば、右翼日和見主義である。それだから、「組合をよけて通る」のであり、書記がみずから取りくまず、全党で組合づくりにあたろうとしないのであり、わからないことはいつまでもわからず、やれる者はいつまでも少数で、組合づくりに取りくむのはいつまでも区の幹部だけとなるのである。ざもなければ、手にだんびらをもち、やっかいな問題をもち出す協同組合に出くわすと一太刀あびせるのである。このような理由があるかぎり、何事もなしえない。われわれは、「積極的に指導し、着実に前進しよう」、「全面的に計画し、指導を強化しよう」といったスローガンをうち出したが、同時にまた、遵化県の同志たちのうち出した「書記みずから取りくみ、全党で組合づくりにあたろう」というまったく正しいスローガンにも賛成している。遵化県では、「積極的に指導し、着実に前進し」ていないとでもいうのだろうか。また、「全面的に計画し、指導を強化し」ていないとでもいうのだろうか。もちろん、そうではない。では、これは危険であるのかどうか。「暴走」であるのかどうか。危険は「組合をよけて通る」ことにあるのだ、この点は遵化県の同志たちがすでに克服している。危険はまた「暴走」を口実に、協同組合を大量に「きりすてる」ことにあるのだ、この点は遵化県ではおこらなかった。さらに、「協同組合の発展の速度が大衆の自覚の程度と幹部の指導能力の水準をこえている」などというにいたっては、遵化県の状況をどう説明するのか。ほかでもなく、そこの大衆が協同化を要求したのであり、そこの幹部がわからない状態からわかるようになったのである。だれにも目があるのだが、遵化県でなにか危険を見いだせる人がいるだろうか。三年のあいだに、一歩一歩、協同化が実現したことによって、食糧が七六パーセント、樹木が五六・四パーセント、果樹が六二・八七パーセント、羊が四六三・一パーセントそれぞれふえた。これを一種の危険であるとか、「暴走」であるとか、「大衆の自覚の程度と幹部の指導能力の水準をこえている」とか、といえるだろうか。
遵化県の協同化運動のさい、王国藩協同組合というのがあって、二十二世帯の貧農がロバの足三本①しかもっておらず、「すかんぴん組合」とよばれていた。かれらはみずからの努力で、三年のあいだに大量の生産手段を「山からとってきた」②が、一部の参観者はそれを見て、感激の涙を流した。これこそわが国ぜんたいの姿である、とわたしはおもう。六億のすかんぴんがみずからの努力で、数十年内に、富み栄えた、強大な社会主義国に変えられないとでもいうのだろうか。社会の富は、労働者、農民、勤労知識分子がみずから創造するのである。これらの人びとが自分の運命をその手ににぎり、またマルクス・レーニン主義の路線を導きとし、問題を回避するのではなく、積極的な態度で解決していきさえすれば、世の中のいかなる困難も解決されるにちがいない。
最後に、われわれはこの無署名の文章の筆者に感謝する。筆者はあふれるような熱情、生きいきとした筆致で、一つの区の協同化の過程をこと細かに書いている。これは、全国の協同化の事業に少なからず貢献するであろう。どの省、どの専区、どの県でも、このような文章を一編ないし数編、書いてほしいものである。
(「書記みずから取りくみ、全党で組合づくりにあたろう」という文章の評語)
二
中国では、多くの人にとって、一九五五年は迷信打破の年であったといえる。一九五五年の前半、多くの人はいくつかの事がらにたいしてまだあれほど自分の信念をもちつづけていたが、後半になると、もうもちつづけることができず、新しい事物を信ずるほかはなくなった。たとえば、かれらはこう考えていた――大衆が「三年で協同化しよう」などといっているのは、幻想にすぎない。協同化のテンポは北部では速かろうが、南部ではそうはいかない。立ちおくれた郷では、協同組合をつくれない。山間地帯では、協同組合をつくれない。少数民族地域や民族雑居地域では、協同組合をつくれない。被災地区では、協同組合をつくれない。協同組合をつくるのはやさしいが、それを固めるのはむずかしい。農民はあまりにも貧乏で、資金を工面しようがない。農民は読み書きができないから、会計係が見つからない。協同組合をつくればつくるほど、もめごともそれだけ多くなる。協同組合の発展の速度は、大衆の自覚の程度と幹部の経験の水準をこえている。党が食糧の統一買付・統一販売の政策と協同化の政策をとっているため、農民の生産意欲が落ちている。協同化の問題で共産党がいそいで「馬から降り」なければ、労農同盟が破壊されるおそれがある。協同化をすれば、大量の過剰労働力がうまれ、その使いみちが見いだせなくなる、などなど。このほかにも、まだたくさんあげることができる。要するに、いずれも迷信である。これらの迷信は、一九五五年十月の中国共産党第七期中央委員会第六回総会(拡大会議)で批判されてから、ひとつ残らず打破された。いま、全国の農村ではすでに社会主義的改造の高まりがあらわれており、大衆は喜びに沸きたっている。このことは、すべての共産党員につぎのような深い教訓をあたえている――大衆のなかにはこれほど大きな社会主義的積極性がひそんでいるのに、あろうことか、多くの指導機関は数ヵ月前まで気がつかず、あるいは少ししか父がつかなかった、これはなぜだろうか。指導者たちの考えていたことは、広範な大衆の考えていたこととあれほど食い違っていた、これはなぜだろうか。このことを教訓として、今後、類似した事がらや問題に出あったばあい、どう処理したらよいだろうか。答えは一言につきる。つまり、大衆から浮きあがってはならず、大衆の積極性を本質的な面から発見することに長じなければならない、ということがそれである。
(「立ちおくれた農村といわれているところでも、すべてが立ちおくれているわけではない」という文章の評語)
三
一つ一つの地方についていえば三年内に初級形態の協同化が実現できるということを信じない人びと(三年で協同化しようというスローガンは大衆の提起したものだが、日和見主義者から批判された)、おくれて解放された地区でも旧い解放区と同時に協同化が実現できるということを信じない人びと――こうした人びとには、ひとつ、江蘇省昆山県のこの郷をみてもらいたい。ここは三年で協同化したのではなく、二年で協同化したのである。ここは旧い解放区ではなく、まぎれもなくおくれて解放された地区である。この解放区が多くの旧解放区の先へすすんでしまったのだ。どうにもいたし方がないではないか。それをひきもどせるとでもいうのだろうか。もちろん、そんなことはできはしない。日和見主義者はかぶとをぬぐよりほかはない。大衆のなかには、きわめて大きな社会主義的積極性がひそんでいる。革命の時期にも型にはまった行動しかとれない人間には、こうした積極性がぜんぜん目に見えないのだ。かれらはめくらも同然で、その前にあるのは一面の暗やみだけである。かれらは、ときにはまったく是非を転倒し、黒白を混同するようなことまでしでかす。われわれはこうした人間をまだあまり見かけないとでもいうのだろうか。このような型にはまった行動しかとれない人間は、いつも人民の積極性を過小評価する。なにか新しい事物があらわれると、かれらはきまって賛成せず、まずひとしきり反対する。そのあとで、かぶとをぬぎ、すこしばかり自己批判をする。つぎの新しい事物があらわれると、かれらはまたこの二とおりの態度をひとわたりくりかえす。その後も、さまざまな新しい事物があらわれるたびに、すべてこうした方式で処理していく。こういう人間はいつも受け身で、かんじんなときになるといつも足踏みをし、いつも他人に背中をどやしつけられないと一歩も踏みだそうとしないのである。いったい、いつになったら、こうした人間がひとりだちで歩き、しかもまともに歩けるようになるのだろうか。こうした病気をなおす方法はある。いくらかの時間をさいて大衆のなかへはいっていき、大衆がなにを考え、なにをしているかを見てまわり、そのなかから先進的な経験をさがしだして、それをおしひろめることである。これは、右よりという頑固な病気にきき目のある処方だ。ひとつ、ためしてみるよう、おすすめしたい。
(「この郷は二年で協同化した」という文章の評語)
四
