蔵書 › 毛沢東選集 第五巻 › 社会主義革命と社会主義建設の時期(一)
この文書は保護期間中(license: pending)として登録されています。詳細は末尾の書誌情報を参照。
中国共産党第八期中央委員会第二回総会での演説
(一九五六年十一月十五日)
わたしは次の四つの問題――経済問題、国際情勢の間道、中ソ関係の問題、大民主と小民主の問題について話したいとおもう。
一
われわれは、問題を全面的に分析してはじめてそれを適切に解決できる。進むべきか、退くべきか、馬に乗るべきか、馬から降りるべきか、すべては弁証法にもとづいて行なわれなければならない。世の中には、つねに乗馬と下馬、前進と後退があるものだ。一日じゅう馬を乗りまわしても馬から降りないという道理がどこにあるだろうか。われわれが道を歩くときには両足がいっしょに前に出るのではなく、両足はつねにいれちがいである。第一歩でこっちの足が前なら、そっちの足はうしろであり、第二歩でそっちの足が前なら、こっちの足はうしろである。映画を見ているとスクリーンの上で人はたえず動いているが、フィルムを見てみると一コマ一コマはどれも動いていない。『荘子』の「天下編」に「飛鳥の景は、未だ嘗て動かざるなり」とある。世の中とはつまり、動いてもいるし、また動いてもいないという、このような弁証法なのである。動かないでいるだけのものはなく、また動いているだけのものもない。動は絶対的であるが、静は一時的であり、条件的である。
われわれの計画経済は、均衡がとれてもいるし、また不均衡でもある。均衡がとれているのは、一時的であり、条件的である。一時的には均衡がとれていても、その後すぐに変動がおこる。上半期は均衡がとれていても、下半期には不均衡になり、ことしは均衡がとれていても、来年はまた不均衡になる。均衡がとれてだけいて、その均衡かくずれないことは、ありえない。われわれマルクス主義者は、不均衡、矛盾、闘争、発展は絶対的であり、均衡、静止は相対的である、と考えている。相対的とは一時的、条件的のことをいう。このようにわれわれの経済問題をみるならば、いったい前進しているのかそれとも後退しているのか。これについて、幹部と広範な大衆につぎのように告げるべきである。前進もしているが後退もしており、主要な面は前進であるが、直線的な前進ではなく波状的な前進である、と。下馬しているときもあるが、馬に乗っている時間のほうが長いのである。各級党委員会、各部、各級政府は、経済を促進しているのか、それとも促退しているのか。根本的には促進しているのである。柞会はつねに前進しているのであって、前進が全般的趨勢であり、発展が全般的趨勢である。
第一次五ヵ年計画は正しいかどうか。これまでの四年間の状況からはっきり見てとれるように、第一次五ヵ年計画は根本的には正しい、という意見にわたしは賛成する。誤りについていえば、それはたしかに存在しており、われわれの経験が少ないためにそれも避けがたい。将来いくつか五ヵ年計画を実行して経験をつんでも、まだ誤りを犯すだろうか。やはりまだ犯すであろう。経験は永遠に学びつくせないものである。一万年後に計画をたてればすこしも誤りを犯さずにすむだろうか。一万年後のことまでは手がとどかないとしても、はっきりいえるのは、その時になってもやはり誤りは犯すだろうということである。青年は誤りを犯すが、老人なら誤りを犯さないだろうか。孔子は、自分は七十になると何事をしても客観的法則にあうようになった〔1〕と言ったが、それはホラを吹いているのであって、わたしは信じない。われわれの第一次五ヵ年計画の投資基準額をこえる建設項目のうち、一部分はソ連に設計してもらったが(大部分はわれわれ自身で設計したのである。中国人はだめだというのか。われわれにもできるのだ。しかし、まだ一部分、自分では設計できないものもあるので、われわれにはまだ多少だめなところもあるのを認めるべきである。この数年の建設には、一つの問題があった。それは、一部の同志がいっているように、「骨」に注意するだけで、「肉」にあまり注意をはらわなかったことである。工場の建物、機械設備などはととのったが、公共施設や民生関連施設はそれに見合ったものになっておらず、将来に大きな問題をのこしている。この問題の影響は、第一次五ヵ年計画にではなく、第二次五ヵ年計画あるいは第三次五ヵ年計画に現われてくるとおもう。第一次五ヵ年計画が正しいかどうかは、現在一部分の結論を出すことができ、来年にも一部分の結論が出せるが、第二次五ヵ年計画の末期になってはじめて全面的な結論が出せるのではないかとおもう。このなかで主観主義の誤りをすこしも犯さないというのは不可能なことである。誤りを多少犯すのも悪いことではない。成果には二重性があり、誤りにも二重性がある。成果は人をはげますが、同時に人をおごり高ぶらせる。誤りは人をつまずかせ、あせるせるので、敵ではあるが、同時にわれわれの良い教師でもある。全般的に言って、第一次五ヵ年計画になにか大きな誤り、根本的な誤りがあるということは、いまのところまだ見いだせない。