これはいい文章だ。この文章を読めば、ウイグル族の農民は協同化の道をあゆもうとする積極性がひじょうに高い、ということがわかる。かれらは、半社会主義的な協同化の実現に必要な幹部もすでに養成している。少数民族のあいだでは協同化はやれないという者もいるが、それは正しくない。われわれはすでに、蒙古族、回族、ウイグル族、ミャオ族、チワン族、その他いくつかの民族がつくった少なからぬ協同組合、あるいはいくつかの民族の人民が共同でつくった協同組合を目にしており、しかも、それらがりっぱな成績をあげたのを知っている。このことは、少数民族を軽視する例の人たちの誤った観点を反駁するものである。
(「郷と村の幹部には組合づくりを指導する能力がある」という文章の評語)
五
この文章はいい。多くの人を説得することができる。この地方の党組織は、協同化の問題で、いちども動揺したことがない。この党組織が協同組合をつくりたいという貧しい農民の要求を断固支持したので、かれらは富裕中農との競争に勝利をおさめた。このため、小さい組合が大きい組合に変わり、年々収穫がふえ、三年たらずのうちに村ぜんたいの協同化が実現した。富裕中農は、「すかんぴんどもが協同組合をつくるんだとさ。鶏の羽が天まで飛んでいくなんて、お目にかかったこともない」といっていた。ところが、鶏の羽はちゃんと天まで飛んでいったのだ。これこそ社会主義と資本主義との二つの道の闘争である。中国では、富農経済はひじょうに弱いが(土地改革の時期に、富農の半封建的部分の土地はとりあげられ、旧富農の大多数は作男をやとえなくなり、世間におけるかれらの評判もひじょうに悪い)、しかし、ゆたかな中農とわりにゆたかな中農の勢力はかなり強く、かれらは農村人口の二〇パーセントないし三〇パーセントを占めている。中国の農村では、二つの道の闘争の重要な面の一つは、貧農、下層中農と富裕中農との平和的競争をつうじてあらわれる。ここ二、三年のうちに、どちらが収穫をふやすか、つまり、単独経営の富裕中農が収穫をふやすか、それとも貧農と下層中農のつくった協同組合が収穫をふやすか、これを比べあうのである。はじめのうちは、一部の貧農と下層中農のつくった協同組合だけが単独経営の富裕中農と競争しており、大多数の貧農と下層中農はまだ様子をみていた。つまり、双方が大衆を争奪していたのである。富裕中農のうしろには地主と富農がひかえていて、かれらはときにはおおっぴらに、ときにはこっそりと富裕中農を支持していた。協同組合の側には共産党がついており、かれらは安陽県南崔荘の共産党員のように、断固として協同組合を支持すべきであった。ところが、残念なことに、すべての村の党支部がみなそのようにしたわけではない。こうしたところから混乱が生じたのである。まず、鶏の羽は天まで飛べるかどうかという議論についてである。もちろん、これは重大な問題だ。数千年らい、鶏の羽が天まで飛んでいくなど、だれも見たことがない。それはあたかも真理のようにみえる。もしも党がこれに批判をくわえないなら、多くの貧農と下層中農はとまどいを感じるだろう。つぎには幹部の面、そのつぎには貸付金などの物質的な面で、もしも党と国家の支持が得られないなら、協同組合は大きな困難にぶつかるだろう。富裕中農が、鶏の羽は天まで飛べないといった大昔からの真理をあえて宣伝したのは、ほかでもなく協同組合がまだ収穫をふやしておらず、貧しい協同組合がまだゆたかな協同組合になっておらず、少数の孤立した協同組合がまだ何千何万という協同組合にまで発展していなかったからである。それはまた、党が全国的な範囲で協同化の利点を大々的に宣伝していなかったからであり、「鶏の羽は天まで飛べない」という昔の真理が、社会主義の時代ではもはや真理ではなくなったことを、まだはっきりと指摘していなかったからである。貧しい人たちが立ちあがろうとしている。旧い制度が滅び、新しい制度がうまれようとしている。鶏の羽がたしかに天まで飛んでいこうとしている。ソ連では、すでに天まで飛んでいった。中国では、いま天まで飛んでいきつつある。世界中どこでも、天まで飛んでいくようになるにちがいない。われわれの多くの地方党組織は、貧しい農民に断固とした支持をあたえることができなかったが、これを全部それらの党組織のせいにするわけにもいかない。それというのも、上のほうでまだ日和見主義の思想に致命的な打撃をあたえておらず、協同化のための全面的な計画もたてておらず、そのうえ、全国的な範囲でこの運動にたいする指導をつよめることもしていなかったからである。一九五五年、われわれがこれらの仕事をすすめたので、数ヵ月で情勢はすっかり変わってしまった。様子をみていた広範な大衆は、つぎつぎと協同化の側に立つようになった。富裕中農も口ぶりをかえた。一部のものは組合への加入を申し出ており、一部のものは加入を申しこもうとしている。いちばん頑固なものでも、もう鶏の羽が天まで飛べるかどうかという問題について、とやかく言えなくなった。地主と富農はすっかりしょげてしまった。これは、治安を攪乱したり、協同化を破壊したりした反革命分子を人民政府が処罰したこととも関係がある。要するに、一九五五年の後半には、わが国の階級的な力関係に根本的な変化がおこって、社会主義が大いに前進し、資本主義が大いに後退したのである。一九五六年にもう一年努力すれば、過渡期における社会主義的改造の土台は根本からきずきあげられるであろう。
(「鶏の羽は果たして天まで飛べないか」という文章の評語)
六
多くの地方にほとんど普遍的に存在しており、広範な貧農、下層中農大衆が協同化の道をすすむのをさまたげている党内の右翼日和見主義者は、社会の資本主義勢力とたがいに呼応しあっている。こうした状況を、この文章は適切に描いているといえる。作者はかぎりない怒りに燃えて日和見主義者を叱責し、貧しい農民を支持している。一部の者は、共産主義者を名のりながら、いまやらなければならない社会主義の事業にはほとんど興味をしめさない。かれらは、熱意に燃えた大衆を支持しないばかりか、大衆に冷や水をあびせかける。一九五五年は、まさしく、中国で社会主義と資本主義とが勝敗を決する年であった。この決戦は、まず中国共産党中央の招集した五月、七月、十月の三回にわたる会議をへて表面化した。一九五五年の前半には、あれほど妖気がたちこめ、暗雲にとざされていた。ところが、一九五五年の後半になると、様子ががらりと変わって別の空模様となり、数千万世帯の農民大衆が行動に立ちあがって、党中央の呼びかけにこたえ、協同化をおしすすめた。編者がこの数行に筆を走らせているときまでに、全国ですでに六千万以上の農家が協同組合に加入している。それは大海のあれ狂う怒濤のごとくであり、すべての妖怪変化はおし流されてしまった。社会におけるさまざまな人物の正体は、はっきりと見わけられるようになった。党内でも同様である。この一年がすぎれば、社会主義の勝利はひじょうに確かなものとなるであろう。もちろん、行く手にはまだ多くの戦闘がひかえており、ひきつづき奮闘努力しなければならない。
(「日和見主義の邪気は消えうせ、社会主義の正気はみなぎる」という文章の評語)
七
これもたいへん興味のある文章である。潮流をはばもうとする日和見主義者はほとんどどこにでもいるとはいえ、潮流は到底はばみうるものではない。社会主義は、あらゆる邪魔ものをはらいのけ、いたるところで勝利のうちに前進しつつある。社会はこのように日ごとに前進しつつあり、人びとの思想は改造されつつある。革命の高揚期には、とくにそうである。
(「協同化運動のなかで、労働者の家族の積極性はひじょうに高い」という文章の評語)
八
これは人の胸をうつ文章だ。読者がよく読むよう希望する。わけても、広範な農民大衆に社会主義の道をあゆむ積極性があることを信じない同志と、ともすればだんびらを振りかざして協同組合を「きりすて」ようとする同志に、よく読んでもらいたい。いま、全国の農村では、社会主義の要素が毎日、毎時間のように増大している。広範な農民大衆が協同組合をつくることをもとめており、その大衆のなかからは、聡明で、能力のある、公正で、積極的な指導的人物がぞくぞくとあらわれている。このような状況には、人びとを大いに奮いたたせるものがある。最大の欠点はといえば、多くの地方で党の指導がまだ主動的に追いつこうとしていないことだ。当面の任務は、地方の各籾党委員会にこの問題でマルクス・レーニン主義の主動的立場をとらせ、農業協同化ぜんたいの責務をひきうけさせ、積極的に、喜びにあふれ、心から歓迎し、全力をかたむけて事にあたるという態度でこの運動を指導させることである。何年も社会主義を口にしながら、いざ社会主義がやってくると、こんどはそれをこわがるというような、葉公、竜をこのむ③式の故事をくりかえしてはならない。