幹部と人民大衆の積極性を大切にすべきで、かれらに冷や水をかけるようなことをしてはいけない。一部の人は農業の社会主義的改造の問題で水をかけたことがあり、当時、「促退委員会」なるものがあった。そのご、われわれは水をかけるべきではないと言い、促進会ということになったのだ。もともと十八年の時間をかけて、所有制の面での社会主義的改造を基本的になしとげるよう段どりをしていたのが、促進したらたいへん速くなった。農業発展要綱草案には一九五八年に高級形態の農業協同化をなしとげると書いてあるが、いまの状況から見ると今冬から来春にかけて実現されるであろう。欠点も少なくはないが、あの促退会よりはよいので、農民は喜び、農業生産は伸びている。この協同化がなされていなかったら、ことしのような大きな災害のもとで、食糧を二百億斤あまりも増産することはできなかっただろう。また、被災地区に協同組合があれば、生産・救災にも便利である。幹部と人民大衆の積極性を大切にするという大前提のもとで、かれらの欠点を批判し、われわれ自身の欠点を批判すべきで、こうすればかれらもその気になって大いにやるようになる。大衆が要求しているが、一時手のまわらない事がらについては、大衆にはっきり説明すべきであり、また、はっきりと説明できるものである。
毎年の国家予算は三次評定方式をとるべきである。すなわち、われわれ中央委員会の同志と関係方面の一部の同志が三回会議をひらいて討議し決定するのである。このようにすればみんなが予算の内容を知ることができる。さもなければ、いつも、予算を手がけた人がわりあいよく知っているだけで、ここにいるわれわれは、採決の手はあげているものの、内容がわかっているかというと、わかっているようなわからないような、どうもはっきりしないということになってしまう。三次評定の方式だと十分にその内容を知ることができるか、というとそうともかぎらない。やはり直接手がけた同志にくらべれば開きがある。たとえていえば、かれらは舞台上の役者で芝居ができるが、われわれは観衆で芝居ができないのである。しかし、われわれも長いあいだ芝居を見ていれば、どれが上手でどれが下手かなどと、わりあい正しい判断ができるようになる。芝居の上手下手はやはり観衆によって評定される。役者の誤りをなおすのもやはり観衆である。観衆のすぐれたところはここにあるのだ。人びとがいつも喜んで見るのならその芝居はうち続けることができるが、人びとがあまり見たがらない芝居は、これを変えなければならない。こういうわけで、われわれの中央委員会の内部にも専門家と非専門家の矛盾があるのだ。専門家には専門家の長所があり、非専門家にもまたその長所がある。非専門家には正しいかまちがっているかを識別することができるのである。
一九五六年の国家予算報告のなかに「穏当で着実」ということばがあったが、今後は「きわめて着実」になおすよう提案したい。ことしの一月にひらかれた知識分子問題についての会議のとき、わたしは「きわめて着実」でなければならないといったことがある。穏当と着実とは意味が重複している。穏当ということばでも実を形容しても何らその意味を拡火したりあるいは限定したりしない。形容詞は一面では修飾し、もう一面では限定することばである。きわめて着実だといえば、程度のうえでこれを限定しており、普通にいう着実ではなく、きわめて着実なのである。きわめて着実というところまでやるのは容易なことではない。ことしの六月、人民代表大会で予算が可決されたとき、みんなは着実だといった。いまからみれば、この予算の十分の一たらずは着実ではなく、ある項目は割りふりがまちがっており、ある項目は金をつかいすぎている。したがって、今後は予算の各項目の割りふりに注意すべきである。各項目の割りふりが適切に進められているかどうかは、専門家に注意してもらうと同時に、われわれ自身、とくに省クラスの同志がこれに注意をはらわなければならない。もちろん、みんなも注意すべきである。
われわれ、ならびに省・市・自治区の党委員会書記は財政に力をいれ、計画に力をいれるべきである。以前、一部の同志はあまり力をいれていなかった。同志たちは、食糧、豚肉、タマゴ、蔬菜などの問題に注意をはらってもらいたい。これはかなり大きな問題である。去年の冬以後、集中的に食糧と取りくんだが、副業や工芸作物のほうはおろそかになった。その後、そのかたよりを是正して副業や工芸作物と取りくむようになった。とくに、綿花と食糧の価格比、食用油と食糧の価格比、豚肉と食糧の価格比、タバコと食糧の価格比など二十項目、三十項目の価格比がきまったことから、農民は副業、工芸作物にたいして大いに魅力を感じるようになったが、食糧生産の魅力は減ってきている。はじめは食糧へぐっとかたより、つぎには副業や工芸作物へぐっとかたよってきた、というわけだ。穀物が安ければ農民を傷つける。食糧の価格が安すぎると農民は食糧をつくらなくなるものである。この問題は大いに注意しなければならない。
勤倹の精神で国を建設し、ぜいたくや浪費に反対し、刻苦・質朴にっとめ、人民と苦楽を共にすることを提唱すべきである。同志たちは、企業長や学長・校長も仮小屋に住むといったが、これはよいことで、とくに困難な時期にはそうだとおもう。われわれは長征の途上、湿地草原を越えたときには家屋などまったくなかったが、それでも寝たものだし、朱徳総可令も四十日間湿地草原を歩いたが、それでも同じように寝たものだ。みなこうして乗りこえてきたのである。われわれの部隊は、食糧がなければ木の皮や木の葉を食べてきた。幸いあらば人民と共に分かち、災いあらは共に当たる、というのは、われわれがこれまでやってきたことで、いまそれができないことがあるだろうか。われわれがこのようにしさえすれば、大衆から浮きあがることなどありえないのである。
新聞に力をいれるべきである。中央、各級党委員会など、およそ新聞を発行しているところでは、みな新聞の仕事を重要なことと見なさなければならない。この一年間、新聞紙上では、人民の生活改善を、一面的に実際からかけ離れて、宣伝した。だが勤倹の精神で国を建設し、ぜいたくや浪費に反対し、刻苦・質朴につとめ、人民と苦楽を共にすることを提唱する面での宣伝はたいへん少なかった。今後は新聞の宣伝の重点をこの面におかなければならない。放送局で放送しているものも、やはり新聞紙上からきているのであろう。したがって、新聞記者、新聞・放送関係者を集めて会議をひらき、かれらと意見を交換し、宣伝の方針をつたえるべきである。
ここで反革命鎮圧の問題についてものべておこう。あの極悪非道の土豪劣紳、極悪ボス、反革命分子などは殺すべきかどうか。殺すべきである。一部の民主人士は殺すのはよくないと言い、われわれは殺すのはよいと言って、いずれにせよ張りあっているわけだ。このことについてわれわれは、民主人士とずっと張りあっている。われわれが殺すのは「小蒋介石」どもだ。「大蒋介石」たとえば宣統皇帝、王耀武、杜聿明などは一人も殺さない。だが、あの「小蒋介石」どもを殺さなければ、われわれの足もとでは毎日「地震」がおこり、生産力は解放されず、勤労人民は解放されないのである。生産力とは勤労者と道具の二つの要素からなる。反革命を鎮圧しなければ勤労人民は喜ばない。牛も喜ばないし鍬も喜ばず、土地も気が晴れないだろう。なぜなら、牛をつかい、鍬をつかい、土地を利用する農民が喜ばないからである。したがって、反革命にたいしては、かならずその一部を殺し、そのほかは一部を逮捕し、一部を管制しなければならないのである。
二
国際情勢は、全般的にみてすばらしい。いくつかの帝国主義などものの数ではない。さらに数十の帝国主義がくわわっても恐れるに足りない。
現在、二つのところで問題がおきている。一つは東ヨーロッパであり、もう一つは中東である。ポーランドとハンガリーには騒動がおこり〔2〕、イギリスとフランスはエジプトを武力侵略した。わたしに言わせれば、これらの悪い事はみなよい事でもある。マルクス主義者からみれば、悪い事には二重性、つまり悪い面とよい面がある。多くの人は「悪い」という字が「事」のうえにつけば、それは悪い事だけを意味すると思っている。だが、われわれはそのほかに、もう一つの意味、つまり「失敗は成功の母」というよい一面があるのだ、といっている。およそ失敗した事、運の悪い事、誤りというものは、一定の条件のもとでは、よい結果を生みだすものだ。ポーランドにせよ、ハンガリーにせよ、火だねがある以上、いつかは燃えあがる。燃えあがったほうがいいのか、それとも燃えないでいるほうがいいのか。紙は火を包むことができない。いま燃えあがったが、そのほうがいいのだ。ハンガリーにあれほど多くの反革命がいることが、これでいっぺんに暴露された。ハンガリー事件は、ハンガリー人民を教育したし、同時にソ連の一部の同志を教育し、われわれ中国の同志をも教育した。べリアが現われると、もうたいへんで、社会主義の国にべリアのようなものが現われるとはどうしたことか、という。高崗が現われると、またしてもびっくり仰天する。われわれはこうした事がらから教訓を汲みとらなければならないのである。こうした事がらは、在るべくして在るものであって、永遠になくなりはしない。
将来、世界じゅうの帝国主義が打倒され、階級が消滅されたら、そのときには革命がなくなるとおもうか。やはり革命はやらなければならない、とわたしはおもう。社会制度はやはり改革しなければならないし、「革命」ということばはやはり使われるであろう。もちろん、そのときの革命は、階級闘争の時代の革命とは性質が異なる。そのときにも、生産関係と生産力との矛盾が存在し、上部構造と経済的土台との矛盾が存在する。生産関係がうまくいかなければ、それはくつがえされるだろう。上部構造(これには思想、世論もふくまれる)が人民の喜ばないような生産関係を温存するならば、人民はそれを改革するだろう。上部構造も一種の社会関係である。上部構造は経済的土台のうえにきずかれている。経済的土台とは、生産関係のことであり、主として所有制のことである。生産力はもっとも革命的な要素であって、生産力が発展すれば、どうしても革命がおこるだろう。生産力は二つのものからなっており、一つは人間で、一つは道具である。道具は人間が創造したものである。道具が革命をおこすばあい、それは人間をつうじて物を言い、勤労者をつうじて物を言って、ふるい生産関係を破壊し、ふるい社会関係を破壊するのである。「君子、口を動かし手を動かさず」という。いちばんよい方法は口を使うことだ。よく話しても聞こうとしないなら、腕ずくでということになるだろう。だが、もう武器はなくなっている。どうすればよいのか。勤労者の手には道具がある。道具がないものは石を使えばよい。石がなければ二つのこぶしがある。