(「指導者の意志にそむいて、大衆が自発的につくった協同組合」という文章の評語)
九
ここの路線は正しい。この郷にはすでに五つの農業生産協同組合、七つの連合互助組、三つの常設互助組、十四の臨時互助組があり、組織すべき農家の九八・四パーセントを占めている。一九五四年十二月以前、この郷の党支部は、まだ、その指導活動の重点を互助・協同化の面においておらず、党員も互助組を指導する活動で困難をおそれていた。支部がたよっていたのは、「書記みずから取りくみ、全党で組合づくりにあたろう」というやり方ではなく、工作組(上からそこに派遣された工作組のようである)であった。農業協同化の問題で、このように軟弱無能な状態にある農村の党支部は、いまなお全国に少なくない。支部ばかりでなく、おそらく一部の上級党委員会もそうであろう。この点が問題なのだ。わが国農業の社会主義的改造が国の工業化に歩調を合わせられるかどうか、協同化の運動があまり欠点を出さずに、健全に発展し、増産を保証できるかどうかは、地方の各級党委員会がその指導の重点をすみやかに、正しくこの面にうつせるかどうかにかかっている。工作組は派遣しなければならないが、次のことをはっきりさせておく必要がある。つまり、工作組が行くのは、そこの党組織を助けるためであって、これにとって代わるのではなく、この組織に手も頭もつかわせず、もっぱら工作組にたよらせるというのではない。貴州省のこの郷は一九五四年十二月に活動態度を改めてから、わずか五ヵ月あまりで、ひじょうに大きな成績をあげた。ここでは工作組にたよらず、みずから取りくんだので、党員も困難をおそれなくなったのだ。このような転換をとげるには、なによりもまず各級党委員会の書記――省委員会と自治区委員会の書記、地区委員会と自治州委員会の書記、県委員会と自治県委員会の書記、区委員会書記と支部書記にたよらなければならず、かれらは農業協同化の全責務を負うべきである。面倒をおそれ、困難をおそれて、これほど偉大な任務を前にしてみずから取りくもうとせず、ただ農村工作部あるいは工作組にまかせるだけというような態度では、任務を完遂できないばかりか、多くのもめごとをひきおこすこととなろう。
(「鳳同県崇新郷では、どのように党支部の指導のもとで互助・協同化運動を展開したのか」という文章の評語)
十
本文の筆者は、県で協同組合主任の合同会議がひらかれてからこの協同組合は一時的請負の基礎のうえに季節的請負制を実施した、といっている。ここからもわかるように、県の指導はひじょうに重要である。われわれは、全国の二千数百県の県段階の指導機関が、全県の協同化運動の発展状況に細心の注意をはらい、問題を発見し、その解決策を検討するとともに、全県の協同組合の主任会議、あるいは全県の重点的な協同組合の主任会議をいちはやく招集して、決定をおこない、これをすみやかに実行するよう希望する。問題が山積し、数かずのもめごとがおこってから、やっと解決にのりだすようではだめである。指導部は運動に立ちおくれてはならず、かならずその先頭に立たなければならない。県の範囲内では、党の県委員会が主要な指導的役割を発揮すべきである。
(「季節的請負」という文章の評語)
十一
この資料はひじょうに説得力がある。ある地方の協同化が健全に実現できるかどうか、これは党の政策と活動方法にかかっている。協同化の問題を処理するわが党の諸政策が正しいものでさえあれば、また、大衆を立ちあがらせて協同組合に加入させるさいのわが党の活動方法が命令主義的なもの、あるいは無造作なものではなく、大衆にむかって道理をとき、分析をおこない、もっぱら大衆の自覚と自由意思に依拠する方法でさえあれば、協同化をなしとげ、収穫をふやすのは、さほどむずかしいことではない。河北省[”刑”からりっしんべんを取り”おおざと”]台県東川口村は旧解放区で、全村の七十世帯が一九五二年以前に互助組に参加したこと、強力な党支部があること、また王志琪のように大衆から信頼されている指導的人物がいることなど、各方面の条件がそろっている。このため、同村は一九五二年に、わずか一ヵ月あまりで協同組合をつくり、半社会主義の協同化をなしとげた。条件がまだこの村ほどととのっていないところでは、どうしたらよいだろうか。それは条件をととのえることだ。数ヵ月、または一年、あるいはそれよりも少し長い時間があれば、足りるであろう。条件は、やりながらととのえていけばよい。一部の小型組合をつくることは、とりもなおざず、全村、全郷、全区の協同化の条件をととのえることである。東川口のこの資料はまた、党支部がどのように大衆にたいして宣伝教育活動をおこなったのか、どのように大衆の自覚と自由意思に依拠して協同組合をつくったのかという問題を重点的に説明している。そのなかのいわゆる「反面の宣伝」〔1〕は、大いに注目していいものである。なお、この資料には、労働組織と労働管理の面の問題についての紆余曲折の全過程が描かれ、その変化の結果、年ごとに増産するという大きな成果をおさめたことが書かれている。事実が立証しているように、この協同組合は健全である。すべての協同組合は、増産の有無と増産の幅を、自己が健全であるかどうかを検証するおもな基準としなければならない。
(「わずか一ヵ月あまりで全村の協同化を実現した」という文章の評語)
十二
この資料は、混乱状態にあるどのような協同組合も整頓できる、という真理を物語っている。協同組合に加入しているのはみな働く農民であるから、その各階層の意見がどんなにあわなくても、結局はまとめることができるのである。一部の協同組合は、ある期間、たしかに混乱していたが、その唯一の原因は、党の指導が得られず、党が大衆にその政策と方法をはっきり説明していなかったことにある。「組合をつくるのがよいことだというのは、おれたちも知っている。だが、組合をつくったあと、県委員会も、区委員会も、支部もおれたちをかまってはくれなかった。たぶん、おれたちの村が貧しくて、ろくなものが食べられず、ろくなところに住めないので、おれたちの組合には来なかったのだろう。」混乱というのは、ほかでもなく、ここに原因があるのだ。党の指導が得られなければ、もちろん混乱する。指導があたえられれば、混乱はたちどころにおさまるであろう。この資料はまた、立ちおくれた農村で協同組合をつくれるかどうかという問題を提起している。それにたいする答えは然りである。本文の筆者が書いているこの協同組合は、ほかでもなく、立ちおくれた村にある。全国には立ちおくれた農村がほぼ五パーセントあるが、そこでも協同組合をつくるべきであり、組合づくりの闘いのなかで、その地方の立ちおくれた状態をなくしていくべきである。
(「混乱した協同組合が整頓された」という文章の評語)
十三