われわれの国家機関は、プロレタリア階級独裁の国家機関である。法廷についていえば、それは反革命に対処するためのものである。しかし、そのすべてが反革命に対処するのではなく、人民内部の数かずの紛糾も処理しなければならない。どうやら法廷は一万年たっても必要だ。なぜなら、階級が消滅しても、やはり進んだものと遅れたものとの矛盾が存在するし、人間同士のたたかいがあるし、喧嘩があるし、いろいろな騒ぎのおこる可能性もあるからだ。法廷を設けなければ、たいへんなことになってしまう! ただ、闘争の性質は変わって、階級闘争とは異なったものになり、法廷もその性質が変わるのである。そのときにも、上部構造に問題のおこることがありえよう。たとえば、われわれのような人間が誤りを犯すこともありうるし、その結果、たたかいにやぶれ、他人につき落とされて、ゴムルカが登場したり、饒漱石がかつぎだされたりする。このような事態はありえないと言うのか。一千年、一万年たってもありうるとおもう。
三
世界のあらゆる事物はみな対立面の統一である。対立面の統一とは、異なった性質をもつ対立物の統一ということである。たとえば、水は水素と酸素の二種類の元素が結合したものである。もしも水素だけで酸素がなければ、あるいは酸素だけで水素がなければ、どちらも水となることはできない。聞くところによれば、現在すでに名称のきまった化合物は百万種類以上もあるというが、名称のきまらないものがまだどれだけあるかわからない。化合物はすべて性質の異なった物の対立面の統一である。社会の事がらも同じだといえる。中央と地方は対立面の統一であり、政府のこの部とあの部も対立面の統一である。
二つの国も対立面の統一である。中国とソ連の二ヵ国はどちらも社会主義とよばれているが、異なるところはないか。それはある。ソ連と中国とでは民族が違う。ソ連では三十九年まえに十月革命がおこったが、われわれは全国の政権をにぎってまだ七年にしかならない。やっている事についていえば、多くの違いがある。たとえば、われわれの農業集団化はいくつかの段どりを経ており、かれらとは違う。われわれの資本家にたいする政策がかれらとは違う。われわれの市場での価格政策がかれらとは違う。われわれの農業および軽工業と重工業との関係の処理方法がかれらとは違う。われわれの軍隊内の制度と党内の制度もかれらとは違う。われわれはかつてかれらにたいして、きみたちの一部の事がらには同意できないし、一部のやり方にも賛成できない、と言ったことがある。
一部の同志は、弁証法など見向きもせず、分析をくわえることもせず、ソ連のものならなんでもよいといって、ソ連のあらゆるものを機械的に持ちこんでいる。その実、中国のものにせよ、外国のものにせよ、みな分析をくわえることができ、よいものも、悪いものも存在するのである。各省の仕事も同じで、成果もあれば、欠点もある。われわれ各人もこれと同様、つねに美点と欠点の二つの点があり、一つの点だけではない。一点論も昔からあったし、二点論も昔からあった。つまり、形而上学と弁証法である。中国の昔の人は、「一陰一陽、之を道と謂う」〔3〕といっている。陰だけあって陽がないのも、また陽だけあって陰がないのも、ありえないことだ。これが昔の二点論である。形而上学は一点論である。現在も一点論はかなりの同志のあいだで改められていない。かれらは問題を一面的にみて、ソ連のものはどれもよいと思い、なにからなにまでそのまま持ちこみ、持ってくるべきでないものまでたくさん持ってきた。持ってくるべきでなかったもの、われわれの土地柄にあわないものは、ぜひ改めなければならない。
ここで「外国に内通する」という問題について話そう。わが中国には中央にかくれて外国人に情報を流す人間がいないだろうか。わたしはいるとおもう。たとえば高崗がそのひとりである。これは多くの事実によって立証されている。
一九五三年十二月二十四日、わたしはかって高崗を摘発した中央の会議で、つぎのようにはっきり述べたことがある。北京城内には二つの司令部がある。一つの司令部はわれわれのもので、この司令部はまともな風を吹かせ、まともな火を燃やしている。もう一つの司令部は、地下の司令部とよばれ、かれらもある種の風、ある種の火、つまりよこしまな風を吹かせ、よこしまな火を燃やしている、と。昔のわが林黛玉①は、東風が西風を圧倒するのでなければ、西風が東風を圧倒する、と言った。いまはといえば、まともな風と火がよこしまな風と火を圧倒するのでなければ、よこしまな風と火がまともな風と火を圧倒する、というものだ。かれらがよこしまな風を吹かせ、よこしまな火を燃やすそのねらいは、まともな風を吹きとばし、まともな火をたたき消して、数多くの人を打倒することにある。
われわれの高級幹部と中級幹部のなかには、例外的ではあるが(多くはない)、外国に内通する者がいる。これはよくないことだ。わたしは、同志諸君が中央各部門の党グループ、党委員会で、また省・市・自治区党委員会で、この問題を取りあげ、このような事をやらないようみんなにはっきり伝えることを希望している。われわれが賛成できないソ連の一部の事がらについては、すでに党中央からかれらに何回も話しておいた。まだ話していない問題も若干あるが、将来話すことになっている。話すばあいは中央をつうじて話す。情報などは、流してはいけない。そんな情報は、害があるだけで、なんの役にも立たない。それは両党、両国間の関係を破壊するものだ。そんなことをやる人間は、自分でも居心地が悪いだろう。党にかくれてやったのだから、いつも気がとがめるであろう。情報をおくったことのある者は、自分から言えばよいが、言わなければ、調査をすすめ、調査して判明すれば、それ相応の処分をあたえることにする。