これは、普遍的にみられる重大な問題である。各檄の党委員会も、農村へ派遣されて協同化の指導にあたっている同志たちも、この問題には十分注意をはらうべきである。協同組合の指導機関では、現在の貧農と新しい下層中脂の優勢を確保し、旧い下層中農と新旧の上層中農を補助的な力としなければならない。こうしてこそ、党の政策にもとづいて、貧農と中農との団結を実現し、協同組合を強固にし、生産を発展させ、全農村の社会主義的改造を正しくなしとげることができるのである。この条件がなければ、中農と貧農を団結させることも、協同組合を強固にすることも、生産を発展させることもできず、全農村の社会主義的改造を実現することもできない。多くの同志は、この道理がわかっていない。かれらの考えによると、貧農の優勢を確保することは、土地改革の時期には必要であった。それというのも、当時、農村人口の五、六〇ないし七〇パーセントを占める貧農はまだ中農になっていなかったし、中農は土地改革について動揺していたので、当時はたしかに貧農の優勢を確保する必要があったからである。だが、いまは農業の社会主義的改造をおこなう時期であって、以前の貧農は大部分が新中農になっているし、旧中農は生産手段をたくさんもっていて、その参加なしには協同組合の生産手段不足の問題を解決することができない。したがって、いまは貧農に依拠するとか貧農の優勢を確保するとかのスローガンを提起すべきでなく、こうしたスローガンは協同化のためにならないと、これらの同志は考えているのである。われわれは、このような見解はまちがっていると思う。労働者階級と共産党は、社会主義の精神と社会主義の制度によって全農村における生産手段の小農私有制を徹底的に改造しようとするなら、かつて半プロレタリア階級であった広範な貧農大衆に依拠してこそ、わりあい順調にやりとげることができ、ざもなければ、ひじょうな困難につきあたることになるだろう。なぜなら、農村の半プロレタリア階級は、生産手段の小農私有制にわりあい執着しないし、社会主義的改造をわりあいうけいれやすい人たちであるからだ。かれらのうちの大部分は、いまではもう新中農になっているが、一部の新しい富裕中農をのぞいて、その大多数は旧中農にくらべると、政治的にわりあい高い自覚をもっており、苦しかった過去の生活をやはり容易におもいおこすことができる。このほか、旧中農のうちの下層中農も、その経済的地位と政治的態度は、新中農のうちの下層中農にわりあい近く、新旧中農のうちの上層中農、すなわち、ゆたかな中農やわりあいゆたかな中農とはちがっている。したがって、われわれとしては、協同化の過程で、まず、(一)現在まだ困難な状態にある貧農、(二)新中農のうちの下層中農、(三)旧中農のうちの下層中農という、社会主義的改造をわりあいうけいれやすい三つの部分に属する人たちを何回かにわけて、協同組合に加入するようみちびくとともに、かれらのなかから自覚がわりあい高く、組織能力もわりあいすぐれている一部の人を選びだして養成し、協同組合の指導的骨幹を形成するよう、心がけなければならない。とくに、現在の貧農と新しい下層中農のなかからこうした骨幹を選ぶよう心がけるべきである。それは農村で階級構成の区分をもう一度やりなおすというのではなく、協同化の過程で、党の支部と農村へ派遣されて指導にあたる同志たちとが注意ぶかく把握しなければならない方針である。この方針は農民大衆にはっきりと知らせるべきである。われわれはなにも、富裕中農は組合に加入してはならない、などというのではない。富裕中農は、その社会主義的自覚が高まり、組合に加入したいと表明し、しかも貧農(現在の貧農と、もと貧農であったすべての新しい下層中農をふくむ)の指導にしたがうという気持ちになったときに、はじめて組合に加入させるのであって、かれらが組合に加入したくないとき、かれらの役牛や農具を目当てに、むりやり組合に加入させてはならない、というのである。すでに組合に加入していて、しかも残っていたいと望む者は、そのままにしておく。脱退したいといってきても、説得によって翻意した者は、残してもよい。生産手段が多少すくなくても協同組合をつくれるということは、貧農と下層中農のつくった多くの協同組合によってすでに証明ずみである。われわれはなにも、富裕中農はひとりも協同組合の幹部になれない、などというのではない。社会主義的自覚が高く、公正で、能力があり、組合の大多数の人から敬服されているごく少数の富裕中農は、幹部になってもよい。だが、協同組合はかならず貧農(もう一度いうが、現在の貧農と、もと貧農であったすべての新しい下層中農をふくむ。かれらは農村人口の多数あるいは大多数を占めている)の優勢を確保しなければならない。組織構成の面では、かれらが約三分の二を占めなければならず、中農(旧下層中農と新旧二つの部分の上層中農をふくむ)は約三分の一を占めるにとどめ、またそのぐらいは占めるべきである。協同組合の指導方針の面では、貧農と中農の相互利益の政策を実行すべきであり、どちらの利益をもそこなってはならない。そのためには、やはり貧農の優勢を確保しなければならない。中農が優勢を占める協同組合では、どうしても貧農がおしのけられ、貧農の利益がそこなわれることになる。湖南省長沙県高山郷の経験は、貧農の優勢を確保し、それによって中農としっかり団結することが、必要でもあるし、また可能でもあるということ、もしもそうしないなら、それがどんなに危険であるかということを、あますところなくわれわれに教えている。本文の筆者は、党の路線を完全にわきまえている。まず緊急な増産任務をなしとげてから、指導の面で貧農の優勢を確保するということ、このやり方も正しい。その結果、貧農は大いに意気があがり、中農もひじょうに心服している。本文の筆者はまた、混乱状態にある協同組合は果たして解散したほうがよいのか、それとも混乱状態から健全な状態へむかうよう整頭したほうがよいのか、このような協同組合は整頓し、強固にすることができるのかどうか、という大事なことをわれわれに教えている。本文の筆者はじゅうぶんな説得力をもって、「三級組合」は解散すべきでなく、整頓すべきであると、われわれに教えている。整頓をすれば、三級組合も完全に一級組合に変えることができるのである。このような経験は、長沙県高山郷の一ヵ所にとどまらず、全国各地にもすでに少なくない。
(「長沙県高山郷の武塘農業生産協同組合は、どのようにして中農が優勢を占めている状態から貧農が優勢を占める状態に転化したのか」という文章の評語)
十四
ここでのべている問題は、普遍的な意義をもっている。中農とは団結しなければならず、中農と団結しないのは誤りである。だが、労働者階級と共産党は農村で、だれに依拠して中農と団結し、全農村の社会主義的改造を実現するのか。もちろん、貧農しかない。以前、地主と闘争して、土地改革をおこなったときもそうであったし、いま、富農その他の資本主義的要素と闘争して、農業の社会主義的改造をおこなうときもやはりそうである。この二つの革命のどちらの時期にも、中農は、最初の段階で動揺した。中農は大勢を見きわめ、革命がまさに勝利しようというときになって、はじめて革命の側につくのである。貧農は中農にはたらきかけ、中農を自分たちの側に獲得して、革命を日一日とひろげていき、最後の勝利をかちとるようにしなければならない。現在の農業生産協同組合の管理委員会には、以前の農民協会のばあいと同じように、旧い下層中農と、自覚がわりあい高く、代表性もある新旧の上層中農の一部を参加させなければならない。だが、その人数はあまり多すぎてはならず、約三分の一を占めるのが適当である。委員のなかの貧農(現在の貧農と、もと貧農であった新しい下層中農をふくむ)の人数は、約三分の二を占めるようにしなければならない。組合の主要な指導的幹部の職は、旧い下層中農と、自覚がひじょうに高く、たしかに公正で、能力もある若干の新旧の上層中農がひきつづき担任してもよいが、一般には貧農(もう一度いうが、現在の貧農と、もと貧農であったすべての新しい下層中農をふくむ)が担任すべきである。福建省福安県では、貧農の指導する協同組合と中農の指導する協同組合が社会主義の事業にたいして異なった態度をしめしているが、こうした状況は普遍的にみられるのであって、個別的な現象とみなすべきではない。
(「福安県で『中農組合』と『貧農組合』がうまれたことの教訓」という文章の評語)
十五
この資料は役に立つものであり、各地で注意をはらうべきである。この資料は、農村における各階層の動きを描いている。貧農は、協同化にたいして、いちばん積極的である。多くの中農は、「もう少し様子を見よう」としており、「組合の外でのんびり」したがる。かれらは主として、自分の生産手段を組合にいれたばあい、協同組合がかれらに損をさせるかどうかを見ようとするのであり、その態度はああもなれば、こうもなるのである。多くの富裕中農は、協同化にたいして大きな抵抗を感じている。なかでも、態度のいちばんわるい者は、自分の生産手段を売りとばしたり、資金をかくしたり、にせの協同組合をつくったりしており、ごく少数ではあるが、地主、富農とぐるになって悪事をはたらく者さえいる。われわれは、各地で農村工作にたすさわる同志たちがみな、地元の各階層の動きを注意ぶかく観察し、分析して、状況に通した政策をとるよう希望する。この資料は、協同組合には気をくばるが互助組をおろそかにするという誤った傾向にふれ、統一的な計画、全般的な配慮という意見を出しているが、これは正しい。「互助・協同網」という方法はよいもので、協同組合、互助組の双方に配慮をくわえるのであり、協同組合は互助組と単独経営農家が当面の生産上の難題を解決できるように、こころから援助するのである。貧農基金はすみやかに支給すべきである。いまなお協同組合に加入していない貧農には、いつ組合に加入してもすぐ、この基金をもらえることを知らせてやらなければならない。
(「新しい状況と新しい問題」という文章の評語)
十六
この協同組合の方針は正しい。すべての協同組合はこのようにすべきである。各省は協同化の問題にかんする決議または指示のなかで、すべての協同組合は、労働能力がなくて寄る辺のない孤独な組合員(かれらを協同組合にいれるべきである)や、労働能力があっても暮らしむきのひじょうに苦しい組合員を助けて、かれらの困難を解決してやる責任がある、と指摘すべきである。目下のところ、多くの協同組合は、暮らしに困っている農家を助けるという社会主義の精神に欠けており、さらには貧農を完全に排斥さえしているが、これはまったく誤っている。現在、政府はすでに貧農基金を設けており、役牛や農具の面での貧農の困難解決を助けることはできる。だが、貧農のなかの一部農家の労働力不足という困難はまだ解決できないし、一部農家の端境期における食糧不足という困難も完全には解決できない。このような困難は、協同組合の広範な大衆の力に依拠してのみ解決できるのである。
(「湘潭県清風郷の党支部は貧しい組合員の困難解決を助けている」という文章の評語)
十七
これはひじょうに興味のある物語だ。社会主義という新しい事物は、旧い事物とのきびしい闘争を経て、はじめてうまれてくるものである。社会の一部の者は、ある時期には、きわめてかたくなに旧い道をあゆもうとする。だが一他の時期になると、その同じ人びとがこんどは態度をかえて、新しい事物に賛成するようになる。富裕中農の大多数は、一九五五年の前半には、まだ協同化に反対していた。だが、後半になると、一部の者は態度をかえて――そのなかには、協同組合の指導権をにぎろうとする下心をもつ者もいくらかいたとはいえ――協同組合に加入したいと表明するようになった。他の一部の者はきわめて大きな動揺をみせており、口先では加入したいといっているが、腹のなかではあまり乗り気ではない。さらにもう一部の者は、かたくなにも、もっと様子を見ようとしている。この問題では、農村の党組織はこの階層にたいして、辛抱づよく待つ態度をとらなければならない。貧農と新しい下層中農の指導面における優勢を確保するためには、一部富裕中農の組合加入がすこし遅れるとしても、それはかえって有利である。
(「かれらは断固として協同化の道を選んだ」という文章の評語)
十八
政治工作はすべての経済工作の生命線である。社会経済制度が根本的に変革される時期には、とりわけそうである。農業協同化運動は、はじめから、きびしい思想的・政治的闘争であった。どの協同組合も、このような闘争を経なければ、つくりあげることができない。まったく新しい社会制度を旧い制度の地盤のうえにうちたてるには、この地盤をはききよめなければならない。旧い制度の反映である旧い思想の残りかすは、なんといっても長いあいだ人びとの頭に残るもので、そうやすやすとひきさがりはしない。協同組合ができてからも、なお多くの闘争を経なければ強固にすることはできない。強固にしたあとも、すこしでも気をゆるめると、またつぶれるおそれがある。現に、山西省解虞県の三婁寺脇同組合は、強固にしたあと、気をゆるめたためにつぶれそうになった。その危機を克服して、ひきつづき発展する道をあゆむようになったのは、そこの党組織が自分の誤りを批判して、あらためて組合員大衆に資本主義反対、社会主義強化の教育をおこない、政治工作を復活してからのことである。私利私欲をはかるという資本主義の自然発生的傾向に反対するとともに、集団の利益と個人の利益との結合という原則をあらゆる言論と行動の基準にする社会主義の精神を提唱すること、これは、分散した小農経済をしだいに大規模な協同化経済へ移行させるための思想的、政治的な保証である。これは骨の折れる仕事であって、あらっぽい態度や単純な方法をとってはならず、ぜひとも農民の生活体験にもとづき、きわめて具体的に、きめ細かくおこなわなければならない。それは経済工作と結びつけておこなうべきで、それだけをきり離しておこなってはならない。こうした仕事については、全国的な範囲で、われわれはすでにかなり豊富な経験をもっている。本書にのせた文章のほとんどは、この特徴をしめしている。
(「重大な教訓」という文章の評語)
十九
この文章の観点は正しい。協同組合では政治工作をりっぱにおこなうよう、強調しなければならない。政治工作の基本的任務は、農民大衆にむかって、たえず社会主義の思想をそそぎこみ、資本主義的傾向を批判することである。
(「張郭荘協同組合の政治工作」という文章の評語)
二十
このような状況には、注意すべきである。ゆたかな農民のあいだには、ゆゆしい資本主義的傾向がある。協同化運動の過程でも、また、そのごのかなり長い期間でも、われわれがもし少しでも農民にたいする政治工作をゆるめるなら、資本主義的傾向はたちまち氾濫するであろう。
(「資本主義的傾向と断固たたかわなければならない」という文章の評語)
二十一
これは組合の整頓についてのよい経験で、推薦に値する。新しい社会制度がうまれるときには、それにともなって、大いにさけびたてるのがつねである。つまり、新しい制度の優越性を宣伝し、旧い制度の落後性を批判するのである。わが国の五億をこえる農民に社会主義的改造をおこなわせるという、天地をゆるがすような大事業は、波風の立たない状況のもとでなしとげられるわけがない。この事業のためには、われわれ共産党員が、旧い制度の重荷を背おっている広範な農民大衆にたいして、辛抱づよい、生きいきとした、わかりやすい宣伝・教育をおこなわなければならない。いま、全国各地ではこの仕事に取りくんでおり、農村工作の同志のなかから宣伝活動に長じた者がおおぜいあらわれている。この文章に書いてある「四つの比較、五つの計算」④は、二つの制度のうちどちらがよくて、どちらがわるいかを農民にわかりやすく説明する、とてもよい方法である。このような方法は、ひじょうに説得力がある。それは、宣伝のへたな一部の同志が、手もとには人の心を動かすようなものがなにもなく、ただ単純に「共産党の道をあゆむか、それとも蒋介石の道をあゆむか」などと言い、ひたすら高飛車に出て聴衆を圧服しようとするのとは、大いに異なる。それは、地元農民の経験と結びつけて、農民にきめ細かく分析してみせている。だから、ひじょうに説得力があるのである。
(「組合整頓のよい経験」という文章の評語)
二十二
反革命分子が協同化運動を破壊するのは、貴州省都匀県第五区だけの問題ではなく、普遍的にみられる問題である。だが、ほかの省のこの種の刊行物にはこの問題がほとんど反映されていない。農村工作にたずさわるすべての同志は、協同化の過程で、反革命分子の破壊活動との闘争に十分な注意をはらわなければならない。都匀県のこの区に見ならって、協同組合のなかに、共産党員と青年団員を骨幹とする防衛組織を設けるべきである。党の区委員会は、県委員会の指導と監督のもとに、状況を検討し、党の内外に宣伝と説明をおこない、反革命分子の破壊活動にたいする大衆の警戒心を高めたあとで、協同組合の指導機関にもぐりこんだ反革命分子とその他の悪質分子を審査し、粛清し、処分すること、これがぜひとも必要である。しかし、粛清するのは真の反革命分子と真の悪質分子でなければならず、よい人、あるいはなんらかの欠点があるだけの人を悪者あつかいしてはならない。処分はとりわけ適切でなければならず、県の認可を得なければならない。
(「反革命分子の破壊活動と断固たたかうべきである」という文章の評語)
二十三
広範な婦人大衆を動員して生産に参加させることは、偉大な社会主義社会を建設するうえで、きわめて大きな意義がある。生産のなかでは、男女の同一労働・同一報酬を実現しなければならない。真の男女平等は、社会ぜんたいの社会主義的改造の過程においてのみ実現できる。
(「婦人が労働戦線に進出した」という文章の評語)
二十四