ソ連共産党第二十回大会について、すこし話してみたい。わたしは、二本の「剣」があるとおもう。一本はレーニンで、一本はスターリンである。いまでは、スターリンという剣をロシア人はなげ捨てた。ゴムルカやハンガリーの一部の者が、この剣を手にもってソ連に切りこみ、いわゆるスターリン主義に反対している。ヨーロッパの多くの国の共産党もソ連を批判しているが、その指導者がトリアッチである。帝国主義もこの剣を手にして人を切っている。ダレスが手にとってひとしきり振りまわしたのは、これである。この剣は貸し出したのではなくて、なげ捨てたのだ。わが国はそれをなげ捨ててはいない。われわれは、第一にスターリンをまもり、第二にスターリンの誤りにも批判をくわえるものであり、『プロレタリア階級独裁の歴史的経験について』という論文を書いた。われわれは一部の者のように、スターリンを醜悪化したり、スターリンを抹殺したりせずに、実際の状況にもとづいて対処しているのである。
レーニンという剣も、いまではソ連の一部の指導者によってある程度なげ捨てられてはいないだろうか。わたしの見るところ、かなりなげ捨てられている。十月革命の道はまだ威力があるかどうか。まだ各国の手本にすることができるのかどうか。ソ連共産党帯二十回大会でのフルシチョフの報告は「議会の道をつうじて国家権力を手にいれることができる、と言っている。これはつまり、各国は十月革命に学ばなくてもよいということなのだ。ひとたびこの扉がひらかれると、レーニン主義は基本的になげ捨てられることになる。
レーニン主義の学説はマルクス主義を発展させた。どの面で発展させたのか。第一に、世界観の面、すなわち唯物論と弁証法の面でそれを発展させた。第二に、革命の理論、革命の戦術の面、とりわけ階級闘争、プロレタリア階級独裁、プロレタリア政党などの問題においてそれを発展させた。レーニンには、このほかに社会主義建設についての学説がある。一九一七年の十月革命からは、革命のなかで建設がおこなわれたわけで、レーニンにはすでに七年間の実践があり、これはマルクスにはなかったものである。われわれが学ぶのは、ほかでもなく、マルクス・レーニン主義のこうした基本的な原理である。
われわれは、民主主義革命においても社会主義革命においても、大衆を立ちあがらせて階級闘争をやり、闘争のなかで人民大衆を教育してきた。われわれが階級闘争をやるのは、十月革命から学んだのである。十月革命は、都市でも農村でも、思い切り大衆を立ちあがらせて階級闘争をおこなった。こんにち、ソ連が専門家として各国に派遣している人たちは、十月革命のころ、わずか何歳か十何歳で、かれらの多くはもうその頃のことを忘れているのである。一部の国の同志は、中国の大衆路線は間違いだといって、例の、上からの慈恵的観点をよろこんで学んでいる。かれらが学びたいのだから、しかたがない。どのみち、われわれは平和共存の五原則でやっていき、相互内政不干渉、相互不可侵なのだ。われわれは、いかなる他国をも指導する意図はなく、指導するのはここ、中華人民共和国だけである。
東ヨーロッパの一部の国の根本的な問題は、階級闘争をよくやらなかったことである。あれほど多くの反革命分子を一掃しておらず、また階級闘争のなかで、プロレタリア階級を鍛えておらず、敵と味方、是と非、観念論と唯物論とをはっきり区別していなかったのである。いまでは、身からでた銹で、自分の頭上に火がついたのである。
そちらにはどれだけの資本があるというのか。一にレーニン、二にスターリン以外にはあるまい。そちらはスターリンをなげ捨て、レーニンもほとんどなげ捨ててしまった。レーニンは足がなくなり、頭だけが残っているか、あるいはその両腕のうち、片腕を切り落とされてしまっている。われわれはマルクス・レーニン主義を学び、十月革命を学ぶものである。マルクスはあんなに多くのものを書き、レーニンもあんなに多くのものを書いたではないか。大衆に依拠し、大衆路線を実行することは、かれらから学んだものだ。大衆に依拠した階級闘争をやらず、敵と味方とをはっきり区別しないなるば、それはひじょうに危険なことである。
四
いく人かの司・局長クラスの知識分子の幹部は、大民主をやるべきだと主張し、小民主では物足りないと言っている。かれらがやろうという「大民主」とは、西側のブルジョア議会制度を採用し、西側の「議会制民主主義」、「報道の自由」、「言論の自由」といったものに学ぶことなのだ。かれらのこうした主張は、マルクス主義の観点に欠け、階級的観点に欠けており、まちがっている。だが、大民主、小民主というのは、たいへん形象化された言い方なので、このことばを借りることにしよう。