この文章はいい、各地の参考になる。青年は社会ぜんたいのなかで、もっとも積極的で、もっとも生気にあふれた力である。かれらは学習意欲がもっともさかんで、保守的な思想がもっとも少ない。社会主義の時代には、とくにそうである。各地の党組織は青年団の組織と協力して、青年の力をとくに発揮させる方法を研究するよう心がけてほしい。かれらの特徴を無視し、一般並みにあつかうようなことがあってはならない。もちろん、青年は老人や壮年に学ぶべきであり、できるだけかれらの同意を得て、さまざまの有益な活動をやるようにしなければならない。老人や壮年は保守的な思想がわりあい多くて、とかく青年の進歩的な活動をおさえがちであり、青年が成果をあげてからやっと心服するものである。本文はこうした状況をよく描いている。保守的な思想にたいしては、もちろん、妥協すべきではない。では、よかろう、やってみることだ。成果があがれば、かれらも同意するようになる。
(「中山県新平郷第九農業生産協同組合の青年突撃隊」という文章の評語)
二十五
これもいい文章で、各地の参考になる。そのなかで、中学と高等小学校の卒業生を組織して協同化の仕事に参加させることにふれているが、これはとりわけ注目に値する。農村へいって仕事のやれるこうした知識分子は、みな喜んでそこへいくべきである。農村は広びろとした天地であり、そこでは大いに力を発揮することができる。
(「一つの郷で協同化の計画をたてる経験」という文章の評語)
二十六
ここにも、ひとり、陳学孟がいる。中国では、このような英雄的人物は何千何万にとどまらない。残念ながら、文学者たちはいまだにかれらを訪ねていないし、農村へ協同化の指導にいく人たちも、かれらをしばしば目にしながら、あまり書いてはいない。
(「協同化の先導者――陳学孟」という文章の評語)
二十七
この文章はよく書けており、共産党と青年団のすべての県委員会、区委員会、郷支部に推薦していいものである。すべての協同組合は、このようにすべきだ。本文の筆者は党の路線をわきまえており、その所論はまったく的を射ている。文章もよく、読んですぐわかり、党八股臭がない。ここで、読者に注意してほしいことがある。われわれの多くの同志は、文章を書くとき、党八股をたいへん好む。それは生きいきとしておらず、具象的でなく、読むと頭が痛くなる。また、文法や修辞には無頓着で、文語体とも口語体ともつかない文体を好み、ときには全編むだな言葉をならべたて、ときには筆をはぶきすぎた古めかしい文章を書き、まるで読者を苦しめる誓いでもたてたかのようである。本書におさめた百七十余編の文章のなかにも、党八股臭の強いものが少なくなかったが、いくどか筆をくわえた結果、わりあい読みやすくなった。それにもかかわらず、やはり読みづらくて、わかりにくい文章は、少数ながらまだ残っている。それを本書に収録したのは、ただその内容が重要であるからにすぎない。いったい、いつになったら、われわれは頭の痛くなる党八股をあまり読まなくてすむようになるのだろうか。そうなるには、われわれの新聞や雑誌の編集者がこのことに注意をはらい、寄稿者に生きいきとした、読みやすい文章を書くよう求めるとともに、自分も寄稿者を助けて文章に手をくわえることが必要である。
(「協同組合の政治工作」という文章の評語)
二十八
ここで紹介されているのは、王国藩の指導するいわゆる「すかんぴん組合」である。勤倹の精神で経営すること、これは全国のすべての農業生産協同組合の方針でなければならない。いな、すべての経済事業の方針でなければならない。工場、商店、すべての国営事業と協同組合事業、そしてその他のすべての事業を勤倹の精神で経営する。つまり、どんなことをするにも、勤倹の原則をつらぬかなければならない。これはとりもなおさす節約の原則であり、節約は社会主義経済の基本原則の一つである。中国は大きな国であるが、いまはまだひじょうに貧しい。中国をゆたかにするには、数十年の時間がかかる。数十年後にも勤倹の原則をつらぬく必要はあるが、とりわけ勤倹を提唱し、節約に注意しなければならないのは、ここ数十年のことであり、ここ何回かの五ヵ年計画の期間のことである。いま、多くの協同組合では、節約に注意しないというよくない作風が見うけられるが、これをすみやかに正さなければならない。どの省、どの県でも、勤倹の精神で協同組合を経営している例をいくつか見つけることができる。これらの例をひろく宣伝して、みんなに見ならわせるべきである。勤倹につとめ、生産量がもっとも高く、いろいろな面でうまくいっている協同組合を表彰し、浪費ばかりして、生産量がひじょうに低く、いろいろな面でうまくいっていない協同組合を批判すべきである。
(「勤倹の精神で組合を経営する」という文章の評語)
二十九
これは、全郷一千余世帯からなる大型協同組合(集団農場と称しているが、協同組合のことである)の七ヵ年展望計画で、各地の参考になる。なぜこのような長期計画が必要なのか、その内容を見ればすぐにわかる。人類の発展は数十万年を経ているが、ここ中国においては、いまになってやっと、自国の経済と文化を計画的に発展させる条件がかちとられた。この条件がかちとるれてからは、わが国の姿は年ごとに変わっていくであろう。五年ごとにわりあい大きな変化がみられ、いくつかの五年をつみ重ねていけば、いっそう大きな変化がみられるであろう。
(「紅星集団農場の展望計画」という文章の評語)
三十
これはいい文章で、一読の価値があり、各地の協同組合が長期計画をたてるばあいの参考になる。本文の筆者がいみじくも述べているように、「生産計画をたてる全過程は、先進的な思想と保守的な思想の闘争する過程である。」いま、保守的な思想がほとんどいたるところで邪魔をしている。このような保守的な思想を克服して、生産力と生産を大幅に発展させるためには、すべての地方、すべての協同組合でそれぞれ長期計画をたてなければならない。
(「ある協同組合の三ヵ年生産計画」という文章の評語)
三十一
この郷は、協同化、増産措置、水利、共産党と青年団の整頓、文化・教育といった諸活動の二ヵ年計画をたてたが、全国の各郷もこのようにすべきである。計画をたてるのはむずかしいと言う者もいるが、それならなぜこの郷でたてることができたのか。一九五六年、全国の各県、各区、各郷はすべて、この計画よりもさらに多くの項目、たとえば副業、商業、金融、緑化、医療・衛生などをふくむ全面的な計画をたてなければならない。たとえ少し大ざっぱで、完全には実情に合致していなくても、ないよりはましである。一つの省で一、二の県、一、二の区、一、二の郷がかなりりっぱな計画をたてさえすれば、それをすみやかにおし広めて、その他の県や区や郷に見ならわせることができる。計画をたてるのはなんともむずかしいと言われているが、実際にはそれほどむずかしいものではない。
(「沂濤郷の全面的計画」という文章の評語)
三十二
この文章はたいへん役に立つもので、各県の参考になる。どの県もその全面的な計画のなかで、適当な水利計画をたてるべきである。水利建設は農業の増産を保証するたいせつな事がらで、小型の水利工事なら、各県、各区、各郷、各協同組合どこでもやれる。したがって、若干年のうちに何回かにわけて実施する水利計画、つまり、とくに大きな不可抗力の水害や干害は別として、干ばつのときは灌概でき、冠水のときは排水できるそうした水利計画をたてることが、きわめて必要である。これは完全にやれることだ。協同化という基礎があるので、大衆はひじょう大きな力をもっている。数千年らい解決できなかった普通の水害と干害の問題は、数年のうち解決されるであろう。
(「一人あたり{一畝|ムー}の灌漑地をつくるべきである」という文章の評語)
三十三
養豚は、堆肥づくり、食肉供給、外貨獲得にとってたいせつな問題である。すべての協同組合は養豚を自分の計画に組みいれなければならず、もちろん、省、専区、県、区もそれぞれ計画をたてるべきである。ブタの飼料は容易に解決できる。一部の青草、木の葉、いもづる、サツマイモなどはいずれも飼料となるから、かならずしも穀物を必要とせず、まして大量の穀物を要するとはかぎらない。協同組合で共同飼育するほか、各農家でも一頭ないし数頭飼育するようにすすめ、何年かにわけてこの目標を達成するようにしなければならない。養豚を禁止しているいくつかの少数民族と、宗教上の慣習からブタを飼いたがらないごく一部の家庭は、もちろん例外である。養豚業を発展させるには一連の奨励措置が必要であり、浙江省上華協同組合の経験は各地の参考になる。