民主は方法であり、それがだれにたいして使われ、なにをやるのかを見なければならない。われわれは大民主を好む。われわれが好むのは、プロレタリア階級の指導のもとでの大民主である。われわれは、大衆を動員して蒋介石とたたかい、二十数年たたかって、かれをうち倒した。土地改革運動では、農民大衆が立ちあがって地主階級とたたかい、三年たたかって土地を手にいれた。これらは、みな大民主である。「三反」では、ブルジョア階級にむしばまれた一部の工作要員とたたかい、「五反」では、ブルジョア階級とたたかい、思い切りたたいた。これらはみな、あらしのような大衆運動であり、また大民主でもある。先日、大衆が中国駐在イギリス代理大使事務所にデモをかけ、北京天安門広場では、数十万人の大衆が集会をひらいて、イギリス、フランスの侵略に抵抗するエジプトに声援をおくった。これも大民主であり、帝国主義に反対するものだ。このような大民主を、どうしてわれわれが好まないことがあろうか。われわれは、たしかにこれを好む。こうした大民主は、だれに対処するものなのか。帝国主義、封建主義、官僚資本主義に対処し、資本主義に対処するものだ。私営工商業の社会主義的改造は、資本主義に対処するものだ。農業の社会主義的改造は、小生産的私有制を廃絶させるためのもので、その性質からいうならば、やはり資本主義に対処するものなのである。われわれは、大衆運動の方法で農業の社会主義的改造をおこない、自分自身で組織するよう農民を動員している。まず貧農、下層中農が中心になって組織する。こうなると上層中農も賛成しないわけにはいかなくなる。資本家がドラや太鼓をたたいて社会主義的改造に賛成するのは、農村に社会主義の高まりがおとずれ、労働者大衆も下から資本家を突きあげるからで、かれらもこうせざるをえなくなっているのだ。
いままた大民主をやろうということに、わたしも賛成である。諸君は大衆が街頭にくりだすのをおそれているが、わたしはおそれない。数十万人くりだしてもこわくない。「身を八つざきにされようとも、敢然と皇帝を馬からひきずりおろす」――これは昔の人が言ったことばだ。その名は王煕鳳②、またの名を鳳姉さんといい、彼女が言ったことばである。プロレタリア階級のおしすすめる大民主は、階級の敵に対処するものである。民族の敵(帝国主義、外国の独占ブルジョア階級にほかならない)も階級の敵である。大民主はまた、官僚主義者に対処するばあいにも使える。さきほど、一万年後にも革命はあるといったが、そのときにも大民主をやることはありえる。もしも何もかも面倒くさくなって、官僚主義をやり、大衆と会ってもののしるだけで、いいことひとつ言わず、大衆のぶつかっている問題を解決しないならば、こうした連中は、かならず打倒されるだろう。げんに、この危険は存在している。もし大衆から浮きあがり、大衆のぶつかっている問題を解決しないならば、農民はてんびん棒をふりかざし、労働者は街頭デモにくりだし、学生もひとさわぎするだろう。およそ、こうしたことがおきれば、まずそれはよいことだと言うべきだ。わたしは、そう考える。
数年前、河南省のあるところに飛行場をつくることになったが、事前に農民への配慮がゆきとどかず、よく説明もしないで、むりやりかれらを引っ越させようとした。そこの村の農民たちは、長い棒で木の上のスズメの巣をつつき落とせば、スズメだってすこしは文句をいうさ、と言った。鄧小平、きみにも巣があって、わたしがそれをめちゃくちゃにしたら、きみはなにも文句を言わないかね? そこでだ、ここの大衆は三段がまえのピケット・ラインを敷いた。第一段は子供たち、第二段は婦人たち、第三段は青壮年男子のピケット・ラインだ。そこへ測量にいった人たちは、みな追い返されて、結局、農民が勝利した。そのご、農民に十分に説明をし、ゆきとどいた配慮をしたら、農民はやはり引っ越し、飛行場はちゃんとできあがったのである。こうしたことは少なくない。いま、天下をとったので枕を高くして寝られる、横暴のかぎりをつくせる、とでも思っているような人たちがいる。大衆がこうした人に反対し、石をぶつけ、鍬をふりあげるのを、わたしは当然のことだとおもうし、これを大歓迎する。それに、腕ずくに訴えてはじめて問題が解決されるばあいもあるのだ。共産党は教訓を汲みとらなければならない。学生が街頭にくりだし、労働者が街頭にくりだす、およそこうしたことがおきたならば、同志諸君は、これをよいことだとみなければならない。成都の百人あまりの学生が、北京に請願に来ようとしたが、ある列車に乗った学生は四川省の広元駅でとめられ、別の列車に乗った学生も洛陽まできたが、北京には来られなかった。これらの学生を北京に来させて、関係部門へ参上させたらよい、というのが、わたしの意見であり、また周総理の意見である。労働者のストライキを許すべきであり、大衆のデモを許すべきである。デモ行進については、憲法にその根拠がある。今後、憲法を改正するときには、もう一つ、ストライキの自由もくわえて、労働者のストライキを許すべきだ、とわたしは主張する。こうすることは、国家、企業長と大衆とのあいだの矛盾の解決に有利である。いずれにせよ矛盾であって、世界は矛盾にみちている。民主主義革命は、帝国主義、封建主義、官僚資本主義とのあいだの一連の矛盾を解決した。こんにち、所有制の面では、民族資本主義および小生産とのあいだの矛盾も基本的に解決したが、また、別の面の矛盾がきわだってきて、新しい矛盾が発生してきているのである。県委員クラス以上の幹部は数十万人おり、国の運命は、かれらの手に握られている。もし、りっぱに仕事をせず、大衆から浮きあがり、刻苦奮闘しないならは、労働者、農民、学生が、かれらに賛成しないのは当然のことである。われわれはかならず、官僚主義の作風がはびこらないように、人民から浮きあがった貴族階層がうまれないように、警戒しなければならない。官僚主義におちいり、大衆のぶつかっている問題を解決せず、大衆をののしり、大衆をおさえつけ、またいつまでもあらためようとしないならば、大衆が、こうした者をクビにするのは当然のことである。わたしは、クビにすることはたいへんよいことであり、クビにすべきだとおもう。
いま、民主政党、ブルジョア階級は、プロレタリア階級の大民主に反対している。もういちど「五反」ということになると、かれらは賛成しないだろう。かれらは、もし大民主をやれば、民主政党は消滅されてしまい、長期共存することはできなくなる、とたいへんおそれている。教授たちは大民主を好むだろうか。これもあやしいものだ。わたしの見るところ、かれらは、いささか警戒しており、またプロレタリア階級の大民主をおそれている。かれらがブルジョア階級の大民主をやるなら、こちらは整風、つまり思想改造をうちだす。学生たちを全部動員して、かれらを批判し、どの学校にも関所を設け、かれらがこの関所を通りぬけられたときに、はじめて決着がつく、ということになるだろう。だから、教授たちは、やはりプロレタリア階級の大民主をおそれているのである。
ここで、もう一つダライの問題について話そう。釈迦が死んで二千五百年になるが、いま、ダライたちはインドに巡拝しようとしている。行かせるか、行かせないか。中央は、行かせないのはよくない、やはり行かせたほうがよい、と考える。数日後に、かれは出発するだろう。飛行機で行くようすすめたが、かれは飛行機には乗らず、自動車でカーリンポン〔4〕を通って行くという。カーリンポンには、各国のスパイがおり、国民党の特務分子もいる。つぎのような事態がおきることも考えておかなければならない。つまり、ダライは多分帰ってこないだろうし、帰ってこないだけでなく、「共産党は西蔵を侵略した」などと毎日われわれをののしり、はては、インドで「西蔵独立」を宣言するかもしれない。かれはまた、大いに事をおこしてわれわれを追いだすことをよびかけるよう、西蔵の上層反動分子をそそのかす一方、自分は西蔵にいないのだから、責任は負えないと言うかもしれない。これは、悪い面から出発して考えた可能性だが、こうした悪い事態が発生しても、わたしはよろこぶ。われわれの西蔵工作委員会と軍隊は、陣地を構築し、食糧や水をいくらか余分に備蓄して、準備をととのえておかなければならない。われわれの兵力は、あれだけしかない。かれらが打ってくれば、われわれは防ぎ、かれらが攻めてくれば、われわれは守る。いずれにせよ、おのおのが思うようにやればよい。どうであろうと、われわれが先に攻めてはならず、まずかれらに攻めさせておいて、そのあとで反撃に出、進攻者をさんざんに打ちのめすのだ。ダライ一人が逃げたくるいで、わたしが悲しむとでもいうのか。もう九人足して十人逃げたとしても、わたしは悲しみはしない。われわれには一つの経験がある。例の張国燾が逃げたのも別に悪いことではなかった。人間はゆわえつけても夫婦にはできない。かれは、この土地がいやで逃げだそうというのだから、そうさせたらいい。逃げだしたからといって、われわれにどんな不利な点があるのか。別になにもなく、せいぜい、われわれのことをののしるだけである。われわれ共産党は、三十五年ののしられてきた。それも、せいぜい共産党は「極悪非道」だ、「共産共妻」だ、「残虐無比」だ、といったたぐいのきまり文句であった。いまダライ一人がふえたところで、もう一人だれかを足したところで、別にたいしたことはない。あと三十五年ののしられても、たかだか七十年である。人にののしられるのをおそれるのは、よくないことだとおもう。機密の漏れるのをおそれる人がいるが、張国燾はあんなにたくさん機密を知っていたではないか。だが、張国燾が機密を漏らしたので、われわれの仕事が失敗したということは聞いていない。
わが党には、経験をもった数百万にのぼる幹部がいる。これらの幹部の大多数は、よい幹部であり、その土地に根をはった、大衆と結びついた、長期にわたる闘争の試練を経た幹部である。われわれには、党創設の時期の幹部、北伐戦争の時期の幹部、土地革命戦争の時期の幹部、抗日戦争の時期の幹部、解放戦争の時期の幹部、全国解放後の幹部、と一連の幹部がいるが、かれらはみな、わが国の貴重な財産である。東ヨーロッパの一部の国が、あまり安定していない重要な原因の一つは、こうした一連の幹部がいないことである。われわれには、革命の各時期の試練をうけたこうした一連の幹部がいるので、「波風いかに立つとも、泰然と釣船にすわる」ことができるのだ。このような確信がなければならない。帝国主義をもおそれないのに、なんで大民主をおそれるのか。なんで学生が街頭にくりだすのをおそれるのか。ところが、われわれの一部の党員は、大民主をおそれている。これはよくないことだ。大民主をおそれる官僚主義者たちは、マルクス主義をよく学ばなければならず、態度をあらためなければならない。