(「ここでは大量のブタを飼育している」という文章の評語)
三十四
協同化以前は、全国の多くの地方に労働力過剰の問題があった。だが、協同化以後は、多くの協同組合で労働力の不足を感じており、これまで野良仕事に出なかった広範な婦人大衆を労働戦線に動員する必要がうまれた。これは、多くの人が予想もしなかった大きな事がらである。以前には、協同化すると、労働力が余るにちがいない、と考えられたものだ。もともとあり余っているのに、このうえ余ってきたら、どうすればよいのか。ところが、多くの地方では、協同化の実践によって、人びとのこうした懸念は吹きとばされてしまった。労働力は余ったのではなく、足りなくなったのである。一部の地方では、協同化以後、一時的に労働力の過剰をみたが、それはまだ生産の規模が拡大されておらず、多角経営がおこなわれておらず、農耕も集約化されていなかったからである。多くの地方では、生産の規模が大きくなり、経営の種目がふえ、労働の範囲が自然界にむかって広く深くひろがっていき、仕事がきめ細かくやられるようになると、労働力の不足を感ずるようになる。こうした傾向はいまはじまったばかりで、将来は年ごとに強まっていくであろう。農業が機械化されてからも、おなじである。将来は、これまで思いもつかなかったようなさまざまな事業があらわれ、農作物の生産量は現在の数倍、十数倍、ないし数十倍にもなるであろう。工業、交通、交換事業の発展は、なおさら、先人の思いもおよばなかったものとなろう。科学、文化、教育、医療・衛生などの諸事業も同様である。中国の婦人は偉大な人的費源である。この資源をほりおこして、偉大な社会主義国の建設のために奮闘させなければなちない。婦人を動員して労働に参加させるには、男女の同一労働・同一報酬の原則を実行しなければならない。浙江省建徳県の経験は、すべての協同組合が取りいれていいものである。
(「婦人を動員して生産に従事させ、労働力不足の困難を解決した」という文章の評語)
三十五
これも普遍性をもつ問題である。この二つの協同組合の状況からみると、いまの生産条件のもとでも、すでに約三分の一の労働力が余っている。これまで三人でやった仕事も、協同化ののちは二人でやれば十分で、ここに社会主義の優越性がしめされている。では、三分の一、さらにはもっと多くの余った労働力は、どこにその使いみちを見つけるのか。主として、やはり農村である。社会主義は旧社会から勤労者と生産手段を解放したばかりでなく、旧社会の利用しようもなかった広大な自然界をも解放した。人民大衆は、かぎりない創造力をもっている。かれらはみずからを組織して、その力を発揮できるあらゆる領域と部門にむかって進軍し、生産を広く深くおしすすめ、自分のために日一日と多くの福祉事業をおこしていくことができる。ここではまだ農業の機械化にはふれていない。機械化すれば、もっと多くの労働力が省かれるが、使いみちがあるのだろうか。一部の機械化農場の経験によると、使いみちはやはりある。生産の範囲がひろがり、種目がふえ、仕事がきめ細かくなるから、力はあっても使いどころがないという心配はないのである。
(「余った労働力の使いみちが見つかった」という文章の評語)
三十六
農村の余った労働力は農村でその使いみちを見つけられる――このことを、この県の状況もわれわれに教えている。男女労働力の一年の労働日は、この文章がのべているように男子百余日、女子数十日というのではなく、経営方法の改善と生産種目の拡大によって、男子は二百余日、女子は百余日、あるいはそれ以上にふやすことができる。この日数は、現によその一部の協同組合では、すでに実現している。副業には確実な販路がなくてはならず、盲目的に発展させてはならないということ、これは正しい。農村の副業は、全国的にみて、その大部分が農村に奉仕しているが、都市と輸出に奉仕する部分もかなりなくてはならず、将来、この部分は増大する可能性がある。問題は、国が統一的な計画をたて、逐次盲目性をとりのぞくことである。
(「湘陰県では余った労働力の使いみちの問題を解決した」という文章の評語)
三十七
この文章はいい、各地はみなこれに見ならうべきだ。「会計係がいない」――これは協同化の急速な発展に反対する人たちの口実の一つである。全国で協同化がすすめば、数百万の会計係が必要となるが、どこからさがしてくるのか。その実、人はいるのだ。おおぜいの高等小学校卒業生と初級中学卒業生を動員して、この仕事をやらせたらよい。問題は、かれらをすみやかに養成して、仕事のなかでその知識と技能の水準を高めることにある。各区ごとに、生産協同組合、購買販売協同組合、信用協同組合の会計係からなる会計互助網をつくること、これは会計係の知識と技能の水準を高めるよい方法である。彰武県第三区の会計網は、会計係の知識と技能の水準の向上を助けたばかりでなく、多くの経済工作と政治工作もやった。県と区の党組織はみな、この仕事の指導に意をそそぐべきである。
(「農業生産協同組合、購買販売協同組合、信用協同組合の会計係で会計互助網をつくった経験」という文章の評語)
三十八
この経験は普及させるべきである。レーニンは、「文盲のみちあふれている国では、共産主義社会をきずきあげることができない」〔2〕とのべたことがある。いま、わが国には文盲がこんなにもたくさんいるが、社会主義の建設は文盲を一掃してから取りかかるというわけにもいかない。そこで鋭い矛盾がうまれてくる。いま、わが国では、おおぜいの学齢児童のはいる学校がないばかりでなく、学齢をすぎた多くの青少年のはいる学校もない。大人にいたっては、なおさらである。このゆゆしい問題は、農業協同化の過程で解決しなければならず、また、農業協同化の過程でのみ解決することができる。農民は協同組合をつくったあと、経済面の必要から、読み書きを習うことを切実にもとめている。農民は協同組合をつくり、集団の力をもつようになったので、状況が完全に変わった。かれらは読み書きの勉強を自分で組織することができる。まず第一段では、労働点数を証人する必要から、自分の村の人名、地名、農具や農作業の名称、およびいくらかの必要な単語をおぼえる、これが約二、三百字。ついで第二段では、さらにいっそう多くの文字と単語をおぼえる。テキストとしては、次のような二種類のものをつくる必要がある。第一種のテキストは、協同化の指導にあたっている同志の援助のもとで、地元の知識分子がそれぞれ自分たちの協同組合の必要におうじてつくるべきである。統一したテキストを使ってはならず、どこでも自分でつくらなければならない。このようなテキストは審査をうける必要がない。第二種のテキストも、協同化の指導にあたっている同志の援助のもとで、地元の知識分子がわりあい小範囲の地方(たとえば一つの県、あるいは一つの専区)の事物と語彙をもとに、全省(市、自治区)や全国の事物と語彙の一部をくわえてつくるべきで、これも数百字程度でよい。この種のテキストも、各地で統一する必要はなく、県段階、専区段階、あるいは省(市、自治区)段階の教育機関がすみやかにこれを審査する。この二段の仕事を終えてから、第三段の什事にはいる。つまり、各省(市、自治区)の教育機関が一般に使われる第三種のテキストをつくる。このあと、いっそう程度の高いテキストもつくらなければならない。中央の文化・教育機関はこのことに適切な指導をあたえるべきである。山東省[”くさかんむり”に”呂”]南県高家柳溝村の青年団支部は、創意にみちた仕事をした。こうした状況を目にして、ひじょうにうれしい。教員はいるのだ、その郷の高等小学校卒業生がそれである。進度は速く、ニヵ月半で百余名の青年と壮年が二百宇あまりをおぼえ、自分の労働点数を記入できるようになった。一部の人は協同組合の労働点数記入係になっている。労働点数記入学習班という名称もひじょうによい。こうした学習班は、各地でこれに見ならって普遍的につくるべきである。青年団の各級組織はこの仕事を指導すべきであり、すべての党・政府機関は支持をあたえるべきである。
(「[”くさかんむり”に”呂”]南県高家柳溝村の青年団支部が労働点数記入学習班をつくった経験」という文章の評語)