われわれは、来年、整風運動をおこなうつもりである。一に主観主義、二にセクト主義、三に官僚主義の三つの作風を整頓するのである。中央が決定したあと、まず通知を発し、整頓を要する項目を提示する。たとえば、官僚主義には、幹部や大衆と接触しないとか、下部にはいって状況を了解しないとか、大衆と苦楽を共にしないとか、それに汚職、浪費などなど、多くのものがふくまれる、というように提示する。もし、来年の上半期に通知を出し、下半期に整風をおこなうようにすれば、その間に数ヵ月の時間ができる。およそ汚職行為のあった者は、誤りを認めなければならず、この期間内に、その返済をすますか、あるいは、以後何回かにわけて返済する。それさえどうにもならないものは、返済を免除するよりほかないだろう。以上いずれでもよいが、誤りはかならず認め、みずから申し出なければならない。これは、誤りを犯した者に、助けのはしごを掛けてやり、そのはしごでゆっくり降りてこさせるということである。その他の誤りについても、この方法をとる。「教えずして、とがめる」のではなく、あらかじめ告示を出し、期日が来たら整風をやるようにする。これは、一つの小民主の方法である。この方法をとると、下半期には、なにも整頓するものがなくなってしまうのではないか、と言う人がいる。われわれが達成したいと願っているのは、まさにそのことであり、整風が正式に始められるときには、主観主義、セクト主義、官僚主義がいずれも大いに減っていることを望んでいるのである。整風は、われわれがこれまでとってきた効果のある方法である。今後、およそ人民内部の問題、党内の問題はみな、武力に訴えるのではなく、整風の方法、批判と自己批判の方法で解決すべきである。われわれは、おだやかな微風細雨の方法を主張する。もちろん、そのなかで例外的に、いくらか激しいものとなることも免れないが、全般的な方向としては、病をなおし、人を救うことであり、この病をなおして人を救うという目的を口先だけでなく、確実に達成しなければならないのである。第一条は、保護すること、第二条は、批判することである。まず、保護しなければならない。なぜなら、その人は反革命分子ではないからだ。これがつまり、団結の願いから出発し、批判と自己批判をつうじて、新しい基礎のうえで新しい団結に達する、ということである。人民内部において、誤りを犯した人にたいしては、その人を保護もし、批判もするという方法をとる。こうすれば、大いに人心を得ることができ、全国人民を団結させ、六億の人口のうちのあらゆる積極的な要素を社会主義建設に動員することができる。
わたしは、平和な時期には、軍隊の幹部と軍隊以外の幹部とのあいだの給料の差を一歩一歩縮小していくことに賛成である。ただし、完全な平均主義をやるのではない。わたしは、軍隊が刻苦奮闘し、模範となるよう、ずっと主張してきた。一九四九年、ここで会議をひらいたとき、ある将軍が軍隊における給料の引き上げを主張し、多くの同志も賛成したが、わたしは反対した。かれは、資本家がおかずを五品も食べているのに、解放軍のおかずは塩水に漬け菜をちょっといれただけのものだ、という例をあげ、これではだめだと言った。わたしは、これこそ、よいことなのだと言った。資本家はおかずを五品食べ、われわれは漬け菜を食べる。この漬け菜のなかから、政治が生まれ、模範が生まれるのだ。解放軍が人心を得ているのは、もちろん別のこともあるが、この漬け菜にもよるのだ。いま、部隊の食事は改善され、漬け菜ばかり食べていたころとは違う。だが、根本となるのは、刻苦奮闘を提唱することであり、刻苦奮闘はわれわれの政治的本領なのである。錦州というところはリンゴの産地だ。遼西戦役のとき、ちょうど秋で、民家にはリンゴがたくさんあったが、われわれの戦士は一つも手をつけなかった。わたしは、このことを知ってひじょうに感動した。この問題で、戦士たちは、これは人民のリンゴなのだから、食べないのはひじょうに高尚なことであり、食べるのはひじょうに卑しいことだという自覚をもっていたのである。われわれの規律は、こうした自覚のうえに築かれているのである。これは、わが党の指導と教育のたまものだ。人間には、なにほどかの精神がなくてはならず、プロレタリア階級の革命精神は、ここから生まれてくるのである。リンゴを一つ食べなかったからといって、餓死者が出ただろうか。出なかった。まだ、粟と漬け菜があるからだ。在席の同志諸君は、必要とあるば、仮小屋にも住まなければならない。長征で湿地草原を越えたときには、仮小屋もなかったが、寝ることはできた。いま、仮小屋があるのに住めないとでもいうのか。軍隊は、ここ数日、会議をひらいている。かれらは生活をひきしめ、節約を励行する決意をしめし、意気軒昂であった。軍隊がこうなのだから、その他の人は、なおさらのこと刻苦奮闘しなければならない。さもなければ、軍隊がはっばをかけてくるだろう。在席の同志のなかには、文官もいれば武官もいる。われわれは、武をもって文にはっぱをかけるのだ。解放軍は、りっぱな軍隊であり、わたしは、この軍隊がたいへんすきである。
政治工作を強化しなければならない。文にしろ、武にしろ、また、工場、農村、商店、学校、軍隊、党・政府機関、大衆団体をとわず、各分野で、みな政治工作を大いに強めて、幹部と大衆の政治的レベルをたかめなければならない。
注
〔1〕 ここでは、孔子のいう「七十にして心の欲する所に従って、矩を逾えず」をさす。『論語』―「為政第二」にみられる。
〔2〕 一九五六年六月、ポーランドのポズナニ市でおきた騒乱と、同年十月、ハンガリーでおきた反革命暴動をさす。
〔3〕 『周易』―「繋辞上」にみられる。
〔4〕 カーリンポンは、インド東北部辺境地区にある町で、わが西蔵の亜東に近い。
訳注
① 林黛玉は、中国の古典小説『紅楼夢』の女主人公である。
② 王煕鳳は、中国の古典小説『紅楼夢』のもう一人の女主人公である。