三十九
ここに書いてあるのは、李順達の指導する金星農業・林業・牧畜生産協同組合のことである。この協同組合は、できてから三年のうちに、二百八十三世帯をかかえる大組合となった。この組合は太行山のなかのあれほど貧しいところにあるが、みんなで努力した結果、わずか三年でその姿を変えはじめた。労働力の利用率は、抗日戦争前の個人経営の時期より一一〇・六パーセント高まり、協同組合をつくるまえの互助組の時期よりも七四パーセント高まった。協同組合の公共積立金は、初年度の百二十元から一万一千余元にまでふえた。一九五五年、組合員一人あたりの平均所得は食糧八百八十四斤で、抗日戦争前にくらべて七七パーセントのび、組合をつくるまえとくらべても二五・一パーセントふえた。この組合はすでに五ヵ年計画をたてているが、三年間実施した結果、総生産額は五ヵ年計画の目標の一〇〇・六パーセントに達した。この協同組合の経験は、われわれにこう教えている――自然条件のわりあい劣っている地方でさえ大量に増産できるとすれば、自然条件のわりあいめぐまれている地方ではなおさら大量に増産できるはずである、と。
(「勤倹の精神で組合を経営し、山間地区を建設する」という文章の評語)
四十
これはうまく経営されている協同組合で、ここから多くの有益な経験を汲みとることができる。曲阜県は孔子の故郷で、この老先生が長ねん学校をひらき、才能のある弟子を多数そだてあげたところだ。このことはよく知られている。しかし、かれは人民の経済生活にはあまり関心をもたなかった。弟子の樊遅が農耕のやり方について尋ねたとき、かれは相手にしなかったばかりか、かげで樊遅のことを「小人」だとののしったものである〔3〕。いま、かれの故郷の人民は社会主義の協同組合をつくりはじめている。二千年以上たっても相変わらずあれほど貧しかった人民であるが、組合をつくってから三年で、経済面、文化面の生活がともに変わりはじめた。これは、こんにちの社会主義がたしかに史上に例をみないものであることを物語っている。社会主義は孔子の「経書」にくらべて、何層倍よいかわからない。孔子廟や孔子林を見てみようという興味のある人たちには、ついでにこの協同組合も見てくるよう、おすすめする。
(「三年で六七パーセント増産した農業生産協同組合」という文章の評語)
四十一
この文章はよく書けており、一読に値する。いまの半社会主義的な協同組合に、二、三十世帯くらいの小型組合が多いのは、組合をつくりやすくするためであり、幹部と大衆に早く経験を得させるためでもある。しかし、小型組合は人力も耕地も資金も少ないので、大規模な経営をおこなうことも、機械を使用することもできない。このような小さい組合は相変わらず生産力の発展を拘束するので、あまり長く存続させてはならず、しだいに合併すべきである。一部のところでは一つの郷を一つの協同組合に組織してもよく、少数のところではいくつかの郷を一つの協同組合に組織してもよい。もちろん、一つの郷にいくつかの協同組合を組織するところも多いだろう。平原地区で大型組合がつくれるばかりでなく、山間部でも大型組合がつくれる。安徽省の仏子嶺ダムをかかえるある郷は、東西、南北数十里、ぜんぶ山地であるが、そこに農業、林業、牧畜業を総合的に経営する大規模な協同組合がつくられた。もちろん、このような合併のためには、段どりをおって事をはこばなければならず、適当な幹部がいなければならず、大衆の賛同を得なければならない。
(「大型組合の優越性」という文章の評語)
四十二
大型の組合や高級組合をつくるのがいちばん有利だということ、これは海南島の紅旗協同組合の経験からも立証される。この大型の協同組合は、できてから一年にしかならないのに、もう高級組合に変わる準備をすすめている。もちろん、すべての協同組合がこれに見ならえというのではない。それぞれの組合では、やはり自公の条件がととのっているかどうかをみて、いったい、いつ合併し、いつ昇格したらよいかを決めなければならない。しかし、一般的にいうと、三年もあれば、ほぼ十分だ。重要なのは、農民に手本をしめすことである。大型の組合や高級組合のほうが小型の組合や初級組合よりも有利だということがわかれば、農民は合併と昇格を要求するようになる。
(「{瓊山|チゥンシャン}県第一区の紅旗農業生産協同組合は、自然災害および資本主義思想とたたかうなかで強固になった」という文章の評語)
四十三
条件のととのった協同組合は、生産力と生産をいちだんと発展させるため、初級形態から高級形態に変えることを考えるべきである。初級形態の協同組合は半私有制⑤をのこしており、一定の段階になると、それが生産力の発展を拘束するようになるので、人びとはこのような制度をあらため、協同組合を生産手段の完全に共有化した集団経営の経済組織にするよう要求する。生産力がいちだんと解放されるや、生産はさらに大きく発展するであろう。転化の時機は、ところによっては少し早くなるかもしれないし、ところによっては少し遅くなるかもしれない。初級協同組合は、できてから三年もすれば、基本的にこのような条件をそなえるようになる。各省、市、自治区の党組織はこれを検討して、措置を講すべきであり、一九五六年と一九五七年の二年内に、大衆の同意のもとで、いくつかの高級協同組合を試験的につくってみるべきである。いまの協同組合は一般に小型のものであり、それを高級組合に転化させるときは、大衆の同意を得て、多くの小型組合を合併して大型組合にすべきである。もしもこの二年間にどの区にもこのような協同組合を一つ、ないしいくつかつくり、しかもこれらの組合が初級組合よりもいっそう大きな優越性をもっていることを大衆にしめすことができれば、今後数年における合併と昇格の仕事に、有利な条件をもたらすことができる。この仕事は、生産発展の全面的な計画と結びつけておこなわなければならない。大型組合や高級組合のほうが小型組合や初級組合よりも有利であることを見てとったとき、また長期的な計画が現在よりもはるかに高い物質面、文化面の生活水準をもたらすことを見てとったとき、人びとは協同組合の合併と昇格に同意するであろう。都市の郊外区での昇格はいくらか速くなるだろう。北京のこの協同組合の経験は、同じような状況にある他の協同組合の参考になる。
(「初級形態から高級形態に移行した協同組合」という文章の評語)
注
〔1〕 ここでいう「反面の宣伝」とは、大衆が普遍的に立ちあがり、ぞくぞくと組合加入を要求してきたとき、協同組合をつくる利点と有利な条件を宣伝するほか、ぶつかるかもしれないさまざまな困難や不利な状況をも大衆にはっきりと説明し、みんながよく考え、自由意思で加入するようにさせることをさす。
〔2〕 レーニンの『青年同盟の任務』にみられる。
〔3〕 『論語』―「子路第十三」を参照。
訳注
① 王国藩協同組合が成立したばかりのとき、一匹のロバの四分の三の所有権しかもっていなかったことをさす。
② 王国藩協同組合は、成立直後、生産手段の不足という困難にぶつかった。だが、かれらは国からの貸付金にたよるのではなく、労働力を組織して十七、八キロも離れた山奥へ薪をとりにいき、それを売って大量の生産手段を購入した。そこで、この協同組合の人たちは、生産手段を「山からとってきた」といったのである。
③ 本選集第一巻の『湘南省農民運動の視察報告」注〔28〕を参照。
④ 四つの比較とは、第一に協同組合と互助組と単独経営のどれがよいか、第二に社会主義と資本主義のどちらがよいか、第三に搾取制度のあるのと、ないのとではどちらがよいか、第四に自分だけよくなるのと、みんなが一緒に豊かになるのとではどちらがよいか、この四つの比較をさす。五つの計算とは、第一に自然災害による損失、第二に副業の発展による収入の増加、第三に労働意欲の高まりによる労働点数の増加、第四に貧農と中農の協力による相互利益と生産増加、第五に生産面と生活面での困難の克服、この五つについて計算してみることである。
⑤ 初級協同組合は土地の出資と統一経営を特徴とする半社会主義的性質のものである。この種の組合は、組合員に土地、家畜、大型農具といった生産手段の私有権をのこしたまま、これらの生産手段を使用し、その出資高におうじて組合員に「配当」をあたえている。したがって、半私有制をのこしているというのである。